朝はすじ雲がたなびいて、秋の空は高いなぁ・・・と思ったのに、昼には入道雲が湧き出る夏空になって、きびしい残暑。
夏が去り秋が訪れたように見えて、次の日は夏が戻り秋が身を秘めている、夏と秋が入り混じった季節。“行合いの空”は夏の季語だそうですが、どこか涼やかな気配の漂う言葉です。
季節の移ろいには春夏秋冬それぞれの想いがあるけれど、晩夏から初秋へ向うこの時は、いつも少し寂しさを覚えます。強烈な日射から温かい陽射しへ、猛暑から爽やかな心地良い日々へ移るというのに。季節はまた巡るとはいっても、盛夏から初秋へと移る空や風が、過ぎ去った時はもう還らないことを、思わせるからでしょうか。
九月も半ばとなり、今日はもう聞こえないセミの声。夕暮れからは虫の音も愈々しげくなり、やっぱり、もう秋!なのですね。夏の間はすっかりご無沙汰していた音楽に、また親しめる、親しみたい季節です。
夏休みに、というか秋の初めに、中国地方を旅してきました。まさに台風12号のさ中に!です(^^;)。
超大型台風のすさまじい被害に遭われた地域の方々に、心よりお見舞い申し上げます。
ノロノロ台風のせいで、殆んどが雨の中の旅、絶景や碧い海に浮かぶ島々・・・などはマボロシでしたが、まあ、無事に帰ってこられて、良かった〜〜。
初めて訪れる広島の平和公園も雨。観光ルートに従って、原爆ドームを望み、平和の鐘を聞き、平和の火を見て、慰霊碑に向いました。テレビや写真から想像していたよりも、こじんまりとして、暖かみと安らぎのあるモニュメント。碑文を目にして、ハッと、ここは詣でるべき場所なのだと、やっと思いいたりました。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」・・・主語の無いこの誓いの言葉を、改めて思います。「人類」が主語であり、「我々」が主語であり、「私」一人ひとりが主語である言葉の、込められた意味の深さを。この祈りと誓いを、今、本当に守らなければならないのだと、強く思います。核戦争は勿論のこと、その平和利用も危険に満ち、惨禍と隣り合せということ、そもそも人間が統御し得ない「力」を、“利用”することなど出来ないのだということを、肝に銘じて。
思えば、1981年4月、マエストロが若き日に広島を訪ね、献花されたのも雨の中でした。
強い意志で自ら広島公演を希望し、雨の中平和公園を訪ね、慰霊の花束を捧げたポリーニ。世界の出来事に関心を持ち、社会のあり様を見詰め、人々に心を寄せる姿は、昔も今も変わらないマエストロなのですね。
この夏の公演は、プロジェクトは、どうだったのかしら・・・。インターネットでいくつかの評を見ましたが・・・読めない!のが現実でした(涙)。マンツォーニの初演の評が大部を占めましたが、未知の作品についてのイタリア語やドイツ語の評は、悲しいことにチンプンカンプン。猛暑、節電の中で、読む気力も失ってしまって(^^;)。
“L'estro di Pollini esalta ≪Il rumore del tempo≫”「ポリーニの霊感が≪Il rumore del tempo≫を際立たせた(最大限に高めた)」というタイトル。そしてベートーヴェンのソナタは「早いテンポで、音は(さやをむいた豆のように)クッキリとはしていなかったが、めったにないほどの深さと美しさだった。」ようです。
ザルツブルク音楽祭のリサイタル、ベートーヴェンのソナタも素晴しかったようです。
彼のイメージ(クールで計算された、というような)に逆らう演奏で、「ロマンティックへの門を広く開いた」。「巨匠ピアニストはその最高の知的可能性を次々と披露し、しかしそれと同じくらいに、感動的な、深く心に感じたものを、供した」(まだしっかり読んでいません、すみません)
ザルツブルクでは、Salzburger Nachrichten紙にポリーニの“稀な”インタヴューが載っていました。
“Die wahre Kunst ist eigensinnig”(真の芸術は頑固なものだ)
Salzburger Nachrichten:演奏者にとって、聴衆はどんな役割を果たしますか?
ポリーニ:造詣が深く感受性の優れた聴衆がその場に居ることは、芸術家にとってとても重要な事です。勿論、聴衆がいなくても音楽を表現することは出来ます、演奏されることなく、頭の中で思いめぐらされて。しかし聴衆を前にして音楽が演奏されることが、自然のシチュエーションです。
SN:祝祭大劇場のような巨大な環境でも、そうですか?
