時々の雑記帳

音楽のこと、ポリーニのこと、日々の雑感を、
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このほかの日記帳はこちらを、すぐ前のものは「夏」7〜9月を、後のものは「冬」1〜3月をご覧ください。

(10月〜12月)

ロ短調前奏曲は枯葉を踏む足音?
今年の紅葉は色づきが良く、サクラ、ケヤキ、ハゼ、モミジ、銀杏・・・日々楽しんでいましたが、数日前の強風で、綺麗な葉も大分落ちてしまいました。枯葉を踏みながら歩くのも良いけれど、もう少し紅葉や黄葉を楽しみたかったなぁ。けれども、葉の落ちた跡には、もう小さな小さな芽が顔をのぞかせています。次の春に芽吹くまで、寒さに耐えて冬を越す・・・自然の智恵なのですね。
そんな冬へ向う景色の中で、ひと際目立つのは木蓮の木。銀色の産毛に包まれた大きな蕾を枝一杯に付けて。静かに眠りながら少しずつ膨らみを増して、ある日一斉に春を告げる花。その日を楽しみに、私もゆっくりした気持ちで、冬を迎えましょう。

マエストロの今年の演奏会は、7日のパリでのリサイタルで終了。ショパンゆかりのサレ・プレイエルで生誕200年記念の年の弾き納めでした。今はもうクリスマス休暇を楽しまれているのでしょうか。
ニューヨークでカーネギーホールの3回のリサイタルに明らかなように、ショパンの重要な作品を集中的に演奏したマエストロの“ショパン・イヤー”。ショパンの新たな魅力に惹かれ、更に深化した想いを抱かれたのでしょうか、「前奏曲集や、後期の作品をまとめて録音しようと思っています。」と語った記事を読みました。(「世界文化賞受賞者個別懇談会」にて、音楽の友12月号)。
今年はショパンの新録音が無くてちょっと残念でしたが、ステキな新プランがあるようで、楽しみですね。

さて、先月上旬に日本からイタリアへ戻ったマエストロですが、16日のラクイラでのリサイタルは25日に延期されました。ローマで数回の演奏会が予定されていた合い間で、ラクイラはローマにほど近いので、より好都合かと思われましたが、20〜23日のサンタ・チェチーリア管と共演のシューマンの協奏曲は、体調不良のためキャンセルとなりました。
約1ヶ月の中国・日本ツアー、日本では大きなセレモニーやパーティーもあり、多忙でお疲れになったのでしょうか。
けれども25日のリサイタルは無事行なわれ、大成功だったようです。「平均律」から12の前奏曲とフーガを選んで弾く、約40分のベネフィット・コンサート。ポリーニの選んだ12曲がどの曲なのか興味がありますが、それは判りませんでした。10分間の拍手喝采に応えて2曲のアンコールは、全集最後の曲ロ短調のフーガとト長調の前奏曲とフーガ。
ラクイラの音楽主催者は“B.Barattelli”という、1946年から活動を始めた由緒ある協会で、ポリーニは1964年から1987年まで、7回登場しているそうです。これは名誉市民であるルービンシュタインの12回に次いで多いとのこと。「とても洗練されて、とても思慮深い」(ルービンシュタインの評)ラクイラの聴衆に愛されているマエストロ・ポリーニなのですね(*^^*)

ここではインタビューもあったようですが、批評文の中にはこんな一節が。
バッハにおける明晰さ、新たな道へと進む推進力、超越性、そして構造、バッハの数学性に話が及んで・・・
「確かにバッハは、数学的頭脳に優れていました。でも、彼の中には人間性とその情熱との統合があると話しましたね。いやむしろ、この最後の要素の優位性があります。カンタータの中に見るように、どの曲にも人間精神に満たされたものがあります、それは器楽曲でも同じで、同じ意味で超越的なのです。私はバッハにより多く象徴主義者を見ます。」と語るポリーニ。
「演奏中にあなたが小声で歌うのが聞こえますが、そういう理由からですか?」
「ああ、あれは悪い癖ですよ!」・・・(ちなみに辞書で“vizio”(=悪癖、不徳)を見ると、〜 del fumo(喫煙の悪習)との用例がありました。マエストロ、こちらの“vizio”をお止めください! 健康のために・・・m(_ _)m)

