時々の雑記帳

音楽のこと、ポリーニのこと、日々の雑感を、
時々(気まぐれに)、書き入れます。

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このほかの日記帳はこちらを、すぐ前のものは「秋」10〜12月を、次のものは「春」4〜6月をご覧ください。

(1月〜3月)

春眠(冬眠も)暁を覚えず…
ポカ、ポカ、ポカッ・・・(陽気ではありません)頭をたたく音デス。
今朝のWeb Radio聴きそこなってしまいました! 朝4時からでは、起きているのも起きるのもムリそう・・・と思って、録音ソフトをセットして寝てしまったのです。で、今朝聞いてみると、無音? 無音!? ボリューム上げても、早送りしても、どこをどうしても聞こえない・・・!(録音ソフトはちゃんと働いてたのに)。
夜中に接続が途切れてしまったのでしょうか。 Webの恩恵とコンピューターの便利さをありがたく思いながら、つい、甘えて油断していたようです。残念、無念、そして反省。
お聴きになった方、よろしければご感想などお寄せください。
ベルリンの新聞には短い評がありました(ケント・ナガノの“シューマン”に長い評―厳しい評―がなされていて)。
「マウリツィオ・ポリーニがモーツァルトのハ長調の協奏曲K.467を演奏した。これは非のうちどころの無いピアノ演奏だった。明確な(sauber)アーティキュレーションがなされ、リズムは攻撃的にはならず、そして音色はあまりにも明るく晴れやかなので、聴く者には、このピアニストの集中と禁欲性が、あたかも自由の贈り物のように感じられたのだった」
やはり素敵な演奏だったのでしょうね・・・。
それで、昨年秋のスカラ・フィルとのモーツァルト第21番を聴きながら、この日記を書いているのですが、イタリアのオケとの明るく祝祭的な演奏とは、また違った趣の(ドイツ的な?)端正な(sauber)演奏だったのかもしれませんね。そして5月にはウィーンで、マエストロ自身の弾き振りでK.467が演奏されます。きっと更に別の魅力を湛えたものになるのでしょう。録音を、放送を(今度こそ!)是非、聴きたいものです。

スケジュール表に、マドリッドでのリサイタルの曲目を載せました。オール・ショパンで、2つのノクターンop.37が入っています。これでショパンのノクターン全曲(遺作は別として)がレパートリーに加えられることになります。
レコーディングも近い・・・?と、期待が膨らみますね。

2005年03月13日 13:09

春の歌
♪春は名のみの風の寒さや・・・「早春賦」という歌が好きです。
本当は二月の立春過ぎの情景なのかもしれませんが、三月になって、陽射しは暖かく、もうすぐ春!と思えるのに、一歩外に出れば風の冷たさに驚く、そんな頃にふと口ずさみたくなる歌です。
そして曲想の違いはあれ、とてもよく似たモーツァルトの「春への憧れ」を思い起こします。暖かく明るい春を待つ純真な子供、そのままの瞳を持つモーツァルトを思い浮かべます。
このメロディーを使っているピアノ協奏曲第27番K.595は、ポリーニも大好きな曲。純粋な心、より良きもの、美しいものへの憧れ、そして、言い表しがたい悲哀、そう、音楽でしか表せない哀しみ・・・。モーツァルトのこの曲に何故か懐かしさを覚え、心から魅せられるのは、このような深み(或いは高さ)、個々の人間の感情を超えてしまっているようなものがあるからでしょうか。

