時々の雑記帳

音楽のこと、ポリーニのこと、日々の雑感を、
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このほかの日記帳はこちらを、すぐ前のものは「冬」1〜3月を、次のものは「夏」7〜9月をご覧ください。

(4月〜6月)

Last Season
日本列島はほぼ全て梅雨に入り、天気予報には傘マークが並ぶようになりました。この時期の雨は本来は田畑を潤す恵みのはずなのに、近年は豪雨となって災害をもたらすことが多いのが気がかりです。
東北地方の地震被災地にも雨が降るのかと思うと、暗い気持ちになります。不明の方の捜索が進むように、被災した方が安心して過ごせるように、復旧・復興が少しでも早く行われるように、お陽さまの助けを下さいと、天に祈りたい思いです。

一昨日は一年で昼が一番長い日、夏至。梅雨真っ最中の日本では、昼の長さも日暮れの遅いことも実感として判りませんでしたが、晴れた日には確かに夕暮れ時はゆっくりした時間が流れているようです。緯度が高くなれば日は更に長く、最北の地では白夜になるのでしょう。
今月はロシアまで演奏旅行のマエストロ。モスクワは北緯約56度、ペテルスブルクはほぼ60度。19時からの演奏会は明るいうちに始まり、終了後も薄明るい白夜の街で、音楽の余韻を、初夏の宵を楽しむことが出来るのでしょう。ロシアの聴衆とともにマエストロご自身も、素晴らしい時を過ごされたことと思います。

さて、今日はシーズン最後の演奏会、第20回ルール・ピアノ・フェスティヴァルでのリサイタルです。このフェスティヴァルは、5月半ばから7月末まで、76の公演が15都市の大小のホール、美術館、城や教会で繰り広げられます。著名なピアニストから新進ピアニストまで、ソロから室内楽、協奏曲まで、クラシックからジャズまで、100を越える演奏者・団体が参加する、まさにピアノの祭典。
コンクールに入賞した新進ピアニストのお披露目の場でもあり、河村尚子さん(クララ・ハスキル・コンクール)、田村響さん(ロン・ティボー・コンクール)、服部慶子さん(ベートーヴェン・コンクール)の名もありました。

マエストロの公演が行われるデュースブルクは、ライン川とルール川が合流する地で、ローマ帝国時代に開かれた町。近現代は工業都市として栄え、ライン川を通ってオランダから海へ、また運河を伝って北海へも出られるという、ヨーロッパ最大の河港を擁する街です。
昨年、中心地の再開発によってCity Palaisが誕生し、カジノ、ショッピングセンター、レストランが並ぶ中に、Mercator Halleがあります。Mercatorは16世紀フランドルの地理学者。丸い地球を平面の世界地図に表すメルカトル図法は、面積・形は非正確ながら、航海用地図として画期的なものだったそうです。この地で研究し没したのも、当時の街の活気や雰囲気を物語るようですね。その名を冠するホールは、ガラス張りの円形の正面を持つ超モダンな建築、内部も白と黒のクールな印象。きっと音響も良いのでしょう。

そして今回、マエストロはそのライフワークに対して“Preis des Klavier-Festivals Ruhr”を 受賞します。これはドイツで最も評判の高い“ピアニストへの栄誉賞”と見なされているもので、1998年より始められ、ポリーニは第11回の受賞者です。
ちなみにこれまでは、B.ダヴィドヴィッチ、D.バレンボイム、D.バシュキーロフ、G.ジョンソン、L.フライシャー、P-L.エマール、A.ブレンデル、P.ブーレーズ(ピアニスト?)、C.コリア、M.アルゲリッチが受けています。
おめでとうございます、マエストロ! 素晴らしい演奏会となりますように!