ポリーニ:勿論、19世紀のピアノ曲の傑作は、今日考えられるより小さなホール向けのものでした。だからより小さなホールでピアノの夕べ(リサイタル)を開く方が良いのかもしれません。でも残念な事に今日の音楽生活の発展はそれを不可能にしています。
明らかに、祝祭大劇場の中では、ピアノのような一つの楽器はオーケストラと同じ効果を得ることはできません。他方で、ホールの音響効果のクオリティに、多くを依存するのです。良い音響は大きなホールの中でさえ、聴衆とのコンタクトを生み出す助けとなり得ます。
SN:それでは、総じてベートーヴェンのピアノソナタなども、多くの聴衆の前で演奏するように考えられているのですか?
ポリーニ:ベートーヴェンの時代には、まだピアノの夕べは生み出されていませんでした。それはまずリストと共に興ったのです。しかし、明らかにベートーヴェンのソナタは聴衆との意思の疎通を想定されています、静かな小部屋で弾く音楽としてあるのではなく。
SN:あなたは常にまたベートーヴェンへと、還りますね・・・。
ポリーニ:理由は明白だと思います。第一に彼は多くの作品をピアノのために書きました。彼は本当に偉大な作曲家で、彼の作品はいつも新たに提起するもの(衝撃)を取り上げています。より深くそれに通暁し、より良くそれを識ることが出来ます。アルトゥール・シュナーベルはベートーヴェンのソナタについて言っています、そこにはつまらない作品は一つもない、と。すべての曲が非凡な観点を含んでいるのが判ります。初期のものにさえ、です。人はそこにハイドンやモーツァルトからの影響をなお聞くのですが。
SN:その作品にまた還る時、再び最初から始めるのですか、ベートーヴェンが未だ書かれていない楽譜であるかのように?
ポリーニ:いいえ。人には記憶能力があります。それは消し去る事は出来ません。ソナタを再び学ぶ時、古い経験を新たにし、深いものとし、変っていくのです。
SN:あなたが今ルツェルンで行なうように、ベートーヴェンのソナタを現代の音楽と一緒に演奏すると、そこではベートーヴェンは違ったように響くのでしょうか。
ポリーニ:いいえ。ベートーヴェンの演奏がそれによって変わることは絶対にありません。ベートーヴェンとマンツォーニ、ラッヒェンマン、またシャリーノの初演作品をともに演奏しますが、その中で彼等がある共通の姿勢を持っていることを、私は示したいのです。かつてベートーヴェンがこう言いました:「世界(社会)は王様だ、彼等は媚びられるだろう。しかし真の芸術は頑固(自己意識の強い?)なものだ、ご機嫌とりの形に無理に押し込めさせてはならない。」
SN:これらの新しい作品を演奏する時、何に重きを置かれていますか:構造を把握する事、それとも感情的な内容でしょうか。
ポリーニ:それは分けることが出来ません。頭と心の分離という伝統的で少々誤ったこの考えに、そもそも私は全く反対です。芸術は両者の結合したものなのです。
SN:あなたはいつも現代の音楽に惹かれています・・・。
ポリーニ:おそらくこの親和力は、私が成長した環境に関連しているのでしょう。父はイタリアの最初の現代的書法の建築家の一人でしたし、母の兄ファウスト・メロッテイは1930年代に抽象彫刻を製作しました。誰も私には、現代芸術と掛り合うようにと促さなかったのですが、それは確かに私に影響を与えました。
現代のレパートリーの存在を通して人は音楽生活を豊かにするに違いないと、私はいつも思ってきました。勿論、今日の各々の作品が過去の偉大な作品に劣らぬような傑作である、という事から我々は出発することはできません。それにもかかわらず、これらの音楽は演奏されるべきです。歴史がその時、過去に於いてもそうだったように、厳しく選択するでしょう。
SN:現代または同時代のどんな作品を、最初にコンサートで弾いたか、まだ覚えていますか?
ポリーニ:早くにシェーンベルクを弾き始めました。最初に同時代の作品を公開の場で弾いたのは、多分ブーレーズの第2ソナタです、1968年のコンサートで弾きました。
SN:あの騒擾の時代。今日イタリア文化の状況を考える時、オペラハウスの危機がすぐに思い浮かびます。
ポリーニ:交響楽と室内楽の領域でも、我々はまさに同じ問題に直面しています。政府の側からの文化一般に対するひどい無関心さがありますが、音楽にはまた特にひどいのです。
SN:2月にミラノで行なわれた催しに登場されたのをインターネットで見ましたが、ベルルスコーニを批判していました。その様に、やはりあなたは政治的な音楽家なのですか。
ポリーニ:私は音楽家として、とにかく、興味を持たざるを得ないのです、周りの世界で何が起こっているか、に! 沢山の問題があります。そこに、何よりも人権を尊ぶこと、また働く権利を尊重することを、私は考えます。
経済は(人に)奉仕すべきで、奉仕されるべきではありません。そのために若い人たちが、アラブの国々だけでなく、世界のどこででも、街廻りをしているのです。
(29/8/2011)