Wie aus der Ferne 〜Guest Book〜

2006/02/14から2019/02/06のゲストブック記事です。

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No.120 何も削除していませんよ! 投稿者:ショピネット 投稿日:2006/06/28(Wed) 22:17

 おじさん様へ!

 ぼくがいったい何を削除したというのか教えてください。あなたは投稿者の人物関係がごちゃ混ぜになっているのではありませんか。そういう高みから物をみる態度だから、おかしな発言をするひとが出てくるのではないですか!人の文章はちゃんと読んでください。若者をばかにするのはやめてください。若いからこそ感じやすくて、だからこそ、ポリーニさんのバラードにも心を打たれるのではないですか?

 発言を撤回してください。これが本当に最期です!



No.119 ポリーニ舞台上の発言… 投稿者:おじさん 投稿日:2006/06/28(Wed) 21:36

 日本での舞台上のポリーニの発言。私が日本で聴いたポリーニ(私は日本でしか聴いた事が有りませんが…)1998年来日時のシュトックハウゼンの日と2002年のポリーニプロジェクト第7夜でのアンコール、シェーンベルクを弾く前だけです。
 1998年時は、曲目の追加が有り、なぜ追加したのかという理由を原稿を持って結構長く話しました。2002年のアンコールでは曲名を言っただけですが、考えてみれば、この2回の経験はとても貴重だったわけです。1970年代のポリーニは、発言にとても慎重で、頭の中で何を話そうかと考えている様子が伺えるのですが、1990年前後はとても気さくに話をしていただき、えっ! ていう感じで印象がかなり違っていました。しかし、とても気さくなだけに聞きたい本質を受け流すみたいな面が感じられ、すみこさんの日記に書かれているインタビュー記事のように真剣に話してくれる機会は滅多にありません。さすがに、[語る会]の時はとても真面目にお話してくれるので、真剣に聞いてしまいますが、普段のポリーニは、どんな話をしているのか、とても興味がありますね! プライベートでは、今回のワールドカップなんかの話をしているかもしれませんね… その時も、きっとネクタイきちっと締めているんでしょうね(^^)v



No.118 あれあれ… 投稿者:おじさん 投稿日:2006/06/28(Wed) 21:11

 あれあれ… 折角ツィメルマンの事楽しく読んでいたのに、書き込みをすべて削除してしまうという結果に驚きました。私はツィメルマンの本物をまだ聴いた事が無いので興味深く読んでいたのですが、我侭な子供行為をされるなんて、最初から読まなければ良かったと後悔しています。
 すみこさん、本当に災難でした。でも、すみこさんが真摯に対応していただいたおかげで、この掲示板もますます盛り上がることでしょう。最近はポリーニの話題があまり無かったので、ポリーニでは盛り上がれませんでしたが、今年の10月に期待しましょう。
 繰り返しについては、1976年ポリーニ来日時に演奏したシューベルトのピアノソナタ第21番と去年のベートーヴェンのピアノソナタ第1番・第3番を忘れる事が出来ません。シューベルトの第1楽章の繰り返しは本当に大変で、繰り返された時に、[またか…]、という反応が返っても仕方が無いぐらい冗長な演奏があります。そのような時には、いっそ省略した方が曲の表現の成功につながると思います。演奏家は、演奏している瞬間に、自分がどのような状態なのか、今、好調なのかなど一番良く分かっています。いよいよその繰り返し部分に来て、え〜い省略した方が良い… なんて考える一瞬もあると思われます。ポリーニの生を聴いていてその一瞬を感じたことはありません。去年のベートーヴェンの初期ソナタの場合、ほとんど2回弾くぐらいの繰り返しが指定されているのですが、冗長と感じる瞬間は有りませんでした。本当にさすがです。このベートーヴェンのピアノソナタで、ペダルが濁るという批判がありましたが、その人達に楽譜を見てくださいと言いたいです。すべて、ベートーヴェンの指示通りじゃないですか! ベートーヴェンの指示通りのペタリングを効果的にするにはあのスピード感が必要なんだと、どうして気が付かないのか… これは、実際に弾いてみないと分からないのかもしれませんね?



No.117 A Trail on the Water 投稿者:Yamaken 投稿日:2006/06/28(Wed) 19:51

 ポリーニやツィメルマンに限らず、一般に欧米の音楽家は知識人としての自覚も強く、社会に対して発言したり行動するのはごく自然なことで、必要があればむしろ発言する責任があるとすら考えているのではないでしょうか。
 ツィメルマンの発言で想い出されるのが、ここでも再三引用されているポリーニの有名なエピソードで、A Trail on the Waterでもポリーニ自身が述べているように、彼が若い頃コンサートで反戦発言を始めた際、聴衆から非難の声がわき起こり演奏会を続けられなかった時のこと。当時は政治的にも不安定な時代で、発言のタイミングに多少ナイーヴな部分があったからかもしれません。
 しかし、実際のポリーニのこれまで活動を振り返ってみると、むしろ愚直なぐらい音楽そのものに集中している方のように思います。演奏会やディスクの着実な積み重ねや各都市でのプロジェクトの開催で、ピアノ音楽の新たな可能性を開拓し続けていることは、管理人様のご労作である演奏・録音データやインタビュー記事等を見ても明らかです。また、他の音楽家や芸術家との交流を通じて、新しい作品の発見(ランスへの旅)とかパウルクレーセンター創設への関与等、ピアノ以外の音楽や他領域の芸術にも少なからず貢献しています。
 音楽を多面的にとらえる様々な企画を実現してきたことで、彼の着想は、若い頃よりもさらに洗練され説得力を持って表現されるようになったと思います。ツィメルマンにしても、ショパンの協奏曲演奏のためだけにオケを創ってしまうなど、その着想の徹底ぶりや独創性の方がはるかに印象的です。一ファンとしては、今後彼らがピアノ音楽のさらなる可能性をどのように「さすらい」探求して広げていくのかを楽しみに待ちたいと思います。

 今後もこの場が、ポリーニファンにとって節度ある意見交換や情報提供の場で有り続けますよう願っています。



No.116 感謝をこめて 投稿者:ともママ 投稿日:2006/06/28(Wed) 10:45

昨日の午前中、私にとってはちょっと心外なご投稿(ひとえにポリーニを愛するが故とは思いますが・・)を目にし、「これは反論させていただかなくては!」と思いつつ、さて、自分の考えをどう表現していいのやら・・と、歯がゆい思いをしておりました。
夜になって、すみこ様、しょぱん様が私の考えと同様のことを書き込んで下さったのを読んで、救われた思いです。
それにしても、管理人、すみこ様のしっかりとしたご意思と、そのお気持ちを適切な言葉を選んで文章に表現なさるお力は素晴らしいですね。
日記帳などを拝読し、「素敵な文章をお書きになる・・。」と常々感心していたのですけれど、今回、「大人だな・・。」と、ますます尊敬の念を深めました。

