No.748 こころの時代 投稿者:博多の人 投稿日:2010/11/07(Sun)
09:38 本日(11月7日)朝5時〜6時、NHK教育放送「こころの時代」を見ました。ピアニスト・遠藤郁子氏によるショパン「音霊(おとだま)のひびきに」でした。木枯らし、ノクターン第13番、雨だれ、革命などの断片的な演奏を通じて、遠藤氏は、自分の人生にも重ね合わせながら、人の心にしみ入る表現を目指して来られたことを語られていて、とても興味深い番組でした。そこで演奏された曲目はポリーニ氏の十八番でもあり、木枯らしはポーランドでは「革命」と呼ばれているそうで、私は、ポリーニ氏の演奏はそれを表現しているのかもしれないと思いました。ポリーニ氏のバッハをCDで聞いていますと、実演を聞かれたYamaken様やおじさん様、その他の方々がおっしゃっているように、集中力がすごく、またとても豊かな表現に満ちていますね。ポリーニ氏が、それ以前のまた以後の多くの作曲家達の様々な曲を演奏し、その視点からバッハを見直したことが、新しいバッハ像の提示につながったのかもしれません。ポリーニ氏のゴールドベルク変奏曲が聞きたいですね。遠藤氏は、長期間かけて、ショパンの全作品を演奏されるそうです。音楽史を俯瞰するような仕事をしているポリーニ氏が、ショパンの全作品に没頭する可能性は低いでしょう。また、遠藤氏による人の感情に深く入り込むような演奏を聞いていると、間違いを恐れずに推察すれば、ポリーニ氏の演奏は人間の様々な感情を俯瞰しているようにも思われ、音霊の歴史を熱く語っているような一面があります。ポリーニ氏のスケジュールを見ると、年齢からすれば、オーバーワークなのかも知れませんね。 |
No.747 神々に愛されしマエストロ 投稿者:マーリン 投稿日:2010/11/06(Sat)
11:41 私は事情があってコンサートに行けなかったのですが、皆様の感想を読ませていただいていろいろ想像を巡らせています。何回も何回もCDの平均律を聞いて最近感じるようになったことと結びつくかも知れないと思うようになりました。マエストロは自分の身を削って音楽に立ち向かっているのではないかと。全身全霊を傾けて。。。もちろん今までずっとそういう姿勢だったと思いますが、バッハではそれ以上のことが求められているのではないかと。どうして神様はそんな苦役をマエストロに強いるのでしょうか。最近読んだ吉田秀和さんの本にリルケの「美は恐ろしいものの始まり」という言葉が載っていました。その意味が良くわかりませんでしたが、今回の一連の出来事は、マエストロはもう、そのような美の世界に踏み込んでいるように感じます。神様に愛されてしまったのでしょうか。 |
No.745 平均律@11/3 投稿者:pooh 投稿日:2010/11/05(Fri)
17:59 初めまして。 いつもこの掲示板はじめ、サイトを楽しく拝見しております。 たくさんの情報、ありがとうございます。 普段、書き込み等はしないのですが、私も一昨日の演奏会についてどうしても筆を取りたくなり、初めて書き込みます。 初めてポリーニを生で聴いたのは昨年のザルツブルグ音楽祭です。小さい時からピアノを習っていたこともあり、母共々名前は存じていましたが、何せチケットが手が出ず、それまで機会に恵まれなかったのです。ですが、昨夏半ば思いつきでザルツブルグ音楽祭のHPを見ていたところ日本よりチケットが安いことを知り、ちょうど海外旅行を計画していたので憧れのポリーニを聴くことにしたのです。 その素晴らしかったことと言ったら、今まで聴いた演奏会とは比べ物にならず、あんなに心震えたことは今までになかったと大げさでなく思いました。どの曲を聴いても心揺さぶられ、時が経っても薄れることのない感動を味わえました。 待ちに待った今回の来日、3公演はとても無理なので、平均律というピアノの根幹となるようなプログラムをぜひ聴きたいと11/3を心待ちにしていました。 そして前半、あれ、どうしたんだろうというほどのもつれやリズムの乱れに聴いていた私がドキドキしてしまいました。スロースターターということはこのサイトでも拝見して知ってはいましたが、それで片付く不調ではないのではないか、もしかしたら空調を弱めるよう希望したということは風邪でも引いたのだろうか、と半ば動揺して聴き進んだ前半でした。しかも、途中、あろうことか飲み過ぎで嘔吐した人の本当に間近に座っていたため、色々なことが頭をかけめぐり落ち着いて聴いていられる心境ではなかったのです。 