時々の雑記帳

音楽のこと、ポリーニのこと、日々の雑感を、
時々(気まぐれに)、書き入れます。

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このほかの日記帳はこちらを、すぐ前のものは「秋」10〜11月を、後のものは「春」4〜6月をご覧ください。

(1月〜3月)

どこかで春が 寄り道してる
春めいて(^^)・・・と、嬉しい気分でいると、翌日は冬に逆戻り。春一番のすぐ後には、強い北風。弥生の空は気紛れで、ちょっと意地悪。弛んだ心をもてあましつつ、雪の降る空を眺めています。
それでも梅は次々と咲き、椿が鮮やかな花を付け、黄色のミモザは空に映え、木々の枝先にほのかに暖かみある色が生れて・・・やっぱり、もうすぐ春! 三月は卒業や異動、旅立ちの季節。多くの花々が祝いの場に、喜びの時に、美しさをもたらす日々も間近です。暖かい春本番が、待ち遠しいですね。

ロンドンでのプロジェクト3回目、シューベルトのソナタ3曲の演奏会も、成功の裡に終ったようです。
今回もある方のブログとGuardianの評(4★)を見ました。テンポの速い演奏で、抒情的な歌をしみじみ聴かせる風な演奏ではなく、もっと強く、深淵に突き進むような演奏、明晰な歌が抽象の世界へと誘う、大きく聳え立つような音楽、だったようです。ピアノで「グレート」を聴くよう、との感想も(ブログの方)。響きは充実し、歌の豊かさ、美しさが際立った最後の曲は圧巻だった、と(聴きたいですね〜〜、久々に取り組まれるシューベルトのソナタ!)。
終演後は晴れやかな笑顔で聴衆の喝采に応えていたマエストロ。

そうしてマエストロは、お元気でアメリカ・ツアーへと旅立たれたのだろう、と、思っていたのですが・・・。
10日からのボストンでの3公演とカーネギーでの公演は、インフルエンザのためキャンセルとなりました。共演のレヴァインさんが病気で降板との報道は前にあったのですが、ポリーニも“Flu”のため、と。モーツァルトとシェーンベルクを組み合わせ、2つのピアノ協奏曲を弾く予定だっただけに、きっとファンの落胆は大きいことでしょう。
代わりに指揮はロベルト・アバド、P.ゼルキンがバルトークの3番を、NYではヴァイオリニストのJ.ベルがブルッフを演奏し、他の曲目もすっかり変えて、それはそれで充実した演奏会となるようですが。
ワシントン郊外のストラスモアの演奏会も“Private Reason”のため中止。プリンストン、カーネギー・ホールとシカゴのリサイタルは予定通り行なわれるようです。マエストロの一日も早いご快復を、祈るばかりです。

このところ、ルプー、ペライア、アルゲリッチ・・・急病や体調が悪くキャンセル、との報に接していました。指揮者でもヤンソンス、レヴァインの降板に合いましたし、共演ではないけれど、つい先頃はムーティの手術の報に接するなど、'40年代生まれの音楽家たちは、体調、体力的に厳しい中で活動をしているのでは、と心配になります。
現代の音楽界をリードするマエストロたちが、無理をせずに、心の赴くままに、末永く活動されるようにと、望まずにはいられません。

ベルリンで5月に行なわれるアバドとの3日にわたる共演では、リスト「死の舞踏」が予定されていましたが、モーツァルトのピアノ協奏曲第17番K.453に変更になりました。
初めこのプログラムを見た時は、およそ30年以上も前に演奏しただけ(多分)のこの曲を、今、また演奏するなんて!と、つい興奮(?)してしまいましたが、そしてデジタル・コンサートホールで聴ける(見られる)!と、喜んだのでしたが・・・。でも、変更されてみると、モーツァルトの協奏曲の方がプログラムとして収まりが良いような、現在のマエストロに相応しいような、気がします。
快い初夏の風を思わせるあの美しい曲を、ライブで聴けるなんて、嬉しいことですね。

来シーズンのスケジュールも大分発表されています。“2010-2011 Season”の後ろに〔2012〕として付け加えました。

2011年 3月7日 14:05

春は行きつ戻りつ
暦の上では春とはいえ・・・という常套句が今年ばかりは似あわない、立春から数日間の暖かさです。早咲きの紅梅・白梅に飛び交う小鳥たち、メジロの囀りは耳にも明るさと暖かさを伝えます。
とはいえ、それは東京周辺はじめ太平洋側の温暖な土地のお話。記録的な大雪に襲われている北国や日本海側の土地の報に接し、春の訪れの早い南国宮崎では鳥インフル渦に加えて噴火・降灰の自然災害の報道、狭い島国日本にも多様な風土があり、問題も山積なのですね
困難な日々を過ごされている方々には、心よりお見舞い申し上げます。