ショピネット様が偶然にこのサイトを知って大変お喜びで興奮を隠し切れない(?)ご様子を、1年半ほど前の自分の姿と重ね合わせながら読ませていただきました。
人並みに家族、友人にも恵まれ、それなりに充実した毎日を送っておりますが、残念ながら私の身近にはクラシック音楽大好きという人は少ないのです。まして
「ポリーニ命」なんて人は一人もいません。家族からはまるで「オタク」扱い・・です。(月に何度もコンサートに出かけたり、たくさんのCDを買い込んだりしても苦情がでないだけありがたいことと思いますが・・。)
それだけに、このサイトは私にとってとても大切な存在です。
ポリーニについてのくわしい情報をいち早く知ることができることももちろんうれしいのですが、ポリーニに心を寄せる人々が、ポリーニを核に、そこから派生する様々なことについて語り合えることも大変うれしいことです。そうした貴重な場を提供してくださっているすみこ様には感謝の気持ちでいっぱいです。
`今までどおり’オープンな雰囲気の中でこのポリーニを核とした輪が末長く続いていって欲しいと願っております。



No.115 ショピネット様 投稿者:しょぱん 投稿日:2006/06/28(Wed) 00:26

私なんかの一方的とも受け取られかねない発言を寛容に聞いてくださって、恐縮です。これが、本当に最後でしたら、残念な限りです。
ソフトペダルについてですが、あと1つだけ。
20世紀の大ピアニスト、ホロヴィッツはソフトペダルの上手さでもの凄く有名だった様ですが、彼は曲の最高点にもって行くフレーズの直前でソフトペダルを使ったそうです。そこで、あえて音量を落とし、そしてppからffへぐいぐい引っ張っていき、もの凄い効果を得て、興奮を呼んだそうです。要するに、ピアノは奥深い、ということです。
ショパンのソナタについては、私が答える所ではない様ですが、少しだけ書かせてください。(でしゃばりですいません。)
実は、私もそれにとても悩んでいます。
まず、私の知る限りで、繰り返しをするピアニストとしないピアニストは、
「する」アラウ、ポリーニ、内田光子、ツィメルマン
「しない」ルービンシュタイン、コルトー、ユンディ・リその他もろもろ、といった感じです。
ツィメルマンは、東京の公開講座で、―その時はショパンの葬送ソナタが取り上げられたのですが―、1楽章の繰り返しをしなかった受講生に、「何で繰り返しをしなかったの?もったいない。私は繰り返し無しでは、生きていけない」と言っていました。両方のソナタも、繰り返しの箇所は「1」「2」で分かれていますが、葬送の方は「1」「2」の要素はそれほど違いませんので、繰り返しは、私個人としてはどちらでも良いと思います。多分、ショパン自身、形式上の伝統をあまり逸脱すべきではない(それでも結構しているのですが)、と思い、繰り返しを書いたのだと私は考えます。
しかし、3番では「1」の方が明らかにクレッシェンドを伴って劇的に書かれていますので、繰り返しは必須かと思います。そこで、又テーマに戻って、違った表現をする事が可能になると思います。それに対して「2」は次の展開部に明らかに移行する部分としてかかれており、1と2の区別が明確です。だから、繰り返しを意図とされているのではないでしょうか。



No.114 感想 投稿者:めめ 投稿日:2006/06/27(Tue) 23:01

私はポリーニが好きですが、ピアノ音楽自体ももちろん好きですので、今後もツィメルマンに限らずいろいろなピアニストを聴いてみたいですし、皆さんからもコンサートの感想などをお聞きしたいと思います。

11月にはショパンコンクールで優勝したラファウ・ブレハッチのリサイタルに行きますので、差し支えなければこの掲示板でも感想をお伝えしたいと思います。

最近いろんな方が議論をされていまして、普段は聞けないことをいろいろと発言されているので、興味深く読ませていただきました。
私個人としても思うところはありますが、今回は発言はやめておこうと思います。
ただ自分と考えが違う人も、あるいは明らかに間違っていてそれに気づかずにいる人もいると思いますが、それはそれで仕方のないことだと思います。



No.113 最後の投稿です 投稿者:ショピネット 投稿日:2006/06/27(Tue) 22:27

 しょぱんさん、すみこさんへ。

 おふた方にご迷惑をおかけしてしまったことだけは心残りですが、お二人がいらっしゃらなければ生涯知らずに後悔しつづけていたことがたくさんあるので、あらためてお礼を言わせてください。ありがとうございました。ポリーニさんのペダルのことなんて、近くでその目でみた、音楽を心から愛するひとにしかわからないことですよね。
 
 他の方へ質問です。「リサイタルでショパンのソナタ第三番の第一楽章の提示部の繰り返しを省略しない日本人ピアニストを何人ご存知ですか?あなただったら省略しますか?二回目のときは楽になって必ずよくなっているのではありませんか?ショパンがアドリブで良いと楽譜に書いていますか?」
 こういうことを尋ねるのがどうしていけないことでしょうか?佐藤美香さんも児玉桃さんも、NHKのクラシック倶楽部では完全に無視していましたよね?
 クラシックに精通していないぼくのような人間には、どうしても気になるのです。
 ポリーニさんだったら、シューマンの交響的練習曲の繰り返しだってちゃんと弾いてくださいますよね、たとえそれがリサイタルであっても。フィナーレのところでも、ほかの方は絶対に弾かないけれど、編者が推薦なさっているほうの音を奏でますよね。そういうところも大好きなのです。

 勇気をもって言わせていただきます。頭の固い方がいらっしゃるから、ショパンのロ短調のソナタを弾くときにみられるような、悪しき慣習が代々受け継がれているんじゃないですか? 

 最期になりましたが、しょぱんさんの責任ある態度に胸をうたれました。それだけに申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 



No.112 色々難しいですね… 投稿者:しょぱん 投稿日:2006/06/27(Tue) 19:40

甘えん坊様
あなたの考え方は、少し目に余る所がありますので、ちょっと入らせて頂きます。
「いつから、このサイトがツィメルマンを讃えるサイトになってしまったのか、残念でなりません。おっしゃるとおり、ポリーニのためのサイトであるはずですよね?ポリーニとツィメルマンと交友関係などがあるならばともかくですが、わたしの知る限りではそういう事実もありません。非常に残念です。」
・・・そうでしょうか?ツィメルマンの事を、私も書き込みましたが、ポリーニもその中に織り交ぜましたし、ポリーニ以外の奏者が出てくるのが、なぜ残念なのか理解できません。「交流関係が〜」という所なんて、差別的にすら私には聞こえます。ここはポリーニのサイトとはいえ、酷すぎませんか?それにあなたは、以前の投稿でこう言われました。
「わたしは、ツィメルマンのリサイタルには行ったことがありません。それは、行きたいと思わないからです。こういうと、ご批判があるかもしれませんが、ご批判はご自由にお願いします。」
・・・私はこれに答えただけです。もう少し、ご自身の発言に責任を持っていただきたい。

