時々の雑記帳

音楽のこと、ポリーニのこと、日々の雑感を、
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このほかの日記帳はこちらを、すぐ前のものは「秋」10〜12月を、次のものは「春」4〜6月ご覧ください。

(1月〜3月)

春の喜びを世界に…
南の方から桜のたよりが近づいてきて、東京の桜も一昨日ついに開花宣言が出ました。暖かい陽射しを浴びて、今日はもう三〜五分咲き、いよいよ春ですね。
沈丁花の香りが春の空気を和ませ、菜の花の黄色が日の光の明るさをいや増せば、白木蓮も枝いっぱいに花をつけて自然の生命力を謳いあげるよう。
美しい日本の春、生命の芽生える春、希望の春・・・。そう思えばなおのこと、砂嵐で春を迎える地を、そこに降り注ぐ爆弾の雨を、悲しく思わずにはいられません。生命を奪われる人々を、希望を失う子供たちを、痛みとともに思わずにはいられません。一日も早く、平和の訪れることを、せめて平穏のもたらされることを、祈るばかりです。

ローマでの“Progetto Pollini”は、大成功のうちに終わったようです。
新聞には毎回の公演の予告記事が載り、簡単な評もいくつか見ましたが、ポリーニのプログラミングの意外性と、しかし素晴らしい結果を生み出したことを指摘していました。
問題点としては、主に聴衆のこと。各界の著名人が多いが、若い人が少ない、チケットが高いのではないか。その点、中ホールで同時中継したのは良い試みだった、と。また、各公演にはスポンサーがついたのですが、その招待客がかなりの部分を占め、あまり聴き慣れないのか、行儀が良くなかった、騒がしかった、と。(日本の聴衆は、お行儀良かったですよね^^)
スポンサーは、イタリアたばこ産業(でも「吸い過ぎに注意しましょう」ね、マエストロ!)、飛行機・自動車のメーカー、道路・橋の建設会社、労働銀行、超一流ホテル、IT関連(?)企業。その他に後援企業も7社。ポリーニの社会的地位を物語るようです。
その状況の中で、反戦の意思を明確にする、マエストロ・ポリーニの凛とした姿。

「先立つ公演は、過去と現代の作品を並べ、挑戦的観点で熟慮されたものだった。今夕ミラノの大ピアニストは、ローマでの彼の輝かしい偉業を一見“ノーマル”なプログラムで締め括る。実際、ショパンに全ての夕べを捧げて、夜想曲、幻想曲、ソナタ第2番が選ばれている。聞き逃せない演奏会である、よりポピュラーなレパートリーにおいても、常に唖然とするほどの演奏なのだから」
このように紹介された26日のリサイタルは、きっと熱心に聴く聴衆で溢れていたことでしょう。

翌日の新聞には「プロジェットの稀有の成功の後、大ピアニストは非常に待望された演奏会で、ローマの聴衆に別れを告げる」として、サヴァリッシュ/サンタ・チェチーリア管との共演が紹介されていました。
協奏曲は当初の予定の「皇帝」から、第4番に変更になっています。後半はベートーヴェンの交響曲第7番。
このゲネプロが29日10時から公開で行われ、その収益がアムネスティに寄附されるとのこと。
イタリア・アムネスティは「私は差別しない」というキャンペーンを行っており、芸術家達はそれに賛同するとともに、イラク市民の人権の擁護、イラクで行われている戦争の全ての捕虜の尊厳を守る戦いに参加することを、熱烈に支持したとのことでした。

芸術家達の熱いヒューマニティ、博愛、平和を愛する心が、力を持ち得ることを願いつつ、私もまたマエストロの音楽に、耳を、心を、傾けています。

2003年3月29日 12時40分

地には平和を
60年代の終りにベトナムのために起こしたように、演奏会に先立って戦争に反対する表明をまた行いますか、という質問に、マエストロは一気に答えた:
「もちろん私はそれを再び行います、たとえ人生は決して同じやり方で繰返さないとしても。平和のために役立つことができるのは、比類のないことだと思います。そして音楽をより美しく演奏することより、もっと重要なことではないでしょうか?」
(La Stampa 2003/3/5)