さてさて、もう一月が終り、二月も1週間が過ぎて(時の流れの早いこと・・・)、やっとの更新です。
今年は1月半ばチューリッヒでのリサイタルがマエストロの活動開始でした。聴きに行ったJanさんからのメールによると、バッハ「平均律」は、楽譜が新品(らしい)だったため、加えて空調の微風が運悪く当るのか、ページが返ってしまって、マエストロはとても弾きにくかったようです。3曲目が終ると一旦舞台裏に戻り、5分ほどして再登場、でも、事態はあまり好転せず・・・。休憩時に舞台裏でポリーニは大分怒っていたとのこと。後半も同様で、マエストロは集中をより高めねばならず、譜めくり氏も緊張し、聴衆も集中しようと努力して、とても疲れた〜(^^;)リサイタルだったそうですが、素晴らしい演奏も沢山あったし、CDよりもさらに自由な良い演奏もあった、との感想でした。

モーツァルト週間のウィーンフィルとの共演は、とても美しい演奏だったようです。
ピアノ協奏曲第23番は「Grossmeister(騎士団長)Polliniが(ミサ、式の如く)執り行った。モーツァルトの魔法のメロディーを優雅に彫琢し、かつロマンティックに夢見るように大きな弧を描いて歌い、彼のヴィルトゥジティを背景での表現のために生かして、精緻な演奏で感激させた。J.ノットはオーケストラの個々の音を聴き得るようにし、同等のパートナーとして演奏するようにさせて、崇高な、沸き起こる喝采に相応しい演奏となった」(nachrichten.at 24 Jan.)

「自信ある雄弁さを以って、展開される対話を通じて、彼はこの曲を安らぎの中にあるもの、感動し同じように感動させ、優美な、飛翔するものとなし、興奮の海の中で緩やかに舵を取って優雅さの極へと至らせた」(Salzburger Nachrichten 25 Jan.)
(評のごくごく一部の、下手な訳でスミマセン)

そしてロンドンでの「平均律」は、ゲストブックにご投稿いただいたように、主要紙5紙に取り上げられ賛否両論を惹き起こした演奏だったようです。
相変わらず「クール過ぎる」「心が感じられない」などという批判がありますが、CDで聴き馴染んだ演奏は、マエストロ自身の心が、感動が、その指を通じ音を通じて私の心に響いてくるような感じがしているので、「もしかしたら、マエストロはあまり本調子でなかったのかも・・・」と思ったり、一方、バッハに新たな光を当てた、現代に相応しい革新的な演奏と評価する文を読むと、「やっぱり、マエストロ独自の視点を発揮した演奏だったのね」と思ったり。

そういえば、“Pollini Project”開催に際してインタヴューがあり、「ポリーニはロンドンの舞台に新しいピアノを持ち込む。それは彼がとても気に入って、自ら買ったものだ」とありました。いつもはスタインウェイから借りたり、ファブリーニ氏所持の楽器から選んで運び込むようですが。 ある評には'strikingly lucid'とありました・・・聴いてみたいですねぇ。
同じ記事の中には、次のような箇所もありました。
(インタヴュー中ずっと落ち着きのないポリーニだったが)「その理由はすぐに判った。彼はタバコをやめたのだ。」
(エッ!!!・・・)
健康のため'vizio del fumo'は止めていただきたいけれど、長年の習慣を変えるのは、どんなにかお辛いことでしょう。
「神様、マエストロをお守りください!」 胸に手を当てて、祈りたい思いです。

大変遅くなりましたが、2010年の公演の記録を「Bravo e Grazie! Maestro!! 2010年の感動」としてUPしました。
皆様、ご協力ありがとうございましたm(_ _)m

2011年 2月7日 19:45

A Rare Maestro
明けましておめでとうございます。皆様、佳いお年をお迎えのことと存じます。
「全国的に荒れ模様の正月」と予報されていましたが、北日本や西日本では大雪や吹雪で、本当に大荒れの年越しだったようですね。猛暑の夏の後には酷寒の冬なのでしょうか。大雪で車に閉じ込められた方、帰省を諦めた方・・・大変な日々を過ごされた方にはお見舞い申し上げます。
一方東京はじめ関東の太平洋側は、申し訳ないほどの好天に恵まれた三が日でした。毎年TVで見る「箱根駅伝」(我が家で見るのは3区〜、8区〜・・・ですが^^;)も、画面に穏やかな湘南の海と雪を頂く富士山を映し出していました。長い歴史のあるこの駅伝、荒天の中で行なわれるのを見た記憶は余りありません。晴れた穏やかなお正月の風物詩、という感じがしています。そしてなだらかに弧を描く海岸線と秀麗な富士山を見ると、平和な日本の象徴のような気がします。いつまでも続いて欲しい穏やかな景色・・・。
今年はどんな年になるのでしょう。政治も経済も、緩やかでも良いから、なだらかな曲線を描いて上昇して欲しい、そして明るい温かい社会であって欲しいと、心より思います。

さて、今日は1月5日。マエストロの69歳のお誕生日です。
古来稀なり、という歳は来年だけど、マエストロは既に、類稀なる方ですね。
皆様、いつものように(?)イタリアの空に向って、お祝いの言葉を送りましょう!