「ポリーニとツィメルマンとをここで登場させては、両者のファンがあることないこと対決するだけで、まったく意味がありません。現に、わたしを含みますが、言い合いと同じです。それでは、ポリーニ・ファンとしてはどうすればよいのでしょうか?。」
・・・私は両者を対決など、した覚えはありません。ある程度、私の好みなども文に現れているのかもしれませんが、最小限におさえたつもりです。私は、両者を称えた上で、できるだけ客観的考察をしました。好みなどをこの場で言っても、それは個人的な問題であり、無意味に思われますから。
「ポリーニに対して失礼じゃないでしょうか?。」
・・・ポリーニが、自分以外のピアニストを語られたからって嫉妬しない、寛大な演奏家であることを祈るばかりです。第一、このサイトの「ポリーニは語る」の部分で、彼自身色々な音楽家を引き合いに出しています。
「それと、ファンのなかでも限定的な雰囲気を作ってしまうのもどうかと思います。(省略)ファンのなかでも同じ類だけではなく、ポリーニファンでももっといろいろな人がいるはずで、そういう人たちの意見も交えられるような、もっとオープンな場にしたほうが良いのではないか、と思います。」
・・・このゲストブックのどこが限定的なのですか?すみこさまの仰るとおり、どこにも制限は無いと思いますが。あえて言うなら、あなたのような方が、私のように他のピアニストについても書き込む者を制限しているのじゃないですか?ファンのレベルなんかどこにも特定されていないじゃないですか。

甘えん坊様、前々から思っていたのですが、あなたの読解は、ミスが多く、又勝手に想像を膨らまして読む傾向があるように思います。私も、一度「誤解を解くため」と書き込んだことがありますし、「作品の主体は作曲者にある」と私が申し上げた所でも、あなたは「曲の完全な再現はムリですよ、作曲者本人じゃないんですから、しかも、いまは、現代ですから、生きている環境が違います」とあたかも私が、解釈は一つしかないと言ったかのようにと捉えられています。私は、ただ作曲者をないがしろにしてはいけないと言いたかっただけです。
それは、通りすがりのポリーニ・ファン様にも言えることです。ただ、朝日新聞を読んでいるだけで、左派と決め付けてしまってはどうしようもありません。大体、左派なんか知らないで朝日新聞を読んでいる人だっていくらでも居るはずです。それに、このHPで朝日新聞の記事が載っている所は音楽評論の所だけでしょう?左派とは、まず無関係です。もうちょっと「朝日新聞」というネーミングだけにこんなに食らいつくのではなく、まず書いてあることを読んでください。
お二人は、ポリーニだけについて語るべきというお考えをお持ちのようですが、果たしてどうでしょう。彼の音楽に惹かれるということは、他の人の音楽と比べなければ何も分かりません。音楽はこんなに単純ではないですが、例をあげてみましょう。ある場所に、160pの人が居るとしましょう。果たして、それだけで彼は身長が高いと言えるのでしょうか。他と比較する基準があってこそ、分かるものなのです。なにも、ここでポリーニが優れていて他のピアニストが駄目ということをいっているのではありません。あくまでも、客観的な比較でもって述べるべきなのです。(つまらない例ですいません。)それと、音楽については(このゲストブックについても)もっと広く語られるべきです。ポリーニ限定なんてもっての他だと、私は考えます。彼自身もかなり広い面から音楽を考察しているではありませんか。ポリーニや彼に関係する事についてのみ語るのであれば、それは勝手ですが、内容は薄っぺらなものとなるでしょう。
通りすがりのポリーニ・ファン様は、音楽と政治は切り離してお考えのようですが、私はそうは思いません。過去の歴史を見ても、ショパン然り、ベートーヴェン然り、結構音楽は政治、広く捉えれば社会情勢と結びついているものなのです。世の中が危機に瀕している時に、皮肉にも素晴らしい音楽が生まれるケースが多いことも、この様な事からだと思います。確かに、すみこ様も仰っている様に政治が音楽より前面に押し出されれば、これは問題でしょう。
ご存知だとは思いますが、ツィメルマンもポリーニも政治的発言をコンサートでしました。彼らは、本当はそんな事はしたくなかったでしょう。したくて、発言するわけではないのです。しかし、自身の中で考えていくうちに、どうしてもこれは発信しなければならないとどこかで感じて、このような行動に至ったと思います。
少々乱暴な言い方になりましたが、お許しください。



No.111 由々しきことに… 投稿者:チャコフ  投稿日:2006/06/27(Tue) 19:24

こんにちは。
久々にお邪魔したら、あらあら、凄い論争になって
ました。これも元を辿れば、私がツィメルマンのリサイタルの感想などをツラツラと綴ってしまったためでしょうか…。ここは自己責任!? スミマセン。

 この掲示板の凄いところは、いつも「驚き」と「発見」に満ちていることです。ポリーニに関することはもちろんなのですが、音楽からピアノという楽器に至るまで、新しい発見があります。
 ツィメルマンのレポートを最初に投稿させて頂いた理由には、余計なお世話かもしれませんが、皆さんにちょっとでも関心や共感、感想を持ってもらえたならば…との一心からでした。もちろん、その前提にはいつもポリーニの存在があるからでもあります。どちらが優れているかの是非論≠竅A優劣をつけるつもりなどまったくありません。ポリーニ以外の投稿に「不快だ」と思われた方々がいらっしゃったのであれば、素直にお詫び申し上げます。

 ポリーニが大好きなことはもちろんですが、世の中には素敵なピアニストがたくさんいて、いろんな解釈や奏法、思想があります。願わくば音楽好きの一人として、皆様にも、ここで展開されるいろいろな話を総合してゆきながら、今後いろいろなピアニストや音楽に触れる機会、ポリーニに接する際にも、新たな発見に役立ってくれればと思っています。私自身、ポリーニはもちろんですが「ピアノ」という楽器を愛してやまないのです。

 嗜好性の問題といえば安易ですが、たとえ「嫌い」「よくなかった」といった意見でも、私自身はとても関心がありますし、違う視点で音楽を聴けることにも役立ったりします(ツィメルマンのリサイタルでも、酷評していた人がホールにいましたし…)。時には、今回のように厳しい意見も交わされることもあるでしょうが、このサイトがポリーニ好きたちによって発展することを祈ってやみません。

で…由々しきこと。
音楽の友の最新号「音楽なんでもベストランキング」特集。好きなピアニスト部門でポリーニが2位になってしまったじゃないですか! 
皆さん、がんばらないと!!








No.110 海の航跡 投稿者:博多の人 投稿日:2006/06/27(Tue) 18:10

昨日、海の航跡のDVDを手に入れ、ノートパソコンで見ました。
水の都ヴェネツィアの街の美しさには心から感動しました。物思いに耽りながら散歩したい気分になりますね。マレンツィオ「5声のマドリガル曲集第9巻より」の映像で、このサイトでどなたかもおっしゃっていたと思いますが、音楽のあまりの美しさや深い響きに感動したのか、ポリーニが涙ぐんでいたのには、驚きました。ポリーニの感情の源泉の一部を見た気がして、心から感動しました。ノーノのような燃える情熱家が、ヌリア・シェーンベルクのような落ち着いた感じの奥様に支えられていた、というのにも心動かされるものがありました。



