時々の雑記帳

音楽のこと、ポリーニのこと、日々の雑感を、
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このほかの日記帳はこちらを、すぐ前のものは「春」4〜6月を、次のものは「秋」10〜12月ご覧ください。

(7月〜9月)

霹靂に辟易
セミの声は少し間遠になり、夏の終わりを知ったように懸命に鳴いています。夕暮れは早くなり、澄んだ虫の声が夜の空気を涼しく感じさせます。秋には澄んだ音が相応しい・・・そう、ポリーニの新譜に、つい思いを馳せてしまいますネ。

長い猛暑の後は豪雨に落雷。異常な天候続きの夏でした。9月になれば“青天の霹靂”。雷様は何処に落ちたのか、なにやら有象無象(?)が現れて、騒がしい日本の秋です。秋は落ち着いて、音楽や美術を楽しみたいのに・・・。

マエストロは、お元気で充実した夏を過ごされたようです。
ザルツブルクのリサイタルからは、Janさんのホットなメールが届きました。全て好調で、聴衆はスタンディング・オヴェーション、ポリーニは4つのアンコールで応えたそうです。 〔リスト:超絶技巧練習曲10番、ショパン:練習曲“革命”、op.10-4、それにノクターン第8番〕。
「3つのソナタに、3つの練習曲・・・とっても素晴らしかった!」
ウ〜〜ン、良いなぁ・・・。本当に、どれもメインといえそうな3曲のソナタに、弾き応え(聴き応え)のある曲ばかりのアンコール、そして最後にノクターンが、どんなにか美しく、優しく、響いたことでしょう。
“der Standard”にも評がありました。(同じ頃クヴァストホフがブラームスを演奏したことに絡めて)ブラームスはリストの大きなソナタを聴いて、眠りこけてしまったが・・・という前置きがあって。
「シューマンの大ソナタから、ショパンの葬送行進曲つきソナタを経て、リストのこのソナタで締めくくる演奏会は、夜9時から始まり2時間にも及ぶ長いもので、ソリストも聴衆もきっと集中力が弛んでくると思われても当然だろう。だが、ポリーニがピアノを演奏する時はそうではなかった。
ホールの中は、ピンが落ちる音も聞こえるほど(の静寂)だったが、聴衆は幸にして、ポリーニの客観的で、テクニック的に電光を発するような模範的演奏を聴くことが出来た。
シューマンは感情を抑えて奏され、それによって分析的な執拗さ無しに、主題の組み合わせがよく聞き取れた。
ショパンでも、さまざまな情緒が惹起するのを、彼はただ接続法で(直接的な表出でなく)ほのめかした。
リストのソナタは、視覚−聴覚的にパトスを示威するやり方よりも、感情的に禁欲であることによってはるかに強い効果を得られるという、まさに模範的なお手本ともなる演奏だった。リストの作品はあたかも様式の真空の中に置かれたようだ。そこではこの画期的な新しさは、150年後もなお驚愕させる現在のものと感じられ、同様に、その伝統との連結点は、形式と和声の拘束が弛緩している後世においては、方向を指示するものとして認識しうるものとなった。」
ブラームスも、この聴衆の歓呼を受けた演奏の魅力は拒めなかったろうし、眠り込むこともなかっただろうに、と結んでいます。

リストのソナタはルツェルンでもプロジェクトの1日目に演奏されましたが、ここでもブラームスが引き合いに出されて(お気の毒に^^;)、ポリーニがピアノに激しくアタックするのに魅せられて、聴衆は誰一人そんな(眠る)ことはしなかった、とありました。ポリーニの優れたテクニック、輝かしい音、並外れた集中力、そして曲からその魅力を引き出す深い理解は、リストの曲を時代を超えて不滅の音楽にしているかのようです。
アンコールには「超絶技巧練習曲10番」と「沈める寺」。
また、この日前半のシュトックハウゼンのピアノ曲も素晴らしかったようで、あるブログ(英語ですが)にpositiveな評(感想)がありました(Thank you, Jan!)。

