時々の雑記帳

音楽のこと、ポリーニのこと、日々の雑感を、
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(4月〜6月)

マチネ & ソワレ
窓を開けると高い空から寺院の鐘の音が響いてきて、下からは街の音がかすかに上ってくる、そんなリング沿いのホテルで朝を迎えて、ゆっくり朝食の後、ムジークフェラインへ出かけました。日曜日朝11時からのマチネ・コンサートです。

今日の席はホールの後方左側のParterre-Loge、正面のパイプオルガンが輝く華やかな黄金のホールが一望できます。壁や柱の装飾、天井画の見事なこと! 舞台は遠く、今日は表側で音響を楽しむ日、と思っていました。
ところがぺぴさんのご好意で、ホール中央部の良い席を譲っていただき、後姿ながらマエストロの指揮を正面に見つつ、素晴らしい音響を味わうことができました。12番はやはりとても美しい演奏でしたが、演奏後のマエストロの表情には、なぜか昨日のような会心の笑みは見られませんでした。

後半は自分の席に戻りましたが、やや遠く高い位置にあるせいか、響きはより円やかになって伝わってくるようにも感じられました。
ヴォルフの曲では、ウィーンフィル奏者のアンサンブルの素晴らしさを目の当たり、耳の当たりにしました。室内楽のように互いの音を聴きながら、呼吸を合わせて音楽を生み出していく、その柔軟さ、熟練性があってこそ、指揮者なしの協奏曲でもソリストをよくサポートし、一体となって優れた演奏をすることができるのでしょう。昨日の素晴らしい演奏の秘密(?)を見たような感じです。

第24番の協奏曲は、昨日より更に熱の入った演奏に思えました。その熱さ、激しさは胸に迫り、深い音響となって身体にも迫ってきます。その迫力はふとベートーヴェンを思わせました。彼を感動させ、第3番の協奏曲を生み出し、多くの傑作を書かせたハ短調。けれど二人のハ短調は趣が異なります。「運命に打ち勝つ」ようなハ短調には“ベートーヴェン”の刻印が押されているかのようですが、モーツァルトのハ短調はもっと普遍的なもの、人間の悲哀・苦悩があり、それが浄化されていくような・・・などと思いながら聴いていました。

「モーツァルトの音楽は、まず生き生きとしていることが、興味深いのです」とポリーニがいう時、リズム感に溢れ、活発で推進力に富んだ音楽、また人の息遣いのように歌う旋律、それらが大切なのだと思っていました。それらはもちろん、これまでも彼の弾くモーツァルトで楽しんできたことです。
でも、このハ短調の曲を聴くと、それだけではなく、モーツァルトが人間としての苦悩や怒りや悲しみを、確かに“生き”た人であること、その人間的深さが魅力的であり、また時代のうねりの中で、近代的人間の抱く不安感ともいうべきものを先取りする鋭敏さが、“興味深い”ということなのかもしれない、とも思えてきます。比類なき天才であっても「神の器」ではなく、真に人間的なモーツァルト。そして、なお高貴なモーツァルト、それがポリーニのモーツァルトでした。

演奏が終ると昨日に増しての大きな拍手、ブラヴォー、スタンディング・オヴェーション。鳴り止まぬ、いえ更に高まる喝采に、ついにアンコールとなりました。マエストロはピアノの前に座らず、アレ?と思っていると、今日は第3楽章。とても聴き応えのあるアンコールでした。

終演後、今日はマルタさんも一緒に廊下の列に並んで待っていると、ファブリーニ氏が通りがかり、彼女と握手して話しています。後で聞くところに寄れば「同じ仕事をしているのよ」とのこと。
そこへアンドラーシュ・シフ氏も来てファブリーニ氏と話した後、マエストロの部屋に入って行きました。コンツェルトハウスでバルトーク・シリーズを行っている彼も、ファブリーニ氏に調律を依頼しているのでしょう。もしかしたらマエストロも、聴きに行ったのかもしれませんね。
そして私もついにマエストロに会って、サインを頂くことができました。Grazie! Bravissimo! ・・・申し上げたいことはドッサリあったのに、でも、でも、マエストロの前に立つと言葉が出て来ない! 嗚呼! けれどマエストロのお元気な、優しい、神々しいほどのお顔を間近で見られたのですもの・・・(*^^*)

