10月16日、待望の「ポリーニ、音楽を語る」に行ってきました。
扉が開いて少しの間(いつものように)シーンとした中を、マエストロは通訳の女性と話しながら、出てこられました。
右手には重そうな黒革のカバン、「学者風」な感じです。ア、もう舞台だった、って感じで笑顔を見せ、拍手に応えにこやかに着席。
薄いグレーのスーツに落ち着いた色合い(紺地に赤と薄茶)のストライプのネクタイ。
ダンディです。1年半ぶりに見るお元気そうな姿に、ジーンとしてしまいました。
進行役は岡部真一郎さん、まず1時間半のお話と、その後に会場からの質問、ということで開始。
まず「60歳、還暦を迎えて、心境の変化はありますか?」との問いには、大きく苦笑しながら、
「全くありません、今までと同じように、新しいものに挑戦していくつもりです」とやっぱり意欲的なマエストロです。
次いで本題のプロジェクトについて話が進みます。以下、断片的ですが、メモをもとに記します。
プロジェクトは「まずザルツブルクで始め、ニューヨークでも行ったものだが、主催者から曲目、出演者、構成すべてを任され」、
「自分自身の好きな曲を、演奏だけでなく、聴くのも好きな曲を選んだ」
「一流のアーティストと共演できたことが大きなプラスになった」とのこと。
岡部氏が声楽作品が多いことをあげると、
「私はピアニストで、ずっとピアノと共に生きてきた。ピアノはオーケストラにも、また声楽にも寄り添うことのできる、大きな可能性を持つ楽器だ。けれども、私は「声」に対して非常に(グレート)ノスタルジーを感じる。人間の声は一番美しい楽器だと思う。私自身が声の作品を聴きたい」
「ザルツブルクでフィッシャー=ディスカウと『冬の旅』を演奏した」けれども、声楽家との共演はあまり経験はないとのこと。
シューベルトの話題からプロジェクトのプログラムに話が進み、
いろいろな組み合わせ(女声、男声、ソロ、コーラス、種々の楽器)の曲を配すこと、
いろいろな時代の音楽をどのプログラムにも組み入れること、
有名な作曲家の演奏されることの少ない作品を取り上げること、
どの日にも現代作品を取り上げること、をコンセプトにした、と。
「現代作品をもっと取り上げるべきだ、若い作曲家の励みにもなるし、同時代に生きる者として当然のことだ」と熱心に語るのも、ポリーニらしい。
17世紀の作品もあまり演奏されないが、「私自身が楽しんで勉強した3人の作品を取り上げた」
モンテヴェルディは言葉と音楽の関係を密にして、新しい音楽語法を生み、クリアでドラマティックな感情表現をして、オペラへとつながる新しい音楽のページを開いた。
ジェズアルド、マレンツィオもイタリアの活力ある時代に生きた巨匠だ。
ここでピアノに向かい、2人のマドリガーレを弾く。
当時は珍しい「ソ」からはじまるクロマティック・スケールが革新的だという、マレンツィオのペトラルカの詩につけた曲(ポリーニの声も聴こえる)。
ジェズアルドも半音階が革新的に使われ、特に最後の「morire(死ぬ)」という言葉につけた音は非常に新しい響きだ。
(弾きながら客席の方へ「どうです、美しいでしょう?」というような、柔らかな笑顔を向けます。本当に美しい音、斬新な感じのステキな曲でした。)
3人とも、ペトラルカやタッソなど当時の一流の詩人の詩に曲をつけ、音楽を通して言葉の力をさらに強くした。テキストと音楽とのハイレベルな結合がなされた、と。
シューベルトは多くの歌曲を早書きで書いたのに、ゲーテの詩にはスケッチを幾つも書き、書き直し、ハイレベルな曲を生み出した(「ウィルヘルム・マイスター」「水の上の精霊の歌」はゲーテの詩に付けたもの)。
また、ノーノの「ディドーネの合唱」はイタリアを代表する詩人、ウンガレッティの詩につけたもの。
マンゾーニの「霊魂の罠」は日本の世阿弥の能からインスピレーションを得たもの。
現代においても、優れたテキストと音楽表現は密接に結びついている、とのこと。
「アーティスト同士や文化人との交流から作品が生まれる」という点で、
「ポリーニさんはどうですか」との質問に、
「とても重要です、音楽家や詩人と触れ合うことは、可能性を高め、ファンタスティックです」
そして、時代によって音楽言語は様々に異なっているが、どの時代でも一流のものは音楽的表現力というものを持っている。表現力の力強さは変らない、現代の作品にも、それを聞いて欲しい、と。
シェーンベルクを例に説明、初期の「ペレアスとメリザンド」(とてもロマンチック!)と無調のOp.11を弾く。
シェーンベルクは無調へ移行することについて「他の人がやらないから、自分がやった」と言い、「いやいやながらの革命家」などとも言われるが、それは彼の革新が伝統の延長線上にあるということでもある。
今回の演奏曲、晩年の12音技法による「深き淵より」と、調性のある「地には平和を」の間に共通するものを聞いて欲しい、と。
次にブラームスのOp.116の「インテルメッツォ」とウェーベルンの12音技法の「変奏曲」の一部を弾いて、前者が後者に取り入れられていること、構造に内的連関があることを示す(確かに、よく判る)。
どちらもドイツ音楽の伝統に連なるもの、と説明。
シュトックハウゼンもまたシェーンベルク、ウェーベルンの継承者であり、50年経った今、現代音楽の古典となりつつあるが、やはり新鮮であり、彼ならではのハーモニーが素晴らしい。