28日はローマ、サンタ・チェチーリアでのリサイタルで「平均律第1巻」全曲。
(1986年にローマで演奏したので)「24年後もポリーニのバッハは常に現代的であり、サンタ・チェチーリアを征服した」と始まる評で、オリジナル楽器や古楽的奏法にとらわれず、現代ピアノの特性を最大限に生かして、優れた音楽的内容を表現し、バッハの豊かな詩情を明らかにした、と称賛しています。この日はナポリターノ大統領も臨席し、演奏後は舞台の下へ歩み寄って、ポリーニに祝いの言葉を掛けた、とありました。

今回の更新では、ザルツブルクのプログラムを載せました、オール・ベートーヴェン。ウィーンのプログラムには変更があり、リストの代わりにシューベルトの最後のソナタが前半で演奏されます。ベルリンでもシューベルトが新たに加えられたのですが・・・最初のショパン、リストの曲目はそのまま(まさか、全部弾くのじゃないでしょうけど、ねぇ)。(Thank you, Jan!)

また、“日本におけるポリーニ”に、今回のプログラム、作曲家別曲目、アンコールを付け加えました。

2010年 12月9日 17:20

第三夜 11月3日
バッハを聴いた日の帰りは大分夜も更けて、東の空にオリオンが上っていた。もう、こんな季節! 晴天で暖かい文化の日だったけれど、もうすぐ冬なのね。3つ星から辿るとシリウスが低い空に青く光っている。全天一の明るさで輝く恒星。若い日のポリーニの、完璧でシャープで光の飛び散るような演奏を、シリウスの青い冴え冴えとした光のようだと思ったっけ・・・。上空の南の方には、木星が出ている。瞬くことなく、クッキリと豊かに明るい光を放って。現在のマエストロは、ジュピター(木星)かしら・・・。

平均律を開始するハ長調のプレリュードは、平静に淡々と演奏され、流れるような旋律が美しい。透明感あるピアノの音。でも、低音に表れる生命の鼓動のようなリズムが弱く思われ、やや平板な感じだった。
フーガに入ると(CDと同じように^^)マエストロの歌声が聞こえてきて、ああ、ポリーニのライヴの場に居るんだ、と嬉しくなってくる。
2曲目はダイナミックなプレリュードを早めのテンポで弾き通す。急速なパッセージでは音が少しダンゴになるようだ。
1曲ごとに指を折って(^^;)、嬰ハ長調・・・ニ短調と、確認しながら聴く私。長い曲集をしっかり聴かなければ!と緊張して、マエストロの演奏に目と耳をクギ付けにする。今日の席もマエストロの横顔の真正面。

3曲目嬰ハ長調の暖かみを帯びたプレリュードは美しく、大らかなフーガを熱演するマエストロの横顔から汗が落ちるのが見えた、曲が終ると白いハンカチを取り出して額をぬぐう。
嬰ハ短調のプレリュードの美しかったこと。オペラのアリアのように切々と訴える歌に満ちて。CDで聴いていても本当に美しい曲だけど、生の美音で聴くとさらに魅せられる。フーガの壮大さも威力をもって響く。
ニ長調のプレリュードはアッと言う間に終ってしまうほど速い演奏だった。総じてどの曲もやや速いテンポになっているようだ。時々、前のめり気味? そのためかフーガで各声部が明瞭に聴こえないことがあった。ゆっくりしたプレリュードでは、CDではもっとマエストロの感情が込められ、絶妙なニュアンスで弾かれていた音・フレーズが、あっさり通り過ぎてしまう、という感もあり、少し寂しい思いも抱かされた。

時折フーガの後でハンカチで汗をぬぐうマエストロ。客席では時節柄(?)咳が多いが、プレリュードとフーガの間くらい、抑えて欲しい!(念力でのど飴を飛ばしたくなる私^^;)

第7番変ホ長調のプレリュードも美しく、大らかに大きな世界を描いていく。変ホ短調のプレリュード、なんと深々とした音楽。厳粛さの中にもポリーニの柔らかいタッチは、暖かい涙を以て慰撫しているようだ。長大なフーガには集中力を求められるが、少し長過ぎ(?)たような気も・・・。
明るく平和なホ長調のプレリュード、躍動的なフーガ。胸を打つホ短調・・・。そろそろ指が足りなくなった私は、後は緊張を解いて響きに身を委ねようと思う。