No.109 ご批判をいただいてm(_ _)m(2) 投稿者:すみこ   投稿日:2006/06/27(Tue) 17:16

長くなったので2つに分けました。

「ひとくちに「ポリーニ・ファン」といっても、個々人の政治的信条や、支持政党は様々ではないでしょうか・・・。」
仰るとおりだと思います。様々でしょうし、「そんなものは無い」という方もいられるでしょう。
でも、ポリーニ自身が政治的な関心を、常に強く持っていることも、ご存知と思います。
と書きましたが、ポリーニが求めているのは、「右とか左とかいうことではない」(政治的なことではない)、もっと本質的な人間の尊厳に関ることなのだと、私は思っています。

現代の世界では、人間の尊厳が十分に尊重されていないので(歴史的に、常に十分でなかったと思いますが)、それを求めているのだと、人間として、芸術家として、求めているのだと、私は思っています。その場が公正や公平という理念が実現されていない場所=現実社会なので、それを求めることは政治的な形とならざるを得ないのでしょう。

音楽家は音楽のみに集中すれば良い、という意見があります。社会や政治に関り無く(関心を持たずに)、ピアノを弾いていれば良い、と。
でも、人間が社会的存在である限り、人間の営みである芸術も、社会や政治と無関係には存在し得ないのではないでしょうか。
「人はいかに在るべきか」と考えることは、人生観のみならず、世界観であり、社会観であり、政治観に繋がっています。また芸術の根幹でもあるはずです。

フランス革命の「自由・博愛・平等」という理念に感動したベートーヴェンの、「英雄」や「第九」をお聞きになりませんか?
ポーランドへの圧制に、怒りと悲しみを吐露したショパンの、「革命」をお聞きになりませんか?
そんなアピールをする彼らは、「問題外」の作曲家ですか?

「特に、ステージは本来、演奏家にとっては神聖な場所であるべきはずで、」
そうですね。どうして神聖であるべきなのか。演奏家にとって何よりも大切な音楽を奏でる場、彼が(神のように)尊敬する作曲家の、バイブルとも言うべき(聖なる)作品を演奏する場だからでしょう。そのために演奏家は全身全霊を捧げます。人に感銘を与えるのは、単に彼の技巧でも、音色でもなく、曲を通じて訴えかけてくる作曲家の想い、それを伝えるべく全力を尽くす演奏家の存在ではないでしょうか。聴衆は彼の全てを、音楽を通して受容するのではないでしょうか。

「そこで音楽を聴きに来た聴衆に向かって突然、政治的な発言やアピールを始めてしまうのは、問題外だと思います。」

確かに、突然のことには驚かされます。1972年のミラノの聴衆もそうだったのでしょう。
ポリーニはこの時、ベトナムでの悲惨な戦争が、クリスマスの一時だけでも休戦するようにと、願っていたに過ぎないのですが。
イラク戦争開始の時も、舞台上では、「平和の旗」を渡されたのを、ちょっとビックリしながら受け取り、舞台の横に置いただけです。
今回ツィメルマンも「イラク戦争に反対」の表明をし、「平和を願う人に捧げます」と言って演奏をしました。(それ以外には彼らの舞台上での「政治的」行動を知りません)
これらの、ささやかな行為が「政治的な発言やアピール」といわれるものなのだろうか、と思います。
音楽を聴きに来た聴衆は、「平和」のことなど、関係ないものなのでしょうか。
普段は考えているけれど、音楽会では考えたくない、ということでしょうか。
音楽を政治のために「利用する」ような行為は、私も疑問に思います。でも、一人の演奏家が、人間的な価値観から止むに止まれぬ思いで(ある意味、危険を犯すのですから)発したメッセージには、人間的に応じたいと思っています。現在の世界の状況が、ツィメルマンにその行為を取らせたことを、突然ではあっても、私は「意外」とは思わないのです。

「特定の政治や思想、支持政党をオープンにする様な形は避けていただきたいのです。」
エッ??? 誤解としか言いようがないと思うのですが・・・。
このページが政治的信条や、支持政党の押し付けと受取られるとは、全く思いも寄らぬことでした。私自身、もっと日本や世界の問題を深く考えねば、と思っている方で、政治的信条など持ち合わせていませんし、支持政党など無くて、困っているぐらいです。朝日新聞も他にないから読んでいるのだし、時には産経新聞社の「Mostly Classic」だって読みますよ。
ただ、政治であれ、宗教であれ、商売であれ、宣伝活動の場に利用されるのは、私としても本意ではないので、ご遠慮いただきたいと思います。私もそのような行為は、このゲストブックでは、慎むつもりでおります。

もっと、オープンに、というご意見には、どうすれば良いのでしょうか。別に制限を設けているつもりは無く、どなたでも、ゲストとしてお訪ねいただけるのですが。また、お訪ねくださる方も様々な方々がいらっしゃると思っているのですが、外からご覧になると「限定的な雰囲気」が有るのですか? 気づきませんでした。ただ、管理者のカラーというのは、いやでもある程度出てしまうものかも知れず、といって、そう簡単に“無色透明”になれるものでもなし・・・。

「ファンのなかでも同じ類だけではなく、ポリーニファンでももっといろいろな人がいるはずで、そういう人たちの意見も交えられるような、もっとオープンな場にしたほうが良いのではないか、と思います。」

本当に、多くの方に自由に、気楽に参加していただければ嬉しいのですが。
管理者の器量の小ささを指摘されたのだと思います、至らぬ者で申し訳ありません。
以後の検討課題とさせていただきます。でも、あくまで一個人の私的なサイトですので、あまりご期待に添えないかと思います。それでも、もし、楽しんでいただけるのでしたら、今後もどうぞお立ち寄りください。



No.108 ご批判をいただいてm(_ _)m(1) 投稿者:すみこ   投稿日:2006/06/27(Tue) 17:14

おっしゃる通り、ここは「ポリーニ・ファンのサイト」です。ポリーニを心から愛する方々と、意見や情報を交換し、楽しんでいただければと願って、このゲストブックを公開しています。
掲示板の様にも用いていますが、ゲストブックであるのが前提で、ポリーニを非難・中傷するのは勿論、一般的に非難・中傷の類は、ゲストとしての資格に抵触するので、お断りしたいと思います。また、特定の政治的信条を披瀝し、宣伝する場でもないと考えております(お断りを書くまでもないことと思っています)。

この間、ツィメルマンのリサイタルについての投稿が、沢山寄せられました。私自身、ツィメルマンの演奏を聴いてみたいと思っていたので、「ご感想をお願いします」と書いたことにお応えいただいてのことです。ありがとうございました。
「ポリーニのファンとしてサイトを運営しているのに、他のピアニストに興味を示すなんて・・・」と思われた方には、ご不快にさせたことをお詫びいたします。
けれども、ポリーニのファンだからこそ、他の多くのこと、ピアノも、他のジャンルの音楽も、文化・社会を含めて多くのことに、関心を持ち続けたいと思っています。時にはポリーニから離れて他のピアニストの演奏に触れてみるのも、またポリーニに近づく一つの道ではないでしょうか。
熱心に聴かれたご感想をお寄せ頂き、また質問や反対意見も寄せられ、予想以上の盛り上がりとなりました。一つには、今回のツィメルマンの演奏会の質の高さに、その要因があると思っています。
その後、過熱とも思える議論に展開しましたが、私にはポリーニ対ツィメルマンというような対決の図式には思えなかったので、どのご意見も興味深く拝読していました。(私の感覚が「鈍い!」と言われればそうなのかもしれませんが、私にとってマエストロ・ポリーニは既に別格の存在なので、「対比」ではあっても「対決」としては感じられないのです。)
ポリーニに対しても称賛ばかりでなく、聴かれる方によっては批判的ご意見があるのは頷けることですし、それが感情的で狭い視野による一方的な非難・中傷でない限りは、オープンにしたいと思っています。この間示された批判的ご意見は、私にはかなり冷静なご意見、また演奏家を尊重するお心のあるご意見と思われました。他の方と意見を交わし、またお考えを文に記されることで、よりご自身の音楽観を深められることもあるのではないか、その一つの場ともなればと願っていました(おこがましいようですが)。
けれども、確かに、批判的ご意見を読むのは、ポリーニ・ファンとしては辛いものがあります。お心を傷めていられた方、お気遣いいただいた方には、管理人として不行き届きを、申し訳なく思います。