外に出ると雨がパラパラと降っていました。傘がない・・・でもかえって心地好い冷たさ。ぺぴさんご夫妻とマルタさんとケルントナー通りのレストランへ。
マルタさんは、ヨーロッパ中(+アメリカ?)オッカケのポリーニ・ファン、きっと今回も・・・と、「私も行きます」とメールしたところ、「会いましょう!」ということになったのです。そうはいっても言葉の不自由な私、ぺぴさんにも助けていただいたものの、聞きたいこと、話したいことのほんの一部しか話を交わせませんでした。
ポリーニのリサイタルを聴くのは(オッカケは、かな)5(?)年位前から、ヨーロッパのリサイタルは殆ど聴いていて、録音もいろいろあるとか。シエナやルツェルンのマスタークラスにも参加。ファブリーニさんとも親しく「素晴らしい人よ!」と。
夜、オペラを見に行くのも一緒と判り、「同じ趣味だと、同じこと考えるのね」と笑い合いました。ぺぴさんご夫妻はすでに「オテロ」をご覧になっていて、素晴らしかった!とのこと、ますます楽しみになりました。
皆お互いに初対面ながら、楽しいひと時を過ごせたのは、“ポリーニ”という共通項を心の中に持っているから。マエストロの引力に乾杯! そして、感謝!

一旦ホテルに戻ることにして、そこでぺぴさんご夫妻ともお別れしました。
2日間、本当にお世話になりっぱなしで、楽しい時を過ごさせていただきました。Grazie mille!!!!!
翌日にはイタリアへと旅立たれるとのこと、Buon Viaggio!!!

夜は国立オペラ座でヴェルディ「ドン・カルロス」を鑑賞。フランス語版で5幕、5時間という大作に、ちょっと迷ったものの、折角ウィーンに行くのだもの、Wiener Staatsoperでオペラ初体験も良いじゃない?と、半分おノボリさん感覚で行くことにしたのです。
何よりもまず、由緒ある劇場の重厚な佇まい、豪華さ、内部の煌びやかさに圧倒され、観客の華やかさに見とれ、気押されもしましたが、天上桟敷のGalerieは気さくな雰囲気で、私もリラックスできました。
座席の前の字幕モニターはドイツ語or英語、歌われているのはフランス語、粗すじだけは知っていても、劇の進行についていくのは難しかったのですが、それでも“音楽の力”は、やっぱり凄い! 歌手達の美しい声、声量豊かな、迫力ある歌唱。オーケストラ(B.デ・ビリー指揮)の底力ある(低い位置から響いてくるのでそう感じる?)表現、音色の美しさ。途中で気付いたのですがここのメンバーがVPOでもあるのですよね(って、常識でしょうが!)。そして何よりもヴェルディの音楽が素晴らしい! すっかり引き込まれて、5時間たっぷり(途中休憩が2回)、カーテンコールまでしっかり楽しむことができました。
劇場の外でやっとマルタさんを見つけて、お別れのご挨拶。“See you again!”と言ったけれど・・・もう、そんな機会も無いだろうなと、ちょっとジーンとしてしまいました。でも、だからこそ、私にとっては、心の中の小さな宝物のような、貴重なウィーンの2日となったのです。

翌日は、暑いほどの晴天。ベートーヴェン(Beethovenplatz/初期のソナタ楽しみです!)から始まって、ブラームス(Resselpark/ローマのプロジェットをよろしく!)、シラー(Schillerplatz/“歓喜に寄す”、昨夜の“ドン・カルロス”も良い原作をありがとう)、ゲーテ(Goethegasse/シューベルトのリート、良いですよね)、そしてモーツァルト(Burggarten/素晴らしい協奏曲を聴きましたよ!)達に(ついでにシシィ様〔Volksgarten〕にも)挨拶し、カール教会、ブルク劇場、パスクァラティハウス(月曜休館で残念)、王宮、ペーター教会、シュテファン寺院、モーツァルト・ハウス等(殆ど外側だけですが)見て歩きました。
あ〜〜疲れたぁ(^^;)。で、最後にトラムで一回りして、夕方ウィーンを後にしたのです。

