Wie aus der Ferne 〜Guest Book〜

2006/02/14から2019/02/06のゲストブック記事です。

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No.790 暑中お見舞い申し上げます 投稿者:すみこ   投稿日:2011/07/17(Sun) 12:25

猛暑と熱帯夜が続く毎日です。また、大きな台風が近づいているようですが、皆様お元気で、ご無事で過ごされるよう、お祈り申し上げます。
さて、DGサイトにポリーニの新譜のお知らせがありました。(家のマークにUrl.)

先日のドレスデンでのブラームスのピアノ協奏曲第1番が、リリースされるようです。
インターナショナル・リリースは9月2日、日本ではいつになるのかしら? ジャケットは? 

楽しみですね!(^^)v

※ジャケットもUpされました!(7/22)



No.789 2つの自然の接点 投稿者:博多の人 投稿日:2011/06/13(Mon) 12:59

クロチルド様がおっしゃる「バッハの描く自然と人類を育てまた脅威を覚えさせる自然との接点」、とても難しい問題ですね。バッハにとっての自然は、宗教と人間の感情それに病気や戦争や身の回りの環境を対象としていたのでしょうが、やはり精神性が中心にあったのではないでしょうか。人類を育てまた脅威を覚えさせる自然は、物質性に基づいているようで、地球や宇宙の構成要素としての人間を指しているように思われます。2つの自然の接点を探ることは、物質としての脳からどのようにして精神的なものが生まれるのか、という現代科学(自然・人文・社会)の中心課題のようです。答えが出るまで、あるいは方向性が示されるまで、気長に待つほかないでしょうね。答えになっていなくて、すみません。


No.788 クロチルド様、そうだったのですか(*^^*) 投稿者:segreto 投稿日:2011/05/22(Sun) 19:55

クロチルド様

ベルリン・フィル=アバドとポリーニの共演を初体験されたのですね!!

それではクロチルド様が舞い上がられるのも当然ですね(*^^*)

僭越ながら、クロチルド様のご投稿からは、いつも「熱いハート」と共に「冷静な頭」を保たれていらっしゃるように感じておりましたので、浮かれて舞い上がるなどということとは無縁な方だと思い込んでおりました。

でも、クロチルド様も舞い上がったりなさるのだと知り、いつも舞い上がって冷静さを失いがちな私はなんだかホッとしたような、(勝手に)親近感を覚えたような次第です。

私の差し出がましい投稿に、たくさんのご配慮を賜りましたことに、本当に感謝でいっぱいです。

「歓喜」「歓び」の音楽が自動的に「第九」に・・というお言葉からはクロチルド様の飾らないお心が感じられ、なんて可愛らしい方なのでしょう!と思ってしまいました。
マエストロの今回の「復帰」への喜びを、クロチルド様とご一緒できることを心より幸せに存じます。

25日のロンドン公演がマエストロにとって、聴衆の皆様にとって、そして、遠くから見守っているマエストロを愛する全ての人にとって素晴らしいものとなりますように!!

マーラーの8番をめぐるアバドとポリーニのやりとり・・楽しいですね!!

マーリン様、優しいお言葉を有難うございます。

大震災について辺見庸氏が新聞に寄せた文章の中に、「非情無比にして荘厳なもの」という一節がありました。
マーリン様もお読みになられたかもしれませんが、少しだけ抜粋いたします。
『それらの光景と音に、わたしは恐怖をさらにこえる「畏れ」を感じた。非情無比にして荘厳なもの、人智ではとうてい制しえない力が、なぜか満腔の怒気をおびてたちあがっていた。水と火。地鳴りと海鳴り。それらは交響してわたしたちになにかを命じているようにおもわれた。たとえば「ひとよ、われに恐懼せよ」と。あるいは「ひとよ、おもいあがるな」と。わたしは畏れかしこまり、テレビ画面のなかに母や妹、友だちのすがたをさがそうと必死になった。これは、ついに封印をとかれた禁断の宗教画ではないか。黙示的光景はそれじしん津波にのまれた一幅の絵のようによれ、ゆがんだ。あふれでる涙ごしに光景を見たからだ。生まれ故郷が無残にいためつけられた。知人たちの住む浜辺の集落がひとびとと家ごとかき消された。親類の住む街がいとも簡単にえぐりとられた。若い日に遊んだ美しい三陸の浜辺。わたしにとって知らぬ場所などどこにもない。磯のかおり。けだるい波の音。やわらかな光・・・、一変していた。なぜなのだ。わたしは問うた。怒れる風景は怒りのわけをおしえてくれない。ただ命じているようであった。畏れよ、と。』