さて、少し前に遡ります。
6月6日のウィーンのリサイタルは、Janさんから「ドビュッシーが本当に美しかった、マズルカも素晴らしかった・・・」とホットな感激のメールが来ました。アンコールもドビュッシー、リスト、ショパンと全4曲(2007-2008 Scheduleに載せました)。

6月10日のロンドンのリサイタルは、3紙に批評が載りました。ここでもドビュッシーの前奏曲集第1巻はとても好評でしたが、前半のクライスレリアーナとショパンの作品には評価が分かれています。2つの評は酷しく、曰く「早過ぎ」「荒っぽく」「醒めて、理性的」で「熱狂性がなく」「ポエジーに欠ける」と、まぁ時々言われることなのですが・・・。

ポリーニの演奏会は天啓のような経験となる、と書くもう一つの評をザッと読んでみると・・・。
「ゆっくりしたエピソードにおける数々の熟考されたものが、より力強い音楽でのポリーニの明晰さと対比され、一方では、しっかりと全体の見通しを保ち続けていた」とのクライスレリアーナ評。
ショパンでも「彼の本領を発揮して、マズルカは憧れを秘めたメランコリーとリズムカルな勢いを絶妙に混ぜ合わせ、スケルツォでは、アンコールのバラードも同様に、彼のインスピレーションは途絶えることなく流れていった。」

後半のドビュッシーは、更に素晴らしい演奏で、
「単なる技巧的ヴィルトゥオジティを越え、色彩への注意深さを以って、音楽のドラマを損なわぬよう、十分に気配りされた演奏だった」
「ポリーニ独自の資産はピアノがいかに作用するかを、熟知していることだ。基本的に打楽器的なこの楽器を歌う楽器に変える方法を彼は知っている。ペダリング、タッチ、重さの微かな変化が魔法のような表現をいかに生み出し得るかを感じ、演奏を通じてその音楽のしなやかな息遣いを本能的に感じ取ることが出来る」。そして「ドビュッシーの前奏曲集はその適例だった」
「魅惑的な静寂から生まれる『デルフィの舞姫達』の彫像のような美しさ。自由な軽妙さがもたらす『遮られたセレナード』『パックの踊り』『ミンストレル』の上品な活気。比類ない洗練さで色彩の濃淡をつける『亜麻色の髪の乙女』の素朴な優美、『西風の見たもの』の半音階の突風と渦。そして霧のかかったハーモニーから現れ出てくる『沈める寺』の壮観。」
(Telegraph :Geoffrey Norris, 12/06/2008)

アンコールは3曲で、2番目に「革命」、3番目にバラード1番でしたが、これもまた素晴らしかったようで、前半を酷評した二人も、後半とアンコールに至っては「感激」「脱帽」という感じでした。

この演奏会はBBCのRadio3で7月3日に放送されます。まだ詳細が判らないのですが(多分、真夜中でしょう)日時が近づいたら、Url.をゲストブックに記します。

それから、ベルリン火災でのマエストロの発言を前回の日記帳に載せましたが、少し訂正させてください。
「私もアバドも、キャンセルはしたくありませんでした」と書きましたが、
「アバドと私はどちらも、公演を中止しないことが重要だと思っています」が相応しい訳です。
どうも、すみませんでした。

2008年06月23日 13:15

森の楽の音
木々の葉が緑を濃くし、円天井のように空を蔽う公園の並木道。晴れた日に久しぶりに散歩していると、子供の遊び声や犬の声に混じって、どこからかトランペットの音が聞こえてきます。ああ、こんな風に遠くから、ピアノが、オーケストラの音が、響いてきたのかしら・・・と、ベルリンの森の風景を想像してしまいました(森の広さも木々の種類も、全く異なるでしょうけれど)。
火災のあったベルリン・フィルハーモニーも既に再開されたとのこと、大事に至らなかったのは結構でしたが、公演を目前にしたアバド、ポリーニ両マエストロ、オーケストラにとっては、さぞかし“一大事”だったことでしょう。

24日のヴァルトビューネでの演奏会は、けれど、大成功だったようです。公演終了直後にニュースが報じられたほど、一つの“イヴェント”でした。
大きな会場に大聴衆、そこには消防士、警察官とその家族ら500人が招待されていました。エクサンプロヴァンスから「リング」のプローベを中断して駆けつけたラトルがスピーチし、彼らの尽力がなければフィルハーモニーは無くなっていただろう、と感謝を表明すると、大きな拍手が湧きました。次いで困難な状況で演奏会を開く二人のマエストロの名を挙げると、更に大きな拍手と歓声が起こりました。
「観想的で対話するかのようなベートーヴェンの4番の協奏曲は、野外で演奏するのに適してはいないだろう、ベルリオーズの大作「テ・デウム」に先立ち演奏することを思っても、むしろ第5番「皇帝」の方がより相応しいかもしれない」
「日が傾きはじめ、木々が揺れる会場に、小鳥の声、ビンの鳴る音、Sバーンの車の騒音が遠く響き、飛行機が旋回する中に、ポリーニのピアノが始まると、驚くほどの美しさでウィーン風のピアノの音色が晴朗な大気の中に響き渡っていった・・・」
「ポリーニは霊感を得て、以前よりも大胆に、力強いタッチで演奏し、アバドは豊かにオーケストラを奏でさせて、それはしなやかにピアノに寄り添っていた」・・・
オーケストラ、オルガン、歌手、合唱(男声・女声・子供)総勢720人で演奏した「テ・デウム」の後は“まるでナポレオンが(エルバ島から)帰還したような”、熱烈な大喝采だったようです。