No.106 あの〜 投稿者:通りすがりのポリーニ・ファン 投稿日:2006/06/27(Tue) 04:14

このサイトはいつから「ツィメルマン・ファンのサイト」になってしまったのでしょうか?
様々なピアニストの演奏を楽しんだり、違いを考えたりはとても有意義だとは思いますが、こちらは基本的に「ポリーニ・ファン」の方々が集う場所であるはずで、そこへ、他のピアニストのリサイタルの感想を長々と書き込まれるのはいかがなものでしょうか?
書くならなるべく簡潔にしていただいて、長い感想文は、よその・・・クラシック音楽(総合)ファンのサイトの掲示板に書かれたらどうでしょうか?

それと、これは管理人様へもお願いしたいと思うのですが、ひとくちに「ポリーニ・ファン」といっても、個々人の政治的信条や、支持政党は様々ではないでしょうか・・・。
今回たまたま、(わざわざ日本まで来て)政治的な発言を行ったツィメルマンのことがこちらでにぎやかになりましたが、私は、演奏家とは演奏が全てであるべきで、著名な音楽家が(たとえどれほど音楽的に素晴らしい演奏をするとしても)公の場で政治的な発言をするのは好ましくないと考えています。
特に、ステージは本来、演奏家にとっては神聖な場所であるべきはずで、そこで音楽を聴きに来た聴衆に向かって突然、政治的な発言やアピールを始めてしまうのは、問題外だと思います。

話が横道にそれましたが、クラシック音楽のファンが全て、朝日新聞の購読者だったり、左派的な信条を持っているとは限らないのですから、特定の演奏家のファンを集っている以上、なるべく、音楽以外の・・・特定の政治や思想、支持政党をオープンにする様な形は避けていただきたいのです。
でないと、見方によっては、「ポリーニ・ファンの方はいらしてください、ただし、左派的な政治思想の持ち主に限ります」というメッセージを、暗に発している様なものではないでしょうか?
そうでないなら、参加者に、「音楽に直接関係のない、特定の政治的思想やメッセージを書き込むことはおやめください」と発言すべきなのではないでしょうか?



No.105 みなさん、心から感謝します 投稿者:ショピネット 投稿日:2006/06/26(Mon) 21:17

 すみこさん、しょぱんさんへ。
 こどもの頃からの謎がようやく解き明かされて、涙がでるくらいうれしいです。映画にしたくなるようなお話ですよね。世の中を変える発明をする人、人を喜ばせる人、人を感動させる人は、みんな純粋で、感受性が豊かなんですね。ショパンだったらきっと、このお話に感激してもう一曲「小犬のワルツ」をつくってくれたはずです、きっと。何気ない疑問に、真剣に答えてくださる優しさがなににもましてじ〜んときます。ありがとうございました。

 しょぱんさん、甘えん坊さんへ。
 ペダルのことで、とても勉強になりました。昔テレビでラルス・フォークトさんが演奏なさるのを見て、そのペダリングに嫌悪感をおぼえたのが、トラウマになっていたのかもしれません。ペダルの使い方がどうこうというより、そのしぐさそのもの、個性という言葉で済ませることができない乱暴さがひっかかっていたのかもしれません。「ピアノの心、それはペダルだ」というアントン・ルービンシテインの言葉も逆風になっていたと思います。

 実は、このページを先日偶然発見するまで、ファブリーニさんのことすら知らなかったのです。ポリーニさんのリサイタルからしばらくして、ザ・シンフォニーホールに行った時のことです。女性のスタッフの方に、「あのときのポリーニさんのバラード第1番が忘れられない」という話をしたんですね。すると、その女性は「公演前日から、このホールの特性にあった音を一生懸命探されてました」とあたたかく答えてくださったのです。そのひたむきさに、さらに心を打たれたのはもちろんですが、もしツィメルマンさんが同じことを、倉敷、西宮、京都、名古屋、東京などでなさっていたとしたら、今頃そのピアノの音色は目茶苦茶になっていたのではないでしょうか。公演回数を減らしてでも絶対を追い求めるその姿勢が、ほかのピアニストとは違う奇跡の音色を生み出しているようにぼくには思えてならないです。
 昨年のショパンコンクールで、審査員の人たちや、ポーランドのマスコミはこぞってブレハッチさん以外の参加者のレベルについてあることないことを言って中傷していましたが、それならどうして、彼がロ短調のソナタの第一楽章の繰り返し部分を省略したことについて何もいわないのでしょう?それは決まりなのですか?これほど音楽性を無視した恥ずかしい行為はないと思います。ナショナル・エディションがどうこうというまえに、ショパンを侮辱しているのは彼ら自身ではないでしょうか。



No.104 作品へのアプローチ 投稿者:しょぱん 投稿日:2006/06/26(Mon) 18:08

甘えん坊様
ある邦人作曲家が次のようなことを言っていました。
我々は、実際に言いたい事のほんの10パーセント程度しか楽譜に書き込めない。
だからこそ、表現の多彩さが生まれてくるのですよね。なにも、決して解釈は一つということが無いのは、自然な事です。演奏者の生きる時代も違いますし、その上において人生体験も違ってくる。解釈というのは、勿論楽譜やその他様々な文献や資料から、そして、人生経験におけるふとした時に得るものだと思います。名演奏家は、大抵の場合、常人では考えられない苦労や体験をしています。それが、又その人の音楽を形成する糧になって、素晴らしい演奏を披露できるのでしょう。又、優れた名作品程、解釈の幅は必ず広いです。それだけ、多くのメッセージが込められているのです。ただし、広いと言っても、一定の幅(予防線)が必ずあるものですが。例えば、ベートーヴェンをそっくりショパンの様に弾いては、それは個性的ではなく、誤りでしょう。
すみこ様
この素晴らしい掲示板に、色々書き込みをし、汚していまい申し訳ありません。どうしても自分の意見を言いたくなったもので。ビクターのニッパーはとても有名ですよね。かの名ピアニスト、アルフレッド・コルトーが1952年に来日した折、日本のビクタースタジオで録音していたのですが、そこにニッパーの置物がおいてあったそうです。そこで、コルトーは昔を懐かしんで、「私は本物と友達だったんだよ。」と言ったそうです。