そして最後に『安らかな日々はきっとくる。わたしはそれでも悼みつづけ、廃墟をあゆまねばならない。かんがえなくてはならない。』と終わっています。
石巻市出身の辺見さんはその光景に『「どうか夢であってくれ」とひたすら祈った。』とも書かれています。
長くなり、申し訳ございません。



No.787 バッハの音楽と自然 投稿者:マーリン 投稿日:2011/05/22(Sun) 11:58

クロチルドさんの若さゆえの感情の発露(京都でもコンサートの帰りスキップして帰られたという、若さっていいですね〜)としての表現と、自分の考えを大事にされ優しくコメントされるSegretoさん、それを素直に受け止めさらに「宙に浮かないようにと」そのままにされる潔さ、なんとすばらしいやりとりなんだろうと感心してしまいました。
私は理科系の研究者のはしくれなので、今回の原発の問題を、大げさかも知れませんが、科学技術と人間の関係として考えています。科学技術は人生を豊かに楽しくするものなのだろうか?人間は科学技術を通じて、自然に対して奢っているのではないだろうか?
バッハの音楽を聞くと「人は自然に対して謙虚であらねばならぬ」と教えてくれているような気がします。それでもなお災いに見舞われて試練を経なくてはならないときは、ベートーヴェンの音楽を聞きましょう。
音楽の力とは何か?音楽は人生を豊かに楽しくするもの?いつも、そんなことを考えています。博多の方さまのような深い思索には及びもつきませんが。
ストレスがたまったときには、よくカラオケに行きます。普通のカラオケではなくピアノ伴奏で唄えるところです。「花(春のうららの隅田川〜)」とか「なだそうそう」とか、オジサンは自己陶酔の世界に浸ってしまいます。「音楽っていいな〜」って。



No.785 ついにUpされました! 投稿者:すみこ   投稿日:2011/05/21(Sat) 12:57

とり急ぎお知らせ!
ベルリン・フィルのデジタル・コンサートホールに、ポリーニがアバドと共演した5月15日のベルリンでの演奏会がアップされました。
右画面の動画では、モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番の第3楽章のほんの一部ですが、見られます。少しお痩せになったけれど、元気そうなマエストロです。
家のマークにもUrl.入れます。

http://www.digitalconcerthall.com/ja/concert/1642



No.784 クロチルド様 投稿者:segreto 投稿日:2011/05/21(Sat) 02:07

クロチルド様

いつもご投稿を興味深く拝読させていただいております。
マエストロの3月、4月のキャンセル・・本当に心配でたまりませんでしたが、ベルリンでのマエストロの復帰のご様子をお伝えくださったクロチルド様に、心から感謝申し上げます。

以前、すみこ様が翻訳してくださったマエストロのお言葉に『モーツァルトの音楽を演奏する時、彼の要求するものに適うためには、芸術家として、もしかすると特別な恩寵を得た存在で在らねばならないのです。』という一節がありました。
そのお言葉から、モーツァルトの作品にあらゆる角度から光があたり、作品の真髄に辿り着くまでのたくさんの扉が開かれた状態・・という極めて困難な事が、ごく自然になされるということは、マエストロにとっても奇跡に近いものなのかもしれないと感じました。

もし、その日のマエストロがそのような特別な恩寵のなかに在ったのだとしたら本当に幸せです。

ただ、ひとつだけクロチルド様の「ベートーヴェンの第九も足元にも及ばない歓喜に満ち溢れ」という個所が、私にはどうしても受け入れられません。

グルダの「モーツァルトとバッハは天上の音楽家。ベートーヴェンは天上をめざした音楽家」という言葉を読んだことがあります。

私にも確かにその通りに感じられます。

でも、第九に限らずベートーヴェンの作品は、バーンスタインの言うように「ひとつひとつの和音を神と連絡をとりながら作っていったとしか思われない」ような神秘に満ちていると私は感じ、想像もつかないほどの困難を乗り越えて、そのような音楽を遺してくださったベートーヴェンに感謝しないではいられないのです。
引用が多くなり申し訳ありません。
私自身の言葉では到底言えそうにないことですので、親愛なる2人の天才の言葉をお借りしました。

クロチルド様は豊富な語彙をお持ちなのですから、ベートーヴェンが生涯をかけてたどり着いたに違いない第九を引き合いに出されなくても、その歓喜は他のお言葉で十分にお書きいただけたのではないか、と思いました。