休憩中に譜面台が用意された時は、少し驚きましたが、しかし、後半の演奏は本当に素晴らしかったと思います。CDよりずっと攻めていて、次から次へと異なる景色の音楽が繰り出され、息もつけない1時間でした。席を替えてもらい、落ち着いて聴くことができたというのもあったかもしれませんが、何かに取り憑かれたような、けれどどこか客観的で整った演奏に心を奪われ、上手く表現できませんが、曲が進むにつれてこの空間でポリーニの演奏だけが生き物のように感じられ、弾き手のポリーニですら存在しないかのように思えました。 譜面台を後半から用意したということに関しては、素人の私見ではありますが、それによって別人のような演奏が引き出されたことを思えばその決断はプロとして素晴らしかったと思います。それと同時に、弾き始めにもしも不安があったとしたらそれでも譜面を置かなかったのはなぜだったのだろうか、弾きこなすことができるはずだったのだろうか、とも思います。その辺りは考えても正解は分かりませんが・・・ けれど、演奏会を聴き終わったとき、心から何かがあふれて体中が満たされたような気持ちになったことは本当に忘れられません。普段立って拍手をしたことなどないのですが、周りが立っているからとかではなく自然と立ち上がり、手の力の続く限り拍手を送りたい、いつまでもこの余韻に満たされていたいと思いました。アンコールがなくても十分すぎるほどの演奏会でした。 平均律は美しい旋律ではありますが曲としては地味だと思いますし、いくらポリーニの音が美しいからといっても全曲聴いた後に自分がどう感じるのか、修行のように感じるのではないかと不安もありました。 ですが、そんなものとは無縁で、後から思い出す度に涙が出そうになるほど素晴らしい演奏会でした。前半の不調が心配でもあり、後半に近い演奏が聴けたらそれはそれでどうだったかなとは思いますが、そういうことも全て含めて、私は「ポリーニの演奏」というものに心を奪われているということを実感しました。 次回聴く機会に恵まれた際には、万全の体調で迫力ある演奏を聴けることを祈りたいと思います。 長文駄文ですみません。どうしてもあの感動を言葉にしたく、長々と書いてしまいました。 これからもポリーニファンの一人としてよろしくお願いいたします。 |
No.743 平均律@サントリーホール 投稿者:Shimomaruko 投稿日:2010/11/04(Thu)
21:55 突然の投稿で失礼致します。いつもこのサイトの掲示板を楽しく拝見させて頂いておりましたが、昨晩の演奏会(11月3日、平均律第1集)については何かを書きたくて、筆を取らせて頂きます。 私は高校生の時にポリーニが弾くベートーヴェンの30番、31番の演奏に夢中になり、以来30年近くポリーニの演奏に魅せられ続けています。その演奏から各種メディアを通して伝わる人柄まで含めて掛け値なしの大ファンと自負しております。 今回の来日ではベートーヴェンと平均律の日に行きました。(3公演すべては財政的にキツかったので。ただ、中2の娘にはどうしてもポリーニのブーレーズをライブで聞いてほしくて、私以外の家族は初日に行ってもらいました。)ベートーヴェンでは曲が進むにしたがってポリーニらしい音が聞こえてきて、心から拍手が出来た演奏会だったと思います。特に32番は圧巻。バガテルも素敵な演奏でした。 私が実演に接した範囲では、ポリーニは大体スロースターターで、冒頭から本当に圧倒されたのは1989年の東京文化会館(ブラームス、シェーンベルク、シュトックハウゼン、ハンマークラヴィーア)の時だけでしたので、30、31、32番と演奏が進むに従って良くなっていくことに驚きはありませんでした。いつも素晴らしい演奏をCD(練りに練った構想をベストコンディションで弾き、更にその中からベストテイクを選んでいるはずの)で聞かせてもらっているので、後半尻上がりに良くなる事に何の不満もありません。いつもコンサートでは目の前でポリーニが弾いているだけでありがたいと思って聞いていました。 さて、昨日の演奏。 スロースターターと言っても取り繕えないほどの前半のモタモタから、後半ピアノが変わったのかと思うほど見違えるような演奏になったと思うのは下記の「ファン」さんと同意見です。個人的に特に印象的だったのは最後のロ短調フーガ。余りに良くて、地下鉄に乗るまでずーっと主題を口ずさんでいました。きらきら輝いているけど冷たくない音で、淡々と、でも熱く演奏が進められ、途中からポリーニ本人すら見えなくなるほど音楽が前面に出ている様子は、正にポリーニの真骨頂だったと思います。