時々の雑記帳

音楽のこと、ポリーニのこと、日々の雑感を、
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(10月〜12月)

Pollini Perspectives 2012 第四日
“Perspectives Pollini 2012”が無事に、成功裡に終了しました。今年の春以来、健康を心配されたマエストロだっただけに、安堵感と、虚脱感。
終わってしまった寂しさ、でもそれ以上に、深い感動を味わえた幸福感に浸って、ボーッとした日々をしばらく送りました。そして今は、素晴らしい音楽を聴かせてくれたマエストロに心から感謝するばかりです。

闇に包まれ、一人光の中でピアノを演奏するマエストロが、宇宙の中心のように思え、ホール全体が一つになったような気がした時、目頭が熱くなりマエストロの姿がにじんで見えました。「この時のために、生まれて来たんだ・・・この音楽を聴くために」そんな想いがフッと浮かんで来て。ソナタ第32番の第2楽章を聴いている時でした。
ベートーヴェン後期作品を特徴づける“カンタービレ”ですが、こんなにも美しかったのかと、驚嘆するほどでした。丁寧な、心の籠った演奏は、ベートーヴェンの心の声に耳を傾け、親密に対話しているかのよう。
ポリーニのピアノの音は澄み切って、表現は感傷性や装飾性を排したものですが、その真摯さ、自然さの中に、人間的な温もりが感じられました。

「心より出でて、再び心に戻らんことを」という言葉(「ミサ・ソレムニス」に添えられた)のように、ベートーヴェンの心から生まれた音楽が、ポリーニの心を打って共振し、その響きが彼の手を通じて聴衆の心にまで届いたように、感じられました。

                                       ☆

なに気なく、という風に始まる第30番は、気負いなく自然に流れ出しましたが、ピアノの音の美しさによって、すぐに音楽に惹き込まれました。粒立ちの良い、明晰な音。強い打鍵で、けれど荒っぽさや粗さはない短い第2楽章。フィナーレのカンタービレは旋律が十分に歌われた美しい音楽でした。ピアノの音には温かみが籠って、静かに心を潤していくよう。緊張して聴いていながら、自然にホッと溜め息が出そうな、安らぎのある音楽でした。半ば辺りからでしょうか、ポリーニがグッと曲に入り込んできたのが感じられました。より力強く、鮮やかに、共感を増しながら演奏され、頂点へと至る音の輝かしさ。ステンドグラスからこぼれ落ちる赤や緑や黄の光の粒のような音の滝。その煌めきに恍惚とさせられました。これまでの3回よりもポリーニの好調さが窺われます。

その好調さのままに、第31番は初めからポリーニの本領が発揮された演奏でした。澄み切った音で歌い出される味わい深いテーマ、トリルや細かい音の粒の美しさ。繰り返されるにつれ次第に大きさを備え、喜びが満ちてくる音楽。
第2楽章はベートーヴェンらしい激情の音楽ですが、リズム感良くアッという間に過ぎ去り、次の長いフィナーレへと進みます。「嘆きの歌」の悲しみの旋律、深みある響きの美しさに胸が締め付けられます。続くフーガの力強く、構築的なこと。悲痛な歌の再現、そして連打される和音に続くフーガの再登場。輝かしく曲が進むにつれ、展開してゆく音楽の息苦しいほどの大きさに、圧倒されてしまいました。

今回は1曲演奏し終わるごとに一旦袖に戻るマエストロ。充実した傑作のソナタを2曲も弾いたのだから、最後の1曲は少し間をおいてからでも良いのに・・・。
少し間を、と思ったのは、これが今回の来日の最後の曲だと思うと、聴くのが惜しい(?)ような気がしたから。そして、ここまでの感動を少し鎮めて、気持ちを整理して、臨みたいから。それに・・・もしかしたら、ポリーニの生の演奏に触れる最後の機会かもしれない、と、時の経つのを怖れる気持ちがあったからです。でも、すぐに舞台に登場したマエストロは、そんな感傷を吹き飛ばし、さらなる感動へと導いてくれました。

