時々の雑記帳

音楽のこと、ポリーニのこと、日々の雑感を、
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このほかの日記帳はこちらを、すぐ前のものは「春」4〜6月を、すぐ後のものは「秋」10〜12月をご覧ください。

(7月〜9月)

秋めいて…
いつまでも暑さが続く長〜い夏…と思っていたけれど、空には確かに秋の気配。薄い白い絵の具でサッと描いたような絹雲、すじ雲、いわし雲。日ごとに夕暮れは早くなり、虫の声が夜の空気を澄ませていくようです。

ポリーニがコンセルトヘボウ管との共演をキャンセル・・・指揮者のヤンソンスが手術、同時期にポリーニも手術のため、指揮とソリスト、それに曲目も変更となる・・・というニュースには、本当に驚かされました。
先月下旬のこと、ちょうどシエナ、ザルツブルク、ルツェルンと、3つの音楽祭に出演する時期。マエストロ、どうなさったのでしょう? 大丈夫ですか?? と心配でしたが、夏の音楽祭には何処もお元気で登場されたようです。

シエナの演奏会については、クロチルドさんがステキな感想をお寄せくださいました。ありがとうございます!
ザルツブルクでも大成功だったようで、derStandard.atには"Qualitaet durch gute Laune"(上機嫌での上質さ)というタイトルの評、「至高のショパンの夕べで感激させた」とのコピー。sueddeutsche.deというサイトには"Kurs aufs Lyrische(抒情性の上を辿って)というタイトル、「ポリーニのショパンの夕べは本質に迫った」の言葉。(タイトルのみですみませんm(_ _;)m。本文をちゃんと読む気力が・・・)。
ルツェルンでもお元気に登場。ブーレーズのソナタの演奏後は、客席にいた作曲家を舞台に招いて、ポリーニ自身も称賛していたとのこと(アンコールは無かった代わり(?)に)。

9月上旬はMiToへの出演。トリノのSettembre Musicaとミラノ市(?)が共催する国際音楽祭で、今年で4回目となります。第1回の2007年には、12月にSettembre Musica創始者のバルマス氏を偲ぶ「"MITO" Giorgio Balmasに捧げる特別演奏会」があり、ポリーニが出演しました。
今回の演奏会に先立ちインタヴューを受け、「MiToにもイヴレアにも親しみを感じます」と述べています。「我が家の歴史にあるトリノとピエモンテ(州)の存在は、私の父ジーノの建築家としての仕事と関連しています。父は長年に亘ってオリヴェッティの工場などを設計してきました。」フィジーニとともに設計した本社ビル(イヴレア)はイタリア合理主義建築のシンボルのようです。本拠地ミラノは勿論、若い日から親しんだトリノもマエストロにとって心安らぐ街なのでしょうね。
「出口に急ぐせっかちな客の虚を突くように、何度かアンコールがあり、最後にはなんと!ワルツが奏された」とのこと。きっとご機嫌なマエストロだったのでしょう。
ミラノでは最初は別のプログラムが考えられていたようで、2都市間にシャトル・バスが運行されるはずでした。結局、同じプログラムということになり、取りやめられたそうです。
でも、ミラノではチケットが数日で完売、なお希望者が多かったので、隣接するホールSala Pucciniで中継がされたそうです。もしトリノからもバスで聴衆が来ていたら・・・超満員だったことでしょう!
ともあれ、無事に二公演を終えられたようで、安心しました。この先、手術か療養か保養か、詳しいことは判りませんが、一日も早く体調を快復されて、北京−日本ツアーには元気に出発していただきたいですね。
秋の高い空に祈るような気持ちで、10月を待っています。

今回は最近のリサイタルのアンコール曲などを加えて、簡単な更新をしました。

2010年 9月13日 19:00

8月15日
65年前も暑い暑い日だったのでしょう。広島の赤い花、長崎の蝉時雨・・・忘れることなく、風化させることなく、平和に迎えられる夏を感謝しつつ過ごさなければ・・・。猛暑なんかに負けることなく!
と言いつつ、身体的夏バテは水分・栄養補給(こちらはまぁ大丈夫^^)で乗り越えるとして、精神的夏バテは如何にせん、という感じです。朝は寝不足、昼はダルくて瞬間的に爆睡(「平均律」を子守唄に)、夜は寝苦しいけど(「ノクターン」を子守唄に)眠りに落ち・・・。音楽を楽しむのも、味わうのもムズカシイ日々・・・気力が出るのはいつのことやら。
でも、残暑はキビシくても、“晩夏”へ、そして“初秋”へと向う時季。心身を休め、整えて、秋を迎えたいものですね。