私も真夜中のWebラジオを録音しておいて(前半のみです)聴きましたが、本当に美しいピアノ、重厚なベルリンフィルの音色で、熱のこもった(特に第3楽章)演奏でした。拍手と喝采にピーッと口笛が交じっているのが、ヴァルトビューネらしい・・・(^^;)。

最初、アバドはこの会場での演奏に難色を示していたそうですが、それはこのプログラムをここで演奏する難しさを十分に知ってのことだったのでしょう。実際、Martaさんによれば、聴衆は騒がしく、クラシックを聴きなれない人も多く、飛行機、車、警官の声(交通整理?)が混じり、演奏者達にとって非常にハードだった、とのこと。でも、そんな状況の中で、マエストロは出来得る限りの美しさで演奏していました、とメールを送ってくれました。
「アバドと私はどちらも、公演を中止しないことが重要だと思っています」「それは私の流儀ではありません」「このような困難な時には、私達は皆協力し合って、最良のものをもたらすべきなのです」とBerliner Morgenpostの質問に応えたポリーニ。きっと、二人のマエストロにとって(勿論オーケストラも)、深く思い出に残る一夕となったことでしょう。

さて、先日私はアルバン・ベルク四重奏団のFarewell Tourを聴きに行きました。
ベートーヴェンの第15番イ短調を聴きたくて、1日目はフィリア・ホールという500席ほどのホールへ。演奏者の表情も目の当たりにできる席で、集中して素晴らしい演奏を聴きました。演奏も勿論ですが、曲の素晴らしさに改めて惹き付けられました。若いベートーヴェンってステキ!と、近頃は初期のピアノソナタばかり聴いていたのですが、後期(と言っても50代半ば)のベートーヴェンも別格の魅力で、今は後期の四重奏曲に浸っている毎日です。
2日目はサントリー・ホール。このホールはやっぱり広い! 舞台を遠くに望む席で聴きました。ベルクの叙情組曲の緊張感溢れる演奏に圧倒されましたが、これは小さなホールで聴いていたら、息詰まる思いをしたかもしれません。シューベルトの最後の四重奏、第15番ト長調は重厚なチェロから美しい歌を奏でるヴァイオリンまで、広い音程をとるスケールの大きな曲、大きなホールに充実した音が響き渡りました。大らかさの中にふと寂寥感が滲む感じもして、“別れの曲”として、しみじみと聴きました。ありがとう、アルバン・ベルク四重奏団!

ところでサントリー・ホールで入手したプログラムをパラパラ見ていたら、“ポリーニ”の字が目に飛び込んできました! ピヒラーへのインタヴューの中で、作品の真意、作曲者の意図を理解するのはとても難しい、との話のあとで、共演した演奏家のことについて質問されて。

「ブレンデルやポリーニと共演した際、彼らも私達と似た葛藤を持っていることに気がつきました。自分の成し得る最高のレヴェルに到達しようと努力しているのです。ポリーニが長時間にわたるプローベの終わりに近づいた時、もう彼自身へとへとになっているにも拘わらず『今ちょっとだけ休憩して、また最後にね、もう一度最初から通してみましょう。まだ不安に感じることがあるので』と言うのに驚きました。彼のように弾けるピアニストはこの世にいないのに、またこんな素晴らしい演奏をしているのに、まだ不安があると言うのかと。(笑)」

2006年、ウィーンでのプロジェクトで、モーツァルトのピアノ四重奏曲2曲で共演していますが、その折のことでしょうか。「驚くべき完璧さ」(ワシントン・ポスト)のアルバン・ベルクSQをも驚かせるポリーニ、恐るべし!(*^^*)

