時々の雑記帳

音楽のこと、ポリーニのこと、日々の雑感を、
時々(気まぐれに)、書き入れます。

更新状況もここに載せます。
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これ以前の日記帳はこちらを、すぐ前のものは「春」4〜6月を、次のものは「秋」10〜12月をご覧ください。

(7月〜9月)

秋の夜長に、寒くて早寝
「暑さ寒さも彼岸まで」とはいうものの、涼しさを通り越して東京は11月中旬並み、日光では初霜が見られたとか。しかも長雨、やんでもドンヨリ曇り空、なんだか気が滅入ってきます。
皆さまは、体調をくずしたりなさっていませんか。
寒さに震えて、あわてて秋物の服を引っ張り出したものの、こんな天気で夏物はしまえず、あちこちに積んだまま。「衣替え」という、日本の四季に馴染んだ風習も、今年は意味をなさないかのようです。秋晴れの高い空、スキッと爽やかな日が、待ち遠しいですね。

先日は10月のナポリのリサイタルを付け加えましたが、今回は、2004年のスケジュール表を更新しました。クララさん、貴重なお知らせをありがとうございました。
まずハンブルクとミュンヘンでのリサイタルです。ヘラクレス・ザールと聞くと、つい、レコーディングを思ってしまいます。ベートーヴェンのソナタ、ショパンのノクターン・・・な〜んでも結構です、マエストロ!
でも「折角来たのだから、ついでに録音も」なんて、マエストロは(DGの人も?)考えないかしら。きっとレコーディングはレコーディングとして、前々からキチンと予定を組んで行われるのでしょうね。

ルツェルン夏の音楽祭では、若い音楽家のために、20・21世紀の音楽をブーレーズが中心となって指導する、アカデミーも開かれます。"artiste e'toile"として音楽祭に参加するマエストロは、その後、ピアノ・マスタークラスを開き、28歳以下の6人の生徒(高度な音楽教育を受けた者、プロも可)を、7日間、公開で指導するようです。課題は
1.シェーンベルク又はウェーベルン 
2.ブーレーズ(第2ソナタ)又はシュトックハウゼン(第1〜11のいずれか)
3.自由選択
最後の日には、参加者のリサイタルが行われます。
その後アカデミー・オーケストラのセミナー(ブーレーズ他指導)が続き、最後にポリーニを迎えてシンフォニー・コンサート。何を演奏されるのでしょう、興味を惹かれますね。
より詳しい情報はこちらに。
http://www.lucernefestival.ch/pdf/LF_Academy_2004.pdf

2003年9月26日 00時00分

今からでも“残暑お見舞い申し上げます”(?)
百日紅とコスモスが一緒に見頃を迎えている・・・そんなニュースを見て、浜離宮庭園を訪れたい気になりました、が、やっぱりクーラーの効いた家にこもってPC三昧、CD三昧の私です。
夏と秋がゴッチャになったような今年、残暑がきびしいのも、大型台風のせいだとか。猛烈な大風、大雨に襲われた西日本、再度台風が上陸するらしい北海道・・・皆様お変わりないでしょうか。

思えば2年前の9月、強い台風が首都圏を襲い、過ぎ去ったその夜、TVでニューヨークの悲劇を見たのでした。秋晴れの空の下、信じられないような光景を。
あの日から世界が悪い方向へと急傾斜していった・・・ように思えますが、実は水面下、地表下にうごめいていた諸々の問題が噴出し、白日の下にさらされたということ。地獄の釜が開いたというべきか、パンドラの箱をひっくり返したというべきか。底に残った「希望」は出るに出られず・・・。「希望」のない闇のような世界、彼岸にしか光を求められぬ世界、それがテロを生む温床ではないでしょうか。一条の光があれば、かすかな希望があれば・・・。「戦争を以ってテロリズムと闘うことは、根本的な誤りだと思います」とマエストロも言う、その戦争がとうに“終わった”今。平和と自由と未来へ希望のもてる社会をもたらすために、世界は何をしたら良いのでしょう。せめて私達自身が、平和への意志を、希望を、持ち続けることでしょうか。

さて。ヨーロッパでも猛暑、山火事、大雨、洪水・・・今年は異常が相次いだようです。マエストロもあまり夏休みを楽しめなかったのでは、と心配です。
やっと涼しく、秋らしくなったミラノで、ゆっくり寛ぎながら、音楽の研究に励み、演奏会に通ったりと、楽しんでいらっしゃるといいですね。レコーディングの予定なども、あるのかナ? とちょっと期待しているのですが・・・。