ソナタ第32番。第1楽章の、運命と格闘するかのような激しい音楽は、内奥に潜む孤独の深さを伺わせながら、凄まじい緊張感を持って、精魂込めて演奏されました。轟く低音の響きと、光が渦巻くような高音の煌めき。深淵から天まで駆け巡るような激しさの内に、ふいに浮かび上がる心からの歌。身じろぎも出来ずに聴き入りました。
そして第2楽章のアリエッタ。澄み切ったピアノの音で奏される静かなテーマは、温もりを持ち、心の内に涙のように懐かしさが溢れてきます。変奏の技巧を尽くし、粋を尽くして、音楽は大きさと深みと高みを得て、別次元の宇宙へと飛翔するかのようでした。
以前の演奏でこのアリエッタを聴いた時、ポリーニが一人天の高みへ昇って行き、演奏の終りとともに地上に戻って来た、そんな孤高の姿を見たように思いました。でも今回は、ポリーニの手によって、ともに天の高みへと、ベートーヴェンの音楽の核心へと誘われ、別の宇宙へと行ったような、そんな奇跡のような感覚、感動を味わいました。
究極の音楽の、稀有な名演奏でした。孤高の人ベートーヴェンの全ての思いが詰まった曲。その全てを全身全霊で受け止めて、至純な、至高の音楽として魂を込めて響かせたポリーニでした。

ポリーニ健在!と前に書きました。けれど今はそれに加えて、ポリーニは進化した! 深化した! と言いたくなります。

若い日に(1978年頃)ポリーニがベートーヴェンのソナタ後期5曲をまずリリースした時、「この曲は、年を取って経験を積んだ巨匠が録音するものだ」「(初期や中期の)もっとポピュラーな作品を録音すれば良いのに」というような批判(?)がありました。ポリーニはインタビューで「後期ソナタは本当に重要な作品だから、若い時から繰り返し演奏した方が良いと思う。そうすれば年を取ってもっと良い演奏ができるから」というようなことを述べています。
そして、その通りに、探求しつつ演奏し続けてきたマエストロは、今や稀有の演奏、奇跡のような演奏で、ベートーヴェンの深い真実を、我々に聴かせてくれるのですね。ポリーニと同時代に居られたことを、その演奏に触れ得たことを、感謝せずにはいられません。

                                       ☆

前半のシャリーノ作品については、やはり判らなかった・・・のですが、「楽器」として発せられながらも、人の声には魅力がありました。器楽も声楽も超一流の演奏者達なのでしょう、緊張感あふれる演奏でした。ダニエーレ・ポリーニさんのピアノの音色も、キラキラと澄んで美しかったですね。
翌日のPerspectives 最終日、シャリーノの声楽(アカペラ)も聴きに行きました。芭蕉の俳句をもとにした曲で、こちらは、やはり判らないながらも、7人の高低の声の饗宴を、少し楽しめ(?)ました。
マエストロ・ポリーニも勿論来場されて、演奏後はシャリーノ氏や出演者達と熱心に言葉を交わしていました。

Grazie mille, Maestro !! Arrivederci !!

黒いコートに身を包んで、ご家族と共に歩み去るお姿を見送って、私のPollini Daysも終わりを告げました。

2012年11月20日 14:40

Pollini Perspectives 2012 第三日
少し家を出るのが遅れて、ギリギリの時間、寒い風の中を急ぎ足でホールに向かいました。いつもより人影の少ないホール、もう皆さん席に付いているのかしら? と思いましたが・・・、今日はちょっと空席の多い客席でした。“ハンマークラヴィーア”の日なのに。