2日目のショパンも素晴らしかったようです。「全て良く慣れた進み方で、彼の好むエネルギッシュできちんと整えられた音で演奏された。自由自在なルバート、だが常にコントロールされ、いつでも感知される基礎的パルスの上になされている。嗄れた歌声で(?)進んでいくが、どこにもゆがんだものはない・・・ここには彼自身のための表出、或いはShow(見せようとするもの)も全く無かった。」
ノーノの作品も、感動的な体験だった、と受け入れられています。“Djamila Buopacha”もプログラムに追加され、B.ハンニガンのソプラノで演奏されました。

ルツェルンでは初めてのポリーニ・プロジェクト。僅か2回の公演であっても、ポリーニが今一番やりたいことが込められた内容だったのではないでしょうか。彼の「伝統と現代の関連」の追求は、「ルツェルン・フェスティヴァルの方向を指し示すもの」とも書かれていました。アカデミーをブーレーズが主導し(かつてポリーニも尽力しました)、今年もG.ベンジャミン、O.ナッセン、O.メシアン他、多くの現代作曲家の作品が演奏されている音楽祭です。ポリーニの信念ある活動が多くの都市で受け入れられ、またその場を開拓してきたことは、本当に素晴らしいですね。さすが、マエストロ!

9月の活動は、コペンハーゲンのチヴォリでのリサイタル。“PIANOFORTE!”という企画にツィメルマンやシフに続いての登場で、この都市では初の公演だそうです。やっと判ったプログラムはベートーヴェンとリスト。これもまた聴き応えあるプログラムですね。
下旬にはウィーンでアバド+ルツェルン祝祭管とベートーヴェンの第4協奏曲。夏の音楽祭では両マエストロの共演はありませんでしたが、きっとそれぞれの演奏会にも足を運び、親しく過ごされたことでしょう(^^)。

「ポリーニのプロジェクト」に“ルツェルン”を加え、スケジュール表に新たな日程(12月)と明らかになった曲目、アンコール曲など、付け加えました。

2008年09月06日 14:30

秋立ちぬ・・・
樹上から蝉時雨が降り注ぎ、蒸し暑さもピーク! 日本の夏らしい夏(;^^;)です。遠雷が聞こえる、と思う間に、音はどんどん近づき、俄かに暗くなった空から大粒の雨が叩きつける、雨が上がると土の匂い、草の匂いが立ち上ってくる、これも夏らしい情景。
でも近頃は、夕立=夏の風情とは言い難いほどの豪雨が、都市や周辺に災害をもたらすことが多いのが、気がかりです。
そうこうするうちに、もう今日は立秋。秋も近いのネ・・・新譜のジャケットを目に浮かべて、元気を出しましょう(^^)v

《音楽展望》のことを掲示板に書き、その後も「音響」や「陰影」について、私なりに思いを巡らしたりしていました。お二人の方からもご感想・ご意見を頂き、ありがとうございました。
図書館で“吉田秀和コレクション”『世界のピアニスト』(ちくま文庫)という本を見つけ、読んでいるところです。今年の初夏に発行となっていますが、以前発行された同名の本に数名のピアニストを加え、その後発表された幾つかの文章を付け加えたもので、29人のピアニストについて述べられている厚めの文庫本です。
勿論ポリーニについても書かれていますが、ごく若い頃の「ペトルーシュカ」や「エチュード」がリリースされた時点での文章なので、きっと多くの方が既に読まれていることと思います。
でも他のピアニストへの文章を読むのも興味深く、余裕ある心の親しみやすい文を追っているうちに、音楽の深みを思わせ、著者の文化への素養の高さを感じさす(^^)・・・というような風で、吉田氏のピアノ、音楽のみならず、芸術全般への造詣の深さに感嘆させられます。