このところマエストロがよく演奏するのは第21番K.467。もうすぐベルリンで、その後ウィーンでは弾き振りで演奏され、録音も予定されているようです。この曲の第2楽章の美しさは、もう思わず涙してしまうほど。昨年ミラノでのムーティと共演したスカラフィルの演奏会もステキなものでした(Webradioでお聴きになった方もいらっしゃるでしょう)。
インタビューで、マエストロは次のように語っています。
「この曲は、ニ短調の陰影の後に生まれた曲で、晴朗な、勝利の協奏曲です。特に第2楽章は絵のような美しさの、歌に満ちた曲で、『コジ・ファン・トゥッテ』の素晴らしい三重唱が思い起こされます。この作品は特にモーツァルトのイタリア・オペラに近いものが感じられますね。」
「モーツァルトの偉大さは、ハ長調の『ジュピター』やK.467、K.503の2つの協奏曲に表されます。様式の大きさを越えた偉大さです。」
「この時期にモーツァルトは交響曲を書きませんでした。『リンツ』(K.425)と『プラハ』K.504を書く間に、12曲のピアノ協奏曲を書いているのです。協奏曲の中に彼のシンフォニー的なもの(精神)が表されていると言えます。ですから、ピアノ・パートとともに、オーケストラも非常に重要なのです。」
「ニ短調の曲にはベートーヴェンが書いた素晴らしいカデンツァがありますが、この曲やこの時期の他のいくつかの曲にはモーツァルトのカデンツァが残っていません。(的確な)演奏をするのはとても難しく、しばしばぞっとするようなカデンツァもあります。数年前、サルヴァトーレ・シャリーノが、主要な曲に、完璧にモーツァルトのスタイルで素晴らしい作品を書いてくれました。私はこの協奏曲でそれを使っています。」
(モーツァルトの曲は見かけは易しそうに見えるが、との問いに)、
「しかし、音楽の難しさは、いつもそれが作曲家の個性、意識(感情)と結びついていることにあるのです。精神的な難しさを解決しなければ、伝えることが出来ず、実際に演奏をすることも出来ないのです。だから本当に、モーツァルトは非常に難しいのです。」
(聞き取れた部分だけです。大きく違ってはいないと思いますが・・・怪しい点も、多々あります^^; お赦しください)

ローマでのベートーヴェンのリサイタルは大成功だったようです。断片的ですが・・・
「正真正銘の勝利(成功)」
「べートーヴェンの真実の時であり、またポリーニの真実でもある」
「ヤヌスのように後ろに視線を向けてのベートーヴェンの“再発見”・・・彼の出発点はブーレーズの第2ソナタだろう。そこから遡り、後に戻りシュトックハウゼンの先、ウェーベルン、シェーンベルク、バルトーク・・・ついにべートーヴェンの衝撃的な世界に、まさに到達したのだ」
「“ハンマークラヴィーア”の演奏は、ベートーヴェンの楽譜と等しく明晰なものだった。出だしの力強い和音を思う―フォルティッシモでスタッカート、でもビロードのような。それから3声のフーガを思う、全く誇示することのない、だが不安を誘う鏡に映った幻想。そう、まさに“耳の聴こえない天才”のファンタジーを思う、ポリーニはそれを、“聴く歓び”の果ての、更に先へと導いたのだ。」
ポリーニの現在の“ハンマークラヴィーア”、なんだかスゴイ(もっと良い表現はないの?)ようです。聴きたいですね。

スケジュール表に曲目を書き加えました。ジェノヴァではショパンの作品9のノクターン、アテネとモデナでは、ベートーヴェンのソナタ第1番と第3番に、興味を引かれます。

2005年03月02日 00:22

光の春
少しずつ日脚は伸び、陽射しにもわずかに強さが感じられるようになりました。
あっという間に一年の12分の1が過ぎ、28日しかない二月は「逃げ月」とも言われますが、それならなおのこと、大切に一日一日を過ごしたいと思う今日この頃です。

「テアトロ・ヴァッリのシーズンはポリーニの演奏会で開始された。それはオール・ショパンのプログラムで、満場の聴衆を熱狂に誘うに充分なものだった」レッジョ・エミーリアの演奏会評がありました。(Gazzetta di Parma 1/24)

