時々の雑記帳

音楽のこと、ポリーニのこと、日々の雑感を、
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(4月〜6月)

鉢に植えて・・・
紫陽花が咲き始めました。梅雨の近いことを感じながら、この季節、絶対に日本を訪れることのないマエストロに、この美しい花を見せたいナ、などと夢想しています。

“偉大なるポリーニ、モーツァルトとショパンを純化”というような批評がil Giornale it.(6月3日)に載っていました。
満員のホール、舞台前に押し寄せる聴衆、4つのアンコール・・・。5月末のミラノの演奏会も、大成功の裡に終ったようです。
アンコールは〈プログラムにあったショパンの3曲の小品と、最後にドビュッシーの“そぎ落としたような響き”のプレリュード〉(って、どの曲だったのかしら・・・?)
  〈音の“(贅肉を)そぎ落とす”:このアンコールでそれが最高だったのは「革命」のエチュードだ。曲の頂点で、音の荒々しい激発よりも、ポリーニはむしろショパンの固有の姿―19世紀のスカルラッティのような―を称賛することを選んだ。〉〈骨格を顕わにした音楽、ダイナミックさも減じて、かつてのポリーニのような音響の強いコントラストはなかったが、この上なく明澄な音色で、「莢から実を取り出した」ようなクッキリした音で、だが現在のポリーニの、音色の哀愁もあり、極端な自制を伴って、明晰に演奏された。〉
・・・ステキなリサイタルだったのね、と思いつつ「アレ?」プログラムにショパンが入っていたっけ?

FAI(イタリア環境基金)のためのリサイタルとして、予告記事がいくつかあったのですが、どれにもモーツァルトのソナタK.457、シューマンのクライスレリアーナ、リストのソナタとして紹介されていました。
どうやら直前にプログラム変更があったようです。実際に演奏されたのはモーツァルト「幻想曲ハ短調(K.475)」(もっとも、元々FAIのサイトに「ソナタ K.475」と載っていたので、変だなぁ、と思っていたのです。マエストロご自身は最初からK.475を想定していたのかもしれません)。シューマン「クライスレリアーナ」がショパン「バラード1番、ノクターンop.48、ポロネーズ5番」に変更。後半は予定通り、リストの小品4曲とソナタ。

モーツァルトの幻想曲では、〈作品のベートーヴェンを予知するものは脇において、“和音を攻撃”せずに、むしろゆったりした音響を選んだ。「幻想曲」の性格を浮き立たせるエピソードの変化づけを際立たせ、次第に輝きを増す音色で、ニ長調の小さなテーマはシューベルトのリートのように、至福感を味合わせた。〉
ショパン。バラードは雄大な調子でなく、いわば叙述的、ノクターンは起伏を際立たせ、嬰ヘ短調(op.48-2)の曲には至上のdolcezza(甘さ、優しさ、歓喜)が満ちていた。ポロネーズでは、リズムの効果が、強調が目立つ重苦しさ無しに、歌になっていた。
リストの小品は(共通する要素で)トータルで一体化したものとなった。〈ポリーニは(調性の)解けること、または20世紀への予言が早まるのを望んだかのように、ソナタからそれ(予言)を引き出した。響きを凝縮し、乾いたものとし、影のゾーンを取り出し、(後世に)遺された価値を積み上げた。むき出しでなく凝った文で書かれたフガートも、すでに別れの結びの辞だった。〉
(・・・・ム、ム、ムズカシイイタリア語でした。下手な訳ですみません、誤訳もありそうですm(_ _)m)

予定されたプログラムは昨日・今日とウィーンでも演奏されるはず、と思って、ムジークフェラインのサイトを見ると、こちらも変更になっていました。シューマンからショパンへ。 でもノクターンop.48はop.55になっています。北米ツァーも全てショパンとリストでしたから、今、マエストロのお気に入りのプログラムなのかもしれませんね。

北米といえば、ワシントン(ストラスモア)公演では、最初にノクターンop.15の3曲も予定されたようですが、実際には他の都市と同じプログラムでした。やはり素晴らしい演奏だったようで、高い評価が載っていましたが、中に「リストのソナタはもの凄く早く、約25分で弾いた」(・・・ってホントに?)。アンコールは4曲。