来年パリでProjectを開くマエストロは、なんとミラノでも並行してProgettoを行います。“2008-2009 Season”に追加しました。その他、プログラムの判明したものも追記しました。

2008年06月05日 23:15

初夏のベルリンに
緑の風が吹きわたる爽やかな初夏。久しぶりの五月晴れにウキウキと洗濯物や布団を干して、太陽の恵みに感謝し、穏やかな自然を眺めながら、かえって心に浮かぶのはテレビや新聞で連日報道される光景です。

四川省での、ミャンマーでの、大きな大きな被害を思うと、胸塞がる気がします。自然の猛威、脅威。この地球は内にマグマを抱え、外に大気をまといつつ、留まることなく生成し、変化し続ける巨大なエネルギーの塊なのですね。その表面に浮かぶような陸地、そこに生命を生んだ奇跡のような星。
その上に蠢くごとく生きる、生かされている、小さな、か弱い存在である人間。でも、どんなに小さくとも一人ひとりが掛け替えのない存在なのに。多くの命が失われたことに、とりわけ小さい者、弱い者、社会的弱者が大きな被害を受けたことに、哀しさと遣り切れなさを感じます。
地球の異変は人類共通の問題、国境や思想信条を超えた問題と思われるのに、権力者の都合や目論見、見栄や利益のために、救助が遅れ、また為されず、失われずともよかった命まで失われたことに、大きな憤りを覚えます。国民の生命、健康、安全を守ること以上に、為政者の為すべきことがあるのでしょうか。正反対の対応はその政治姿勢を露骨に表しています(翻って我が日本でも、同類の発想が実は根底にあることが、漏れ出ているように思える昨今です・・・)。
それは措いて、ミャンマーに、四川省に、一日も早く平穏の日が戻り、復興への途が開かれるようにと、願ってやみません。

さて、マエストロのベルリンでのリサイタルは、素晴らしかったようです。聴きにいらしたJanさんからメールを頂きました。
「マエストロはとても良いコンディションで、椅子にちゃんと座らないうちに、クライスレリアーナの第1音を弾き始めました。早いパートはこの前私が聴いた時よりもっと早い演奏でした。
ショパンは、急ぎ過ぎることなく、完璧にコントロールされ、技巧的にも、すべてが上々で、彼自身演奏を楽しんでいるように見えました。アンコールは「革命」、バラード1番、ノクターン8番、練習曲10-4でした。」

新聞(Berliner Zeitung)評でも、緊張感に満ちたシューマンの演奏だったことが窺われます。ザッと読んでみますと・・・。
「その演奏を目の当たりに聴くのは、息詰まるようだった。理性が眠るのを恐れ、全てデモーニッシュなもの、混乱したもの、暴力的なものを忌避し、息もつかずナーヴァスに疾駆し、精神錯乱の多音性の代わりに、大きなフォルムの構想に厳しい均衡性をもつ演奏を聴かせた」。
後半のショパンでは、「ポリーニは自由に振舞っていた。その演奏は、ちょうど友人のノーノが言ったごとく、無比の“力と光の波”のようだった」。
「ポリーニは修辞家ではなく、また薄明の夢想家でもない。彼はシューマンが狂気の世界へ突き抜けて行ったとは信じていない。おそらく彼は予感しているのだ、この突進の彼方には、ただ“芸術”より他に、いかなる真実も存在しないことを。」
「ショパンは、その勇気、調和、そして優雅という仮装をした大胆さで、ポリーニのより近くに位置する。どちらも妄想による興奮を好まず、むしろ好むのは高貴(Adel)である。それはフォルムの、目標志向性の、密かな勇敢さの高貴、そして行為の無益さをおそらく予め自ら判ったうえで、なお献身する気高さである。」

