時々の雑記帳

音楽のこと、ポリーニのこと、日々の雑感を、
時々(気まぐれに)、書き入れます。

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このほかの日記帳はこちらを、すぐ前のものは「夏」7〜9月を、次のものは「冬」1〜3月をご覧ください。

(10月〜12月)

今宵もノクターン
夕暮れの西空に宵の明星(金星)が輝き、夜更けとともにオリオンが高く登り、シリウスの煌きが冴えてくる・・・東京では数えるほどしか星も見えませんが、それでも空気の澄んだ冬の夜空はきれいです。明日も天気にな〜れ! 一夜明けると空気は乾燥し、冷たい風が吹き荒れていたりもしますが、やはり晴天は嬉しく、ことに師走の主婦にはありがたいものです。
今年は早くから大型の寒波が日本を襲い、何十年ぶりかの長く寒い冬となりそう。大雪も日本各地に及び、雪による思いもよらぬ被害も出ていますが、皆様のお住まいの地はいかがでしょう。ご無事で、お元気でいられるよう願っています。

今年もマエストロ・ポリーニから、大きな喜びを受け取ることのできた年でした。
新譜「ノクターン」という贈り物。ショパンのノクターンは美しい曲であると知っていたし、ポリーニの演奏は素晴らしいと判っていたけれど、ここまで感銘深いものであるとは想像もできませんでした。
若き日の“完璧”といわれた「練習曲集」はあたかも高い峰の頂に(登攀の苦労もなく)朝日を浴びてスックと立っているような印象でした。これ以上何を?といわれながら(日本のキャッチコピーですが)更にたゆまぬ歩みで幾つもの峰を征してきたポリーニ。今、ついに究極の地に到ったのではないかとさえ思わされます。その地は高峰というよりは肥沃な広い土地、豊かに花が咲き、清い水が流れ、涼やかな風の吹く美しい地“ユートピア”。それは彼がショパンの音楽の奥深く探求し、彼の全ての力を注ぎ込んでここに現出させた、奇跡のような美の世界。ファンとしてその地に憩うことのできる幸せを思います。ポリーニ自身は憩うよりも、更に先へ進もうとするかもしれないけれど、でも、この曲集に込められたショパンへの尊敬、その音楽への愛は、きっと常に彼の拠りどころとなるでしょう。

そして勿論、今年の来日公演です。
MUSICA NOVAに「特別な一夜」と題したプロジェクトの評があり、レクチャーとフィルムを経て、周到なプログラムの構成に従って、その特異な音響世界に心身ともに慣れさせ、ノーノ「森は若々しく命に満ちている」の演奏へと聴衆を導いていく、その有り方はポリーニ自身の周到で万全を期した演奏そのもののようだった、と(いうような文が)ありました。
十分に考え抜かれた、彼の思いの込められた公演は、ノーノとその音楽への敬愛の表れと思われますが、それとともに現在の世界へのポリーニ自身の強い思いの表明だったのでしょう。べトナム戦争の時代に作曲されながら今なおその衝撃性を失わない、否、失い得ない、このイラク戦争という時代に、原爆を受けた日本で演奏するポリーニの思いを、私はしっかりと受け止められたのだろうかと自省しています。1回きりのプロジェクトはそれだけ重みのある一夜だったと理解できていたのかと。
そして2つのリサイタルは、ベートーヴェンでもショパンでも示された作品の多様性、作曲の革新性、作曲家の円熟とが、現在のポリーニの音楽家としての在りようにピタリと重なったものでした。一期一会ともいえる音楽会に立ち会えたことに感謝!です。

今年の日本。「小泉劇場」という言葉が2005年の言葉に選ばれ、コイズミ・チルドレンなるものが大量に発生しました。政治というより社会現象のような国政選挙。社会では、幼い子供を襲う異常な事件の発生。生きるうえでの基盤となる、人が一番安らぐはずの住まい、建物をめぐる偽造・欺瞞。ITに関るミスによってひき起こされる経済や社会の大混乱。社会の崩壊は震度5を待たずにもう起こっているかのようです。その上、憲法改正の動きも活発化している現在の日本。「平和」というこの国の憲法の鉄筋を、いつの間にか減少させてきたのは誰? ・・・私達、有権者一人一人というほかありません。

来年はどんな年になるのでしょう。
世界に平和と喜びのある、明るい年になりますように。
落着きと思慮深さのある社会、優しさと思いやりが溢れた社会になりますように。
そんな社会に、ポリーニとアバドとルツェルン祝祭管弦楽団を迎えたいと思います。

皆様、今年もいろいろお世話になりました。ポリーニを聴く時を共有できたこと、多くのご意見、ご感想、情報をいただき、ともに楽しい時を過ごすことができましたこと、深く感謝しております。
どうぞお元気で、良いお年をお迎えください。
また、1月5日に、お会いしましょう! Arrivederci!

2005年12月28日 19:30

最後の一葉
朝の冷え込みがきつくなり、風の冷たさが身に染むようになりました。窓から見える桜や山法師の木も、風に紅葉をさらわれて冬木立へと姿を変えていきます。風の音がカラカラと聞えるなんて、今まで知りませんでした。足もとには分厚い枯葉の絨毯。踏みしめて歩きながら、秋が終ってしまったことをしみじみ感じさせられます。
カレンダーも最後の一葉、本当に時間の経つのは早いですね。今年は11月のマエストロ来日に気持ちの照準を合わせていたので、もう後はオマケの時間、という感じですが、現実生活ではこれから忙しくなりそうです。このところボ〜ッとしがちな私、気を引き締めていかなくては。

ゲストブックでお願いしたことですが、今回は「2005年の記録」として、皆様のご感想をまとめてコンテンツにさせていただきました。公演日ごとに、寄せられた演奏へのご感想、公演に関するご意見や話題を、殆どそのままに載せました。ご協力に感謝いたします。

