時々の雑記帳

音楽のこと、ポリーニのこと、日々の雑感を、
時々(気まぐれに)、書き入れます。

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このほかの日記帳はこちらを、すぐ前のものは「夏」7〜9月を、次のものは「冬」1〜3月をご覧ください。

(10月〜12月)

ささやかな花を
空気は冷たいけれど、陽射しの中にいればホッとする、穏やかな東京の師走です。暖冬といわれたけれど、北国では大雪、厳しい寒さの到来とか。皆様お元気でお過ごしでしょうか。
この数年、冬になるとシクラメン園に出かけ、お気に入りの鉢を見つけるのが楽しみでした。去年の花は白い花弁の先が濃いピンクに染まったプルマージュ。100以上も花をつけ、“かがり火花”ともいわれる華やかさで室内を明るくしてくれました。
ところが今年は雑事に追われ、行きそびれてしまったのですが、去年の鉢がベランダの片隅で夏を越して、今可愛い花をつけています。5輪、6輪、葉っぱの下にはまだまだ蕾が・・・。小さな花一つ一つを愛でて“来年の鉢”にしようと思っています。

今年も残すところ一日余りとなりました。ルツェルン・フェスティヴァルへの期待で明け、余韻で閉じる2006年。21世紀に入ってほぼ毎年マエストロを迎えることのできた日本のファンは幸せでしたね。
2002年のポリーニ・プロジェクトは翌2003年の不在を補って余りある充実したものでした。今年の“ルツェルン・フェスティバル・イン・東京”では、リサイタル、室内楽、協奏曲と、一連の多様な公演に深く関わり、素晴らしい音楽を聴かせてくれたマエストロ。来年の不在を補うほどの大きな感銘を残してくれました・・・でもやはり、次の来日が待ち遠しいです、マエストロ! 一抹の寂しさを感じる年の瀬です。

モーツァルト・イヤーも終ろうとしています。心地よい彼の音楽は、クラシック音楽に親しむ人を増やしたかもしれません。多くの演奏に触れ、新たな魅力の発見もあったことでしょう。
中でもポリーニの新譜の2つのピアノ協奏曲は、ポリーニ・ファンにとっては恩寵、音楽ファンにとっても大きな贈り物、それ以上に人類の宝物、と言ったら大袈裟でしょうか?  ウィーン・フィルとの息の合った、室内楽的で親密な演奏は、同時にモーツァルトに対するポリーニの賛嘆と深い愛情を感じさせるもの。聴くたびに幸福感を得られる演奏です。
来年もモーツァルトの協奏曲、それも最高峰の24番ハ短調を取り上げるマエストロ。録音をして下されば、どんなに嬉しいことか! それを一つの希望として、新しい年を迎えようと思います。

日本の社会は今年、幼い子供達や未来を担う若い人達を巡る、沢山の心痛む出来事に接しました。出口の見えない悲しみ、底知れぬ不安感の漂う社会に、そんな社会を作り上げてきた大人達は、今、どうすればよいのか・・・迷うばかりです。
秋に発足した新政権は、不安に揺れる社会にさらに追い討ちをかけ、傾斜を強めるかのようです。平和を維持してきた戦後の日本、その歴史の分岐点へ一歩が踏み出されたと、思えてなりません。「教育」こそが、未来へ希望を託せるものなのに・・・。
明るいニュースだってあったし、心温まる出来事も身近な社会には沢山あったでしょう。ささやかなそれらを心に留めて、温もりのある、より自由な明るい社会になりますようにと、2007年に夢を託したいと思います。

今年もこのホームページをお訪ねいただきありがとうございました。
ゲストブックを通じ、新譜、演奏会の感想、ポリーニをめぐる様々な話題を、皆様と共にできたこと、ご意見や励ましの言葉をいただいたことに、深く感謝いたします。
メールを通じていただいた貴重な情報、お励ましにも、元気付けられました。本当にありがとうございました。
それから、このページを通じて新たな出会いがあったことも、とてもとても嬉しいことでした。“ポリーニの輪”に感謝!

皆様、どうぞお元気で良いお年をお迎えください。Arrivederci!

2006年12月30日 12:30

Alles Gute zum Geburtstag, Ludwig!
師走も半ばを過ぎ、街にはクリスマスの曲が溢れています。でもクラシック・ファンには12月は「第九」の季節との感があるのではないでしょうか。暮に「第九」を演奏するのは日本の風物詩(?)のようですが、1年の締めくくりとして、この曲は相応しいような気がします。ヨーロッパではクリスマスに向けて多くの宗教音楽が演奏されるので、12月=第九とはならないようですが、でも年末、ことに大晦日に、この曲を演奏することも多いようです。

先日、映画『敬愛なるベートーヴェン』を見てきました。「敬愛なる」というヘンな言葉には“?”ですが、音楽も映像も美しく、ベートーヴェンを敬愛する方には、オススメの映画です。
ベートーヴェンになりきったかのようなエド・ハリスの力演、凛とした美しさのダイアン・クルーガーのアンナも、とても魅力的。史実に基づき時代考証を経て、丁寧に作られた脚本・映像に、フィクションではあっても「あぁ、そうだったかもしれない」「そうであれば、良かったのに…」などと思わせられました。粗野な人物として画面に登場するベートーヴェンですが、音楽を語る彼の台詞は、ベートーヴェンならそう言うだろう、ベートーヴェンだからこそ言えただろう、と納得させられるものがありました。
なによりも、「第九」演奏のシーンが圧倒的に素晴らしく、「合唱」の崇高なるメロディーがついには官能的に響くのに、心を揺さぶられます。また、弦楽四重奏を口述する場面も感動的で、音楽そのものも強く語りかけてくる“主役”でした。後期の作品が当時いかに衝撃的だったか、ベートーヴェンがいかに時代を超えた天才だったかが、よく判ります。
原題は「Copying Beethoven」。楽譜をコピーする(ヒロインは写譜師Copyist)、という意味だけでなく、音楽を通じてベートーヴェンの魂に寄り添い、理解し、自分の魂に刻印する・・・というcopyでもあるのですね。写譜を通じ、今まさに生まれてくる音楽を体験するヒロインは、最後にベートーヴェンを真に理解し、難解な「大フーガ」を“聴く”のですが、私は残念ながら、まだその曲を聴けないでいます。
今日12月16日はベートーヴェンの誕生日。彼の音楽を聴けることに感謝しつつ、後期の四重奏曲やソナタを聴いて過ごしました。

さて、マエストロ・ポリーニのウィーンでの“Perspektiven”も、10日に成功裡に終了したようです。
“Wiener Zeitung”によれば、モーツァルトの管楽五重奏曲は(埃っぽく乾燥した音響にも拘らず)何よりもピアノによってまさに歌うように演奏された(ポリーニ自身も唸り声を発していた)。一転して管楽器の名人達による20世紀の作品、クルターク、ハース、リゲティ(活気に満ち、ウィットでくすぐるバガテル)の演奏。ベートーヴェンの管楽五重奏は非の打ち所なく、アンコールにモーツァルトの曲のフィナーレが再び奏された、とのこと。
“Mozart Perspektiven”とも呼ばれた一連の演奏会は、やはりモーツァルトで締めくくられたのでした。

DGサイトに3月のローマでの演奏会の予定が載りました。サンタ・チェチーリアにて「定期以外の特別演奏会」ということですから、先の受賞を記念しての開催かもしれませんね。シューマンとショパンのプログラム。スケジュール表に付け加えました。

またサンタ・チェチーリアでは、シンフォニーとピアノの演奏会のそれぞれのシリーズ券(安価)を、クリスマス・プレゼントとして明日から発売する、とのこと。ピアノ・シリーズはフォークト、シフ、ポリーニ、ソコロフ、バレンボイム、プレトニェフ、キーシンの中から5回を選べるのだそうです。ステキなプレゼントですね、ローマっ子が羨ましい!!