ここで、ベルリンからのニュースに接しました。ベルリン・フィルハーモニーの本拠地である大ホールでの火災です。工事中の天井付近から出火、ランチタイム・コンサートの聴衆は無事避難し、怪我人はなかったようです。このすぐ後に、アバドとオーケストラ、合唱団(子供達も含む)総勢720人による、ベルリオーズ「テ・デウム」のリハーサルが予定されていたとのこと、大災害にならずに良かったですね。楽団員はまた、ロッカーに置いた大切な楽器を運び出すのにも大変だったようです。でも、大きな楽器、ピアノやティンパニは運び出せなかったと(マエストロのピアノは・・・?)。
ホールは6月2日まで閉鎖され、23〜25日のマエストロの出演する予定だった公演は、急遽24日に1回のみ、オリンピック・スタジアムにほど近いワルトビューネの円形劇場で催されることになりました。ここは22,000席もある大“劇場”、フィルハーモニーは2,400席なので、3日分+22日(リハーサル)分の聴衆をぜ〜んぶ収容してもまだ空席が。ということで、完売だった公演ですが、また新たにチケットが売り出されるようです。
マエストロにとって、戸外の演奏はどんなかしら・・・と気がかりではありますが、爽やかな初夏の宵、素晴らしい演奏会になりますようにと、心から願っています。

今回の更新では、スケジュール表にいくつか新たなものを付け加え、“2008-2009 Season”をUpしました。

2008年05月22日 13:50

山笑ふ
新緑が日毎に色を濃くして、陽射しも強さを増す五月。ゴールデン・ウィークもとうとう最後の日となりました。爽やかな日を皆さま楽しくお過ごしのことでしょう。
私はほんの数日ですが、高原の旅を楽しんできました。東北はまだ浅い春。ソメイヨシノよりも少し色濃い桜があでやかに咲き、山桜が五分咲きくらい、緑の山のそこかしこにポッと優しい紅を注しています。里のコブシの白い花は目に鮮やかながらハクモクレンやハナミズキより素朴で、なぜか懐かしさを感じさせます。『北国の春』を思い出すからでしょうか(^^)。ブナやハンノキ、シラカバの木々を柔らかな葉が蔽いはじめ、淡い黄緑は“新緑”の前、生まれたてのベビー・グリーン。“山笑ふ”と言いますが、春の陽射しに山が目を覚まして微笑んでいるような、のどかな景色でした。小鳥たちの声を聞きながら雪の残る道を進んで、咲き始めたばかりのミズバショウも見てきました。
それで、数日留守にしただけなのに、我家付近はもうヤマボウシが開き始め、むせ返るような香りを放っています。しっかりと初夏へと進む自然の歩みです。

北国の遅い春は、一斉に訪れる春。若き日を北ドイツに過ごしたハイネ(※中部のデュッセルドルフ生まれでした)の詩にあるように、奇跡のように美しい季節。
Im wunder-schoenen Monat Mai いと麗しき五月に
Als alle Knospen sprangen すべての蕾が開くとき
・・・・ (我が心にも愛は咲き出づ)
Im wunder-schoenen Monat Mai いと麗しき五月に
Als alle Voegel sangen すべての鳥が歌うとき
・・・・ (熱き想いを君に告げぬ)

マエストロは暖かいスペインの春を満喫して、今はいと麗しいドイツの春を楽しんでいられるでしょうか。
今日はベルリンでリサイタル。5月後半はアバドさんの指揮でベルリン・フィルとの共演。マドリッドでもきっと旧交を暖めたろうお二人、共に音楽することを楽しみにしていることでしょう。

スペインではマドリッドでのインタヴュー記事(イタリアの政治を案じ、ショパンへの愛を語っている、ようです)と、バルセロナのリサイタル評(本質的なショパン、というような)があったのですが、残念ながらちゃんと読めませんでした。
でも、Martaさんから「マエストロはとてもお元気で、マドリッドの演奏会は素晴らしかったです。」とメールを貰いました。プログラムはドビュッシーの前奏曲集第2巻でなく、練習曲集から6曲に変更、とのこと。(でも、この後ブーレーズのソナタを演奏することを思うと、「変更」と言うより「連絡の行き違い」で、マエストロは最初から練習曲を想定していたのではないかと思うのですが・・・)そのソナタは“Phantastic!!!”で、ドビュッシーからメシアンを経てブーレーズへと至る途を示した、と書かれていました。アンコールに「沈める寺」とリストの超絶技巧練習曲。
スペインの春に“sunshine!”と喜んでいた北ドイツ在住のMartaさん、ベルリンの演奏会も勿論!聴きに行くのでしょうネ。羨ましい!