というわけで、今回の更新は、スケジュール表(「2006年」と《2005-2006 Season》)に訂正と、アンコール曲を載せました。

2006年06月07日 16:22

爽やかな北米で
緑が日に日に濃さを増して、強くなった陽射しに影もくっきりと映るようになりました。柔らかい新緑、爽やかな風が吹き抜ける美しい五月・・・季節のめぐりは足早で、いつの間にか走り梅雨と初夏が交差するような今日この頃です。
ルツェルン・フェスティヴァルのチケット一般発売も終了しました。予想通り(以上?)の激戦だったようですが、皆様はご希望の席を手に入れられたでしょうか。かく言う私も、白馬のジャンプ台から飛び降りたつもり(?)で、最終日の1枚を買ってしまいましたv(^^;)。あとはチケット到着とマエストロのリサイタルの曲目発表を待つだけ、そしてお元気で来日されるよう、お祈りするばかりです。

さて、マエストロは北米での演奏会を、順調に、そして好調・絶好調のうちに行っていられるようです。
ボストンでの演奏を聴かれたAlanさんから「素晴らしかった」とアンコール曲のお知らせがありました。ドビュッシー「沈める寺」ショパン「ノクターン変ニ長調」リスト「超絶技巧練習曲第10番」ショパン「革命」「子守唄」。
《Boston Globe》には「From a melody to a rattle with wondrous ease」という題の評。集中力高く、技巧的にも万全だったようです。

ニューヨークはJanさんから、大成功だったと。「特に作品48のノクターンは信じられないほど」「ソナタは本当に完璧だった」「アンコールのリストは凄く早くてスリリング、最高だった」とホットな感想を送ってくれました。ここでのアンコールは子守歌の代りにプレリュードの24番。
《New York Times》にも「Pollini's Chopin and Liszt at Prodigious Speed but a Tight Grip on the Reins」と題する評がありました。バラードやポロネーズでの大きなパッション、高いテンションはしっかり統御されていた、「音楽的バトルの最高潮で完璧にバランスを取らないポリーニは、ポリーニではないだろう。不適切な個人的な興奮は俗悪になってしまう。」と、技巧のみならず精神での卓越性を称えています。そして私心のなさは彼をリストの後期作品の理想的な演奏家と為し、ソナタではショー的なひけらかしや自分を目立たせようとすることなく、驚くべき速さで、と同時に、全ての音を明瞭に適切に弾くという、驚くべき能力を示した」「たとえ人が個人的にどう感じようと、ポリーニは明白な文化cultureの声をレパートリーにもたらしたのだ。私の知る限り他にはいない。」と絶賛。

ニューヨークでは演奏会の前にインタビューも行われ、その模様が紹介されていました(“Pollini Speaks!”New York Times, May.7)。ザッとですが(それでも、長い・・・)。

普遍性を獲得した独創的な音楽家。内面には深い感情を伴って、外観は完全主義者。全く謎めいた人物――これがポリーニの見るショパンだ。
ある点では、彼自身のことを表しているのでは? 「私のことじゃないですよ」と、サラリと払いのける。
ポリーニとのインタビューは、そんな風に進んだ。それはルバートの押し・引きに似ている。彼は興味のある話題には長く留まり、そうでない時はさっさと進み、それからまたスローダウンするのだ。

彼のキャリアはリズム的に変らぬ型をもつ。1シーズンに約40のリサイタル、合衆国で1ヶ月を過ごし、5つの演奏会をこなす。大体一年に1つのCDを出す。レパートリーは、多彩であるが、2つの分野に集中している、古典とロマン派などの核となるピアノ作品、それから少数の現代の大家、シュトックハウゼン、べリオ、ブーレーズ、そしてノーノ。彼らは自分のピアノ言語を創出した作曲家達であり、彼は感情的な面でも繋がっている、と言う。

彼の演奏は、何年も変ることなく素晴らしいレヴェルに在る、クリスタルな質感、澄み切った音質、輝かしいテクニック、そして自己耽溺に拠らずして詩情を浮かび上がらせる超人的な能力。
「構成要素の中に一貫したものがあるのです、私はコンスタントな発展を感じますから」とポリーニは語る。
「経験を重ねれば、いつもそれは、より豊かなものになります。例えばショパンの音楽は、少年の頃からずっと私の人生と共にありました。ショパンの音楽への愛は年とともにどんどん大きくなります。多分それは、私がこの音楽をより良く理解するようになるからでしょう」
「このプロセスは、音楽の更に深い理解へ、演奏する作品の性格への更に大きな洞察へと導きます」
そして「それぞれの音は、より明瞭に、説得力を持って聴衆へ語りかけます」と言い添える。

