時々の雑記帳

音楽のこと、ポリーニのこと、日々の雑感を、
時々(気まぐれに)、書き入れます。

更新状況もここに載せます。
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このほかの日記帳はこちらを、すぐ前のものは「夏」7〜9月を、後のものは「冬」1〜3月をご覧ください。

(10月〜12月)

慈父の眼差し
とうとう師走を迎えてしまいました。いえ、もう1週間も経っていました! 12月になったら・・・と先送りしていたいろいろな事を片付けなければと思いつつ、まぁ焦ってもしょうがないサと、すでに半ば諦めの“境地”に近づいている私。
一昨日は小春日和に誘われて、神宮外苑へいちょう並木の散策に出かけました(これは今しか出来ないことですから)。銀杏の葉は前日の雨に打たれて大分落葉していましたが、道の両側に連なる大きな枝々、地面も黄色に染まった並木道は、ウヮ〜ッと思うほど美しく、壮観でした。
この道は(パンフレットによると)“青山通りから樹高順に絵画館を大きく見せる遠近法を使って植栽し”ているとのこと、それも1600本もの木の中から“146本を選抜、並木として適格になるよう年々樹形を整えたもの”なのだそうです。都市の自然の景観は人間の目線で定められ、人の手をタップリ入れて作られている、そして見事な、壮観な、絵になる景色となっている、のですね。なるほど・・・と思いつつ、その整えられた樹形が、天を突くように尖がっているのが気になりました。なんだか針葉樹の森のよう。銀杏の葉の黄金色がもたらす暖かさが、削がれてしまっているような気がします。
それでも木々は1本1本、枝ぶりも、葉の色づきも、落葉の時期も異なり、多様な姿を見せています。その下を歩き、枝を見上げ、舞い落ちる葉を眺め、カサコソ鳴る落ち葉を踏んで、時々キレイな葉を見つけて拾ったり・・・自然との小さな触れ合いを楽しみました。それにしても、人、人、人の多かったこと! 皆、晩秋の穏やかな陽射しの中、温かな黄色に包まれて、幸せそうに見えました。

ゆっくり音楽を聴ける日は(このところ余り多くないのですが)、やはりバッハ「平均律」に手が伸びます。いつも新譜が出ると繰り返し聴いて堪能するのですが、この2枚組CDは日常的に聴くには「畏れ多い」感じがして、ゆっくり時間がある時、ジャマの入らない時・・・のために取っておこうと思い、まだ“堪能”するほどは聴いていないのです。
けれども、1曲聴くごとに、“堪能”させられている不思議。この曲が好き、これも良い曲ね、アッこれも素晴らしい・・・どの調性の曲もそれぞれ独自の魅力を持ち、深く心に染み、美しさに心奪われ、新しい視界が開け、悲しみに涙し、輝かしい音色を楽しみ、ほの暗い響きに心ふさがれ、愛らしいメロディーに癒され、音による大きな構築に圧倒され、技巧の粋に目くるめく思いをし・・・バッハが曲に込めた思いが、確かにポリーニの手から伝えられている、そう感じられて、まるで奇跡に遇ったように感動=歓びが湧いてくるのです。

バッハが10歳の長男フリーデマンのために書き始めた曲集。クラヴィーアの技巧とともに、作曲の技法も伝えようと、調性ごとに心を尽くして「ほら、この響きからは、こんな曲が生れるよ。感じたままに弾いてごらん。フーガではこんなことも出来るんだ。面白いだろう?」なんて(勝手な想像)、子供に優しく語り掛ける父親の温かい眼差しを感じます。頑固者だったというバッハは、意外と子煩悩(子沢山だし)なパパだったのでは。
と同時に、立派な音楽家に成長することを願い、一人の人間として深い思いを込め、高度な技巧を駆使して、充実した内容の曲を一心に作り出しているかのようです。

曲集の表紙には「学習熱心な若い音楽家のために、また、すでに熟達した人々の特別な楽しみのために」と書かれているそうですが、子供の時からバッハに心酔していたというポリーニは、きっとこの曲集を熱心に学習したことでしょう、そして今(いえ、ズーッと前からですが)熟達した人となったマエストロは、レコーディングにどんな気持ちで臨んだのでしょう。やはり熱心に、謙虚に、真摯に、けれどまた大いなる“特別な楽しみ”を心に抱きつつ、演奏していることでしょう。
クラヴィーア曲をピアノで弾くことに躊躇したという、真面目なポリーニ。でも、モーツァルトもベートーヴェンもショパンも、みな自分の時代の楽器・ピアノで演奏して、バッハの偉大な音楽に触れ、感動し、敬愛し、その精神を吸収して、自らの音楽を創造してきたのですから。そのように受け継がれてきた宝物のような音楽を、より豊かな表現ができる現代のピアノで演奏することに、何の問題があるでしょう。今このCDに聴く、豊かな、充実した美しい音楽を前に、ただ、感謝の思いに浸るばかりです。

