銀杏の葉が次第に黄色く染まり、小春日和の街を彩っています。秋も深まってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。音楽の秋を楽しんでいらっしゃるでしょうか。
私は・・・。
ポリーニのベートーヴェン・ソナタ全集、8枚組の箱を手にして、楽譜に見入るマエストロの写真を見て、感無量ですv(^^)v
長い間のコツコツとした積み重ねが結実し、ポリーニ自身が目標としていた偉業が完遂されたこと。おめでとうございます、マエストロ!
音楽を愛する人にとって必聴というべき作品達が、最高の演奏で集大成されたことは、音楽の世界をより豊かにするでしょう、本当に喜ばしいことです。
そして私達ポリーニ・ファンにとっては何より素敵な贈り物。cofanettoとは(貴重品を入れる)手箱のこと。「全集」というにはさりげなく小ぶり、でも中身は宝物ギッシリの貴重な手箱です。ありがとうございます、マエストロ!
まず聴いたのは、やはり新譜のCD、作品31と作品49の入った5枚目です。SHM-CDということもあってか、ピアノの音はクッキリと立ち上がり、高音の煌めきも低音の深みも、より増しているように感じます。
演奏は、滑らかなタッチと粒立ちの良い音が美しく、ダイナミクスの対比が生き生きとしてドラマティックな表現を生み、彫の深い雄大なものと感じられます。緩徐楽章の美しさはしみじみと味わい深く、ベートーヴェン特有のものでありながら、ポリーニの心から流れ出たもののように思わされます。
「テンペスト」の旧録音は胸のすくような快演で素晴らしかったですが、新録音も雄渾でいて味わい深く、心を捉えられる魅力的な演奏でした。
ベートーヴェンの創意溢れる第16番は若々しい活気ある演奏。優しい挨拶のように始まる第18番の親しみ深さ、暖かさ。そこにさりげなく潜むヴィルトゥオジティの発露。
ソナティネと言われる第19番の淡い悲しみ、対照的に第20番の活発さ、愛らしさ。感じやすい年頃の少年と少女のような2つの曲。ポリーニの手になると、どの曲もチャーミングな作品だと思わされます。
これから他のCDも順に聴いて行こうと思いますが、さて、どの順で聴くのが良いのでしょうね。第1番から、逆に第32番から、それとも録音順に・・・? う〜〜ん、好きな曲から、ということになるのかもしれないですね。
イタリアではインターナショナル・リリースに先立って、11月4日に先行発売され、数日のうちにポピュラー音楽のチャートに48位で登場し、ポップスのセレブ達に交じって現在41位とのこと。クラシックのジャンルで入るのは稀なことだ、ポリーニにも初めてのことだろう・・・との記事がありました。(確かショパン「ノクターン」もチャート入り(しかも15週間も!)していたと思うのですが、別の集計法なのでしょうか。。。)
全集発売に際してのインタビュー記事もありました。3紙に載っていましたが、共同のインタビューだったのか、ほぼ同じ内容の質問と応答でした。ミックスして少し取り上げてみます。
《なぜ、最後の作品から録音したのですか?》
「夢中になっている曲に没入していたので、他の基準は考えられませんでした。70年代のその時に最後のソナタに一番興味を惹かれていたので、録音したのです。」
「今また後期の作品を再録音することは、あるかもしれません。」
《今、どうして全集として出そうと思ったのですか?》
「その責任があると思うからです。ホールで演奏するよりディスクに対する方がより強い配慮が要ります。ディスクは残りますから。」
《これは決定稿と考えて良いですか?》
「その様に統一性あるものと見なされて欲しいですが、一つ一つの作品はその時々のインスピレーションから生まれたものです。」
《30歳代に演奏した作品111と106を聴いてどう感じましたか?》
「他の人が演奏しているかのように、いくらか距離を置いて聴きました。」
《ベートーヴェンの演奏家として、魅了されたのは誰ですか?》