とても迷いましたが、投稿させていただくことにしました。失礼をお許し願えますと幸いです。
ご投稿、楽しみにしております。



No.782 ベルリンの演奏会 投稿者:すみこ   投稿日:2011/05/16(Mon) 00:34

ベルリンでマエストロは元気に演奏会に登場し、アバドとの共演のモーツァルトは大成功だったようです。

先立つインタビューの動画(ごく短いですが)も見られます。

http://www.digitalconcerthall.com/en/concert/1642?utm_medium=email



No.781 お知らせを2つ 投稿者:すみこ  投稿日:2011/05/10(Tue) 14:14

お久しぶりです。
「東京文化会館アーカイブ」が5月1日に公開されました。ポリーニの初来日1974年から1995年までの公演がプログラムの表紙写真付きで載っています。2002年のポリーニ・フェスティヴァル第1日の演奏会は、「ロンドン交響楽団」として載っていました。

http://i.t-bunka.jp/


既にご存知と思いますが、ベルリン・フィルのデジタル・コンサートホールにて、5月15日の公演がライブで見られます。
日本時間では16日午前3時からですので、数日後にアーカイブに載ってから見る(聴く)方が良いかもしれませんね。

http://www.digitalconcerthall.com/ja/



No.780 東日本の大震災とポリーニのバッハ 投稿者:博多の人 投稿日:2011/04/29(Fri) 10:29

マーリン様の文章を興味深く読ませていただき、これは大きな課題を含んでいると思い、しばらく考えてみました。ポリーニのバッハを初めて聞いたとき、感情表現の豊かさに圧倒されました。人間の感情の多様さを、音という普遍的な現象で記述したバッハの天才性と、それを具体化したポリーニの偉大さに、心を揺さぶられました。しかし、ポリーニが言うところの「音楽の力」の意味がわからなくて、私はずっと悩んでいます(ポリーニによれば、哲学的という意味ではないようですので、困っているわけです)。この音楽の力が、おそらく、マーリン様のおっしゃる普遍性と関係があるのかな、と思っています。今度の東日本の大災害(地震・津波・原発)は、大自然の脅威に対する再認識とともに、これまでのライフスタイルに変更を迫っているように、思えます。たいへんな時代になりました。


No.779 やっぱりポリーニのバッハ 投稿者:マーリン 投稿日:2011/04/23(Sat) 01:42

震災後はじめて聞こうと思ったのはやっぱりポリーニでした。でもべートヴェンでもブラームスでもモーツアルトでもなくバッハでした。そのバッハでさえ以前と全く違った音楽に聞こえてきました。ポリーニの演奏は普遍のように思っていましたが、何を聞いていたつもりになっていたのでしょうか?何故にそんなに変って聞こえるのでしょうか?平均律を聞きながら、涙が止まりませんでした。


No.778 謹んでお見舞い申し上げます 投稿者:すみこ 投稿日:2011/03/15(Tue) 11:25

東北地方太平洋沖地震、大津波の災害を被られた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
北海道、茨城、長野、新潟・・・広い範囲に及ぶ地震とその被害にも、お見舞い申し上げます。
このゲストブックを訪れてくださる方、そのご家族やご友人に、被災された方がいないかと、気がかりです。皆様ご無事でいられることを祈っております。
博多の人さま、暖かいお見舞いの言葉をありがとうございました。
私は東京在住ですが、あの時、長く続く大きな横揺れに、立ち歩くにもフラフラし、眩暈のような感覚でした。きっと震源地では大地震になっているに違いないと、情報を得ようと点けたTVで見たのは、およそ想像を絶する光景。船酔いするような大きな揺れに落下する物、壊れる建物。津波警報の発表より早く、次々と押し寄せる大きな波、濁流が木々を家を車を橋も道路も飲み込んでいく様子。情け容赦なく、牙をむいて襲いかかる自然の猛威。今、現実に、こんなことが起っているなんて・・・信じられない思いで、言葉を失いました。
時が経つにつれさらにさらに悲惨な、凄まじい事実が報道され、災害の怖ろしさが明らかになります。町中を覆い尽す大火災が夜空を焦がし、原子力発電所の危険な状況も次第に拡大していくようです。天災が人災をも誘発していく現実。冷静さを保ちつつ、日々過ごしていかなくては、と思います。
亡くなられた方々のご冥福を祈り、遺された方々の悲嘆を思い、不明の方々の無事を祈り、怪我・病気をされた方々の快復を願い・・・祈ることしか出来ないのがもどかしいですが、せめて心を寄せて、現実に出来ることを少しでも行なおうと思っています。
被災の地に平穏が訪れ、慰めがもたらされて、いつか希望が生まれ、力強く復興が行なわれますように。祈りを込めて。



