時々の雑記帳

音楽のこと、ポリーニのこと、日々の雑感を、
時々(気まぐれに)、書き入れます。

更新状況もここに載せます。
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このほかの日記帳はこちらを、すぐ前のものは「秋」10〜11月を、後のものは「春」4〜6月をご覧ください。

(1月〜3月)

One World
冬季五輪終りなば 春遠からじ・・・4年ごとのスポーツの祭典が閉幕しました。
日頃の努力が報われた人、力を出し切った人、成果を得た人、惜しくも調子が上がらなかった人、悔しい思いをした人、満足できた人、更に上を目指す人、泣いた人、笑った人・・・頑張った選手達皆に「おめでとう! 出場して良かったね、よく頑張ったね、お疲れ様!!」と言いたいです。
国を意識して、とか、国家を背負って、とか、果ては「国威発揚」??? もちろん私も、日本選手の活躍に声援を送りました。でも、スポーツで純粋に競い合うことで自他を知り、互いに敬意を抱き、親交を重ねて、5つの輪が繋がるように地球を一つに結ぼうという精神が、「国」に分断されるのでは、オリンピックの意義がありませんね。
皮肉にも、地球は一つということを実感させられたのが、チリの大地震。日本から最も遠い地域なのに、着々と、着実に、押し寄せる津波。50年前も同様だったといわれます。自然の力(脅威)は、容赦なく地球は一つ、地球上の生命は運命を共にするもの、と教えてくれます。

日記帳を書くのがこのところ1ヶ月に一度、“月記帳”と改めねばならない有様ですが、1ヶ月ぶりともなると、ご報告すべきことも沢山出てきます。

2月半ばのジェノヴァでのリサイタルはGOG(Giovine Orchestra Genovese)、若い音楽家(愛好家)のための演奏会でした。この日は盲目のテノール歌手アンドレア・ボチェッリも聴きにきていたとか。ここで練習曲8曲(op.25の1、2、3、4、7、10、11、12番)が演奏され、ポリーニの選択が明らかになりました。
翌日は若い世代に向けて講演会が開かれ、ポリーニは「古い時代順にではなく、古典と現代作品を同時に味わうことで、若い人達も芸術音楽に親しめるのではないか。それにはバルトーク『ミクロコスモス』などが良いと思う」また「もっとクラシック音楽に親しんでほしい。そのためにはi-Podのような機器を利用するのも良いかもしれない」などと話しています。

リスボンのリサイタルをキャンセルされたマエストロ。どんな“illness”かしら・・・と心配でしたが、数日で快復されて、24日のローマのリサイタルは予定通り行なわれました。プログラムはオール・ショパンですが、前半に24の前奏曲、休憩後にバラード、ノクターン、エチュード8曲となっています。大きなホールに超満員の聴衆、ナポリターノ大統領も臨席されて、成功裡に行なわれたようです。

3月1日はロンドンでリサイタル、ステージ上に200のエクストラシートも作られたほどの満席で、ローマと同じプログラムです。Webで3つの批評を読みました。ザッと見てみると・・・。

★★★評(MusicalCriticism.com)は、「余りに速すぎて、ディテールが不明となり、明晰さが失われ」、「彼の指も速さに付いていけぬこともあり」、「ペダルの多用のために音も濁っていた」というようなキビシイ内容で、ポリーニは体調が悪かったようだ、とも。
★★★★評(Times Online)は、「歳をとっても、技巧的にも、妥協せぬ演奏も、以前と少しも変わらない」「virtuosityは彼の目的ではなく、媚びるような、眩惑的な、感傷的な演奏は排されていた」が、「充分に洗練されたノクターンは静けさと魅惑のオアシスのようだった。」「真面目な思索家としてのみでなく、夢想家、原(前)モダニスト、不安定な時代の預言者としてのショパンを表そうとしているようだった。」「従来の、メロディーの伴奏に対する優位性は、轟くような左手の音に挑まれ、パッセージはひどく急かされていた。」「好むか否かは別として、私はとても惹き付けられた。繊細なニュアンスに富むピアノの愛好家向けではなかったが、数え切れぬ程幾度も聴いた曲にも、新たに思考を巡らさずにいられなくするポリーニの力を、厳然と示すものだった。」
★★★★★評(The Guardian)は、「非常にシリアスな芸術の革新家としてショパンを表現したいポリーニの決意が、リサイタル全体を照らしていた。24の前奏曲で重視されたのは常に和声に実験性のある曲であり、そのアプローチにポリーニ好みの楽器Steinway/Fabbriniの、豊かで濃い色彩感は有効だった。力量の劣る演奏者であれば単に技巧の華々しさしか目指せない練習曲において、集中力ある、力を惜しまぬポリーニの演奏は、彼が選択した8つの曲には更に野心的な芸術上の目的があることを、主張するのに成功したのである。」
「これは非常にシリアスなリサイタルであり、ポリーニという適任者によって、ショパンが最も偉大な音楽の革新者の一人であると、否応なく認めさせるものであった。」