上品で控え目な北イタリア人の雰囲気で、ポリーニは、低い少しざらついた声で、寛いでウィットをもって語った。薄いネイビーのヘリンボーンのジャケットにダーク・スラックス、粋に緩めに結んだネクタイ。ヘビースモーカーの様子は僅かにタバコの香りが漂っているので判る。
階下には練習用のピアノが置かれている。彼は1日4時間ぐらい練習するという。「そのくらいが迷惑にならないらしいのですよ」

進んで詳しく話す:「例えばピアニストは、なにか絶対的にポジティヴなものを持っています。何故なら私達は、楽器のためにかつて書かれたものの内で、最も美しいレパートリーを持っているのですから。私達は豊かさを自由に出来るのです。それから全く並外れた可能性を持つ楽器を扱うのです。ピアノで出来ることに限界はありません」

ポリーニは彼の将来についてはっきり語らない。この先10年〜20年の彼のキャリアをどう見通すか問われて、驚くほど簡潔に答えた。「私が望むのは、演奏において確かな成果を得ることです」
まったく演奏会を止めてしまうという時が来るでしょうか? 「さあねえ。何が起こるか、誰にわかりますか?」

だが、もっと身近な目的についてはよく語る。ベートーヴェンのソナタの録音を終えること、多分バッハの「平均律」を録音すること。シュトックハウゼンのレパートリーを拡げたいと思っている。だが、リゲティとメシアンの作品にはあまり興味が無い。エリオット・カーターの作品を学ぼうと思っている「彼を心に留めておきます」と言う。
「人は選択せざるを得ないのですよ」と殆どすまなそうな様子で付け加えた。

彼が活き活きするのは、彼の掌中の曲である複雑で至難なブーレーズの第2ソナタについて話す時だ。
「あれは驚嘆すべき作品です」「いつも何かしら発見するものがあります。並外れた音楽的な瞬間の豊さがあります。」
最近は安心のために楽譜を用いるが、ポリーニはしばしば暗譜で弾くという感動的な偉業を為していた。1968年、初めて演奏する前には、60ページの楽譜を1日5ページずつ覚え始めたという。「かなり短時間で出来ましたよ」

彼はvisual memoryを持たない、しかしsound pictureを記憶し、早いパッセージはfinger memoryに徐々に教え込む、という。
このaural memoryは、彼が弾いていない時にも役に立つ。道を歩いている時でも、家で座っている時でも、演奏(解釈)の仕事の一方法として、彼はしばしば頭の中で曲を聴くと言う。
彼は熱心に楽譜を読む人だ。現に今も、多くの彼の言う“類い稀な瞬間”を探しながら、バッハのカンタータを、読み終えたところだ。

彼は演奏する曲の典拠も詳しく調べる。ショパンは、バラード2番の最後の和音の音調を4回も変えた、と指摘する。
「彼はどんな細部にも完全性を求めたのです」 ホテルのコーヒーテーブルで違った和音の指使いをしながら、ポリーニは言う。
あなたも、そうではないですか? 「私は必ずしもそうじゃないですよ、もちろん。」

完全主義―彼の音楽は冷たいとか、人間性が無いなどといわれることについて、どう思うか問うと、
「私が考えることができるのは、音楽が聴衆に何を与えるか、だけです。確かに、強い感動でしょう。」そしてショパンへと話を転じる。
「ショパンは生来の魅惑を持った作曲家です。しかしショパンへの途方も無く深い思いがあり、それは結局、彼の作品を演奏することから生れたようです」。
ポリーニは作曲家を、完全なまでに個人的で独創的だという。「でも、驚嘆すべきなのは、彼が普遍性を得ることができたことです」「完全なまでに個人的である音楽が、全ての人を征服し得たとは、驚くべきことです」

ルービンシュタイン、アシュケナージ、シュナーベル、またゼルキンなど他のピアニストへの彼の賞賛はよく知られている。より若い世代で感心するのは?と尋ねると、「沢山居ますよ」そしてキーシンの名を言った。そのライブを余り聞いていないと認めながら、「彼は非常に才能があると、私には思われます」

知的な家庭に生れて、ポリーニは音楽を超えて多くのものに興味を示す。ニューヨークについた翌日、彼はフリック・コレクションに立ち寄っている。また改修されたモダン・アート美術館を初めて見るのも、とても興味をそそられたと言う。
モーパッサンとソフォクレス「アンティゴネ」彼のお気に入りのギリシャ悲劇の一つ、を読んでいた。多分次はジェームス・ジョイスの「ユリシーズ」を読むだろう、英語で、或いはイタリア語でかは、まだ決めていないけれど。シェークスピアは両方の言語で全部読んだと言う。