なによりも音楽を愛し、真摯に作品と対峙し、作曲家の意図を表現すること、美しい音で演奏することに一身を捧げている、マエストロ。この言葉を、どんな熱い思いで発されたのか、その重みに心を打たれます。

世界中の人々が平和を望んでいるはずなのに、なぜ、何のために、戦争が行われなければならないのでしょう。
紛争を武力によって解決しない、という憲法を持った国が、なぜ戦争を先に始める国を支持できるのでしょう。
私には判りません。判るのは、戦火の中で、多くの人の命が失われること。傷つき、苦しみ、悲しみを長く味わう人が増えること。憎しみが更に大きくなり、世界の亀裂が深まること。例え戦争が終っても、かりそめの平和でしかないこと。

全ての人が、豊かな気持ちで、音楽を楽しみ、芸術を味わうことができる、そんな世界が来ることを切に祈って、今回の更新としました。
World Peace Now という行動に関心のある方は、ハートのロゴをクリックしてみてください。
スケジュール表にも、演奏会を一つ追加しました。

2003年3月19日 02時03分

ローマは春!
春は名のみの・・・3月半ばはまだ「早春」なのでしょうか、風の冷たい日が続きます。
ローマは気温16〜18度、暖かく春めいて、陽射しも明るいことでしょう。
“Projetto Pollini”も開催中、ローマの音楽ファンはきっとウキウキしながら過ごしていることでしょうね。
開幕に先立って4日にはポリーニの記者会見(ベリオも同席)がありました。プロジェクトの概要、プログラムの特徴など、日本での記者会見や講演会で語ったこととほぼ同様と思われますが、いくつかの点を記してみます。

「私はモンテヴェルディの大ファンなのです、で、チェンバロを弾きます。でも、マレンツィオのマドリガーレについては、充分には知りませんでした。私にとっては格別な発見だったのです」

最後のリサイタルが全てショパンに充てられることについて。
「おそらく彼(ショパン)は、音楽家の中で最も独立した人、先人の影響から最も自由な人でしょう」

プログラムの時間(年代)順の提示でないこと。その好みについて。
「美術館ではジョットからポロックまで広く配置されるのに、演奏会はどうして、よくあるように18世紀と19世紀のレパートリーに限定されなければならないのでしょう?」
「教育学的な意図など何もなしに、マレンツィオのマドリガーレとリゲティを、シューベルトとシェーンベルクを、ドビュッシーとベリオを、並べます。(―どうして私は、ペトラッシを加えなかったんだろう?―つい先日亡くなった作曲家を偲んで、ポリーニは付け加えた)"Progetto"は総括的なものではありえないのですから。必然的な、避けられない欠落があります、バッハやストラヴィンスキーなどの」

ポリーニは15日の演奏会を平和のために捧げようとする。
「私はこのシリーズをイラクでの戦争に反対するアピールをもって始めたいのです。でも、自分の考えを表明するのに、やっかいなことになりかねない方法を、一生のうちで繰返すことはしません。今回はシェーンベルクのコラール“地には平和を”を平和のために捧げます。戦争を以ってテロリズムと闘うことは根本的な誤り―全てにわたり恐るべき結果を積み重ねるもの―だと思うからです」
「戦争は、我々の未来にとって、途方も無く重大な事実を示すでしょう」

これまでも自分の考えを秘密にしておくことのなかったピアニストは、もちろん求められれば、かつて行ったように、また工場で演奏をする用意がある、と明言して、彼の社会参加をさらに新たにした。
(Amadeus、il messaggero の記事から)

また、10日付けのil messaggeroに、演奏会の予告とともに、5日のリサイタルの模様が掲載されていました。簡単にご紹介します。

休憩後にポリーニが舞台への階段を登ろうとすると、一人の女性が平土間から、平和の旗を手渡した。この時、かつてポリーニが演奏会で、ベトナム戦争に反対するアピールを発表して論争を生んだことを思い出さずにはいられなかった。
人目を引く身振りは避けながら、彼は旗を受け取り、階段の手すりに立てかけ、旗は最後までそこに置かれていた。

