11月は日本全国(?)晴天で明け、朝から掃除・洗濯しながらもニコニコ、ソワソワの私。
夕方、オペラシティへと急ぎ、早く着きすぎてちょっと一休み(ウサギか!?)して戻ると、もう長い列。すでに並んでいらしたおじさん様たちの中に混ぜていただき(後ろの方々、ゴメンナサイ)無事前の方に座ることができました。
会場には演台に4本のマイク、後ろにピアノ。周囲にはマイクやスピーカーのセッティング。3日の演奏のリハーサルを(今日か)明日するのでしょう。
やがてポリーニ登場、グレーのスーツにブルーのシャツ、渋めの赤系のネクタイ、間近に元気そうな笑顔を見て、嬉しさが込み上げてきます。今日はアンドレ・リヒャルト氏を交え、司会の岡部真一郎氏、通訳の岡本和子氏の4人でシンポジウムが始りました。第一部60分、休憩10分、第二部60分という予定です。
まずポリーニから今回プロジェクトで取り上げる3人の作曲家の1950〜70年代の活動の概説があり、それがシェーンベルクらが開いた道―調性を超える(beyond)、全ての音(12音)を同等に扱う―を更に進めるものであり、しかし技法の改革そのことより、そこから生まれた音楽が素晴らしいか否かが大切だということでした。
画家のカンディンスキーの言葉を引いて、芸術には表現すべき内容と様式(form)があるが、様式は内なる必然性によって決定される、それが芸術の本質である。作曲家の語法は何を表現するかにより決定される、そして演奏家はそれに忠実でなければならない、ということでした。
次に、現代の音楽では音とノイズの違いもなくなり、音と音の間―響きと沈黙―の関連も重要ですべて音楽として捉えられる、として、シュトックハウゼンのピアノ曲7番の一部を弾き、けれどこの「間」はベートーヴェンも用いているとして、「エロイカ」第2楽章テーマをサラッと聞かせてくれました。
もう一つの特徴は、音楽が幅広い音域で動くこと。ベートーヴェンも試みている、としてソナタ27番第1楽章、次にブーレーズの2番を少しずつ弾いてくれました。
次にこのシンポジウムの本題といえるノーノについて話は進みます。ヴェニスで1966年初めて会い「森は若々しく生命に満ちている」の初演を聞いて感銘を受け、ピアノ曲を作ってくださいと頼んだところ“幸いにも”2曲作曲してくれたこと。60年代からエレクトロニクスを作曲に取り入れ、また強い政治的関心から、学生、労働者、またカストロなどの左派的な言葉をテキストとした政治的メッセージの強い作品(「森は・・・」)を生み出したこと。(そしてその問題は現在でも意味を失っていない。)だが、それはテキストを通じてインスピレーションを得て音楽となったのであり、ポリーニ自身が芸術作品として優れているからそれを取り上げたいと思う、と。
(明日のプログラムにテキストの訳文も掲載されるようです)
次の時期はオペラを作曲し、「AL GRAN SOLE CARICO D'AMORE (愛に満ちた太陽の光の中で)」がミラノでアバドによって初演され、次いで「...sofferte onde serene...(苦悩に満ちながら・・・)」が作曲された。この時ポリーニがピアノ音源を提供し、ノーノが手を加えたものがテープとして用いられていると、作曲家とアバド、ポリーニの強い絆を思わせられる話でした。
80年代からの最後の時期については、ノーノの作曲に密接に協力し、新作の指揮を行なったリヒャルト氏にバトン・タッチです。
ノーノはテクノロジーに非常に関心が高かった。テープは音を変容させて素材を生かしていく、またテープ、スピーカーを使って発せられる音とその方向を自在にし、空間を利用した音楽を作り上げた。それは多方面から音が発せられ、人に向っていく現代社会を表すかのようだ。実際、ノーノと一緒に車の通らないヴェニスの町を歩くと、人の足音が近づいたり、遠ざかったりする足音だけの芝居を、耳で体験するように思われ、そんなことも空間を意識した彼の作品に繋がっていると考える。
(ここでポリーニが発言し、中世のヴェニスのガブリエーリという作曲家にも空間を盛りこんだ作品がある、と。)
ヴェニスの教会で初演された「プロメテオ」は、4つのオーケストラが客席を囲み、ソリストグループ5、スピーカー12が配置された多音源の作品。また様々な芸術を融合させたもので、建築家レンゾ・ピアノ氏、哲学者マッシモ・カッチャーリ氏、文学者の○○○氏(?)も関わり、特にピアノ氏の作った音響空間は興味深いものだった。ノーノは視覚情報の強さから解放される空間、聴くことだけに集中できる空間を望み、ピアノ氏は巨大なヴィオラのような空間を作った。床に反響板を置き、客が座る。上のギャラリーから演奏が降って来る、それを足の下からも体感できるという、360度音に満たされた空間だった。
ノーノの死後、親交のあった磯崎新氏が秋吉台にホールを作り、この作品が日本初演されている。
リヒャルト氏は最後に、ノーノはテクノロジーに非常に関心があったが、それは目的ではなく彼のポエジーを実現する手段、音楽表現の手段だった、と強く語っていました。
ポリーニからノーノの人柄について。彼は自由な考え方で、一切偏見のない人であり、保守的な考え方とはほど遠い人だった。また好奇心が非常に強く、様々な事柄について話したが、全く予想もつかないような考えのできる人だった・・・敬愛のこもったポリーニの言葉でした。
最後に「...sofferte onde serene...」のピアノ部分を一部弾いてくれました。時々「ここで待たねばなりません」とか「ここにテープ音が高音から低音にかかります」とか説明しながら。
テクノロジーはそれを手段として音楽の実現へ向うもの、政治的テキストはそこから生まれるインスピレーションが音楽を生み出すもの。音楽として価値ある素晴らしいものなので演奏していきたい、というポリーニの言葉を強く受け止めて、明日に臨もうと思わされました。
第二部は「Abbado - Nono - Pollini ; A Trail on the Water(海の航跡)」というフィルム。クラシカで放映されたものでご存知の方も多いことでしょう。大きな画面できれいな映像、なにより多音源の上映で、迫力あり、見応えがありました。
後ろの方で一緒に見ていらしたマエストロ。多くのファンに話しかけられ、握手を求められ、にこやかに応えてくださいました。(私も握手していただきました(*^^*)でも、ナンにも言えなかった自分が悲しい・・・。)
講演会では明晰な言葉で強く熱く話されたマエストロ、でも会の終りにはややお疲れのご様子でした。長い飛行機の旅でお疲れだったのでしょう。ゆっくりされて、明日は素晴らしい演奏会となりますように。
以上メモをもとに記しました。自分でも読めないような乱雑なメモで、まとまりの無いものになってしまい、申し訳ありません。おじさん様、ともママ様(ありがとうございます!)のご感想と併せて、参考にしていただければと思います。