かつては熱心にチェスをやったが、今は余りやらないと言う。「なんだか興味がなくなってしまってね」

多くのイタリアの文化人と同じく、彼も左翼の人である。最近の、かろうじてのベルルスコーニへの勝利を彼は喜んでいる。「解放へのプロセスの始まりです」

会話が長びくにつれ、ポリーニの返事は手短になっていった。インタビューの終わりも近いことが明らかだった。彼は友人の建築家レンゾ・ピアノ氏との昼食に出かけるそうだ。ピアノ氏はMorgan Library and Museumの改修を見せてくれるのだと言う。

もう一つの質問、彼の遺す物について、将来人々がそれについて語るのに、何を望みますか、との質問を、ポリーニは軽く受け流した。
人々が彼についてなお語るかどうか、誰が判りますか? と彼は鼻先で笑う。いずれにしろ彼は言った、“I'm not answering.”

ポリーニのインタビューは真剣で熱心な音楽レクチャー、という印象がありましたが、現在の、ここでのポリーニは、グッとリラックスして融通無碍の趣。アメリカでの滞在を楽しんでいられる様子も嬉しいですね。
モントリオール(ここでもインタビュー)、シカゴ(絶賛の評)も大成功で、あと1日、ワシントンのリサイタルを残すのみとなりました。お元気で終えられて帰国なさいますように!

そうそう、イタリアの新しい大統領ナポリターノ氏(旧共産党系で初の就任)も、チャンピ氏と同じく大の音楽愛好家、3月のローマでのポリーニ・リサイタルも聴きに来ていたとか。
ポリーニをはじめ音楽家達の活動が、より良い状況で行われるようになると良いですね。

2006年05月16日 22:48

有朋自遠方来 不亦楽乎
新緑が日に日に増して、その柔らかな色合いの中に八重桜、つつじ、レンギョウ、花水木、さまざまな花が鮮やかな色を競っています。春たけなわ・・・と書いていると、シューマンの“春”やメンデルスゾーンの“春の歌”、“スプリング・ソナタ”(ベートーヴェン)などの明るいメロディーが脳裏に流れてきます。その幸せな感覚、美しい春です。

4月は新しい人と出会い、新しいことの始る時。先日、私もひとつステキな経験をしました。
海外のポリーニのスケジュールなどを、いつもメールで知らせてくれるドイツのJanさんが、この春日本を訪れるに際し「お茶でも一緒に、どうですか?」とメールをくれました。嬉しいお誘い。でも、ドイツ語はおろか英語(彼はワシントンで勉強した方)も話せない私。どうすべきか迷いましたが、英語に堪能なひろこさんにお願いして、一緒に行っていただくことにしたのです。

横浜で会い、海の見える喫茶室でお話ししたJanさんは、背の高い、穏やかで真面目そうな青年でした。趣味でピアノを弾き、友人と連弾など楽しむこともあるとか。
活動範囲の広い方で、ヨーロッパやアメリカで数多くの羨ましいポリーニ体験をお持ちでした。
初めてポリーニを聴いたのは80年代半ばに故郷に近いハンブルクで。ベルリンではアバドとの共演のブラームスのピアノ協奏曲第2番、レコーディングの際のもの。バッハ「平均律」第1巻も聴いたこと。早めの演奏で、強弱の幅も大きく、バッハ的でないという人もいるかもしれないが、自分は素晴らしい演奏だと思った、と。「バッハとドビュッシーはレコーディングしないのかな? だったら皆で署名を集めてお願いしよう!」なんて冗談(本気?)も飛び出します。ニューヨークでは小さなホールでラヴェルの「夜のガスパール」を聴いたこと。ベートーヴェンのソナタ全曲演奏も(全部ではないけれど)聴いたそうです。
また、ポリーニがシーメンス賞受賞の時、スタッフとして接したそうですが、服装など気にせず気さくで、シャイで小柄な紳士なのに、スピーチの際にはオーラを放つ大きなマエストロに見えた、との言葉には、私達も、舞台でピアノの傍に立つマエストロの“大きさ”を思って、うなづき合いました。
日本でも一度ポリーニの演奏(シュトックハウゼン他)を聴いたけれど、日本の聴衆は素晴らしい、その熱心さ、静けさに感心した、と言っていました。アメリカの聴衆は、映画を見たり食事に出かけたりするのと同じ感覚で、エンタテイメントとして音楽会に来る、とか。そしてヨーロッパでもアメリカでも若者のクラシック離れが進んで、マエストロの演奏会もチケットはそんなに高くは無いのに、時々空席もあるようです(日本でも若者のクラシック離れについては同じだけれど、チケットは・・・)。
一番素晴らしいと思うCDは、数え切れないほど聴いたショパンの「練習曲」。でも、新譜の「ノクターン」もホント〜に魅力的!と、ウットリした表情。「特に作品32の2が大好き!」
「ノクターン」発売の際のDGのインタビューに、興味深い話があったと、紹介してくれました。
「ショパンのマズルカやワルツの全集を録音しますか?と問われて、“ノー、でも、ショパンがある一年間に作曲したものを集めて、演奏・録音してみたい”と話していた」(素敵なアイディアですよね!)
初めは遠慮がちだった会話も、ことポリーニの話となると盛り上がり、初対面とは思えない親しさを感じながら、楽しいひと時を過ごしました。
「友あり遠方より来たる また楽しからずや」。マエストロが結んでくれた素敵な“輪”に、感謝です。
そして、それはみな、ひろこさんの適切な通訳と気配りのある会話によってもたらされたもの。本当に、心から、ありがとうございました!