朝日新聞(の話ばかりで恐縮ですが)に《人生の贈り物》という、著名人が半生を語る4〜5回連載の記事があります。
数ヶ月前に吉田氏の話が掲載されていたのですが、「最近は、いろいろな人の演奏を聴くと、その良し悪しなどを判断するよりは、その演奏者の独自の曲の解釈や表現の仕方に興味を惹かれ、どれも面白く聴いている」というような言葉があり、「もう私は批評は出来ないのかもしれない」とありました。“ああ、良いなぁ”と思いました。音楽を深く愛する人が、多くの素晴らしい音楽経験を経て、高い境地に達した姿なのではないでしょうか。
以前の《音楽展望》には「ある演奏を称賛して、これが一番だ、とか、他の演奏はダメだ、とか断ずる人がいるけれど、そんな風に音楽の多様性を否定し、豊かさを限定してしまっては、かえって音楽を衰退させるのではないか」というような文もありました。
今回の文の「○○と比べて、どちらが本当のベートーヴェンなどということはできない。音楽はそういうものではないのだ。」という言葉も含蓄がありますね。
吉田秀和さん、もうすぐ95歳となる高齢でありながら、外国旅行をし、音楽会に行き、文章を著す、その“若さ”に感服させられます。
音楽だけでなく美術や文学にも秀でた、包容力のある鑑賞眼、核心を突く率直な批評、柔らかな語り口の文章、それ以上に音楽を愛する心の深さ。ますますの健筆を願っています。

その吉田氏がウィーンでポリーニを聴いて、その美しい音を称え、見事な演奏に十分に満足しているのですから、ファンとしても本当に嬉しいですね。そこにはどんなに素晴らしい“音楽”が鳴り響いていたことでしょう・・・。

「音響はまだ音楽でなく、音楽は音響に始まり、音響に終るものではない。」・・・その通りだと思います。でも、音響があってはじめて始まるのが音楽。ポリーニはその音楽の初め、無から生まれ出る瞬間から、音の響きに音楽を託しているのだと思います。
彼の手が第1音を弾き出す時の聴衆の緊張感、私達のドキドキする感じは、その音と共に音楽が生まれ出て来るのを皆が知っているから、その音楽の世界に触れ得ることに、大きな期待を抱いているからでしょう。

ミケランジェロが石塊から像を彫る時、大理石の中から「掘り出してくれ」と叫ぶ像の命ずるままに彫る、と言った・・・というような話を読んだことがあります。
音響と音楽は、大理石と彫像の関係に似ているのではないかしら(こんな連想をするのは、ポリーニのピアノの音を「花崗岩の硬度と、大理石の絹のような光沢を併せもつ」などと評した文を読んだからなのですが)。
彫刻家が素材を吟味するように、ピアノの響きを吟味して、ベートーヴェンの音、ショパンの音・・・それぞれを(多分本能的に、感覚的に)選び、作り、磨いていくのでしょう。それは当時のピアノの音色ではなく、ベートーヴェンが脳裏に浮かべた音、ショパンが胸に描いた音。楽譜に秘められた音色を探りながら、そこに内在する音楽を音響に託して解き放っていく、それが演奏家の創造活動なのでしょう。
その活動の最も初め、楽器を調律・整音する、音響を作る段階から、真摯で、熱心で、誠実なポリーニ。そして活動の終わり、聴衆にアンコールを聴かせてくれるマエストロは、音楽する喜びに溢れているように思えます。

この夏の音楽祭では、シエナとザルツブルクのリサイタルでシューマン、ショパン、リスト、3人のロマン派の大作ソナタを弾く予定です。なんと贅沢なプログラムでしょう!
ここではポリーニの音楽の持つ「陰影」が、豊かに表されるのではないでしょうか。ブレンデルの音の「陰影の深み、薄墨色のパースペクティブの中での形態美を伝えるもの」(ベートーヴェンの第4協奏曲を聞いての吉田氏の文)とはまた異なる趣の「陰影」が。明るい光が濃い影を作るように。
そしてルツェルンでは、2回のポリーニ・プロジェクトで近・現代の多様な音楽を披露するマエストロ。ここでも「音響」への追求は、真摯に続けられることでしょう。
素晴らしい夏の音楽祭となりますように!