本当に素晴らしい演奏でした。 ただ、私が驚いたのは後半からの譜面台。私は譜面を見ながら弾く事に特に異論はありません。良い演奏が出来るなら楽譜を見ながらでも、iPodで聴きながら弾いても良いとすら思います。実際、1989年にポリーニがショトックハウゼンを弾いた時には楽譜を見ながらでした。 ポリーニは平均律をかなり以前から世界各地で弾いていたはずです。(今回も京都では暗譜だったとどこかで読みました。)言うまでも無く骨の髄まで染み込んでいた曲だったはずです。ピアノの発表会の前に、まだ弾き込んでいなくて暗譜が怪しいから、失敗するくらいなら楽譜を見て弾こう、という譜面台と昨日のポリーニのそれとは全く意味合いが違うものと考えます。昨日も前半は楽譜無しでしたから、本当は最後まで楽譜を見る気はなかったんだろうと思います。 要するに、いつも、どんな曲に対しても完璧な演奏を繰り広げてくれていたポリーニが(実演ではスロースターターだけど)、自分で出来ると思った事が出来なかったという事態を目の当たりにした事がショックだったのです。後半楽譜を見ながら弾いたのは、ポリーニの聴衆に対する真摯な姿勢の表れだと、ポリーニファンの私としては、解釈しています。(因みに、譜めくり氏の「サッ」という譜めくりはお見事でした。) だから、ポリーニが楽譜を見ながら弾いている姿を見るのは非常に辛いものでした。素晴らしい演奏を聞きながら、何度か天井を見て音楽だけを聞いていましたが、その時、ふと2人の音楽家の事が頭をよぎりました。 一人は、晩年楽譜を見ながらピアノの周りだけを照らす照明で演奏していたリヒテル。もう一人は、こちらも晩年ですが、ご承知のようにある演奏会の指揮中に記憶が途切れて演奏が停止し(たと伝えられている)、その演奏会後に有名な「我が指揮棒を不本意ながら置き、尚且つ我がオーケストラに別れを告げねばならぬ悲しい時が来てしまった。」という声明を出して引退発表したトスカニーニです。 余りにショックだったので、引退などという極端な事まで考えてしまいましたが、昨日の不調は一時的なもので、又素晴らしい演奏を日本で(2012年?)聞かせて頂きたいと切に思っています。衰えたとか色々書く人はいるのでしょうが、私は昨日程度の事でポリーニファンを引退する気はありません。 マエストロ、再会をお待ちしております。 (長文で失礼致しました) |
No.742 11/3
東京 バッハ 投稿者:ファン 投稿日:2010/11/04(Thu) 14:00 昨日の演奏会、疲れました。 前半は、ほんとに危なかったですね。演奏が止まるんじゃないかと思うことが何度もありました。ポリーニの手は震えていて、演奏はぎこちないし、聞いているこちらが怖くて、心臓が止まりそうでした。 (しかも、客席で嘔吐する人がいて。休憩時に聞いた話では、飲酒が原因のようでした。体調が悪いならともかく飲酒で、とは…) ポリーニは体調が悪いのか何なのか、理由は分からなかったのですが、休憩に入った時点で、もしかして前半でキャンセルするのではないかと思ったくらいです。 最前列に座っていましたが、演奏会の最初にステージに出てきた時から何か違和感がありました。 それが、休憩中、ピアノに譜面台が設置され、譜めくり用の椅子が用意されて。 後半、譜面を持って現れたポリーニは、演奏会最初の不安そうな表情は一切ありませんでした。鳴り出した音も前半とは明らかに違う。確信に満ちて音を押し出している、持続も素晴らしく!最後まで、一緒に音楽できました。 要するに、暗譜が危うかったのでしょう。俗に言う、単純に暗譜が危うかったで済ますにはポリーニに失礼かもしれません。でも、彼が暗譜で弾くには、他の曲を弾く時に比べて、音楽が体に入りきっていなかったのだけは確かです。ポリーニほどの演奏レベルで、音楽を完全に体に入れきるのは容易ではありませんが。 私も演奏家なのでよく分かるのですが、バッハは古典派以降の音楽を演奏するのとはだいぶ違います。あの時代のポリフォニー音楽を演奏する上での配慮の仕方に、難しい面が多々あります。 そして、ポリーニのバッハの演奏は、これまでのバッハの弾き方を覆して超える、明確に目指しているものを感じます。私が感じたそれがどのようなものかはここでは書きませんけれど。そういう意味も含めて、音楽を体に入れきるのは大変だと思います。 それで、後半譜面を見ながら演奏したことについて、私の意見を書かせてください。 私は、良い演奏になれば、必ずしも暗譜にはこだわりません。暗譜することは音楽を体に入れることですから、もちろん大事であるのは承知の上です。 そういう意味では、少なくとも昨日は、あんな不安そうにステージに出てくるのなら、最初から譜面を見て弾いた方が良かったと思います。譜面を見ながら弾いても、音楽の本質的なことを熟知しているポリーニであれば、少しの遜色もなく充実した音楽を表出できるし、それにも増して、昨日の後半はCD録音よりずっと音楽が攻めていました。 だからこそ、前半があのような形に終わったことで、複雑な心境で心残りです。 でも、ポリーニも人間なんだということに触れられた、と言えばいいのか。 やはり、複雑です。 |
