時々の雑記帳

音楽のこと、ポリーニのこと、日々の雑感を、
時々(気まぐれに)、書き入れます。

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このほかの日記帳はこちらを、すぐ前のものは「冬」1〜3月を、次のものは「夏」7〜9月ご覧ください。

(4月〜6月)

・・・灰色の雲・・・
梅雨に入って一週間、鬱陶しい日が続きます。家にいることが多いので、CDを聴いたり、Webを見たり、またボォッとしていたり・・・。結構楽しているのに、なんだか疲れを感じるこの頃です。皆様はお元気でお過ごしでしょうか。

マエストロは今日18日はパリでリサイタル。5月末から1週間も立たないうちに、3つの都市を飛び回ってリサイタルを行なったマエストロ、お疲れになったことでしょう。2週間の休養でもう充分リラックスされたでしょうか。

その3回の演奏会は、いずれもショパンとドビュッシーの同一プログラム。いくつかの批評からその模様がうかがえます。少しご紹介しますと・・・。

ブレーシャの演奏会は満席、切符売り場ではファンが空席を奪い合うほどだった。ポリーニは聴き逃せない、逃すべきでない、それは大演奏家という名前だけでなく、偉大な音楽の内容が、どの彼のリサイタルをも並外れたもの、それどころか比類ないものにするからだ。
例えば彼のショパン。彼は以前流行った似非ロマンチックな感傷的な態度に逆らう視点で進めてゆく。ポリーニのショパンは優しく、しかしまた果断な、実質のあるものだ。それは「2つのノクターン」で既に感じられ、前半への最良の前奏曲となった。提示された主題を、絵画的な二次元性の中で単調に示すのでなく、決然として形式上の厳しさをもって聴衆に届けることで、強く刻み込むことができる、そこに彼の功績がある。「バラード第3番」の呈示部の明澄さ、比類ない「スケルツォ第3番」の挑戦的で力強いショパン、明るい「舟歌」、とても繊細な「子守歌」、これらを思えば充分だ。ポリーニのこのような演奏は、最近のことではなく、むしろ長い発展の結果だということを思い起こすべきだろう。それは多くの大・小の音楽上の虚飾を除き清めることから出発したのであるが、それら最悪の嗜好の所謂“美しいもの”が、何十年もの間、ショパンという作曲家を聴き、評価する仕方を毒していたのである。
ドビュッシーも同じ様に素晴らしかった。ポリーニは「霧」の斬新な響きを「枯れ葉」の繊細な哀愁に、また「妖精はよい踊り子」の悪戯っぽさに変化させる。ドビュッシーの好む上機嫌さは、「風変わりなラヴィーヌ将軍」や「花火」のよく知られた引用に表われる。けれども「月の光の降り注ぐテラス」でポリーニは、比類なく洗練された詩的な真の傑作を贈ってくれた。
練習曲「ワルシャワの陥落(革命)」を含むアンコール(3曲)も素晴らしかった。ピアノの鍵盤の上を、中途半端でなく、最高に激しく怒り狂うショパンだった。
忘れることのできぬ、稀有の成功である。

ウィーンの演奏会は亡くなったベリオに捧げられました。
ここでは“しばしばクールな印象を与える、明晰な分析家”ポリーニとしては「ショパンとドビュッシー」のプログラムが珍しいことと思われたようです。そしてやはり「冷たいショパン」との批評もありましたが、一方、輝かしい輪郭を描く「ノクターンOp.55」、銀色に明るい鐘の響きの印象を残す「子守歌」、「舟歌」のリズム感に魅了された、との評もあります。
ドビュッシーでも、澄明さと純粋で混ざりけない音を織り上げる巨匠として健在で、各々の小曲の独自性を保ち、感情を描き入れながら、ポリーニは微細な音のニュアンスをも追究していた、と。ピアニストの純粋な印象主義は、散漫になって失せること無く、常にフォルムを維持していた、とあります。大きな歓呼に、いくつかのアンコール。