「ハンマークラヴィーア」について、おじさん様から後に寄せられたご意見も載せるべきかと思いましたが、「11月6日」としてのご感想をいただいているので、今回この「記録」には含めませんでした。でも、これは大きな問題ですね。私もいろいろ思いを巡らせ、いくつかの「ハンマークラヴィーア」の録音を聴きました。
若い頃の超早い演奏、ライブの熱気に溢れた演奏、大伽藍の聳えるような確固たる演奏。いずれも70年代の演奏ですが、パワーに充ち、技巧の冴えも鮮やかな、それぞれに素晴らしいものでした。若き日に頂点を極めたかのような「ハンマークラヴィーア」。
でも、そこに安住せずに、さらに音楽の核心に迫ろうとしてきたポリーニです。ベートーヴェンの音楽が奥深く内包するその“真実”ともいうべきものを、今こそ提示しようとするかのように、熱く演奏するマエストロ。そして実際、年令を重ねた今だからこそなし得る豊かな、充実した、深みのある演奏を、今回の演奏に聴いたと思っています。
以前読んだ熊本マリさんの文(談)に、ポリーニの知人からの話として
「とにかくひとつのフレーズを何回も何回も練習する人だそうです。たとえば『ペトルーシュカ』の第1楽章の冒頭のフレーズでも、100回ぐらい繰り返していたそうです。」
とありました。どんなテンポで、タッチで、音量で、どのように表現するか、徹底的に追究するのでしょう。
「ハンマークラヴィーア」の大切な出だしも、どんなに“練習”を重ねたことか。ベートーヴェンの極めて早いテンポへの要求に、果敢に「自分の限界の速さ」で応じた今回の演奏。曲に相応しいテンポと、音量と、ホールやピアノの状態、ご自身のコンディション、全てを考慮して選び取られた奏法だったのだろうと思います。
ブリュッセル、ボローニャ、アムステルダム(今回プログラムを載せました)、ウィーン。この大きな曲へのマエストロの探求と挑戦は、更に続くのでしょう。もう一度聴きたい・・・いつか再レコーディングとして結実することを願いながら、この秋の東京で聴けたことの幸せを、かみ締めたいと思っています。

2005年12月05日 11:40

秋深し…
ポリーニの公演が終って10日・・・急に寒さの増した今日この頃、あの公演後の熱気を、上気したファンの方々の顔を懐かしく思い出します。毎日の雑事に取り紛れて、あの感動も次第に遠ざかっていくのかと思うと寂しいけれど、来年、またマエストロに逢える!という希望を遠くに掲げて、近くには「ノクターン」を座右のCDにして、心に灯を点しながら日々過ごしている私です。

既にお読みになったかと思いますが、音楽雑誌の新刊には「ノクターン」評が載っています。
「レコード芸術」では『特選盤』。当然のことと思いながらも、濱田滋郎、那須田務両先生の推薦の文章を嬉しく読みました。「音楽の友」では、小畑恒夫、平野昭両先生が『今月の1枚』に揚げています。「音楽現代」は青澤唯夫先生による推薦。
公演評や写真はまだ雑誌には載っていませんが、新聞評を2つ見つけました。毎日新聞11月8日夕刊、読売新聞11月15日夕刊、ともにプロジェクトUの評です。リサイタル、特に大阪公演評があれば読みたいのですが、こちらでは無理かもしれませんね。

来年のルツェルン祝祭管との公演、TICKET CLASSIC誌で、記者会見の写真を見ました(葉子さん、ありがとうございました)。産経新聞(13日)にも載っていて、「ブラームスの第2番は室内楽的な要素も多く、名ソリスト達との共演が楽しみです」(というような)ポリーニの言葉が紹介されていました。
「夢のよう」と思っていた公演だけど、すでにシリーズ券も発売され、現実のものになっていくのは嬉しいことです。でも、とってもシビアな現実・・・。梶本音楽事務所の広告(「音楽の友」誌)によれば、協奏曲の日のチケットはS:45,000 A:38,000 B:31,000 C:24,000 D:15,000 プラチナ50,000。リサイタルの方はこれまでと同じです。ウ〜〜ン、寒風が身に沁みるなぁ(って、一般発売は5月の予定ですけど)。

さて、今回の更新では、過去の演奏会について、新しい事実が判明しましたのでお知らせします。
1978年札幌公演について、Takanori様から驚くべき(!)事実をお知らせいただきました。
「プログラムB:ベートーヴェンのソナタ第25番op.79、第27番op.90、第29番op.106」となっていましたが、実は第28番op.101を含む4曲だったそうです。どこかで記録が誤って伝えられて、そのまま来てしまったのでしょうか。
もともとはプログラムAと同じ後期の3曲だったところに、急遽、第25番op.79が追加され「最初にウォーミングアップのように弾きました。」とのこと、凄いですね!
このBプロ、なんだかヘンだなぁと、思っていたのです。私はop.101が大好きなので、op.79と入れ替えられているのがちょっと悲しい・・・と。でも、この事実を知って、納得したという以上に感動(聴いていないのに)してしまいました。そして、実際、大きな感動を呼ぶ素晴らしい演奏会だったようです。アンコールにはバガテルop.126-3が奏されたとのこと。
Takanori様、貴重な情報をお教えいただいて、本当にありがとうございました。

スケジュールも沢山付け加えました。2006年、ポリーニは1年間に亘ってウィーンでプロジェクトを行ないます。
“Pollini Perspektiven”略して“PP”。コンツェルトハウスを中心に、ムジークフェライン、アン・デア・ウィーン劇場も使用して8回の演奏会です。
いずれ「ポリーニのプロジェクト」として纏めようと思いますが、今回はスケジュール表に詳細を載せました。ポリーニの意気込みの感じられるプログラムを、ご覧になってください。
それから、削除した日程が一つ。この11月のマチェラータの予定はありませんでした。私が何か読み間違いしていたようです、すみませんでした。日本から戻ったマエストロ、今月中はノンビリと過ごして、疲れを癒されるといいですね。

2005年11月23日 01:07

ショパン in 大阪 11月12日
初めての大阪の町、やっぱり人が多いワ。迷子になってはいけないとタクシーでホールへ。渋滞していた車が次々と角を曲がると「みんなシンフォニーホールに行くようでんナ。ナニがあるんです?」と運転手さん。「ええ、ピアノなんですけどね」「・・・で、東京からでっか?」半ば呆れたような顔をされたけど、しょうがないですね。
ポリーニの今秋来日の最終日。東京にいてもきっと落着かないと思って、最後まで聴くことにした私です。