またそのサンタ・チェチーリアでは、21・22日に“平和のためのクリスマス演奏会”が行われます。
21日にはナポリターノ大統領も臨席して招待者のために。そしてローマ市長から、パレスチナとイスラエルの相互理解・対話に尽力した作家Grossman氏に平和賞が贈られるとのこと。翌22日は聴衆へ公開されます。
演奏曲目はベートーヴェンの「第九」。“(歓喜の)優しい翼のおおうところ、全ての人は兄弟となる”“手を取り合おう、億万の人よ! この口づけを全世界に!”
この音楽に込められた思いが、いつか実現しますように!

2006年12月16日 22:35

賑わう街の灯
街の中、至る所にクリスマスツリーが飾られて、赤や青の光の瞬きが師走の空気を賑やかにしています。街路樹には小さな花が咲いたような満開の電飾。人も車もいつにも増して多い街に、華やかさを撒き散らして・・・キレイだけど・・・木はウレシイのかな?
我家付近の自然の木々は、すっかり葉を落としてサッパリと冬木立の姿。黄金色の銀杏だけが晩秋の気配を残しています。

早いもので今年も残り少なくなりました。秋の“ルツェルン”を焦点にしてきた2006年、一大イベントが終ってからは、なんだかボンヤリした感覚で今に至っていますが、これからは年末に向かって走り抜ける(?)日々。そろそろ“まとめ”をしなければと、ゲストブックに寄せられた皆様の声を『Bravo e Grazie! Maestro!! 2006年の感動』としてUPしました。
皆様の文章はそのまま載せさせていただきましたが、二日にわたる部分を別の日に分けた場合もあります。どうぞご了承ください。また演奏会の感想でなくとも、この間のポリーニ、ルツェルンに関わる内容のある文は載せさせていただきました。ご協力ありがとうございましたm(_ _)m。

来年のグラミー賞にノミネートされたCDの発表がありました。“Instrument Soloist”の部門にポリーニの「ショパン:ノクターン集」が入っています。2005年10月〜2006年9月にリリースされたものが対象ということで、ちょっと“遅ればせながら”という感じですね。他にクレーメルの「バッハ:無伴奏」やアンドラーシュ・シフの「ベートーヴェン:ソナタ集」など4点がノミネートされているので、実際に賞を得られるかどうか(来年2月に発表)は、まだ判りませんが、“人類の宝物”のようなこの「ノクターン集」が、正当なる評価を得られることを願って止みません。

昨日10日のウィーンのPerspektivenで、マエストロの今年の活動は終り。これからはミラノのご自宅でノンビリと過ごされるのでしょうか。1300年ぶりの暖かい秋だったというヨーロッパ。クリスマス、新年も穏やかな日々だと良いですね。
お疲れ様でした、マエストロ! よい休日をお過ごしください!

2006年12月11日 13:30

初冬の木々
桜の木の下には・・・桜餅がある? なぁんてネ。桜の木、紅葉した葉、雨に濡れた落ち葉を踏みしめて歩くと、芳香が、薄紅色のお菓子を思わせる香りが、ほのかに漂っています。桜の花は美しいけれど、梅のような芳香がない・・・と思っていましたが、葉に(幹にも?)こんなよい香りがあったのですね。
我家の前の桜並木、去年は早くに強風に散らされたのでしょうか、紅葉の記憶が余り無いのですが、今年は桜の黄葉や紅葉が本当にキレイです。風に舞う落ち葉、道に散り敷く落ち葉も秋の風情。枯葉を踏みしめる感触、その音を楽しみ、どこからか聞こえてくる竹箒の音にも懐かしさを感じながら、晩秋の日射しをしばし楽しみました。

もう12月、今年のカレンダーもあと1枚。マエストロの演奏会もあと1回を残すのみとなりました。
11月後半はウィーンで“Pollini Perspektiven”に取り組んだマエストロ。音楽的に理解し尊敬しあい、また友人としても深い絆で結ばれている弦楽器・管楽器の奏者との共演は、きっと大きな喜びをもたらしたことでしょう。もちろん主宰者として、緻密で繊細な心遣いをもって進めていられるのでしょうね。
"Wiener Zeitung"紙に、3日とも評が出ていました。簡単に。

18日のムジークフェライン。前半は様々な作曲家の小曲の並ぶプログラムだった。
モーツァルトの曲はクラリネットと弦楽のための五重奏曲の1楽章KV.516cだったが、驚くべき不協和音の導入に聴衆は耳を傾けた。トイブルとハーゲン4重奏団の素晴らしい演奏だった。
ポリーニは独奏でベートーヴェンのバガテルop.119(いくらか輪郭がぼやけ、不安な)、シェーンベルクの6つの小品では驚嘆すべき集中力。トイブルと共にベルクのクラリネットの小品を演奏。
ハーゲン四重奏団のウェーベルン2曲、クルタークの小品は驚くほど美しかった。優しく織り上げられた親密さが、大ホールの広さに、いくらか消えていったのは残念だった。
休憩後はショパン。ポリーニの、内向性の現代的な解釈による前奏曲集。そこでは各々のメロディーはしばしば和音の構造に深く埋め込まれている。彼は自ら大きな熱狂を保ち、やはり偉大だった。アンコールには気前良く「革命」のエチュードとスケルツォ第3番。熱狂的な喝采。

21日と25日は「ウィーン・モデルン」に参加しての“Pollini Perspektiven”。
第1夜はクラングフォーラム・ウィーン、ハーゲン四重奏団との共演。まずポリーニの独奏でシュトックハウゼンの2曲。強く主張する7番。怒りのスケール化(?)のような8番。スタインウェイに注意深く耳を傾け、咳をしないで、しっかり聴いて、と暗示をかけるよう。
ピアノ、オーボエ、バスクラリネットと3つの打楽器による“Kreuzspiel”では、こんなにも精密に演奏されるのに、セリー音楽がスゥイングして響くということに、人々は感嘆した。
木管のための“Zeitmasse”、10の楽器の“Kontra-Punkte”も緊張感が保たれていた。
モーツァルトの“すみれ”4重奏曲は、この配列の結果、すっかり現代のクラシックの響きとなった。人々の耳は曲の精緻さと大きな展開に対して鋭敏になった。ハーゲン四重奏団は、緻密な楽譜を愛らしさで覆うことなく、各奏者が細心の注意の行き届いた演奏だった。
最後にブラームスのピアノ五重奏。ハーゲンは同一音の立場(Unisono Stelle、兄弟姉妹であることか?)の強みを発揮し、どんな伴奏の旋律も無意味なものにはしない。ポリーニはこの奏者達の関係の網目に、接ぎ目無くピタリと合わせたので、これまで知らなかったけど、ポリーニも実はハーゲンの一人だったんだ、と聴衆に思わせたに違いない。圧倒的な演奏。