ロンドン公演の感想を鶏共和国掲示板でご覧になった方もいらっしゃるでしょう。聴衆は皆、熱狂的な喝采で、4曲ものアンコールがあったようですね。
この演奏会もベリオに捧げられました。新聞評には4つ星で、次のようにありました。

ポリーニは控えめな小品を叙事詩的な経験へと変えることができる。「ノクターンop.32」では、リリカルな長調のメロディが暗い和音の領域になだれ込み、最後の悲歌は強い悲劇性を帯びる。サロン音楽的な虚飾を剥ぎ取って、あたかも多義的な感情の世界を開いたようだった。これは亡き友ベリオに捧げる演奏会に相応しい開始だった。
ポリーニはレパートリーへの知的な関わりで有名だが、長い曲での選曲も見事だった。「舟歌」は次々と高まる揺れる波の連続として組上げられる。「バラード3番」のリリシズムは、音楽的ファンタジーと構築的な意思を結ぶ演奏によって、御影石に彫った壮麗な建物に変容した。だが圧巻は「スケルツォ3番」だった。彼はピアニストとしての力量をフルに発揮し、技巧の完璧さと感情的に圧倒しさるコーダで頂点に達した。
しかしポリーニのショパンには、建築的な厳格さより更に多くのものがある。「子守歌」は優しく、繰返される素朴な低声部にのって、一連の変奏を即興的に奏しているように見えた。アンコールの最後に演奏された「バラード1番」では同様に自然に発露する輝きがあった。それは完全性と自由性を結合させてカプセルに入れたようで、それが彼をこのような完璧な演奏家にするのである。
ドビュッシーの前奏曲第2巻にも、同じ質がもたらされた。どの曲も幻想的なイメージを呼び起こすように、ピアノの技巧が探求されていた。ポリーニの魔法のような演奏は、ドビュッシーの多彩で風変りな登場人物達に生命を与える、がそれは、表面的な華々しさよりも、明晰さとコントロールによってである。
踊る妖精や、風変わりな将軍の巧みな写実もあったが、後者ではドビュッシーの歪んだメロディーにポリーニ自身の特異性を付け加える:彼のしわがれた、即興的な歌声が音楽のウィットとドラマを高めたのだった。
最後の「花火」は華やかなクライマックスだった。ほとんど休止なしで12曲を弾き、ポリーニは交響的な一刷けをセット全体に与える、それは、彼の演奏における知性と詩情の錬金術的な融合を、より明白にするものだった。

演奏の後、サイン会に長い列を作るファンに、気さくに応じられたというマエストロ。お疲れさまでした。

今日のリサイタルは、久々にドイツ音楽系ですね。どんな曲目か気になります。ご存知の方、お知らせいただけると嬉しいです。
サンクト・ペテルスブルグの情報も全く判りませんが、シーズン最後のリサイタルが素晴らしいものとなりますように。

夏のザルツブルク音楽祭には、シュトックハウゼンの新作が初演されますが、出演者リストには声楽とシンセサイザーの演奏者名だけ。以前はMaurizio Pollini;Klavier とあったのに。 作曲上の変更なのでしょうか、ポリーニの出演はないようです。スケジュール表を更新し、シエナの曲目を載せました。

2003年6月18日 18時15分

紫陽花の道
気の早い台風が大雨を降らし、でも今日は台風一過の晴天!・・・のハズなのに、やはりドンヨリした朝でした。
今日から6月、はしり梅雨からそのまま梅雨になってしまうのかしらと、ちょっとユーウツ。

でも、明るい気分にもきっとなれる!はず。マエストロはお元気になって、シーズン最後の演奏会に臨まれているでしょうから。
昨日のブレーシャでは、ミケランジェリの名に相応しいショパンとドビュッシー。ウィーン、ロンドン、パリという音楽の中心都市での演奏会。
そしてサンクト・ペテルブルクには、改名以来はじめての訪問ではないでしょうか。聴衆の大きな期待と、マエストロの音楽への熱い思いが一つになって、素晴らしい演奏会となりますように。