この街には、もっとゆっくり味わいたい奥深い魅力があります。そこかしこに由緒ある建造物、作曲家の記念となる場所があり、音楽好きには堪らぬ魅力が。また歴史の重みを感じさせる美術作品や、世紀末の斬新でユニークな作品も興味を惹かれます。
またいつの日か、この街に来られれば・・・と、懐かしいような憧れのような気持ちが、今もあります。
でも、なにはともあれ、私にとっては最高の目的を達し、オペラも見て、温かい交流も得て、大満足! 楽しかったウィーンの3日間!

一人旅を気遣って下さった方、アドヴァイスを下さった方、現地でお世話になった皆様、このページを読んで、気をつけてネ、と思って下さった方、ありがとうございました!
それから、心配と迷惑かけた我が家族たちに、いっぱいの感謝を!!!

2007年06月18日 0:05

ウィーンにて
よく晴れたウィーンの初夏、土曜日の午後のムジークフェラインは熱気と興奮に溢れ、背の高いウィーンの人々で混み合う中、チケット引き換え場所を探してキョロキョロする私に、「すみこさん!」と声を掛けてくれたのは、フロリダのぺぴさんでした。ニューヨークのポリーニ・リサイタルの感想を寄せて下さった折、ウィーンにも旅行されると伺って、お会いする約束をしていたのです。以後、すっかりお世話になり、言葉も不自由でアブナッカシイ一人旅の私が、楽しいウィーンの日々を過ごせたのも、ひとえにぺぴさんご夫妻のおかげでした。

さて、私の席は舞台の(向って)左奥。黄金に輝くホールを聴衆がギッシリ埋めていくのが見えます(・・・ふと、恐怖にかられる私。この席で、時差ボケで、眠ってしまったら、ドウシヨウ!・・・杞憂でした、眠気も疲れもフッ飛ぶ、素晴らしい演奏でしたから)。
舞台には真中に蓋を外してこちらを向いたピアノと、それを取り囲む小規模なオーケストラ。そして目に付くのが多くのマイク。10本ほどの細いものと、ピアノにかぶせるように大きなT字型のマイク。
ああ、レコーディングするんだッ!!

コンサート・マスターは若手のホーネックさん、オケが揃い音合わせも済んで、後はマエストロを待つばかり。期待と緊張の時でしたが、すぐに右手から現れたマエストロは、リラックスした感じで、穏やかな笑顔で拍手に応えていらっしゃいました。濃紺のスーツ、淡い水色のシャツに、赤とブルーのストライプのネクタイ。
オケに向いて真剣な表情になっても、どこか和やかな雰囲気は変わらず、そうして流れ出てくるVPOの音色にも、親密感と温かさが滲み出ているような気がしました。透明感とともに柔らかみのある、心地良い音色。これが、ムジークフェラインのウィーン・フィルの音・・・。

モーツァルトなら自家薬籠中のVPO、放っておいてもモーツァルトらしく演奏するだろう、「ピアノから合図して演奏します」と言うマエストロの指揮は、テンポと拍子と楽器の入りの合図くらいかな・・・などと軽く考えていた私は、バカでした。
協奏曲第12番イ長調の第1楽章は、オケの呈示部が2分ほど。立って指揮するマエストロの動きは驚くほど繊細・緻密で、表情豊かでした。その指、腕、身体全体の動き、そして目、表情の示すものが、オケにしっかり染み通って、機敏に、ニュアンス豊かに、その音色、フレーズ、ダイナミクスに表されていくのです。きっとポリーニらしく丁寧なリハーサルを経て、意思疎通がなされ、彼の思いがしっかり受け止められているのでしょう。まさに“ポリーニのモーツァルト”でした。

私の席からはマエストロの姿が本当によく見えました。ヴァイオリン・セクションの方へ向いて指揮する時など、私自身が指揮されているみたい(*^^*)・・・。そんな感じで一心に聴き入っていたからでしょうか、マエストロの表現する音楽に、オケも聴衆も集中し、ホール中が一つとなっていくような気がしました。