ザ・シンフォニーホールは、横の広がりのあるサントリーホールに比べると、まとまりのある空間という感じがします。ここにどんな音が響くのか、とても楽しみです。まずピアノを確かめに1階へ。fabbriniの金文字があります、良かった!
私の席は2階舞台奥、席に付くとピアノが思ったより近くに見えます。ピアノの頂点の脚が舞台の迫(せり)の線のすぐ外にありましたが、それが奥まった配置の一つの理由なのかもしれません。ここでは東京とは違って学生さん達は座らず、ポリーニとそのピアノだけの舞台。この方が落着くけれど、各地で聴衆を舞台奥に座らせているポリーニご本人には、どうなのでしょう。
開演時間が近づくにつれ、ホールは満員となり、臨時席、立見席もギッシリ。中ほどの端に空いていた二席に、やがてポリーニ夫人とファブリーニさんが着席し、いよいよリサイタルの開始です。

しっかりした足取りで登場のマエストロ。静かに始まるノクターンop.15-1は、はじめ音も表現もやや控え目?と思ったけれど、中間部の激しい低音部になると、私の席では迫力一杯で、あ、席によって違うんだ!と思い、その後高音部にも耳を凝らして聴きましたが、クッキリした美しい音色に思われました。
音についてはピアノの表側(正しい?位置)で聴かれた方のご感想を伺いたいですが、精緻な弱音も美しく、低音部の重量ある和音の連打も、この席ではダンゴのようには感じませんでした。手は見えないけれど、足がよく見える席で、ペダル操作を目にしながら聴くのも興味深いものでした。もっとも、殆どマエストロのお顔にくぎ付けでしたが。9日には、穏やかな、ショパンを弾く幸福感さえ覗える右顔でしたが、左斜め前からは、より思索的な、集中力の高さを思わせる表情に見えます。
2曲目も美しく、3曲目の深い表情のノクターンも素晴らしかったです。かそけき音、とでもいうか、弱音を、本当に大切に愛情込めて弾いているのが判る演奏でした。
拍手なしですぐバラード3番、ノクターンで秘めていたものを解き放つような、大らかさを感じさせる演奏。拍手を受け、一旦退場。
op.48は、熱い感情を十分に伴った第1曲、暖かい愛情のこもった第2曲とも、ゆとりある美しい演奏でした。
前半最後のスケルツォ第1番は対照的に、緊張感に満ちた演奏でショパンの激情を露わにしたものとなりました。

休憩後はノクターンの傑作を続けて4曲。どれも素晴らしい演奏でした。音のブレンド加減も、タッチのニュアンスの豊かさも、フレーズの歌い方も、吟味された本当に美しい演奏でした。op.62-1のトリルの美しかったこと。最後の曲の旋律は、心に染み入り潤すような、絶妙な歌でした。ショパンを聴く幸せが、ポリーニを聴く喜びと重なる至福の時。
ポロネーズ第5番は、早い!早過ぎ?というテンポで始りました。そこに重量感ある低音が響き渡るので(私の席では特に)、圧倒される思いでポリーニの熱い演奏に見入りました。最後の音が消える前に大喝采。ポリーニも立ち上がって応えてくれましたが、これはこれで自然なことに思えました。
「英雄」ポロネーズもその輝かしさ、美しさ、大きさ、重さ、緊張力、それら全てを統合して表現した素晴らしいものでした。もっと(ド)派手に弾く人、もっと大きな音を発する人もいるかもしれない、もっとキレのある(若い日のポリーニのように)演奏もあるかもしれない。けれど、このように全ての要素が統合され、理想像が現れることは、ましてそこに魂が吹き込まれることは、滅多にあることではないでしょう。ブラヴォーと嵐のような大喝采。

アンコールはまず「雨だれ」、「バラード1番」、「革命」そして「練習曲4番」。特にバラード1番の落着いたテンポ感、十分な目配り、こころ配りに支えられた熱っぽい演奏は、私が今まで聴いた中で“ベスト!”と言いたいほどでした。
ホール中のスタンディング・オヴェーションに応えて何度も舞台に出て来てくれたマエストロ。私の席ではグルリと振り返って答礼される笑顔を拝見するだけでしたが、振り仰いだ素敵な笑顔を、胸にしっかり収めました。
本当にありがとうございました、マエストロ! お元気でご活躍を! 来年も、お待ちしています!!

ここまで来たからには最後まで(?)と、おじさん様に教えていただいて楽屋口でお見送りもいたしました(ミーハーでスンマヘン)。でも、大阪のファンも熱く、すでに黒山の人。30分ほど待って、「マエストロはサインはしません」と告げられても誰も動く人はありません。やがて楽屋口から出てきたマエストロを皆で拍手で送りましたが、私には頭の先がちょっと見えただけでした。前の方にいた方曰く「後光が射してはったワ」(拝めて良かったですね〜)

翌日は、秋の京都で紅葉を眺めて、帰京しました。これで、私の今年はオワリ・・・という、今の気持です。

2005年11月14日 15:45

ショパン 11月9日
昨日は朝から小春日和の良い天気、きっと幸せな音楽会になりそう・・・。
ホールに入り舞台のピアノに目をやると、Fabbriniの金文字が目に入る。あの輝かしい音でショパンが聴ける! 期待感で一杯になる。
1曲目のノクターンop.15-1の第1音から、よく通る美しい音色に、やっぱり今日はピアノもポリーニもとても調子が良いと感じられた。テンポはちょっとゆっくり目、やや控え目(?)と思ったが、中間部とのコントラストが鮮やかで、優しい旋律を味わいつつ聴いた。演奏しているポリーニの表情も柔和で幸せそうに見える。1、2曲目はEMIのCDで若い頃の演奏が聴けたけれど、今のポリーニの演奏は大きく違う。感情のこもった味わい深いものだ。3曲目は新譜で聴いてその魅力に捉えられた1曲、ライブで聴けることの幸せを思う。本当に心に染み入る演奏だった。
一旦退場し、登場、(遅れて席に付く人がいるのを見て?)また退場、再登場すると礼をせずにピアノに向かい、すぐにバラード3番を弾き始める。それだけ集中力が高まっているのだろう。力強く明るく、気宇の大きな世界が広がっていく。その大きさは次のop.48-1のノクターンに受け継がれる。夜の密かな想いは深く、抑えきれぬほどの大きな悲哀は闇の中を疾走していく・・・誰のもとへ? その答がop.48-2かもしれない、ポリーニは間をおかずに奏し始める。静かな悲しみに満ちた曲、優しい慰めに満ちた演奏。ポリーニが「同じ作品番号の曲は有機的関連のもとに発想された」と語る、その一つの例なのかもしれない。
前半の締めくくりはスケルツォ第1番。緊張感の漲る、怒涛のような演奏だった。中間部の歌の美しかったこと。

