コスモスがいっぱい咲く風景が見たくて、昭和記念公園へ行きました。コスモスの咲き乱れる自然の野原ではなく、人の手で植えられ育てられた“コスモスの丘”ですが、素朴で心細げな風情で風に揺れる花々は、大地と空の大きさや、太陽の恵みを思わせ、小さな花の命の強さ、その愛おしさを感じさせます。その名“cosmos=秩序”のように花弁のキチンと並ぶ花は、華やかではないけれど、造化の妙、しみじみと美しさを感じさせます。丘は薄いピンクや淡い赤紫の花、所々に濃い赤、純白の花がアクセントになり、“cosmos=調和”ある色で一面に彩られて、青空のもと目を見張るほどの美しさでした。目から優しい色合いをいっぱい取り入れて、柔らかく染まった空気を胸に吸い込んで、心の中にもフワッと優しさを広げられる・・・そんな幸せな気分で歩きました。
次の週は黄色のコスモスを訪ねました。濃い色のキバナコスモスとは別のイエローガーデン、イエローキャンパスと言う種類です。これはレモンイエロー、レモンの果肉のような薄い黄白色で、一つ一つの花も、一面に咲く様子も、優しくたおやかで、洒落た感じの美しさです。周囲の木々はそれぞれの秋の色をまとい、季節が移りゆく跡を留めて、目を楽しませてくれました。木枯しが吹く前の、秋の一日でした。
マエストロのアメリカ・ツァーも無事に終りました。ミラノに帰ったマエストロは今月半ばの国内の演奏会まで、ゆっくり過ごされることでしょう。
ポリーニのアメリカ・デビューは、音楽活動に“復帰”したといわれる1968年。それまでもイタリア国内などで演奏会を行っていたので、彼自身には“空白”の時期は無いでしょうけれど、この年のロンドンやパリでのセンセーショナルな成功に加え、アメリカ・デビューは世界的に活動を広げるという大きな意味を持つものだったことでしょう。“40年記念”を祝うポスターも有ったというカーネギーホール。また以前小澤征爾さん(文化勲章の受章、おめでとうございます!)の「ポリーニのアメリカで初の協奏曲の演奏を指揮したのは僕なの」(というような)文を読んだことがあるので、ボストン交響楽団とも実は古い付き合いだったのでしょう。「40周年」との意識があったかどうか(あっても取り立てて変った点は無いかもしれないけれど)、今回のツアーは協奏曲の演奏4回(+公開リハーサル)というヘビーなスケジュールと、“meaty”な充実したプログラムのリサイタル。マエストロの体調も良く、熱のこもった演奏で大成功を収められたのは何よりでした。
ゲストブックにも評の紹介やライヴで聴かれた方のご感想をお寄せいただき、アメリカでの活躍ぶりが窺えたのは嬉しいことでした。私も新聞評など探しましたが、どの都市の演奏会も取り上げられているのは、ポリーニの実力と人気の高さゆえでしょうね。
シカゴでは“Pianist Pollini's a marathon man”(Chicago Tribune)(ゲストブックにお知らせがありました)。好調なスタートが嬉しく、その後の演奏会が楽しみになりました(聴けないけれど^^;)。
ボストンではBoston Globeに評がありましたが、主にKirchnerの初演とチャイコフスキー「悲愴」に割かれて、シューマンの協奏曲については少しだけ。
「敏捷な指の動きと非常に明晰な演奏で」「第1・3楽章は優雅で流動的で、真珠の音色だった」「レヴァインとオーケストラは敏感なパートナーで、常にポリーニに合わせていた」
The Boston Phoenixにも評がありました。
「レヴァインとは初の共演だが、二人は驚くほど共生的(symbiotic)だった。どちらも小節でなくフレーズで演奏し、そのフレーズを前進する勢いにしようとする。ポリーニは自己抑制と非の打ち所の無いテクニックで知られている。ここでは彼は初めから熱くなり、火花を発し、オーケストラとの親密な会話では優しく陽気に(特に緩徐楽章のクラリネットとの愛らしい対話)、ピアノの意匠を凝らした縫取りは魔法のよう、トリルとアルペッジョでの目のくらむような輝き・・・繊細さと勇壮の、明晰さと激情との驚くべき結合だった。スタンディング・オヴェーション!」
この演奏はWebラジオで聴くことができたのに、私は不覚にも聴きそこなってしまったのですが、ある方のご好意で聴くことができました(感謝!)。ポリーニの誠実さと温かさが滲み出ているような美しい音の、本当に熱い、また楽しさ、優しさのある演奏と思いました。
ニューヨークでのBSO演奏会はニューヨーク・タイムズに取り上げられましたが、協奏曲についてはやはり短く、「ポリーニはレヴァインとオーケストラを鼓舞して、心を惹き付ける、洞察に満ちた演奏を行った」「達人に相応しい、だが若々しく、興奮を湧き起こす演奏だった」