Janさんから、ポリーニのCDに関する詳細なデータの掲載されたサイトも教えていただきました。
以前Link集に載せていたのですが、閉鎖されたと思って削除していた平沢透さんのページです。実際は、更に充実した内容の英語版になっていました。
これを機に、Link集を整理し、いくつかのサイトを加えました。すでにご存知の方も多いと思いますが「Claudio Abbado 資料館」、それに情報誌、ホール等も加えました。

スケジュール表にもいくつか追加があります。
秋の北京でのマエストロのリサイタル(波利尼独奏音楽会)は、ちゃんと行われるようです(ホッ)。ホールも決まって、サイトに掲示されていました。
モントリオール、ワシントン(Strathmore)のリサイタルのプログラム(Thank you, Jan! )、パリのシャトレ座(DGサイトではなぜかSalle Pleyelになっているけど、ここのピアノ4つ星シリーズです)のプログラムを追加しました。

もうすぐ美しい五月、楽しいゴールデン・ウィーク。
アメリカ・ツァーへ出発のマエストロも、皆様も、どうぞ良い時を過ごされますように!

2006年04月27日 23:01

それぞれの季
東京付近は例年より早く桜が開き、心弾む春を迎えました。
お花見日和、汗ばむほどの陽気、と思えば花冷え、春の嵐。桜はパッと散る潔さが愛でられ、花吹雪は日本的な美の感覚を象徴するかのようですが、今年の桜は雨にも負けず風にも負けず、長く目を楽しませてくれました。
そして今、風の無い穏やかな日に、ハラハラとゆっくり散っていきます。短い生命を愛おしみつつ、己が命を尽くしたかのように。枝先に僅かに残る薄紅の花と濃い紅のがくに交じって、若緑の葉が萌え出ている光景は、ソメイヨシノには珍しいように思えますが、これは木の旺盛な生命力を感じさせます。
染井吉野の花季が過ぎれば、枝垂桜、山桜、八重桜、白い花、紅い花、黄の花・・・それぞれの時を生きる花々が春を謳歌しています。四月、新しい仕事、新しい学びの場を迎える人たちを励ますかのようですね。
今は少し遅めの菜種梅雨でしょうか、ぐずついた日が続きますが、すぐに春の陽射しを浴びて、鮮やかな新緑が目を楽しませてくれることでしょう。

さてさて、3月〜4月はメッチャメチャ忙しくって、更新も出来ずにおりました。といってもスケジュール表にいくつか追記、訂正するだけなのですが・・・。
2007年6月ウィーン・フィルとの演奏会、Pollini Perspektivenのエピローグと位置づけられている会のプログラムが判りました。モーツァルトのピアノ協奏曲は12番イ長調K.414と、24番ハ短調K.491。ポリーニの弾き振りのハ短調の協奏曲、聴きたい〜〜ッ!! ですね。録音されることを切に切に願っています。
訂正は5月ミラノでのFAIの演奏会。モーツァルトの幻想曲ハ短調ではなく、ソナタハ短調K.457でした。弾き(聴き)応えあるプログラムですね。
この冬のヨーロッパはとても厳しい寒さだったようです。マエストロも一時体調を崩されたようでしたが、陽光溢れるイタリアで、もう健康を快復されたことでしょう。4月はウィーンでの大切なPerspektiven、そして北米公演の出発へ向けて、きっと張り切っていらっしゃるでしょう。佳い春をお過ごしください、マエストロ!

そして、春を待ち望んでいられる北国の方々、これからチケット入手に挑む皆様、それぞれに良い春を迎えられますように!

2006年04月13日 14:40

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