休憩時にファブリーニさんは舞台に表れなかった。6日はポロポロと高音部を整えていたようだったけれど、今日のピアノは“Va bene!”なのだろう。
「マエストロ・ポリーニの一番すごいところは、普通なら一晩弾いたピアノは、終わりには状態が悪くなるはずなのに、弾けば弾くほど、ピアノからもっと良い可能性が出て鳴り出すんだよ」
という彼の言葉を読んだことがあるが、今日のピアノもそうなるのだろうか。

後半のノクターンはショパン後期の傑作、珠玉のような作品だ。抒情性、幻想性豊かに、それぞれが個性的で美しい。緻密で繊細でありながら大きな広がりを持ち、円熟の書法を尽くしながらとても自然に響き、真っ直に心に訴えかけてくる。ポリーニはここでも4曲を続けて演奏した。ショパンの魂のこもった曲を、一途に、心を込めて演奏するのに、間など入れられないとでもいうように。粒立ちのよい美しい音、麗しいトリル、ニュアンスある細やかなピアニッシモ。大好きなop.62-2を聴き終えた時の幸福感を、私は忘れない。
演奏会も終わりに近づいてきた。満足感と言い知れぬ寂しさと。いよいよ、ポロネーズが始まる。力の漲る5番、若い頃からの“十八番”を、今のポリーニはどう演奏するのだろう。以前より少し痩せたマエストロだったが、やはり、力に満ちた、重厚な、なにより深みのある演奏だった。体力よりも、精神の力、真実に迫る力が、優れた演奏の源なのだろうか。やや早めだったので、夢の中で花が開くよう、とその美しさを思っていた中間部のマズルカは、活き活きとした煌きのある美しさだった。圧倒的な名演、今日の白眉というべきか。
ここで大きな拍手をしたいところ。実際私の周りではその気配があった。でも、ポリーニはすぐ続けて「英雄」を弾き出す。5番の昂揚をそのままに、いや、更に高めて行き、圧倒的な技巧を駆使し、全てのパワーを注ぎ込み、躍動感あふれる壮大な大理石像のような「英雄」となった。圧巻だった。大喝采。聴いているだけで心臓はドキドキし、熱くなってしまった私だけれど、ポリーニはどんなにお疲れだったろう。でも、弾き終えての笑顔は充実して輝いて見えた。いくつもの花束が贈られる。

アンコールは「雨だれ」。クッキリと旋律が歌われる美しい演奏だった。次に「バラード1番」。ああ、やっぱり、ポリーニのアンコールだ、と嬉しい。落ち着いた美しさの演奏。次に「革命」。ポロネーズ2曲、バラードの後で?とビックリ。今日はノクターン8番は?と思いつつ拍手を続けていると、最後に練習曲op.10-4。東京での最後の夕べに、サービス精神を発揮してくれたのだろうか。ありがとうございました、マエストロ。 ホールが明るくなってからも拍手は止まず、ポリーニは何度も舞台に出てきてくれた。素晴らしい笑顔を、ちょっとシャイに染めて、でも満足そうに輝かせて。

ところが、サービス精神は、別の形でも示されたのだ。新譜「ノクターン」へのサイン会。1%の可能性(?)に賭けて、家から購入したCDを持参していた私。ホールで買った人を想定してのものだったろうが、想定外の私も列に並ばせてもらった。長蛇の列。係りの人がCDや解説書を並べて、ポリーニが黙々とサイン、別の係りの人が返すという方法で、握手、言葉を交わすなどということはできなかった。それをしていたら、夜が明けてしまうだろう。さぞお疲れだったろうに、セッセとサインしてくれたマエストロ、本当に本当に、ありがとうございました。

2005年11月10日 15:13

ベートーヴェン 11月6日
今日は小夏日和とでもいいたいような暖かい陽射し。ああ、昨日がこんな日だったら良かったのに・・・。
昨夜は生憎の雨の中、ベートーヴェン・プロを聴きにサントリーホールへ。でもホールは熱気で満ちていた。現代音楽のプロジェクトを経て、いよいよポリーニのベートーヴェンを聴ける!
舞台上のピアノ、あれ、Fabbriniの字が無い? イタリアから来たピアノはこの寒い雨で調子が出ないのかしら・・・日本の気候に馴染んだホールのピアノの方がベターだったのだろう。

一方、イタリアから来たピアニストは体調も良いようで、席に付くや否や弾き始める。1曲目はソナタ第1番。出だしは音が少し明瞭でないように思えたが、主題が繰り返される辺から調子が出てきたようだ。早めのテンポが緊張感を生む力感ある演奏。弾き様によってはモーツァルト的とも思われる曲が、しっかりベートーヴェン的であることが判る演奏だ。第2楽章は優しく美しい。軽く洒落たはずのメヌエットはちょっと力強くスケルツォ風。すぐ続けて第4楽章。躍動感ある主題と愛らしい歌が交互に表れ繰り返されて、時に長くてシツコイ(?)と思わされる(私だけ?)こともある曲だが、ポリーニのテンポではダレることなど無く、prestissimoで弾ききった。

拍手に応えて一旦退場、でも休む間もなく登場すると、また座るや否や何気ない感じで弾き始める。明るい楽想の曲を力強い低音と、キラキラする高音で華やかに弾き進め、カデンツァでの協奏曲風の“大きさ”も見事に聴かせてくれた。第2楽章は対照的に静かな瞑想的な曲だが、殊更には思い入れのない自然な、けれど心の籠もった演奏。速めのテンポのスケルツォは諧謔性豊か、すぐに続くロンドのフィナーレは、生命力溢れる躍動感と爽快さを持ち、これぞ若きベートーヴェン!と思わされる演奏だった。
初期のソナタといっても、決して技巧的に容易ではないだろう4楽章制の2曲。50分ほどをほとんど一気に弾き切って、創作への意欲溢れ、自己の新たな道を開いていく、若き日のベートーヴェンの肖像を示してくれた。