ラッヘンマンの曲を聴くのは初めてです。その弦楽四重奏曲第3番“Grido(叫び)”は、弦楽四重奏のイメージとは、全く異なる曲でした。
美しいヴァイオリンの歌も、ヴィオラの暖かい音色も、チェロの落ち着いた響きも、四つの楽器による親密な対話も、調和のハーモニーも、なにも無い曲でした。
代わりに有るのは、楽音とは思えない響き、神経を逆なでするような音、聞こえない程のかすかな音、威嚇するような低音のうなり。特殊奏法が多用され、あるかなきかの音量の擦過音(大きなホールの後方でも聞こえるのか、或いは別の響きが聞こえてくるのか?)や、楽器のボディを擦る音、叩く音。
これって、音楽? けれども4人の演奏者は集中力十分に、緊張感一杯で演奏していきます。親密な対話はなくとも、緊迫した遣り取りは有り、調和のハーモニーはなくても、不協和の衝突は有り、間の静寂も含めて、四重奏は確かに為されているのです。特殊奏法で楽器から引き出しているのは、未知の可能性、新しい響き。この音で、この方法でなければ、表出できないものなのでしょう。
ベートーヴェンの作品が「旧約聖書」、バルトークの作品が「新約聖書」に喩えられる弦楽四重奏ですが、これは「黙示録」とでも言われるようになるのでしょうか・・・。
でも私は、ヴァイオリンって、こういう音を出すために作られたの?ストラディヴァリウスさんが聴いたら嘆くでしょ?などと懐古的(?)なことばかり思い、ついムンクの「叫び」を思い出して、耳を覆いたくなったのでした。やはり現代音楽は、私にはムリ。。。。

一旦休憩が欲しい気分でしたが、すぐに譜面台や椅子が片づけられ、マエストロのピアノが引き出され、据えられます。
ベートーヴェンの後期ソナタの日、まず第28番から。舞台に出るマエストロはお元気そうで、椅子に座るとすぐに弾き出します。美しい音。日に日に透明度を増し、輝きが加わるようです。でもテーマの出だしからやや低音が重く感じられ、高音部の美しい憧れに満ちた歌をもう少し聴きたかった・・・気がしました。第2楽章の行進曲はいびつ(?)なリズムで快活に、力強く展開され、第3楽章はしみじみと深みある歌が奏され、ベートーヴェンの緩徐楽章の味わいが伝わります。最初のテーマが回帰しトリルを経て第4楽章が決然と開かれる、その運びは絶妙でした。この箇所は、夕空に星が一つ二つと瞬きはじめ、次第に暗さを増していく空に深い闇が訪れ、やがて満天の星が輝き出す・・・ようなイメージを私はいつも抱くのですが、思わず瞼を閉じて宇宙の星々の煌めきを想起するような、美しい音の輪舞でした。やがて朝の覚醒を促すような、終結部のコミカルで優しいフレーズ、清々しい響き。
いくつかミスタッチはあったし、それを少し気に掛ける風でもあったマエストロでしたが、やはり素晴らしい演奏でした。ベートーヴェンのソナタの中でも一番(沢山あるけど)好きな、なぜか懐かしさを覚える曲を、ポリーニの手から、生の音で聴けて、本当に嬉しくて満足でした。

しかし、休憩後にはまた驚異が待っていました。これぞポリーニの真実!と思えるような「ハンマークラヴィア」だったのです。
この大曲、難曲を隅々まで熟知し、掌中の玉のように愛する大切な曲を、喜びを持って弾いているかのマエストロ。輝かしい音はさらに煌めき立ち、深みある音はさらに力強く、真昼の光の中に壮大な伽藍が立ち現れるような演奏でした。
一音一音が吟味されたタッチと音量で、神経を集中し心を込めて演奏された音楽。そうして奏でられる第3楽章の深みのある音楽はなんと美しかったことか! ベートーヴェンの精神がポリーニに降臨したかのように、共感を持って、丁寧に優しく温かく奏されました。第4楽章は、透明な美しい音で明晰なフーガが鳴り響き、もう“圧巻”と思うばかりでした。