「卓越した技巧でバックハウスに、ファンタジーと比類ない人間性と即興的なセンスでシュナーベルに。」
「ベートーヴェンの作品を生涯かけて探求してきましたが、まだ研究し尽くすということはありません。」
「ベートーヴェンは32の傑作を以って、我々が人間の精神を語る手助けとなっているのです。」
「いつも少年のように演奏しなければならないと思っています。」
「(人は)演奏する時は、絶対的に若者なのです。そうあるべきです。音楽家は多分年長者でしょうが、ピアノの前では、戸籍簿を脇に置くべきです。そうでなければお仕舞です。」
《貴方のようにシャイで完璧主義の人は、ホールより録音スタジオに籠りたいのではないですか?》
「聴衆の存在は大きいです。コンサートホールで演奏する時、より自然に感じられます。誰かのために演奏するという考えが好きです。スタジオで一人で居ると集中力は高まるかもしれないが、自分で確信する必要があるのです。」
《現在において、ディスクの価値はなんでしょう?》
「とても重要です。時を保存し、知識を支援する、特に現代音楽は何度も聞かれることで理解が深まるでしょう。」
「シュトックハウゼンを録音したいと思っています。」
その他、イタリアの音楽状況への憂慮や、若い東洋のピアニストについて、質問に応えていました。
最後にアバドについて尋ねられて。
「クラウディオについて話すのは辛いことです。寂しいですし、未だに彼の不在を諦めて受け容れることができません。すべてが余りにも急に起こったのです。12月に手術を前にした彼に会いました。身体は衰弱していたけれど、新たな音楽の冒険を企てる希望とやる気は十分にありました。アバドは彼の精神の次元を見つけて行ってしまいました。私は信仰を持たない者です。明日のことが判りますか? ただ科学を信じると言うだけです。」
・・・そして、沈黙。
14日・15日に行われたスペイン、ラ・コルニャでの演奏会を聴きにいらした方から、メールを頂きました(ありがとうございました!)
ダニエーレさんとの共演で、嬉しそうなマエストロ。「息子をよろしく」というかのようにオーケストラへの会釈。そのメンバー達は笑顔で、特にコンサートマスターはしっかり指揮に合わせ、ソリストを立てて演奏し、素晴らしい演奏、とても良い雰囲気のコンサートだったようです。メールから少し引用させていただきます。
「力強く、粒の揃ったクリアなピアノの出だしに圧倒されました。昨年の暮れにハイティンク指揮での折の演奏とは異なり、とにかく圧倒的な量感があり、目の覚めるような第一楽章でした。高音での可憐なフレーズでもどこか男性的な線の太さが感じられ、ウィーンで感じた若々しさよりも、壮年のパワーの頂点に居る皇帝というイメージが湧きました。」
「第二楽章もクリアな力強さが失われる事なく、優美でありながらも甘さに溺れる事の一切ない美しい演奏でした。」
「終楽章は初めの繊細な導入フレーズがいつもよりもはっきりと歌われ、すっかり戦モードに入っていたわたくしにはそれが勝利の勝鬨喇叭に聞こえました。そのあとは躍動感に溢れ、向かうところ敵無し、恐れもためらいもない天下無敵の皇帝でした。ところどころのミスタッチも、まるで戦中の数発の外れ弾、という感じでものともされず、結果は完勝でした。」
聴衆は大喜び、しかしそれ以上にオーケストラの人達とマエストロが嬉しそうだったとのこと。ダニエーレさんの手を取って、幾度も聴衆に向かわせ、オーケストラにも感謝の挨拶を繰り返されていたとのことです。
後半はスーツに着替えて客席で交響曲第7番を鑑賞されたそうですが、「皇帝」の成功もあってかオーケストラもダニエーレさんも、とても素晴らしい演奏をしていたとのことでした。
マエストロが2004年と2007年に、弾き振りでモーツァルトのピアノ協奏曲を4曲演奏したガリチア交響楽団。きっとマエストロが親しみ、信頼を寄せ、メンバーも皆マエストロと演奏することが喜びなのでしょう。インタビューや批評を幾つか目にしましたがスペイン語はチンプンカンプン。でも、素敵な写真が載っていたので、ご覧ください。