休憩後は待ちに待ったハンマークラヴィーア。ポリーニのキャリアの最初期から、そしてずっと繰り返し取組んでいる曲だ。'76年の名盤はあるけれど、今のポリーニはどんな演奏を聴かせてくれるのか、とても興味があった。
空想を膨らませていた私には、開始の和音はもっと燦然と輝くかと思われたのだが、力強い和音で始まった曲は次第に調子を上げ、テーマが返ってくる頃には、まさにその輝きに溢れた音となっていた。全身全霊で曲に取組むポリーニは、時に大きな息遣い、唸りを伴い、椅子の上で跳ね、腰を浮かせてフォルティッシモを奏する。なんという大きな曲。
第2楽章、短いがウィットと諧謔性が詰め込まれた曲を素敵に聴かせてくれた。そして珍しく間を取って始まる第3楽章、しなやかな優しいタッチから深々とした歌が流れ出してくる。美しい響き。こんなに心に染み入る演奏が有っただろうか。第4楽章、巨大な曲と真正面からぶつかり合う大きなピアニストの姿だった。かつての録音ではまるで大伽藍のような構築的な演奏と思われたが、ここに聴くのは、壮大なエネルギーの大星雲とそこに煌めく星々を想わせるような演奏だった。
ベートーヴェンの宇宙。後期のベートーヴェンの素晴らしさ、凄さを、改めて知らされた演奏だった。

さすがにお疲れの様子のマエストロ。きっとアンコールは無しと思われたし、ご本人もそのつもりだったかもしれない。でも、鳴り止まぬ拍手に応えて、バガテルを2曲(op.126-3と4)。最後の曲の素朴な愛らしい歌が、温かく心に残っている。ありがとうございました、マエストロ。

2005年11月07日 16:36

プロジェクトU 11月3日
いよいよプロジェクトUの日。ポリーニの熱心なレクチャーの後では、苦手な現代音楽も我々現代に生きる者にとって身近なものだと思えてくる。とにかくマエストロお奨めの音楽を、まず聴かなくては。
プログラムは当初の発表と違って、ノーノ作品が後半に置かれている。これならマエストロも客席でユックリ鑑賞できますね。シュトックハウゼンのピアノ曲は第7と第9と発表される。

ブーレーズ「2重の影の対話」は真っ暗な中、テープから発せられるクラリネットで始まった。ほの明るいライトの中にアラン・ダミアンが立ち、生の響きとテープの「対話」が暗・明と位置を変えながら繰り返される。聴きなれているクラリネットの音色とは違った音、表現力に驚かされる。スピーカーから発せられる音に囲まれると、宇宙空間に浮遊するかのような感じ。前回プロジェクトで聞いたファゴットによるセクエンツァの、水底にいるような感覚を、何故か思い出す。

ベルク「4つの小品」はポリーニのピアノ伴奏。それぞれ雰囲気の違う4曲、どれも短いけれど凝縮された音楽に聞き入った。拍手。するとアンコールになんともう一度全曲演奏してくれたのにはビックリ。2度目はこちらも少し緊張が解けて、クラリネットの美音も温かく感じられた。

いよいよシュトックハウゼン。7番は昨年から各地で取り上げている曲で(それ以前にもあるかもしれませんが)、9番と一緒に演奏したり、また単独でベートーヴェン、ブラームスと、またショパンとも組み合わせている。緻密な音を発するポリーニの、痛いほど神経を集中した横顔、そのタッチの繊細さに目も耳も引き付けられる。Fabbriniの金文字の入ったピアノは美しい繊細な響き。時々なぜか足元に目をやるポリーニ(私の席からは手はしっかり見えるものの、足元は前の方の頭に隠れて見えず。この曲はペダリングも重要と後で知ったけれど。)
ピアノ曲第9はプロジェクトで初めて聴いて衝撃を受け、また是非聴きたいと思っていた。感想文にも書いたので、願いを叶えてもらったようで、嬉しい。第10番・・・Yシャツに指なし手袋の・・・も聴いて(見て)みたかったけれど。
始りの連打される和音の響きにゾクゾクしながら精妙なディミヌエンドに聴き入る。低音部の重く深い地底からのような響き、最高音部の光の飛び散るような音色。ピアノという楽器を越えたような響きの世界だ。集中しきって厳しい横顔のポリーニが、弾き終わって見せる笑顔。まるで別の世界から無事戻ってきたようで、私もホッと温かい気持になる。

休憩後はすべてノーノで、音響装置とライブを組み合わせた作品だ。
「....sofferte onde serene...」はポリーニ自身のピアノ音を加工したテープ(今はCD)と生のピアノ演奏。テープには楽音だけでなく、側板を叩く音も入っている(ポリーニが叩いているのかしら)。鐘の音が響き交わすイメージという、時空を越えるような不思議な音響空間の中で、生のピアノはやはり美しく強く、存在感があるけれど、今回はスピーカー音がちょっと大きかったような気がする(席によるのかもしれないが)。

「森は若々しく生命に満ちている」は出演者も多く大掛かりな舞台となる。そのセッティングの間、突如起こる拍手。ポリーニが中ほどの席に付いたようだ。
プログラムにはテキストが訳文とともに載り、客席もいくらか明るかったけれど、ちゃんと読んではいず、ページも閉じたままだった私。言葉の意味は判らないけれど、聴くことに集中しよう。
・・・しかしこれはかなりキビシイ体験だった。音と言葉が飛び交い衝突する音響空間。やはり大きめと思われたスピーカーからの音に、身体が圧せられるような感覚。その中でライブの演奏者達に集中するのが“救い”だった。ソプラノの、世界の女性の声を一身に表すような、美しくも強靭な声。語り手達の熱唱。クラリネットの異質な(?)音色。そして打楽器! 金属板を鎖で叩く、引き回す、木槌、金槌で叩く、引っかく。ああ、やっぱり視覚情報に逃れてしまった私・・・。