だがこの頃だったろうか、異様なうめき声がホールに響き、何事かアクシデントが起った。ホールの右前方で気分の悪くなった人が居たらしい。お気の毒に・・・。でもホールがワサワサして演奏者はもっとお気の毒。昨年夏のシエナのアクシデントを思い出し(その場に居たのではないけど^^;)、マエストロ、中断されるのかしら? などと心配したけれど、ポリーニは外界の騒ぎには気を取られぬ風で落ち着いて、いやむしろ更に集中力を高めて弾き続け、最後のヘ短調は前半の終りに相応しい、深みのある素晴らしい演奏となった。ただやはり少し速めで、微妙なニュアンスが充分に表現されなかったように感じられたが、もしマエストロが、前半を早く終えたいと思われたとしても、それも尤もなことだと思った。

休憩に入るとすぐに、譜面台と椅子が運び込まれた。「えっ?」 前半、異様なほどの緊張感に満ちて演奏していたマエストロだけど、暗譜に不安があったのだろうか・・・どんなにお疲れだったことか、と思うと、客席の落ち着きのなさが、本当に申し訳なく思われた。

会場整備もあり長めの休憩後、楽譜を抱えて晴れ晴れと笑顔で登場したマエストロ。きっと良く馴染んだ楽譜、書き込みなんかもあるのかな・・・。などと思う間もなく始まる後半、第1曲嬰へ長調。
それは、なんと輝かしい演奏だったことか! 我が家のプレーヤーで聴く時、第13曲は明るく楽しげな曲想から、花々の上を蝶が舞う愛らしい曲のイメージを持っていたけれど、舞っているのは妖精? ポリーニのライヴでは、もっと大きな喜び、もっと輝かしい美しさの曲だった。
楽器が替わったかのような輝きに満ちた音色で、躍動感ある演奏、深みある音楽が次々と繰り広げられていく。大きな集中力をもって伸び伸びと、楽しげな風情さえ感じさせながら、確信に満ちた演奏を続けていく・・・ポリーニの本領発揮! 前半の胸が痛くなるような緊張感から解放されて、自由に、しなやかに、時に歌い、息遣いを響かせて。まるで“水を得た魚”のよう(マエストロは水泳が好き、などとついでに思い出す・・・くらい私もリラックスして、でも身も心も惹き込まれて聴いていた)。

美しいトリルで始まるト短調のプレリュードの前には、客席にチラリと目をやって、咳払いを封じるかのよう。変イ長調のプレリュードの輝かしさ、フーガの崇高さ。・・・どの曲もみなそれぞれに個性豊かな、創意に溢れた素晴らしい音楽、それを見事に描き出した卓越した演奏だった。
第20番イ短調の力強いプレリュードと大きなフーガ、その曲想からか、ポリーニの演奏にも力と迫力がさらに加わっていったように思われた。華麗なパッセージの変ロ長調は鮮やかな指さばきで愉悦感をもって、一転して変ロ短調は宗教的な厳粛さに悲痛な趣を漂わせて。
最後の音「ロ」。もうこの曲集も最後に近づいたと思うと、美しい一音一音、1秒1秒が貴いものに思われて、「時よ止まれ!」などと詮無きことを思う。第24番ロ短調、孤独を胸に秘めて奥深い森へ歩み入るような、絶妙なアンダンテ。その先には薄明の世界がゆるやかに広がり、重力を離れて神の庭に至るかのフーガ。あぁ、なんと遠くまで来たのだろう、バッハは! ポリーニは! その手に導かれて崇高な世界を垣間見た私たち。この幸せに感謝せずにはいられない。

渾身の演奏を終えて、拍手に応えるマエストロ。舞台裏への足取りも疲労を滲ませている。でも奥へ入る前、譜めくりの人をねぎらう暖かい光景が見られた。静かに立ってサッとめくる彼の技は見事で、マエストロの良き助けになったことだろう。ご苦労様でした。
アンコールは当然、無い。これ以上、何を求め得るだろう。でも拍手喝采はいつまでも続き、客電がついてからはホール中のスタンディング・オヴェーションとなった。誰もがこの場を立ち去りがたく、この時を留めたいと思ったに違いない。

久しぶりにお会いしたかずこさん、ひろこさん、Arthurさんとお茶して感想など話すが、まだまだ言葉にならないというのが、本当のところ。ただ素晴らしい時を一緒に経験した喜びを分かち合いたかった。
ナミコさん、ズーさん、ともママさん、ブルージェイさん、segretoさん、りおさん、Kさん、そしてドイツからいらしたJanさん。多くのステキなポリーニ・ファンの方とお会いできたのも、嬉しいことだった。皆様、ありがとうございました。
ポリーニの日々が終ってしまった寂しさはあるけれど、私たちにはまた、未来の楽しみもありますね(^^)v
合言葉は「再来年、またネ」。