第2夜はウィーン・モデルンの最終日。今年のテーマ作曲家のB.LangでもG.Kurtagでもなく、ここではベートーヴェンが中心となっていた。なるほどポリーニのプロジェクトらしい。
モーツァルトのヴァイオリン(H.ワインマイスター)とヴィオラ(I.カリシウス)の2重奏KV.423は大ホールの広さに響きが消えていった。
ベリオの2作品は無窮のグリッサンドの中に現代のヴィルトゥオーゾ性が明瞭に刻印されたものだった。3曲目は快いAltra Voce。
シェーンベルクのop.11の後、ポリーニは緊張の中に自らを投じ、危険を楽しみながら“ハンマークラヴィーア”に取り組んだ、ほぼ200年を経て、自らこの古典派ソナタの巨人の影響を追跡するように。人々は第1楽章の放縦なエネルギーに、アダージョの無限の広がりに、また、情け容赦ないフーガの機構に驚愕した。
ウィーン・モデルンは、こうして過去における偉大な現代性と共に終ったのである。力強い終結。


さて、話が前後しますが、マエストロは11月10日にローマにて、共和国大統領賞を受賞されました。
これはサンタ・チェチーリア音楽院(Accademia Nazionale di Santa Cecilia)の仲介(推挙)による受賞です。他に画家のAntonio Recalcati氏(Accademia di San Lucaの仲介)、言語学者のTullio De Mauro氏(Accademia dei Linceiの仲介)が受賞しました。
3つのアカデミーは16世紀末から17世紀初頭に創立された歴史ある団体。Linceiは、あのガリレオ・ガリレイも会員だったそうです。

「このような由緒あるアカデミーにその栄誉に相応しい大統領賞を贈るのは喜びであります。また、受賞者は皆、以前からその業績を尊敬し、個人としても親しく接してきた人々です。」
賞を授けるにあたってナポリターノ大統領は語りました。また、音楽愛好家の大統領は、音楽院に対して、Goffredo Petrassi、Giuseppe Sinopoliを記念して、その名を冠した奨学金を創設して、二人の若手音楽家に授与したそうです。

今回はスケジュール表への訂正・追加と、「数々の栄誉」に受賞のことを記しました。

2006年12月1日 14:00

小春の日
数日前は夜半から大風が吹き荒れて、翌朝は気温もグッと下がりました。落ち葉が風に舞い、ハナミズキはすっかり紅葉し、桜や山法師も黄や赤の葉を増しています。もう晩秋の風景・・・と思っていたら、7日は早くも“立冬”、冬がそこまで来ているのですね。関西では「木枯し」が吹いたとか。それに北海道では恐ろしい竜巻の被害。心よりお見舞い申し上げます。
でも風がおさまれば秋の陽射しは暖かく、穏やかな光は柔らかい影を作っています。ポリーニの演奏会が全て終った後は、「もう今年は終り・・・」なんて気分で、ボンヤリしていましたが、そうも言ってはいられません。気を取り直して、“小春日和”に感謝しつつ、僅かとなった秋の日を、音楽の秋、芸術の秋、旅行の秋を楽しみ、それから、食欲の秋も、味わいたいと思っています。

ポリーニにとっては、この秋の北京と東京へのコンサート・ツァーは彼のシーズン・オープニング。イタリアに帰国後はヨーロッパ各地での活躍が待っています。4日はクレモナ、8日はミラノ、そしてウィーンでの“Pollini Perspektiven”へと続きます。
そういえばクレモナでも「木枯し」が吹いた(?)そうな・・・。その地の新聞“La Provincia”に評がありました。
演奏会は大成功のようでした。ポンキエッリ劇場の演奏会シーズンの開幕リサイタルで、聴衆の数は、人気者のシンガーソングライターのLigabueさんを抜いて、この5年間で第1位だったとか。その5年前の記録もまさにポリーニのリサイタルだったのですが、この時の大成功はクレモナの人々の記憶に深く刻まれているようです。ラヴェル「夜のガスパール」を弾いたプログラムの、アンコール第1曲がショパンの前奏曲op.28の最後の二短調の曲だったことと、今回のプログラムの最後が同じ曲だったのは、偶然ではないだろう、などと書いてありました。

〈前半は、ベートーヴェンの最も簡潔な曲バガテルop.119と最もモニュメンタルな作品“ハンマークラヴィーア”。ポリーニは知的な挑発を好み、挑戦することをなによりも好む。バガテルにはただ簡潔(素朴)さで臨み、最後の曲は天使の飛翔のようだった。ソナタは「今後50年ピアニストを手こずらせるだろう」と作曲者が言い、実際、現在も恐れられている曲だが、ポリーニは恐れない。突如和音で始まる力強いアレグロ、彫刻的なスケルツォ。アダージョではポリーニはいつものように、美辞麗句(レトリック)など全く用いなかった。ゆっくりしたテンポはベートーヴェンの想像した以上の美しさだったろう。すぐに偉大な3声のフーガに取り掛かり、大胆なピアニストは速さを支えるために椅子から身体を上げ、ベートーヴェン的対位法の進行に胃の腑から発する声を添えた。38分ちょっとのセンセーショナルなハンマークラヴィーア。それは音の素材を削り、虚飾を排し、本質的要素のみを活かした演奏の完全なる統合体と思われた。64歳のポリーニの示す精神的−身体的な活力は本当に奇跡のようだ。
後半、ショパンの前奏曲でも、非常に難しい嬰へ短調(8番)や変ロ短調(16番)等々でさえ、なんという勢い、力強さだったことか! '60年にワルシャワのコンクールで優勝した時と同じ曲で、再び鍵盤の上で夢見るこの60歳を過ぎたピアニストを見るのは、なんと素晴らしいことだったろう。そして聴衆に夢を見させるように、アンコール(4曲)はすべてショパン。「木枯し」(“イ短調の練習曲”とあるので、op.10-2かop.25-4かもしれませんが)、変ニ長調の夜想曲(op.27-2)、そして最後にスケルツォ。〉

演奏会後(23時終了!)、奥様や劇場の関係者と一緒に、名シェフの手になるラヴィオリなど美味しい食事をとり、途中で市長も称賛に訪れ、ご機嫌だったマエストロ。特にポレンタがお気に入りで、奥様に「残さず食べようね」「こんな美味しいのはミラノでは食べられないよ」。
そして演奏会の成功に満足したマエストロは、クレモナでも新プロジェットを行いたいと表明したそうです。3年先まで予定はギッシリなので、先のことになるけれど、もしかしたら2008〜2009年に行われるかもしれないとのこと。仮の計画がすぐにいろいろ出され、その一つは古典と現代作品を共にプログラムに組むというもの。実はこれは、数年前モンテヴェルディ音楽祭に提案されていたけれど、条件が整わず実現しなかったのだそうです。「今は機が熟している」と記事は結んでいます。マエストロの希望が、今度こそ実現しますように。