今日ではポリーニは、衝撃的であるよりバランスが取れ(良識のある)、文化的な責務に身を捧げているように見える(いずれにしても平和への社会参加であるのだが)。

ポリーニがプログラム構成において常に示す好奇心に満ちた精神が、このチクルスの鍵となる要素だ。シェーンベルクの作品11と19で無調性を、また音と静寂を探る方向へ光を投げ、ウェーベルンの変奏曲、シュトックハウゼンのピアノ曲5と9では、静寂と強音部の休止に心を奪われる。この演奏で聴衆はただ熟練に感心するだけでなく、詩的な意味(価値)も聴き取るのだ。
第二部のベートーヴェンのソナタ作品78と57「熱情」ソナタには、感激(熱狂)だった。アンコールにシェーンベルクの作品19。
(il messaggero 3/10)

10日、12日は700席の小ホールでの公演です。もちろんとうに完売。そこで、1200席の中ホールのスクリーンに同時中継するとのこと、入場無料。しかもそれに先立って映画"Pollini e la sua musica"も上映されるそうです(いいなぁ・・・)。
ホールのロビーで3月いっぱい、メロッティ財団の好意により、マエストロの叔父さまメロッティ氏の彫刻「Scultura 14」が展示されるとのこと。

平和の旗というのは虹色の横縞にPACEとかかれたもの(と思います)。市民がバルコニーに掲げたりして、平和を訴えています。アバドさんのフェラーラの演奏会でも休憩後に手渡され、掲げられていたということです。

不明だったミュンヘンのプログラムと、5月のロサンゼルスのプログラムが判りましたので、スケジュール表を更新しました。クララさん、いつも貴重なお知らせを、ありがとうございました。

2003年3月11日 15時29分

ローマのFESTA
弥生、雛祭り、桃の花・・・なんとなく麗らかなイメージの三月は、日本のあちこちで大雨・大風・はては雷様まで登場して明けました。早く暖かくなってほしいのに・・・。
でも、気持ちの上では、もう春ッ!という感じですね。何か新しいことの始まりそうな、わくわくした感じが、外に、前にと、背中を押してくれるようです。

3月はローマで"Progetto Pollini"が開催されます。ミラノよりずっと暖かい街で、マエストロもお元気で活躍されることでしょう。
古い都でありながら、今も政治・文化の中心でありつづける永遠の都ローマ。
そこに新しく生まれたホールは、現代の最先端の技術を駆使して、素晴らしい音響のようです。
柿落とし演奏会の翌日、ポリーニはインタビューに答えています。

世界で最高のホールの一つです。

「音響への私の印象ですか? 大いに望ましいものです」
マウリツィオ・ポリーニは、新しいホールでの彼の音の洗礼を、喜んでいた。昨日、その柿落としの演奏会にベートーヴェン「合唱幻想曲」のソリストとして参加し、喝采を浴びたのである。
「2つの観点から私の考えを言うことができます」と偉大なピアニストは説明する。
「まず“外の”聴衆として。プログラムの幕を開ける、オーケストラとコーラスのための3つの現代曲のリハーサルを聞いたのですが、音響がとても活き活きとして、満足できるもので、特にコーラスには理想的と感じました。2つ目の見通しは私に関すること、内部で演奏する者として、です。このホールで演奏していると、とても気持ちよく感じると明言できます。1回目のリハーサルをした2日前と比べて、音響の質はより良くなってきています。少しの間に様々な調整がなされたのです。ある空間の音響について決定的な評価を下すには、もっと演奏会を行う必要があるとはいえ、そのレベルはとても優れていると私には思われます。」

(他の演奏会用のホールと比べては、どうですか?)

このローマのホールは、世界で最も成功している現代的ホールのグループに、間違いなく属します。それらの中で最高の音響は、ベルリンのフィルハーモニーとマドリッドの新しいホールです。トリノのリンゴットも、とても良いですね。

(そのホールの柿落としにベートーヴェンのマイナーとみなされる作品を演奏されましたが、それを選んだ理由は?)