6月頃、シューマンについてのマエストロのインタヴュー記事を見つけていたのですが、辞書を引き引き訳す気分にはなかなかなれず・・・やっと読み了え(短い記事なのに^^;)今回遅ればせながら載せることにしました。
秋にはオランダとベルギーでシューマンの協奏曲の演奏もあります。DGの“On Tour”からは何故か消えてしまいましたが、コンセルトヘボウとボザールのサイトにはちゃんとスケジュールに載っています、ご安心を。

見い出さるべきシューマン:ポリーニ「ショパンの名声の影に隠れた天才」

Q:シューマンの200年祭は、ショパンの影に隠れてしまうと、懸念していらっしゃいましたが?

世界中でシューマンには、ショパンほどは(200年記念が)行なわれていないと言えます。少しは予想されていました。でも、これは残念なことです、なぜならシューマンは全く稀有な作曲家で、あまり知られていない作品で深い研究に値するからです。殆ど全てが有名であるショパンとは違って、シューマンには少ししか知られていない曲が沢山あります。このところアムステルダムで行なうシューマン/ショパン・プログラムの演奏会のために、「クライスレリアーナ」と「管弦楽の無い協奏曲」を練習しています。これらの作品の質(の高さ)には、限りなく喜びを覚えます。

Q:シューマンのあまり演奏されない作品は、他にはどんなものがありますか?

ピアノのためのNachtstuckeからNovelleteまで、後期の作品がそうです。ドレスデン革命の1849年に書かれた「4つの行進曲」もあります。“革命行進曲”と明示されるべきだったのに、出版社はただ年(月日?)を入れるようにさせました。まだあります:「暁の歌」、最後のピアノ作品です。心を捉える作品で、私は何度も演奏しました。ロ短調の「アレグロ」はとても深みある若いときの作品です。これはソナタ形式の最初の試みですが、シューマンの並外れた熟達を証明しています。少ない音で、とても簡素な小旋律で作曲するもので、その3つの音の“モットー”で曲は文字通り満たされているのです。
シューマンはドイツ・オーストリア楽派で最もロマンティックな作曲家であり、音楽の細胞を入念に練って作品を創り上げる大家でした。

Q:シューマンとショパンは1810年生まれ、リストは1811年。3人は皆同年齢ですが、こんなに異なっています。

非常に違っています。殆ど正反対と言えるでしょう。ショパンが生涯を通じシューマンの作品に奇妙な無関心を示し、一方シューマンは初めからショパンを偉大な天才と評価し、最初の作品を称賛していたことを思うだけで充分です。例えその後に「前奏曲集」や「葬送ソナタ」といった続く作品に、ある種の理解し難しさを感じたとはいえ。

Q:シューマンを聞くのに、その作品のタイトルや詩的な引用を知ることは重要でしょうか?

シューマンその人は、しばしばその作品に文学的な注釈をつけましたが、と同時に表現することにはある種の慎重さを持っていました。手紙で面白いことを言っています:ベートーヴェンが田園交響曲に於いてインスピレーションの源を明かさなかった方が、聴衆には良かっただろう、と。だから文学的な含蓄に関してシューマンの立場は、いささか曖昧でしょう、ショパンのように、それを全面的に拒否しないとしても。

Q:過去の偉大なピアニストや指揮者の中で、誰のシューマン演奏をお好みですか?

勿論ピアニストのアルフレッド・コルトーです、多くの啓発的な演奏を与えてくれました。それからミケランジェリとミトロプーロスによる素晴らしい協奏曲の演奏を思い出します。

Q:あなたには特別に守っている“規範”というものがありますか?