ピアノの椅子に着いてからも、その目と表情によって、また上体の動きをもって、指示が伝えられていきます。
時々、歌う声もかすかに聞こえて。
ピアノの音色は、もう本当に美しく、真珠のように円やかで、温かみと輝きのある麗しさでした。粒の揃った珠を転がすようなタッチの軽やかさは、モーツァルトの音楽に相応しい気品を湛えていました。
第1楽章が終った時、コンマスと見交わして、満足そうに頷いたポリーニの笑顔。忘れられません。
第2楽章の情感豊かな旋律は胸に染み入る歌となり、第3楽章は純真な子供が戯れているような明るさ、楽しさで、その中にふと翳りが見えるのもポリーニのモーツァルトならでは。本当に素敵な演奏でした。
全曲終って、大きな喝采に応えるマエストロの嬉しそうな笑顔も、私(達聴衆)を幸せにしてくれました。

ストラヴィンスキーの八重奏曲は、なんだか奇妙な=ストラヴィンスキー的な音楽(なんてお粗末な感想^^;)。ちょっとトロッ(-_-)とした私。
休憩後のヴォルフ「イタリアン・セレナーデ」は、後期ロマン派の歌曲王の、珍しい小オーケストラのための作品。コンサートマスターのリードで、ヴィオラのソロ(トビアス・リーさん?)も巧みに、ロマンティックなメロディーの美しい曲を聴かせてくれました。

またピアノが運ばれ、マイクのセッティングが行われ、いよいよ24番ハ短調の始まりです。オケのメンバーの入場、ところが私の席の前に、さっきは居なかったティンパニ奏者が! 視界(マエストロへの)がすっかり遮られてしまいました。その分、耳に全神経を集中して聴かなくては!
白いワイシャツに着替えたマエストロ、今度はしばらく時間をおいて出てきました。会場に緊張感が満ちています。
オケに向かった顔は、前半とは違って真剣そのものの厳しい表情。流れ出てくる音楽は、不安と暗い情熱に満ちて、胸にズンッと響いてきます。マエストロの指揮は、ffでは両手を握り締め、拳を振り下ろす、熱く激しい動き。次いでピアノに向かうと、美しく深い音色で歌を紡いでいきます。
第2楽章の美しさは喩えようのないほどでした。悲しみを超えてしまったような透明な音色のピアノの歌を、オケが優しく包み込んでいく、幼子をそっと抱くように。これ以上美しいものがあるだろうか。ああ、ここに来て、聴いて、本当に良かった・・・。
第3楽章は、哀しみと不安と憤りと諦めが、追いかけっこしているようなアレグレット、無垢な瞳で「何故?」「どうして?」と問いかけながら。胸をえぐられるような思いで聴きました。

大きな大きな、鳴り止まぬ拍手、スタンディング・オヴェーション。満ち足りた笑顔でコンマスと握手し、管楽器奏者を称え、皆に起立を促し、喝采に応えるマエストロ。何度登場した後でしょうか、ついにアンコールとなりました。24番の第2楽章をもう一度聴かせてくれたのです。今度もまた、本当に美しい演奏でした。

楽屋入り口には、もう長い列ができていました。ハノーヴァーからいらしたマルタさんとご挨拶し明日の再会を約して、私とぺぴさんは列に並びます。マエストロのブロマイド(?)に何枚もサインを貰った人達もいて、羨ましく待つこと十数分、突然“時間切れ”と、ドアが閉じられてしまいました。ガックリして廊下を来ると、ドアの開いた部屋の中に録音スタッフが居ます。そこへメガネをかけたマエストロが入り、続いて奥様も。これから録音の検討が始まるのね、と“時間切れ”に納得して、外へ出ました。
楽友協会の建物をバックに写真を写していると、「すみこさん?」と声を掛けてくださる二人連れの方が。出発前に書いた日記帳を読んで、とのこと。よく海外スケジュールをチェックして聴きにいらっしゃるという、羨ましい、また嬉しいお話でした。

夕べの風に吹かれて興奮を鎮めつつ、ぺぴさんとご一緒に食事を。初対面なのに、以前からのお友達みたいなのは、ポリーニを思う心が一緒だからでしょうか。ニューヨークのこと、ミラノのこと、楽しいお話をいろいろ伺いました。
素晴らしいウィーンの一日は、こうして暮れてゆきました。