No.777 地震お見舞い 投稿者:博多の人 投稿日:2011/03/13(Sun) 10:41

東北・甲信越・関東地方の方々に、地震お見舞い申し上げます。想像することが不可能なくらい甚大な被害が報道されており、言葉を失ってしまいました。政府や関係諸機関が中心となって、捜索・復興が進行することを祈っております。


No.775 世間の評価 投稿者:博多の人 投稿日:2011/02/25(Fri) 18:10

ポリーニのような伝統や常識から一歩踏み出す勇気のある革新者にとって、世間の評価が分かれるのは、むしろ勲章ものだと思います。


No.774 音楽雑誌の新刊(3月号) 投稿者:すみこ  投稿日:2011/02/24(Thu) 19:19

今年はフランツ・リスト生誕200年ということで、「音楽の友」「音楽現代」「モストリー・クラシック(4月号)」が特集を組んでいます。ポリーニの「ロ短調ソナタ」のCDについて触れているものもあります(が、“リスト弾き”とは見なされていないので、言及は少ないです)。
「レコード芸術」には〔海外楽信 U.K.ロンドン〕の記事に「現代を疾走するピアニズム『ポリーニ・プロジェクト』開幕」が載っています(山形優子フットマン氏のリポート)。



No.773 Re:ロンドンでのベートーヴェン・プログラム 投稿者:すみこ  投稿日:2011/02/21(Mon) 19:18

クロチルド様、ロンドン・リサイタルのご感想を、ありがとうございました! 
今回もまず日本の方のブログを読み、真摯で内省的な感想に打たれ、5★の高評を読んで感銘深い演奏会の様子を思っていたのですが、その後に厳しい(2★!)評を読んでガックリ・・・という私でした。クロチルド様のご感想を読んで、納得がいった感じです(その後、3★や4.5★もありましたね)。
初めのうちはやや抑え気味の誇張や装飾のない演奏に、物足りなさを感じる人もあったのかもしれませんが、三曲を通じてベートーヴェンの内なる宇宙を描き出さんとする、プログラムに込めたポリーニの思いが、最後のソナタの終楽章に至って明らかに表現され、確かに多くの聴衆に伝わったのでしょう。
東京での終楽章を聴いた時の感動を、思い起こします。クロチルド様の感じられた寂しさ・・・とは、少し意味合いが異なるかもしれませんが、演奏するポリーニが、音楽とともに手の届かぬ遠くへ、高みへと登って行ってしまう、ような感じがありました。でも、無事にこの世(?)に戻っていらして、2曲のアンコールを弾いて下さったのでしたが・・・。今回はそれが無かったようですね。(そういえば、ナポリのリサイタルはつつがなく成功裡に行なわれ、アンコールはバガテルop.126から2曲だったそうです。)

シューベルトは、まず今日、ボローニャで演奏され、次いで今週末ロンドンで、Projectの3回目として取り上げられるのですね。
大体において、難ずる意見の方が威勢よく声高に聞こえるものではありますが、ラウンジでの会話、批評好きのロンドンっ子はコワイですね〜。
マエストロの弾く美しいシューベルトのソナタが、彼らの心を溶かす(蕩かす?)ように・・・。それとも覚醒的な演奏で、より刺激するのでしょうか・・・。何れにせよ、マエストロがお元気で、本領を発揮されることを、願うばかりです。クロチルド様も、楽しまれますように!