万人を納得させる演奏というものは無いのかもしれませんが、聴き方、視点、聴き手の受容する力によって、評価は大きく変わるものですね。

さて、苦手の英文を読み日記帳を書くのに手こずっているうちに、ゲストブックの方にクロチルドさんから素晴らしいご感想が寄せられました。マエストロの様子、ホールの雰囲気、聴衆の熱さも伝わり、批評家の文章など霞んでしまいますが、多様な感想・評価を知るのも良いかもしれない・・・と、これらもこのまま載せることにいたしました。
クロチルドさん、本当にありがとうございました!!

来シーズンの情報も、幾つか入って来ました。
シーズン初めの9月には、マリス・ヤンソンスとコンセルトヘボウ管との、4回もの共演。
2011年にロンドンで行なわれる“Pollini Project”にも注目を! 5回のリサイタルでバッハからシュトックハウゼンまで俯瞰する、素晴らしいプログラムです。
([2009-2010 Season]の後の方に載せています)

2010年 3月5日 9:30

梅一輪 雪一片
冬晴れの日には小鳥の囀りがよく聞こえるようになりました。「梅に鶯」というけれど、小さな梅の花には鶯より小柄なメジロがお似合いです。枝から枝へと忙しく飛び交う姿は、小さな体いっぱいに嬉しさを表しているよう。そんな光景を求めて先月下旬に行った公園には、二本の白梅と紅梅がすでに七分咲き、艶やかな光景がありました。東京の一月は確かに暖冬だったのでしょう。でも二月に入り、昨夜から雨がみぞれに、雪に変わり、東京も白い景色となりました。もうすぐ立春、とはいえまだまだ寒さは厳しい・・・雪の多い地方の方はもちろん、皆様どうぞ体調に気をつけてお過ごしください。

マエストロは1月は寒いドイツでの演奏会。風邪など引かれませんように、氷で滑ったりなさらないで(^^;)・・・などと気がかりでしたが、無事に3都市でのリサイタルを終えられたようです。
ゲストブックにてお知らせしましたが、プログラムの変更があり、ショパン=シューマン・イヤーはこの二人の作品で開始されました(リストは来年が生誕200年ですから、演奏の機会もまたあることでしょう)。

Janさんからフランクフルトの評はpositiveで、アンコールは“革命”と“バラード1番”だったとお知らせをいただきました。その後彼はベルリンの演奏会に行き「ショパンの音が、もう本当〜に美しくて、暖かみがありました・・・。シューマンではむしろ落ち着いて、コントロールして始めたけれど、最後は5曲(“革命”“バラード1番”“雨だれ”“前奏曲24番”“練習曲4番”)ものアンコールになりました!」と、ホットなメールを送ってくれました。

クロチルドさんもベルリンの演奏会にいらっしゃって、メールでご感想をお寄せくださいました。マエストロのご様子やホールの雰囲気など皆様にもお知らせしたく、一部を引用しながら記させていただきます。

ベルリンはずっと「日中の最高気温が零下14度」という「雪と氷に閉ざされた」街だったそうです(やっぱり“滑らないで、マエストロ!”と祈りたくなりますネ)。
ホールはほぼ満員で「幾分はやい足取りで登場なさったマエストロは」「なんだかホームグラウンドに帰っていらっしゃったかのようなリラックスした表情でした。」
「拍手が完全には鳴り止むのも待たずの、まずシューマンのピアノソナタ第三番でした。楽章を重ねられる度に聴衆はもちろん、マエストロ御自身がこの曲に引き込まれていくのがありありと判り、とにかくその音の美しさには信じ難いものがありました。」
幻想曲は「この演奏はいまだに本当に幻想であったとしか思えないのです。」「今回の演奏で、シューマンの幼稚性、狂気、夢見がちさ、ロマンティックさ、自閉性などというものが万華鏡のように飛び散るのが見えたかの様で、幻想曲というものの真意が少しは理解出来たかと穿ったことまで思ってしまったくらいでした。マエストロの演奏は力強くて繊細で、外のマイナス気温など嘘のような熱を帯びていて、特にデリケートな箇所になると目をギュッと瞑って打鍵されていたのが、ほんとうになんだか子供のような純粋さでした。」

休憩時のロビーでは「ドイツ人の聴衆は意外に大人しくてクールなんだなと思いました。」(イタリア、フランス、イギリス・・・それぞれお国柄というものが、出るようですね。)「このことは演奏後の拍手にもなんとなく感じられました。」
「席に帰ると、ファブリーニさんがかなり本格的な調律をなさっていました。」