2007年06月14日 09:15

雨だれを聞きながら
道端の紫陽花が大きな葉を広げ、つぼみも次第に色づいてきました。曇り日や雨の日は肌寒く、もうすぐ梅雨の入りと思わせます。美しい五月ももう終り、これからは雨の音を聞きながら過ごすことが多いのでしょう。
このところ慌しく過ごしていて、なかなか更新もできませんでしたが、新たなスケジュールも判ったので、今回「2008年」のページを作りました。来年のマエストロは、なんと1月5日から活動開始! ローマで2度目となるProgetto Polliniが行われます。ブラームスの協奏曲1番、月末には2番を、それも3日ずつ、パッパーノ指揮サンタ・チェチーリア管と協演します。このニュースは、以前にパッパーノのインタビューで、2008年に、とだけ判っていました。その時はBrahms Progetto として、ピアノ協奏曲2曲をポリーニと、その後交響曲を4曲演奏する(実際2月に予定されています)と語っていましたが、ポリーニのProgettoと一緒になって進められるのでしょう。室内楽の日には、ブラームスのピアノ五重奏曲も演奏されます。現代作品にウエイトを置いたプログラムですが、マエストロの前向きで意欲一杯な様子が窺われて、嬉しくなりますね。

さてカーネギーでの2回目のリサイタル、アンコールのみ以前にお知らせしましたが、どんな演奏会だったのでしょう。
新聞では、NY Timesの評を拾い読みしてみると、なんだか不審な語句にぶち当たり、辞書を調べてみると意味の判らぬ文になり・・・。シュトックハウゼンについては、“流石にポリーニ”、“聴き応えあり”という感じなのですが、全体的には不評、特に「ハンマークラヴィーア」に厳しい評でした。もの凄く早い演奏だったようで、“未だ聴いたことのない”早さに拒否反応を示しているかのようです。その早さのために、音の不明瞭な部分や、この曲にイメージする大きさや重量感の減じる箇所があったのかもしれません。けれども評者の先入観、あるいは偏見が垣間見られるような文を読むのは気が滅入り、結局訳すのはやめてしまいました。
ポリーニが若い日にレコードに入れ、また演奏会で聴かせてくれた、明るく輝かしく、大きくてどっしり充実感ある、堅固な構造のソナタ「ハンマークラヴィーア」。“究極の”とも言える演奏であっても、マエストロは更に新たなものを求めて、挑戦を続けているのでしょう。でもそれは、早さへの挑戦ではなく、作曲者の速度指定に、出来得る限り忠実に演奏する、その先に“未だ聴いたことのない”何かが生まれ出てくるのを求めているのではないでしょうか。

実際にお聴きになった方の感想からは、素晴らしい演奏だったことが窺われます。
Martaさんからは、「ハンマークラヴィーアは今まで聴いたうちで一番美しい演奏の一つでした。マエストロだって満足してらしたわ!」と。
ペピさんからも長いメールをいただきました。少し引用させていただきますね。
「5/12のリサイタルは実に神がかっていました、いや、それでは言い足りないほどの演奏だったのですから」周囲の聴衆も「みんなとても高揚し感動しいかにすばらしいコンサートであったかを話しながらホールを出るひとばかり」だったので、酷評なんか気にしないように、と。
“クライスレリアーナ”は「愛に満ちあふれた美しいもの」で、感動して涙が出るほど。またとてもロマンティックな演奏だったようです。
「ハンマークラビア両手の出だしの件ですがあのテンポではあれしかないと思います。
はやかったです。すごく。左手で弾いてほしい気持ちは私もすごくわかりますが、彼はあのテンポで弾きたいのです。(略)迫力でした、、。
両手でも最初の音と2番目の和音とは意識して独立させて弾いているように(私には)きこえたように記憶しています。しかしはやいのでほんとに一瞬のことですが。」
アンコールの「バガテル1曲目は静かな短い曲ですけれども、それはそれは美しかったです。」
「バガテル1曲目と2曲目の間の挨拶のときでしたか、両手を体の前に出して大きくぶらぶらとふって「手つかれてますごかんべん」ポーズをしたのがかわいくて(失礼)観客にもうけていました。これはちょっと彼にしてはめずらしい愛嬌出しですよね。でもそのあとのバガテル(presto)はつかれなどまったく感じさせない迫力でしたが。」