8日はミラノで“ベリオへのオマージュ”としてセクエンツァ3曲と"Altra Voce"に、シェーンベルク作品とハンマークラヴィアを組み合わせた演奏会。その先のウィーンのPerspektivenといい、ポリーニの音楽の世界への視野の大きさ、多様さを思わされます。そしてその音楽の世界を実現していく熱意と力量に感嘆させられます。

〔2006-2007 Season〕Scheduleにクレモナのアンコール曲を付け加えました。他の更新はありません。

2006年11月10日 15:30

Festaのあと
木々の葉が色づきはじめ、空気は清涼になり、秋も深まってきました。穏やかな日々、何事もなかったかのように日常の時間が流れていきます。ルツェルン・ウィーク(9日間ですが)が終って早や一週間余り、皆様はいかがお過ごしでしたか。
私は興奮から覚めてシーーンとしているような、或いは虚脱感からボ〜〜ッとしているような日を過ごし、なんだか眠くて眠くて、という日もありました。連日の演奏会で聴いた沢山の音楽で、心身が過飽和状態になったみたいで、音楽を聴きたいという意欲もありませんでしたが、やっと昨日今日、少し平常に戻った・・・という感じで、また音楽を聴こうか、という気分になりました。モーツァルトの新譜を、サインをいただいたブックレットを眺めながら聴きました。美しい音、端正な演奏に、気持ちが落着きます。

あの9日間は自分でも不思議なほど“元気!”だったのですが、やはり連日の“サントリーホール詣で”はハードでした。“ちょっとオーバーワークだったわね”と言えば、“オーバープレイでしょ”と返されましたが、お仕事をお持ちの方は、どんなに大変だったことでしょう。余りの眠さに“時差ボケみたい”と言えば、“ポリボケだろ”(マエストロ、スミマセン)。家族にも協力してもらっての9日間でした。謝々。

でもなによりも、遠路はるばる、時差をものともせず来日してくれた、そして連日の演奏に全力を尽くしてくれたアバドとポリーニ、ルツェルン祝祭管のメンバーに、いくら感謝してもし足りない、言い尽くせないような思いです。
勿論、主催者の梶本音楽事務所、サントリーホールにも感謝です。この豪華な企画を知った時、驚き喜びながらも「本当に実現するのかしら」と心配し、着々と現実化する中で「キャンセルになりませんように」と願い、開催が近づくにつれ、嬉しさと共に「期待が大き過ぎたら・・・」と不安になったりもしました。

でも、実際は、二人のお元気なマエストロと、大勢の活気溢れる名プレーヤー達を迎え、高いクオリティーの、密度の濃い演奏会を堪能することができました。
マエストロ・アバドを中心に集い、友情に結ばれたプレーヤーが、互いに音を聴き合い、心を通わせ、また啓発しあって一つの音楽を作り上げていく、響きを交わすという原点に立ち返ったオーケストラ。音楽の真の姿を求めるアバドの許に収斂し、そこから新たに、あたかも自然に発したかのように生まれて来る音楽。その演奏はしなやかで細やかで美しく、一人一人が全力を発揮するところに生まれる緊張感は聴く者に強く迫り、音楽は壮大さと気高さをもって、圧倒的に心に訴えてくるものと成りました。ポリーニとの協演が「ピアノ付き交響曲」ともいわれるブラームスの協奏曲第2番だったのも、このオーケストラのあり方に相応しいものだったのでしょう。
オープニングを飾ったポリーニ・リサイタルの素晴らしい演奏、名手達との室内楽への参加、マエストロ・アバド指揮のオーケストラとの協演・・・ポリーニにとっても、きっと充実した、良き思い出の残る日々だったに違いない、と思います。日本で、日本のファンの前で、これらの公演がなされたことに、あらためて感謝したいです。

サイン会もあってご多忙だったマエストロですが、インタヴューも受けていらしたようで、いくつか新聞記事を見つけました。
22日付産経新聞に『ポリーニ 更なる存在感』、24日付読売新聞には『弾き振り ポリーニ』、ともにインタヴューをまとめた記事がありました。後者の最後には「近く(ベートーヴェンの)初期ソナタ集のCDを出す予定だ。」ですって!!

また、18日付毎日新聞には、(演奏会評というより)ポリーニについてリサイタルを聴いての随筆『音のかなたへ ノクターン』がありました。

新聞のコピーをスキャンしたので、とても読みにくいものですが、載せてみましたのでご覧になってください。また、何か他紙にも報道があれば、お教えいただけると幸いです。

2007年のスケジュールにスペインの公演を付け加えました。

2006年10月28日 13:10

ブラームス:ピアノ協奏曲第2番(10月18日・19日)
終ってしまった・・・・寂寥感に押しつぶされています。フェスティヴァル終了とともに重く雲が垂れて、私の気持ちを映したかのような東京の空も、今は少し晴れ間が出てきたようです。今日はマエストロ離日の日。ありがとうございました! お元気で! またお会いできる時を待っています! どうぞ快適な旅を! ありったけの気持ちを空に向けて投げかけています。

18日は待ちに待ったオーケストラ・コンサート2。マエストロ・ポリーニとマエストロ・アバドの共演でブラームスの協奏曲第2番を聴くことができる、まるで夢のような出来事。
ステージ中央に黒く光るピアノがオケに囲まれて置かれているのを見るだけで、ドキドキしてきます。照明が落とされ、いよいよ二人のマエストロの登場、その姿を見るだけで胸が熱くなりました。

開始のホルンは少しくぐもった響き、マエストロのピアノも少し抑え気味?と思いましたが、高音部の音はクッキリと聞こえます。落ち着いたテンポで、調子も良さそう、きっと素晴らしい音楽になる・・・と思った途端、涙がこぼれてきました。今、長いこと夢見た演奏を、確かに聴いている、それがまるで奇跡のように思われて。次第に曲が熱を帯びてくると、ポリーニのピアノの音色は輝きとパワーを増してゆきます。オーケストラは豊かな音の見事なアンサンブルでピアノを支え、対話し、時に挑発して、風格ある曲を盛り上げていきます。ピアノが休みの部分では、身体で拍子をとったり、椅子を直したり・・・ジッとしていないマエストロ(カワイイ、といっては失礼でしょうか)。
第1楽章が終ると、緊張感が漲っていた客席にフッと緩みが生じ、咳払いが起き、それがポリーニの演奏の手を止めさせました。ここは間を置かずに入りたかったでしょうに・・・。
けれども、演奏が始まると、第2楽章の激しさは損なわれることなく、高音の火花散る音も、地鳴りのような低音も、圧倒的な力で胸に迫ってくる音楽でした。
楽章間で今度は一休止。ハンカチで汗をぬぐい、無造作にポケットに突っ込み、ちょっとはみ出したままの姿が、微笑ましい(失礼でしょうか)マエストロ。
そうして始まった第3楽章の美しさ! チェロのブルネロによる豊かな音量の情感溢れる歌と、木管楽器の優しい音色、それに合わせるポリーニのピアノの美しさ。弱音もクッキリと粒立ち、優しく細やかに歌い、トリルは虹色の雲のように曲を覆います。こんな美しい音楽を、この先聴くことができるかしら・・・。
第4楽章は間を置かずに開始されました。一転して楽しげに始まるロンド。謹厳実直なブラームスが、南国の太陽の下で嬉しそうに微笑んでいるかのようです。ポリーニのピアノは軽やかに進み、オケも多彩な音色で応え、次第に大きく盛り上がった曲は、壮麗な伽藍を見上げるかのような充実感で閉じられました。
割れるような拍手。コンサートマスターと握手したマエストロ、客席に答礼してそのまま奥に入ろうとします。アバドがブルネロと握手するのを見て、「アッ…」という様子、きっと精神はまだイタリアの空にでも飛んでいたのでしょうね。再登場して、ブルネロさんとガッチリ握手、オーケストラにも拍手を送ります。素晴らしい協演でした、マエストロ。アバドさん(ピアノの蓋に隠れて殆ど見えなかったけれど)の指揮のもと、オーケストラの実力の凄さ、豊かさも十分味わえました。Grazie mille!