今回の更新では、スケジュール表に新しい日程を幾つか追加し、このプログラムの変更、アンコールも判ったものを載せました。

2008年05月06日 14:05

春あらし
花が咲き、暖かい空気、明るい陽射し・・・「春」のイメージとは裏腹に、台風なみの大雨に暴風、冬に戻ったような寒さ。「花冷え」「なたね梅雨」という言葉があり、「春に三日の晴れ間なし」とも言われますが、ハレの入学式や始業式が冷たい雨の中で行われるのは、ちょっと悲しい気がします。ピカピカの一年生の姿に、明日は晴れますように!と思うとともに、雨にも負けず風にも負けず、元気でね〜! と願わずにいられません。
ソメイヨシノの花は週末を楽しませてくれましたが、今はもう葉桜。代わってしだれ桜のやや濃い桜色が艶やかに、八重桜のふっくらした花は華麗な美しさを誇っています。また、そこかしこで若い緑が日毎にふんわりと木々の枝を蔽っていくのが目に鮮やかです。雨が降ろうが風が吹こうが、自然の生命は着実に己の時間を生きていくのですね。眩しいほどの力で、しなやかな美しさをもって。

4月は本拠ミラノとスペインで演奏会を開くマエストロ。先月キャンセルがあっただけに、すっかり快復されたかしら、と気がかりでしたが、ミラノの演奏会の短い評を見つけました。(Girardi Enrico, Corriere della Sera/6 aprile 2008)

「毎年慣例のポリーニによるスカラ座のリサイタルが行われた。ただしスカラ座でなくSocieta dei Concerti主催によるものである。serieAの新昇進者の群を離れて、これは超一流(fuoriclasse)の枠に入るものだった。
ポリーニは彼の巨匠(巨人)的なパーソナリティを明らかにしようとした。最初に、話し言葉(?)の、だがサロン的でないショパン(前奏曲op.45、バラード2番、マズルカop.33、スケルツォ3番)、それから壮大な英雄ポロネーズで爆発する。
次に彼もまたドビュッシーを、その前奏曲集第1巻を演奏した。上質な、美的センス豊かな、知的な、また幻想的な熱狂もいくらかある演奏だった。
祝勝のように沢山のアンコールがなされ、締めくくりのリストの超絶技巧練習曲では、並外れたテクニックが披露された。素晴らしいプログラム(調性関係の斬新さに満ちた)の、非凡な才能による演奏だった。」

実は数日前にアンスネスのリサイタルが行われ(ヴェルディ音楽院)、その評に続けてポリーニの評があったのです。
多くの新進演奏家(serieA云々はその表現でしょう)が現れるが数年の内に消えていく、が、38歳のアンスネスは残った・・・というように始まる文でした。彼のプログラムはバッハ、ベートーヴェン、シベリウス、グリーグそして最後にドビュッシーの前奏曲。「何でもあり」(雑食性)的なプログラムだが、彼の姿勢はこのカテゴリーの外向性よりは、思索の深さからくる、また表情豊かなしぐさの完璧なコントロールからくる内在化に重きを置いていた・・・と、なかなか良い評価でした。ただ、一つ疑問があるとすれば、ドビュッシーを最後に置くような曲の並べ方、と指摘しています。「えっ、ドビュッシーの前奏曲が最後じゃいけないの?」とはこちらの疑問ですが、調べてみるとアンスネスは前奏曲1巻から5曲、2巻から6曲を並べて演奏しているのでした。
ポリーニのプログラムへの賛辞は、こんな背景があってのことなのかもしれません。

ところで、ショパンの「前奏曲嬰ハ短調op.45」は「24の前奏曲」に続けて「前奏曲第25番」と呼ばれていましたね。でも、近頃のプログラムにはよく「第26番」と書かれているのです。新しいナショナル・エディションの研究などで、そのように変更されたのでしょうか。

今回の更新は、新しい日程をいくつか載せました。
今月末に予定されていたデンマークでのリサイタルは9月に延期されました。(ミュンヘンのキャンセル分は、残念ながら今シーズン中には代わりの日が取れなかったそうです。)
9月にはまた、アバド、ルツェルン祝祭管と一緒に、ウィーンで2回の演奏会があります。
秋のアメリカ公演も、大分日程が判ってきました。リサイタル3回、ボストン交響楽団との協奏曲は全4回の出演です。

2008年04月10日 22:35

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