No.740 京都のバッハ 投稿者:Yamaken 投稿日:2010/10/30(Sat)
17:41 二十数年来待ちに待ったポリーニのバッハを聴くことができました。 一貫して美しいピアノの響きとともに、一曲目の前奏曲から最後のフーガまでが、ショパンの前奏曲集やディアベリ変奏曲のように、一連の流れと様式をもったひとつの変奏曲集のように演奏されました。その中で、曲や調性が変わる毎に様々な情景が次々に現れて、ショパンやシューマンのようにロマンティックなフレーズ、ベートーベンのような重厚で構成的に弾かれる曲がある一方で、モーツァルトやシューベルトのような流れるようなパッセージ、オペラアリアの四重唱を聞いているようなフーガや、時には現代ものを思わせる激しいタッチもあったかとおもうと、バッハに立ち返って、モテットやトリオソナタ、オルガン曲などを連想させる響きもでてくるほど、多彩な展開。最後のフーガなどは、まるで「フーガの技法」を演奏しているかのような密度の高いものでした。ピアノ一台でここまでできるとは・・・。 ホールの響きや会場の静謐な雰囲気もよくて、ポリーニの集中力は最初から最後まで切れることなく持続し、本当にすばらしい演奏でした。古典から現代曲まで幅広いレパートリーをもつポリーニならではの、一晩でプロジェット・ポリーニをまるごと体験できた、貴重な演奏会でした。 |
No.739 京都 投稿者:おじさん 投稿日:2010/10/30(Sat)
11:45 すみこさん、皆さん。大変お久し振りです。京都でバッハを聴いた後、深夜バスで帰ってきて、今、これを書きながら余韻に浸っている所です。 私は去年のマエストロをまったく聴けなかったので、2006年のルツェルン以来となります。そして聴くのがバッハの平均律ですから、哲学の道を歩いたり、銀閣寺を見に行って、頭の中をリフレッシュしてからホールに向かいました。 舞台上には、フルオーケストラが乗れるほど山台が配置されていましたがここに観客が乗ることはありませんでした。1階席やステージ裏の席は満席でしたが、2階席には少し余裕がありました。 客電が落ちステージだけが明るくなってしばらくしたら、ステージドアの向こうから「ライト… ブラック… ホール…」などと話しているマエストロの声が…、スグにドアが開き、マエストロは天井を睨みながら出て来ました。どうやら客席側上のライトが消えているか気にしていたようです。 1833席だそうですがとても天井が高く感じられるホールにファブリーニスタインウェイが響き出しました。最初の1番ですが思ったよりもピアノが鳴っているように感じられました。CDより少し速いようです。全体に低音を抑え目に弾いたので、少し高域寄りの煌びやかな音。だから、4番や8番。16番などのフーガでは、出すべき所の低音を断固として出すのでスゴイ効果でした。 5番や、特に15番など停滞無しで躍動感のみ。1曲を1つのフレーズと捉え一気呵成に弾き切る迫力はスゴイものでした。それが如実に現れたのが20番。激しくそれにしても速い… フーガなど圧倒的は迫力で言葉に出来ませんが、この最後の音をペダルを踏んで長く伸ばすんですが、20番だけそれが濁ってしまい残念でした。 フーガの最後の和音は、大体ぺダルで長く長く伸ばし、まだその余韻が鳴っている間にハンカチをポケットから取り出し汗を拭く… その姿が何度も見られました。さあ、次に行くぞって感じです。そう言えば、休憩後に登場する直前は、ステージドアの向こうから大きな鼻をかむような音が… まあ、そんな事はどうでも良いのですが、3番や19番のフーガの躍動感。19番のプレリュードは、普通の演奏だと楽しげなんですが、マエストロが弾くと何か謎めいたひそやかな曲になるなど面白かったです。17番のフーガは、こんな所に仕掛けがあるんだぞ… みたいな演奏。どこを取っても息を抜けない大変集中力が必要な演奏でした。 開演が19:00。前半が終わったのが20:03。後半のマエストロの登場が20:29。24番が終わったのは21:21。やはりというか当然というかアンコールは無しでした。余韻に浸りつつ帰途についたわけですが、素晴らしい一夜でした! |
