春は名のみの・・・3月半ばはまだ「早春」なのでしょうか、風の冷たい日が続きます。
ローマは気温16〜18度、暖かく春めいて、陽射しも明るいことでしょう。
“Projetto Pollini”も開催中、ローマの音楽ファンはきっとウキウキしながら過ごしていることでしょうね。
開幕に先立って4日にはポリーニの記者会見(ベリオも同席)がありました。プロジェクトの概要、プログラムの特徴など、日本での記者会見や講演会で語ったこととほぼ同様と思われますが、いくつかの点を記してみます。
「私はモンテヴェルディの大ファンなのです、で、チェンバロを弾きます。でも、マレンツィオのマドリガーレについては、充分には知りませんでした。私にとっては格別な発見だったのです」
最後のリサイタルが全てショパンに充てられることについて。
「おそらく彼(ショパン)は、音楽家の中で最も独立した人、先人の影響から最も自由な人でしょう」
プログラムの時間(年代)順の提示でないこと。その好みについて。
「美術館ではジョットからポロックまで広く配置されるのに、演奏会はどうして、よくあるように18世紀と19世紀のレパートリーに限定されなければならないのでしょう?」
「教育学的な意図など何もなしに、マレンツィオのマドリガーレとリゲティを、シューベルトとシェーンベルクを、ドビュッシーとベリオを、並べます。(―どうして私は、ペトラッシを加えなかったんだろう?―つい先日亡くなった作曲家を偲んで、ポリーニは付け加えた)"Progetto"は総括的なものではありえないのですから。必然的な、避けられない欠落があります、バッハやストラヴィンスキーなどの」
ポリーニは15日の演奏会を平和のために捧げようとする。
「私はこのシリーズをイラクでの戦争に反対するアピールをもって始めたいのです。でも、自分の考えを表明するのに、やっかいなことになりかねない方法を、一生のうちで繰返すことはしません。今回はシェーンベルクのコラール“地には平和を”を平和のために捧げます。戦争を以ってテロリズムと闘うことは根本的な誤り―全てにわたり恐るべき結果を積み重ねるもの―だと思うからです」
「戦争は、我々の未来にとって、途方も無く重大な事実を示すでしょう」
これまでも自分の考えを秘密にしておくことのなかったピアニストは、もちろん求められれば、かつて行ったように、また工場で演奏をする用意がある、と明言して、彼の社会参加をさらに新たにした。
(Amadeus、il messaggero の記事から)
また、10日付けのil messaggeroに、演奏会の予告とともに、5日のリサイタルの模様が掲載されていました。簡単にご紹介します。
休憩後にポリーニが舞台への階段を登ろうとすると、一人の女性が平土間から、平和の旗を手渡した。この時、かつてポリーニが演奏会で、ベトナム戦争に反対するアピールを発表して論争を生んだことを思い出さずにはいられなかった。
人目を引く身振りは避けながら、彼は旗を受け取り、階段の手すりに立てかけ、旗は最後までそこに置かれていた。
今日ではポリーニは、衝撃的であるよりバランスが取れ(良識のある)、文化的な責務に身を捧げているように見える(いずれにしても平和への社会参加であるのだが)。
ポリーニがプログラム構成において常に示す好奇心に満ちた精神が、このチクルスの鍵となる要素だ。シェーンベルクの作品11と19で無調性を、また音と静寂を探る方向へ光を投げ、ウェーベルンの変奏曲、シュトックハウゼンのピアノ曲5と9では、静寂と強音部の休止に心を奪われる。この演奏で聴衆はただ熟練に感心するだけでなく、詩的な意味(価値)も聴き取るのだ。
第二部のベートーヴェンのソナタ作品78と57「熱情」ソナタには、感激(熱狂)だった。アンコールにシェーンベルクの作品19。
(il messaggero 3/10)
10日、12日は700席の小ホールでの公演です。もちろんとうに完売。そこで、1200席の中ホールのスクリーンに同時中継するとのこと、入場無料。しかもそれに先立って映画"Pollini e la sua musica"も上映されるそうです(いいなぁ・・・)。
ホールのロビーで3月いっぱい、メロッティ財団の好意により、マエストロの叔父さまメロッティ氏の彫刻「Scultura 14」が展示されるとのこと。
平和の旗というのは虹色の横縞にPACEとかかれたもの(と思います)。市民がバルコニーに掲げたりして、平和を訴えています。アバドさんのフェラーラの演奏会でも休憩後に手渡され、掲げられていたということです。
不明だったミュンヘンのプログラムと、5月のロサンゼルスのプログラムが判りましたので、スケジュール表を更新しました。クララさん、いつも貴重なお知らせを、ありがとうございました。