時々の雑記帳

音楽のこと、ポリーニのこと、日々の雑感を、
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(1月〜3月)

花の時・小鳥の時
白木蓮が暖かい日を浴びて咲き誇り、真っ赤な椿や乙女椿が可愛い顔を並べ、沈丁花の香りが漂い・・・春が来た〜!と思わせる陽気となりました。枝を飛び交う小鳥達、囀りも生き生きしているように聞こえます。
学年末を迎え、卒業を控え、春休みを楽しみにする子供たち、新しい仕事に期待と不安の入り混じるフレッシャーたち、異動や昇進に備える働く人たち。それぞれの新しい時間が、明るく豊かに、そして穏やかに流れていくようにと、願わずにいられません。

冬の間、インフルエンザに襲われ、演奏会をキャンセルせざるを得なかったマエストロ、その後体調はいかがかと心配でしたが、2月26日のミラノでは無事に快復し、登場されました。
その数日前にも、ミラノの音楽を学ぶ若者を前に、シューマン「アラベスク」について講演(演奏を交え)会も開いたそうです。

 「これは私の大好きな、聴衆にも再発見して欲しい作品です。神秘的で、大きな情熱の籠った曲で、とても素朴な幾つもの小旋律を、混ぜ合わせ変化させていく彼の能力を明らかにするものです」

リサイタルはスタンディング・オヴェーションで終わったそうですが、評は見つけらず、アンコールも判りませんでした。
3月に入って行われたベルリンでのリサイタルも、残念ながら評が見つけられませんでした。

そして13日のロンドンでのリサイタル。5つ★の評が2誌(14日The Independent、15日The Times)に載っていました。お聞きになった方からも「素晴らしい演奏でした(略)・・・・とにかく新しいマエストロでした(略)・・・マエストロの強さを眼前にした、素晴らしい宵でした。」と嬉しいメール(もっと詳細にご感想を書いてくださったのですが)をいただきました。体調も良く、とてもご機嫌で、ロンドンの聴衆も大喝采の熱い演奏会だったようです。

アンコールはスケルツォ第3番、子守歌、「革命」と3曲も!「(前半も後半も素晴らしかったが)第3部はポリーニがやはり偉大なピアニストであると思わせられるものだった」(Independent) 「終った後も、笑顔でCDにサインにするエネルギーがあった。Amazing」(Times)と評にもありました。

4月からはアメリカ・ツァーが始まります。4公演はすべて同じプログラムで、ショパン:前奏曲、舟歌、ソナタ第2番と、ドビュッシー:前奏曲集第2巻、となりました。満を持して録音されたドビュッシー「前奏曲集第2巻」を披露するアメリカ・ツァー、素晴らしい演奏会となりますように。ここでもサイン会など、開かれるのかもしれませんね。

新譜のご感想を掲示板にもお寄せいただきました(hiramasaさん、ありがとうございました!)。
本当に「千変万化の音色・音響」で描き出されるドビュッシーは、独自で多様な音響の世界、一つ一つが小宇宙ともいうべきものですね。繊細なタッチ、精緻な表現、大胆な対比ある演奏、そして優しい詩情。光が飛び散るかの鮮やかな音と、内に秘められた暗がりを予感させる深い響き。自然体で臨んでいるような作為のない、けれども作品の内実をしっかり把握して、心からの愛情をもって表現し尽くした、現在のポリーニならではの演奏と思われます。没後100年のドビュッシー・イヤーですが、100年を経て新しい響きが生み出されるかのような、聴けば聴くほどに味わい深い演奏です。今ここにCDを手にして、自在に聴けることに、喜びと深い感謝の気持ちを覚えずにはいられません。
「白と黒で」はこのCDで初めて聴きました。華やかでダイナミックな曲に惹き入れられます。ダニエーレさんが第1ピアノですが、曲想に若々しさが感じられるのは、そのためでしょうか。息の合った父子の演奏は、マエストロにとっても、新しい世界が開かれるような感興があったことでしょう。

今回はアメリカ・ツァーのプログラム、レッジョ・エミーリアの日程と、新たに発表された2019年シーズンの演奏会をスケジュール表[2017-2018 Season]に付け加えました。

数日かけて書いているうちに、桜も一輪、二輪と咲き始めました。本格的な(?)春の訪れ。花冷えや春雨もあるようですが、体調に気を付けて(花粉症の方は特に)、美しい花の季節を、ゆっくりと楽しみたいですね。