2010年 11月11日 15:00

第二夜 10月23日
久しぶりに気持ち良い秋晴れの土曜日。こんな日はマエストロもピアノもご機嫌良いに違いないと、ウキウキとホールへ向いました。
それにしても、ベートーヴェンの大曲のソナタ、後期の3曲を、休憩無しで演奏するなんて・・・マエストロ、お疲れにならないかしら。私も集中力を保てるかしら?(このところの睡眠不足で、眠くなったりしたら・・・!)と、ちょっと心配でした。が、全くの杞憂でした!

いつものように学生さんが舞台後方の席に着き、照明が落とされていく内に、ホール中に緊張感が満ちていくのが感じられます。期待と共に、なにか厳かな気持ちが湧きあがってくるのは、ベートーヴェンの至高の曲を聴くという想いからでしょうか。

にこやかに登場し、ピアノに向ってすぐに弾きはじめるマエストロ。殆ど何気なく、というか、さりげない風情で軽やかに旋律が流れ出すと、久しぶりのベートーヴェンに懐かしさが胸に広がります。ベートーヴェンの音は芯のある、けれども暖かみのある音。コントラストあるアダージョが続き、上行し下降し、自由に展開して行くのですが、一瞬の間の取り方で、ちょっと弾き急いでいる?という感じも覚えました。
すぐに続く第2楽章は対照的に激しい音楽。重厚な低音が荒れ狂うようなプレスティッシモは、prestississimo?という感じでしたが、鮮やかに、力強く弾き進んでいきました。
穏やかな優しいテーマで静かに始まる第3楽章。力を潜めるように集中して一音一音を生み出していくマエストロ。変奏を重ね豊かに広がり、フーガに乗って地の底から高みへと上り詰める音楽は、壮麗な伽藍のよう。ただ、マエストロの若き日のCDで聴く時、頂点を極める音の煌きが、まるで大聖堂のステンドグラスから光の粒が降り注ぐようにイメージされる(勝手にイメージしてる^^;)のですが、今回はそれが感じられず、少し寂しい気がしました。まだピアノが充分に鳴り(鳴らせ)切っていない・・・そんな感じもしました。前回は最前列でピアノの音を直に浴びるように聴いたので、耳が途惑っていたのかもしれません。
今回の席は中央部前方、マエストロの横顔と指の動きが良く見える位置です。

拍手を受け退場し、もう一度繰り返して、再登場して2曲目を弾きはじめるのに余り時間はかかりませんでした。
しばし楽屋で休まれても良いのに・・・。でもマエストロの集中力は、前へ、先へと進まずにはいられないのかもしれません。

穏やかに柔らかな主題が流れ出すと、音の響きに暖かみと明瞭さが、マエストロの演奏にもしなやかさが増したように思われました。大きな息遣い(歌声も?)も時々聞こえて、美しい音楽を一心に紡ぎだす喜びを味わっているよう、聴いている私も幸せな感じを覚えました。
第2楽章は強弱の対照が強い力感あるスケルツォ風、鮮やかに弾ききり、柔らかい音で第3楽章に繋いでいきます。
そのフィナーレの美しかったこと! 深沈とした序奏は憂いを秘め、「嘆きの歌」の甘美ともいえる悲痛は胸を熱くします。大らかなフーガ、続く苦悩を深めた「嘆きの歌」の再現、そして徐々に明るさと力を強めて至るフーガの頂点。本当に見事な演奏でした。曲の心に感応しながらも、酔いしれることなく表現し尽くすマエストロの、精神の深さを思わされました。