ショパン・コンクールの輝かしい優勝、その後の長い休養期間にふれ、「そこから新しい決然たるポリーニが現れ出て、演奏会を慣例的に聖なるものとすることを避け、熱心に過去の偉大な足跡を辿り、同じ熱意を持って現代(の音楽)の果敢な挑戦に参加しようとした」
「ここに彼の演奏のすぐそれと判る特徴があって、経験は―今ポリーニは60歳を少し過ぎた―濾過(純化)され、角が丸くなり、厳しさは和らげられつつあるが、決して(かつてのそれと)矛盾するものではない」
「演奏会は、明確な描き方でショパンの書法の諸要素を示し、そのことの明瞭な証言となり、またノクターンの変遷に基づいて構成されたプログラムの発想にも、それは明らかだった。ノクターンはショパンの創作(時期)の初めから終りにまで渡っていて、誤った感傷的傾向という誤解を、他よりも育むジャンルなのだ」
・・・Musica/Realta’の舞台となった町ならではのポリーニへの視点と思われます。

(演奏についてザッと見ると)ポリーニは、魅惑的なメロディーを、夢想や哀愁やメランコリー等々という性格から解き放ち、ドラマティックな逆光で浮き彫りにし、また澄み切ったメロディーの下で、長く続く造型を経て、彼の指により次第にはっきりと明瞭なものになっていく。それはまさに円熟した作品の中に、夢を充満させ、やがて炸裂して表れるあのテンションなのだ。ドラマティックなショパン。それゆえ他の大きな作品においては、更に決然と、その確信がまた表されるのである・・・。聴衆の熱烈な喝采に応えて、アンコールは雨だれのプレリュード、バラード第1番、そして白熱のエチュード4番。(曲の演奏評が難しくて、ちゃんと訳せませんでした。ゴメンナサイ)
本当に素晴らしい演奏会だったようです。ノクターンを中心としたプログラムを、日本でも聴かせてくれると嬉しいですね。

さて、もう一つ興味深い記事がLa Stampaにありました。“Le strane coppie della musica”(音楽の奇妙なカップル)という見出しで、Giorgio Balmasの発案で音楽家と他分野の音楽愛好家が対話する催しを紹介していました。
「これは私の白鳥の歌(最後の仕事)になるでしょう。多くの人々が呼びかけに応じてくれて、とても幸せです」と語るBalmasは、トリノでUnion MusicaleやSettembre Musicaという会を主催した人。若き日のポリーニもその招きを受けてトリノで室内楽やリサイタルを行い、ブーレーズやシュトックハウゼンなど現代音楽も手がけたのでした。
音楽を媒介にして、異分野の人々が対話し合うことで、それぞれ刺激を受け、視野を広げ、新たな視点を見出すことが出来るだろう、という提案に、ポリーニも喜んで賛同したことと思います。
「奇妙なカップル」はというと、アッカルド氏(大のサッカーファン)とサッカー監督のFabio Capello氏(大の音楽ファン)。バリトンのClaudio Desderi氏と労働組合の偉い人Sergio Cofferati氏。また、ジェフリー・テイト氏(指揮者)、マリオ・ブルネロ氏(チェリスト)、ミルヴァ氏(カンツォーネ)等も参加します。で、我等がマエストロは誰とカップルを組むのかといえば、物理学者のTullio Regge氏(トリノ大学教授、73歳)。ウゥゥゥゥゥム、難しい話になりそう・・・。でも、若き日に物理学を学び、時間が有れば続けたかった、というマエストロのこと、きっと楽しく、意義ある時を過されることでしょう。
催しの正式名称は“Convergenze parallele(平行線の集合)”、Rivoliという町で開催されます(日程は不明)。

演奏会の内容の予定変更がいくつかありました。
ローマでは室内楽から、ジェノヴァでは協奏曲から、それぞれリサイタルへ。
ベルリンでは曲目変更で、ショパンの協奏曲第2番からモーツァルトの第21番へ。
5月にウィーンで弾き振りをするマエストロ、この曲にかける意気込みが覗われます。
(でも、ショパンの2番も、いつかまた、聴かせて下さいね、マエストロ!)。