2018年 3月20日 0:30

光の春を楽しんで
2月も半ばを過ぎ、ふと気づくと太陽の光は力強さを増し、梅も白、紅、薄紅と次々と開いてきました。春はもうそこまで。でも、北陸や東北の大雪被害はなかなか解消されず、今後もまだ厳しい寒さは続きそう。明るい暖かい春が待ち遠しいです。
一方TVを見れば、白一色の世界でアスリート達が、生き生きと“熱い”戦いを繰り広げています。磨いた技を存分に生かせるように、持てる力を出し切れるように、良い結果が出ますように・・・と願いつつ見ています。フィギュアとスピードスケートでの金メダルの快挙は本当に輝かしいし、銀メダルも銅メダルも等しく素晴らしい、心からおめでとう!と言いたいです。
でも、冬季オリンピック=“雪と氷の祭典”とはいえ、吹雪のような悪天候のもとや、凍える深夜にではなく、もう少し良い条件下で行えないものかしら・・・。政治のカゲや、国家のイシンや、経済のチカラやらで、丸い地球が歪んでしまっているようです。次の五輪、夏季オリンピックでは、ま〜るい地球の平和な祭典を、と願わずにはいられません。

さて、1月にインフルエンザに罹られたマエストロは、延期日程の2月5日にバーリに登場され、大喝采のリサイタルを行われました。1週間後にはスイスでリサイタル。どちらもアンコールはショパン「スケルツォ第3番」だったそうです。無事に快復されたようで良かった〜、とホッとしたのです、が・・・。18日のレッジョ・エミリアでのリサイタルが延期との知らせがありました。やはりインフルとのこと。ツアーで移動、大勢の観客の前に登場、お疲れも多いだろうマエストロの仕事。一日も早い快復を、お祈りしています。

新譜もついにリリースされました。すでに聴かれた方もいらっしゃるでしょうか。ご感想を伺えれば幸いです。私は日本版を予約したので、もうしばらく、お預けです。

新譜の発売を期して、でしょうか、La Repubblicaにインタビューがありました。
(2月11日・GIUSEPPE VIDETTI)

「彼のような芸術家は、楽器と切り離してはイメージできない。ポリーニとピアノ。ポリーニはピアノだ。」と記事は始まります。インタビューはミラノ中心部、ドゥオモにほど近い、けれども喧騒から離れた、閑静で洒落た自宅で行われました。
「1970年からここに住んでいるのよ」とマリリーザ夫人、陽気で寛容な、生涯の伴侶、ミューズ、内気で物静かな芸術家の代弁者。「古いアパートで近所の人達とけんかしたのを、今でも思い出すわ。夫がカーネギーホールに出演することなんて、彼らにはどうでも良かったのよ。」
食事を挟んで会話は様々なことに及び、ミラノのこと、ピアノの師のこと、ショパン・コンクールのこと。友人や出来事のリストは驚くほどで、ノーノ、シュトックハウゼン、ブーレーズ、アバドと、現代音楽辞典のようだ。政治についてはあまり語らない。(略)
笑顔で話したのは新譜のこと。「これはドビュッシーの最後の作品です。珍しいのは、2台ピアノのための『白と黒で』という3つのカプリッチョで、息子のダニエーレと共演したことです。」(一人息子のダニエーレ・ポリーニは、春にCDを出す予定だ。)

「どうしてこれまで、一緒に演奏しなかったのですか?」
ダニエーレには彼の生き方、キャリアがあります。でも今回、良い機会に恵まれました。

「ダニエーレさんが音楽家になりたいと言った時、思い留まらせようとしたのですか?」
とんでもない! 考えが一致しない時、励ましたこともあります。それから自由に、やりたい様にさせました。

「お二人が対立することはなかったのですか? 彼は貴方の好きなレパートリーの方へ向かっているように見えますが」
イエスともノーとも言えます。彼のCDにはショパン、スクリャービンとシュトックハウゼンがあります。例えばスクリャービンは私があまり馴染んでいない作曲家です。

「一方貴方は、父上の仕事をしなかったですね。9歳での初めての演奏会で、すぐに有名になっていました」
建築家になろうと思ったことはありません。音楽への情熱は1960年のワルシャワでのコンクールの後にはっきりと判ってきました。そこでピアニストになろうと決めたのです。

「でも、十分に準備してワルシャワに行き、コンクールでセンセーションを巻き起こしたのですよね」
ええ。でも、絶対に勝とうとか、出世しようとは思っていませんでした。全てのことが、あまり世間慣れしていないうちに、為されたのです。
ワルシャワの後で、演奏家としての未来に向き合わねばならない状態にあることが、判りました。要望がものすごく多かったのです。これらの急を要する要求に、大きな規模のキャリアに向き合うのに、私は応えられる状態にありませんでした。
1年半演奏家活動を中断して、時間をかせぎ、勉強に専念しました。レパートリーを豊かにする必要がありました。モーツァルト、シューマン、ベートーヴェンを学び、それから近(現)代のレパートリーに向き合いました。シェーンベルクの作品、現代曲目で最も重要なブーレーズの第2ソナタ、そして70年代に2つの作品を私に書いてくれたルイジ・ノーノに近づきました。ピアノのための曲を書く気など無さそうだったのに、私がかなり無謀にお願いしたのです。ピアノとオーケストラと声楽とテープのための曲を一つ、それからピアノとテープのための...Sofferte onde serene...を書いてくれました。