No.771 真・善・美 投稿者:博多の人 投稿日:2011/02/11(Fri) 10:25

真・善・美を追求することは、Hyperionさんがおっしゃるように、人類の永遠の課題ですね。これを究めることはとても難しいとは思いますが、せめて、一人一人が健康で文化的な生活をおくれるようになることを、願っています。経済が厳しくなると、教育・文化という人を育てる事業に用いられる予算がまっ先に削られるのですね。悲しいことです。


No.770 Berlusconi批判 投稿者:Hyperion  投稿日:2011/02/08(Tue) 18:10

クロチルド様がご紹介されたポリーニのBerlusconi批判の情報、その後のとも様の映像情報を拝見させていただきました。

そのポリーニの真摯な姿は、ポリーニに関する論評も書いているサイードの著書、知識人とは何か、の主張、具体的には、知識人は、権力に抗する少数派として本質を追求する存在である、との主張を強く想起させます。

まさに、ポリーニの演説を拝見していると、サイードが主張する、知識人のあり方が、具現化されている感があります。

さらに興味深く感じたのは、先般、ポリーニは、イタリア・ルネッサンスの延長線上にあり、音楽を通じて、何が真か、を探求しているのではないか、ということを述べさせていただきましたが、実は、率直に申し上げて、何が善か、の探求の存在が私の理解の中では、まだ希薄であり、何か、釈然としない、との印象が拭えませんでした。

しかし、今回の演説を拝見すると、百聞は一見に如かず、そこには、何が真か、というより、何が善か、を強く訴えているポリーニが存在しているではありませんか。

では、それは、演奏活動とは別のポリーニなのか?

音楽は、何が真か、何が善か、を探求することにより、人を自由にすることを目的とする学問体系リベラルアーツの一構成要素です。また、若かりし頃より政治に関心をもってきたポリーニです。今回、演奏活動とは別の姿のポリーニを見た、という言い方もできるのですが、実は、ポリーニは、演奏活動や今回の映像にあるような知識人としての活動を通じ、何が真か、何が善か、を一体化・統合して探求する哲人、まさにリベラル・アーツの体現者としての存在ではないか、と強く感じた次第です。

これを証左するように、ポリーニは、何か善か、を探求する姿を時々垣間見せてきました。例えば、広島への訪問などです。一方、少なくともポリーニの演奏様式による演奏活動は、何が善か、という探求の手段としては、不十分であり、その補足手段として、映像にあるような活動があるのかもしれません。

演説をしながら、時々原稿を見る姿は、楽譜を見ながら平均律を弾く姿を想起させます。その共通項は、単なるレトリックではなく、あくまで、本質を探求する真摯な姿です。演説では、何が善か、という探求、演奏では、何が真か、という探求する目的の違いはあれ、です。

クロチルド様、とも様、大変貴重な情報、ありがとうございました。また、こうした場を提供して下さっているすみこ様、ありがとうございます。



No.769 RERE:反・ベルルスコーニ批判 投稿者:すみこ   投稿日:2011/02/08(Tue) 15:50

クロチルド様、とも様、お知らせをありがとうございました。
この映像はまさに2月5日の集会の、Repubblica TVによる中継をアップしたものですね。
私もWebの報道でポリーニが参加したとの記事を読みましたが、こんなに大規模な集会で、こんなに長く演説をされたとは、知りませんでした。熱意を込めて話し、耳を傾けている聴衆の大きな拍手を受けるポリーニ。マエストロのお元気な姿を見る(内容は残念ながら判りませんが^^;)ことができて、良かったです。
(こちらの家のマークにもUrlを入れておきます。ご興味のある方は、どうぞクリックしてみてください)



No.768 RE:反・ベルルスコーニ批判 投稿者:とも 投稿日:2011/02/08(Tue) 09:19

YouTube に(多分、クロチルドさんがお書きのとは別の機会のものかと思いますが)ポリーニの演説の画像がアップされていますね。
直リンクは貼りませんが、ご興味をお持ちの方はご覧ください。

ちなみにタイトルは

Libert? e Giustizia-Berlusconi dimettiti- intervento di Pollini

です。



No.766 興味深いご意見 投稿者:博多の人 投稿日:2011/02/06(Sun) 10:31

Hyperion様とクロチルド様のご意見のやりとり、興味深く読ませていただいております。ポリーニが30代の頃のインタビューで、演奏家としてあまりに専門家してしまうのは好まない、と答えていたような気がします。Hyperion様がおっしゃるように、ルネッサンス的森羅万象へのあこがれがポリーニにはありますが、楽曲の数が膨大なので、革新的な作品の演奏に収斂しているのでしょうね。ポリーニ初来日(1974年)のライブ録音を友達に聞かせてもらった時、ピアノの音のあまりの美しさに、驚嘆した記憶があります。美声の極致だと思いました。それに、感情の自然な流れにも、魅了されました。聴衆が何を望んでいるかを充分に知った上で、それでも、自分の信念を貫き通すポリーニに敬意を表します。勇気ある行為だと思います。


