若い柔らかい緑が次第に濃さを増して、強さのある緑になってきました。我が家付近には銀杏の街路樹があるのですが、いつの間に?と思うほど青々とした葉を付けた木々の列となっていました。この木は晩秋の黄葉を愛でられますが、扇形の小さな葉が次第に育ちながら色づいていく、初夏の緑の光景も良いものです。でも今年の春は、寒さが続いたり、急に夏の暑さになったり、激しい雨や強風・突風が多くて、本当に心地よい長閑な春の時を味わえなかったような気がします。そしてそろそろ走り梅雨とか・・・ちょっとユウウツな季節ですが、皆様体調に気を付けてお過ごしください。
マエストロのアメリカ・ツアーも無事(とっくに)終了、今はミラノのご自宅でゆっくりしていられるでしょうか。3年ぶりのツアーは、マエストロにもファンにも、感慨深いものだったことでしょう。
演奏会評、感想をいくつか読みましたが、ショパンとドビュッシーのプログラムでは、ショパンの演奏に辛い評が多かったようです。美しい音、衰えぬ技巧で見事だが、曲を解明して見せているようで、どうも心に訴えてこない(ストラスモア)、一方カーネギーでは、技巧的に不安定で、しかも弾き急いでいるようで十分楽しめない、などと。
けれど後半のドビュッシーはどの日も素晴らしかったようで、前半に感じた満たされなさを補って余りある(NY)、反ポリーニ派も脱帽だろう(ストラスモア)などと有りました。カーネギーホールでは3曲のアンコールがあり、特に「革命のエチュード」がこの日のハイライトになったようです。
ベートーヴェンのソナタの日は、1曲目の「悲愴」ではミスタッチもあったものの、ポリーニの音楽へ注ぎ込む強烈さがそれらを気にならなくさせた、と。次第に調子が上がっていき、「ワルトシュタイン」は強い風の吹く明るい春の空のよう。22番はちょっと早過ぎて音楽を楽しむ暇がないほどだった。そして最後の「熱情」は熱と気迫のこもった素晴らしい演奏で、満場の聴衆のスタンディング・オヴェーションを引き起こしたそうです。アンコールはバガテル2曲。
ムーティと共演したモーツァルトの協奏曲は・・・日に依るのかもしれませんが、一方ではとても美しい磨かれた音色が際立っていた、他方ではひどい音だ、ホールのピアノを使えば良かったのに、などと異なる評価が出ていました。
好評の方を読むと、ポリーニの貴族的な優雅さにムーティは豊かな洗練さをマッチさせてよくサポートし、シカゴ響の管楽器もポリーニのしなやかなフレーズに合わせて歌に満ちた共演となった。有名な"Elvira Madigan"は「冷静」とか「感情が少ない」とポリーニ言われる批判を論破するもので、決してicy"などではなかった、とのことでした。第3楽章はもう少しテンポが緩かったら、オペラ・ブッファの魅力とウィットを味わえただろうに、と有りましたが、ポリーニは彼のプレストで駆け抜けたようです。
久しぶりの来訪ということで、インタヴュー(David Mermelstein氏)も行われました。簡単に訳してみます。
洒落たホテルのスィートルームにて、1時間半の対話。粋なダークスーツとネクタイで、愛想良く、穏やかに、小さなジェスチュアを交え、時には沈黙も交えながら。長年慣れ親しんだタバコは止めたようだが、落ち着きの無さなどが表面に出ることはなかった。
彼の芸術的資質について。
"aristocratic"(貴族的) というレッテルは、その言葉のあるニュアンスを彼は好感しないとしても、彼に喜ばれた。
「ありがとうとしか言えません。ええ、受け入れますよ。ピアニストとして私が何であるか、それを言うのは私ではないですが。でもこれはとても良い賛辞です。」
しかし、「光沢ある、ステンレス−スティールの摩天楼」と評したデヴィッド・デュバルの言葉には、反発した。