実際、あまり演奏されない作品です。ベートーヴェンは短時日でそれを書きました。交響曲第5番の初演も含んだ、彼の作品ばかりで組まれた一夕で“輝かしい”フィナーレの役目を果すために。
また、私がそれを選んだのは、コーラスの参加を想定したからです。とても強く、そしてこの機会に相応しく、共に参加するという感覚を伝え、また第9交響曲へとより雄大に発展していく理念を先取りしているのです。その上、テキストは芸術への賛歌ですから、このような祝祭に相応しいでしょう。

(あなたは3月の5〜26日に、ローマで新たに"Progetto Pollini"を行われます)

7回の演奏会の音楽祭です。すでにザルツブルク、ニューヨーク、東京で行いました。多くの世紀に渡り音楽文化を旅するようなものです。古い音楽と20世紀後半の音楽に配慮して、多くのプログラム構成の空白を満たすことを狙っています。タイトルはしばしば斬新な、時間的に非常に隔たった人々を並べることをします。ベリオとモンテヴェルディ、ジェズアルド・ダ・ヴェノーザとルイジ・ノーノ・・・。
(la Repubblica 22/12/2002)

過去と現在が隔てなく共存する街で、古い時代の音楽と現代の新しく生まれた音楽が共に演奏される・・・なにか、時空を超える、壮大なプロジェクトという感じがします。
イタリア・ルネサンス文化の栄光を物語るマドリガーレも、現代イタリアの作曲家の斬新な作品も、イタリアでこそ最も良く受け入れられるのではないでしょうか。素晴らしいホールで、素晴らしい演奏で、マエストロの音楽への熱い思いが、聴衆に伝わりますように。

それにしても、合唱曲の練習に通って音響を確かめたなんて、ポリーニらしいですね(^^)。
ホールは大(サンタ・チェチーリア・ホール、2800席)・中(シノーポリ・ホール、1200席)・小(700席)の3つあります。
マエストロのリサイタルは1日目は中ホール、7日目は大ホールです。他の日は小ホール、中ホールと適宜使い分けられています。スケジュール表にも記載しました。

2003年3月3日 00時03分

雨ニモ負ケズ雪ニモ負ケズ
2月もとうとう最後の週になりました。逃げ月と呼ばれるのも納得ですね。春はもうすぐ・・・のはずなのに、今年はいつまでも寒さが続きます。

マエストロは今週はスイスで、3回のリサイタル。今日23日(現地時間で)はチューリッヒ、今頃はピアノの調律も終えて、一息入れていらっしゃる頃でしょうか。
一月ほど前には、演奏会をキャンセルしたマエストロ。もう、寒い季節に寒い所に行かないで下さい、ミラノのご自宅でゆっくりしていて下さい、とも思いましたが・・・。でもやはり、マエストロが元気で活躍されるのを、何よりも望んでいました。
スイスでのチケット発売の情報があり、演奏会が行われること、そして曲目も判りました。ショパンに、ドビュッシー、またベートーヴェンを組み合わせた魅力的なプログラムです。きっとホールでは、外の寒さを吹っ飛ばすほど、熱気が渦巻くことでしょう。
夏のザルツブルク音楽祭のプログラムも発表になったので、併せてスケジュール表を更新しました。

残念なのがミュンヘンのリサイタル。情報が全くつかめず、曲目も判りません。マエストロのお好きなヘルクレスザール、きっと素晴らしい演奏会だったでしょうに。なにかご存知の方がいらしたら、どうぞお教えください。

2003年2月24日 01時59分

春よ来い、新譜よ来い
世界中のポリーニ・ファンが待ち望んでいる「熱情」ソナタ。
今月の予定だった新譜リリースが延期されて、ガックリしたものの、そのワケが2枚組になるためと判り、
「なぜ? 4曲で2枚組? もしかして他の曲も入るのかしら、『悲愴』・・・? まさかねぇ」 などと、いろいろと思いを巡らしていました。
ところが、なんとっ!でしたね。ライヴの「テレーゼ」と「熱情」をセットにする・・・こんなこと、こんな凄いこと、思いもつきませんでした。前代未聞ともいえる、このユニークで大胆な発想は、一体どこから出てきたのでしょう。