No.103 HMV 投稿者:すみこ   投稿日:2006/06/26(Mon) 11:29

Victorのマークの犬(フォックス・テリアのニッパー君)、可愛いですね。
私もHMVの名称に興味があったので、ちょこっと調べてみました。横入りですみませんが、ザッと披露させてください(^^;)

この「蓄音器の前で不思議そうに音を聞いている犬」の絵のタイトルが“His Master's Voice”です。(蓄音器って、レコード・プレーヤーのこと。「蓄音機」と書いてある文もあるけれど、やっぱりこれは蓄音器でなければ。)
英国の画家フランシス・バラウドが、兄の死後引き取った犬が、蓄音器のラッパから聞えてくる録音された“主人”の声を聞いている様子(とされる)を描き、英グラモフォンに提示し、ポスターとして採用されたものです(1899年)。
ほぼ同時期、円盤型蓄音器の発明者で、英グラモフォンの親(兄弟?)会社であるアメリカのベルリナー・グラモフォンの創始者エミール・ベルリナーも、この絵を見て気に入り、早速北米で意匠登録をしました。
その後(1901年)同社を母体に設立されたビクター・トーキング・マシーンのトレードマークにもなり、その子会社である日本ビクター(1927年)も、この絵をトレードマークにして現在に至っているのです。
一方、1909年からは、ニッパー君は英グラモフォンのレコード・レーベルにも使われはじめ、“His Master's Voice”(略して“HMV”)は同社のトレードマークになりました。
そして自社のレコードを販売するために1921年ロンドンにオープンしたのがレコード店のHMVです。初代店長は、なんと作曲家のエルガーだったそうです。(ヘェ〜!)
19世紀末〜20世紀初頭の、録音・音盤・蓄音器の開発が一体となって進んでいた、その黎明期のお話です。その後、レコード業界では提携や合併、或いは分裂が行われ、国別の商標登録も絡み合って、今ではニッパー君のレーベルは殆ど使われていないようです。なんだか懐かしい感じがするのは、そのせいでしょうか。

このお話には後日談ならぬ前日談があって、最初バラウドが描いたのは、かのエジソンが発明した円筒型蓄音器の改良型でした(その製造元の英コロンビア社に絵を持ち込んだが断られた、という話もあるようです)。ライヴァル会社の英グラモフォンでは、ベルリナー発明になる円盤型蓄音器に描き改めるよう要望して、最新型のものを画家のもとへ送り、新たに仕上がった絵が採用されたのだそうです。もし、コロンビアが採用していたら・・・ニッパー君はもっと短命で、私達の目を楽しませてくれることも無かったでしょう。

以下のページを参考にしました。ご興味があれば、どうぞ。

http://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/talk/emi/hmv.htm

http://www.terra.dti.ne.jp/~yymatsu/recording/nipper.html



No.101 音響とペダルについて 投稿者:しょぱん 投稿日:2006/06/25(Sun) 23:37

ショピネット様 甘えん坊様(ペダルについての箇所)
私、実は兵庫県芸術文化センターにも参りましたけど、コンサート自体は京都の方が良かったと思います。
西宮では、ラヴェルの最後の静寂部分で携帯のアラームが鳴るは、飴の包み紙をごそごそする人がいるはといった状態でした。聴衆も、コンサートに参加している事を自覚して欲しかったです。ツィメルマンも、演奏はもちろん素晴らしいのですが、イマイチ集中できずっといった状態でした。それと、西宮は京都よりも、音響はよく無かったです。というか、ピアノ向きでない感じでした。西宮は、アンコールは無し(葬送ソナタを弾いたときは、大抵無かったそうですが)で、京都の方がツィメルマンは穏やかに見えました。京都では、後ろの方で聴かれたのですね。もし、それが屋根の被っている所でしたら音響は悪かったのかもしれませんね。だとしたら、かなり近くで聴いたポリーニの場合と、離れて聴いたツィメルマンの場合では、音量、音質の何から何まで違って聴こえたに違いありませんね。なかなか、判断基準が難しいですね。
私がポリーニのペダルワークが派手だといったのは、ペダルの多用といった点でです。皆さんとずれていましたら、すいません。ポリーニの場合、確かにソフトは使用していないようでした。前後の左足の動きは、あれは結構理にかなっていると思いました。鍵盤への重力ののせ方で、足の位置は大切になってきますから。上級の奏者は、けっこうみなさんそれをされていますよね。それと、ポリーニっていつも赤いラインの入ったイスを持ってきていますよね?あのイスは、話によるともの凄く固く、安定感が良いのでポリーニも好んで使用しているようです。
ポリーニもツィメルマンも、物理学を学ぶなどしてかなり楽器には精通している様なので、お互い異なるけれども、ペダルに対する理念があるのでしょう。ツィメルマンがソフトペダルを踏んだってそれはそれで良いじゃないですか。ピアノには、ダンパー、ソステヌート、ソフトペダルがあるのですから。彼は、その効果を分かって使っていると思います。それに、バツェビチでは、ピアノに手を突っ込むなどの、内部奏法らしき事もしていました。それだけ、色々とこだわりがあるのでしょう。彼の音楽には、ふと消えるか消えないかといった立ち昇るような感覚があるので、そういうときに、ソフトペダルが貢献するのではないでしょうか。ショピネット様、ソフトペダルの使用を小細工というのは、あまりにも身勝手ですよ。私も、とてもショックです。そしたら、ミケランジェリも小細工なのですか。又貴族は、ダンパーペダルで勝負するのですか。現代曲には、結構ソフトペダルを使用するようになどと指示があるものが多いです。私は、バツェビチの楽譜はまだ見たことが無いんで、どうか分かりませんが。(楽譜を確認せず、そういう私が身勝手であることも承知です。)しかし、ポリーニもポリーニで、ソフトを使わない信念のようなものは、彼の音楽からも感じ取れました。質実剛健というかんじでしょうか。彼は、やはりソフト無しで一本勝負って感じですね。また、それはそれでよい事であると思います。
私は、何もポリーニをそこまで否定する気持ちはありません。なにしろ、ここはポリーニを称えるHPですので。ただ、昨年11月のリサイタルはもちろん全体的に素晴らしいのですが、幾つかの疑問が残ったということです。周囲に、もっとポリーニは素晴らしい演奏をするといっている方々が居たので、彼の真価はどの様なものなんだろうと思っているだけなのです。たった1回、オールショパンのリサイタルを聴いただけでは、部分的には触れられても、なかなか広く深く知ることはできませんので。
私は1つとても恐れている事があります。それは、何から何まで(例えば、ベートーヴェンのソナタ)を固定の奏者のイメージで固めてしまう事です。これは、たとえその聴き手がピアノを弾こうと弾かなくともとても危険な事だと思います。そうすることによって、柔軟性も失われますし、審美眼も失われます。第一、作品の主体は、当たり前ですが作曲者にあります。このような事を避けるには、やはり、自分で物を考え、感じ、信念を強くもつべきなのか、と最近日々感じているのであります。