マエストロの今後のスケジュールが少し判ってきました。
夏には、またシエナで演奏会があるようです。ザルツブルクでの新作は、どうなっているのか・・・(こちらは、判らなくなってきました^^;)。
そして2003−2004シーズンもいろいろ発表になり、楽しみな、気がかりな来日も、日程が判りました。
2004年5月3・6・9・12日、4回のリサイタルを東京および近郊で開催、とのこと。
クララ様、梶本音楽事務所様、貴重な情報を、ありがとうございました。
今回の更新では、シーズンでのスケジュールを英語版で作って見ました。海外の方にも見てもらえて、もしかしたら外国の未知の情報を知らせてくれるかも・・・なんて、虫のよいことを考えて。不確かな英語です、気がつかれたことなどあれば、お教えください(劇場名はそのままの表記ですが、アクセント記号がつけられませんでした)。

先日、アルバン・ベルク弦楽四重奏団を聴きに、紀尾井ホールへ行ってきました。たまに、室内楽をじっくりと聴きたくなります。
プログラムはモーツァルトの16番、ベルク、ベート−ヴェンの14番。
第1曲目は、作曲者と変ホ長調のイメージから、大らかな、愉悦感ある音楽を想像したのですが、真摯な、求道的ともいえる演奏、でも次第に曲のもつ温かみや、輝きが発揮されて、充実した音楽でした。
ベルクは空間を切り裂くような鋭い音で始まる、難しい曲。時々響く表現主義的、あるいは後期ロマン派的な旋律に耳を慰められながら、緊張感に満ちた4人のアンサンブルに聴き入りました。
後半のベートーヴェン嬰ハ短調は、まさに厳粛な演奏でした。この日はベリオ死去のニュースを見た後で、この会場で彼の音楽を聴いたことを思い出したりしていたのですが、心の中に哀悼の思いが湧き、祈りをささげました。中間部の深々とした旋律、その大らかさと温もりに心慰められ、変奏ではさまざまな表情を楽しみました。そして力強い最終楽章。ベートーヴェンは本当に素晴らしい曲を書き残してくれたと、良い演奏を聴けたと、しみじみ感謝の思いでした。

久しぶりの紀尾井ホール。昨年の公演でのマエストロの姿を、つい思い起こします。チェンバロに向う後ろ姿。ノーノの楽譜を抱えて登場した時の嬉しそうな笑顔。舞台の横で出演者に拍手を送っているところ。横手の客席で現代曲を聴き、最後まで拍手を送っていらしたマエストロ・・・懐かしくなりました。
そうそう、紀尾井ホールへと向う道は、紫陽花が綺麗なんですよ。(まだ少し早かったけれど)

2003年6月1日 17時44分

「大音楽家の人生に迫る」本
シルヴァーまたはブロンズくらいの今年のゴールデン・ウィークでしたが、皆様、楽しく、リフレッシュなさいましたか。
私は近所の公園を歩いたり、つつじを見に行ったり・・・いつもの日常生活にちょっぴりゆとりがあった、というところでしょうか。マエスロトのCDをゆっくり聴いたり(*^^*)・・・(いつもと、どこが違うの?)

「あの少年は世界で最も偉大なピアニストになるか“さもなければ精神病院で終えるだろう”ピアノ史家ラッタリーノはそう思った」
こんなショッキングな文で始まる「ポリーニと彼のピアノ」という記事を見つけました。
『マウリツィオ・ポリーニ:ある芸術家の肖像』という本を紹介するものです。

「ショパン・コンクールに4曲の至難な練習曲(Op.10-1、10、Op.25-10、11)をもって登場したのはきわめて勇気ある選択だった」「“技術的に我々全員を超えている”とルビンシュタインが感嘆した」・・・この頃のポリーニの印象は冒頭の言葉のようだったのでしょうか。ナイーブで繊細で、感受性豊かで神経過敏で、鋭い知性に、潔癖さと妥協せぬ果敢さを持って。
「紙一重」という言葉があるけれど、ポリーニが今、偉大なピアニストの道を究めつつあることを、感謝せずにいられません。