2005年02月1日 11:23

A stage full with flowers
アバドとポリーニの目に光るものが・・・解説の岩下真好さんの言葉に、胸が熱くなりました。二人のマエストロの音楽への感動と演奏する歓びが、目に見えるようです。
FMで放送されたルツェルン音楽祭における「ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番」、素晴らしかったですね。
澄み切って光り輝く音色で、鮮やかにリードしつつ、オーケストラとピッタリ息を合わせた、それより更に、心を通わせた演奏。オーケストラの名奏者達と互いに音を聴き合い、応え合って、緻密でありながらしなやかで暖かい演奏を聴かせてくれました。
オーケストラの編成はやや小規模だったようですが、圧倒的に心に迫る力のある演奏は、オケの個々のメンバーの力量の豊かさと、それを引き出しまとめ上げるアバドの指揮の力、それこそ“魔法の”力に拠るものでしょう。アバドの音楽に共鳴し、その元に集う音楽の仲間達・・・ソリストとして参加したポリーニも、その音楽観を共にして、深く心に訴える音楽を奏で、音楽の歓び―演奏する歓び、聴く歓び―を実感させてくれました。素晴らしい音楽家たちに、感謝!です。

22日、ポリーニはレッジョ・エミーリアで、今年の活動を開始します。これはこの劇場Teatro Municipale Valliの演奏会シーズンを開幕させるものでもあります。
「(ポリーニは)この町とその劇場には特別の感情を抱いている、そこでは、Musica/Realtaの伝説的な時期に、多くの喝采を受けたのだった」という文で始まるコンサート紹介がありました。
ポリーニの知的な演奏、超越的な技巧、感情に溺れぬ確固としたピアニズムを挙げ、それとともに音楽の歴史全てに通暁し、広大なレパートリーを持ち、豊かで、変化に富み、充実したプログラムを思慮深く組んでいると、紹介しています。

今回はショパンの夜想曲を柱としたもので、それらは「ショパン的なるものを生み出す一種の実験室であり、ロマン派芸術の新たな熱を測る敏感な検温計である」「ショパンの手によって、稀有な能力から生じる感情の詩的な仕組み、技巧と感情の貯蔵庫となった」。「この小さなピアノのジャンルが、ショパンと共に、いかにして知覚の場となったか、また無限と夢への切望に、絶望への沈降に、憂愁への耽溺に、大いに集中する時となったか」を、ポリーニの演奏は呈示するだろう。
その間に挟みこまれる他の曲、美しいバラード第3番は様々な多くの面の内にショパン独特の芸術を表し、スケルツォ第1番は“scherzoso”どころか、強烈な熱情と切迫したドラマ性を持ち、聴く者の心を打ち、深く感動させるだろう。最後のソナタは「並外れた作品で、時には力強く雄大で、時には悲哀に満ち、時には苦悩する、人間の心理状態の無限の段階がそこにある」。

一見、ショパンの美しい名曲の数々が並んだプログラム。けれど、ポリーニの手からは、きっと天上と地下の深淵を行き来するような、大きく深い、激しく心を揺さぶるショパンの世界が、そしてまた美しく詩情に満ちた優しい歌が流れ出すのでしょう。

このプログラムは昨年末に既にボローニャで披露されたものですが、その演奏会を聴かれたMartaさんのメールには、
「ボローニャのリサイタルも素晴らしい夕べでした。私は特に夜想曲を楽しみました。聴衆は熱狂的で、スタンディング・オヴェーション、舞台は花で一杯になりました。」
花束ではなく、手に手に花を舞台に投げ入れる、イタリア式の熱烈な喝采だったようです。きっと、レッジョ・エミーリアでも、また。

今回の更新は、スケジュール表に来日公演等を追加、バイオグラフィーに「1973年Reggio EmiliaでのMusica/Realta参加」を加えました。

2005年01月22日 18:40

羽ばたく年に
新春のお慶びを申し上げます。皆様、よいお正月を迎えられたことと存じます。

暖冬と言われていたのに、年末、東京は思いがけず雪になりました。ちょっと降るだけ?と思っていたのに次第に吹雪いてきて、一面、白い雪景色に。子供たちの賑やかな声がしていたと思ったら、いつの間にか雪だるまが出来ていたり・・・前に住んでいた町中より木や土が多いので、雪もきれいに積もり、冬らしい景色を眺められました。
掃除や買物など年末の諸雑事も外出の予定も取りやめて、忙中閑有りも良しと、暖かくした部屋で音楽を聴いたりしてノンビリ過しましたが、その後の2日は大忙しで、正月の準備に負われました。
大晦日は毎年恒例の「第九」(フルトヴェングラーも没後50年でした)を聞きながらのお節作り、聴き納めはやはりポリーニのピアノで「ディアベッリ変奏曲」。・・・と思いきや、家人が見ていたTVの「ジルベスター・コンサート」のラヴェル「ボレロ」が今年の締めくくり音楽となりました。

