時々の雑記帳

音楽のこと、ポリーニのこと、日々の雑感を、
時々(気まぐれに)、書き入れます。

更新状況もここに載せます。
Menuへ

このほかの日記帳はこちらを、すぐ前のものは「夏」7〜9月を、次のものは「冬」1〜3月をご覧ください。

(10月〜12月)

種蒔く人
木枯しが吹いて木々も大分葉を落とし、青い空を背に灰色の細い枝が目立つようになりました。かわりに地面に黄や赤、茶色と様々な色の落ち葉が積もっています。カサコソ、サクサクと枯葉を踏んで歩くのが好き、風に舞い落ちる葉を浴びるのも好き。寒いけれど、晩秋の景色に溶け込めるような気がして。
もう「小春」とはいえない時季かもしれないけれど、冬晴れの日だまりにいれば穏やかな日和を楽しめます。でも夕暮れは日一日と早くなり、一気に気温が下がると、もう冬!と思わされます。そしてあちこちの家で赤や黄の明りがチカチカと瞬くようになると、ああ、もうすぐクリスマス、その後は・・・と、一年の、時の流れの早さが思われ、愕然とします。
遅々として、ちっとも更新できないこの雑記帳、お知らせすべきことはいろいろあったのですが・・・。

11月は主にドイツで活動のマエストロ。シュトゥットガルトの評は見つけられませんでしたが、アンコールは5曲も。
ハンブルクは弥生様から「感動モノでした」とのメール、4曲のアンコールに、CDサイン会というプレゼントもあったそうです。“Welt”には「勇猛果敢、魔法のように、火花を散らして」という題の評。ショパンでSternstunde(“星の時”?)をホールにもたらした、とも(なかなか全文読めませんで^^;)。
Martaさんからは「どれも素晴らしい演奏会でしたが、ルツェルンがmost poeticでした。彼は絶好調で、ピアニッシモをまるで月の光のように弾きました」。“Luzerner Zeitung”には「《新たな》ポリーニは多彩で感性的」と題して、眩しいほどの上機嫌で登場し、ロマンティックな感性の巨匠として驚かせた(大いに喜ばせた)、とあります。『クライスレリアーナ』は緊密なチクルスの環ではなく、互いに緩く結びつきながら、荒々しさよりも抒情性豊かに、遊戯性と多彩な音色を前景においていた、と。ショパンの選曲は実に巧みで、雄壮さ(スケルツォ)、舞踊(マズルカ)、オペラのような歌(即興曲と夜想曲)と、それぞれに印象的で、勿論『英雄ポロネーズ』もホール中の聴衆の期待を裏切ることなく、3つのアンコールも、そこでは音色のニュアンスが大切なのだが、むしろ次々と誇示して、切り札を切るかのようだった、とありました。
マエストロが自分の腕を“誇示する”ことはないと思うのですが、そう思われるほど絶好調の、それほど興に乗った、鮮やかな演奏だったのでしょう。

さて、5日のトリノが今年最後の演奏会。これは昨年の12月15日に死去したUnion Musicaleの創設者「Giorgio Balmasの思い出のために」、MITO(ミラノとトリノ共同の音楽祭)Settembre Musicaの一環として行われました。