“バッハの「平均律クラヴィーア曲集」は君の日々の糧であるべきだろう”という言葉が、私はとても好きです。

Il Messaggero (6/10)

このようにシューマンを語った後、「音楽の話も、残念ながらこの国の状況を忘れさせてはくれません。今この国は歴史的に、非常に危機的な時期にあります。違憲の法律の発効、独裁の脅威、右翼の策略を、心配せずにはいられません」とインタヴューを締めくくったマエストロでした。
マエストロが心おきなく、心安らかに、音楽に親しみ、研究・演奏に浸れますように・・・と願いつつ、現実への関わりを忘れたり、社会の問題を無視したりすることの決してない、マエストロ・ポリーニなのだと、改めて感じました。

2010年 8月15日 16:30

夕立なら良いけれど
田畑を潤し木々や花に生気を与え、人には涼しい空気と落ち着いた時間を与えてくれる・・・シトシトと静かに降る梅雨、というのは、古来からの梅雨のイメージ、現代の日本人にとっては“願望”かもしれません。近頃はカラ梅雨ならムシムシと暑く、降れば土砂降り、ゲリラ豪雨という恐ろしい言葉まで生んで、日本各地で発生中。今、我が家付近でも激しい雨が降っています。家人の帰宅の路は大丈夫かしら?と気がかり、室内で音楽を聴こうにも雨音が気になって落ち着けません。今年の梅雨明けは遅くなりそうと、天気予報のお姉さん。暑くても良いから、カラッとした真夏が待ち遠しいです。

いつの間にか、という感じで迎えた7月でした。月の始めに届いた10月のポリーニ・リサイタルのチケット。夏を飛び越え秋へと思いを馳せていますが、あっと言う間に半年が過ぎていたことを思えば、あと3ヶ月余りも“あっと言う間”かもしれません。嬉しいような・・・惜しいような・・・(貴重な時間ですもの)。
マエストロご自身は今はオフですが、8月は恒例のシエナ、ザルツブルク、またルツェルンと、重要な音楽祭に出演、9月にもトリノ、ミラノで、またアムステルダムとブリュッセルで協奏曲の演奏と、忙しい2ヶ月です。それだけにこの7月の休息の時を、心から寛いで、ゆっくりと楽しく過ごしていただきたいですね。

9月“MITO”トリノとミラノの音楽祭もショパン・シューマン生誕200年を祝います。イモラ音楽院の生徒(卒業生も?)が3日から24日までほぼ毎日のように、二つの都市で、ショパンとシューマンの作品から自分の好きな、弾きたい曲を演奏するそうです。
ポリーニはショパンの作品を演奏し、トリノの曲目はすでに発表されました。ミラノでも同一か、別の作品かは、まだ判りません。ミラノではチケットが完売し、手に入れられなかった聴衆のために、隣のSala Pucciniでライブ中継が行なわれることになりました。マエストロのお膝元には、やはり熱心なファンが沢山いるのですね。

10月、来日の前に北京に登場されることも、少しは予想していましたが、やはりSurprise!でした。
北京の新しいホールのピアノがとても気に入ったというマエストロは、今年もショパンの作品を演奏するようです。北京でも“In Memory of the 200th Anniversary of Chopin's Birth”というシリーズが行なわれているのです。
オープニング・コンサートは昨年12月ランランにより行なわれ、続いてチェン・サ、ユンディ・リ、ユジャ・ワンの中国勢とジャン-フレデリック・ヌーブルジュといった若手が登場。後半はギャリック・オールソン、シプリアン・カツァリス、小曽根真、ダン・ダイソン、ポリーニ、アシュケナージ父子。そして最後が“Concert of the Winners of the 6th International Chopin Piano Competition” ・・・6th? 第6回といえば、ポリーニ優勝の回のはず・・・? いわゆるショパン・コンクールとは別の“コンペティション”なのでしょうか?(それとも「16」の入力ミスかしら?)
ところが今日もう一つSurpriseを発見! DGサイトのOn Tourには10月10日にも北京でコンサートがあるとの表示。国家大劇院の予定表には見当らなかったけれど、急遽追加公演なのでしょうか。それとも別のホールで行なわれるのでしょうか?

今回の更新は、“ポリーニのプロジェクト”に昨年パリとミラノで並行して行なわれた公演を付け加えました。本来なら昨年に終了していたミラノの方は、もっと早くUpしても良かったのですが、つい先日終了したパリのPerspektivesに合わせました。
“ポリーニを称えて”にアムステルダムでのコンセルトヘボウ賞を付け加えました。
シエナのプログラムは、やはりザルツブルクのものと同一でした(Thank you, Antonio!)。
トリノと12月のパリのプログラムをUpし、北京の日程を付け加えました。

2010年 7月11日 0:30

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