時々の雑記帳

音楽のこと、ポリーニのこと、日々の雑感を、
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このほかの日記帳はこちらを、すぐ前のものは「夏」7〜9月を、後のものは「冬」1〜3月ご覧ください。

(10月〜12月)

垣根の垣根の曲がり角・・・
2014年もあと10日をきる、いつの間にかそんな年の瀬になっていました。今日は冬至、明日は天皇誕生日、次はクリスマス・イブとクリスマス、もう後は大晦日〜お正月へと、イッキに突き進むばかり・・・大掃除はいつするの〜? 後で後で。更新はいつするの〜? 今でしょ! まぁ慌ただしく過ぎていく私の1年でした。

今年は1月にアバドさんの逝去という悲しい出来事がありました。マエストロ・ポリーニにとって無二の親友の死はどんなに悲しく、その不在は大きな喪失感をもたらしたことでしょう。悲しみの中でも、共演の予定をキャンセルすることなく代わりの指揮者とともに舞台に立ち、いくつかのソロ・リサイタルを亡きアバドに捧げたマエストロ。音楽を以って友の死を悼み、音楽を通じて自らも癒されていったのかもしれません。

また、7月にはマゼール(84歳)が、8月にはブリュッヘン(80歳)が、9月にはホグウッド(73歳)が世を去りました。それぞれに音楽界に大きな足跡を残し、新風を吹き込んだ巨匠達でした。一つの時代が去っていくような寂しさを覚えます。
音楽の世界にも世代交代は必至のことですが、受け継がれるべきものが守られていき、新たなものが生み出されるような発展の道が、曲がり角の向こうにも続いていると良いですね。

ポリーニは、1ヶ月前の22日、ルツェルン・ピアノ・フェスティヴァルのオープニングを飾り、今年の活動を終えられました。
聴きにいらした方から感想を寄せていただきましたが、ベートーヴェンは強弱の大きな男性的な演奏で、情熱や感情を抑制することなく表出した印象だったとのこと。ショパンは繊細さとエレガントさと明るさが加えられ、クリアな音の美しい演奏。アンコールもショパンの2曲、十八番のノクターンとスケルツォ第3番、これも力強い重厚なショパンだったようです。
この日は街中が濃霧に包まれたルツェルンだったそうですが、ホールは熱気に溢れ、ポリーニも元気でご機嫌も良かったようです。6月にはウィーンの演奏会をキャンセルしなければならないアクシデントがありましたが、無事に復帰され、素晴らしい演奏会で1年の活動を締めくくられて、本当に良かったです。お疲れ様でした、マエストロ。
なお、来年のピアノ・フェスティヴァルの日程も発表されて、マエストロは11月29日、最後の日の登場となります。

マエストロにとって(ファンにとっても)感慨深いのが「ベートーヴェン・ソナタ全集」の完成ではないでしょうか。
最後の1枚をリリースして完成、ということで、一気に「全集」を作った訳ではないけれど、それがいかにもマエストロ・ポリーニらしい、と思わずにはいられません。一時期に集中して32曲に取り組むのも意義あることでしょうし、ポリーニ自身'93〜'94年には各地でベートーヴェン・チクルスを行っています(この時にライブで全集が作られれば・・・)。
でも、1曲ずつ、自らの興味が一番深まった時に取り組んで録音する、その時々の曲の解釈が凝縮された曲集というのも、素晴らしいと思います。39年間、真摯に音楽に取り組む演奏姿勢は変わることなく、どの演奏にも“ポリーニ”の手が、心が感じられる・・・まさにライフ・ワークといえるでしょう。
それにベートーヴェンが、ウィーンに来て間もない1795年から晩年に近い1822年まで、27年をかけて1曲ずつ作曲したものを、長い期間に亘りじっくりと録音するのも、ある意味で自然(?)ではないでしょうか・・・。

「レコード芸術」1月号に新譜評があり、特選盤となっています。また、“クロスポイント〜音楽とオーディオの交差点”というページでも取り上げられています。
「音楽の友」でも諸石氏が今月の1枚として挙げています。

"Che Tempo Che Fa"というイタリアのテレビRAI3の人気番組があります。その21日夜の回に、マエストロが出演され、ベートーヴェンのバガテルをスタジオで演奏されたとのこと。イタリアでもベートーヴェン全集のリリースが大評判になっているようです。この回は他にも多くのゲストが招かれ、レンツィ首相も出演したとのこと。クリスマスの特別バージョンみたいですね。
残念ながらイタリア国内のみの放送でしたが、数日後にはOn demandで見られるようになるそうですから、詳細は後に掲示板でお知らせしたいと思います。

