緑が日に日に濃さを増して、強くなった陽射しに影もくっきりと映るようになりました。柔らかい新緑、爽やかな風が吹き抜ける美しい五月・・・季節のめぐりは足早で、いつの間にか走り梅雨と初夏が交差するような今日この頃です。
ルツェルン・フェスティヴァルのチケット一般発売も終了しました。予想通り(以上?)の激戦だったようですが、皆様はご希望の席を手に入れられたでしょうか。かく言う私も、白馬のジャンプ台から飛び降りたつもり(?)で、最終日の1枚を買ってしまいましたv(^^;)。あとはチケット到着とマエストロのリサイタルの曲目発表を待つだけ、そしてお元気で来日されるよう、お祈りするばかりです。
さて、マエストロは北米での演奏会を、順調に、そして好調・絶好調のうちに行っていられるようです。
ボストンでの演奏を聴かれたAlanさんから「素晴らしかった」とアンコール曲のお知らせがありました。ドビュッシー「沈める寺」ショパン「ノクターン変ニ長調」リスト「超絶技巧練習曲第10番」ショパン「革命」「子守唄」。
《Boston Globe》には「From a melody to a rattle with wondrous ease」という題の評。集中力高く、技巧的にも万全だったようです。
ニューヨークはJanさんから、大成功だったと。「特に作品48のノクターンは信じられないほど」「ソナタは本当に完璧だった」「アンコールのリストは凄く早くてスリリング、最高だった」とホットな感想を送ってくれました。ここでのアンコールは子守歌の代りにプレリュードの24番。
《New York Times》にも「Pollini's Chopin and Liszt at Prodigious Speed but a Tight Grip on the Reins」と題する評がありました。バラードやポロネーズでの大きなパッション、高いテンションはしっかり統御されていた、「音楽的バトルの最高潮で完璧にバランスを取らないポリーニは、ポリーニではないだろう。不適切な個人的な興奮は俗悪になってしまう。」と、技巧のみならず精神での卓越性を称えています。そして私心のなさは彼をリストの後期作品の理想的な演奏家と為し、ソナタではショー的なひけらかしや自分を目立たせようとすることなく、驚くべき速さで、と同時に、全ての音を明瞭に適切に弾くという、驚くべき能力を示した」「たとえ人が個人的にどう感じようと、ポリーニは明白な文化cultureの声をレパートリーにもたらしたのだ。私の知る限り他にはいない。」と絶賛。
ニューヨークでは演奏会の前にインタビューも行われ、その模様が紹介されていました(“Pollini Speaks!”New York Times, May.7)。ザッとですが(それでも、長い・・・)。
普遍性を獲得した独創的な音楽家。内面には深い感情を伴って、外観は完全主義者。全く謎めいた人物――これがポリーニの見るショパンだ。
ある点では、彼自身のことを表しているのでは? 「私のことじゃないですよ」と、サラリと払いのける。
ポリーニとのインタビューは、そんな風に進んだ。それはルバートの押し・引きに似ている。彼は興味のある話題には長く留まり、そうでない時はさっさと進み、それからまたスローダウンするのだ。
彼のキャリアはリズム的に変らぬ型をもつ。1シーズンに約40のリサイタル、合衆国で1ヶ月を過ごし、5つの演奏会をこなす。大体一年に1つのCDを出す。レパートリーは、多彩であるが、2つの分野に集中している、古典とロマン派などの核となるピアノ作品、それから少数の現代の大家、シュトックハウゼン、べリオ、ブーレーズ、そしてノーノ。彼らは自分のピアノ言語を創出した作曲家達であり、彼は感情的な面でも繋がっている、と言う。
彼の演奏は、何年も変ることなく素晴らしいレヴェルに在る、クリスタルな質感、澄み切った音質、輝かしいテクニック、そして自己耽溺に拠らずして詩情を浮かび上がらせる超人的な能力。
「構成要素の中に一貫したものがあるのです、私はコンスタントな発展を感じますから」とポリーニは語る。
「経験を重ねれば、いつもそれは、より豊かなものになります。例えばショパンの音楽は、少年の頃からずっと私の人生と共にありました。ショパンの音楽への愛は年とともにどんどん大きくなります。多分それは、私がこの音楽をより良く理解するようになるからでしょう」
「このプロセスは、音楽の更に深い理解へ、演奏する作品の性格への更に大きな洞察へと導きます」
そして「それぞれの音は、より明瞭に、説得力を持って聴衆へ語りかけます」と言い添える。
上品で控え目な北イタリア人の雰囲気で、ポリーニは、低い少しざらついた声で、寛いでウィットをもって語った。薄いネイビーのヘリンボーンのジャケットにダーク・スラックス、粋に緩めに結んだネクタイ。ヘビースモーカーの様子は僅かにタバコの香りが漂っているので判る。
階下には練習用のピアノが置かれている。彼は1日4時間ぐらい練習するという。「そのくらいが迷惑にならないらしいのですよ」
進んで詳しく話す:「例えばピアニストは、なにか絶対的にポジティヴなものを持っています。何故なら私達は、楽器のためにかつて書かれたものの内で、最も美しいレパートリーを持っているのですから。私達は豊かさを自由に出来るのです。それから全く並外れた可能性を持つ楽器を扱うのです。ピアノで出来ることに限界はありません」