バルマス氏をご紹介しましょう。(Union Musicale、Sistema Musicaのサイト、Wikipediaを参照しました)
1927年トリノ生まれ。1946年19歳で、Liceo Cavourの高校生の時に、Unione Musicale(最初の名称はAssociazione Studentesca Amici della Musica音楽愛好家学生協会)を設立。自室に契約書や企画書、資料、チラシやプログラムを準備しての発足でした。主旨は「平易な説明で音楽への理解を容易にし、学生達に良い演奏の音楽を提供する。そして学生達と音楽との間に残念なことに何故か存在している壁を消滅させる」というもの。
一体どれほどの情熱を傾けて活動を続けたのでしょうか、15年後には市の中心部の現在の地に移転。彼の家で音楽の話を聴き、レコードへのコメントなどが終ると、学生達は続々と演奏会に出掛けるのでした。
それらの公演は、例えば1964年のシーズンには次のような人々が出演していました。アシュケナージ、デムス、モラヴェッツ、メニューイン、ロストロポーヴィッチ、ルビンシュタイン、ミケランジェリ、バドゥラ=スコダ、マガロフ、アンダ、フォルデス、イムジチ、コーガン、グルダ、カサドシュ、オイストラッフ。それにベートーヴェンの交響曲全曲演奏会(・・・凄いですね!)。
市政にも関わり、1975年から85年まで文化評議員に任命されますが、この呼称は権力に服させるような感じがあるといって嫌い、「文化のための評議員」と称しました。
1976年に“Punti verdi(緑の場所)”を企画。夏に市内の主な公園で、文学・音楽・美術などの会を開き、多くの市民、若者が戸外で音楽やイベントを楽しみました。トリノ市は文化的に大いに活気づいたのですが、しかし、すぐに9月になる(雨も降る)、この活動を続けるには屋内での催しも必要だ・・・。こうして1978年には“Settembre Musica”が始められました。
また、トリノ市周辺の地域に文化センターや市立図書館を創設。
Auditorium Lingottoでの音楽祭の責任者として尽力し、90年代にはTeatro Reggioの総裁を務めました。
1999年までLiceo Giustiで教鞭をとりましたが、この学校をとても愛し、彼が着想した“音楽会へのescursioni(遠足)”は、若い同僚達によって引き継がれています。
晩年はトリノ近郊のRivoli市に住み、市の文化的イベントの世話役になっていました。
2005年の“Convergenze parallele(平行線の集合):musica e vita”、音楽家と様々な分野の興味深い著名人が語り合う会もその一つで、ポリーニも物理学者との対話に参加したのでした(2005年冬の日記にちょっと記しました)。
イタリア解放60周年にはトリノ県とともに“Resistenza nella memoria”の世話人となり、現代美術博物館においてベリオの思い出に捧げる“Sequenzeシリーズ”を開催、15のSequenzaを著名な演奏家が演奏するとともに、内外の若い作曲家にその同じ楽器による作品を委嘱し、対にして初演したということです。
トリノの文化への取り組みは各地に伝わり、ローマでも企画が取り入れられ、成功を収めました。今日イタリアの多くの大都市で行われている“Notti Bianche”(白夜=徹夜で催しを楽しむ)は、まさにバルマスの蒔いた種が芽を出し、その熱意の波に乗って春の花粉のように広まり、実った果実に他ならないのです。

「長年に亘って築かれたバルマスとポリーニの関係は、従来の主催者と演奏家のそれではない。単に招聘して、演奏曲を相談するというだけではないのだ。それはもっと緊密なもので、常に知的な在り様で、頻繁に行き来し、話し合い、友情を育み、互いに尊敬し合う関係だった。生涯を通じて価値のある関係だった。」(Union Musicaleの解説文)こうしてポリーニは彼の没後一周年にコンサートを捧げたのです。

ポリーニがUnion Musicaleの演奏会に初めて招かれたのは1965年10月13日、ショパン・コンクールの勝利から5年後の23歳の時でした。G.ヴェルディ音楽院にて、バルトーク、スクリャービン、ショパンを演奏。
1969年1月15日には“現代音楽との出会い”シリーズで、ブーレーズ『第2ソナタ』を初演、他にはバルトーク『野外にて』、シェーンベルク『6つの小品』、ストラヴィンスキー『ペトルーシュカからの3章』(凄いプログラム!)Union Musicaleのサイトに写真があります(この時のものではないかと思うのですが)。
1973年1月27日には、シェーンベルクの『作品11、19、23』と、ベートーヴェンの『ソナタ第30番、32番』を演奏。
その前日26日には、ヴェトナム人民に連帯を表明する演奏会をトリノで開いています。(前年の暮にミラノでの公演中止の後、1月20日にミラノ郊外のサーカス小屋でベートーヴェンのソナタ第30・31・32番を弾いたのですが、そのプログラムだったのでしょうか。)
以後、数え切れないほどトリノの舞台に登場したポリーニですが、どんなに聴衆に歓呼を持って迎えられたかを証するような伝説的な写真があるそうです。
「1980年1月30日、オーディトリウムRAIにて。ポリーニは舞台上のピアノまでなかなかたどり着けなかった。ホールの座席に座れない聴衆を舞台の上に座らせたためで、ピアノの間近まで床に座り込んだ若者達に囲まれて、シェーンベルク、シュトックハウゼンの曲を演奏、アンコールのリスト『悲しみのゴンドラ』まで、聴衆を魅了し尽した。」