No.99 「しょぱん」さんへ 投稿者:ショピネット 投稿日:2006/06/25(Sun) 17:18

 鋭いですね。京都コンサートホールでは、後ろの方で聞いていました。ぼくも、兵庫県立芸術文化センターのほうにいっていればよかった、ショパンのソナタも聴くことができたのに、すごく残念です。それに京都コンサートホールの大ホールは、あまりいい音響だとは思えないですし。
 ところで、ポリーニさんのペダルが本当にツィメルマンさんより派手でしょうか?バツェヴィッチのソナタを弾くときにツィルマンさんがしたような、激しくこれみよがしにソフトペダルに踏みかえるようなことをポリーニさんもなさるのですか?フランス人ピアニストのアンリ・バルダさんがツィメルマンさんと同じようなことをなさっていました。ポリーニさんは貴族だからそんなことはなさらずに、ダンパーペダルだけを小刻みに踏み分けて、小細工なしにあれだけ劇的なショパンを披露してくださったのだと思っていました。物凄くショックです。言葉が見つかりません。



No.98 嗜好や解釈 投稿者:しょぱん 投稿日:2006/06/25(Sun) 12:13

確かに、甘えん坊様のおっしゃる内容は理解できます。
ツィメルマンは、コンサートではCDよりもかなり速く弾くこともありますが、全体を通してかなり間を取ったり、ppでの静寂を大切にしていました。それが、録音や映像ではほとんど生きていないように感じました。多分甘えん坊様もそのような点が気に入らないのでしょう。
又、ツィメルマンはかなり突き詰めるタイプなので、それが哲学的で好きな聴衆と、息苦しい聴衆がいるのが分かります。
現代の音楽事情は、CDやDVDの出回っている時代なので、甘えん坊様のように、まず録音を聴き、その上でコンサートへ行くという方も多いのでしょう。20世紀前半のような、コンサート第一主義といった音楽環境にはもう戻れないのです。
しかし、それにしてもこの掲示板の方々はみな素晴らしい方々ばっかりでいいですね。自分の意見があっても、まず他人の意見をまず理解した上で、その上で持論を述べるといったマナーを兼ね備えた素晴らしい掲示板だと思います。



No.96 甘えん坊様 投稿者:しょぱん 投稿日:2006/06/25(Sun) 10:14

大変失礼ですが、誤解を解くため。私が申しておりますのは、ツィメルマンの他の演奏を聴いてはと言うことではなく、彼自身のコンサートに行かれてはということです。もう亡くなった過去の演奏家は、録音で在りし日々を偲ぶことぐらいしか出来ませんが、現在活躍中のアーティストであれば、コンサートを聴いてみないとそのアーティストの本質は分かりません。甘えん坊様も、ポリーニを聴いてみてそのような経験をお持ちではないのですか?しかし、録音でもう全然嫌だというのであれば、まあコンサートに行かないのも致し方ないのかもしれませんけどね。又、ポリーニもツィメルマンもドイツグラモフォンの所属ですが、両者共にリサイタルよりも録音は硬質な音で入っているのは事実でした。


No.94 ショピネット様 投稿者:しょぱん 投稿日:2006/06/25(Sun) 00:04

ツィメルマンのリサイタルは何処で聴かれましたか?
私も、ピアノのコンサートでは色々な所で聴いてみましたが、1番音響的に良いのは、ピアノの右側である程度距離のあるところだと思います。ツィメルマンのリサイタルも複数行きましたが、やはりそうでした。コンサートの聴き方は色々あるとは思いますが、奏者の息遣いを見たいのなら、前方のできるだけ近い所、奏法を見たいのなら、鍵盤側、音を重視するなら向かって右側で1階席の中〜後方、あるいは2階席でしょう。
ガーシュインは、アンコールとしてはとてもエンターテイメント的で良かったと思います。コンサート後、出待ちしている人もかなりいたので、満足していた人はかなり居たのではないでしょうか?
ツィメルマンのペダルワークはそんなに派手でしたか?確かに、バラードの最後の部分に少々乱れはありましたが。ツィメルマンはかなりペダルは上手いと思いますよ。私は、ポリー二のほうが相当ペダルワークは派手だと思いました。特に、スケルツォ1番の提示部
のペダルと中間部の拍感の崩れ。あれは、ちょっと意外でした。
それと、両者の演奏するときの表情についてですね。これは、それぞれの個性ということで良いのではないでしょうか。ポリーニは確かに紅潮させて、情熱的でしたね。ツィメルマンもバツェビチや悲愴ではとても情熱的でした。歴代の奏者を見てみても、ホロヴィッツなど驚くほど涼しい顔をしているのに、ものすごい情熱的な演奏をしていますよね。
甘えん坊様
私は、最初ポリーニを聴いた時は、かなり金属的で冷たいと感じました。しかし、演奏会では録音にはないものが沢山ありました。例えば、ポロネーズやバラード1番ではとても熱いものを感じました。ツィメルマンも然りです。ただし、方向性はかなり違いますが。一度、カラヤンやバーンスタインが惚れ込んだ彼の実演を聴きにいらっしゃることをお勧めいたします。



No.93 すみこ様へ 投稿者:ショピネット 投稿日:2006/06/24(Sat) 00:25

 是非、聞いてください、その新聞に書かれていたジェスチャーは、京都でもツィメルマンさんがされていた事で、所沢だけが特別というわけではないのです。それに、アンコールを弾き始めるよりもまえに、ご自分のピアノをたたえられました。
 それよりも、僕なんかが書き込みをしたことに返事をくださったみなさん、ありがとうございました。何か神聖なページを汚したような気がしてしまって、心がいたみます。
 でも、最後に勇気を出して教えを乞いたいのです。
ポリーニさんは、昨年のショパンリサイタルで、ダンパーペダル以外はほとんど使っていなかったようにみえたのです。もちろん、ベートーベンのプログラムでは違ったとは思うのですが・・・ぼくはザ・シンフォニーホルの前から3列目の真ん中の席で聞いていましたが、目の錯覚でしょうか?
 愚かなことを聞いているのはわかっています。でも、どうしても専門の方に教えていただきたいのです。どうかよろしくおねがいします。最後のお願いです。



No.92 「甘えん坊」様へ 投稿者:ショピネット 投稿日:2006/06/24(Sat) 00:01

 僕も初めて彼の弾くバラードの映像をDVDで見たときは確かにそう思いました。燕尾服のしっぽの部分が、椅子にすれる音さえ頭にきたくらいです。でも、バラード第1番のコーダの部分など、ポリーニさんにはない響きがあるように思えてならないです。
 でも、バラード第4番の生演奏であまり感動しなかったので、今はなんとも申し上げることができないです。頭が混乱しています。
 でも、彼がバーンスタインのタクトで奏でるベートーベンの協奏曲第3番の第2楽章の美しさといったらもう・・・これもDVDで見たのですが、CSでもやっていると思うので、もしよろしければご覧になってください。
 ぜひ、甘えん坊さんに教えていただきたいのですが、HMVとVICTORはどういった関係なのでしょうか?どちらも、「HIS MASTER'S VOiCE」が名前だったり、マークの原画だったりしますよね? 