今後の演奏会の曲目などが少し判ってきたので、スケジュール表に載せました。リサイタルはショパンとドビュッシーを自在に組み合わせたプログラム。それぞれの都市、ホールの聴衆を考えた細やかさが感じられますね。
気の早いことと笑われそうですが、来年の夏の音楽祭も魅力的。詳細はまだ判りませんが、載せてみました。

2003年9月14日 15時24分

真夏の夜の夢
夏ももうすぐ終わるというのに、もうすっかり秋の気配(・・・変な文ですね^^;)。真夏の輝きをちっとも楽しめないままに、今年の夏休みは過ぎていってしまうのでしょうか。可哀想な子供たち、心配な農作物。
一方ヨーロッパでは連日35〜40度(以上も)なんて猛暑が続き、老人が倒れ、山火事が頻発しているとか。一体地球はどうなってしまったのでしょう。異常気象とはいえ、人間の関与せぬ自然現象というより、その営みが影響を及ぼしたもののようです。地球の悲鳴、それとも怒り・・・?

さて異常といえば、私にもハプニング(オーバーな)。
マエストロのザルツブルクのリサイタルも終り、2、3の批評が出始めた頃。久々のドイツ語、ちょっとアタマ痛くなりそ・・・などと思っていたら、なんと、痛くなったのは、奥歯。重症の虫歯で、ズッキンズッキン痛み、リンパ腺は腫れるは、口内も腫れるは、熱は出るは、頭痛も起こる・・・しかも治療してくれた歯医者さんは、その直後「夏休み」。薬と氷枕と冷えピタをたよりに、4、5日間“安静”にしていました。疲労が重なり、弱いところに出てしまった(トシのせいもあり^^;)ということらしく、ショックでした。
こういう形で夏「休み」をもらったと思えばいい、と悟り(?)、少し良くなってからはマエストロのCDやDVDを、ノンビリ楽しみましたが。
そんなある夜の夢に、若き日のマエストロが顕われてくれました(バカらしい・・・とお思いの方は飛ばしてくださいナ)。
私は映画を見ているのです。荒唐無稽(夢ですから)S(?)Fファンタジー的悲恋ラブストーリー。金髪の美少女がヒロインで、その初恋の少年が実は、異次元(偶然地球と接触したんです)の超知的生命体一族の王子の仮の姿、だが、もう旅立つ時が・・・最後にやっと横顔がアップになると、それが18歳くらいのマウリツィオ様! 真剣な眼差し、愁いを秘めた顔・・・。
すっかりヒロインに感情移入している私は、半覚半睡の中で、なんとかハッピーエンドにならない?と考えたり。ポリーニならナイス・キャスト、映画出演のオファーがあっても不思議じゃない!と思ったり。でも、ピアニストとして歩んでくれて良かった!そして、マエストロが超能力の異星人だったとしても驚きゃしないけど、本当に人間でいてくれて、同じ時代にいられて、良かった!と思ったのでした(the End)。
真夏の夜の夢の、嬉しいプレゼント。それともう一つ、この数日間、家族のありがたさがよ〜く判ったのも、嬉しいことでした。

さて、ザルツブルクのリサイタルは、どんなだったのでしょう。
一見不思議なプログラムは「小さい(凝縮された)フォルム」というテーマを背後にもっていたこと。
シューマン「幻想曲」は理知的に捉えられ、爆発をコントロールした激情的ではない演奏。作品自らに語らせる(演奏家の)自己を放棄した表現の、まさに大道を行くものだった、と。
ショパンの演奏が豊かな彩色絵画とすれば、シェーンベルクは素描ともいえるもの、作曲者の望んだ「厳格な必然」が、まさにそのように演奏された。抑制と鍛錬の中でなお爆発的であるエネルギーを、かすかな打鍵のうちに充分に表して。(けれども演奏会直前に女性の不思議な叫び声が有ったらしく、マエストロは少しイラついていたようだ、客席も咳払いが多かった、とか。)
ショパンでは「小さな美味しい食物をサービスするようには、決してしない」演奏を、聴衆も皆静まりかえって聴き入ったようです。
ポリーニの前奏曲の演奏は、光を発する音の絵のようで、その小景は人間の精神状態を描いたもののように聴こえた。シジフォスを、束縛から脱するための絶望的な試みを思わせる、苦痛に満ちた第2番イ短調。(神との)贖いの契約が音楽となったような第9番ホ長調。
そして「5オクターヴのとどろくカスケード(小滝)。3つの低D音の強打。最後の音が殆んど減衰するその時、再びフッと花開くかのように、数秒間、音楽的エネルギーの雲が鍵盤の上に立ちのぼる:そのようにショパンの24の前奏曲の最後の音を弾くのだ、ポリーニだけが」
感動と興奮と。3つのショパンのアンコールもあって、大ホールは熱狂に覆われたようです。