No.765 マエストロと森羅万象 投稿者:Hyperion  投稿日:2011/02/04(Fri) 17:11

クロチルド様、ありがとうございます。 やはりサン・マウリツィオ教会、ご体験済なのですね。オルガンを聴かれる機会がございましたら、是非、印象をご教示下さい。

クロチルド様との対話を通じて、マエストロの探求対象(目的)や表現様式(手段)に対する理解がより深まった気がいたします。

まず、マエストロの探求対象は、何が善か、というよりは、サン・マウリツィオ教会の壁画のように、何が真か、クロチルド様のお言葉を拝借すれば、あるがままの森羅万象の探求ではないかと。

マエストロが若かりし頃、何が真か、を探求する典型的な学問体系の一つである物理学を齧ったこと、これまでのマエストロの楽曲選定も、その証左と考えられます。

尚、マエストロの探求手段の一つである楽曲選定は、様々な時代や作曲家の幅を広げる拡散から、現在は、収斂に向かっているような気が致します。それを裏打ちする現象面は、ベートーベンの後期ソナタやショパンの前奏曲集の再録の意思表明であり、そして、マエストロが幼い頃から親しんできた平均律の録音です。

ただ、この考え方ですと、マエストロからすれば、残るベートーベンのソナタの録音に対するモチベーションは、あまり働かないのかもしれません。

我々が、マエストロに魅かれる理由は、他に例を見ないマエストロの楽曲選定や演奏姿勢などから垣間見える“何が真か“という問いに対する一貫した探求姿勢(目的)とその透徹した表現様式(手段)にあるのでは、と考えています。

マエストロの表現様式は、当初、従前の演奏家に例を見ないような直線的・幾何学的アプローチによる真の探求でした。それは、幾何学的手法で抽象的な倫理を論じたスピノザの“エチカ“のようです。

その後、マエストロは、最近ご自身も語るように、表現様式を、より自由な、即ち、多くの曲線を伴った幾何学的手法に変化させています。そして、ついに平均律では、イタリア・ルネッサンスの先駆者である森羅万象を表現したダンテの“神曲”のような世界観に到達している観があります。

マエストロにとって、その“神曲”(平均律)の再現に際して、譜めくり付きか否かという表現手段の選択は、もはや重要ではないのでしょう。

マエストロが、暗譜かつ技術的に完璧な演奏自体を目的とするならば、譜めくり付き、かつ、指のもつれを伴う演奏を余儀なくされている昨今、平均律のプログラムはキャンセルもしく変更をしているのではないでしょうか。

クロチルド様のご報告から拝察されますように、ロンドンでも、マエストロは、辛辣な聴衆や批評家の存在を認識しつつ、何が真か、の探求手段として、あるがままのご自分と対峙しながら平均律を再現されたのでしょう。この不安と義務感との対峙がマエストロにとって、すみこ様のおっしゃる“大きなものを背負っての登場“であったことは、容易に想像されます。結果、聴衆に理解されたことは、マエストロもさぞ満足されたのではないでしょうか。

マエストロの目的に対する一貫した探究心、現在では技術的な困難を伴いながらも、森羅万象を表現しようとする透徹した姿勢は、高貴ですらあり、イタリア・ルネッサンスの精神そのものです。