マエストロは7日、パリでの公演を終えられて、もう今年はフリー。来年1月のフランクフルト公演まで、ゆっくりと過ごされることでしょう。とはいっても、来るショパン・イヤーに向けて、きっと音楽の探求にも、自由に、熱心に、取り組まれるのでしょうけれど。ミラノで(それともパリで?)楽しいクリスマス休暇をお過ごしください!

今回の更新は、ウィーンのプログラムとルツェルンの日程、東京のピアニスト・シリーズの日程を入れました。ワルシャワの演奏会は、一旦、日程表から除きました。

2009年12月8日 15:30

清冽な水 豊かな海
昨日は一日中チェーンソーの音がしていました。家の前の公園で枝下ろしをしているのです。桜やヤマボウシが紅葉を迎え、黄や紅の葉が秋の日射しに美しい時期なのに・・・。バッサリ切られて短い枝ばかりになったケヤキの大木、道に張り出した枝を除かれた桜の木、まばらに葉の付いた細い枝を残すヤマボウシ。なんだか可哀想、ちょっと寂しい、なんて思ったけれど、木々のために“この時”というのがあるのでしょうね。数年に一度の枝下ろしで、これからの木々の健康(?)が促進され、より生長するために。見ていると、植木屋さんが一枝一枝を見定めながらノコギリで枝を下ろし、切り口には丁寧に保護液(?)を塗っています。チェーンソーは下ろした枝の切断に使われていました。
夏には木陰に人を憩わせた公園が、今は秋の日を一杯に受けた広場となっています。秋晴れの日に為す冬支度であり、春と夏への準備でもあるのですね。
「ああ、サッパリした〜(^^)v」って感じにも見えるヤマボウシ君、来年も可愛い花を咲かせてね。

バッハBachは泉Brunnen・・・平均律の1曲目を聴くたびに、そんな思いがよぎります。清らかな水がこんこんと湧き出るような、その奥底で命の鼓動が響き出すような曲ですね。 ポリーニのピアノの音の清冽で無垢な響きに、心が洗われるように思いながら、音楽に惹き入れられてゆきます。 続くフーガは白紙に一筆書きのような、明朗で力強いテーマ、ポリーニの確信に満ちた演奏。
一転してハ短調の曲は、不安感に満ちた烈しい風が逆巻くような曲。フーガの躍動感は暗い色調の中に光が踊り、誘うよう。
嬰ハ長調は、子供が戯れているような楽しさに満ちた輝かしい前奏曲。その雰囲気を受け継いで、ファンファーレのようなテーマの大らかなフーガ。
嬰ハ短調。モーツァルトのオペラにありそうな美しいアリオーソ。無垢な幼子の瞳、或いは佳人の詠嘆の歌のよう。そのやや甘美な嘆きが、深められてより暗い色調を帯びるフーガ。低音と高音の広いレンジによって、巨大な伽藍のような重厚さと威厳が生れる。まるで大聖堂のオルガンを聞くような、豊かな響きのピアノ。
ショパンのエチュードを思い出させるニ長調のプレリュード、ロマンティックな終結部をもつニ短調・・・などと、1曲ずつの感想を書くのは、とてもムリなので止めますが、なんと多彩な音の世界が繰り広げられていることでしょう! 24組48曲もの、それぞれ個性的な美しい音楽。広大な音の宇宙から、星々が語りかけてくるよう。

ポリーニは彼自身の主張や感情を露わに表に出すことなく、楽譜の中にバッハの音楽の真髄を読み、彼方に広がる音楽の宇宙を感じ取り、内なる深い感銘と音楽への熱い共感をもって演奏しているように思われます。現代のピアノの特性、能力、美質を最大限に生かしながら、真摯に、誠実に、純朴に、そして敬虔に。宗教曲ではないのに、祈りのようなものを感じずにはいられません。