最後の曲、ベートーヴェン最後のソナタは、マエストロもいよいよ本調子となり、ピアノの音もさらに輝きを増して、圧巻でした。冒頭のある和音にドキリとしたのですが、曲が進むうちにそんなことは吹っ飛んでしまった素晴らしい演奏でした。
激しい和音に始まり、大胆な強弱と壮大な展開に込められた激しさ強烈さが、ダイナミックに強靭に、ポリーニの両手から生れてきます。深淵を覗き、奈落から闘い上がるかの音楽。凄い音楽を、ベートーヴェンは書いた・・・。作曲者への感嘆と畏怖。
しかし、圧倒的な感銘は、続く第2楽章から訪れました。集中力を究めるように一呼吸おいて始められる主題の呈示。ゆっくりと丁寧に、心を込めて。その音に耳を澄まし、マエストロの演奏する姿を見ているだけで、目頭が熱くなります。それぞれ趣きのある2つの変奏を経て、ジャズっぽい第3変奏はCDで聴くよりは少しキレが減じていたようですが、ドラマティックに弾かれ魅力的でした。一転して第4変奏は静謐のうちから立ち昇り、高音部で繊細に、精緻につづられる音は、まるで光の煌き、生命の火を象徴するよう。大きな呼吸でのテーマの回帰から始まる第5変奏は、高く天上へ昇り、自由に戯れ、光を手にして地上へ還るような、壮大・壮麗な美しさの極致でした。
ポリーニのトリルの美しさは格別ですが、光の粒のような音を聴きながら、ベートーヴェンが後期のソナタで多用したトリルは、単に装飾ではなく、ある表現なのだと思わされました。素晴らしい音楽を、ベートーヴェンは書いた・・・。ベートーヴェンの真髄を、ポリーニの手に導かれて聴いた幸せに、感謝しました。

さすがにお疲れの様子のマエストロ。アンコールは無くて当然、と思っていました。'98年の同じプログラムでもそうだったし、まして3曲を一遍に弾いた後なのですから・・・。でも、称賛の拍手は止められません。
何度目かの登場のあと、ふいにピアノの前に座って、バガテルop.126-3を弾き始めました、フッとその気になったかのように。その後もop.126-4を。バガテルも懐かしい・・・。やっぱり私はベートーヴェンが好き(*^^*)。
ありがとうございました、マエストロ!!

約1時間のプログラム、喝采とアンコールで20分ほど。コンサートとしては短かったけれど、密度の濃い時間を経て、大きな感銘の残るリサイタルでした。
弾き応えあるソナタ3曲を、休憩無しで演奏するのは、マエストロにとっても多分初めての試みではないでしょうか(確かではありませんが)。晩年のベートーヴェンの表現意欲、新たな道を開く作曲技法を、3曲を緊密に聴くことで明らかにしようというお考えなのでしょうか。
お陰で聴衆には、ベートーヴェンの音楽の素晴らしさが、確かに、伝わったと思います。この夜の聴衆は集中力を持続して真摯に音楽に聴き入り、(よく日本の聴衆を褒めてくださる)マエストロにも及第点をいただけたかな、と思います。
2つのアンコールは、そのご褒美かしら??

バッハ「平均律」第1巻は、前半・後半ともに1時間ほど続けて演奏される、本当にハードなプログラム。明日の京都公演が大成功のうちに為されますように! 心から願っています。

2010年 10月28日 19:00

講演会 10月18日
15時からのポリーニ世界文化賞受賞記念講演会。チケット引き換えの列は、既に14時前から長くなっていました。会場には4つの椅子と、隅には蓋を開けたピアノ。音が聞けるのでしょうか??
初めに司会の諸石幸生先生から、マエストロの希望で会場からの質問を受けて話を進めて行きたいとの提案。まず3つの質問が寄せられました。
今日のマエストロはラフにノーネクタイ。藤倉大さん、通訳の井上由香子さんと一緒に、にこやかに登場されました。

第1の質問は、昨晩のリサイタルで3人の作曲家を選んだことの意味は?
ショパンは作曲家として先立つ者も後に続く者もない、唯一無二の存在です。しかし彼が開いた新しい音の世界はフランス近代の作曲家ドビュッシーやラヴェルに大きな影響を与えました。事実ドビュッシーはショパンを尊敬し、練習曲を献呈しています。
ドビュッシーの後期の作品は新ウィーン楽派にも影響を与え、ブーレーズへと流れは続き、彼は23歳でこのソナタを書き、また新しい世界を開いたのです。現代音楽を聴く上でとても重要な作品で、演奏会の最後に弾くのに相応しい曲と思います。

第2の質問は、若手の音楽家の指導について。
私について言えば、ルツェルンやシエナでマスタークラスを開いたことがあります。
音楽教育はバッハやモーツァルトのクラシカルな音楽ばかりでなく、同時に現代の作品を取り入れると良いと思います。例えば、バルトークの「ミクロコスモス」など小作品で、現代の音楽言語をより身近にすることが必要だと思います。