ベートーヴェンのソナタのみでなく、古今のピアノ曲の中でも最も長大で、演奏会で取り上げるには体力も精神力も非凡なものを要する難曲。聴衆も聴くのに“疲れる”ような気がする大曲。
でもポリーニは、しばしばリサイタルで取り上げています。初期・中期のソナタと組み合わせて、またシューマンやショパンの作品と、そして勿論現代音楽とも。きっと、この曲の価値を誰よりもよく知っているからなのでしょう。
新しいピアノを得たベートーヴェンが、音域の広がりだけでなく、ピアノによる表現にも限りなく大きな領域が開けていることを示した、と。時代を超えて受け継がれ、発展していく道を開いた、と。後の時代の、自分の道を探る音楽家達に、大きな励ましを送っている、と。

Perspectivesも終りに近づき、マエストロの演奏はあと1回のみとなりました。最後の3曲のソナタ、ベートーヴェンの至高の音楽を、ポリーニの手から聴ける・・・本当に、楽しみです、ネ。

2012年11月12日 22:40

Pollini Perspectives 2012 第二日
早くも11月を迎え、Perspectivesの2日目は、よく晴れて陽ざしは暖かいけれど、空気の冷たい日でした。夜には木枯らしが吹くかも、と言われて、寒さに身構えて家を出てきたのでした。
ホールはいつものように明るく温かい場所でしたが、前回よりは落ち着いた雰囲気。やはり2年ぶりにマエストロを迎える初日の、あの熱気は特別だったのね、と思ったりもしました。でも、ほぼ満席(途中入場も含め)のホールは、期待感に満ちていました。今日は“オール・ポリーニ”の日ですものね。

前半にシュトックハウゼン2曲とベートーヴェンのソナタ2曲、「テレーゼ」と25番。休憩後にまたソナタ2曲、「告別」と27番という、ちょっと変わった構成です。

舞台には譜面台のついたピアノ、譜めくり者用の椅子も用意されています。開演のベルが鳴り、照明が暗くなり、あまり待つことなく楽譜を抱えたマエストロが登場しました。前回より身のこなしなど、お元気そうに感じられます。眼鏡を取り出して、掛けて、さあ、始まりです。
ピアノ曲VII番は、ポツ、ポツと1音(or和音)ずつ点描風に弾かれる曲。最初の一音からピアノの響きが美しいことに驚かされます。濁りない響き、立ち上る音、輝きのある音。指の動き、奏法もさまざまに、響きの作り方に細心の注意が込められて、間の取り方、呼吸すら統御されたような、集中力の極みの時が過ぎていきました。響きの実験? 新しい音の探求? 音楽としては、やはりよく判らない・・・ながら、目(幸い指の動きが良く見える位置でした)と耳を凝らして、聴き入りました。
すぐ続けてピアノ曲IX番。この曲を聴くのは、3回目です。2002年に最初に聴いた時の衝撃は忘れられません。痺れるような感覚で「もう一度聴きたい!」と思ったのですが、2005年のプロジェクトUでその望みが叶いました。そして今回。延々と続く和音の連打、強い打鍵からディミヌエンドしていくその精妙さ、同じ音の連なりなのに時に響きが異なる面白さ。その後に続く低音部の地鳴りのような轟きや、高音部の輝かしい、まるで光を発するかの音に耳を捉えられ、全身で聴き入りました。緊張しているのか陶酔しているのか判らない自分の感覚。本当にピアノの音? ピアノを超越した音? などと思いながら。マエストロの集中力は凄まじいほどで、強打も、ソフトなタッチも自在に、精巧に、精緻に弾き進めていきます。でも時々譜めくりの人に合図をしたり、余裕も垣間見られました。以前譜めくりを担当した方の文がプログラムに載っていましたが、今壇上にいる彼も、きっと苦難(?)を乗り越えて来たのだろう・・・などと思いながら、舞台の光景を見ていました(お疲れ様でした)。
割れるような拍手喝采。近くの席の方が「ポリーニは現代音楽の伝道師だ!」と呟くのが聞こえます。本当に、ポリーニの弾くシュトックハウゼンは、魅力的、というか蠱惑的! もっと聴いていたい、もう一度聴きたい、と思ってしまうのです。