ポリーニは彼の将来についてはっきり語らない。この先10年〜20年の彼のキャリアをどう見通すか問われて、驚くほど簡潔に答えた。「私が望むのは、演奏において確かな成果を得ることです」
まったく演奏会を止めてしまうという時が来るでしょうか? 「さあねえ。何が起こるか、誰にわかりますか?」
だが、もっと身近な目的についてはよく語る。ベートーヴェンのソナタの録音を終えること、多分バッハの「平均律」を録音すること。シュトックハウゼンのレパートリーを拡げたいと思っている。だが、リゲティとメシアンの作品にはあまり興味が無い。エリオット・カーターの作品を学ぼうと思っている「彼を心に留めておきます」と言う。
「人は選択せざるを得ないのですよ」と殆どすまなそうな様子で付け加えた。
彼が活き活きするのは、彼の掌中の曲である複雑で至難なブーレーズの第2ソナタについて話す時だ。
「あれは驚嘆すべき作品です」「いつも何かしら発見するものがあります。並外れた音楽的な瞬間の豊さがあります。」
最近は安心のために楽譜を用いるが、ポリーニはしばしば暗譜で弾くという感動的な偉業を為していた。1968年、初めて演奏する前には、60ページの楽譜を1日5ページずつ覚え始めたという。「かなり短時間で出来ましたよ」
彼はvisual memoryを持たない、しかしsound pictureを記憶し、早いパッセージはfinger memoryに徐々に教え込む、という。
このaural memoryは、彼が弾いていない時にも役に立つ。道を歩いている時でも、家で座っている時でも、演奏(解釈)の仕事の一方法として、彼はしばしば頭の中で曲を聴くと言う。
彼は熱心に楽譜を読む人だ。現に今も、多くの彼の言う“類い稀な瞬間”を探しながら、バッハのカンタータを、読み終えたところだ。
彼は演奏する曲の典拠も詳しく調べる。ショパンは、バラード2番の最後の和音の音調を4回も変えた、と指摘する。
「彼はどんな細部にも完全性を求めたのです」 ホテルのコーヒーテーブルで違った和音の指使いをしながら、ポリーニは言う。
あなたも、そうではないですか? 「私は必ずしもそうじゃないですよ、もちろん。」
完全主義―彼の音楽は冷たいとか、人間性が無いなどといわれることについて、どう思うか問うと、
「私が考えることができるのは、音楽が聴衆に何を与えるか、だけです。確かに、強い感動でしょう。」そしてショパンへと話を転じる。
「ショパンは生来の魅惑を持った作曲家です。しかしショパンへの途方も無く深い思いがあり、それは結局、彼の作品を演奏することから生れたようです」。
ポリーニは作曲家を、完全なまでに個人的で独創的だという。「でも、驚嘆すべきなのは、彼が普遍性を得ることができたことです」「完全なまでに個人的である音楽が、全ての人を征服し得たとは、驚くべきことです」
ルービンシュタイン、アシュケナージ、シュナーベル、またゼルキンなど他のピアニストへの彼の賞賛はよく知られている。より若い世代で感心するのは?と尋ねると、「沢山居ますよ」そしてキーシンの名を言った。そのライブを余り聞いていないと認めながら、「彼は非常に才能があると、私には思われます」
知的な家庭に生れて、ポリーニは音楽を超えて多くのものに興味を示す。ニューヨークについた翌日、彼はフリック・コレクションに立ち寄っている。また改修されたモダン・アート美術館を初めて見るのも、とても興味をそそられたと言う。
モーパッサンとソフォクレス「アンティゴネ」彼のお気に入りのギリシャ悲劇の一つ、を読んでいた。多分次はジェームス・ジョイスの「ユリシーズ」を読むだろう、英語で、或いはイタリア語でかは、まだ決めていないけれど。シェークスピアは両方の言語で全部読んだと言う。
かつては熱心にチェスをやったが、今は余りやらないと言う。「なんだか興味がなくなってしまってね」
多くのイタリアの文化人と同じく、彼も左翼の人である。最近の、かろうじてのベルルスコーニへの勝利を彼は喜んでいる。「解放へのプロセスの始まりです」
会話が長びくにつれ、ポリーニの返事は手短になっていった。インタビューの終わりも近いことが明らかだった。彼は友人の建築家レンゾ・ピアノ氏との昼食に出かけるそうだ。ピアノ氏はMorgan Library and Museumの改修を見せてくれるのだと言う。
もう一つの質問、彼の遺す物について、将来人々がそれについて語るのに、何を望みますか、との質問を、ポリーニは軽く受け流した。
人々が彼についてなお語るかどうか、誰が判りますか? と彼は鼻先で笑う。いずれにしろ彼は言った、“I'm not answering.”
ポリーニのインタビューは真剣で熱心な音楽レクチャー、という印象がありましたが、現在の、ここでのポリーニは、グッとリラックスして融通無碍の趣。アメリカでの滞在を楽しんでいられる様子も嬉しいですね。
モントリオール(ここでもインタビュー)、シカゴ(絶賛の評)も大成功で、あと1日、ワシントンのリサイタルを残すのみとなりました。お元気で終えられて帰国なさいますように!
そうそう、イタリアの新しい大統領ナポリターノ氏(旧共産党系で初の就任)も、チャンピ氏と同じく大の音楽愛好家、3月のローマでのポリーニ・リサイタルも聴きに来ていたとか。
ポリーニをはじめ音楽家達の活動が、より良い状況で行われるようになると良いですね。