後半、ブルックナーについては、私ごとき、聴くので精一杯、と言う感じでしたが、素朴な(?)ロマンティシズム、自然への、神への賛歌という趣の美しい楽想が次々と現れ、楽しんで聴き入りました。弦楽器の高音の透明感、低音の重厚感、弱音から強音まで全てに渡る豊かな音。木管楽器の柔らかな響き、金管楽器の輝かしさ。打楽器の迫力とアクセント。アバドの渾身の、けれどしなやかな指揮のもと、個々のプレーヤーが全力を尽くしながら柔軟なアンサンブルを生み出し、一つの楽器のように心を一つにして、壮大な音楽による叙事詩を堪能させてくれました。
客席にはいつものようにポリーニ夫妻もいて、スタンディング・オヴェーションで最後までアバドを称えておられました。同じ空間で感動を共にできたのも、嬉しいことでした。

翌19日は、いよいよ最後の演奏会。昨夜も(一昨夜も)眠れず、昼寝もできず、来る途中ではポカをやったりして、なんだか落ち着かないままホールに着きました。ブルックナー、聴けるかな? 爆睡しちゃったらどうしよう?
席は1階後部右側。舞台ははるか遠くです。周囲の人の手にするオペラグラス。しまった、忘れた! でも、この目で、この耳で、マエストロの演奏をしっかり心に焼き付けよう!

演奏は初めから緊張感みなぎるものでした。ピアノの音は昨日より輝かしさを増して響き渡っていたように感じました。1階中央部の昨日の席よりも条件は悪いと思うのですが。ただ、いくつかミスやオケとのズレも感じられ、昨日よりも好調では無かったかもしれません。でも気合の入り方は昨日以上、最後の演奏会にかける意気込みの大きさと熱い思いが感じられる演奏でした。
今日は、第2楽章は“間髪を入れず”という感じで始まり、マエストロの思う通りの熱い音楽が繰り広げられました。
第3楽章も素晴らしかったのですが、やはり昨日の天国的な美しさには達していなかったかもしれません。でも、本当に美しかった・・・。
第4楽章の、軽く明るく始まる音楽を、一音も聴き逃すまいと思いながら、一方で、この素晴らしい時がもうすぐ終ってしまう、もう二度とこの二人のマエストロの協演を聴くことはできないだろうと、胸が一杯になり、大団円のように終る音楽が、別れの挨拶のようで、ジーンと目頭が熱くなってしまいました。
盛大な拍手、コンマスのブラッハー、ブルネロとの握手。手を取り合い掲げて拍手に応える二人のマエストロ。主催者(?)からの花束。私もホールの片隅で、今日はスタンディング・オヴェーションで称えました。

後半ブルックナーは、昨日の体験からか、より聴き易くなった感じで、途中少し、ウットリ、トロリとした箇所もあったものの、無事に聴き終えました。演奏は昨日よりさらにパワーアップ、集中力も増していたようです。やはり、最後の演奏会への大きな思いが込められていたのでしょうか。Grazie, Maestro Abbado! Grazie, Tutti!

オケのメンバーが退場する中、アバドさんへの盛大な拍手は続いていたものの、私は急いでホールを出ました。退席するポリーニに廊下で手紙を渡したいと思ったのです。昨夜、眠れぬままに、マエストロへ伝えたいこと、お願いしたいこと・・・次々に湧いてくる思いを手紙に託して渡そう!と思い立ったのです(それから一層眠れなくなりました)。
ところが、この日マエストロは客席に現れなかったのです。廊下には楽屋口に5、6人が待っているだけ。中にともママさんと、私もお世話になったIさんの姿が。マエストロはもうお帰りになったのかしら、スタッフの方に手紙だけでもお願いして帰ろうか、と迷いながらも待つうちに、しばらくしてドアが開きました。
狭い楽屋の人混みの中に、マエストロの姿が! ブルーのスーツにノーネクタイ、ストライプのシャツというラフな姿で、穏やかに、にこやかに話をしていらっしゃいます。挨拶の言葉も出て来ず、いくつか単語を呟くだけという情けない私(^^;)でしたが、手紙を渡して握手、サインもしていただきました。おまけに、ともママさんとご一緒に写真まで写していただき、もう夢のよう。多くのファン(関係者?)に囲まれ、本当に気さくに握手し、サインし、写真撮影にも応じていらっしゃる、ご機嫌の良い、リラックスしたマエストロ。今でも信じられないこと、夢の中のことのような気がしています。
燕尾服姿のままのマエストロ・アバドもお見かけしました。笑顔でいらっしゃいましたが、やはりとてもお疲れの様子。そろそろ退散した方が良いだろうと、楽屋を後にしました。

ホールを出ると、モニュメント付近におじさん様はじめポリーニ・ファンの方達がいらして、地下の楽屋口から帰途に着くプレーヤー達を、拍手でお見送りしていました。ニコニコと応じる人、サインをする人・・・公演が全て無事に終って、皆さん解放感を味わっているのかもしれません。
ああ、とうとう、本当に、終ってしまったのですね。

全ての公演が、素晴らしいものでした。日記には書きませんでしたが、小ホールでの室内楽の演奏も味わい深く、また演奏者の実力の高さを、十分に感じさせられるものでした。ブラームスの弦楽六重奏の感動は胸に刻まれています。オーボエの温かい音色も懐かしい思い出です。
優れたプレーヤーばかりで構成されるルツェルン祝祭管弦楽団。その求心力であるマエストロ・アバド。今回の来日公演は日本の音楽ファンにとって、何ものにも替えがたい喜びでした。
その実現に力を尽くして下さった方々、梶本音楽事務所の方々、またネスレの方々に、深く感謝いたします。

会場でお会いできたポリーニ・ファンの方々、十分お話もできませんでしたが、またいつかお会いして、お話をしましょうね!
そう、またポリーニを聴きに来て。soonに! マエストロ、また是非、soonにいらして下さいね!!