「音楽は全ての人にとって近づきやすいものであるように、現代の音楽もその演奏の場を得られるように」・・・ポリーニの音楽活動の基本にある信念は、勿論彼の音楽観、世界観の中にあるとしても、若き研鑽の時にゲストとして招かれ、熱心に語り合い、共に仕事をしたバルマスとの関係も、力を持っていたのではないでしょうか。
そして「ポリーニ・プロジェクト」。古代から現代へと時空を広げ、珍しい曲や現代作品を演奏し、多くの演奏者との共演による多彩な作品を紹介する場。従来のクラシック演奏会の枠組みを越える試みも、もしかしたらバルマスとの交流から生まれた果実なのかもしれない、と思うのは考え過ぎでしょうか。ポリーニもまたpolline(花粉)となって・・・しかし、なんと大きく、実り豊かな!

今年の演奏活動を終えて、きっとホッとしてノ〜〜ンビリしているマエストロ・・・と思いましたが、もしかしたら来年のプロジェクトに向けて、決意も新たに準備に勤しんでいられるのかもしれませんね。でも、クリスマスの休暇も楽しんでくださいね、マエストロ!

これまでのリサイタルのアンコール曲と、来年夏の音楽祭の予定を、スケジュール表に載せました。Surprise!もあります。

2007年12月9日 0:40

新たなソナタ
若きベートーヴェンの肖像画が表紙の裏に載っているライナーノーツ。キチンとした服装で髪型も整え、輝きある眼差しをしたyoung Ludwigは、なかなかダンディではないですか。
音楽の都ウィーンに出てきた彼は、ハイドン先生だけでなく、シェンク、アルブレヒツベルガー、サリエリ先生にも師事して、とても熱心に作曲を学んだそうです。その傍ら、ダンスも習って、お洒落に気を遣い、ウィーンの社交界に入って行く、それがこの都会に来たばかりの彼の生活だったのでしょう。彼がウィーンに来たのも、受け入れられたのも、貴族達の支援・庇護があってこそ。勿論、彼の才能の輝かしさが、多くの貴族達を感服させ、好意を抱かせ、パトロンたらせたのですが。上流の家庭で夫人や令嬢にピアノを教え、ピアニストとしての評判を高め、意気揚々としたルートヴィッヒ、けれどまた、作曲家として新たな道を目指す、希望と意欲に燃えたベートーヴェン。これはいまだ見たことのなかった肖像画でした。

ポリーニの新譜「ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第1番・第2番・第3番」は、そんな若きベートーヴェンの魅力を十二分に引き出した、いまだ聴いたことのない素晴らしい演奏でした。
2005年の来日公演で1番、3番を聴き、ライヴならではの感動を得たとはいえ、私は曲の特色や魅力を十分に聞き取れたとはいえず、時とともに感動の記憶も薄れてしまっていました。今ここにじっくり聴き込むことのできるCDを手にして、作品の素晴らしさ、演奏の卓越性に、本当に新たな感動を味わっています。

まずこの上なく美しいピアノの音に惹きつけられます。透き通った無垢な音色は、円く、芯があるけれど堅くはなく、温かみを湛えているかのよう。軽やかな音は羽毛みたいに快く、重々しい音は深い水底から立ち上るごとくに、しかもどの音も全体のバランスに叶って、大きな曲の構造を明らかにするように調和の内に響いています。玉を転がすような滑らかなスケール、溌剌としたスタッカート、濁ることのない和音・・・ピアノの音の魅力が多彩に発揮され、一心に耳を傾けるほどに、その美しさは心に染み通ってくる気がします。
明晰なリズムは、早めのテンポとともに、若々しい推進力ある音楽に相応しい快さで、生き生きとした音楽を大きく盛り上げていきます。ベートーヴェンの意欲を、自信を、また挑戦を聞くかのようです。
さらに「細部に神宿る」という言葉さながらに、豊かなベートーヴェンの楽想が、多様にまた緻密に展開していく様を、ポリーニの手は克明に描き出し、この作品に込められた創意、熟慮、また誇りを思わせます。

