65年前も暑い暑い日だったのでしょう。広島の赤い花、長崎の蝉時雨・・・忘れることなく、風化させることなく、平和に迎えられる夏を感謝しつつ過ごさなければ・・・。猛暑なんかに負けることなく!
と言いつつ、身体的夏バテは水分・栄養補給(こちらはまぁ大丈夫^^)で乗り越えるとして、精神的夏バテは如何にせん、という感じです。朝は寝不足、昼はダルくて瞬間的に爆睡(「平均律」を子守唄に)、夜は寝苦しいけど(「ノクターン」を子守唄に)眠りに落ち・・・。音楽を楽しむのも、味わうのもムズカシイ日々・・・気力が出るのはいつのことやら。
でも、残暑はキビシくても、“晩夏”へ、そして“初秋”へと向う時季。心身を休め、整えて、秋を迎えたいものですね。
6月頃、シューマンについてのマエストロのインタヴュー記事を見つけていたのですが、辞書を引き引き訳す気分にはなかなかなれず・・・やっと読み了え(短い記事なのに^^;)今回遅ればせながら載せることにしました。
秋にはオランダとベルギーでシューマンの協奏曲の演奏もあります。DGの“On Tour”からは何故か消えてしまいましたが、コンセルトヘボウとボザールのサイトにはちゃんとスケジュールに載っています、ご安心を。
見い出さるべきシューマン:ポリーニ「ショパンの名声の影に隠れた天才」
Q:シューマンの200年祭は、ショパンの影に隠れてしまうと、懸念していらっしゃいましたが?
世界中でシューマンには、ショパンほどは(200年記念が)行なわれていないと言えます。少しは予想されていました。でも、これは残念なことです、なぜならシューマンは全く稀有な作曲家で、あまり知られていない作品で深い研究に値するからです。殆ど全てが有名であるショパンとは違って、シューマンには少ししか知られていない曲が沢山あります。このところアムステルダムで行なうシューマン/ショパン・プログラムの演奏会のために、「クライスレリアーナ」と「管弦楽の無い協奏曲」を練習しています。これらの作品の質(の高さ)には、限りなく喜びを覚えます。
Q:シューマンのあまり演奏されない作品は、他にはどんなものがありますか?
ピアノのためのNachtstuckeからNovelleteまで、後期の作品がそうです。ドレスデン革命の1849年に書かれた「4つの行進曲」もあります。“革命行進曲”と明示されるべきだったのに、出版社はただ年(月日?)を入れるようにさせました。まだあります:「暁の歌」、最後のピアノ作品です。心を捉える作品で、私は何度も演奏しました。ロ短調の「アレグロ」はとても深みある若いときの作品です。これはソナタ形式の最初の試みですが、シューマンの並外れた熟達を証明しています。少ない音で、とても簡素な小旋律で作曲するもので、その3つの音の“モットー”で曲は文字通り満たされているのです。
シューマンはドイツ・オーストリア楽派で最もロマンティックな作曲家であり、音楽の細胞を入念に練って作品を創り上げる大家でした。
Q:シューマンとショパンは1810年生まれ、リストは1811年。3人は皆同年齢ですが、こんなに異なっています。
非常に違っています。殆ど正反対と言えるでしょう。ショパンが生涯を通じシューマンの作品に奇妙な無関心を示し、一方シューマンは初めからショパンを偉大な天才と評価し、最初の作品を称賛していたことを思うだけで充分です。例えその後に「前奏曲集」や「葬送ソナタ」といった続く作品に、ある種の理解し難しさを感じたとはいえ。
Q:シューマンを聞くのに、その作品のタイトルや詩的な引用を知ることは重要でしょうか?
シューマンその人は、しばしばその作品に文学的な注釈をつけましたが、と同時に表現することにはある種の慎重さを持っていました。手紙で面白いことを言っています:ベートーヴェンが田園交響曲に於いてインスピレーションの源を明かさなかった方が、聴衆には良かっただろう、と。だから文学的な含蓄に関してシューマンの立場は、いささか曖昧でしょう、ショパンのように、それを全面的に拒否しないとしても。
Q:過去の偉大なピアニストや指揮者の中で、誰のシューマン演奏をお好みですか?
勿論ピアニストのアルフレッド・コルトーです、多くの啓発的な演奏を与えてくれました。それからミケランジェリとミトロプーロスによる素晴らしい協奏曲の演奏を思い出します。
Q:あなたには特別に守っている“規範”というものがありますか?
“バッハの「平均律クラヴィーア曲集」は君の日々の糧であるべきだろう”という言葉が、私はとても好きです。
Il Messaggero (6/10)
このようにシューマンを語った後、「音楽の話も、残念ながらこの国の状況を忘れさせてはくれません。今この国は歴史的に、非常に危機的な時期にあります。違憲の法律の発効、独裁の脅威、右翼の策略を、心配せずにはいられません」とインタヴューを締めくくったマエストロでした。
マエストロが心おきなく、心安らかに、音楽に親しみ、研究・演奏に浸れますように・・・と願いつつ、現実への関わりを忘れたり、社会の問題を無視したりすることの決してない、マエストロ・ポリーニなのだと、改めて感じました。