「(コンクールの成功に)満足することなく、青年は仕事をより強化した、それによって20世紀、21世紀の最高の演奏家の中に位置づけられるだろう。厳格さと、メソードと、好奇心と、感じやすさと。更にまたある種の“真の狂気(熱情)”を持って。それにより70年代初めに、暗譜でシュトックハウゼンのピアノ曲10、ブーレーズの第2ソナタ、バルトークの2つの協奏曲、当時殆んど知られていなかったシェーンベルクの全作品を演奏したのだ」
8年間の所謂「休眠」期間が、実は「休」どころか、広い探求と深い研究に割かれたどんなに充実した重要な時期だったかが、うかがわれます。

この本はSkira(出版社)とU.ミケーリ財団により出版され、財界人でピアニストのF.ミケーリ氏が熱烈な序文を書き、その中では演奏会前のポリーニの集中の様子(フィルター無しのPall Mallが必須!)や、ハンブルグ・シュタインウェイでのピアノ選びに同行したことなどが書かれているようです。
それから、ポリーニが愛し、探求している作曲家達について:ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、シューマン、リスト、ブラームス、ドビュッシー、シェーンベルクそしてバルトーク。
また、知識の地平を広げようとするポリーニを知るのに充分なのが、音楽学者レスターニョ氏(この本の監修者)の“スナップ写真(?)”
「“冬の旅”でフィッシャー=ディスカウの伴奏に夢中な所、ロンドンでのシャリーノの新作発表にブーレーズと共に集中している所、マレンツィオ、ジェズアルド、モンテヴェルディのマドリガレの勉強に没頭している所、ノーノの磁気テープからの反響を捉えようと身を乗り出している所、シューベルトの殆んど忘れられたオペラ(『フィエロブラス』?)の研究に熱中している所」

さらに、熱心な闘いについて。それは「左翼系知識人としてベトナム戦争に反対したり、ノーノと共に労働者のために工場で演奏した、ということのみではない」「貧しい聴衆の階層が上質な音楽により親しむための闘いであり、また、現代の音楽をより多く知り、経験し、聞くための音楽祭、会など、新しい機会を発起するにあたり、常に先頭に立つ積極性」でもあります。

次に、一流の人々が登場します。ベリオ、ブーレーズ、マンツォーニ、シャリーノ、シュトックハウゼンの「証言」。
ローゼン(米、ピアニスト)、キンダーマン(米、音楽学者)、サムソン(英、音楽学者)、ビェッティ(伊、ピアニスト・作曲家・学者)、オズモンド-スミス(英、音楽学者)、ハミルトン(米、リスト研究家)、ウヴィエッタ(伊、評論家)、ブリンクマン(独、音楽・文学・哲学研究家)そしてレスターニョ自身による「研究」。
「テーマが彼に特に結びつかない時、作曲家や音楽学者達はポリーニについて直接的に語ってはいない、けれども、彼と共に織り上げる想像上の対話を通じて、音楽的・美学的な思索の深みを探っているのである」・・・凄いことです。そして記事は次のように結ばれます。
「多様で教養に富む、しかし素朴で内気で慎み深い演奏家に、これ以上の敬意があるだろうか。彼は61歳にして、演奏に全身を投入し続けている、まるでそれが最後の闘いであるかのように」(La Stampa 4/11)

274ページ(32euro、4000円位?)の本。読みたいですね、勿論日本語で!! 内容的にかなり難解そうだから、音楽・美学・哲学等々、碩学の先生に訳していただき、出版して欲しいものです。
入手しても全く読めはしないけれど、せめて見たい、持っていたい、と思って、Skiraのカタログを探したけれど見つかりませんでした。ミケーリ財団で扱うのでしょうか???