一旦舞台を下がり、またすぐに登場してベートーヴェンのソナタ。「テレーゼ」は静かに流れ出し、音は澄み切って美しく、今までシュトックハウゼンで緊張していた心身が融けていくような感覚を味わいました。癒される、と言うのでしょうか、ああ、やっぱりベートーヴェンは良いなぁ・・・。優しく歌われるカンタービレ。簡潔に纏められたアレグロ。これまでよく23番「熱情」とともに“対”のように演奏されてきた24番ですが、この曲は明らかに「熱情」以降の進む道を示している曲なのですね。
25番はベートーヴェンの茶目っ気みたいなものを感じさせる、どこかコミカルな、明るい曲。ポリーニの手で弾かれると、「ソナティネ」とも題されていた小曲も、創意に満ちた大きな作品に聴こえてくるから不思議です。第二楽章のしんみりした情緒の歌は心に沁み入り、短い終楽章は、子供が無邪気に戯れているように、楽しげに駆け抜けました。

休憩後の「告別」ソナタは、1986年来日で「青少年のためのコンサート」で演奏し、NHKで放映されました。が、その時の「熱情」があまりにも素晴らしくて(この映像でファンになった方も多いでしょう)、「告別」も見事な演奏だったのに、私には余り印象に残らなかったのです。そしてそれ以後、プログラムに載ることのなかった曲、日本では26年ぶりの演奏です。
前半よりもさらに調子が上がり、安定した技巧で音の煌めきも美しく、ベートーヴェンの世界が確固として立ち上ります。3つの楽章それぞれに心情が込められた演奏でしたが、特に第2楽章の深々とした味わいは、澄んだ音と相俟って、心打たれるものでした。喜びが溢れる終楽章はキラキラした音が駆け巡り、最後の大きな安堵感は、私には幸福感を齎しました。
第27番はこの日唯一の短調の曲。暗い色彩の分厚い和音に始まる曲は、ベートーヴェンの“運命”的な情念を表すかのようでいて、しかし次第に悲哀の籠った寂しげな、優しい音に埋められていく、ちょっと不思議な感覚の曲。第2楽章のたおやかなカンタービレは、次第に深みを増して、静かに心を潤します。ベートーヴェンの緩徐楽章は美しいだけでなく、心の奥底に懐かしさを呼び覚ますよう。ポリーニのピアノの美音はその思いを一層深めます。立ち去り難いような、振り向きたくなるような、逡巡を経て、静かに閉じられる曲を、ポリーニは絶妙に弾き終えました。

ワ〜〜ッ!と沸き立つ拍手は、ここでは相応しくない、でも、聴衆は心からの拍手を惜しみなく送りました。でも、今日もアンコールは無いだろうな、と思っていたのに、何度目かの登場の後、にこやかにピアノに向かうマエストロ。6つのバガテルop.126の3番が、次には4番が奏されました。思いがけないプレゼントを貰ったような嬉しさ。でも、今思うと、この夜の終え方として実に相応しい2曲のアンコールだったような気がします。

今回の4曲のソナタは、作品78、79、81a、そして作品90。「告別」は別として、あまり演奏会で取り上げられることのない作品です。傑作の森の中心に「熱情op.57」や「英雄op.55」、「運命op.67」などがあるとしたら、そろそろ森を抜ける頃にあたるのでしょう。森を抜けて、新しい景色を望み、新たな道を行こうとするベートーヴェン。その歩みを辿るようなポリーニのリサイタルでした。そして、道のずっと先にほのかに見える小さな光を、ポリーニは最後に見せてくれたような気がします。