第3の質問は、昨夜のプログラムとアンコールについて。アンコールでドビュッシーからショパンへと続き、丁度ブーレーズを中心に円環のようになりましたが、アンコール曲はどのように決めるのですか、前から考えているのですか?
その場で自由に曲を選びます。流れが良いようにと思います。昨夜のバラード第1番はとっさに決めて弾きました。長いこと弾いていなかったし、練習もしていなかったのですが。
(あの素晴らしい演奏が、とっさに思いついて・・・?と、驚きと興奮が沸き起こったような会場の空気^^)

次に藤倉氏から、ブーレーズさんから預かった質問として「第2ソナタをどうやって発見したのか。第一印象は?」
楽譜はごく普通に楽譜屋で入手しました。ごく自然に興味を持ったからです。最初の印象は・・・覚えていませんね(笑)。'68年にトリノで初めて演奏し、毎日5ページずつ暗譜しました。(本当に暗譜できるのですね〜、と諸石氏)。
随分長いこと演奏していると自分でも驚いていますが、生涯弾いていくだろうと予感しています。とても内容の濃い作品で、反復がなく、自由なバリエーションが広がり、ページごとに宝の山のように思われます。演奏は難しく、1回では伝えきれないし、聴衆も理解しきれないと思うので、一つの都市で繰り返し演奏することで、真価を伝えたいと思います。時間と共に定番化していけば良いと思います。

ノーノやシャリーノがポリーニのために作品を書いているが、どのように作曲を進めるのか、相談したりするのですか、との問いに。
ノーノとは一緒に作業し、テープの音源を作りました。作曲家が実験的な音の処理をして、コラボレーションの結果のスコアを渡されました。
シャリーノやマンゾーニの場合は通常のスコアを手渡されました。

また会場からの質問を受けます。
どの様に(どういう基準で)レパートリーとなる作品を選ぶのですか?
ピアノで弾いていて、疲れる曲、飽きる曲は嫌いです。ただコンサートのために練習するのではなく、伝えたいものを感じる作品を選びます。
チャイコフスキーやラフマニノフは弾かないのですか?
良い曲だと思いますが、私よりもっと素晴らしく演奏する人が世界中に沢山います。しっかり現代の音楽シーンに根付いている作品だと思います。
シュトックハウゼンの作品を録音していただきたいのですが?
とても素晴らしいアイディアですね(笑)。

若い頃から現代作品を聴いていたのですか?
「ヴォツェック」(ベルク)を聴いてから、新ウィーン楽派など現代の作品に興味を持ちました。

建築や美術など、他の芸術から霊感を受けることはありますか?
音楽的に霊感を受けることはありません。でも、作曲家は音楽以外の世界の様々なものから霊感を受けたと思います。例えばベートーヴェンは自分の作品すべてに題名を与えたいと思っていたと、弟子のシンドラーの本にあります。彼が反対するとベートーヴェンは怒り出し、「それじゃあ、怒りのソナタを書けば良いでしょう!」とシンドラーは言い返した、と。まあ、シンドラー自身が書いた本だから、あまり当てにはできないけれどね(笑)。

大分時間も経ち、ここで"Perspective Pollini 2012〜2013"についての説明がありました。
ベートーヴェンの作品53(ワルトシュタイン)以降後期のソナタと4つの現代作品(シュトックハウゼン、マンゾーニ、シャリーノ、ラッヘンマン)を組み合わせたシリーズを計画している、とのこと。
来シーズンのルツェルンから始まり、パリ、ベルリン、東京、ニューヨークで行なわれる計画です。日本では「2012年秋」の予定とのことでした。

その後、すでに1時間は過ぎていましたが、ピアノを使って無調音楽の説明へと進み、昔は忌み嫌われ「悪魔の和音」といわれた不協和音を弾き、調性の崩壊、十二音技法、無調性がどのように推移し、機能するかについて、ワグナー「ジークフリート」、ドビュッシーの前奏曲(「霧」?)、またベートーヴェンのソナタ32番の冒頭などを弾いてくれました。
ピアノを弾くマエストロは楽しげで、時間の制約がなければ、もっと弾き、語りたいかのよう。最後に一番低いドから5度ずつ上昇し、12回繰り返した後に最高音のドに至ることを示し、12という数は自然の理に叶ったものと思います、と締めくくられました。
ほんの少しでしたが、マエストロのピアノの音に触れられて、幸せな気持ちを味わえました。

以上、読めない字のメモをもとに記しましたが、記憶容量の少なさ、忘却の河の流れの早さもあり、きわめて不十分な内容、又もともとよく理解できていない点(楽典的な話し)もあり、誤っていることもあるかもしれません。補足、訂正など、気がつかれたことがあれば、どうぞご連絡くださいませm(_ _)m