1ヶ月前には長野県白馬村付近で大きな地震がありました。9月には火山の噴火、10月は強大な台風の来襲と、なんだか天変地異を思わせる今年の日本の状況でした。寒さも早くから異常なほど厳しく、大雪の被害も北日本・西日本から伝わってきます。自然の力には怖れと畏れを感じざるをえませんが、それ以上に不安と惧れをを感じるのが日本の社会と政治の状況・・・。2014年が曲がり角だったと、後で思うことになりませんように。
来たる年は、新しい年は、明るい良い年になることを、心より願わずにいられません。
皆様、1年間、なかなか更新も出来ないままに過ぎてしまったこのページですが、お訪ねいただき、ご意見をお寄せいただきまして、本当にありがとうございましたm(_ _)m
どうぞお元気で、佳い年をお迎えください。

スケジュール表にフィレンツェの日程、ルツェルンの日程など付け加えて更新といたします。

2014年 12月22日 13:40

素敵なcofanetto
銀杏の葉が次第に黄色く染まり、小春日和の街を彩っています。秋も深まってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。音楽の秋を楽しんでいらっしゃるでしょうか。
私は・・・。

ポリーニのベートーヴェン・ソナタ全集、8枚組の箱を手にして、楽譜に見入るマエストロの写真を見て、感無量ですv(^^)v
長い間のコツコツとした積み重ねが結実し、ポリーニ自身が目標としていた偉業が完遂されたこと。おめでとうございます、マエストロ!
音楽を愛する人にとって必聴というべき作品達が、最高の演奏で集大成されたことは、音楽の世界をより豊かにするでしょう、本当に喜ばしいことです。
そして私達ポリーニ・ファンにとっては何より素敵な贈り物。cofanettoとは(貴重品を入れる)手箱のこと。「全集」というにはさりげなく小ぶり、でも中身は宝物ギッシリの貴重な手箱です。ありがとうございます、マエストロ!

まず聴いたのは、やはり新譜のCD、作品31と作品49の入った5枚目です。SHM-CDということもあってか、ピアノの音はクッキリと立ち上がり、高音の煌めきも低音の深みも、より増しているように感じます。
演奏は、滑らかなタッチと粒立ちの良い音が美しく、ダイナミクスの対比が生き生きとしてドラマティックな表現を生み、彫の深い雄大なものと感じられます。緩徐楽章の美しさはしみじみと味わい深く、ベートーヴェン特有のものでありながら、ポリーニの心から流れ出たもののように思わされます。
「テンペスト」の旧録音は胸のすくような快演で素晴らしかったですが、新録音も雄渾でいて味わい深く、心を捉えられる魅力的な演奏でした。
ベートーヴェンの創意溢れる第16番は若々しい活気ある演奏。優しい挨拶のように始まる第18番の親しみ深さ、暖かさ。そこにさりげなく潜むヴィルトゥオジティの発露。
ソナティネと言われる第19番の淡い悲しみ、対照的に第20番の活発さ、愛らしさ。感じやすい年頃の少年と少女のような2つの曲。ポリーニの手になると、どの曲もチャーミングな作品だと思わされます。

これから他のCDも順に聴いて行こうと思いますが、さて、どの順で聴くのが良いのでしょうね。第1番から、逆に第32番から、それとも録音順に・・・? う〜〜ん、好きな曲から、ということになるのかもしれないですね。

イタリアではインターナショナル・リリースに先立って、11月4日に先行発売され、数日のうちにポピュラー音楽のチャートに48位で登場し、ポップスのセレブ達に交じって現在41位とのこと。クラシックのジャンルで入るのは稀なことだ、ポリーニにも初めてのことだろう・・・との記事がありました。(確かショパン「ノクターン」もチャート入り(しかも15週間も!)していたと思うのですが、別の集計法なのでしょうか。。。)

全集発売に際してのインタビュー記事もありました。3紙に載っていましたが、共同のインタビューだったのか、ほぼ同じ内容の質問と応答でした。ミックスして少し取り上げてみます。

《なぜ、最後の作品から録音したのですか?》
「夢中になっている曲に没入していたので、他の基準は考えられませんでした。70年代のその時に最後のソナタに一番興味を惹かれていたので、録音したのです。」
「今また後期の作品を再録音することは、あるかもしれません。」

《今、どうして全集として出そうと思ったのですか?》
「その責任があると思うからです。ホールで演奏するよりディスクに対する方がより強い配慮が要ります。ディスクは残りますから。」