No.91 「しょぱん」様へ 投稿者:ショピネット 投稿日:2006/06/23(Fri) 23:35

 確かにそうかもしれません。見た目だけで、他の方
がどう思ってらっしゃるのか判断すべきではないのかもしれませんね。反省します。
 ただ、「この程度の曲をアンコールで聞かせるのか?」というリアクションに僕には思えたのです。
なぜなら、一曲ごとに立ち上がる人の数が増えて、3曲目のプレリュードのあとでは半分以上の方が、ツィメルマンさんに背を向けて出口に殺到していたではありませんか!
 ポリーニさんは、頬を紅潮させ、大粒の汗をかきながら演奏なさいます。その一方、涼しい顔で、上を向きながらピアノを弾くのはツィメルマンさんです。なのに、派手なペダルワーク(バラード第4番のコーダなどは特に!)をしているのはツィメルマンさんの方なのです。
 ツィメルマンさんのブラームスのコンチェルトのDVDをご覧になった事がありますか?バーンスタインさんと共演しているものです。そのピアノの音色がどうしても金属的な響きで、迫力にも欠けているように思えました。きっと音源が古いからだろうと思っていたのですが、京都コンサートホールでのピアノの音色は同じでした。
 でもポリーニさんは違ってました。CDやDVDの音が問題にならないくらいにです。銀が降り注ぐような、魔法の音色!NHKが、彼のバラード第1番の方をカメラにおさめてくれてればよかった・・・ツィメルマンさんには申しわけないですが。



No.90 Re:ポリーニ様とツィメルマンさん 投稿者:すみこ   投稿日:2006/06/23(Fri) 22:57

ショピネット様、はじめまして。大阪でのポリーニ・リサイタル、ホールの熱い雰囲気だったことを、私も懐かしく思い起こしました。

アンコールを聴かずに、席を立って帰る聴衆は、ポリーニの演奏会でも時々見かけます。
なんだか、勿体無い・・・と思いますね。本プロを弾き終えて、その充実感とともに、更に素晴らしい演奏をアンコールで聴かせてくれることも、多いのですから。
ツィメルマンの弾いたガーシュインもとても洒落た、ステキな演奏だったようですね。
本プロと違った趣でまた、ピアノのフレッシュな魅力を味合わせてくれたのでしょう。
きっと時間の問題や諸事情があって、ホールから足早に去るのだろうと思いますが、演奏者が客席に向って拍手に応えている時に、背を向けて立ち去るのは、できれば止めて欲しいものです。

新聞にツィメルマンの所沢リサイタルを聴いた方の寸評が載っていました。
「ショパン『葬送』の圧倒的な迫力に、演奏者のみなぎる力を感じた。演奏後、ピアノにも拍手を、というジェスチャーをし、自身もピアノに一礼をしたのが印象的。」
日本演奏旅行の最後の日。大切な“パートナー”であるピアノへの、ヒューマンな、ユーモアある態度に、温かさを感じました。演奏後のピアニストの人間的な表情をうかがえるのも、最後まで見(聴き)届けてこそ、ですね。



No.88 ショピネット様 投稿者:しょぱん 投稿日:2006/06/23(Fri) 18:32

私も、大阪でポリーニも聴きました。
ポリーニもツィメルマンも完璧主義だと言われますが、お互いかなり違うと思いました。
私も、様々なホールで観客の反応を気にしますが、大阪のシンフォニーは、どちらかというと、やはり大阪の雰囲気の出るホールだと思います。
それに対して、京都はそうでもないです。
それと、ツィメルマンのリサイタルには数回行きましたが、あまりブラボーを呼び起こす類のものでは無い様に思います。例えば、キーシンとは全く違うタイプですよね。彼も多分、あまり大喝采を期待していないように彼の人間性や音楽から感じられます。
私は、ここ数年、有名なピアニストのリサイタルには大体通っていますが、1つ言えるのは、ピアニストによって客層が全く違うということです。あまり固定ファンが多すぎると、演奏の良し悪しはどうあれ、拍手喝采となります。
これは、日本のクラシック音楽の宣伝の弱点でもあるのですが。ポリーニやキーシンの時は結構その傾向があったと思います。京都のツィメルマンの時は、曲によって拍手の大きさが結構異なっていましたよね。ああいうのが、本当に良質な聴衆だと思うのですが。(確かにショピネット様のおっしゃる様に、何でアンコールでみんな帰るのかと思いました。)
だから、私はあまり拍手に惑わされないで、出来るだけ自分の心に響いたものを聴く様にしています。



No.87 ポリーニ様とツィメルマンさん 投稿者:ショピネット 投稿日:2006/06/22(Thu) 23:02

 こんなにも熱くて素晴らしい人たちがいらっしゃることを、昨日知ってしまい、発言せずにはいられなくなったので、話を聞いてください。
 ツィメルマンの京都コンサートホールでのリサイタルは、確かによかったのですが、ポリーニさんのバラード第1番や、ノクターンの第13・16番のような、胸がつぶれるようなときめきは、ほとんどなかったです。
 来ていたお客さんも、ガーシュウィンの前奏曲を、ツィメルマンが1曲弾く毎に、次から次へと帰りだす始末です。本当にびっくりして、唖然としてしまいました。
 昨年のザ・シンフォニーホールでのポリーニさんの
リサイタルの熱狂と興奮が、半年以上もたった今でも忘れられないだけに、このあまりの違いについ、一言言わずにはいられなくなりました。
 京都コンサートホールには、もう再び行こうとは思いません。
 ポリーニさんのリサイタルは、かけがえのない思い出です。来ていらした方々も、最高の人たちだったんだなあ、と今になってしみじみと思います。 
 ただ、それだけが言いたかったです。
 
 



No.86 ミューズホール 投稿者:東京人 投稿日:2006/06/16(Fri) 23:11

ホールの評価というのは聴く人の好みや、座席によりますが、オーチャード、東京芸術劇場よりも私には好ましく思えました。ただし、ホールそのものは問題ありませんが、館内の階段ホールに雨漏り対策と思われるバケツがある等、著しく美観が損ねられている事は問題でした。
バブル期に日本各地でホールが建設されましたが、これから多少なりとも補修が必要になる時期が来るでしょう。今は当時とは違い、自治体の財政状況にゆとりがないので、予算の確保が難しくなるかもしれません。
だからこそ、私は安易にホールを作る事には反対なのです。東京の都心であれば、なんと言っても人口3300万人の首都圏の中心ですから需要が見込めますが、それ以外の地域では、よほど立地が良くないと集客が難しいのではないかと思います。あるいは既にその必要性や魅力が失われたホールをスクラップする事も選択の一つかもしれません。



No.85 新聞読みました。 投稿者:しょぱん 投稿日:2006/06/16(Fri) 00:00

すみこ様
わざわざ、スキャンしてまで載せてくださり、どうも有り難うございました。
人によって聴き方が様々ですが、私としては、ツィメルマンは一種の完璧さの定義づけが以前と変わってきているような気もします。いよいよ50歳を迎え、どの様になっていくかは全く分かりませんが。
東京のコンサートはサントリー2公演とも、録画されていたそうですよ。でも、ツィメルマンはチェックが厳しいようで、終演後も取り直し編集を何度もしていたそうですが。放送は、大分先になるようです。(秋ぐらいかなあ)



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