「レコード芸術」2月号に「ポリーニ・インタビュー」がありましたが、その記事を書いたペーター・コッセ氏が、同じインタビューをもとに"Der Standard"に寄稿していました(というより、この新聞の依頼で会見したのかもしれません)。
1月21日付け、ザルツブルク「モーツァルト週間」の直前に掲載された記事です。レコ芸とは一部が別の文で、ここではベートーヴェンのソナタについて、語っています。

「ベートーヴェンのソナタは、私の全人生にわたり共にあるものです。もちろん全32曲のソナタを、いろいろな都市で演奏してきました。そのようにして、ベートーヴェン音楽の全ての観点を充分に検討してみたいと思うようになったのです。私の考えでは、どのソナタも、自動的には、別のソナタを理解する助けにはなりません。全ての作品系列を経験して、その時に、この作曲家の非常に大きな豊かさが判るのです。私はベートーヴェンの、特色(キャラクター)を著しくする(努力して引き出す)能力に感動しています。これはモーツァルト作品でのキャラクターの造形を想い起こさせます、もちろんそこでは、より繊細なやり方でなされるのですが。私はバッハの作品の領域でも、同じような経験をしました。つまり、私の楽しみで、バッハの全てのカンタータを勉強したのです。そしてそこでもまた、どのカンタータもいわば自律したもの、完全に独立した作品であることに、感銘を受けました。」

(各ソナタの間の相違を話されましたが、その場合でも“アパッショナータ”はなお周辺のものの中央に位置していますね)

「“アパッショナータ”はすべての人が傑作だと知っています。おそらく説明をあまり必要としないくらい傑作そのものと。他方作品54のソナタを、特に第2楽章を取上げてみましょう。そこではベートーヴェンは形式の実験をしています。いくつかの作品において彼はソナタ形式を非常に個人的に解釈していますが、このソナタはそれらに属します。呈示部は極端に短く、わずか2、3小節です。ソナタ形式はその限界まで試され、粉砕されます。だから人はまたベートーヴェンのレオノーレ序曲第2番を想起するでしょう、そこでは再現部がもはや無いのです。」

(4つのソナタについては、スタジオ録音が肝要ですか?)

「ええ、しかし例えば“アパッショナータ”についてはライブ録音もあります。両方のヴァージョンを公にすることは、きっと興味深いことでしょう。概念(Konzeption)からは二つの演奏(Produktion)は似ています、が、それぞれの場所、それぞれの状況が演奏(Interpretation)の精神(Geist)を変えるのです。」

もしかしたら、マエストロご自身の発案だったのかもしれません。もちろんポリーニのOKなくしてできる訳は無いのですが、両バージョンを共にリリースするという、その好奇心に満ちたチャレンジ精神に脱帽です。
満を持して録音したものと、ライブの感興にあふれ弾ききったもの。この昨年ウィーンでの演奏会は絶賛を博したものでした(日記帳「2002年春」参照)。
どちらにも自信と愛情をもっていらっしゃることでしょう。貴重な録音を一挙に提供してくれるマエストロの寛容さに感謝です。若々しく旺盛な音楽を追究する意欲と、年齢とともに大らかになるお人柄に感心するばかりです。

今回はスケジュール表を、いくつか追加・訂正しました。
ロンドンでの2月8日公演は、体調のため6月5日に延期されました。今チケット販売中です。キャンセルでなく、延期というところがマエストロらしいですね。
3月ローマでの、Progetto Polliniのチケットも売出し中。最終日のショパン・プロは「幻想曲」から始まりソナタ第2番で終わる素敵なプログラムです。
アメリカ西海岸を訪れる5月のアメリカ公演は、14日サンフランシスコ、18日シアトル、21日ロスアンゼルスでした(2日って、不自然だナとは思っていたのですが。ごめんなさい)