マエストロ、ご機嫌だったようですね(^^)
また、4月29日の演奏会は亡くなったロストロポーヴィッチに捧げられていたとのことでした。

シーズン最後の6月、マエストロはウィーンで、ムジークフェラインで、VPOを指揮して、モーツァルトの協奏曲第12番、第24番。“Pollini Perspectiven”のエピローグでもあります。とても心惹かれる演奏会。聴きたい・・・誘惑に負けて(?)、私もちょっと小さな旅に行ってきまーす。

2007年05月31日 22:25

緑の季節
山法師の若緑の葉がすっかり茂って、ある日小さな白い蝶がとまっている?かと思ったら、クリーム色の小さな花が開きはじめていました。数日たち、鮮やかな白い十字の花が樹上にいっぱい咲いて、むせるような香りを放っています。初夏の訪れも例年より少し早いようです。
初夏を通り越して夏の陽気だったゴールデンウィーク。皆様楽しく過ごされたことでしょう。
我が家では人数が増えたり減ったり、また小旅行に出かけたり・・・アタフタと慌しい9日間でした。PCに触れない日もあり、更新もなかなかできませんでしたが、マエストロの来シーズンの予定もいくつか判ってきて、スケジュール表もちょっと賑やかになりそうです。

マエストロのアメリカ演奏旅行。お聴きになった方からアンコールをお知らせいただき、新聞に評を見つけて、その様子を少しずつ知ることができました。とても好調らしいマエストロ、どの都市でも素晴らしい演奏で、大きな喝采を受けたようです。

ストアーズの評はゲストブックにも少し書きましたが、"Pollini tickles The Ivories"というタイトル。ショパン、特にノクターンでの繊細で優しい右手の動きは「蝶が舞うよう」で、音が“tickle(くすぐる、嬉しがらせる)”された、と書いています。

NYからは、Janさんのホットな感想が届きました。少しご紹介させていただくと・・・。
ノクターンはより自由な感じになり、特に1番はこれまで聴いたことのない新しいニュアンスが感じられた。スケルツォはいつもほどwildでfastではなかったが、コラールが本当に美しく最後の部分も素晴らしかった、ポロネーズも申し分なく、オクターヴは見事で(あまりペダルを使わずに)とてもクリアーだった。
ドビュッシーの練習曲は1990年代と同様に(いや更に良く、自由に)素晴らしかった。ブーレーズは楽譜を置いて弾いたが、全く容易に(effortless)弾いているように見えた。音が驚くほど美しく、心地よく聴こえた。
アンコールの「革命」は、中間部が中−弱音でanti-virtuoso的に弾かれ、感動的だった。リストの練習曲はこれまで3回聴いた中で最高、「雨だれ」の美しさは麻薬(drug)の様に感じるほど・・・。(Janさん、drugやってないと思うけど)

以下、新聞評のタイトルと概要を少しずつ。
The Sunには"Pollini Proves Himself a Poet"という評。
ショパンではノクターンを「パワフルな第1番、心が蕩けるような第2番の美しさ」と高く評するものの他の曲には少々辛口評(ポロネーズがちっともヒロイックでなく「ホロヴィッツが懐かしくなった」とか)。ドビュッシーは唖然とするほど綻びの無い熟練さ。ブーレーズにおいては吼えるライオンのようにアタックし、思慮深い静寂の用い方が激しい打鍵と同様に印象的、最後には"state of satori"に達して深みある演奏だった、とありました。"satori"とは!
ところがなんと、ここで携帯が鳴って、一瞬、手を止め辺りを見たマエストロ(Janさんによれば、マエストロはあまり気にしなかったようだ、とのことでしたが)すぐに続けて素晴らしい演奏を締めくくった、とのこと。嗚呼! 罪な携帯!