例えば、変ホ短調の曲の崇高な美しさ。前奏曲には厳粛さと、さらに慈愛に満ちた高貴な眼差しを感じます。グレゴリオ聖歌のような祈りの主題が緩やかに各声部に歌い継がれる長大なフーガ。
またはヘ短調の、深みのある哀感、悲しみの情感溢れる曲。でも、暗さよりも明るさと暖かみを感じるのは、ポリーニのピアノゆえでしょうか。
ふとベートーヴェンの後期ソナタの緩徐楽章、またディアベリ変奏曲の一変奏を思わされます。

「バッハは小川Bachではない、大海Meerである」というベートーヴェンの言葉は、Bachという名前にかけたウィットのように言われますが、実は本当に真実を突いた言葉なのですね。代々続く音楽家の家系に生まれたバッハは、幼少時から音楽家になるのが自然の法則のように育ち、彼以前の北ドイツの音楽の流れを一身に受け継いで来たのでしょう。でも、それ以上に、積極的に、熱心に、中世〜ルネッサンスの長い音楽の伝統を吸収し、イタリア、フランス、フランドル、北ドイツの音楽を広く学び、諸々の要素を自らのうちに統合し、融合して、バッハ自身の世界を創造していったのでしょう。 多くの支流が流れ込んで大きな川になり、いくつもの大河が注ぎ込んで豊かな大海になるように、大バッハの音楽も多様・多彩で、広大で、深みのある、豊かな音楽となったのですね。
そして海が生命の母であるように、後世の音楽家はバッハを敬愛し、作曲技法を学び、音楽表現の真髄を汲み取り、自らの創造性を育んでいったのでしょう。モーツァルトも、ベートーヴェンも。シューベルトも、メンデルスゾーンも。ショパンも、シューマンも。もちろんブラームスも。バッハを聴きながら、ふと彼らの音楽が心に浮かんできたりします。
そしてまた、ポリーニの手になる演奏を聴いているからこそ、それらの音楽たちの“近さ”に気づくのかも知れない、と思います。バッハを聴き、ベートーヴェンを聴き、ショパンを聴き・・・そこに“ポリーニの音楽”をも聴いている、と感じて。尊い音楽の遺産を、完璧な演奏で聴く幸せ。Grazie, Maestro!

今回の更新は、スケジュール表に一つ日程を付け加えました。5月のアメリカで、ヴァージニア・アーツ・フェスティヴァルへの登場です。アムステルダムのプログラムも記入しました。

2009年11月10日 18:30

日々の糧に
10月は爽やかな秋晴れの月、運動会や遠足や旅行やらに最適の季節、のはずなのに、曇り、時々雨、ほんの時々晴、そんな変な天候で幕を開けました。青空の下、秋風とともに、金木犀の香りを追って、コスモスの原っぱを訪ね、色づく木々を眺めに、どこかへ行きたいなぁ・・・と夢見ていたのに。
でも、“10月になったら!(^^)v”と、ず〜っと待ち望んでいた願いは叶って、3日、心は秋晴れに、夜空の中秋の名月のように、明るい心地になりました〜。マエストロの新譜、バッハ「平均律クラヴィーア曲集第1巻」が届いたのです!!!
まだ1枚しか聴いていませんが(時間の都合と、それ以上に、畏れ多くてもったいなくて・・・という気持ちもあって)、本当に美しい音で、凛とした気配が漂い、詩情豊かに、歌心に満ちて(マエストロの歌声も^^)、弾き進められています。ピアノという楽器の豊かさ、大きさが生かされて、チェンバロでの演奏とはまた異なる魅力を表した、素晴らしい曲になっていると思いました。録音は“Munich, Herkulessaal, 9/2008 & 2/2009”と書いてあります。

CD店のウェブサイトのコピーでは
「20年以上もの長きにわたりリサイタルでは平均律を弾いてきた」(ユニバーサルIMS、タワーレコード)とか、
「コンサートではバッハの平均律クラヴィーアを何度も取り上げてきた」(HMV)とか、書かれていますが、ちょっと違和感を感じるものでした。
手元に1986年、来日時ののインタヴューがあります(「音楽現代」1986年7月号)。バッハについて語っている部分を引用させていただきます。