《これは決定稿と考えて良いですか?》
「その様に統一性あるものと見なされて欲しいですが、一つ一つの作品はその時々のインスピレーションから生まれたものです。」

《30歳代に演奏した作品111と106を聴いてどう感じましたか?》
「他の人が演奏しているかのように、いくらか距離を置いて聴きました。」

《ベートーヴェンの演奏家として、魅了されたのは誰ですか?》
「卓越した技巧でバックハウスに、ファンタジーと比類ない人間性と即興的なセンスでシュナーベルに。」

「ベートーヴェンの作品を生涯かけて探求してきましたが、まだ研究し尽くすということはありません。」

「ベートーヴェンは32の傑作を以って、我々が人間の精神を語る手助けとなっているのです。」

「いつも少年のように演奏しなければならないと思っています。」
「(人は)演奏する時は、絶対的に若者なのです。そうあるべきです。音楽家は多分年長者でしょうが、ピアノの前では、戸籍簿を脇に置くべきです。そうでなければお仕舞です。」

《貴方のようにシャイで完璧主義の人は、ホールより録音スタジオに籠りたいのではないですか?》
「聴衆の存在は大きいです。コンサートホールで演奏する時、より自然に感じられます。誰かのために演奏するという考えが好きです。スタジオで一人で居ると集中力は高まるかもしれないが、自分で確信する必要があるのです。」

《現在において、ディスクの価値はなんでしょう?》
「とても重要です。時を保存し、知識を支援する、特に現代音楽は何度も聞かれることで理解が深まるでしょう。」
「シュトックハウゼンを録音したいと思っています。」

その他、イタリアの音楽状況への憂慮や、若い東洋のピアニストについて、質問に応えていました。
最後にアバドについて尋ねられて。

「クラウディオについて話すのは辛いことです。寂しいですし、未だに彼の不在を諦めて受け容れることができません。すべてが余りにも急に起こったのです。12月に手術を前にした彼に会いました。身体は衰弱していたけれど、新たな音楽の冒険を企てる希望とやる気は十分にありました。アバドは彼の精神の次元を見つけて行ってしまいました。私は信仰を持たない者です。明日のことが判りますか? ただ科学を信じると言うだけです。」
・・・そして、沈黙。



14日・15日に行われたスペイン、ラ・コルニャでの演奏会を聴きにいらした方から、メールを頂きました(ありがとうございました!)
ダニエーレさんとの共演で、嬉しそうなマエストロ。「息子をよろしく」というかのようにオーケストラへの会釈。そのメンバー達は笑顔で、特にコンサートマスターはしっかり指揮に合わせ、ソリストを立てて演奏し、素晴らしい演奏、とても良い雰囲気のコンサートだったようです。メールから少し引用させていただきます。

「力強く、粒の揃ったクリアなピアノの出だしに圧倒されました。昨年の暮れにハイティンク指揮での折の演奏とは異なり、とにかく圧倒的な量感があり、目の覚めるような第一楽章でした。高音での可憐なフレーズでもどこか男性的な線の太さが感じられ、ウィーンで感じた若々しさよりも、壮年のパワーの頂点に居る皇帝というイメージが湧きました。」
「第二楽章もクリアな力強さが失われる事なく、優美でありながらも甘さに溺れる事の一切ない美しい演奏でした。」
「終楽章は初めの繊細な導入フレーズがいつもよりもはっきりと歌われ、すっかり戦モードに入っていたわたくしにはそれが勝利の勝鬨喇叭に聞こえました。そのあとは躍動感に溢れ、向かうところ敵無し、恐れもためらいもない天下無敵の皇帝でした。ところどころのミスタッチも、まるで戦中の数発の外れ弾、という感じでものともされず、結果は完勝でした。」

聴衆は大喜び、しかしそれ以上にオーケストラの人達とマエストロが嬉しそうだったとのこと。ダニエーレさんの手を取って、幾度も聴衆に向かわせ、オーケストラにも感謝の挨拶を繰り返されていたとのことです。 後半はスーツに着替えて客席で交響曲第7番を鑑賞されたそうですが、「皇帝」の成功もあってかオーケストラもダニエーレさんも、とても素晴らしい演奏をしていたとのことでした。

マエストロが2004年と2007年に、弾き振りでモーツァルトのピアノ協奏曲を4曲演奏したガリチア交響楽団。きっとマエストロが親しみ、信頼を寄せ、メンバーも皆マエストロと演奏することが喜びなのでしょう。インタビューや批評を幾つか目にしましたがスペイン語はチンプンカンプン。でも、素敵な写真が載っていたので、ご覧ください。


今回の更新は、来年のザルツブルク音楽祭の日程と、幾つかのプログラム、ルツェルンのアンコール曲を追記しました。

2014年 11月24日 13:30

久方の光りのどけき秋の日に
やっと穏やかな秋晴れの週末を迎えられました。
9月末には御嶽山の噴火、次は台風18号、続いて更に大きいスーパー台風19号と、日本列島は「天変地異」に襲われ続けました。
穏やかな秋、とはいえ冬の足音とともに高山での捜索は打ち切らざるを得ず、台風や洪水の残した爪痕もまだ回復されない状況です。被害に逢われた方々、ご家族に、心からお見舞い申し上げます。
大きな自然の力の前には人間は無力だと、怖れと畏れを抱かざるを得ません。でもまた、今日のような陽射しには、自然への感謝の気持ちが湧いてきます。温もりある日々が続きますように、多くの人に自然の恵み、慈しみが届きますように。

