アメリカ公演旅行を終えて、マエストロはミラノのご自宅で寛いでいらっしゃるのでしょうか。
6月はウィーン芸術週間でのリサイタル、そしてパリでのFeeling Inventionを締めくくるリサイタル。シーズンの終わりに向けて、ゆっくりと準備を進めていらっしゃるのでしょう。
さてアメリカ公演でのモーツァルトの協奏曲は、どんなだったのでしょう。それぞれの都市の批評がありましたが、他の曲目であるシュミット「交響曲第2番」に多くを割き(めったに演奏されない曲で、後期ロマン派風、美しさも有るが長大でもあり、演奏するのは大変、構成的にもいかがなものか?風な批評)、ポリーニの演奏については短い評になっていました。
モーツァルトのピアノ協奏曲第27番変ロ長調(K.595)はそれ(シュミット作品)とは妙な対照をなしていた。サヴァリッシュは、神のようなホルン奏者デニス・ブレインから、広く称えられたピアニストのアニー・フィッシャーまで、多くのモーツァルトの協奏曲の伴奏を行っている。そして、ポリーニの強く表された理念から生じた演奏観を展開していくのに、彼は適していた。
イタリアのピアニストは、思慮深く、音と音を滑らかにつないで、この音楽の演奏に別のやり方はないと主張するような演奏法を持っている。彼は問いを発しない、彼は判断を下すのだ。
しかし、それはなんと高貴な、宣言のような声明だったろう。そしていかに説得力のあるものだったことか。ポリーニが演奏している時、真理へ至る他のより良い道が可能だろうか、などと思う理由はないのだ。
(Philadelphia Inquirer 20.May)
モーツァルトの最後のピアノ協奏曲変ロ長調で、フィラデルフィア・サウンドとマウリツィオ・ポリーニは、不気味なほど全く醜さのない領域を占めていた。これは、そうである、ではなく、そうあるべき、という世界だった。モーツァルトのオーケストラ・パートは、古楽(early-music)の擁護者に距離をおかせた、豊かに丸みある、光輝くかすみ(豊麗な響き)の中で転回した。
ポリーニの情熱は、音楽の地上的な、個人的なsubtextのためでなく、音楽の純粋さのためにあった。
正しく、彼の最終楽章におけるテンポは速すぎた(モーツァルトは「プレスト」でなく「アレグロ」と書いている)、だが驚くべき速さにおいての、小さな音の価値を明瞭に表現できる能力を与えられて、ポリーニは特別の(神の)摂理(or ルールの適用免除)を得ている。
(New York Times 23.May)
下手な訳ですみませんm(_ _;)m ・・・つまり、最終楽章は指定より速すぎたけど、もう素晴らしかったので、神も(モーツァルトも)特別に認め、許すだろう、或は、やっぱり天才だ!! ということでしょうか。
公演に先立って、Philadelphia Inquirer紙のインタビューもありました。
ポリーニは謎めいた人のように思われてきたが、近頃はインタビューにもよく応じ、アンコールを弾き、サイン会もする。大きな変化なのか、いや、彼の神秘性は信奉者がそう信じたいことに依っている。実際の彼は・・・と、少々「意外」な面を紹介しています。断片的にですが、載せてみます。
彼はいつもCDにサインしてきた。(しかし)彼はサインより語り合う(chat)方が好きらしい。
「あなただって200回も名前を書くのは、面白いことじゃないでしょう」
ある午後、ニューヨークのホテルで、トレードマークのグレーのスーツを着て、彼は語った。
「私自身は1度だけ、サインをお願いしました。それはワルター・ギーゼキングです」
すなわち、フランス生まれのドイツ人ピアニストで、1956年没、ドビュッシーの感能的な色彩感で有名である。その(色彩感の)質は、ポリーニのより厳しいアプローチには欠けていると、ある人々は言う。
ポリーニはその指(の動き)の、エレガントで、クリアで、ガラスに刻むかのような精密さで有名だ。だが、その質は、計画されてあるのではない。
「私は音の清澄さについて全く考えません。私はそれが好きです、が、考えたものではないのです」
ペダルを使って彼が指(の働き)を調節する器用さは、驚くべきものだ。
「あれは全く直感的です。私の楽譜には、ペダルの印は全然付いてないですよ」と彼は言う。
彼のプライバシーへの追求に言及すると、ずっと家庭を大切にしている人は不審そうだ。
「私はそんな決心をしていませんよ」
そして、なぜ人が彼の内面(or 家庭内の)生活を知りたがるのか、いぶかしむのだ。
誰も知らないポリーニ(の一面)が、ここ数年ニューヨークやロンドンで、現代音楽と古代、ギリシャ頌歌やルネッサンスの合唱曲を並べたプログラムで、演奏会に行く人々を驚かせて以来、人々は不思議に思っている。
「このアイディアは、我々の音楽的遺産が多くの人が知っているよりずっと優れている、ということなのです」
しかし、このコンサートがもつ長期間にわたる影響については、彼は敢えて推測しようとはしなかった。彼は自分のコントロールを越える事のために、その頭脳のスペースを与えないのだ。
今度DGから13枚のPollini Editionが出たが、それよりずっと少ないにしても、どんな録音の回顧に関しても、彼はとても興味を持つ人だと思われる。それ(Edition)は彼の関与を必要としただろう。しかし、彼は自分の録音を聴き直すタイプではない。彼は気弱そうに、聴かなかったと認めた。
「私は記憶に頼りました」
彼の頭を大いに占めているのは、これから演奏する曲のことである。
モーツァルトの最後の病気の数ヶ月前に書かれたピアノ協奏曲第27番は、ポリーニの見方では“素晴らしく役立ってくれた楽器への、作曲家の別れの挨拶”である。
こんなロマンチックな意見をポリーニのような客観論者が言うのは妙に思える。だが、ポリーニにはそう考える理由があるのだ。
「彼は毎日死について考えていること、死は親しい友だと、この時期の手紙に書かれているのです」
おそらくポリーニは、見かけとは反対に客観論者ではないのだろう。確かに彼はモーツァルトの協奏曲を、単なる協奏曲とは考えていない。彼にとって、それは「オペラ」なのだ。
「彼はそのオペラの登場人物たちに並はずれて豊かなものをもたらしました。信じられないほど様々な、膨大なものを。その豊かさが、それを表現できるモーツァルトの演奏を、私に夢見させるのです。それが、そのあるべきものなのです。明らかに。」