「全く違います。私の演奏を人それぞれ好きなように見てかまいません、でも私は自分と自分の演奏について、全く別の考えでいます。音楽へのクール・アプローチは確かに私には向いていません。これは音楽作品の力をおそらく制限するでしょう。客観性はある方法を以て理解できます。私は音楽にそれ自身で語って欲しいのです、しかしクールに演奏された音楽は十分ではありません。超然としていることは間違いでしょう。」
ポリーニの父は優れた建築家であり、構造をしっかり把握する彼の演奏をそこに結び付けようとする意見もある。だが、ポリーニはそれを強調することには反対だ。
「ベートーヴェンのソナタには、しばしば建築のようだと言われますが、それはベートーヴェンの作品にはとても強い構造があるからです。でも、その驚くべき建築の強さを実現するのに、人(演奏者)の助けは必要ありません。作曲家が(人に)望むのは、音楽のそれぞれの主題と内にある性質を理解することなのです。構造はもうそれ自体で強いのです。」
長いキャリアで、ポリーニのレパートリーはとても広い、が、コンクールで優勝して以来ショパンの作品に親しんで来た彼にとって、その魅力が色あせることはなかった。
「とても人気があるにも関わらす、ショパンは大きな謎です。ルービンシュタインは“誰もが彼を聞いて知っている”と言いましたし、それは本当です。でも彼の訴えかける内面的な要素は、とても謎に満ちています。ショパンは、秘かな思索の潜まぬ音楽は大嫌いだ、と言っています、しかし彼は内面的な要素を見せるのも、公表するのも、好まなかったのです。」
作曲家の意図を解読する(あるいはしようとする)ことは、演奏家としてポリーニを刺激するのみならず、彼の内面生活を形作るのにも役立つ。
「ショパンの『葬送ソナタ』の終楽章のことを考えます。作曲の時にショパンが何を考えていたかは我々には判らないけれど、演奏すればいつも、力が大きな衝撃と共に伝わってきます。私はこれらの作品と一緒に生きて演奏会で弾くのが好きですが、ただそれらを研究するだけでも、いつもそれらと関かわっているというのも好きなのです。」
器用なリズムのセンスはもとより、ダイナミクスを扱う驚くべき能力など彼のピアニストとしての特別の才能は勿論だが、ポリーニは音についてもよく考えている。
「きっと他の誰よりも、ショパンはこの楽器の音を良く認識して(センスを持って)いたでしょう。しかし彼にとって音の美しさは、彼に注意を払わせるために、聴衆をとりこにする手段でした。同じことが素晴らしく豊かな彼の旋律の想像力についても言えるでしょう。ショパンは、ベートーヴェンと同じように、聴衆の耳にとても強く留まるテーマを創り出す能力がありました。彼らはこれほど異なる作曲家でしたが、この素晴らしい性質を分かち持っていたのです。」
彼の演奏はその活力を持ち続けているし、これまで年齢によって譲歩したことはないと言う。
「私のレパートリーは変わりません。私は今まで弾いてきたどの作品も(弾くのを)やめません。そして新しい作品が付け加わることを望みます。」
ドイツの作曲家ラッヘンマンの作品の完成が遅れていると伝えられている。
「新しい音楽の最高の作品は、大きな内面的なフィーリングと力を持ち、表現力に満ちています。これは過去の偉大な音楽とそれらが分かち合う何かなのです。」
しかし年月が進むにつれ、別種の変化が齎される。
「一般に、私が弾いたすべての作品の解釈(演奏)は時とともに発展します。さもなければ、新たになるものもないでしょう。音楽作品を見るときはいつでも、小さな相違があります。異なる考えというよりは、人生がその相違を作るのです。時には異なる着想があります。それは突然生じるし、それは良いことです。でも、音楽への熱中は、概して、何が新たなものをもたらすか、なのです。」
DAVID MERMELSTEIN Journal on classical music and film″
今回の更新では、マドリッドの曲目、ベルリンの新日程、NYのアンコール曲を付け加えました。