シカゴとストラスモア(ワシントン)でのリサイタルのプログラムを追記しました。

2008年08月07日 15:10

静かな夏の日
夕方、公園の緑の木陰を歩いていると、頭上からセミの声が聞こえました。「アッ、セミの声!」「やっぱり夏ね」とホッとするような心持になりました。
ここ数年、セミの声で目覚める夏の朝が多かったように思います。でも今年は我家付近はシ〜ンと静かで、小鳥(及びカラス)の声で朝を迎えます。セミの声=暑い! 小鳥の声=爽やか〜 というイメージなので、これはありがたいことなのですが・・・。でも、日中もその声を聞かずにいると、「一体セミたちは何処へ行ってしまったの?」という妙な感じもありました。数年前は“セミの当り年”とやらで、未明から深夜までセミの声が空気中に満ちていましたが、セミの“外れ年”もあるのでしょうか・・・。
年々暑い日が多くなり、今年も各地で猛暑日が観測されていますが、なぜか今年は、夏の季節感に乏しい感じがするのは私だけでしょうか。芙蓉、夾竹桃、百日紅・・・夏の花々もあまり元気がないように感じられます。夏が少しだけ遅れてやってきているのでしょうか。これからもっと夏らしい夏になるのでしょうか。白い入道雲がわく青い空、眩しい陽射しに光る水、濃さを増した緑に映える鮮やかな色の夏の花・・・。
いずれにせよ“当り年”生まれのセミ君たちが7(?)年後に地上に現れるとき、この都会に土が多くあり、緑の木々が茂る場所が多くありますように。それ以前に、土の中が彼らにとって居心地の良い環境であり続けますように。地球に生まれたすべての生物にとって、かけがえのない地球なのですから。

さてさて、遅れていたのは、このサイトの更新も。日本語版「2009年のスケジュール表」をやっと作成しました。来年5月のマエストロ・ポリーニの来日が判って、ホッとして、嬉しくて、やっと「作ろう!」という気になりました。海外のマエストロの活動を知るにつれ、日本には今度はいつ来て下さるのだろう・・・と気がかりで、待ち侘びていたのです。
これからは、何日? 何処で? プログラムは? と、またまた発表を待ち侘びることになりますが、期待に満ちて待って居られそうです。

9月の新譜リリースの情報も、"Surprise!"でしたね。
DGとの契約では、ベートーヴェンの「ソナタ全集の完成」とか、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」とか、シュトックハウゼンの「ピアノ曲」とか、大きな(greatな)仕事が予定されているようでした。
そこへ不意に「ショパン・リサイタル」。小さな美しい宝石が一杯の、瀟洒な手箱を貰うような、幸せな、嬉しい感じがしますね(貰ったこと無いんですが)。でも、ポリーニの手からは、これらの曲達もきっと"great"な輝きを発することでしょう。本当に楽しみです。早く秋にな〜〜れ! (さっきまで「もっと夏らしくなって」などとボヤイテいたのにネ)

2008年07月21日 22:10

七夕さまに願うのは・・・
風が吹き荒れ、激しい雨が降り、雷が轟き、そして一夜明けると夏の陽射し。気温も上がって真夏日に。もしかして梅雨明け? でも、この蒸し蒸し感は「真夏」じゃなさそう、関東はまだまだ梅雨が続くようです。
日本列島の南・西、九州と四国ではいつもより2週間も早く梅雨明けとか。キラキラ輝く海が、夏休みの子供達を待っていることでしょう。
一方、梅雨のない北海道は爽やかだろうなぁ、と羨ましく思いつつ、サミットのための超厳戒態勢には驚かされます。
平和・環境・経済・エネルギー・食料・etc、地球上には困難な問題が山のよう。その様々な問題に最も重い責任のある“先進国のエライ人達”が集るのだから、きっと、有益な成果が生まれるはず、いえ、是非とも生んでもらわなければ。
七夕の星に願うのは人々のささやかな夢だけど、今この星の上で人類が必要とするのは、少しでも早い現実の解決策なのですから。大いに期待しつつ、無事に行われ、早く終了することを、願っています。