Buon Compleanno, Maestro Pollini!

69歳のお誕生日おめでとうございます!
今年もお元気で、素晴らしいご活躍を!!

今年のポリーニの活動は、前半ロンドンでの5回の“Project”と、夏からルツェルンで新たに取り組まれる“Perspectives”にウェイトが置かれるのでしょう。
ロンドンでも注目されているのでしょう、1月1日のGuardianには、早速ポリーニに関する記事が載っていました。長い〜ので、全部読んでいないのですが(^^;)、プロジェクトに関する部分を、ほんの一寸だけ、訳してみます。


今年はロンドンで、ポリーニのキャリアの大きな部分を評価する良い機会があるだろう。ロイヤル・フェスティヴァル・ホールにて5ヶ月にわたる5回のコンサートをスタートさせるのだ。それはピアノ音楽の歴史であり、彼のそれへの関わりの表明でもある。1月28日のバッハに始まり、ベートーヴェンとシューベルトの後期ソナタ、その後にショパン、ドビュッシー、ブーレーズからなるフランス・プログラム、締めくくりは5月のシューマン、リスト(訳者注:ショパンに変更)、シュトックハウゼンに焦点を当てたものである。
「これまでの活動で、ロンドンではほぼ毎年かそれ以上のリサイタルを行なって来て、聴衆とは強い関係を築いています。私は彼らの聴き方と音楽への深い関心が好きで、だから何かより大きな、特別な事が出来るだろうと思ったのです。私はこれらの作品を何度も弾いてきました、これらは全てピアノのための作品として、途方もなく重要なのです。一緒にすることで、それらは何かラインを、ピアノ音楽の歴史(story)といったものを、形づくるでしょう。でもそれは、厳密な、また正確なラインではありません。それらは私と、私の音楽的関心の全てとに、密接に結びついたものなのです。ですから私の個人的なラインでもあり、ある意味では私自身の歴史でもあるのです。」

(長い中略 全部読めて訳せたら良いのですが・・・)

作品が古いものでも、比較的新しいものであっても、それらが“強く生気ある新しい言語”で作曲されていることが、本当に興味深いのだと、彼は言う。
「ショパンの語法、ベートーヴェンの語法が彼らの時代にそうだったように、ちょうどブーレーズの、ノーノのそれが同様であるように。そして現代音楽は、より古い時代の音楽からそれ自身が発展してきた、過去へのリンクと、もし最高の質の作品であれば、時を超えて成熟し、発展して行くそれ自身の生命を、ともにその内に、持っているのです。」

彼はロンドン・シーズンで演奏される音楽と、40年いや50年もの間、関わって来ている。
「それだけの時を経て、(関係は)より良いもの、やり甲斐のあるものとなってきています。これらの作品を貴方が始終弾いている、或いは、私にもよくあることですが、暫くの間全く弾いていない、ということは、大した問題ではありません。それらはいつでも貴方の心の中にあります。貴方はいつでもそれらを熟考し、それらを参照します。時が経てばより良く理解するだろうという希望を抱きます、時には幻想であるとしても。これは永久に続く関係なのです、そして貴方がピアノを弾き続けるかぎり、決して終ることは無いでしょう。」

(原文はこちらをどうぞ。)
http://www.guardian.co.uk/culture/2011/jan/01/maurizio-pollini-interview-nicholas-wroe

意欲的なマエストロの言葉。今年のご活躍を心から祈り、また日本でも素晴らしい音楽を披露して下さることを願っています。(鬼に大笑いされそう・・・)

さて、今日は2011年1月5日(判ってるって!)。2001年の1月5日に開いたこのページも、ついに10周年を迎えました〜 v(^o^)v
ほんの少しのコンテンツで始めたホームページでした。いつまで保つのやら・・・と思いましたが、皆様に励まされ、支えられ、貴重なご意見や沢山の情報をいただいて、ここまで続けてこられました。本当にありがとうございました!! 
近頃は慌しく過ごすことが多くて、更新もなかなか捗らないのですが、ゆっくりでも、一歩一歩進んで行きたいと思っています。どうぞこれからも、よろしくお願いいたします m(_ _)m

2011年 1月5日 17:45

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