10月はポリーニの、ほぼひと月にわたるアメリカ・ツアー。2つの日程が終わりました。

ボストンでは2010年以来の登場、Celebrity Series のオープニングを飾りました。「堂々とした(王に相応しい)シューマンとショパン」「卓越した熟練と情熱」というような評がありました。
前半のシューマンは「クライスレリアーナ」の燃焼度がとても高かったようで(「アラベスク」はそれに引っ張られてか、少し性急なペースだったようですが)、緩やかな楽章には温もりがあり、恍惚とする美しさが張りつめたフレーズに絞り出された、一方速いパッセージでは大波のようなスケールも、落下するアルペッジョも危険きわまるペースで演奏し、シューマンの厳しい技巧上の要求に対し妥協することはなかった。シューマンの嵐のようなロマンティシズムが火を点けられ、ここには全て挑戦的な栄光があった・・・と。
後半のショパンは、ソナタの4つの楽章に統一性を持たせようとする読みの深さがあり、葬送行進曲を予示するような音色で始まり、その行進曲は一心に揺るぎない集中力で大きな構築物のように奏され、終楽章は他のピアニストからは聴いたことのない “(経帷子で)覆われた(?)”音色で一気に弾かれた、と。
子守唄は多彩な音色、滑らかなレガート、金銀細工のようなフレーズは真珠で飾られたように美しく、英雄ポロネーズでは、ペダルが多く音が濁って感じられたが、ポリーニの壮大なビジョンが好もしい豊かさをもって示された・・・と。
満場の轟く拍手に応えて、2曲のアンコール。ノクターン第8番は子守唄の輝く音の世界へ再び誘い、スケルツォ第3番にはポロネーズの豊かな妙技がみなぎっていた。
最初のうちはミスタッチなどもあったようですが、結局、ポリーニの調子の良い時は、本当に素晴らしい、比類ない演奏だ!との評でした。

1週間後の日曜日はニューヨーク、カーネギーホールでのメトロポリタン・オペラ管弦楽団との演奏会でした。
ジェームズ・レヴァインの指揮でモーツァルトの協奏曲第21番。1歳年下のレヴァインとは2008年に初共演した後、2011年の共演予定がキャンセルとなり、2度目の共演となります。METとは初共演でしょうか・・・。
この演奏会には絶賛評と辛口評があり、前者はホール中の感動を伝え、後者では、ソロと指揮の齟齬を挙げていました。
ポリーニは年と共にますます勇敢な思索者になり、知的なビジョン遂行への意欲は強く、時に自らの技巧をも越え、構造の限界を破りかねないほど。終楽章で、レヴァインはあくまで形式にこだわり、脱出を試みるポリーニと衝突してしまった。優雅さがモーツアルトの指揮の合言葉なのに、弦楽器は音が重くなり、木管楽器の細部はぼやけて、これは非常に優雅さを欠いたものだった・・・と。
もう一つ、後半の演奏曲であるマーラーの交響曲第9番のことばかり書いた評がありました。「なんでなの???」と思って最後の方を見ると・・・。この日ニューヨークでは「コロンブス・デー」のパレードがあり、交通機関の混乱に巻き込まれて、演奏会場に2分遅れて到着。多くの観客が扉の前で休憩まで待たされた、とのこと。「エルヴィラ・マディガン」だったのに・・・。それはお気の毒でした。

22日水曜日にはプリンストンで演奏する予定でしたが、残念なことにこの演奏会はキャンセルとなりました。高齢のため体調を気遣って、とのことです。マッカーター・シアターは2011年に続き、ポリーニの初登場をまたも逃してしまいました。実は3度目のキャンセルだそうで、関係者はとても残念がっていたと、問い合わせた方から聞きました(大切なお知らせを、ありがとうございましたm(_ _)m)。
毎週日曜日の午後3時からの演奏会。ポリーニにとって、アメリカでの良いコンディションを維持する時間、演奏会に臨むのに良い間隔なのでしょうか。今日はニューヨーク、来週はシカゴでのSunday afternoonリサイタル、素晴らしいものとなりますように!
(日本でも日曜日午後のリサイタルなど、聴いてみたい気がしますネ。)

今回はスケジュール表に来年1月のジェノヴァの日程、発表されたプログラムなど追加しました。またDVDのリリース、CDのリリース(予定)も付け加えました。

2014年 10月19日 15:00

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