正月三が日は穏やかな晴天。何はともあれ、家族揃って元気に新しい年を迎えられたことに感謝です。聴き初めは、やはり家族で見たTVの「ウィーンフィル・ニューイヤー・コンサート」。ちょっとコワイお顔(ゴメンナサイ)のマゼールさんも、ヴァイオリン片手に楽しそうでしたね。
実は、お聴き初め用にと、クライバーの「ニューイヤー・コンサート'89」を楽しみに取っておいたのですが。で、こちらは昨日やっと聴けました(お正月って、主婦は結構忙しい^^;)。チャーミングな曲たちの、極上の演奏を堪能しました。
それにしても、クライバーの指揮のなんと優雅で美しく、楽しそうなこと・・・。こんなに楽しげに演奏するのに、なぜ、もっと舞台に立たなかったの、なぜ、もっと・・・。聴く者を、また演奏する者をも、魅了し、幸せにせずにはおかない彼の音楽。今は、こうして聴ける、観られることに、ただ感謝を捧げましょう。

さて、今年はどんな年になるのでしょう。
なによりもまず、平穏な年でありますようにと、天に、地に、そして海に、祈らずにはいられません。去年は大自然の猛威の前に、人間の小ささ、弱さを嫌というほど思わされました。今年はそんな小さな人間の持つ力、思考力や探究心や、知恵や勇気を有効に使い、この地球上で安らかに暮らして行きたいものです。
そのためにも、最も愚かしい行為である「戦争」などというものを一刻も早くやめて欲しいですね。かけがえの無い生命を失わせ、大地を破壊し、貴重な資源を無駄にする・・・それが地震や津波だけでなく、人間の行う「戦争」によってもたらされているのですから。
理想や希望や愛や連帯という熱い精神の代わりに、絶望や憎悪や破壊への欲望が闇のように心を荒廃させる戦争。そんな悪しきことのために限りある人間の力を費やすことの愚かさを、世界のリーダー達には早く判って欲しい。
2005年、なによりもまず平和が取り戻されるように、そして世界中の人が希望を持って羽ばたける年になるようにと、願わずにはいられません。

などと、長々しく書いてきたけれど、今日1月5日に言うべきこと、願うことは、ただひとつ。

マエストロ・ポリーニ、お誕生日おめでとうございます!
いつまでもお元気でご活躍なさってください!
また素晴らしい音楽を聴かせてください!

世界の片隅で愛を、イエイエ“おめでとう”と叫びましょう。
1月はいつも、ゆっくり休みをとって、月末にかけて演奏会を行うマエストロ。今年も2回予定されていますが、プログラムはオール・ショパンで、ノクターンが9曲も入っています。きっとレコーディングも進んでいる(終了した?)のでしょう。リリースを楽しみに待ちましょう。

ポリーニのディスコグラフィにショパンが無いなんて! 申し訳ないこととズ〜〜ッと思っていました。
というわけで今回はディスコグラフィ3(Chopin)をUPします。なかなか手をつけられなかったのは、どこから始めるかで迷っていたから。これまでは、協奏曲は別にして、作品番号の若い順に並べていたのですが。結局、録音の順にまとめることにしました。それもポリーニの音楽の歩みを、垣間見ることになるかもしれません。
ショパンのCDはいろいろ使い回されているので、なにか抜けているものなどあるかもしれません。気づかれたことがあれば、お知らせいただければ幸いです。

表紙の鳥(フェニックス・・・のつもりかな)の絵は、家人が年賀状のために描いたものを、使わせてもらいました。ありがとう、ネ。

2005年01月05日 11:43

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