桜が咲くはずだったのに・・・とボヤいてみてもしょうがない。東京にも“初雪”がチラついて、冬に戻ってしまったようなこの数日。北国では大雪や雪崩の報道もあり、季節の変わり目は天候も体調も、気を許せないものと思い知りました。
膨らみかけた桜の枝先を眺めながら「♪春よ来い 早く来い♪」と待ち望む気持ちです。そう、こういう期待感もワルくはないですよね。
「日本におけるイタリア2007・春(Primavera Italiana 2007, Italia in Giappone)」が今日から始まります。6月にかけて各地で300のイヴェントがあるというこの催し、イタリア旅行はムリとして、オペラ鑑賞もムリ?としても、せめて「ダ・ヴィンチ展」には行きたいと思っています。
本場イタリアでも、ローマで“Festa di Primavera 2007”が行われています。6月まで、800にも上るイヴェントのあるFesta、そのオープニングとなったローマでのポリーニの演奏会は、大成功だったようです。
大統領はじめ各界の要人が参加し、聴衆はポリーニに愛情の全てを捧げ、10分間のスタンディング・オヴェーション。
3つのアンコールで応えたマエストロ、終了後にはサイン会も。
また、主催者の意向で、目の不自由な若者達が招待されていたとのこと。
概要は判ったものの、マエストロの演奏はどんなだったのかしら?と記事を探したのですが
「皆ポリーニに熱狂」という評は有料で読めず、やっと見つけた評は「ロマンティシズムであってもセンティメンタリズムではない」というタイトル。
ザッとご紹介してみましょう。(3/16 Il Manifesto.Arrigo Quattrocchi)
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おそらく他のアーティストは誰も、ローマの聴衆との間に、ポリーニほど深い共感(親愛の情simpatia)ある関係を育めはしないだろう。
ナポリターノ大統領夫妻も参加し、ローマ県の“春の祭り”の支援を受けた演奏会は、パルコ・デラ・ムジカの大ホール2740席が完売、ホール内の待ち望む雰囲気は手に触れられそうなほどだった。
ポリーニは、その期待を裏切ることは無かった。リラックスし、集中して、本当に魅惑的な夕べをもたらした。
ポリーニが手を鍵盤に置く時、その楽器を扱う能力に、やはり驚かされる。それは妙技、指のすばやい動きだけではなく、音のもつ力と共にその清らかさ、精密さ、異なる音域の内のバランス、どんな細部をも知覚させる透明さへの感嘆である。このインパクトの強さを再現するのは、レコードにはできない。
シューマンとショパンの作品を、ポリーニは何度ローマで演奏しただろう? 数え切れないほどだ、だが、これらロマン派の音楽家への彼の解釈は、魅力を失わない。それは感傷的ではなく革命的な、ロマン主義の考え方の中にあるのだ。
シューマンでは、稀にしか演奏されない「アレグロop.8」を演奏する。これはある種の構成主義が刻印された作品だ。
次に有名な「クライスレリアーナ」、ホフマンの短編集の人物にインスピレーションを得た8つのミニアチュール(細密画)である。これらは、そこに内包される感情的な爆発が強調されることが多いのだが、ポリーニが表すシューマンのイメージは、どちらかといえば前衛的な音楽家であり、コントラストに焦点を合わせ、夢想家の論理性を追求するものだ。
ショパンでも8つのミニアチュールだったが、大いに明瞭に演奏された。「夜想曲op.48」、「4つのマズルカop.33」、「スケルツォ第3番」それに「英雄ポロネーズ」である。
ポリーニのマズルカへのアプローチは珍しい。これにはなによりも音色の繊細さとリズムの複雑さを目立たせていた。
スケルツォは彼にとって、初めからずっと中心となる作品だった。構造主義者の論理をもって、極限状態にしながら豊かな表情の極みを表した。本当に忘れることのできない演奏だ。
英雄ポロネーズは、ある種のレトリックで磨き上げられたが、そのことで固有の叙述的な表現力が失われることはなかった。
選り抜きの演奏集の中になにかキズを見つけようとすれば、夜想曲op.48-1にごく僅か欠ける点があるといえようか、カンタービレの素っ気なさと、反復部での激情の不足から、少しだけ減点されると思われる。
ホールの聴衆の熱狂は3つのアンコールによって報われた。やはりショパンで。「夜想曲op.27-2」、柔らかく愛撫するように。「練習曲op.10-12(革命)」、強靭な指で立ち向かって。そして「バラード第1番」、本当に素晴らしい(bellissima)夕べの中で、おそらく最も熱い時だった。
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ああ、本当に“素晴らしい夕べ”だったことでしょう! マエストロのアンコール曲・・・想像するだけで、ウットリですね(*^^*)
今回の更新は、パリのリサイタルのプログラム、このアンコール曲目、Disco d'oroの記録を加えました。
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