3つの批評で読んだことをミックスして書きました(あまり良いことではないですね、すみません)。
「演奏会による“Jubel”(記念祭)」というタイトルもありましたが、1973年に音楽祭にデビューしたポリーニ、本当に30年記念でもあったのですね。巨匠的に風格に満ちて、しかし先鋭さも若い頃と少しも変わらずに、まさに“マエストロ・ポリーニ”らしい演奏会だったのだろうと思います。最後に一つの文の結びを。
「それはガラスのように輝くものではなく、真珠のような光沢の、歌に満ちたものだった」

日程表にシュトゥットガルトと、日本公演の都市・横浜を付け加えました。

2003年8月20日 14時53分

始まらない夏
夏休みに入ったというのに、子供達の元気な声も少なく、プールもガラガラだなんて。今年は夏の訪れが遅いのですね。
暑さに弱い私ですが、そろそろ、夏だ〜〜ッ!という開放感にも浸りたくなるこの頃です。でも、西の方から梅雨明けのニュースとともに、キラキラした海や熱い陽射しの映像。もうすぐ東京もギラギラの夏・・・(^^;ゞ

梅雨明けに合せて夏らしく更新しよう、なんて思っていましたが、季節とは関係なしで、マエストロの写真をMENUページに載せさせていただきます。
先日CD屋さんで見つけたマエストロ(editionの写真)が表紙の、INTERNATIONAL RECORD REVIEW(Jun.2003)という雑誌。"Beethoven Sonatas from Maurizio Pollini"と書いてあります。思わず手にし、パッとめくったらこの写真。思わず(またまた)買ってしまいました。
ちょっと目を通すと、"odd territory"とか、"lack of colour, humour and fantasy"とか、(ライブを付録にしたのは)"mystery"だとか、なんだか辛口評みたいで、メゲてしまったのですが。数日寝かせておいて(メロンじゃないのに)、気を取り直して、辞書も取り直して読むと、実はなかなか甘、じゃなくって、高い評価でした(^^)。

ポリーニは難解な大作(ベートーヴェンなら後期の作品のような)を知的に、技巧的にも見事に聴かせることで賞賛されている。また、しばしば「色彩、ユーモア、幻想の欠如」などと批判されてもいる。「熱情」は彼の厳しさによく応え得る作品(とりわけ第2楽章の構築性)だが、3つの気まぐれな(quirky)小品は、彼の長所に向いているだろうか。odd(妙な)分野ではないだろうか。
だが実際には、あまり知られていない小さい曲の演奏は、どれもみな喜ばしいものだった。いつものようにポリーニは細部を軽視せず、リズムとアーティキュレーションに特に熟慮を加える(例えばOp.54の第1楽章でのシンコペーションの巧みな輪郭)。
にもかかわらず、この演奏は厳しいものとは言えず、まして音色が単調だなどとは、言えない。Op.78の開始部のほろ苦い痛ましさの中に、Op.54のフィナーレ中を駆け回る茶目っ気に、Op.90の第2楽章の殆んどシューベルトのような幸福感の中に、愛情を込めてニュアンスをつけた演奏があり、それは(彼に?)特徴的でない(uncharacteristic)テンペラメントの領域と、調和した色彩への思いがけない感受性を示している。
(比較盤の)ケンプのように温かな寛大さをOp.54に献じようとはしない。Op.90で、情緒的な配合を注意深く変化させても、リヒテルの水銀(?quicksilver)には敵わない。だが、しばしば彼の演奏家としてのペルソナを表す厳しさ(収斂性)を、ポリーニは避けている。
"ポリーニの変わることなき荘重さ”という型にはまった認識を、このリリースは掘り崩すが、一方、録音に際しての要求の強さ、という点でのポリーニ伝説は健在である。
ここにはライブ録音のCDも1枚入っている。正規盤も良いが、もう一方はさらに説得力がある。演奏のアウトラインは大体において同じだが、No.24の演奏は、特にフィナーレで、ぎりぎりまで奔放であり、「熱情」の最後はずっと荒れ狂っている。どうしてポリーニは、この演奏を付録などにしたのか、謎(mistery)である。熱烈に(warmly、心から)お薦めする。(Peter J. Rabinowitz)