曲想には、時にモーツァルトを、バッハを、またヘンデルを思わせるものがあり、先達の音楽を深く学んだことを窺わせつつ、独自のベートーヴェンらしさが溢れています。
そして形式の完成には(他の先生からより多く学んだとはいえ)師ハイドンから大切なものを学んだ・・・それが「献呈」として表されたのでしょう。と同時に、出版に際して「ハイドンの弟子」と記すのを断ったというエピソードには、師からの卒業、新たな道を行く独立宣言、ともいうべき決意が示されているのかもしれません。

シンフォニーのように4つの楽章からなる、当時の様式としては型破りなピアノ・ソナタ。悲壮感漂う激情、晴れやかで優しい幸福感、勝利へ向かう明るい雄大さ・・・3つの曲がそれぞれに異なる作風で書かれ、後のベートーヴェンの作曲の軌跡を予言するかのような曲達。ピアノ・ソナタの出発点であるだけでなく、常に新たな創造を目指したベートーヴェンの、作曲家としての輝かしい第一歩(作品番号は2ですが)となる、重要な作品。ピアノを学ぶ方には必修の作品なのでしょうが、演奏会では取り上げられることの少ない曲達。

ポリーニはその重要さを明確に捉え、充実した作品を大きな尊敬と愛情をもって演奏しているようです。生気溢れるリズム、自然なデュナーミク、美しいフレージング、的確なアーティキュレーション。そして優しさに満ちた深みある歌。
若き作曲家の意思を読み取るポリーニの透徹した眼差し、その魅力を余すところなく引き出すポリーニの揺るぎない熟練の技。ベートーヴェンの若々しい姿が目に浮かび、と同時に、現在のポリーニのしなやかな、けれど凛とした姿を感じさせる演奏。
ああ、これも満を持して録音された、人類の宝物ともいうべきCDなのだと、聴くほどに胸が熱くなります。

3つのソナタ、その12の楽章全てが素晴らしい音楽ですが、今私が心惹かれているのは第2番、とりわけ第4楽章。なんと美しくチャーミングな曲でしょう!
魔法の杖をサッと一振りしたように、辺りに光と温かさが満ちて、Graziosoの曲が息づき、踊り始める、優雅な曲想に華やかなヴィルトゥオジティーを散りばめて・・・きっとyoung Ludwigは誰か美しい少女に恋をしていたに違いない、一緒にダンスをして、熱い思いを抱いて・・・などと勝手に微笑ましい想像をしてしまいます。
そして幸せな気分でそっと曲が閉じられた時、もう一つのイ長調のソナタを思い出しました。私の大好きな第28番、夢の中のような、何かを懐かしむような、不思議な第1楽章。もしかしたら、若き日の美しい思い出を、甘い思いを託した曲を、はるか時を経て想い起しているのかもしれない・・・などと更に勝手な空想を膨らませて。そして、そんなことを思うと、第28番の曲の深さも、改めて感じられてくるのです。

マエストロの訪れのない今年の日本の秋。寒さが増すにつれ、うら寂しい気持ちにもなりますが、木々の葉が色づき木の実が生って、小鳥が飛び交い歌うように、秋の実りはそこかしこに満ちています。この新しいCDは今年の秋の実り。感謝をもって、大切に聴きこんでいきたいと思っています。

ヨーロッパのマルタさんから、メールをいただきました。マエストロとともに“On Tour”していたとのこと。
「ロンドンの演奏会は素晴らしいものでした、特にト長調の協奏曲はとてもとても深く、詩的で、私はこちらが好きです。ヴェニスでのノーノも素敵だったけど、マエストロはちょっとお疲れだったみたいです。新聞やマスコミにずっと追いかけられてるのだから、無理もないですね。フィレンツェではとても良い調子で、シューマンもショパンも奇跡のよう。アンコールは“雨だれ”、“革命”、バラード1番、それからとても悲劇的な前奏曲24番でした」

10月末のロンドンでのノーノ作品の演奏会も大成功だったようです。
“Real pain, not mere agitprop”と題する4つ星の評がありました。(Evening Standard)
「単なるアジプロ(扇動的な宣伝活動)ではなく、ここには宇宙的(広大)な苦悩の叫びがある。苦痛がかくも生き生きと、感動的に音楽で表現されたことは、これまでには無かった。」
これは最後の曲「森は若々しく命に満ちている」への評ですが、ノーノの作品が音楽として感動を以って受け入れられて、マエストロもきっと満足されたことでしょう。