今回の更新は秋のスケジュールをいくつか、載せました。2003−2004シーズンです。来日はいつになるのか、そろそろ気になりますね。

2003年5月8日 23時34分

ゆっくりと春の日を
初夏を思わせる陽射しの今日この頃。時に肌寒い日もあるけれど、季節は着実に移っていきます。
世界中を爆音で揺るがせた1ヶ月は、平和のありがたさを身に染みて感じさせた春の1ヶ月でした。同じ地球上に、もう二度と、あってはならないことですね。安らかな日の続くことを、本当の平和が戻ることを、願わずにはいられません。

プロジェットを終え、ダニエーレとの共演も終え、イタリアを離れて、長いアメリカへの演奏旅行に旅立たれるマエストロ。戦争が一応終わって、旅行も安全になって、ホッとしていました。
イラクのために、アメリカのために、世界のために、心をいためていらしたマエストロ。その美しい音楽が、アメリカの人々の心の奥に、響き透りますように・・・。
そう願いながら、日記を書いていましたが、ふと見たシカゴ響のサイトに、「キャンセル」の文字を見てしまいました。
Symphony Center today announced that pianist Maurizio Pollini regrettably has been forced to cancel his United States touring and performing schedule this spring due to back strain.

大きなプロジェクトに協奏曲3回(公開ゲネプロ1回)。1週間ほどの間をおいて協奏曲2回・・・。無理をなさったのでしょうか・・・、心配です。暖かい春のミラノで、ゆっくり静養されて、少しでも早く快復されることを、心から祈っています。

ダニエーレとの演奏会は、どんなだったのか、きっと話題になって報道されるだろうと思っていましたが、Webでは見つけられませんでした。どなたかご存知でしたら、お教えください。
ダニエーレはこの後は、5月4日L'Aquila、14日ミラノ、27日はパリでリサイタルです。パリのプログラムは、ラヴェル「夜のガスパール」、ショパン「24の前奏曲」、スクリャービン、シャリーノというもの・・・、どんなショパンかしら、ちょっと聴いてみたいですね。

音楽雑誌の5月号も出揃いました。各誌(音楽の友、音楽現代、ショパン、ムジカノーヴァ)で、新譜紹介に「熱情」を取上げ、推薦・絶賛しています。
『レコード芸術』では「特選盤」。それに吉田秀和先生の「DISC」でも取り上げられ、あんまり凄くて「感想らしきものをいういとまもない」とか。ベートーヴェンにとっても一世一代の大作である「熱情」を、その激越過激さを、そのとおり大作として弾いた充実した演奏と。また24番から26番「告別」を挟んで27番へ、曲想の連関を指摘しています。長く音楽を聞いていらした先生でも、ポリーニの演奏からは、また新しいことが見えて(聴こえて)くるようです。

今回「ポリーニのプロジェクト」をアップしました。ザルツブルクからローマまで、プログラムを表にしただけですが、プロジェクトの流れや、それぞれの特徴など、比較してみるのも面白いのではないでしょうか。ニューヨークの詳しい資料は、工藤様にお送りいただきました。本当にありがとうございました。

2003年4月22日 13時37分

ミラノの休日
4月です。いろいろな始まりの月。ラジオ・イタリア語講座「初級」はどうしよう・・・ちょっとサボろうかナ・・・と思いながら、テキスト(3月号)をめくっていると、「マウリツィオ・ポリーニ氏」という字が目に飛び込んできました。
昨年のリサイタルを聴いた方の投稿で、最終日の翌日、ホテルのロビーでポリーニを見かけ、「写真を撮ってもらおう、何かイタリア語で話せ」とご主人。とっさのことで、やっと出た言葉が“Facciamo una foto insieme?”ポリーニは“Si.”と言って横に立ってくれ、握手しながら何か話し掛けてくれたとか(優しいマエストロ、羨ましい・・・)。本当なら挨拶をしてもう少しきちんと話したかったのですが・・・という内容でした。
「一緒に写真撮りましょう」って感じですね。もし私だったら、もう少し丁寧に話すなら、なんて話し掛ければいいのかしら、と考えてみても、なかなか言葉が出てきません。きっと言葉を思いついた時には、マエストロの姿はもう無かった!ということになりそう(それとも、日本語ででも話し掛けちゃうオバタリアンな私?^^;)・・・やっぱり5回目の「初級」も、ガンバロウ! 少しは喋れるようになって、マエストロとお話したいナ、と、夢(妄想)をふくらませております。春ですネ。

