白木蓮が咲き始めると、いよいよ春!と心が弾みます。優しい色合いの乳白色の花が、空に向かって“春が来たよ〜”と歌っているよう。大きな花の伸びやかさにつられて、私も縮こまっていた身体を伸ばして、空を仰ぎたくなります。白木蓮(マグノリア)の花言葉は、『気高さ』『荘厳』『崇高』『慈悲』『自然への愛』など。(そういえば、私の母校の学園祭は「マグノリア祭」と言いました。秋に行われるのに、なぜ春の花の名がついていたのか不思議でしたが、花言葉のような生徒像が期待されていたのかも・・・?)
早くも3月の半ば。進学や卒業、転勤や引越しと、別れと旅立ちの季節です。寒暖が入り混じる気候のように、明るく弾んだ気持ちに、ちょっぴり不安の入り混じる時期でもあります。次に来る新たな出会いの季節を前に、身体も心も、バランスをとって、明るい春を迎えたいですね。
マエストロ・ポリーニは2月にケルンでリサイタルを行い、素晴らしいオール・ショパン・プロで、ソナタ第3番は“great”な演奏だったとのメールがあったことを、掲示板でお知らせしました。その後すぐに、フランクフルトとベルリンのプログラムが同じオール・ショパン・プロに変更になったことを、あるファンの方からお知らせ頂きました(ありがとうございました!)。ショパンの後期作品に集中的に取り組んできたマエストロ、久しぶりに演奏したソナタ第3番に、新たな魅力を見出し、さらなる興味を掻き立てられたのでしょうか。
その直後のロンドンでも素晴らしい演奏会で、特に後半は心が震えるほど美しいものだったと、聴かれた方からメールをいただきました(ありがとうございました!)。前半はショパンの作品、後半にはドビュッシー「前奏曲集第2巻」が演奏され、アンコールは「沈める寺」「スケルツォ第3番」「バラード第1番」の3曲。ご機嫌良く喝采に応えられるマエストロが、目に浮かぶようです。
このプログラムはパリ、アメリカ・ツァー、ウィーンでも披露されるものです。ドビュッシーの「前奏曲集第2巻」は、きっとポリーニにとって、「掌中の珠」のような曲達なのでしょう。いつの日か(近いうちに)究極の演奏がレコーディングされることを、切に願っています。
3月初旬はミラノで「皇帝」の演奏が行われました。前日には、ミラノ近郊の恵まれない地域の人々(若者)への支援を表明し、また年長の愛好者が音楽に接するのを確実にするために、リハーサルが公開され、入場料はAmici di Edoardo Onlus"という貧困問題に取り組む団体に寄付されました。
ミラノ出身の三者、ポリーニ、シャイーそしてスカラ・フィルによる演奏会は素晴らしい感銘を残したようです。シャイーは「コンセルトへボウ、ゲヴァントハウスそしてスカラ・フィル。ポリーニとは“私の”オーケストラでこの曲の共演をしています。ベートーヴェンにおいて厳正さと自由の間のバランスを見出すのに役立つ要素について、私達は一致しています。」と語っています。
ある評をサッと読んでみると・・・
75歳のポリーニは“気楽さ”を拒否し、いつものように明晰な機敏さで曲に向き合い、ポリーニ最高のヴィルトゥオジティで、断固たる、緊張した、美辞麗句でない演奏を行い(無気力ではなく感傷的でもないアダージョは、このために一層魅力的だった)、典型的に「ポリーニらしい」能力で、彼のベートーヴェンの内部に生じてくる音楽を感じさせたのだった。伴奏するシャイーもとても素晴らしく、オーケストラもソロと一体となって、明確で緊密な、堅固な「皇帝」となった。
筆者は左手から舞台を見渡し、指揮台からピアノへの目配りの様子を面白く見ていたが、二人の「同じようにに感じる」様は明らかだった。聴衆もそれを理解し、彼らに称賛を贈った。ポリーニもそれを感じていたと思う。喝采を受けに登場する度に、コンサートマスターと握手を交わし、オーケストラに起立を促すことを忘れなかった。とても素晴らしい夕べだった。
演奏会に先立ってインタビューも行われました。
(ミラノについて)
ミラノ周辺の地域と中心地の融合が課題です。私の父も建築家でしたが、50年代にその試みをしていました。周辺部の地域に、人々を文化的な生活に巻き込んで、新たな機会を提供することが必要です。
ミラノは随分良くなり、活気が戻り、興味深い、新しい考え方が開かれてきました。今の大きな問題は公害です。このような毒を呼吸しては、前に進むことが出来ません。
(「皇帝」は、生涯にわたって演奏する、貴方のキャリアの鍵となる曲の一つですね)
「皇帝」は何度も演奏しましたが、その度に新たになります。より深くなるのです。ちょうど真実の友に出会うように。
シャイーとは既にライプツィッヒでこの曲を演奏しています。この傑作をより理解するのに、とても良い出会いでした。その前には他の大指揮者と演奏しています。ムーティやベーム、バレンボイムやアバドと。
(2013年にアバドと、ボローニャで演奏することになっていましたね)
アバドとは一番多く共演しました。この協奏曲は特別でした。私達は異なるテンポで演奏したかったのです。ずっと取り組んできました。でも彼は重い病気でした。最後まで望んでいたのですが・・・。ハイティンクが彼に代わりました。
(最近のスカラには若いピアニストが登場しています。33歳のタヴェルナ、24歳のラーナ、まだ15歳のマロフェーフ。彼らをどう思いますか)
どの人にも、関心を持っています。新しい世代は注目すべきテクニックの能力を持っています。ピアノは若い人に適していて、他の楽器より近づきやすい楽器です。例えばヴァイオリンに習熟するには、もっと時間が必要でしょう。その為しばしばピアニストは早熟です。私がスカラにデビューしたのは16歳、アルゲリッチに出会ったのは彼女が15歳の時でした。近頃彼女の演奏を聴きましたが、嬉しかったし、感嘆しました。
(ラン・ランやユジャ・ワンの服装は演奏会場よりディスコに向いているようですが)
ええ、古いものにも良さはあるのですがね。燕尾服は確かに古臭いかもしれません。でも聴衆と音楽とに対して敬意を表すのに、品位ある服装は必要でしょう。
(75歳を過ぎられましたが、何歳ごろまで演奏を続けようと思いますか)
さまざまな力が私にそれを許すまで。ピアニストの人生は厳しいですが、音楽には特別なエネルギーを与える効用があります。音楽は長寿の助けになります。不老長寿の妙薬なのですよ。
いつまでもお元気で、素晴らしい演奏を聴かせてください、マエストロ!!