2006年10月21日 17:20

チェンバー・フェスト(10月15日)
チェンバー・フェストとは、なんと洒落た、そして贅沢な催しでしょう・・・休日の午後から夜へかけて、名手達の手になる極上の室内楽をたっぷり味わえるのですから。
午後の第1部は、ストラヴィンスキー「兵士の物語」から。この曲は昨年ポリーニがウィーン・フィルを指揮してピアノ協奏曲2曲を演奏した際に中間におかれた曲、どんな曲なのかと興味津々でした。
弦楽器はヴァイオリン、コントラバスのみ、クラリネット、ファゴットの木管、トロンボーン、トランペットの金管にパーカッションが加わった管弦楽の骨組のような編成。鋭い耳を刺すような響きあり、と思えば甘美なメロディーあり、ジャズやタンゴを思わせる箇所もあり、迫力ある打楽器で興奮のうちに締めくくられた音楽を、もの珍しさを感じつつ楽しく聴きました。
休憩の後、メンデルスゾーンの弦楽八重奏曲はなんと美しい音楽だったことか。竹澤、豊嶋、堤氏らサントリーホール・ソロイスツも加わって、厚みのある、けれど透明感ある音色で、スケール豊かに、正真正銘ロマンティックな、でも甘美さよりは若々しい爽やかさの溢れる曲を聴かせてくれました。作曲家御歳16歳の作品とは! 天才の証というべきですね。上質な音楽を聴いた!という幸せな感じに満たされました。

終演後、席を隣合せた方のご好意で、楽屋を訪ねさせていただきました。今まで舞台で名演奏を繰り広げていたプレーヤーが目の前に! コントラバスのポッシュ氏、ヴィオラのクリスト氏にサインを頂きました。思わぬ出来事にすっかり感激しながら外に出ると、チェロのマインツ氏がいて、またサインを。皆さん快く応じて下さり、嬉しい経験をさせていただきました。感謝感謝・・・。

ゆっくり昼食を摂り、友人とおしゃべりもして、夕方の公演へ。第1部では空席も目立ったホールでしたが、ほぼ満席になっています。ザビーネ・マイヤーのクラリネットでモーツァルト、ポリーニのピアノでブラームス。なんと贅沢な組合せでしょう! 2階右手にカメラが入っています。
モーツァルトのクラリネット五重奏曲は若いバラコフスキーが1stヴァイオリンを務め、エルベンのチェロで低音を渋く締めた布陣。マイヤーのクラリネットはどんなパッセージも滑らかに、美しい音で朗々と流れ、四重奏をリードし、対話を楽しみながら音楽を織り上げていきます。どの楽章のどの部分をとっても美しい、完成された音楽。親密な楽しい時間を共有する、いわば内輪の音楽が、こんなにも崇高な芸術性を湛えていることに、あらためてモーツァルトの天才を思って、感動に胸が熱くなりました。シュタードラーさん、名曲と共に永遠に名が刻まれて良いですね・・・いえ、彼のおかげでこんな素晴らしい曲が生まれて、今私達も聴くことができるのですね、お礼を言わなくては。
鳴り止まぬ拍手にアンコールは、ウェーバーの五重奏曲から。初めて聴いた曲で、もっと新しい時代の曲かと思うほど、ちょっと変わった感じの洒落た曲でした。

さあ、休憩後は待ちに待ったマエストロのブラームス! リサイタルと同じものと思われる“Fabbrini”のピアノが、舞台中央の奥に。弦楽器奏者はブラッハー(1stVn)、バラコフスキー(2ndVn)、クリスト(Va)、ブルネロ(Vc)。その後から登場のマエストロはダークスーツに赤・ブルーのストライプのネクタイ。譜めくりの女性が隣に座ります。 弦楽器の譜面台などでマエストロの手元は全く見えず、その横顔を見つめながら聴くことになりましたが、いつものように集中した真剣な表情です。譜めくりの女性に時折笑顔で合図されているようでしたが。
第1楽章のほの暗いテーマは低音が重く響くピアノに乗って始まりました。華麗なパッセージでは高音部の煌きがやや少ない(CDで聴き慣れているのと比べると)ように思いましたが、聴き進むにつれ、どっしりと存在感あるピアノが曲の内奥を支え、弦楽器の自由な発露を促し、熱く展開していく音楽をリードしている様が感じられるようになりました。
第2楽章は落ち着いたテンポのピアノに、弦楽器が寄り沿い、絡み合い、歌い上げて、ロマンティックな曲が密度濃く織り上げられていきました。
第3楽章、チェロのピチカートに始まるリズミックな楽章は、打って変わって激しい情熱が奥底から発現したもの。ブルネロはじめ他の弦楽器奏者もポリーニも完全にノッて、ダイナミックな音楽を、息詰まるような緊迫感で展開していきました。
フィナーレは、精妙に音を重ねつつ曲想を深めて行き、そこから立ち上がるチェロによるテーマが次第に熱さを増しながら高みへと曲を導いて行きます。ポイント、ポイントで曲を引き締めるマエストロのピアノ。5人の奏者が一つの心になって唯一つの音楽を演奏する、共に音楽する喜びに満ちた、素晴らしい演奏でした。それはモーツァルトのように和やかな内にある一体感の楽しさというより、真剣勝負の中から生まれる一期一会の達成感の喜び。得られる喜びはより強いように感じられ、大きな室内楽を聴いた満足感で一杯でした。
喝采に応えたアンコールで第3楽章を再び聴けたのも、本当に嬉しいことでした。
ピアノ5重奏曲であれば、ピアニストがゲストとしての賞賛を受けても当然なのですが、今回は弦楽器も一人一人がゲストだからでしょうか、マエストロは拍手を受ける時も、登退場の時も、他の奏者を気遣い、称えようとします。きっと、ご自分より若い演奏者へ寄せる温かい心なのでしょう、その謙虚な姿を目にして、また胸が熱くなりました。

サイトを見て下さっている方から声を掛けていただき、終演後、感想など話し合えたのも、嬉しいことでした。ありがとうございました。
マエストロの演奏は、2回のブラームスの協奏曲の演奏を残すのみとなりました。気がつけばルツェルン・ウィークも残り僅か。オーケストラのメンバーによる室内楽もとても楽しい催し。貴重な音楽の秋を、存分に楽しみましょう。

2006年10月17日 14:30

トーク & サイン会(10月12日)
ルツェルン・ウィークの2日目は、午前中からの公開リハーサルで始まりました。ある方からチケットを頂き、迷った末(夜はサイン会だし・・・、家事も少しはしなきゃなぁ・・・)参加したのですが、やっぱり、来て良かった〜〜ッ!

