公園の木々は緑を濃くし、大きな枝が空を蔽う緑のアーケードを歩くと、頭上からも左右からも、周囲360度(?)から蝉の声が押し寄せてきます。油蝉、ミンミン蝉、ニイニイ蝉の声は“夏、真盛り!”の感じで、やっと本当の夏がやってきた!と嬉しくなります。
関東地方は例年より早く梅雨が明け、その後数日は猛烈に暑かったものの、次第に雨〜曇り〜ドンヨリ〜蒸し暑い日が続きました。梅雨明けの遅れた西や南の地方では、豪雨による被害も多かったようですね、お見舞い申し上げます。東北地方はもう少しの辛抱のようですが、日本全国、8月は夏の天候に恵まれ、子供達も夏休みを思いっきり楽しめると良いですね。とはいえ、今日も東京は曇り空。“ノー・モア・ヒロシマ”、“ノー・モア・ナガサキ”の日は、いつも晴れていて欲しいのですが。
8月は音楽祭の月。マエストロはいつものようにシエナ、ザルツブルクでリサイタルを行い、月末はライプツィッヒのメンデルスゾ−ン祭に登場です。ソリストとしてべートーヴェンの協奏曲を演奏し、引き続きパリ、ミラノのポリーニ・プロジェクトへと、シャイーさん、オケともども移動して、新シーズンの開始です。
7月は「オフ(&充電期間)」のマエストロ、Webの記事検索なども当然「オフ」だったのですが、一つ、面白い(?)記事がありました。
「セレーニョ(Seregno)、ポッツォーリ・コンクール:90人の名手がポリーニのようになる夢を見る」
今年は第26回のエットーレ・ポッツォーリ国際ピアノコンクールが9月の後半に行われます。28の国から90人が参加しますが「毎年(2年ごとですが)、夢はいつでも:ポリーニのように世界的な名声のピアニストになること」
まさに50年前、1959年の第1回コンクールの優勝者が17歳のポリーニでした。記事は、これをきっかけにポリーニの輝かしいキャリアが始まった、とありますが、一般的には、翌年のショパン・コンクールでの優勝の方がクローズアップされています。
でも、やはりここでの優勝も、ポリーニには大きな意味を持っていたのではないでしょうか。そして、立て続けに優勝したポリーニの実力も、やっぱり驚異的!と思わされます(何を今更、と言われちゃいますね)。
この時の演奏曲は、“ショパン:24の前奏曲”、“ストラヴィンスキー:ペトルーシュカからの3章”、“ポッツォーリ:協奏曲のアレグロ”だったそうです。
ショパンの作品は、ショパン・コンクールでの演奏に、大きな自信となったことでしょう。前奏曲ではOp.28−2、8、24を取り上げています。
ちなみにショパン・コンクールでの演奏曲は(判っているだけですが)、この他にはMuzaのライヴ盤等によれば、
練習曲Op.10-1・10、Op.25-10・11、他1曲。ノクターンOp.48-1。即興曲Op.51。ポロネーズOp.44。マズルカOp.33-3、Op.50-3、Op.59-3。ソナタ第2番Op.35。協奏曲第1番ホ短調Op.11。
ショパン・コンクールは当時2月〜3月に行われていたので、約5ヶ月で、これらの曲を仕上げたことになります。もちろん、15歳のリサイタルで練習曲全24曲を弾いていたのですから、どの曲も以前から手がけていたのでしょうけれど。それにしても「審査員の誰よりも技術的には上手い」とルービンシュタインをして言わしめたほど「完璧」に仕上げるには、一体どんな能力が必要なのでしょう?
そして“ペトルーシュカ”を演奏したというのも興味深いですね。この曲はストラヴィンスキーがルービンシュタインに贈った曲。ショパン・コンクールの後初めて会った巨匠から、この曲について話を聞いた、と語っていたことがありますが、既に17歳の頃から手がけていたとは、知りませんでした。
そしてDGと契約したポリーニが、初めて録音した曲。あの曲の輝かしさ、ポリーニの演奏の鮮烈さが、一層、際立って感じられませんか。
“アレグロ”という作品はどんな曲か判りませんが、ポッツォーリ(1873年−1957年)はシェーンベルクの同時代人です。ポリーニの現代音楽への興味は、若い頃から自然に芽生えていたものなのでしょう。そして、同時代の作品を演奏することは演奏家の使命と考える、ポリーニの姿勢のルーツは、このコンクール辺りにあるのでは・・・と思うのは、考えすぎでしょうか。
今回の更新は、幾つかの日程と、CDリリースの予定を付け加えました。