NY Timesには"A Pianist With an Ear for Structure"。
ポリーニのプログラムにある構造的、また対照的な面に言及して、ドビュッシーとブーレーズの連関、ブーレーズの中にあるショパン的なドラマ性、最後の部分がまたオープニングのショパン:前奏曲の繊細さへと回帰する、と指摘する、全体的に高い評価でした。

シカゴの評も見つけました。
Chicago Tribuneには"Pollini delivers beautifully for keyboard connoisseurs"。
ショパンでは全ての音が透明感をもってキラキラ光り、ペダルとルバートは控えめであったが、光沢ある滑らかなタッチはそれぞれの作品のリリカルな核心を的確に見い出していた、と。

Chicago Sun Timesには"Squaring the circle, Maurizio Pollini style"。
65歳のポリーニは、新鮮さと、洞察と、聴衆へ又彼自身へ進んで挑戦することにおいて、新しいレベルに達していた。
「ショパンが未解決の調性によって、近代の作曲を可能なものにした」という論を、ポリーニは時間のアーチに沿って進むことで文字通り明らかにしていく、そしてアンコールで、ドビュッシーを経てショパンへ戻ることでこのカーブを完結させる。3人の作曲家は皆未だ聴いたことのない音色と理解を探求したのだが、今、ポリーニほど優れた彼らの案内人はいない。
ポリーニは不可能なことを企てる(Pollini squared his own circle)。
明晰に、だが抒情的に。深く分析し、だが完全に表情豊かに自発性を持って。そして若々しい積極性を持って活発でありながら、偉大な成熟に覆われていること。

シカゴでのアンコールは全部で5曲。「沈める寺」、「バラード第1番」は判っています。「リスト:超絶技巧練習曲変ニ長調“夕べの調べ”」という記載があるのですが・・・、エッ?ですね。「第11番」と「10番」との取り違えかと思いますが、もし本当に11番だったら・・・Great Surprize!

2007年スケジュール表、"2007-2008 Season"にいくつか追記しました。どうぞご覧ください。

2007年05月13日 13:25

新緑冷え…?
若葉の季節、爽やかなみどりの風・・・が恋しいこの頃です。花冷えの時期は過ぎたのになぜか肌寒く、はしり梅雨にはまだ早いのに雨雲の垂れ込める鬱陶しい空。時には大風も吹き荒れ、木々を激しく揺すります。いつもなら明るい陽光が新緑を輝かせ、そよ風が梢を揺らしているのに。

それでも、木々や花々はちゃんと己の自然の時を歩んでいます。ついこの間まで枝ばかりだった木も、いつの間にこんなに?と思うほど若い緑の葉に覆われ、ツツジ、ハナミズキ、ヤマブキ、コデマリ、バラ・・・鮮やかな色の花が町を彩り、ゆかしい色合いの藤の花も風に揺れています。小鳥の囀りも耳に快い、本当に美しい日本の春。そして楽しみなゴールデンウィークももうすぐ。春たけなわの陽を浴びて、初夏の風に吹かれて、目に一杯の新緑を楽しみたいものですね。

マエストロはこの春、アメリカへ演奏旅行。まずは24日、東部のニューイングランドの町ストアーズ、コネチカット大学のヨルゲンセン・センターに初登場です。このホールは築50年を経た客席2600余りの大ホールですが、チケットは完売。多くの人が待ち望んでいたリサイタルなのでしょう。学生は格安で聴けるようですが、そういうシステムなのか、それともマエストロの意向なのでしょうか。シニア割引もあるようです。

プログラムの前半は、近頃のマエストロ愛奏のショパンの曲たち、後半は久々のドビュッシー「練習曲集第2巻」に始まり、ポリーニの十八番といわれるブーレーズ「第2ソナタ」で締めくくるという興味深いものです。前半・後半それぞれに、マエストロ・ポリーニのピアノの魅力が明らかにされるのでしょう。Webで評など読めるとよいのですが・・・。ニューヨーク、シカゴでも同じプログラムなので、どこかで記事を見つけられたら、と思っています。

地図で見ると(ウェブ上の航空写真ですが)、ストアーズは広大な緑に囲まれた中に、大学の建物が連なる学園都市のようです。とかく大都市で公演することの多いマエストロ、春の北アメリカの自然も楽しまれると良いですね(平和な大学構内でありますように)。