マエストロはローマでのプロジェクトを終えられ、ミラノのご自宅で寛いでいらっしゃることでしょう。大きな仕事をやり遂げた満足感をもって。

協奏曲の3公演も、プロジェクトの延長のように捉えられ、この1ヶ月で2万人がポリーニの演奏を聴いた、と書いている記事もありました。ゲネプロの日の模様を。

『サヴァリッシュとポリーニは聴衆を興奮させる』

さあ、これが新しい大ホール中を熱狂させる演奏会だ。指揮者・サヴァリッシュとピアニスト・ポリーニのベートーヴェンのために、昨日は、朝も夕べも“サンタ・チェチーリア”は満員で、明日と明後日の再演も全て売切れと告げられた。全部で11,000人以上である。そしてローマはここ数日で、ポリーニを7回、そのプロジェットの演奏会で聴いたことを言っておこう。なによりも、ピアノ協奏曲第4番第1楽章の後の“タイミングのずれた(時ならぬ?)”拍手から、新たな聴衆の存在がうかがわれた。

これはフェスタだ、と、言いたい気にさせられるかもしれない、が、歴史的な時期はそれに相応しくない。確かに、熟考と精神を集中すべき機会だ。とりわけ昨日の朝は、2人のマエストロとサンタ・チェチーリア管弦楽団による公開のゲネプロが、全ての差別と闘っているアムネスティ・インターナショナルのために行われたのだから。

古典を特に愛好する指揮者と、少なからず前衛をレパートリーとするピアニストの組み合わせは興味深いものだった。だが、80歳の指揮者の英知と、ポリーニの統御された熱情は(ローマではすでに1970年にベートーヴェン「皇帝」で共演している)、ベートーヴェンの協奏曲のうちで最も独創的な、未来を先取りするこの曲の演奏において、よく調和していた。指揮者によりドラマティックに濃密になったオーケストラと、ピアニストの殆んどシューベルトのような歌との対話によって、謎めいた"andante con moto"の中には、哀愁に満ちた瞬間があった。

その後の第7交響曲は、サヴァリッシュ特有のオーケストラの滑らかさと美しい“レガート”をもって、広いアーチのようだった(?)。マエストロ(サヴァリッシュ)はプローヴェの間、音響についていくらか当惑を表していたが、舞台のいくつかの改変の後で、彼自身が後には見直している。いずれにせよ、平土間のBセクションでは聞こえ方は良く、高音部ではいくらか輝かし過ぎたほどだった。昨日の午前は非常に熱い成功だった。アンコールの要望はかなえられなかった。
(Il Messaggero 2003/3/30)

最終日4月1日の公演の後には、ポリーニのCDサイン会も行われたそうです。充実した公演と、ファンの熱い喝采で、マエストロもきっとご機嫌なローマの日々だったのでしょう。

そして、次の公演はダニエーレ君との共(?)演。楽しみに準備をしていらっしゃることでしょう。 パパとしては、ちょっと「ソワソワ」かもしれませんね。

また8日にはフィレンツェのPiccolo Teatroにて“Pollini e la sua musica”の上映があるそうです。入場無料で2回も。いいなぁ(もしフィレンツェにいるとしたら、2回とも見るつもりになってる・・・)。葉子さん、お知らせありがとうございました。

2003年4月6日 01時34分

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