いつまでもお元気で素晴らしい音楽を聴かせて下さい、そんな願いを込めて、バレンタイン・チョコレートを贈りたい!ので、表紙に載せましたっ(*^^*) 今日1日だけね。

2003年2月14日 13時20分

風邪にご用心
「光の春」という言葉が想い起こされる、今日の陽射し。でも、寒さは一段と増したような2月のはじまり。
いつまでもお正月風ではいられないと、まず大急ぎで表紙だけを更新しましたが、もう1年の12分の1が過ぎてしまったなんて、早いですね(と感じるのは、トシのせい?)
今月は新譜の発売がある!と楽しみにしていましたが、どうやら発売延期のようです。
DGサイトにはCD2枚組、「2003年3月」リリースとありました。急に仕様が変わったのでしょうか、Track listingも消えています。ちょっと悲しいけれど、まぁ1ヶ月、じっと我慢、ガマン。春の来るのを待つように、ポリーニの「熱情」を待ちましょう。

ザルツブルクの「モーツァルト週間」で今年の活動を始められたマエストロ。ウィーン・フィルとの久々の共演に興味を惹かれますが、現地ではブーレーズがモーツァルトを振るということ、またポリーニがモーツァルトを弾くことも、大きな話題だったようです。
新聞の評を、ポリーニのところだけ、判るところだけ、ザッと読んでみると・・・。

ポリーニはモーツァルトの後期の曲を柔らかな夕映えの中でのように弾き始めた。とても熟達し、優しく、常に感動的に、絶え間なく詩の息吹を伴って。しかし最後に、とても不愛想(?)に、単調(モノトーン?)になった。苦悩とメランコリーは、この平坦な演奏には表れず、純真さと活発な直進性がむしろ勝っていた。この殆んど濃密さへ向かわず、何よりもまず歌うような(文字通り、ポリーニがとても気持ち良さそうに、フレーズを一緒に歌っていたのが聴こえた!)演奏に、深い次元がないのが物足りなく思われた。あまりに歌いすぎ、聴きながら同感する迫力が僅かしか生じなかったほどだ。
ブーレーズの方は、上品な控え目をめざし、その進行を完璧に組織した。管弦楽器の奏者達はしっかりと伴奏し、素晴らしく美しいフィルハーモニー的なモーツァルトを演奏した。それは透明で、絹のようだった。(Karl Harb, 2003.1.27. Salzburger Nachrichten)

ポリーニの終楽章の演奏に、少し不満げな評者ですが、過度に感情を込めず、淡々と軽やかに、しかし充分歌に満ちて、弾き進めていったのではないでしょうか。ウィーンフィルの絹のような音色に包まれて、マエストロも心地よく、思わず歌を口ずさみながら。「春への憧れ」という素朴なリートと同じメロディーの終楽章、技巧性やドラマ性から遠く離れた曲、きっと純粋な、憧れに満ちた、素晴らしい演奏だったのだろうと思います。聴きたい思いが、ますます強まりますね。

ところで同じ新聞の記事に、見つけてしまいました・・・。
「アンサンブル・ウィーン・ベルリンの1月30日の公演は、病気のマウリツィオ・ポリーニに代わってシュテファン・ヴラダーがピアノを引き受ける・・・」
寒いザルツブルクで、お風邪でもひかれたのでしょうか。早く快復なさいますようにと、祈らずにはいられません。
2月も寒い土地でのリサイタルが続くマエストロ、どうぞお身体に気を付けてッ! 
日本の冬も、今年はとりわけ寒い日が続きます。皆様、お気を付けくださいね。

2003年2月1日 16時53分

ザルツブルクでご活躍
1月19日、楽しみにしていたTV放映も終り、ポリーニ・プロジェクトともいよいよお別れでした(今まで引っぱっていたのは私だけ?)。
「皇帝」はホールでの感興を思い起こしながら、TVでのみ見られるマエストロの指使いに、その表情に、感動とともに見入り、聴き入りました。奇跡のような演奏会だったと改めて思い、ポリーニに、シャイーに、全ての演奏者に、感謝したい思いで一杯です。
ともあれ、素晴らしい余韻を残してすべてが終わりました。