「音楽への情熱はどなたから受け継がれたのですか?」
すべて家族からです。父は建築家でしたがヴァイオリンが好きでした。母はピアノを弾き歌を歌いました。母方の叔父ファウスト・メロッティは音楽マニアの彫刻家でした。音楽は家族のDNAにあり、それには近現代へ向かう傾向がありました。家族はドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキーを愛していました。家にはすべての芸術への興味があり、その中で自然に、強いられることなく、吸収し、受け継ぎました。

「スカラ座でのトスカニーニに、最初の電撃を受けたと?」
10歳の時に、夢中にさせられました。でも彼がしたことをしっかり見たり、理解したりは出来ませんでした。ワグナーの演奏会で、プローヴェに忍び込んだのです。
それからは偉大な芸術家、指揮者やピアニストの沢山の演奏会に居合わせるチャンスがありました。ルービンシュタインからギーゼキング、バックハウスからミケランジェリ。当時のミラノには活発な演奏活動がありました。指揮者ではフルトヴェングラーやカラヤンの成功がありました。ミトロプーロスの指揮した「ヴォツェック」を思い出します、世間を騒がせたものでした。

「音楽に夢中になったのは、まずショパンからですか?」
いえ、最初はバッハの受難曲とブッシュ・カルテットによるベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲です。ショパンに行きつくのはもっと後、モーツァルトもそうです。

「貴方が基準点と思われる芸術家は誰ですか?」
トスカニーニ、フルトヴェングラー、ワルター、それに知っている、出会った、その多様性の故に尊敬していたピアニスト達です。ああ、あの頃のピアニスト達は! それぞれ異なった個性を持ち、無二の演奏をしました。今日では皆が似ています。ルービンシュタインとミケランジェリとホロヴィッツ(イタリアには演奏しに来ませんでしたが)、彼らの間の相違はとても大きなものでした・・・。

「貴方の位置は彼らの中でしょう、貴方も比類がない」
いやいや、とんでもない・・・(お世辞を嫌う)。(我々は)ある音楽作品の理念を非常に強く、的確に(独自に)形作り、違った風にはできない程です。過去の偉大なピアニスト達の例は、楽譜を尊重していながら、同一の曲を、どのようにしたらさまざまな異なるやり方で演奏できるのか、判らせてくれます。

「シュトックハウゼン、ノーノ、ブーレーズと貴方の友情は、どのくらい重要だったのですか?」
演奏会に現代作品を載せるのは、まだ決して容易ではありません。それは音楽の商業的流れが、大胆で必要な選択を阻むからです。(以前は)より多く、別の形で行われることが出来ました。出来たこと、為すべきだったことが、今は行われません。
戦後、一連のハイレベルなイタリアの作曲家達が存在しました。ノーノ、ベリオ、ブソッティ、ドナトーニ、クレメンティ、カスティリォーニ、マンゾーニ、エヴァンジェリスティ・・・怖ろしいほどの開花です、が、現在それは決して生かされていません。私達は19世紀に留まることなど、絶対に出来ないのです。

「ロマン主義へ、新調性(Neo-tonale)への回帰があり、多くの音楽院の若者はこの方向に関心があります。現代音楽は感情のギャップを生み出したかのようです」
現代音楽はただ様々な感情を運ぶのです。今日、特にクラシック(古典派?)の作曲家が演奏されますが、さらに古い時代の音楽もあります、モンテヴェルディ、ジョスカン・デプレ、カルロ・ジェズアルド。これらも並外れていますが、完全には活かされていません。もちろん私は新ロマン主義的漂流には熱中しません。あれは後ろへ戻る試みです。

「現在の地点に至るまで、どれだけの犠牲を要しましたか?」
音楽は私にとても多くのものを与えてくれました、学ぶ時間は素晴らしく大きな喜びです。同じ曲を最後まで繰り返し演奏してさえ、音楽の楽しみは何ら奪われません。犠牲など何もありません。

(下手な訳で済みませんm(_ _;)m)

スケジュール表に新しい日程(北京、それに来年のアメリカ!)を加え、発表されたプログラム(ハンブルク、シカゴ、ニューヨーク)を追記しました。

2018年 2月19日 14:00

実り多き年に
初春のお慶びを申し上げます。

昨年はいろいろお世話になりました。このページをお尋ねくださった皆さま、ポリーニのリサイタルのご感想や、CDの情報、ご意見をお寄せいただいた方々に、心より御礼申し上げます。12月半ばに、ネットが繋がらなくなる!!というアクシデントに見舞われ(私のうっかりミスなのですが)、ご挨拶もできずにおりました。本年も(また慌ただしく過ごしそうですが)どうぞよろしくお願い申し上げます。