カーネギーホールのリサイタルは、お二人の方の感想にあるように、またメールを頂いた方からも、素晴らしい演奏でした、特にアンコールの練習曲op.10-4は、見事で、本当に完璧で、すごかったです! とのこと。
またWeb上に、ホールから帰ってすぐに記したような、ホットな評も見つけました。“After the Garden, the Bouquet”というタイトルの文を、よろしければお読みになってみてください。
http://www.concertonet.com/scripts/review.php?ID_review=5026
ところが、ニューヨーク・タイムズには辛口(というか、偏見があるというか、無理解というか)の評が載りました。人の感じ方はそれぞれなのだから、ある批評家がポリーニに共感できないことも、当然あるでしょう、が・・・。
(気分がノラなくて^^;)実は一部しか読まなかったのですが、それでも大多数の聴衆は熱い喝采を送り、前半も後半もスタンディング・オヴェーションで称えたことは、しっかり読み取りました(^^)v 聴衆の一人(そこに居なくても)という立場の私には、それで充分です。
終演後のサイン会も長蛇の列だったとか。ショパンの新譜にサインを貰うファン達の嬉しそうな様子、サインするマエストロの優しい笑顔を、目に浮かべています。
最後の公演には、Washington Postに“Pollini Reveals a New Side Of Beethoven -- and Himself”と言うタイトルの評(by Anne Midgette)がありました。ザッと読んでみますと。
ポリーニは頭脳的とかクールとか超然としていると言われるが、このリサイタルでは全くそんなことは無かった。彼の演奏には温もりと素朴さのある何かがあった。冷ややかな完璧性より、熟慮された人間性のようなものを差し出していた。特徴的だったのは冷たさではなく、その完全なる独創性だった。
ポリーニは音符でではなく、フレーズで考える。その思考は、例えばベートーヴェンに関して、世間一般の通念をはるかに越えている。2曲のソナタには、プログラムの他の曲と同じく、新しい面を見出すのは難しい。
だが、それは新しいものに聞こえた。単にベートーヴェンの新しい解釈というのではなく、全く新たな作品のようだった。それは「テンペスト」を開始する時のように、しばしば音楽が即興的に表れる、ふと奏者が次の道を探っているような趣がある、ということだけではない。フレージングが思いがけないものなので、聴きなれた曲が全く違ったものに聴こえたということなのだ。もし音楽が文章であるとしたら、内容を全く新たな言語に翻訳したようだった。しかもピアニストが気まぐれで、単に差異を見つけるための視点を押し付けているとは、決して感じられなかった。
ポリーニは66歳、だが長いことこの分野の主峰であったので、より年長に思われる。彼の演奏の特徴は首尾一貫している。(旋律)線の信じられないほどの流動性がある:「テンペスト」の終楽章はまるでうねる沸騰点に達したよう、個々の音はより大きいより複雑ななにかに包含されたよう、まるで音楽が別の媒体へと作り出されているようだった。ダイナミックな対比と観念の並置が驚くべき方法でなされ、それは彼をシューマンの理想的な演奏者にした:急転回や回転や方向転換は意味をなす物語の一部となった。しかもこれらの特色を描写して、全くそれを予測できなかった時に、予測できるように聴こえさせる。
彼は完璧だったか。否である。幾つか音を外し、無意識にうめき声を発した。だが彼はそのテクニックが完璧に聞こえるやり方で演奏した。技術的完璧さが、文字通りの記述というよりある観念である時でも、彼の指が鍵盤から音楽を引き出す方法は難攻不落であった。ピアノも特別だった。ファブリーニの楽器はスタインウェイの華やかな派手派手しさから、温かみを増した、より親しみ深い、壮麗な音へと調整されていた。
情熱の夕べはショパンの演奏で頂点に達した。ショパンはポリーニの“自宅の芝生”であり、3曲のアンコールもショパンから弾いた。彼が知的であったとすれば、それは思索のために沢山の糧を差し出すことにおいてであった。それは豊かな感覚であり、言葉にしようとすると減ずるばかりなのだ。
フ〜〜〜〜(下手な訳ですみません^^;) マエストロ、お疲れ様でした!
10月始めに予定されていたバーゼルのリサイタルは12月に延期になっていました。寒いスイスでチューリッヒと合わせて2回の演奏会です。
その他、判った曲目、アンコールなどを付け加えて、今回の更新といたします。