2016年の感動
皆様のご意見・ご感想と演奏会評(3)

東京公演

4月21日(木)《サントリーホール》

プログラムC

ショパン
前奏曲 嬰ハ短調 op.45
ポロネーズ第7番 変イ長調 op.61「幻想ポロネーズ」
ノクターン ロ短調 op.62-1
ノクターン ホ長調 op.62-2
マズルカ イ短調 op.59-1
マズルカ 変イ長調 op.59-2
マズルカ 嬰へ短調 op.59-3
スケルツォ第3番 嬰ハ短調 op.39

ドビュッシー
前奏曲集第2巻
1. 霧 2. 枯葉 3. ヴィーノの門 4. 妖精はよい踊り子 5. ヒースの茂る荒地 6. 風変わりなラヴィ―ヌ将軍
7. 月の光が降り注ぐテラス 8. 水の精 9. ピックウィック卿をたたえて 10. カノープ(エジプトの壺) 11. 交替する三度 12. 花火

〈アンコール〉
ドビュッシー:前奏曲集第1巻第10曲「沈める寺」
ショパン:バラード第1番


21日のリサイタルを聴いて 
《hiramasa》さん
昨日のリサイタルを聴きに、また、観に行ってきました。
ショパンもドビュッシーもいずれも素晴らしかったですが、とりわけドビュッシーの演奏では、その音響デザインの高度な多彩さに圧倒されました。
 今やもう74才のポリーニを見つめ、その音世界に浸るうち、その繰り広げるショパン、ドビュッシー演奏の表現の豊かさと自然さに引き込まれるうち、2時間があっという間に過ぎてしまった感じでした。アンコールのショパンのバラードは、正にポリーニという感じで、思わず席を立って拍手してしまいました。
管理人様が、「日記帳」に書かれているのにまったく同感で、マエストロの今回の来日に心から感謝申し上げるとともに、この不世出のピアニストと同じ時代に生き、その稀有なピアノ演奏芸術に触れることができること有難く思います。
最後に、マエストロの今後のご健勝を祈ります。
4/22(金) 15:53



音楽の友 2016年6月号 REPORT

※見開きグラビアですが、前ページは「プログラムB(16日)」のページに載せます。
(写真が不鮮明で文字が読めないので、下に書き写しました。)

音楽の友 2016年6月号 REPORT

取材・文=青澤 唯夫

表現に、柔軟さと精神の自由が

 21日は、「前奏曲」作品45で開始されたが、転調による変化が明確に表現されていた。ポリーニの真骨頂であろう。「ポロネーズ」変イ長調《幻想》は、両手の半音階、無調感、深い瞑想による創造性がポロネーズのリズムや楽想とファンタスティックに融合した演奏至難な傑作だが、今回の演奏はポリーニの意識が目立ち過ぎて、私は充分に楽しめなかった。
 「ノクテュルヌ」は作品62の2曲。ロ長調の「第1曲」は、和声の豊かな表情とポリフォニックな奏法が秀逸。印象派音楽の先駆のような幻想性もよく表現されていた。ホ長調の「第2曲」は旋律が反復される度に、和声が微妙な陰翳を映しながら変化してゆく様が美しかった。「マズルカ」は作品59の3曲。ショパン最晩年の名作で、素朴さ、優美さ、オベルク舞曲の回転する鮮やかなリズムを髣髴させる各曲の性格が巧みに弾き分けられていた。「スケルツォ第3番」は16日のアンコール時のほうが自在で、素晴らしかった。
 後半はドビュッシー「前奏曲集第2巻」。2002年の「ポリーニ・プロジェクト」でも弾かれたが、十数年の歳月は高齢化に向かうポリーニにとって容易ならざるものであったろう。集中力、端正な表現、技術的な精巧さは明らかに後退している。第12曲の《花火》にしても以前のような技巧の切れ味はなかった。しかし第7曲の《月の光がそそぐテラス》では音色の使い分けがよく活きていたし、表現に柔軟さ、精神の自由さが加わったのが彼の円熟かもしれない。ドビュッシーはデュラン版ショパン作品集の校訂をしているが、前奏曲集を弾くポリーニに両者への思いが託されていたのは疑う余地がない。和音の配置が変わるごとに変容する精妙な音色、しかもそこには明晰な造型への意思があった。
 アンコールはドビュッシー《沈める寺》とショパン「バラード第1番」。楽興が迸るような演奏であった。前屈みでトボトボとステージから退く姿は老人のようだが、演奏にはまだまだ覇気がある。両日とも客席は満席で、熱い拍手が湧き起こっていた。

青澤 唯夫氏


Mostly Classic 2016年7月号 公演Reviews

(写真が不鮮明で文字が読めないので、下に書き写しました。)

Mostly Classic 2016年7月号 Review

萩谷由喜子氏

マウリツィオ・ポリーニ ピアノ・リサイタル

 3年半ぶりの来日公演。川崎公演ではシューマンをショパンとドビュッシーに替えたが、16日公演ではシューマン完遂の上にブーレーズ追悼としてシェーンベルクを追加したそうで、74歳の彼の気概を嬉しく思いつつ席に着く。ステージ上の学生席はなく、客席照明もほぼすべて落とされストイックな雰囲気だ。
 ショパン「前奏曲」作品45はフレーズの連携に滑らかさを欠いたものの、アタッカで(続けて)「幻想ポロネーズ」に入ることによって集中力を高め、次第に本領を発揮していく。ノクターン作品62の2曲は音も美しく色のパレットも豊富。構成感も確かだ。マズルカ作品59を経てスケルツォ第3番。技巧面を打ち出すのではなく、トリオの和音句と高音部下降句の対話に焦点があてられた。
 第2部はドビュッシーの前奏曲集第2巻。何と、ここで初めてポリーニがあの凛とした姿を現した。「霧」の模糊とした音色感、「枯葉」のリズム動機や対旋律の扱い、「ヴィーノの門」のスペイン情緒の表出、「妖精はよい踊り子」のトリルの均質さ、「ヒースの茂る荒野」に醸された温和な情緒、「ラヴィ―ヌ将軍」のユーモラスな表情、「月光のテラス」の神秘感、「水の精」の絶妙なルバート、「ピックウィック卿」でのダイナミクス、「カノープ」の和音と単声旋律の対比感、「三度」と「花火」の惚れ惚れとするテクニック。
 全体を貫徹する気品と思索性。アンコールは「沈める寺」とショパン弾き復権を示すバラード1番。満場のスタンディング・オベーション。

萩谷由喜子◎音楽評論家





※「日記帳」に私の感想を載せました。
2016年春『大きな花束を』



Bravo e Grazie! Maestro!! 2016年の感動

川崎公演(プログラムA)

東京公演(プログラムB)

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