来シーズンの予定が少しずつ判ってきました。まだまだ一部だけですが、新しいページ〔2007−2008 Season〕をUpしました。

2007年04月25日 15:05

さくらさくら
早めに訪れた春は行きつ戻りつ、初夏の陽気の後には冬の寒さが帰ってきました。
雨に打たれ風にふるえながらも咲き続ける花に、エールを送りたくなります。この週末まで頑張って咲いていてね、また明るく暖かい日が来るから、優しい春風に乗って遠くまで飛んで行ってね、と。
チラホラ咲き初めから、五分や七分を通り越し一気に満開へと咲き進んだ早さには驚かされましたが、暖冬の中で桜の蕾たちも、早よ咲きた〜い!と待っていたのかも知れません。ハラハラと散り始めた花びらも“あはれ”だけれど、もうしばらく春の日を楽しんで、壮麗な花吹雪の美しさも見せて欲しいですね。

4月のマエストロのスケジュールは後半にアメリカ・ツアーのみ、初旬はノンビリと過ごされるのかしら、と思っていましたが、実は2日にもリサイタルが行われていました。
サルディニアのカリアリ(Cagliari)にて、第7回聖エフィジオ祭のオープニングとなる「特別演奏会」。テアトロ・リリコの総裁の招きを受け、“驚きをもって”開かれる、とあり、またチケット売出しも1週間前から、ということですから、おそらく急に決まったのでしょう。パンフレットにはグラミー賞やDisco d'oroを祝って、ともあります。
地中海にあって交通・交易の要衝として栄えたサルディニア、古代からの独特の文化のある土地、温暖な気候と風光明媚な港の町カリアリ。マエストロもプライヴェートでは度々訪れているかもしれませんが、演奏会はなんと1964年以来だそうです。イタリア国内でも、マエストロ・ポリーニのリサイタルはなかなか聴けないのですね。

さて、このDisco d'oroは、Deutshce Grammophonから贈られたとのこと(イタリアの音楽賞とゲストブックに書きましたが、違っていたようです、すみません)。CD市場の全ジャンルでランキング・トップに輝いた「ノクターン集」、そのセンセーショナルな成功を褒め称えるものなのでしょう。
あるインタヴューで「ええ、もちろん嬉しいですよ」と応えるマエストロ。でも続けて「しかし、CD会社はより良いものに投資するよりも、商売上の基準を用いています。」と憂慮しています。CDが大量に売られ、インターネットでも音楽を聴ける今日、CD業界はとても厳しい状況にあり、会社は収支決算に過敏になり、そこに働く人達は毎月利益を上げねばならず、日々職を失う危険にさらされている、と。
「それでも、その特色と発展の可能性を理解しようとしながら、芸術音楽にもあえて投資する必要があると思っています。美術の分野では現代の作品も市場に確固たる地位を占めているのですから。そうなるために音楽でも、勇気を出して、信じ、目標を持ち、精力的に活動しなくては。」あくまでも前向きなマエストロ。
彼の至上の演奏が最高の販売をもたらしたのは、嬉しい奇跡のよう、そして、とても勇気づけられることですね。

そう、演奏の素晴らしさについては、さらに受賞のニュースがありました。2006年にフランスで"Choc de la Musique" と"Diapason d'Or"の2つを受賞していたそうです。これで、なんと、六冠王! それにショパンのCDだけに、フランスで高い評価を受けたのも、とりわけ喜ばしいことではないでしょうか。

カリアリの情報を知らせてくれたMartaさん、リスボンのリサイタルを聴いたそうで、「ハンマークラヴィーア」がとても美しかった、アンコールはバガテルop.119だった、と教えてくれました。またローマでも聴いたのでしょうか(羨ましい!)“Poor Maestro”は終演後90分(!)もサインをしていたとのこと。エ〜、真夜中まで?! Disco d'oroのお祝いとはいえ、お疲れ様でした、マエストロ!

レコード賞の受賞、スケジュール表に日程(8月にシエナも)、プログラムなど追加して更新しました。

2007年4月4日 14:30

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