評者はライブ盤の方が音質も優れていると書いています。オマケなんて扱いは勿体無いじゃないか、という感じで“mistery”としたのでしょうね。判るような気もします。でもやはり正規盤の魅力は揺るぎないもの、misteryであっても、両方聴かせてくれるgenerosityに、私は感謝したいです。

イタリアから取寄せてもらった“Maurizio Pollini:Ritratto di un artista”がやっと届きました。真っ白い表紙に赤い題字が入ったステキな、でもズッシリと重い本です。
280ページの8割くらいが、専門的な(と思われる)“Studi”。とてもトテモとても、歯が立ちそうにありません(T_T;)。
頼みは日本語訳の出版だけど・・・こんな難しそうな本、売れるかな〜〜〜〜?
とにかく私がまずしたことは、ビニールのカバーをかけること、でした。(何年かかっても、一部だけでも、読むゾ!のココロ、とお考えください)

ひとつ気になるニュースが、ペーザロからありました。
ダニエーレが8月半ばにロッシーニ音楽祭で指揮する予定だった「ランスへの旅」から下りたそうです。
ロッシーニ音楽院の生徒と演奏する予定だったけれど、音楽祭の芸術監督で音楽院の指揮者でもあるZEDDA氏と折合いが悪かったことが原因だとか。
将来の協力(多分マエストロとの)に配慮して、決裂は避けられたが・・・というような文もありましたが。
若いダニエーレ。“ポリーニ”という名が、良くも悪くも常についてまわるのでしょうね。マエストロもお心を痛められているのではないかと、気がかりです。
8月からはじまる音楽祭でのリサイタル、素晴らしい演奏となりますように。

今回の更新は、リンク集にいくつかの追加と、2003年、2004年のスケジュール。
8月29日のザルツブルクの日程は、一旦消しましたが、DGサイトに載っていることでもあり、復活させました(優柔不断な私^^;)。“Duefte Zeichen”に先立ち、マエストロのピアノ独奏があるのかもしれません。そうではなくても、シュトックハウゼンの新作プレミエを、マエスロトはきっと聴きにいらっしゃると思うのですが。

2003年7月27日 17時55分

なんとなく文を遣りたくなる(?)文月
今年も早や半分が過ぎました。梅雨も真最中、朝はのぞいていた太陽も、雨雲に隠されてしまいました。少し肌寒いような7月の初めです。
イタリアは記録的な猛暑だとか。しかも電力不足で停電、などというニュースもありましたね。急に起ったのでエレベーターに閉じこめられたとか、信号が消えちゃったとか・・・。イタリアらしい(^^)というべきか。いえいえ、今年の日本の夏を予言するようで、コワイです。

マエストロは、この7月はゆっくり休養されるのでしょうか。昨年、一昨年と連続してシエナでセミナーを行なわれましたが、今年は演奏会だけのようです。「1ヶ月くらいの長い休暇を取る」のが常だったマエストロ、ゆったりと休暇を楽しんでいただきたいですね。

ところで、マエストロの「休暇」って、ピアノから全く離れてしまうのかしら、それとも好きな時に好きなだけ、楽しんでピアノを弾くのかしら・・・?
そんなことを考えたのは、新聞記事で「私のピアノがいけないの」なんて記事を見かけたからです。
ミラノの女流ピアニスト(音楽院の教師)が近所の人に「ピアノがうるさい」と訴えられて、裁判で賠償を命じられた、というもの。大家さんの許可も得て、防音工事も施したのに、まだ充分でなく、人生で最も愛する音楽が出来ないなんて・・・と、彼女は悲しんでいると。イタリアでは街の騒音が年々激しくなり、それだけ人々は住居周辺では静寂を求めるのだとか。行政も適切な対処を求められている、という内容でしたが、世知辛い世の中になりつつあるのかもしれません。

「開け放たれた窓からピアノが聴こえてきて、ポリーニの家が此処と判った」・・・こんな文で始まるインタビュー記事が以前ありました。洒落た情景を思い浮かべながら、近所の人、羨ましいなぁ、と思っていましたが・・・。
猛暑+停電(冷房なし)+開け放たれた窓からピアノが・・・となると、どうでしょうね(私ならやっぱりウレシイけど^^;)。ご近所の方、よろしくお願いします。
でも、なによりも、お気に入りの静かな涼しい避暑地で、リフレッシュなさいますように、マエストロ。

今回は2004年のスケジュール表を作りました。曲目などは判らないものばかりですが、なにかの参考になさってください。併せてMaurizio Pollini's Scheduleも更新しました。

2003年7月1日 16時05分

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