スピノザの言葉のように、すべての高貴なものは稀であると同時に困難であるが故、我々はマエストロに現在さらに深い共感を覚えるに至っているのではないでしょうか。

但し、ベートーベンのソナタ、イタリア・ルネッサンスの巨匠ミケランジェリの未完に終わった大理石の彫刻のようにならぬよう、全集での完結を祈るばかりです。



No.763 ポリーニのバッハとイタリアルネッサンス 投稿者:Hyperion  投稿日:2011/02/02(Wed) 23:56

クロチルド様によるポリーニのロンドン公演のご報告、興味深く拝見させていただきました。このポリーニのバッハの演奏、音色や構造の把握の仕方、最近、ふとした機会から、もしかしたら、イタリアルネッサンスの影響を受けているのではないか、そして、バッハのみならず、ポリーニの演奏様式全体、過去から現在に至る変遷にも、当てはまるのかもしれない、と考えるに至りました(漸くですが・・・)。先日、NHKのBS hiで、2004年に新設された東京カテドラル教会のパイプオルガンの製作過程が放映されました。そのオルガンは、イタリアミラノにある16Cにアンティナーニが製作したサン・マウリツィオ教会の音色を再現して製作されたとのこと。ダビンチもミラノに来た時代、イタリアルネサンス音楽が最盛期を迎えた時代の楽器です。図らずも、その教会の名前が、マウリツィオ、というのも興味深いのですが、その音色は、フランスやドイツなどのオルガンと比べて、明るくクリアで人間の声に近いイタリアルネッサンスの音色です。スピノザによれば、物事の認識には、表層知、理性知、そして、直感知があるそうですが、直感知として、そのオルガンの音色はポリーニのバッハの音色に近いものです。ミラノに生まれ、ミラノで成長し、現在も生活するポリーニがこの教会のオルガンを体験したか否かは定かではありません。しかし、ミラノに現在も色濃く残るイタリアルネサンス様式、そして、現代における洗練されたミラノのファッションセンス、それはまるで、シェーンベルクやウェーベルンのようにも感じられますが、それらがやはりポリーニの演奏様式や音色にも影響しているのではないか。そして、ポリーニのバッハの演奏を聴いていると、ポリーニは、人間の声(心?)に近い音色を追求したイタリアルネッサンスに回帰しているのではないか?こうした理解をすると、ポリーニの演奏様式が、イタリアルネッサンスの延長線上にあるように私には感じられた次第です。クロチルド様は、サン・マウリツィオ教会のオルガン、拝聴されたことはございますでしょうか?


No.762 Re:ロンドンでの平均律 投稿者:すみこ  投稿日:2011/02/02(Wed) 00:56

クロチルド様、ロンドン公演のご感想を、ありがとうございました。マエストロのご様子、聴衆の反応からホールの空気まで伝わってくる詳細なご報告を、本当に嬉しく読ませていただきました。

29日朝に、ロンドン在住の二人の日本の方のブログで、ポリーニ・リサイタルの感想を読みました。
帰宅してすぐ書いたのだろうと思われますが、どちらもとても感動した様子で、素晴らしい演奏会だったのだろうと嬉しく思っていました。ところがその後、Webの検索で出てきた批評は、アンチ・ポリーニらしい批評家(?)の厳しい、というか、酷い書き様で(“Mubarak”という字もありましたっけ)、唖然とさせられました(途中で読むのをやめました)。その後主要新聞の星3つや星4つの評を読んで、賛否両論(喧々諤々も)の起こり得る演奏、平凡・無難にまとめた演奏ではないことが、よく判りました。ポリーニらしい・・・と言うべきなのでしょうね。

5回に及ぶ大きなプロジェクトの第1回、マエストロもきっと大きなものを背負っての登場だったのでしょう。緊張と気負いとから、次第に明るくリラックスされて、最後は笑顔で演奏会を終えられた、その表情が目に浮かぶようです。それに、あの長いプログラムの後でご機嫌よくサイン会もこなされたとは! 厳しいといわれるロンドンの聴衆の「大歓声とブラヴォー」に応えられたのですね。お元気そうで、良かった〜!



No.760 もう2月号、もう2012年。。。 投稿者:すみこ  投稿日:2011/01/23(Sun) 12:20

このゲストブックに今年初の投稿となります。遅ればせながら、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます

segreto様、クロチルド様、お祝いの言葉を、ありがとうございました! 皆様の支えと励ましを胸に、これからも楽しい場にしてゆきたいと思っております。

とも様、新譜のお知らせを、(大変遅ればせながら)ありがとうございました。若いポリーニのデビュー時の演奏、なんだか懐かしいですネ・・・。マズルカなど今は(まだ?)聴けない曲もあるし、現在も愛奏している曲を聴き比べるのも、楽しいですね。

ところで、このコンクールで演奏し、直後に録音したピアノ協奏曲第1番。来春、アメリカでで演奏するようです。
カーネギー・ホールの新シーズンの発表で、マエストロは4〜5月に3回登場する予定です。その一つがフィラデルフィア管とのショパン。〔2010-2011 Season〕の末尾に〔2012〕として付け加えました。
(今後は、少しずつでも、早めに更新をして、この場でお知らせしようと思います。)

「音楽の友」2月号、特集は“コンサート・ベストテン2010”でした。1位はアーノンクール最後の来日公演で、とても高い評価でした。ポリーニ・リサイタルは残念ながら12位(5点)でしたが、一覧表が「?」。岡部氏◎、梅津氏○、真嶋氏○・・・4点しか載っていません・・・なんで?? ご安心(?)ください! 詳細に見たところ、伊熊よし子氏の○印が載っていないミス・プリントだったのです(ウッカリ・ミス・・・気をつけなければ)。

