夏の終わりはなんとなく寂しい(侘しい)気がして、センチメンタルになるのですが、今年は秋を待ち望む気持ちが強くて、嬉しい思いで九月を迎えました。
ノクターンのリリース、ポリーニ来日と、楽しみが一杯の秋。残暑も台風も選挙もなんのその、10月後半には落ち着いた日本になっていることを願いましょう。
などと、お気楽なことを書きましたが、アメリカ南部のハリケーンの大災害に驚いています。大自然の脅威の前に人間の小ささ、文明の脆さを思い知らされます。一刻も早い復興と平穏をお祈りします。
そしてバクダットでの大惨事。ここでも人間の弱さ、危うさを、悲しい気持で思わされます。黙祷。
今日9月1日。82年前の関東大震災。その天災と人災を、被害とそして加害を、否応なく想起させられます。
地球上の人が皆、平和で安全な社会で、安心して暮らすことができるように、願ってやみません。問題が山積している世界、日本もその解決に、誠実に力を尽くせますように。
今私に出来ることは何もないけれど、せめて「選挙権」をムダにせず、より良い選択をしたいと思っています。日本の社会にも、大切な問題が山のようにあるのですから。
さて、「ノクターン」についてDGサイトの表示が変っていたこと、気付かれたでしょうか。最初は“Gesamt”(全集)となっていたのですが、今は“18 Nocturnes”となっています。
CD店のサイトでは「ショパン:『夜想曲全集』(19曲)」とか「夜想曲全集 第1番 変ロ短調〜第19番 ホ短調」などとなっているし、HMVの紹介文では、「21曲ではなく、作品番号の付いた(ショパンの生前に出版された)19曲を収録していますが、このあたりのこだわりはいかにもポリーニならではといえるでしょう。」とあるので(この文自体は間違っているけど)、19曲の全集と思っていたのですが・・・。
ピリスの「全集」は21曲、ルービンシュタインの「全集」は19曲。けれどポリーニはop.62までの18曲にして、「全集」という字を外したのでしょう。でも、あるインタビューで「もちろん『全集』を録音します」と言っていたので、彼自身は、これで「全集」と考えているのだと思います。
op.72は作品番号はあるけれど、実はショパン17歳の時の作曲で、死後(1855年)友人によって出版されたもの。聴いて(ルービンシュタインで)みると、美しい“ショパン的な”曲だけれど、全集の最後、op.62の後に置くのは・・・「?」と思ってしまいます。
やはり「このあたりのこだわりはいかにもポリーニならではといえるでしょう」。そう思って改めてジャケット写真を見ると、確信に満ちた、深い思いを秘めたマエストロのお顔です(*^^*・・・ミーハーでスミマセン)。
それほど、晩年(後期)の作品op.55、op.62は、洗練され、豊かで美しく、充実した内容の曲達。ポリーニの手から、どんなに魅力的な音楽となって響き出てくることでしょう、本当に楽しみです。
ここ数日、ルービンシュタインで「夜想曲」を、アシュケナージ(とシュナーベル)でベートーヴェン初期のソナタを聴いたりしています。予習のつもり、それに待ち切れないのとで。以前は、あまり馴染みのない曲を他のピアニストで聴くと、“刷り込み”がコワイような気がしましたが、近頃は、もう大丈夫。ポリーニの圧倒的な演奏は、さらに素晴らしい音楽の世界を呈示してくれる、と確信しています(勿論、ルービンシュタインもアシュケナージも、良い演奏なのですが)。ポリーニなら、どう弾くかな?なんて想いながら聴いています。
夏休みの宿題(?)「Discographyの完成!」はやはり、未完成となりました。でも、一部だけでもと、“Liszt & Brahms”をUpします。残りはマエストロ来日までには・・・と思っているのですが。