2012年11月6日 20:30

Pollini Perspectives 2012 第一日
待ちに待ったPollini daysの初日は、冷たい雨の日でした。マエストロの体調はいかがかと気にかかり、こんな湿気のある日はピアノの調子はどうかと思いつつ、久しぶりのサントリーホールへと急ぎました。
まばゆい照明のもと、期待に満ちた面差しの人々を迎えるホールは、待ちわびていたファンの熱気に溢れて、私も一気に華やいだ気分に引き入れられました。そして何人かのポリーニ・ファンの方とご挨拶して、“ポリーニの演奏会”との実感が湧いてきました。

休憩時間にお会いしたファンの方々から、「いよいよですね」とお声をかけられて、ああ、本当に、これから!という思いが過ぎりました。前半のマンゾーニ作品が“Pollini Perspectives”の幕開けには違いないけれど、やはりポリーニの登場する後半こそが、ポリーニ・ファンの待ち望んでいたもの。でも、同時に「マエストロが舞台の袖で、嬉しそうな笑顔で、演奏者たちを出迎えていらしたのが見えました」と伺って、己の不心得を恥じることにも・・・。
新たな音楽表現が生まれる現代、それらの作品を多くの人に聴いてほしい、同時代作品を演奏する機会を広げたい、新しい音楽言語に慣れ親しんでほしい・・・。春以来、健康に不安があったマエストロが、遠く日本までのコンサート・ツアーを敢行されたのも、ご自身のベートーヴェン演奏のみならず、委嘱した新しい曲を披露したい、“Perspectives”を成功させたい、との強い意思があってのことでしょう。前もって送られていたプログラムをしっかり読んで「予習」していたら、“Il Rumore del tempo”をもっと楽しめたかもしれない。。。(いや、やはり、ムリだったかなぁ。。。)

昨年夏のルツェルンで初演され、もちろん今回日本でも初演となるマンゾーニの作品は、私には「難解」過ぎました。
自然、宇宙、人の営み(その不条理?)を巡る4つのテキストがピアノの間奏に導かれながら、ソプラノの声で展開していきます。ロシアの詩人の詩はくぐもった響きのヴィオラに合わせて歌われるほの暗い情感の曲。ピアノの独奏を経て、多様な響きを多彩に操る神業のようなパーカッションとのドイツ語の詩。再びピアノの間奏に繋がれて、低く緩やかな、悠久を思わせるクラリネットの響きに合わせて歌われるロシア語の歌。各楽器の響きの味わいはテキストに応じているのでしょう。そしてすべての楽器とソプラノの強靭な声によるロシア語とイタリア語の詩の呼応は、緊張感に満ちて大団円を迎え、最後は静かにピアノが曲を閉じました。
演奏者は皆、集中力に富んだ熱演で、こちらも一生懸命に聴くのですが、やはり、なんだか判らない・・・のでした。

客席では作曲者のマンゾーニさんが聴いていて、終了後拍手とともにステージ下まで来て演奏者に迎えられ、称え、また称えられていました。初演の場に立ち会ったのだ、という感動(?)を味わいました・・・。
マエストロは客席ではなく、舞台袖で聴いていらしたのですね。ルツェルンではピアノ・パートを担当した、ご自身のための曲、きっと演奏者と一心になって聴き入っていらしたのでしょう。嬉しそうに演奏者を迎えていたというマエストロの姿を思い浮かべると、「おめでとうございます、マエストロ」と申し上げたくなります。