終演後、演奏者とともに音響のリヒャルト氏、ブライク氏(?)、ポリーニが客席から壇上に登る。盛大な拍手。ポリーニは嬉しそうに出演者に拍手を送る。謙虚なマエストロ。1966年、ノーノに初めて逢って、衝撃を受けたという作品。日本での初演を果たして感無量に違いない。ありがとうございました、マエストロ。
音楽として素晴らしいから演奏したい、聴かせたい、というポリーニ。私にはやはり難しい「現代音楽」だったけれど、ポリーニの音楽センスの大きさを改めて思わされた。ベートーヴェンもショパンも、私などが感じ取ることの何倍、いや何十倍、何百倍、何千倍を、ポリーニは感じ取り、表しているのだろう。

2005年11月04日 16:50

シンポジウム 11月1日
11月は日本全国(?)晴天で明け、朝から掃除・洗濯しながらもニコニコ、ソワソワの私。
夕方、オペラシティへと急ぎ、早く着きすぎてちょっと一休み(ウサギか!?)して戻ると、もう長い列。すでに並んでいらしたおじさん様たちの中に混ぜていただき(後ろの方々、ゴメンナサイ)無事前の方に座ることができました。
会場には演台に4本のマイク、後ろにピアノ。周囲にはマイクやスピーカーのセッティング。3日の演奏のリハーサルを(今日か)明日するのでしょう。
やがてポリーニ登場、グレーのスーツにブルーのシャツ、渋めの赤系のネクタイ、間近に元気そうな笑顔を見て、嬉しさが込み上げてきます。今日はアンドレ・リヒャルト氏を交え、司会の岡部真一郎氏、通訳の岡本和子氏の4人でシンポジウムが始りました。第一部60分、休憩10分、第二部60分という予定です。

まずポリーニから今回プロジェクトで取り上げる3人の作曲家の1950〜70年代の活動の概説があり、それがシェーンベルクらが開いた道―調性を超える(beyond)、全ての音(12音)を同等に扱う―を更に進めるものであり、しかし技法の改革そのことより、そこから生まれた音楽が素晴らしいか否かが大切だということでした。
画家のカンディンスキーの言葉を引いて、芸術には表現すべき内容と様式(form)があるが、様式は内なる必然性によって決定される、それが芸術の本質である。作曲家の語法は何を表現するかにより決定される、そして演奏家はそれに忠実でなければならない、ということでした。
次に、現代の音楽では音とノイズの違いもなくなり、音と音の間―響きと沈黙―の関連も重要ですべて音楽として捉えられる、として、シュトックハウゼンのピアノ曲7番の一部を弾き、けれどこの「間」はベートーヴェンも用いているとして、「エロイカ」第2楽章テーマをサラッと聞かせてくれました。
もう一つの特徴は、音楽が幅広い音域で動くこと。ベートーヴェンも試みている、としてソナタ27番第1楽章、次にブーレーズの2番を少しずつ弾いてくれました。

次にこのシンポジウムの本題といえるノーノについて話は進みます。ヴェニスで1966年初めて会い「森は若々しく生命に満ちている」の初演を聞いて感銘を受け、ピアノ曲を作ってくださいと頼んだところ“幸いにも”2曲作曲してくれたこと。60年代からエレクトロニクスを作曲に取り入れ、また強い政治的関心から、学生、労働者、またカストロなどの左派的な言葉をテキストとした政治的メッセージの強い作品(「森は・・・」)を生み出したこと。(そしてその問題は現在でも意味を失っていない。)だが、それはテキストを通じてインスピレーションを得て音楽となったのであり、ポリーニ自身が芸術作品として優れているからそれを取り上げたいと思う、と。
(明日のプログラムにテキストの訳文も掲載されるようです)

次の時期はオペラを作曲し、「AL GRAN SOLE CARICO D'AMORE (愛に満ちた太陽の光の中で)」がミラノでアバドによって初演され、次いで「...sofferte onde serene...(苦悩に満ちながら・・・)」が作曲された。この時ポリーニがピアノ音源を提供し、ノーノが手を加えたものがテープとして用いられていると、作曲家とアバド、ポリーニの強い絆を思わせられる話でした。

80年代からの最後の時期については、ノーノの作曲に密接に協力し、新作の指揮を行なったリヒャルト氏にバトン・タッチです。
ノーノはテクノロジーに非常に関心が高かった。テープは音を変容させて素材を生かしていく、またテープ、スピーカーを使って発せられる音とその方向を自在にし、空間を利用した音楽を作り上げた。それは多方面から音が発せられ、人に向っていく現代社会を表すかのようだ。実際、ノーノと一緒に車の通らないヴェニスの町を歩くと、人の足音が近づいたり、遠ざかったりする足音だけの芝居を、耳で体験するように思われ、そんなことも空間を意識した彼の作品に繋がっていると考える。
(ここでポリーニが発言し、中世のヴェニスのガブリエーリという作曲家にも空間を盛りこんだ作品がある、と。)
ヴェニスの教会で初演された「プロメテオ」は、4つのオーケストラが客席を囲み、ソリストグループ5、スピーカー12が配置された多音源の作品。また様々な芸術を融合させたもので、建築家レンゾ・ピアノ氏、哲学者マッシモ・カッチャーリ氏、文学者の○○○氏(?)も関わり、特にピアノ氏の作った音響空間は興味深いものだった。ノーノは視覚情報の強さから解放される空間、聴くことだけに集中できる空間を望み、ピアノ氏は巨大なヴィオラのような空間を作った。床に反響板を置き、客が座る。上のギャラリーから演奏が降って来る、それを足の下からも体感できるという、360度音に満たされた空間だった。
ノーノの死後、親交のあった磯崎新氏が秋吉台にホールを作り、この作品が日本初演されている。
リヒャルト氏は最後に、ノーノはテクノロジーに非常に関心があったが、それは目的ではなく彼のポエジーを実現する手段、音楽表現の手段だった、と強く語っていました。

ポリーニからノーノの人柄について。彼は自由な考え方で、一切偏見のない人であり、保守的な考え方とはほど遠い人だった。また好奇心が非常に強く、様々な事柄について話したが、全く予想もつかないような考えのできる人だった・・・敬愛のこもったポリーニの言葉でした。
最後に「...sofferte onde serene...」のピアノ部分を一部弾いてくれました。時々「ここで待たねばなりません」とか「ここにテープ音が高音から低音にかかります」とか説明しながら。
テクノロジーはそれを手段として音楽の実現へ向うもの、政治的テキストはそこから生まれるインスピレーションが音楽を生み出すもの。音楽として価値ある素晴らしいものなので演奏していきたい、というポリーニの言葉を強く受け止めて、明日に臨もうと思わされました。