2010年 10月23日 14:45

第一夜 10月17日
10月、日本の空の下にマエストロが!と思えば心弾み、ポリーニ受賞!の報道を見聞きするたびに嬉しく、そして待ちに待ったリサイタル、講演会。
ウキウキした日々でしたが、その後私には超忙しい日が待っていました。昼間は自分の時間ナシ、やっと夜にパソコンに向うも、睡魔に襲われ・・・。
リサイタルの感想も講演会の報告も出来ずにアセリ気味でしたが、ふと気がつくと、脳裏に流れているのはショパンのプレリュードでした。断片的、ランダム再生(?)ですが、余韻に浸る、いえ余聴(?)に浴するとでも言うべきでしょうか。気付けば幸せな感じ、癒されている感がありました。

17日の席は最前列。お顔は殆ど見えないけれどペダルを踏む足元を見つめながら(^^;)、全身にピアノの音を浴びるようにして聴いていました。
クリアな音色で柔らかな響きを紡ぎだしていく1曲目から、ショパンの世界が自由に空間に広がり、自在に舞っているかのようでした。小さな曲の一つ一つが個性的で、それぞれが美しく生き生きとして。それは情熱の迸りからくる生命感というよりは、深い思索と緻密さの中から発光する生命。どの曲も楽譜に則って、いわば淡々と、殊更に表情付けされること無く、けれどマエストロの内奥にあるものが共振して、熱っぽく迫力をもって立ち表れてくるようでした。
一瞬の間をおき、また切れ目無い開始で曲を連ねて、音の絵巻物が織り上げられて行き、詩情に満ちた、壮麗な、厚みと重みある作品として呈示されました。名盤として聴き馴染み、2002年にもライブで接した前奏曲集ですが、こんなにも生き生きと、脈打ちながら心に響いてくるのは、初めてのこと。感動と幸福な想いに満たされました。

休憩後、ドビュッシーの練習曲集も、洗練の極みの音とマエストロの指の繊細で緻密な動きを堪能させられる演奏でした。
鮮やかに、どの音も澄み切って、分厚い和音もダンゴになったり濁ったりすることなく、どんな難所も余裕を持って弾き進められて行きました。絶対音楽の音の動きや構成を楽しんでいるかのようなマエストロ、そこに次第に立ち昇ってくる詩情、諧謔的な躍動感、見え隠れするエスプリ。
怜悧なポリーニの演奏に、私の精神も(少しだけ^^;)澄まされたような気がしてきました。熱いのに醒めた感覚で。

最後のブーレーズのソナタ。予習(聴くだけ)はしてきたものの、やっぱり私には“判らない”曲。
けれど、予習で聴いたのとは全く違う曲(いや、確かに同じなのですが^^;)が眼前で展開されているようで、目も耳も釘付けに、金縛りみたいな感じで聴き入りました。
全存在を賭けたような気迫溢れる演奏。聴衆を前に難曲の意味を解き明かすことに集中し、斬新な曲を演奏することに喜びを感じているかのマエストロ。
ショパンもドビュッシーも素晴らしかったけれど、マエストロ自身が一番力を入れたのはこの曲だったのかもしれません。いや、ショパンもドビュッシーも、本当に素晴らしかったのですが。

大曲を弾き切って、さぞやお疲れのマエストロ。でも大喝采に応えて4曲ものアンコールを披露してくださいました。
ドビュッシー「沈める寺」の壮麗さ。「西風の見たもの」の荒れ狂う激しさ。ショパン「革命」の熱い思い。そして「バラード第一番」の完璧な美しさ。しなやかで自然の息遣いの歌に満ちて。

マエストロ、充実した素晴らしいリサイタルを、ありがとうございました!!

