少しずつ日脚は伸び、陽射しにもわずかに強さが感じられるようになりました。
あっという間に一年の12分の1が過ぎ、28日しかない二月は「逃げ月」とも言われますが、それならなおのこと、大切に一日一日を過ごしたいと思う今日この頃です。
「テアトロ・ヴァッリのシーズンはポリーニの演奏会で開始された。それはオール・ショパンのプログラムで、満場の聴衆を熱狂に誘うに充分なものだった」レッジョ・エミーリアの演奏会評がありました。(Gazzetta di Parma 1/24)
ショパン・コンクールの輝かしい優勝、その後の長い休養期間にふれ、「そこから新しい決然たるポリーニが現れ出て、演奏会を慣例的に聖なるものとすることを避け、熱心に過去の偉大な足跡を辿り、同じ熱意を持って現代(の音楽)の果敢な挑戦に参加しようとした」
「ここに彼の演奏のすぐそれと判る特徴があって、経験は―今ポリーニは60歳を少し過ぎた―濾過(純化)され、角が丸くなり、厳しさは和らげられつつあるが、決して(かつてのそれと)矛盾するものではない」
「演奏会は、明確な描き方でショパンの書法の諸要素を示し、そのことの明瞭な証言となり、またノクターンの変遷に基づいて構成されたプログラムの発想にも、それは明らかだった。ノクターンはショパンの創作(時期)の初めから終りにまで渡っていて、誤った感傷的傾向という誤解を、他よりも育むジャンルなのだ」
・・・Musica/Realta’の舞台となった町ならではのポリーニへの視点と思われます。
(演奏についてザッと見ると)ポリーニは、魅惑的なメロディーを、夢想や哀愁やメランコリー等々という性格から解き放ち、ドラマティックな逆光で浮き彫りにし、また澄み切ったメロディーの下で、長く続く造型を経て、彼の指により次第にはっきりと明瞭なものになっていく。それはまさに円熟した作品の中に、夢を充満させ、やがて炸裂して表れるあのテンションなのだ。ドラマティックなショパン。それゆえ他の大きな作品においては、更に決然と、その確信がまた表されるのである・・・。聴衆の熱烈な喝采に応えて、アンコールは雨だれのプレリュード、バラード第1番、そして白熱のエチュード4番。(曲の演奏評が難しくて、ちゃんと訳せませんでした。ゴメンナサイ)
本当に素晴らしい演奏会だったようです。ノクターンを中心としたプログラムを、日本でも聴かせてくれると嬉しいですね。
さて、もう一つ興味深い記事がLa Stampaにありました。“Le strane coppie della musica”(音楽の奇妙なカップル)という見出しで、Giorgio Balmasの発案で音楽家と他分野の音楽愛好家が対話する催しを紹介していました。
「これは私の白鳥の歌(最後の仕事)になるでしょう。多くの人々が呼びかけに応じてくれて、とても幸せです」と語るBalmasは、トリノでUnion MusicaleやSettembre Musicaという会を主催した人。若き日のポリーニもその招きを受けてトリノで室内楽やリサイタルを行い、ブーレーズやシュトックハウゼンなど現代音楽も手がけたのでした。
音楽を媒介にして、異分野の人々が対話し合うことで、それぞれ刺激を受け、視野を広げ、新たな視点を見出すことが出来るだろう、という提案に、ポリーニも喜んで賛同したことと思います。
「奇妙なカップル」はというと、アッカルド氏(大のサッカーファン)とサッカー監督のFabio Capello氏(大の音楽ファン)。バリトンのClaudio Desderi氏と労働組合の偉い人Sergio Cofferati氏。また、ジェフリー・テイト氏(指揮者)、マリオ・ブルネロ氏(チェリスト)、ミルヴァ氏(カンツォーネ)等も参加します。で、我等がマエストロは誰とカップルを組むのかといえば、物理学者のTullio Regge氏(トリノ大学教授、73歳)。ウゥゥゥゥゥム、難しい話になりそう・・・。でも、若き日に物理学を学び、時間が有れば続けたかった、というマエストロのこと、きっと楽しく、意義ある時を過されることでしょう。
催しの正式名称は“Convergenze parallele(平行線の集合)”、Rivoliという町で開催されます(日程は不明)。
演奏会の内容の予定変更がいくつかありました。
ローマでは室内楽から、ジェノヴァでは協奏曲から、それぞれリサイタルへ。
ベルリンでは曲目変更で、ショパンの協奏曲第2番からモーツァルトの第21番へ。
5月にウィーンで弾き振りをするマエストロ、この曲にかける意気込みが覗われます。
(でも、ショパンの2番も、いつかまた、聴かせて下さいね、マエストロ!)。