「後半はノクターンを二曲間を空けずの演奏で、これは本当に夜想曲らしい、どこかから梟の声の聞こえてくるような美しい夜の情景でした。

最後がソナタ第二番でしたが、パリでのモダンとはまた違い、少しだけテンポの緩やかな演奏でしたが、楽章の間はまったく間を空けずに弾かれ、四楽章からなるソナタというよりも、一つの長い織物のような演奏でした。マエストロは時々顔を上げて宙に響く音楽を聴くようになさりますでしょう、しかし最終楽章ではそれが一切なく、目はずっと鍵盤を見据えられたままで、しかし音には一滴の濁りもなく美しく、最近(の訳で)読ませていただいた、『ショパンには閉ざされた部屋がある』ということを思い出させる演奏でした。

わたくしの主観ばかりになって申し訳ないのですが、今回はどの曲も、とにかく音の澄みかた、硬質な美しさが印象的でした。最近しばしば批判される『音の冴えが悪い』ということなどは立つ余地が全くありませんでした。

クールな聴衆もやっと情感を揺さぶられたようで、このあとの拍手は盛大なものでした。

アンコールはまずエチュード『革命』で、これも音の美しさが素晴らしいものでした。このあと花束嬢から花束が渡され、次がバラード第一番でした。たしかにうっとりする美しい演奏でしたが、ドイツ人はこの曲が好きなのか、この曲の後には舞台下に殺到する人が何人もいて少し驚きました。三曲目はプレリュードの『雨だれ』で、この辺りから、舞台に出ていらっしゃる度にマエストロはまるで友人に笑いかけるかのような親しみやすい笑顔でなんとも素敵でした。(その後の2曲も) 『欲張りだな』と苦笑しながらの演奏がまた素晴らしいものでした。」

演奏会の後はサイン会で、「CDも売っていないのでなんにでもサインをしてくださるということだった」そうです。(ドイツでとても好評のCD「平均律」ですが、このホールでは売っていなかったのでしょうか???)
なお、この演奏会は録音されていたとのこと、ラジオで放送されるのを聴けると良いですね。

クロチルド様、マエストロの表情が目に浮かぶようなご報告を、本当にありがとうございました!

3日のバーデン・バーデンのリサイタルには曲目の追加があり、ミュンヘンと同じ充実したプログラムになります。
また、まだ少しですが、来シーズンのスケジュールが発表になりはじめました。
9月25日・26日はハンブルクで(これは、リサイタル or 協奏曲でしょうか・・・詳細は判りません)。
来年春はカーネギー・ホールに、またも3回登場のマエストロです。どの日も素晴らしいプログラム!
スケジュール表に変更・追加などを書き加えました。アンコール曲と来年の予定については、[2009−2010 Season] をご覧ください。

2010年 2月2日 12:30

ショパンに始まる佳き年を
初春のお慶びを申し上げます。
東京地方ではよく晴れた元旦を迎えました。厳しい寒さに見舞われて過ごされた方もいらっしゃると思いますが、皆様お健やかに穏やかな新年を祝われたことと存じます。今年も素晴らしい一年となりますようお祈りいたします。

今年の聴き初めは何にしようかしら・・・やっぱり2010年はショパンよね。昨年は「平均律」で暮れたから・・・「前奏曲」が良いかなぁ、などと迷って、結局「ノクターン集」を聴き始めました。久し振りのショパン。やっぱりポリーニのショパンは良いなあ、と改めて感動しております。
今年2010年はショパン・イヤー(私としてはシューマン・イヤーも祝いたいのですが)。ポリーニのショパンも、世界中で一杯、聴けることでしょう。より自由に、豊かに、深みを増して。ポリーニにとっても素晴らしいショパン・イヤーになりますように!
あ、ここで、皆様、ミラノの空に向って、お祝いの念を送りましょう!

マエストロ・ポリーニ、
お誕生日おめでとうございます!!
今年もお元気で、幸多い一年となりますように!!

ついでに(って、失礼かな)、新しい録音を密かにお願いしてみましょう。
私は・・・ショパン・イヤーだから、この際、協奏曲第2番など、どうでしょうか(共演が要るから・・・やっぱり「夢」ですネ)。

さて、暮れの28日、La StampaのWebにポリーニのインタビューが載っていました。
聴き手のSandro Cappellettoさんは、"Pollini e la sua musica"というフィルムを作った人です。

ポリーニとショパン
「彼の音楽? 奇跡ですよ」

最高に独創的な音楽家です。彼は父もなく子もない(先達も後継者もない)作曲家と見なしてよいでしょう、フランスの印象主義に影響を与えはしましたが。先立つ人ではバッハとモーツァルトだけを愛し、同時代人たちは愛しませんでした。ショパンの不思議な点は、このような隔絶した位置にいながら、普遍性を獲得し、世界中の聴衆を感動させることです。