今回は第5、9曲を演奏するとのこと。
「ノーノはどんな作曲家ですか?」との岡部氏の問いに、「聴けばわかります」と一言、大笑い。
親しい友人だった。ドイツではじめて会い、ピアノ曲を書いて下さい、と頼んだが、ピアノには興味がないと言われた。が、2・3年後2つの曲を書き、ポリーニ自身もテープ作成に協力したこと。
その「苦悩に満ちながらも晴朗な波」では2つの楽器(テープとピアノ・ライブ)の対話が興味深いだろう。
岡部氏がノーノと日本の関係深さに言及。サントリー・ホールのオープニングで委嘱作を書いたこと。建築家の磯崎新氏が親しくて、お墓を設計したこと。秋吉台にホールを建てたこと。
ブーレーズについて。作曲界の巨人である、70年代初めにニューヨークで出会い、ベリオと3人でヴェルディについて激論を交わしたとか。
岡部氏の話では、ブーレーズは大のヴェルデイ嫌いで、「『運命の力』序曲を演奏しろと言われたら、指揮者を辞める!」と言っていたとか。しかし、イギリスBBC交響楽団に指揮者デビューの曲は、なんとショパンの協奏曲第1番、ロマン派の指揮は初めてで、ウェイターがお皿を落としながら歩くような指揮(どんな指揮?)だったとか。ポリーニも思わず笑って「でも、指揮者を辞めませんでしたね」
ベリオについて。セクエンツァは初期のT(フルート)と新しい作品]U(ファゴット)を並べ、それぞれ楽器は違うが、一つの声の追究を聴くもの、「アルトラ・ヴォーチェ」は'99年ザルツブルクのプロジェットの委嘱作で、フルート、メゾソプラノ、エレクトロニクスの交錯する妙を味わって欲しい、と。
ノンストップで真摯な話が8時40分まで続き、質疑応答になりました。
1.ヴェルディのオペラを指揮する予定は?
「ノー・プラン」。
2.ベートーヴェンの協奏曲4番第1楽章について、バックハウスは「喜び」を、アラウは「悲しみ」を表していると言っているが、ポリーニさんはどうですか。
「セレニティ、厳粛さのある曲だと思う。静かさとともにドラマティックな面もある」
3.ショパンのソナタ2番第1楽章の繰り返しについて。5小節に戻る、から冒頭へ戻るへと変更したのはなぜか。
「ショパンの手稿を研究して」。印刷され出回っている楽譜にはミスも多い、と厳しい表情。
(できれば、今夜の話に関連した質問にして下さい、と司会者に告げ、時間も余りないのであと2つに限定。)
4.演奏の変化について、プロジェットを行ってきていることと関係ありますか。
「そうは思いません」。
5.作曲家のつながりについて、ショパンとドビュッシーは、どうですか。なぜ、プロジェクトの最後におくのですか。
「ドビュッシーはショパンを大変尊敬していました」等々。
話し終え、質疑応答になって、さすがにお疲れのご様子のマエストロ。
(次回いらっしゃる方は、どうぞ講演会に即した質問をなさってください。)
前日に来日したばかり、今後も八面六臂の活動で超多忙、ということで、9時少し前に終了となりました。
主催者側に感謝を述べ、拍手に素晴らしい笑顔で応え、岡部氏、通訳の方と握手を交わし、ねぎらい、客席に優しい笑顔を向けて、扉に入る間際までにこやかに、去って行かれました。
英語のヒアリングはやっぱりダメで、ポリーニのお話は声を聞くこと(と見ること)に専念、通訳さんの話をメモしました。不十分なご報告ですみません。補足、訂正のある方はご指摘ください。
それにしても、充実した2時間でした。ポリーニの音楽への真摯な関わりが、あらゆることに感じ取れました。彼の音楽への熱心な探求の深さ、多彩さ。そのバックグラウンドの広さは、文化のあらゆる領域にまで及んでいるようです。ポリーニのピアノを聴くことだけが、ポリーニを知ることではない、と思わされます。彼はもっと大きな表現者、創造者なのだと(あ、神様とか、そういう意味ではありません)。
その多くのものの中から「大好きなもの」を選んで、確かな視点の下に構成して、提示してくれるのが、このプロジェクトです。いまだ知らぬ曲も、苦手意識が先立つ曲も、聴いてみよう、という前向きな気持ちになります。
印象的だったのは、「声」というものに“great nostalgia”を感じます、という言葉。
彼の温かい人間性が伝わってくる言葉でした。
ポリーニのピアノが歌に溢れているのも(そして時々彼の歌声が聞こえてくるのも)関連があるのではないでしょうか。
それから、ピアノを弾いている時の穏やかな顔、優しい笑顔。
久しぶりに聴くポリーニのピアノは、本当に美しい音でした。
ほんの少しの時間、曲のごく一部でしかありませんが、幸福感を味わいました。
浜離宮朝日ホールは音響の良さで有名だそうですが、こんな小じんまりしたホールで、ポリーニのピアノを聴けたら、どんなに幸せなことか。
ホールでは「ポリーニTシャツ」を売っていました。黒地にピンク(バラ色、かな? ケバくはないです)のポリーニの写真(editionの)。背中にはプロジェクト協演者の名前が一覧になっているもの。
エーッ!と驚き、可笑しさが込み上げ、誰が考えたの〜?と、発案には脱帽。
一瞬、ポリーニがこれを着て登場したら、、、との危惧も(^^;)(大丈夫でした)
でも。結構売れてるようでした。2000円也。
で、帰宅してから、やっぱり買っとけばよかったかなぁ・・・と迷っている、優柔不断な私です。
皆さまなら、どうなさるでしょう。