第二部は「Abbado - Nono - Pollini ; A Trail on the Water(海の航跡)」というフィルム。クラシカで放映されたものでご存知の方も多いことでしょう。大きな画面できれいな映像、なにより多音源の上映で、迫力あり、見応えがありました。
後ろの方で一緒に見ていらしたマエストロ。多くのファンに話しかけられ、握手を求められ、にこやかに応えてくださいました。(私も握手していただきました(*^^*)でも、ナンにも言えなかった自分が悲しい・・・。)
講演会では明晰な言葉で強く熱く話されたマエストロ、でも会の終りにはややお疲れのご様子でした。長い飛行機の旅でお疲れだったのでしょう。ゆっくりされて、明日は素晴らしい演奏会となりますように。

以上メモをもとに記しました。自分でも読めないような乱雑なメモで、まとまりの無いものになってしまい、申し訳ありません。おじさん様、ともママ様(ありがとうございます!)のご感想と併せて、参考にしていただければと思います。

2005年11月02日 16:46

至上の喜び
カサコソと落葉の音、その落葉を掃く音、どこかから焚火の匂い・・・秋も深まってきました。晴れた日も空気はヒンヤリしていて、陽射しの暖かさに“小春日和”という優しい言葉を思い起こします。これは11月の晴れた日を言うようですが、そう、もうすぐ11月ですものね!

10月は、ショパン「ノクターン」のリリースをワクワクして待ち、発売されてからは、もう、「朝から夜までノクターン!」という感じです。なんという麗しい音、なんという美しい音楽、なんという深みのある演奏でしょう! 一曲目の第1音から惹きこまれ、どの曲もどの曲もそれぞれに美しく、その魅力を余すところなく伝えてくれる演奏に、ただただ感嘆、賛嘆、感動・・・。ショパンの偉大なる天才を、真摯で謙虚なポリーニの、卓越した演奏によって味わうことができて、これに勝る喜びはないと、しみじみ幸福感に浸っています。
でも「これに勝る喜び」は、きっとライヴで味わえることでしょう。11月、ショパン・リサイタルでこのノクターンをたっぷり聴かせてくれるマエストロ。もう、そろそろ来日されているかもしれませんね(*^^*) 本当に楽しみです。

10月半ば、ローマでのアバド/ルツェルン祝祭管との共演(シューマンの協奏曲)は、大成功だったようです。スタンディング・オヴェーション、舞台に花が投げ入れられる公演後の様子を報じる記事はまた「この成功は前半に出演した共演のピアニスト、マウリツィオ・ポリーニに拠るところも大きい」と書いています。
「熱烈な喝采はポリーニに送られた。この演奏は二重に興味深かった。この曲には妙技性と見(聴き)栄えするところが少なからずあるが、管楽器がソリストと優しく会話する室内楽の精髄もあるのだ。ポリーニが時には協奏をリードし、時にはフルート、オーボエ、クラリネットを伴奏するのを聴くのは素晴らしかった。作品のロマン的な雰囲気と心通わせた瑞々しさを際立たせる音楽をする喜びの中で、ルツェルン管の錚々たる名奏者たちは、影のように彼に付き添っていた。」
そして、後半のマーラーの交響曲第7番が終ると、満場の大喝采の中、臨席のチャンピ大統領が舞台下まで歩み寄り、出迎えたアバドを抱擁して「妻は感動して泣いていますよ」。きっとその客席にはポリーニも居たのでしょうね。
イタリアを代表する大音楽家二人の共演は、ローマでも大歓迎で、大統領夫妻はじめ政財界から、学者、文化人、演劇人など各界の著名人がホールに集まり、公演後には賑やかにパーティが催されたようです。

ローマではまた、新譜「ノクターン集」についてのインタビューも行なわれました。
全集として録音したのは?
「作品が根本的にリリカルであるにもかかわらず、また強いコントラストをも持っているからです。例えばop.27-1の中間部のように。それから、同じ作品番号に属する夜想曲は相互に補い合うもので、有機的な統一をもって着想されたのです。」
ベッリーニやイタリア・オペラのカンタービレ性の影響は?
「とても強い構成要素でしょう、ショパンは生涯に度々イタリア・オペラと出会っています。驚くべき美しさのカンタービレな音の性格は、ショパンの基本的な憧憬の一つです。」
若い演奏者に対しての助言は?
「それを言うのは難しいです。若い人がショパンから出発するのが適当かどうか、と考えています。とにかく、他の技法、他の作曲家にも早く取組む方が良いと思います。直接的に、ショパンに専念して精力を傾けてはいけません、つまり、彼は並外れて個性的なのです。」
そして、今イタリアで行なわれようとしている文化予算の削減政策について、イタリア文化の衰退につながることを憂慮し、厳しく批判していました。アバド達と一緒に声明書に署名も行なっています。

さて、長年の懸念であったディスコグラフィを、やっと完成させました。ディスコグラフィ6は現代音楽の3人の作曲家(と指揮したオペラのCDとDVDも)。早くここに“STOCKHAUSEN”の名を付け加えたいです。もちろん、モーツァルトもベートーヴェンも、新しいCDを付け加えられるのを楽しみにしています。中表紙をつけて作曲家ごとにリンクしましたので、どうぞご利用ください。また、何かお気づきのことが有りましたらお知らせください。

2005年10月29日 17:36

ウィーンの笛の音
この秋は、ワクワクすることが一杯・・・。その一つがムーティ指揮のウィーン・フィルの演奏会でした。東京での公演の初日、9日、サントリーホールでのマチネです。
曲目はモーツァルトのクラリネット協奏曲とシューベルトの交響曲第8番「グレイト」。 この二人の作曲家の音楽をウィーン・フィルで聴けるなんて! めったにない(日本では)チャンスとばかりに、チケット獲得戦に参加したのでした。ホール前には「チケット求む」の紙を持った人も。