'60年にワルシャワでピアノ・コンクールに優勝した時、マウリツィオ・ポリーニは18歳だった。
2010年にはその名を冠した作曲家の生誕200年が巡ってくる。その音楽への愛は変わることがない。
「ショパンを演奏することは、信じられないほどの恩典です」
ミラノ中心部の彼の家で対話した。話はすべて音楽のことばかりだが、最後にこの国への懸念を述べた。
「とても低いレベルでの妥協が常になされることに満足できません。むしろ、誤りから誤りへと移っているようです」

《ニーチェが書いています「ショパン、ポーランド人、比類なき人」と。》

彼をその国に結びつける要素は、多くの作品のインスピレーションの源です。しかし、聴く人には、ポーランドだけでなく、一般に少数派の人々のための表現として感じられてきます。ポーランドの人々が殆ど宗教的といえるほど、彼を崇敬しているとしても。

《彼の芸術の核心に入るのに、助けをいただけますか。》

ショパンはかつて誰もしなかったほど、非常に魅惑的なピアノの曲を創作しました。ペダルのもつ力と伴奏を意のままに用いることで、和声の描く現象を貫いて、メロディーをよりよく歌わせるように書いたのです。歌の芸術です。ピアノを打楽器として考えるのでなく、歌う楽器となるようにしたのです。
音のこの美しさを物理(身体)的な観点から実現し、演奏上の諸問題を解決することは、とても難しい課題です。ルービンシュタインが言っていました「打上げ花火みたいなソナタを、何でもないように弾くことはできる。ショパンの曲を演奏するためには、一音ごとに考えなければならないのだよ。」
すべてが我々を惹き付け、彼の音楽の本質に近づいたように思われます。しかし最後には、ある遮蔽された、入り込むのが困難な部屋を見出します。そこに彼の内面が収められているのです。

《あなたがより魅了されるのは何ですか?メロディーの創出、それとも形式の完璧さですか?》

ショパンは素晴らしいテーマを生み出す豊かな創作力を持っていました。それでも、形式の完璧性を求めて必死に努めたのです。そして常にやり遂げました。多分他のロマン派の作品には、冗長なものがあるでしょう。ショパンにはありません。バラード第2番は3つの和音で終ります。それに4つのバージョンがあるのです。ハーモニーは全く変えず、ただ和音の配置を変えただけの。どんな細部にも、細心の配慮があるのです。

《自然や夜や嵐に対する彼の極端な感じやすさについて語った解説があります。この点ではジョルジュ・サンドが忘れられない記述を残しています。》

彼にはコントラストがあります。おそらくまばゆい創作の源となるであろう、殆ど錯乱とも言えそうな興奮状態と、一方で作品を完璧に仕上げる冷静さとの間に。対照的な要素が、結合して、この比類ない創作の秘密を語るのです。それをよく演奏し得るためには、非常に激しい情熱性と、その厳しい謹厳性を統合するように努めなければならないでしょう。謹厳性、彼は極度に、すべて下品なことを嫌悪していました。モーツァルトにまで“ドン・ジョヴァンニ”の中の下品さをとがめているのです!

《ショパンは39歳で亡くなりました。最後の時期の資料には強い抑うつ状態があったとあります。すでに“ただ何か最悪のことを”しかねないと思い込んでいたようです。》

病気の悪化で創作力の衰えを感じて、そのことに苦しんでいました。けれども、最後に、彼はおそらく最高の傑作のいくつかを書いたのです! ことによると、雷で打つようなテーマを創出する力の衰えがあったのでしょう、しかし、最後の作品は恐ろしいほどの深さを持っているのです。

《彼は、パリのサロンで神のように崇拝されていましたが、楽しむすべも知っていたのでしょうね。》

彼は知的で、辛辣で、とても慎み深い人でした。彼のユーモアを語ると…ある夕べ、あるサロンで、夕食の後に、何度も何度も“ピアノを弾いて下さらない?”と頼まれて、ついに言いました「でも、マダム、私は殆どなにも食べていないのですよ!」

《200年の記念の年に何を願いますか?》

偉大な作曲家ショパンという、より明白な認識がもたらされる機会となるでしょう。 2010年には同い年のロベルト・シューマンは残念ながら忘れられがちですが、彼のためにショパンへの素晴らしい定義を掲げるべきでしょう、「花々の下に、大砲がある」と。

La Stampa 2009.12.28


ショパンの曲はもちろん多いけれど、シューマンも忘れずに取り上げる、今年のマエストロです。
更新は、バイオグラフィーに少し追加をしました。

2010年 1月5日 11:45

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