穏やかな秋晴れが続き、我家から見える桜の木も日ごとに枝先から紅葉を増してきました。秋の深まりを感じさせる日々です。異常気象だったこの夏から秋、早い冬の訪れ・・・一雨ごとに寒さを増し、北からは雪の便りも届くころ、長閑な秋を楽しめるのはあと僅かかもしれません。巷ではもうクリスマスのライトアップ、紅葉も夜は青白い光に染められてしまうのが、なんだか可哀想。
マエストロは秋のアメリカ・ツアーを無事に、成功裡に終えられました。
初日のシカゴの演奏会には、"Lovely playing, rote reading"という評がありました。素晴らしい演奏、機械的な読み・・・? 美しい演奏だった、が、早い個所はとても早いが、早いばかりで感情が籠ってはいない、というような評でした。あまり本調子ではなかったのでしょうか・・・。
ニューヨークではどうだったのかしら、体調は如何? と気になりましたが、幾つかポジティヴな評を見て安心しました。
そこへNYの3回の演奏会を全て聴かれた方(羨ましい!)からメールを頂きました。どれも大成功の素晴らしい演奏会で、2回のリサイタルの後にはサイン会も行われ、長蛇の列のファンに対応されたとのこと。マエストロがお元気で、ご機嫌麗しかったようで、本当に良かったです!
最初のリサイタルの評には、"Maurizio who?"というようなタイトルがありました。エッ、なに???
「勿論、有名な“ポリーニ”である。だが、演奏会が終わってまず名前が浮かんだのは“ショパン”であり、“シューマン”であった、それほど作品の真実に迫り、作曲家の心を表した演奏だった」というような高い評でした。アンコールは「革命」、バラード第1番、ノクターン第8番(シカゴも同じでした)。
ショパンの協奏曲は、ミスタッチなどもあり、若い時の輝かしい完璧な演奏とは異なるが、詩情に溢れた美しい演奏だった、ニューヨーク・フィルとは20年ぶりの共演だが、失われた時を越えて再び絆を結んだ、と。ギルバート指揮のオーケストラのサポートも素晴らしかったようです。
ベートーヴェンとシェーンベルクのプログラムでは、音楽の新しい道を切り開いて行った両作曲家の共通性が感じ取られ、アンコールのベートーヴェンのバガテル(op.126の3番、4番)は、シェーンベルクの小品のようにアフォリズム(警句)的であった、と。
「熱情」は以前(2013年)の演奏ほどの恐るべき首尾一貫性は減じていたが、やはり並外れたテンションを維持し、あたかも鋼鉄のワイヤーの巻きが解けていくかのようだった、と。
他の評も、「ポリーニは衰えてきたという批評家もいる、が、そんな不平を言うのは、何十年にもわたる経験が彼の演奏にもたらした賢明さを見失うことになる、それは技巧的にも感情(情緒)面でも、驚嘆すべきもののままである。」そして「ニューヨークは、この素晴らしいピアニストに、可能な限り、シーズン毎に訪れて欲しいと願う。」と結んでいました。
何処も同じ、ファンの願い、ですね。
晴れの特異日と言われる文化の日。芸術の秋、私も少しは文化的でありたいと、青空のもと音楽を聴きに出掛けました。トゥガン・ソヒエフ指揮のベルリン・ドイツ交響楽団の演奏会、久しぶりのサントリーホールです。
曲目はメンデルスゾーン「フィンガルの洞窟」に続き、ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第3番」。ピアノはユリアンナ・アブデーエワさん、とても素晴らしい演奏でした。重厚感のあるオケと対等に渡り合うパワー、見事なカデンツァ、美しい繊細な響きでオケとの対話を楽しみ、協奏曲の醍醐味を味合わせてくれました。アンコールに「雨だれ」。音楽に真摯に向き合う、実力あるピアニスト。5年前のショパン・コンクールの覇者ですが、派手さに流れず、着実に歩みを進めているようです。
休憩後は、ブラームス「交響曲第1番」。柔らかい音から重く底深い音まで、層の厚いピタリと息の合った弦セクション、夢のような美しい音、輝きのある音色の管楽器たち、パワフルな打楽器・・・しなやかな指揮に導かれて、ドイツ的でロマンティックな美しいブラームスを堪能させてくれました。オール・ドイツ・プロで本領を発揮した素晴らしいオーケストラ。アンコールにグリーグの弦楽合奏曲、最後は「フィガロの結婚」序曲の祝祭的な演奏で、充実した時間を楽しく締めくくってくれました。
満たされた気持ちで、サントリーホールを後にしました、また来年4月に来ま〜す! と思いながら。
ショパン・コンクールといえば、今年の第17回は韓国のチョ・ソンジンさんが優勝を飾りました。近年はアジア系のコンテスタントが多いようですが、ダン・タイ・ソン、ユンディ・リに続いて3人目のアジアからの優勝者です。21歳の青年はどんな演奏者に育って行くのでしょう、楽しみです。
今回の更新はスケジュール表に曲目などの変更・追加をしました。日程では来夏のルツェルン音楽祭の演奏会が決まっています。