2010年 10月22日 19:15

空いっぱいに 秋
朝ベランダに立つと、空気が微かに花の香りに染まっていました。フレッシュな、でもちょっと甘く、懐かしいような・・・この香りは、なに? 街を歩くと、時折風に乗って届くこの香り・・・あ、やっぱり! 見ぃつけた、キンモクセイ! もう、すっかり秋、金木犀の季節なのですね。
中旬まで猛暑だったのに後半は晩秋のようだった9月、長雨(所により豪雨)に気を滅入らされた9月でした。でも虫は草むらに鳴き、植物は花を開き、また実を結び、時の巡りを告げ、季節の便りをもたらしてくれるのですね。
爽やかな秋晴れで始まった10月は、カラッとした空気に気分もスッキリ、心も軽くなるようです。マエストロを迎える日本、マエストロに栄誉が贈られるこの十月、穏やかな心地良い日が続きますようにと、願わずにはいられません。

昨日は北京でのポリーニ・リサイタルでした。曲目は東京の第一夜と同じショパン、ドビュッシー、ブーレーズのプログラム。“In Memory of the 200th Anniversary of Chopin's Birth”というシリーズの一つ、ショパンは勿論演奏されるとして、ブーレーズのソナタ第2番を取り上げたのは、作曲家の85歳を祝う年でもあり、また中国の若者にも現代の作品を聴かせたいという、マエストロの熱意からなのでしょう。
「Mostly Classic」のインタビューで、日本では現代作品(シュトックハウゼン、ノーノ、リスト晩年の作品、シェーンベルク/78年の公演)にも熱心に耳を傾けてくれた、「でも、そのことは日本音楽の伝統に、西洋音楽の基本である調性が存在しなかったことを考えれば、全く自然なことでした。興味深いことに、西洋の過去の経験より、現代の経験の方に近い音楽言語のシステムがあったのです。そこに、桁はずれの聴衆の関心の潜在性がありました。」と語っています。
日本の聴衆にも大変お褒めの言葉をいただき、少し(大いに?)買い被っていらっしゃるのでは・・・と恐縮でしたが、私達は、日本固有の音の響きに、無意識のうちにも、自然に心身で浸っているのかもしれません。
日本の伝統的な音楽は中国の音階(律)を源流とするようですが、感覚的には随分と異なるように思えます。中国の伝統的な音楽は、西洋音楽のそれとは更に全く異質なもののように感じられますが、北京の聴衆はどのようにポリーニの現代音楽(ブーレーズ)の演奏を聴くのでしょう。2006年に北京でシェーンベルクやリストの晩年の作品を演奏したマエストロですから、手応えを感じていらっしゃるのかもしれませんね。

この“In Memory of the 200th Anniversary of Chopin's Birth”は12月12日の“Concert of 16th International Chopin Piano Competition Winners”(やはり“16回”でした^^)で閉じられます。9月30日から行われているショパン・コンクール、今回も日本から16名の参加者を最多に、中国、韓国、台湾からのアジア勢が40%を占めるという状況です。この北京のステージに登場するのは、誰になるのでしょう、若きピアニスト達(皆さん錚々たる経歴の持ち主)の健闘を祈ります。

さて、北京の公演を終えられたマエストロはそろそろ日本へと向われるのでしょうか。
13日には第22回高松宮殿下記念世界文化賞“Praemium Imperiale”の授賞式です。この賞については皆様も既にご存知のことと思いますが、絵画・彫刻・建築・音楽・演劇/映像の5つのジャンルに贈られる、文化におけるノーベル賞とも言われる格の高い賞です。世界的にも著名な賞で、絵画・音楽・映像の3部門で受賞したイタリアは勿論、イギリス、ドイツ(彫刻部門で受賞)、フランス、ロシア、スペイン、オランダなどでも報じられていました(もっとも「ソフィア・ローレンさん受賞!」とのタイトルが多かったのですが^^;)。
音楽部門の受賞者は第1回ブーレーズをはじめバーンスタイン、リゲティら作曲家12名、指揮者はアバド、メータ、バレンボイム、ピアニストはアルゲリッチ、ブレンデルとポリーニ、チェロのロストロポーヴィッチ、歌手ではフィッシャーディスカウ、ジャズ畑のピーターソンとコールマン。それぞれその道を究め、その領域を広げ、その活動で世界に働きかける大家ばかりです。マエストロ、素晴らしい賞を受賞なさり、本当におめでとうございます!!
18日にはサントリー・ホール小ホール(ブルーローズ)にて記念講演会。諸石幸生氏司会のもと、若き作曲家藤倉大氏との対談が行なわれます。参加できたら良いのですが・・・。
授賞式は、13日(水)に明治記念館に於いて行なわれます。この日のフジTV系のニュース、翌日の産経新聞にて報道されると思います。どうぞご注目を!

今回の更新は、HONORSに受賞のこと、スケジュール表に日程等の追加、ディスコグラフィーに10月13日発売のSHM-CDのナンバーなど追記、またバイオグラフィーに今回の受賞と1978年最初の指揮について、付け加えました。

2010年 10月4日 16:30

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