今回の更新は特に新しいものは無いのですが、前回の受賞のニュースをディスク毎に付け加え、上記のアンコール曲目をEnglish Scheduleに記しました。

2007年11月4日 11:00

よき音連れ
一筋の糸のように微風に乗って伝えられた秘かな香り。あ、やっと咲き始めた、と思ったのは2・3日前のこと。今朝は開け放した窓から部屋の中にまでその香りが入ってきました。
大気の中に漂っている金木犀の香りは、爽やかな秋の訪れを告げるとともに、なぜか私の心を柔らかくしてくれるような気がします。小さな小さな花が集まって咲いて、それでも濃い緑の葉陰に隠れて。香りを頼りに木の在り処を探して間近に立っても、かえって香りを感じることがなく、遠ざかるにつれ、ふぅわりと芳しい空気で包んでくれる・・・誰かの優しい心遣いにふと後で気付いたような、嬉しさと温かさを感じさせる香りです。雨や風に打たれて小さな黄色の花が土に散り敷くのも、深まりゆく秋の光景ですが、この素朴なはかない花が少しでも長く咲き続けて、多くの人に心地好い時を運んでくれますように、と、青い空に向かって願っています。

マエストロはロンドンで新シーズンを開始されました。真夜中のWebradioで(録音して)「皇帝」を聴きましたが、クッキリした音で輝かしく、またオーケストラの重厚さとも相俟って風格ある演奏でした。マズアの指揮するロンドン・フィルとは、2003年冬にも同じ曲で共演していて、お互いによく判り合った上での演奏なのだと思いますが、放送の前の短いインタビューでは次のように語っています。
「再び同じ曲を演奏する時、感覚を新たにして取り組むことが必要です。私のレパートリーはいくら演奏しても飽きることのない曲ばかりです。私は何度も同じ曲を演奏しますが、弾くたびに新たなものを見出しています。でも、そのためには特別な準備の時間が必要です。演奏会の回数が少ないのはそのためでもあるのです。」
ピアノに関してもよく準備していますね、と問われ、「ファブリーニの2台とこのホールのものを弾き比べました。協奏曲の第2楽章でのカンタービレについて、ファブリーニの方がいくらか優れていると思われました。彼はファンタジー豊かな素晴らしい技術者で、より良いピアノ音楽のために、一生懸命に楽器を整えてくれます。」(ヒアリングが全く不確かなので、違っていたらごめんなさい(_ _;)。
その第2楽章は、しなやかで美しく、深い情緒ある演奏と感じられました。
7日はオーケストラの「祝!誕生75年」の演奏会。協奏曲第4番はどんな演奏だったのでしょう、10日未明の放送が楽しみです。

新譜の発売を間近に控えて、少しですが試聴出来るようになったのも、嬉しいことでした。アダージョ、スケルツォ、アレグロ。ポリーニの曲への思いがそれぞれに込められた演奏。ソナタ全体を、CD全部を、聴ける日が待ち遠しいです。

今回の更新では、レコード賞に追加を記載しました。英語版の"Awards"を作ったところ、早速Janさんから「もっとありますよ」とお知らせをいただきました。何故か今はWeb上に記されていませんが、ずっと以前にドイツで配布されたDGのカタログ(LP)に載っていたのだそうです。「さすらい人」、「ポロネーズ」、「交響的練習曲」・・・そう、高い評価を受けるべき演奏ですよね。また現代作品の録音への賞賛は、ポリーニにとってどんなに嬉しかったことか。素敵な情報を、Janさん、Danke Schoen!
もう一つ、私が見つけた受賞はイタリアの"Premio Amadeus"、月刊音楽誌"Amadeus"を発行する会社の、1997年から始まった比較的新しい賞です(DGのDiscographyには"Amadeus Music Award"というのがありますが、マエストロの受賞は記されていません。これとは別の賞なのかどうか、よく判りません)。

スケジュール表には12月のリサイタルのプログラムを記しました。ショパンの即興曲!? これもSurprise!ですね(^^)

2007年10月9日 9:00

Topへ