7月はポリーニの夏休み。どこで、どんな風に過ごされるのでしょう。ステージには立たなくても、録音や打ち合わせなど、「仕事」があるかもしれない、楽譜の研究などに時間を費やすことも? とも思います。
8月は3つの音楽祭に出演、秋は9月から活動を始めるマエストロ。この一ヶ月は本当に貴重なお休み。
イタリアも暑い夏のようですが、の〜んびり、ゆ〜っくりと、楽しい日を過ごしていただきたいですね。

6月末のデュースブルクでのリサイタル、ルール・ピアノ・フェスティヴァル賞の授賞式も無事に行われたようです。
この賞はピアニストの特別の功績に対して、或いはピアニストの生涯にわたる業績(ライフワーク)を称えるために贈られるもので、ポリーニに対しては、ライフワークへの授賞でした。
音楽祭総裁のオーネゾルク氏(ミュンヘンやケルンでマネージャー、監督として業績を上げ、カーネギーホールに初の非アメリカ人の芸術監督として招かれ、更にベルリン・フィルのインテンダントを務めた人)は、ポリーニの功績として、とりわけショパンの作品への現代的な視点を挙げ、建築家である父親譲りの明晰性をもつ演奏を称え、さらに現代音楽を常にプログラムに組み入れることに言及し、それによってブーレーズ、シュトックハウゼンという作曲家とこのフェスティヴァルを結びつけ、その作品の演奏が重要な位置を占めるようになった、と述べています。

ポリーニはその栄誉に短いスピーチで応えたようです。
現代の作品にも過去の傑作に決して劣らぬものがあること、また我々の時代の演奏会活動には、安楽を求め後退するような傾向があるが、それは間違いだと思うと言い、「ショパンも彼の時代には前衛芸術家でした。私達はそれを忘れてはなりません」と述べました。
スティール製の彫刻“Diapason”が贈られ、ポリーニの選ぶ若いピアニストまたはアンサンブルへ奨学金が与えられます。また今回は音楽祭の20周年を記念して、やはりポリーニの選ぶ作曲家に新作を委嘱し、その奨学金を得る若い音楽家が、2009年の音楽祭で初演することになっています。
マエストロは誰を奨学生に選び、誰に作曲を委嘱するのでしょうね。

今回の更新ではバーゼルの日程、シエナとカーネギーホールのプログラムを載せました。
また、ルール・フェスティヴァル賞を追記しようと“バイオグラフィー”を見たところ、「アレ?」。今年の初めに書き加えたはずなのに・・・。なんと、アップ・ロードを忘れていたのでした、トホホ。。。スミマセンでした。
というわけで、幾つかレコード賞受賞なども入れて、2008年分を書き加えました。
CDに関しては、6月にまたSHM-CDが発売されているので、CD番号を書き入れました(9月発売予定のものも載せました)。限定発売で、最初の1枚「ペトルーシュカ」は今は発売されていないようなのですが、載せたままにしておきます。

新たな4点の中の「シューベルト:さすらい人幻想曲、シューマン:幻想曲」の一枚を購入してみました。なんと私は、「さすらい人」は正規盤でなく、廉価盤(風景写真などのペラッとしたジャケット(?)で、駅や出店などで売られているもの)で持っていたのです(^^;)(音源は正規盤と同じと思うのですが・・・)。マエストロ、ゴメンナサイm(_ _;)m
で、SHM-CDで聴いてみると、キラキラ輝くクリアな音色、鮮やかな打鍵に心をわしづかみされるよう。ダイナミクスの幅もより大きく感じられ、迫力ある演奏をドキドキしながら聴きました。第2楽章アダージョの詩情も深みを増し、一層美しく感じられます。本当に、素晴らしい演奏でした! 

2008年07月07日 11:30

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