さて、私(達?)が余韻に浸っている間に、マエストロご自身は、もうとっくに次の新たなステップへ進んでいられるようです。
レコード芸術2月号の“Critics' Reports”にペーター・コッセ氏の「ポリーニ・インタビュー」が載っていました。
日本から帰国後の12月初旬、ミラノにて。プロジェクトも話題になったようですが、記事には表れていません(ちょっと残念)。今後の活動として、ザルツブルクでのベートーヴェン・プロジェクトの計画が決まったとのこと。音楽と文学の連関を視点に、ソナタをはじめ、バガテルOp.119、Op.126や、スコットランド・リーダー、フルートとの変奏曲、カノン、歌曲など、あまり演奏されない作品を「対位法(コントラプンクテ)」シリーズで演奏する、というもの。ところが2003年の復活祭音楽祭で、とあるのですが、そのサイトを見ても、出ていないのです。急遽決まったのか、それとも「200X年」のミスプリか・・・ナゾです。でも、ポリーニがまた大きな構想を描いていること、それがベートーヴェン、というのも楽しみですね。ソナタ全曲を聴ける日も近いかしら・・・。
「ラヴェルには距離を感じていたが、今はとても好きです」「ショパンはやはり私のレパートリーの中心です」「弾いたことはないがシューベルトの二長調ソナタ(D.850)が良いですね」「シュトックハウゼンの5・9・10番以外も練習します」等々、ファンとしても期待の膨らむマエストロの発言です、是非ご一読を。

この週末、25日には「モーツァルト週間」に登場のマエストロ、そろそろザルツブルクに出発でしょうか。寒そうですね〜、風邪などひかれませんように。そして久しぶりのウィーン・フィルとの共演が素晴らしいものになりますように。これからも共演が増えて、モーツァルトの協奏曲など録音してくれると嬉しいなぁ、と、密かに夢見ている私です。

※今回はこの日記の他には更新はありません。またゲストブックのリンク先が変わりましたので、BookMarkを付けていらっしゃる方は、お手数ながら変更をお願いします。

2003年1月22日 18時52分

3回目の「ポリーニ記念日」
明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年は記録的な寒いお正月となりましたが、お元気で良い年を迎えられたことと存じます。
三が日も過ぎ、そろそろいつもの生活に戻らねばなりませんが、今日は「5日」、ポリーニ・ファンとしては、なんだかソワソワしちゃいますね。

「マエストロ、お誕生日おめでとうございます!!」

昨年は60歳ということで、還暦という概念の無いはずのヨーロッパでも、注目されたポリーニの誕生日。インタビューや、記念のeditionの発売でマエストロも忙しかったことでしょう。今年はきっと、ご家族に囲まれて、心穏やかに迎えられたことと思います。そしてまた音楽の未来へ、新たな歩を進める気概を抱いていられることでしょう。
何よりも、お元気で充実した活動をされることを、豊かな幸せな時を過ごされることを、祈らずにはいられません。

今夜はまた、TVが楽しみですね。プロジェクトの第1夜、バルトークの協奏曲第1番。現在のポリーニの凄さを実感できる演奏でした。
そして1998年のベートーヴェン・リサイタルから、ソナタ第32番。素敵な新年のお年玉(?)ですね、NHKさん、ありがとう。

この"Wie aus der Ferne"も、今日で2歳となりました。皆様のご意見、ご感想、また情報をお寄せいただき、ヨチヨチ歩きながらも、進んで参りました。
皆様のお励ましが何よりの喜び、エネルギー源です。またご注意をいただくことも、成長への一歩と思います。これからも、どうぞ率直なお声をお聞かせください。そしてご一緒に、マエストロ・ポリーニへの思いを深めていけたら、幸いです。

今回は、「お誕生日おめでとう!」という気持ちで、これまでマエストロ・ポリーニの受けられた、様々な栄誉の受賞を「ポリーニを称えて」として、UPしました。これからも増えていくことを確信し、心から願いつつ。

2003年1月5日 15時40分

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