マーラーの曲は長大で、私にはムズカシイ感じがして敬遠気味、予習もさっぱり進んでいなかったのです。リハーサルといっても、楽章通しての演奏なので、ライヴで贅沢な“予習”をさせてもらえました。
観客席は2階に指定され、そこから見る大編成のオーケストラにまず目を見張ります、舞台からはみ出しそうな配置。
時間どおりにマエストロ・アバドが登場、お元気そうな足取りです。この曲は夏のルツェルンで演奏したもの、昨日もリハーサルがあったようで、細部などはもう了解済みなのでしょう、楽章を通して演奏し、アバドが穏やかな声で何か発言し、部分的に弾き直すという形で、進んでいきました。開始の音の重厚さ、迫力にゾクゾクし、管楽器の名手達の美しい音に耳を傾け、いつしか、マーラーの音楽を楽しんでいました。なによりも、この曲の緩徐楽章、また他の楽章でも随所に現れる美しいフレーズに魅了されました。
アバドの指揮姿はしなやかで、力のこもった部分でも力みはなく、けれど、オケから出てくる音は迫力十分。また簡潔な指示でありながら、ニュアンス豊かな響きが出てきます。オーケストラとアバドの信頼関係がうかがえます。14日の演奏会が本当に楽しみになりました。
20分の休憩後は、モーツァルトのアリア。温かい声のソプラノとごく小編成の管・弦楽器奏者による、小さい宝石のような上質な曲を楽しみました。

夕方は渋谷のタワーレコードへ。
4時半、すでに数名の方が並んでいらっしゃいます。約250枚ほどのサイン券はすべて出てしまい、マエストロの好意で、当日「ノクターン」を購入した人もサインしていただける、とのこと。在庫はすぐに売り切れたようです。
サインはCDのみ、演奏会を控えているので握手はしません、撮影・録音は禁止です、と注意事項が度々アナウンスされます。ユニヴァーサルの担当者にとっても緊張のイヴェントなのかもしれません。フロアは次第に大勢のファンで埋まり、プロのカメラやマイクがセットされて行き、立って待っている私達も期待感が高まります。
6時、マエストロの登場を待ちますが、車の渋滞で遅れ気味。岡部真一郎先生が、少し話しを始められたところへ、ついに、マエストロが到着されました。

大きな拍手で迎えたマエストロは、薄いグレーのスーツに水色のシャツ、紺地に赤や黄の小さな柄のネクタイ。間近でご機嫌の良いお顔を見ると、嬉しくなって疲れも吹っ飛びます。笑顔で手を広げて“Thank you very much!”と席に着かれます(それはこちらの台詞です、マエストロ!)。お客の側にもきっと笑顔が溢れていたことでしょう。

岡部先生が質問し、マエストロが応えるトークは30分弱だったでしょうか。
まず昨日のリサイタルについて。マエストロもとても満足の様子で、日本の聴衆は音楽の意味をよく把握しようとし、どの音も注意深く聴いていて、素晴らしいです、演奏会の成功はその点にもあります、と聴衆への感謝を口にされます。嬉しいお褒めの言葉。(でも、やはり、感謝を述べるのは私達の方です!)
プログラムは、どれも新しい音楽語法を切り開いた作品を選んだ、とのこと。無調に踏み出すシェーンベルク、「熱情」の大胆な作曲法、調性から離脱していくリスト晩年の作品、ソナタも全く革新的な作品だ、との話。そしてリストからまたシェーンベルクへと円環を描くのですね、との岡部先生の言葉に頷かれていました。

ピアノは、これまでと違う響きのように感じたが、という問いに、これまでもファブリーニ氏の所有するピアノを運んで来た。彼は素晴らしい技術を持つ調律者だ。今回のピアノはパワフルで素晴らしい音で気に入っている、協奏曲にも使用するつもりでいます、とのこと。

新譜については、モーツァルトの協奏曲はこれまでいろいろな指揮者と、また自分の弾き振りでも演奏してきている。今回モーツァルト・イヤーで“Perspektiven”を行う際に、ウィーン・フィルと共演することになり、ドイツ・グラモフォンの提案で録音することになった、とのこと。来年6月に“Epilog”でまた2曲(小さいイ長調と偉大なハ短調)演奏する予定です、と(その録音は未定らしいです)。
ウィーン・フィルやベルリン・フィルは、室内楽のように互いの音を聴きあって演奏することができる本当に優れたオーケストラです、と、この共演を喜んでいる様子でした。

今年の秋冬の“Perspektiven”では、モーツァルトと新しい時代の作品を並べて演奏する。1日はベートーヴェンのバガテルなど小曲ばかりを集めて演奏する日もある。様々なジャンルの作品を対比し、楽しめるだろう、とのこと。

今後の録音の予定については、シュトックハウゼン、ベートーヴェンのソナタ、バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻を予定している、とのことでした。
(鳥頭状態のため、不十分なご報告でスミマセンm(_ _;)m)

トークはこのくらいで、ということで、サイン会に移ります。
丁寧に一人一人と目を合わせ、優しい笑顔を向けながら、30分ほどでサインを終えられました。最後に店のボード2枚にもサイン。(レジ上と、通路のCDの棚に飾ってあります)
サインを貰ってからも立ち去り難い大勢のファンに、また“Thank you very much!”、拍手で見送られ、マエストロは帰途に着きました。エレヴェーター前で手を振ってお別れするファンも。外にもまた、車の前にお見送りのファンが集まっていたそうです。
昨夕は、会社から駆けつけた、と思しき中年の男性方も沢山いました。ポリーニ・ファンは老若男女さまざま。でも、岡部先生がいみじくも仰ったように、皆、マエストロが一番好き!ということでは一緒なのでしょうね。間近に接するイヴェントで、日本のファンがどんなに敬愛しているか、きっとマエストロにも伝わったと信じています。

サイン会にはマリリーザ夫人と、昨夜のリサイタルでアバドと一緒にいらした老婦人も同行されていました。この方はどなたなのでしょう(Aulenti女史に似ておられるような・・・)? いずれにせよポリーニやアバドと家族ぐるみで親しくされている方なのでしょう。マエストロがご機嫌も良く、どこかリラックスしたようで、実力を十分に発揮されているのも、親しい友人や音楽の仲間達とともに来日されているからなのかもしれません。マエストロの温かなお人柄を垣間見たひと時でした。

14日は、オーケストラ・コンサート1の2回目の公演。イヤ〜〜〜、本当に本当に素晴らしかったです! 曲が終って数十秒の静寂、その深さ。言葉になりません。マエストロ・アバドも本当にお元気そうで、終演後の満足そうな笑顔が輝いて、私達も幸せになりました。

さあ、今日はチェンバー・フェスト。親しい音楽仲間とともに、マエストロの音楽がホールに、また演奏者達自身に、喜びの時をもたらしてくれることでしょう。行ってきま〜す!

2006年10月15日 10:20

リサイタル(10月11日)
我家近くの並木には、小鳥がよく飛んで来ます。快晴の10日朝、ひよどりがグループで遊びに来て鳴き交わす声が、高い空に響いていました。ピーヨピーヨと鳴く声がその日はイーヨイーヨ、イーヨイーヨと聞こえて仕方ありません。友人に、いよいよですね!とメールを送れば、いよいよですね!と返事が来て、もう、ひよどりと同じ“鳥頭”状態の私でした。
11日は曇り空、午後は小雨まで降り出しましたが、出かける頃には止んで一安心。ピアノも良い状態で用意されていることでしょう。さあ、本当にイヨイヨです! いつだってポリーニのリサイタルは楽しみだけど、今年ほど待ち遠しく思ったことはありません。

ホールに入ってまず目に入るピアノ。“Fabbrini”の字がSteinwayのマークの下に大きくクッキリと記されて、華やいで見えます。これまでのとは違うピアノでしょうか。
ホールの中ほどにマエストロ・アバドがいらっしゃいました。お元気そうで、にこやかに隣の老婦人と話しておられます。そう、今日のリサイタルはルツェルン・フェスティヴァル・イン・東京の幕開けなのですね。ホールにも、ポリーニのファン、ピアノ音楽のファンばかりでなく、オーケストラ・ファン、就中アバド・ファンの方々も多いように思われました。
かつてブーレーズ・フェスティヴァルでも開幕を務めたマエストロ。各地のシーズン・オープニングを飾ることも多いマエストロは、重責を担って、どんなお気持ちでいられるのでしょう。