ポリーニ:バッハに関して言えば、昨年イタリア各地、ベルリン、ロンドン、ニューヨークで、「平均律クラヴィーア曲集」の第一巻を初めてプログラムに載せました。次回来日の時には日本でもやりたいと思っています。
――勿論ピアノでですね。
ポリーニ:そうです。御承知のようにバッハの時代にはピアノという楽器がなく、バッハはクラヴィチェンバロのために作曲していたわけです。ですから私は永い間、バッハを演奏することをためらっていた、というか、ピアノで弾く意味を考え続けてきました。
 つまり、本来そういうピアノでない楽器のために書かれた曲ですから、それを演奏する時は、ピアノのために書かれた作品とは違った奏法、あるいは解釈が必要ではないかと思い続けてきたわけです。
 けれども、バッハの音楽は特定の楽器と分かち難く結びついている種類の音楽というものではなくて、その楽器を超えたもう少し大きな世界をもった音楽と考えるようになったわけです。そう考えるならば、何もクラヴィチェンバロにこだわることもない、ということで昨年から決心がついて演奏するようになったわけです。
 勿論、ピアノでバッハを弾くからには、ピアノの全可能性を生かすように考えて演奏します。バッハ自身もある楽器のために作曲した作品を他の楽器のために転用している例はたくさんあります。楽器を変えるばかりでなく、カンタータすら転用しているわけで、その意味でもクラヴィチェンバロのために作曲された作品からピアノでもってどのような可能性を引き出せるかを考えて演奏しているつもりです。
 その意味で最近流行している古楽器、あるいはオリジナル楽器での演奏は、そのこと自体は大変けっこうなことですけれども、時にバッハのような作品の場合、そういう世界だけに閉じこめておく、つまり、古楽器演奏でなければいけないという考え方には、私はあまり賛成できません。

1985年はバッハ生誕300年。その年にはポリーニ自身が語るようにイタリア各地(トリノSettembre Musicaなど)、ベルリン、ロンドン、ニューヨークで演奏しましたが、以後(私の知る限り、ですが)2008年2月のブリュッセルまで演奏していないようです。その後、録音を終えて、今年6月にはカリャリ、ウィーン、パリ、ミラノで披露しました。
ポリーニにとって、バッハは幼い時から親しみ、傾倒してきた作曲家。けれども演奏会で取り上げたのは数えるほど、また録音を計画してからも、長い年月をかけて極めて慎重に臨んできた作曲家です。ピアニストとしてバッハの作品にいかに向き合うか、真摯に、真剣に探求してきたポリーニ。そして今、ピアノという楽器を豊かに生かしきって、偉大なバッハの世界を表現するマエストロ。
この初のバッハ録音の価値は、計り知れないものがあると、手にするだけで身が引き締まる思いがします。
ブックレットに書かれた解説文の題名は"Let the 'Well-Tempered Clavier' be your daily bread"。シューマンの言葉(原語ではDas 'wohltemperirte Clavier' sei dein taeglich Brot) だそうです。この秋、この曲集を“日々の糧に”、感謝しつつ、音楽に親しんでいきたいと思っています。

9月半ばに、ドイツのJanさんからボンのリサイタルの感想をメールでいただきました。
ベートーヴェン・フェストでは、プログラムの変更があり、作品14のソナタ第9、10番に変えて、テンペスト、アパッショナータが演奏されたとのこと。前半にはソナタ第4番と11番が並ぶ、ヘビーなプログラムです。勿論素晴らしい演奏で、聴衆は大喝采、でも、ちょっとお疲れの様子のポリーニは、アンコールには応じなかったとのことでした。

9月26日には、8日パリに引き続き、ミラノでベートーヴェンの協奏曲第4番を演奏する、シャイーとゲヴァントハウス管との演奏会、Progetto Pollini 5です。24日にはポリーニとシャイーが出席して、最初に演奏されるノーノの作品“シンフォニア”について語る会が開かれました。イタリアの二人のマエストロにとって、ノーノを演奏することは、とても大切なことなのでしょうね。

10月18日には、ショパン、ノーノ作品の演奏会が、またパリに引き続き開かれますが、これがミラノでのProgetto Polliniの最後の演奏会だそうです。月末のブーレーズとのバルトークの協奏曲は、含まれないのでしょうか。またベリオ作品や“ハンマークラヴィーア”を演奏する会が、12月にボローニャで開催されるそうです。
スケジュール表に変更・追加を書き入れました。

また、大変遅くなりましたが、今春の来日の記録を“Bravo e Grazie! Maestro!! 2009年の感動”としてUpしました。
ご協力ありがとうございました。

2009年10月04日 21:30

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