さて、「これから!」の後半です。マエストロの登場を見るだけで、フワ〜と喜びと熱いものが込み上げてきます。2年ぶりの姿、病を克服されたマエストロは、少し痩せられたように見えました。
「ワルトシュタイン」の冒頭はやや控えめな音で始まり、慎重な滑り出しかと思われましたが、曲が進むにつれ、指の滑らかな動きとともに調子を上げていき、再現部の頃からピアノの音も輝かしく立ち上がるように感じられました(ちなみにピアノは休憩時に入れ替えられた2台目のFabbrini)。第2楽章の味わい深さ、第3楽章の見事な技巧。大きく輝かしい曲がしなやかに展開されていきました。ポリーニ健在!との思いが過ぎり、これが判っただけでも嬉しくて「今日はもう満足!」と思ったほど。

しかし、「ポリーニ効果」とでもいうのでしょうか、聴きながら「作曲当時は、この曲はとんでもなく難解、意表を突く曲だったのだろう」という思いが浮かんできました。革新性、前衛性と言った方が良いのでしょうが、当時の多くの人には、すぐには受け入れ難い曲だったのではないだろうかと。
今私達は平気(?)で聴いて、古典派だロマン派だと音楽史の中に位置づけているけれど、曲の真価を理解し、表現できる演奏家がいて初めて、その手によって伝えられ、長い時を経て、名作としての位置を得て来たのですね。
そして今ポリーニの手で、その革新性が明らかにされ、ベートーヴェンの偉大さがより明らかに示されていると感じました。

その思いは第22番のソナタを聴いていて、さらに強くなりました。
「ベートーヴェンのソナタに、重要でない(minor)ものはありません」というシュナーベルの言葉をポリーニはよく引き合いに出しますが、この短いソナタ、演奏会で取り上げられることの少ないソナタは、どうかしら・・・と思っていました。
でも、ポリーニの演奏はいささかもminor視などない力の籠ったもの、そして聴こえてくるのは、ベートーヴェンの挑戦的ともいえる新たな音楽への姿勢、創造へと向かうエネルギーの奔流でした。当時の聴衆の好みなど念頭になく、己のために(なんとなくベートーヴェンの愛情が感じられるメヌエット)、彼の創作力の迸り(その勢いに自然に従ったかのアレグレット)が音になったような曲。
確かに“傑作の森”の中の一本の木、小ぶりで異形だけど、精力的で未知の力を秘めた、作曲者の創作力そのもののような木。ポリーニの演奏に触れると、作品を一般の通念よりも大きなもの、深いものとして感じさせられることが多いのですが、それこそが作品の真価であり、ポリーニの偉大さなのでしょう。

1曲ごとに弾き終わって退場する後姿には疲れがにじみ出ているように思われ、これだけ熱演したのだから少し休まれた方が良いのでは・・・と思うのに、殆ど間をおかずに登場して、ピアノに向かうマエストロ。集中力の高さ、強さゆえでしょうか。

最後の曲は「熱情」。2002年、2006年のリサイタルでも聴き、その都度感激していた私でしたが、今回も本当に素晴らしい演奏でした! 尻上がりに調子を上げてきていたポリーニですが、やはりこの曲が頂点でした。
以前は、時に前のめり気味になるパッセージ、顔を真赤にして格闘するような、激情の表出が感じられましたが、今回はそんなある種の「危うさ」のない演奏、技巧的にも曲の把握にも余裕があって、真情のこもった、共感溢れる演奏、とでも言えばよいでしょうか。
激情の中に歌が生まれ、深い思いに心が宿り、奔流に熱情が渦巻き、怒涛の中に凛々しい姿を現す大理石の彫像のように美しい、完璧な音楽でした。

満場の拍手とブラボーに、何度も舞台に足を運んで応えるマエストロでしたが、アンコールはありませんでした。それで十分過ぎるほどの、素晴らしい演奏会でした。ベートーヴェン中期の、いずれも聴き応えのある三曲のソナタを、これまでに無いほど豊かな内容で聴き終えたのですから。これ以上、何を望むでしょうか。

マエストロの健康と、続く“Perspectives”の成功を、心から望むのみ、ですね。

2012年10月28日 21:30

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