5、6分過ぎて登場したマエストロは、席に着くや否や演奏を始めました。第1音から、透明感ある音色に魅せられます。聴き進むうちに、これまでCDで予習してきた曲とはまるで違う音楽を聴いているような感じがしてきます。こんなにも豊かな音色、精緻に織られた中に激しさを伴った曲。そしてリストの最後期作品を彷彿させる音楽。
音色からも演奏の精度の高さからも、マエストロの好調な様子が窺えました。でも、小曲の開始に2回ほど、左手をこめかみにかざしたのは何故・・・?。
「熱情」は、落ち着いたテンポで弾き進められた低声部の勝った演奏でした。燃え盛るような熱さよりも、曲に内在する精神の熱さを引き出したような深みある演奏と感じられました。
第2楽章の第2変奏、高音部に私の大好きな優しい歌の流れる部分は、耳をそばだてて聴きました。低声部と相俟って、その美しさと深さが心に染み入ります。
第3楽章の荒れ狂う激情は、マエストロの卓越したテクニックによってまざまざと描き出されました。パーフェクト! 熱い演奏にホールが熱気に包まれていました。

後半はリストの晩年の作品から。ピアノの音の立ち上がりが良くなり、音色が豊かさを増したようです。休憩時間にファブリーニさんが少し調整していたとのこと、これが、リストのための音なのですね。
そのピアノからマエストロは、暗く悲哀に満ちた曲を、けれども決して無彩色ではない音色で紡ぎ出します。最後の曲の、大伽藍の鐘の音を思わせる和音は、重厚さと共に輝きに満ちた響きでした。作曲家晩年の“枯れた”音楽ではなく、新しい道を開く力強さを秘めた音楽。
ここでも、CDで予習してきたものとの違いを実感させられます。ライヴなのだから当然とはいえ、やっぱりマエストロのライヴは凄い!の一言です。
その“凄さ”は、最後の大曲、ソナタロ短調で如実に示されました。マエストロには珍しく、一旦手を鍵盤に置きかけて、膝に戻し、しばし沈思の後に弾き始めました。
その第1音から、耳も心も身体さえも、すっかり音楽に引き入れられました。弾けるような激しい主題は力に満ちて、壮大な音楽の構築物を打ち立てるように。穏やかな夢見るような部分は、花のように優しく美しく、高音部は煌めく音が華やかに。
ロマン派のピアノ曲は素晴らしい曲が沢山あるけれど、これも間違いなく最高峰に位置する作品なのだと、その最高の演奏をポリーニの手から、今ここで聴いているのだと、感動で胸が熱くなりました。充実した圧倒的な演奏に、ホール全体が一つになったような熱い喝采が沸き起こりました。

演奏を終えたマエストロ、笑顔ながらまだ興奮から覚めやらぬ表情。3回目の答礼の頃から平常心(?)に返ったようで、熱演の後の充実感に、本当に嬉しそうな素晴らしい笑顔を聴衆に向けてくださいました。
アンコールは5曲。「沈める寺」は予想したものの、2曲目に「超絶技巧練習曲」が始まった時はビックリしました。内心大いに期待はしていましたが、本当に弾いて下さるとは! 難曲の難所になればなるほど冴え渡るテクニックに、唖然とさせられます。「革命」に感激し、「ノクターン」はしみじみと嬉しく聴き、さらに最後に「スケルツォ第3番」が始まった時は、予期せぬことに驚喜しました。
前半、後半にそれぞれ大曲でヤマがあったリサイタルの、最後にまた大きなプレゼント。ドビュッシーもショパンも聴けて、本当に幸せでした。

今回の来日では、ただ一度だけのリサイタル。この先に室内楽も協奏曲もあるとはいっても、この一度きりのリサイタルは、ファンにとっては2回分も3回分もの重みあるものです。客席に明かりが点いても名残惜しく舞台の前で拍手を送るファンに、何度も登場してにこやかに応えてくださったマエストロ、本当にありがとうございました。GRAZIE MILLE!!!!!

2006年10月14日 12:05

秋のソナタ
10月1日、東京近辺では毎年なぜか秋晴れの日が多く、金木犀の香りの漂う高い空を仰いで、秋を感じることが多いのですが、今年は曇り空、昼頃からは小雨が降り出しました。それでも「ああ、やっと、とうとう、ついに、10月が来た!」と、嬉しい気持ちで一杯です。
東京は今日「都民の日」。学校などがお休みで、動物園や公園や施設に無料で入れたり、イヴェントがあったり、都バスや地下鉄が乗り放題だったり(カッパのバッジを付ければ・・・今はないのかな?)、晴天だったら、それにウィークデイだったら、もっと嬉しく過ごせたのでしょう。
TVのアナウンサーが赤い羽根を付けて登場し、「共同募金」が始まるのも10月の風物詩。厚地のスーツ姿や制服姿が増える衣替えの日でもあります。
「コーヒーの日」「めがねの日」「日本酒の日」「ネクタイの日」「香水の日」などという記念日でもあります。「国際音楽の日」というメニューインが平和を願って提唱した日も。「ユネスコ憲章の精神にのっとり音楽を通じた国際相互理解の促進に資する活動を行う日」だそうです。
芸術祭などいろいろな行事が始まる日でもあります。スポーツでも芸術でも、たけなわを迎える10月。

でも私にとっては、今年の10月はただひたすら(?)「ポリーニの月」「ルツェルンの月」。
ルツェルン祝祭管弦楽団の来日が初めて報じられたのは、いつだったでしょう。ポリーニが同行すると明らかになったのは、ブラームスの2番を共演すると判ったのは、いつだったでしょう。それから室内楽への登場があると判った時の喜び。リサイタルはこのシリーズの開幕公演なのに、プログラムはつい先日まで発表されませんでした。本当に待ちわびていたこの秋です。チケットを巡っての一憂(高い!)一喜(ゲット!)も過ぎた日の思い出・・・。
今は10日後に迫ったマエストロのリサイタルへの期待に胸を躍らせています。前半も後半も充実したヘヴィーなプログラム。このところモーツァルトの協奏曲ばかり聴いていたけれど、アパッショナータを聴きたくなったり、リストの曲も聴きなおしておかなくては・・・と、ソワソワしています。
それにマーラーもブルックナーも、まだ予習していなかったっけ・・・と少しアセり気味。
11日からほぼ連日のコンサート通いに備え、頑張って家事のやりくりをして、体調も整えて過ごしたいと思います。そのためにも、良い天気になってほしい、そして何よりも、フェスティヴァルの期間は、爽やかな秋の日が続いて欲しいと、天に祈る思いです。

マエストロは、4日に北京でリサイタル。もう既にイタリアを出発されたかもしれませんね。お元気で快適な旅でありますように、馴染みのない(多分初めて?)ホールでもピアノが良く響きますように、どうぞ携帯が鳴りませんように!

今回は特に新しい情報はないのですが、「来日プログラム」に今年のリサイタルの曲目を付け加えて、簡単な更新と致します。

2006年10月01日 22:05

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