大好きなクラリネット協奏曲イ長調。弦楽器の響きの美しさ、ふくよかさに、まず驚かされます。優雅でありながら活き活きとした音楽の流れは、ムーティならではのもの。シュミードルのクラリネットは温かい音色で華やかさと、時に陰影を増して曲想を深め、特に第2楽章の朗々とした響きの麗しいこと、幸福感に満たされました。対照的に第3楽章は軽快に、難パッセージも見事に吹き進め、愉悦感いっぱいの音楽となりました。
休憩後のシューベルトは、本当にGreat!な音楽でした。フルトヴェングラーの重厚な、ベームのゆったりした「グレイト」に親しんでいた私には、新鮮な、大らかで明るく、ドラマチックな、そして天国的に美しい「グレイト」でした。
私の席は2階の左端、斜め裏手からオケを望む位置です。去年はゲルギエフを正面に見ながらウィーン・フィルを聴いて美しい響きに感嘆し、次はオモテで堪能したいと思っていたけれど、とかくモノイリなこの秋、やはり裏側に座ることと相成ったわけです。
でも、この席はムーティの指揮がよ〜く見える、視覚的にステキな位置でした。モーツァルトではソリスト(楽団員です)を立て、オケも「モーツァルトならまかしといて」って感じで、やや控え目(?)な端正な指揮ぶりと思えましたが、後半シューベルトでは、強力な統率力でグイグイ引っ張っていくようです。華麗で力強く、とにかくカッコイイッ! 時には動きを止めて、ちょっとした指先、目の動きがアクセントをつける、それだけ彼の意思がしっかりと伝わっているのでしょう。その動きに演奏が敏感に応えていく様子がよく判り、目と耳で曲を聴くという感じでした。また、管楽器の奏者も間近に見えて、シューベルトの“歌”に満ちた曲を味わうことができました。オーボエの柔らかい光沢のある響きが、温かく心に残っています。
アンコールはシューベルト「ロザムンデ」の間奏曲。静かな、優しい曲。幸福感と満足感に満たされます。指揮者の手の美しさに気づかされました。
楽団員が去った舞台に、拍手に応えてもう一度現れたマエストロ・ムーティ。会釈とともに、ホールのあちこちで手を振るファンに応えて、笑顔で気さくに手を振っています。いいないいな。私も今度、手を振ってみようかな・・・(誰に?)

もう一つ嬉しかったことは、開演前、熱烈なムーティ・ファンの葉子さんにご挨拶できたこと。いつもお世話になっているお礼を申し上げました。全公演(8回)に通われるとのこと、ハードな10日間でしょうけれど、美しき日々になりますように。ぐゎんばってください!

スケジュール表に2つ付け加えました。ミラノの方は今秋11月からの変更です。
それから、楽しみがもう一つ。モーツァルトの協奏曲集が今年中にリリースされるようです。
(※これは、間違いでした。来年の夏ごろリリースの予定です。お詫びして訂正いたします。)

2005年10月10日 12:54

秋の声
10月はピカピカの上天気の週末で始りました。晴れ渡った青空、風に乗って近くの公園から運動会(らしい)声が聞えてきます。軽やかな小鳥の声、時々セミの声、夕方になれば虫の声がウルサイほど。「すだく」という風流(?)な言葉があるけれど、あれは虫の合唱なのでしょうか? 小さい身体でよく大きな声(音?)が出るなぁ、と感心してしまいますが、自然の生命力の強さなのでしょう。
そう、自然は着実に歩を進め、いつの間にか、もうすっかり秋! 空気の中に懐かしいような金木犀の香りが漂って、少しずつ紅葉をはじめた木々、赤い実のなった枝など、夏とは自然の色合いも違ってきています。陽射しは明るく暑くても、やっぱり、爽やか〜・・・って思うのは、気持が秋へ、秋へと向いているからでしょうか。

プロジェクトまで1ヶ月、レクチャー、それに先立つポリーニの来日までは、もう1ヶ月を切っている・・・と思うと、期待で胸が一杯になります。その前には待ちに待った新譜のリリースも。9月末に発売のDVDを堪能された方もいらっしゃることでしょうね。 本当にワクワクして、どうやって過ごそうかと思うくらい。仕事やら家事やらは早め早めに片付けて、時間のユトリを作り、少し予習もして、体調を整えて(できれば体形も整えて)・・・。
マエストロは聴衆のこんなウキウキした気持とは別に、どこででも平静に着実に、しかし高揚感と情熱とをもって、演奏会を行なっていられるのでしょう。でも、「日本に行くのも、日本の(熱烈な)ファンに逢うのも、楽しみだな」って思っていらっしゃるのなら、嬉しいですね。お元気で来日されるように、もう、毎日、祈るばかりです。

10月はローマで、親友アバドと、3年目を迎えたルツェルン祝祭管弦楽団との共演です。シューマンの協奏曲は、オケとピアノの間に、一体感ある熱〜い協奏が、特に求められる曲と思うのですが、昨夏の共演のように息の合った、そしてきっと、白熱した演奏となることでしょう。
この公演は11日、12日と行なわれるのですが、12日はこれに先立ってシノーポリ・ホールでノーノの「プロメテオ」が演奏されます。きっとポリーニも客席で聴いているのでしょう(ご自分の公演前だから・・・どうでしょうね?)
アバドは6月にもボローニャでこの作品を取り上げ、9月には同じ地でポリーニがノーノ作品の公開リハーサルを行いました(本公演は来年2月)。またヴェネツィアでは今、ノーノにオマージュを捧げ、その作品で幕を開けた現代音楽祭が行なわれています。
鑑賞するのも、演奏も(音響や機器の面でも)難しい曲と思われますが、次第に聴衆を増やし、親しまれていくのでしょう。それにはアバドやポリーニの活動も大いに貢献していることと思いますが、彼らをしてそんな熱い思いを抱かせるノーノという音楽家に、興味を惹かれますね。シンポジウムでその人と音楽を知り、プロジェクトでその魅力に触れられることを、楽しみにしています。

さて、今回はドビュッシーからプロコフィエフまで、Discography 5をUpしました。現代まで、全部、載せたかったのですが・・・時間切れ。マエストロ来日までに、あと少し、頑張らなくては!
それから、トリノのショパン・リサイタルを聴かれた方からメールがありました。 Beutiful recital.で、アンコールは3曲、「雨だれ」「バラード1番」「革命」。なんと豪華な、豊かなショパンの夕べ!

2005年10月02日 17:20

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