「音楽現代」2月号に、昨秋の「京都の秋音楽祭」がグラビアで取り上げられています。



No.759 ショパンコンクール 投稿者:博多の人 投稿日:2011/01/23(Sun) 11:13

とも様がご紹介になられました、ポリーニのショパンコンクールライブCDを買いました。福岡のタワーレコードで890円でした。HUNT盤と比べて、音質が少し良くなっているようにも思えますが、どうでしょうか? 曲の構成力や自然な抒情性にあらためて感動しました。昨年のショパンコンクール入賞者達の演奏が正式に公開されていて、インターネットで聞けるのですね。これもとても楽しめます。今年は、リストの生誕200年ですね。超絶技巧練習曲集をポリーニが録音する、という情報はないのでしょうか?


No.757 Buon Compleanno!!! 投稿者:segreto 投稿日:2011/01/05(Wed) 06:27

Buon Compleanno!!マエストロ!!!
(^^)/▽☆▽\(^^)

そして・・
すみこ様のサイト10周年にBuon Compleanno!!!
(^^)/▽☆▽\(^^)

心からの感謝とともに。



No.756 一応、新譜ですね 投稿者:とも 投稿日:2010/12/30(Thu) 16:43

ところで、皆さん、既にご存知かと思いますが、ポリーニのショパン・コンクール優勝時の演奏が発売されます。

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3960586

内容としては、以前から HUNT などから発売されていたものと同じです。音は、僅かに録音レベルを上げた程度で、特に劇的に改善されているわけではありませんので、「もう持っているよ」という方は特に購入することはないと思います(もちろん、モノラルです)。

何だかんだ言って、HUNT 盤は絶版でしょうから、「一度、聴いてみよう」という方はどうぞ!です。

では、良いお年を!!



No.755 良いお年を! 投稿者:すみこ  投稿日:2010/12/26(Sun) 00:59

師走の日々は慌しく、冬至、天皇誕生日、イヴとクリスマス・・・アレ〜!と言う間に過ぎていきました。この一年を思い起こして、更新などしようと思いながら、果たせず・・・(いつものことながら^^;)
皆様にはどんな1年でしたか? 私にとっては、心配事はいろいろあれど、喜び・希望が生れた年でもありました。「暑」が今年の漢字に選ばれたほどの苛烈な夏でしたが、無事に秋を迎え、マエストロ・ポリーニへの栄誉の授与の報に接し、TVや新聞でお元気な姿を見られたのは嬉しいことでしたね。ショパン・ドビュッシー・ブーレーズ〜ベートーヴェン〜バッハと、3つのプログラムによる演奏会は、ピアノ音楽の流れを縦横に辿りつつ、その美しさ、豊かさ、奥深さを堪能させてくれるものでした。そしてポリーニの新しい“Perspective”への思い、次の来日予定を知ることが出来て、再会の楽しみを心に抱くことが出来ました。
この2010年のマエストロの来日を、記録としてまとめ、コンテンツにしたいと考えていますが、皆様のこの間のゲストブックへのご投稿を、転載させていただいても宜しいでしょうか? もし、許可できないとお思いでしたら、どうぞメールにてご連絡ください。

この一年、ゲストブックをお訪ねくださり、ありがとうございました。皆様からご意見・ご感想をお寄せいただき、貴重な情報をお知らせくださったことで、このページも楽しいものとなり、またお役に立つものになれたかとも思います。皆様のお力添えに、深く感謝いたします。

今月初旬の更新の後に、プログラムの発表、変更、アンコール曲、また新たな日程が判ったこともありました。「2011年のスケジュール」、「2010-2011 Season」に追加しましたので、どうぞご覧ください。

どうぞお元気で、良いお年をお迎えください m(_ _)m



No.754 AERA 投稿者:すみこ  投稿日:2010/12/20(Mon) 22:31

もう既にご存知かと思いますが・・・。AERA '10.12.27 No.58号。表紙がマエストロ・ポリーニです。
“person in focus 表紙の人”として、演奏中の写真と、演奏会を聴き、その後インタビューした記者による文章が1ページに収められています。



No.752 ポリーニ満載 投稿者:博多の人 投稿日:2010/11/30(Tue) 08:24

管理人様が書かれていますように、音楽雑誌にはポリーニに関する記事が満載で、ポリーニファンにとってはたいへん嬉しいです。久し振りに音楽の友を買い、堪能しました。ポリーニはやはり凄い人ですね。


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