No.736 ベートーヴェンの後期ソナタ 投稿者:マーリン 投稿日:2010/10/25(Mon)
21:59 何回も何回もポリーニの平均率を聞いていたら、あんなに好きだったグールドの演奏よりも好きになってしまいました。グールドさん、ごめんなさい。平均率だけですから。なぜ?か良く説明できないのですが、もう一度聞こうとするとポリーニのCDをかけてしまいます。ベートヴェンのコンサートはいかがでした?私はいけなかったので、みなさまの感想を教えていただければうれしいです。私自身は後期のソナタはアラウの演奏が好きですが、ほんとはポリーニの演奏を好きになりたいです。すみこさんのレポートを読んで、また感激してしまいました。「チャイコフスキーやラフマニノフを自分よりうまく演奏するピアニストは世の中にたくさんいる」なんて、どうしてこんなことを言えるのでしょうか?なんて謙虚なんだろうと思って。 |
No.735 今日は凄かった 投稿者:ファン 投稿日:2010/10/23(Sat)
23:38 今日のベートーヴェン、凄かったですね。 唸り続けて、持続と高揚が半端じゃなかったです。 アンコールは、 「6つのパガテル op.126」の第3・4曲目でした。 |
No.734 ルツェルン音楽祭 投稿者:とも 投稿日:2010/10/20(Wed) 21:49 今年の8月29日、ルツェルン音楽祭でのポリーニのソロ・リサイタルです(DRS2 でネット配信されたもの)。 ショパン / 24の前奏曲 Op.28 ドビュッシー / 練習曲集 第2集 ブーレーズ / ピアノ・ソナタ 第2番 家のマークからどうぞ。 |
No.732 17日(日)の演奏会 投稿者:ズー 投稿日:2010/10/18(Mon)
22:50 ご無沙汰しております。 昨日はお元気そうなマエストロの姿を見てとてもうれしくなりました。 ショパン「24の前奏曲」、ドビュッシー「6つの練習曲」どちらも以前に聴いたときよりも素晴らしく感じました。24曲のそれぞれの曲の間(ま)の取り方、つなぎ方など一瞬の沈黙にも不思議な力を感じました。 ブーレーズ「ピアノソナタ第2番」を暗譜で弾くということ自体が超人的です。とても生き生きして演奏しているように見えたのは私だけでしょうか。 アンコールは4曲とも本領発揮という感じでした。 11月3日のバッハの平均律の演奏が楽しみです。 18日の講演会は仕事のため(&抽選にはハズれました)行かれなかったので、レポートを楽しみにしています。 |
No.730 東京第一夜 投稿者:ともママ 投稿日:2010/10/17(Sun)
23:15 ご無沙汰しています。 今晩のリサイタルに行って参りました。 今年もマエストロが来日して下さったことに感謝です。 (すみ子さんも最前列で聴いていらっしゃいましたね♪) 特に後半のドビュッシーが素晴らしいと感じました。 色彩豊かで、眩しいくらい煌めくような音の洪水でした。 超難曲のブーレーズソナタも圧巻でしたね。 (何であんな曲、暗譜できるのか、、、物凄い頭脳に感動です。。) アンコールはドビュッシーのプレリュード(沈める寺と西風の見たもの)、ショパンの革命エチュードとバラード1番、ご機嫌で大サービスでしたね。 終了後に楽屋口のある方の通路から出たのですが、あのツィメルマンが楽屋に向かっているところに遭遇しました。 |
No.727 いいなぁ…記者懇談会! 投稿者:すみこ 投稿日:2010/10/13(Wed) 12:01 カジモトのサイトにも、記者会見とその後の記者懇談会の様子がレポートされていました。 ◆【速報】ポリーニ、世界文化賞・受賞記念会見に登場! http://www.kajimotomusic.com/news/2010/10/13/post-198.php (家のマークにもこのUrl.入れます) |
No.720 re:1982年の演奏家のチラシ 投稿者:とも 投稿日:2010/10/04(Mon)
13:50 クロチルド様、ご紹介、ありがとうございます!! ポリーニが指揮台で指揮している・・・、こんな写真があったなんて! それにしても、スカラ座の地道な努力には敬服します。 まさに、一回の公演が歴史の一ページなんだという、誇りと自負があるのでしょうね。 |