関東地方は晴天で、風は冷たいけれど陽射しは強さを増して、穏やかなお正月でした。北の方では、強い寒波のため吹雪となったようですが、皆さまお元気で新年を迎えられたことと存じます。

今年は近所のお寺に家族で初詣に行きました。禅宗のお寺で、掃き清められた広い境内、木立に囲まれた庭に、お坊様が一人歩まれているのに出会っただけの、静かな場所でした。孫たちが好きな「おみくじ」も、屋台もなく、初詣らしさ(?)は全くないお参りでしたが、静かに手を合わせて、世界の平和と、社会の平穏と、皆の健康と幸せをお願いしてきました。

さて、今日は1月5日。マエストロは良き新年を、幸せなお誕生日をお迎えのことと思います。
西の空、イタリアに向けて、お祝いの声を送りましょう、心を込めて!

Buon Compleanno!
Tanti Auguri!

マエストロ・ポリーニ、76歳のお誕生日おめでとうございます!

お健やかに、お心のままに、ご活躍されますよう、
幸多き一年となりますよう、心からお祈りいたします。

まず、昨年ご報告できなかったことから、記します。
11月末はパレルモ、12月はローマでリサイタルでした。どちらも熱烈な拍手喝采、満場のスタンディング・オヴェーションを浴びた大成功の演奏会で、アンコールにはスケルツォ第3番が奏されました(パレルモではもう1曲あったかも)。
パレルモでは、舞台上に100席ほどの席が設けられ、恵まれない地域の人々が招待されていたそうです。一方貴賓席ではパレルモ出身で国務院議長のAlessandro Pajnoが鑑賞していたと。また翌日にはパレルモのベッリーニ音楽院の生徒たちとの、音楽を巡る興奮を覚えさせる会談があった、とのことでした。
ローマでも、2700の座席では足りずに、舞台上に100席が設けられたそうです。そして翌日はパルコ・デラ・ムジカの小ホール(サラ・ペトラッシ)にて聴衆との集いを開き、Michele dall'Ongaro(アカデミアの総裁)と対談したとのことでした。
ポリーニの演奏会は、広く多くの人に開かれたもの、若い音楽家たちと交流する機会を作る・・・ポリーニの音楽する姿勢は、若いころと変わりなく、ご自分のお膝元イタリアではごく自然に、そのような催しが行われているようです。

その際の会話か別のインタビューか、よく判りませんが、ポリーニの言葉が紹介されていました。
「ショパンの音楽には忘我の境、殆ど熱狂(興奮、妄想)の瞬間(多分それが輝かしい創作の元だと思いますが)と、一方で作品を完璧なものにする冷静さの間にコントラストがあります。対照的な要素が結びついて、彼の比類ない創作の謎を説き明かすのです。それを演奏するには非常に強い情熱性と、厳しい謹厳性(彼はとことん俗悪さを嫌ったのです)を融合するよう、探求しなければなりません。」
そして、ローマの演奏会の評も「ポリーニとショパン、熱狂と冷静」というタイトルでした。

今年の演奏活動も、イタリアから始まります。
バーリのテアトロ・ペトルッツェリのシーズン・オープニングのリサイタルは、12月半ばにチケットが発売され、数日のうちに殆ど売り切れとなった、とのこと。
2月はスイス(チューリッヒ)を挟んで、レッジョ・エミーリア、ミラノと、イタリアでのリサイタルが続きます。

また、演奏会ではないようですが、1月11日午後、トリノ市リヴォリ町の音楽学校で、"Incontri"という会に登場します。“incontro”とは「出会い」また「会談」という言葉で、音楽学校の生徒だけでなく、音楽愛好者も参加できる催しです。
「クラシックと現代音楽の優れた人達が、現代音楽の歴史を記した偉人たちと対決(検討、討論)する素晴らしい可能性について語る」というようなテーマで、マエストロ・ポリーニが第1回目のゲストです。対話・講演会なのか、演奏を交えての講演なのか、内容はまだ判りませんが、現代の音楽と若い音楽家に対するマエストロの熱い想いを感じさせられます。
ちなみに第2回目はヌリア・シェーンベルク・ノーノ女史が登場する予定だそうです。

2月には新譜のドビュッシー「前奏曲集第2巻」とダニエーレさんと共演の「白と黒で」がリリースされる(2月23日)予定。
10月には、20回目の来日公演が計画されているようです。詳細が判るのはいつになるのか・・・楽しみですね。

今年がマエストロにとって、素晴らしい年となりますように。ファンである私達にも喜び多い年になりますように!

2018年 1月5日 12:40

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