時々の雑記帳

音楽のこと、ポリーニのこと、日々の雑感を、
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このほかの日記帳はこちらを、すぐ前のものは「冬」1〜3月を、次のものは「夏」7〜9月ご覧ください。

(4月〜6月)

梅雨の晴れ間は嬉しいけれど
夏のような暑い日が続き、今年の梅雨はどこへ?と思っていたのに、梅雨入りしたとたん、典型的な梅雨冷え、鬱陶しい空。少し晴れ間がのぞくと、蒸し暑い。
日本人にはお馴染みの気候も、外国からのお客様には耐えがたいかもしれませんね。W杯も後半に入り、見応えのある熱戦ばかり。ルールも知らないし、興味ないわ、といいつつ、やっぱりTV見ている私です。イタリア頑張って〜ッ! 日本もネ!

今日は3時からFMを聴きました。ルツェルンでのライブ、ブラームスの1番は、気迫のこもった凄い演奏。ポリーニの熱い思い、烈しいものが、ストレートに伝わってくるようでした。そして彼の深い心情と、内面の大きさがこの音楽の世界を支えている、ということも。勿論、アバド&ベルリンフィルとの共演だからこそ、なのでしょう。

ウィーン芸術週間のリサイタルも素晴らしかったようです。
翌日には、早くもザルツブルク(!?)の新聞に『その時代を超える音楽』と題された評が載り、最大の賛辞を送っていました。抄訳します。

ウィーンの贅沢な聴衆にとっても、ポリーニの登場は特別のもので、ピアノ演奏の大ミサ、その価値が長く持続する式典であった。
(略)「彼の音楽を傾聴することは、彼の指の跳躍を目撃するのと全く同様に興味をそそられる。それはいかに思慮深く、そしてしなやかになされたことか。ポリーニが音楽表現と完璧な能力の結合を成し遂げていく、その要因のために、彼の技巧はいかに熟達し、精密であったことか。」(例としてブラームスとウェーベルンの音色の違いを挙げる。)現代作品を取り上げるのは彼の清廉さで、「卓越性がひとえに、音楽の全ての可能性の深さを測るという目的のために、奉仕するのである」。
「ベートーヴェンのソナタOp.78とOp.57(熱情)は、稀有な成果だった。ここでポリーニは、全く無比の、特徴的な道を、だが全ては作品の演奏技術的な要求から生じるのであるが、ロマン的な方向へと進む。この激烈なポリーニのヴィルトゥオジティの中で、作品は己とその時代を超えて、広く大きくなった。ベートーヴェン自身少しも予感しなかったかもしれない。歴史の背景を前にして、我々はそれを驚くばかりである。」(Salzburger Nachrichten 05.06.2002)

『すべてが最良に伝えられた』と題するのはウィーンの新聞です。

ピアノの夕べを始めるに当たって、ポリーニはその繊細な(洗練された)弾奏法で、ブラームスの7つの幻想曲を殆んど真の神経(過敏な?)音楽にした。そしてこの方向でウェーベルンの変奏曲Op.27へと進み、それはまさに魅惑的な美しさと表現の豊かさとなった。さらにシュトックハウゼンのピアノ曲5と9は具象主義(?Materialismus)に傾いた。演奏を通してそれは軽やかにきらめき、また一方、妥協なく集中された演奏であった。
次いで、聴衆として、人は内面的になにかを解放することができた:ポリーニはベートーヴェンの嬰へ長調ソナタを、それが呈示する内実の全てをもって演奏した。そこには確かな劇的なものと同様に内面化されたものがあり、おのずと多くのロマン的な美しさが呼び起こされていた。ベートーヴェンの「熱情」の初めの楽章に、芸術家は劇的なもの、烈しいもの、そして荘厳な力を与えた。中間楽章では内奥の力で感情を抑制し、そしてついにフィナーレにおいて、真のヴィルトゥオーゾ的な鍵盤の嵐の中で、彼は息もつかせぬ爆発的な緊張に、火をつけたのだった。(Wiener Zeitung 06.06.2002)

2003年のスケジュールが少〜し判ってきたので、表にしてみました。新しい情報など、お寄せいただけると幸いです。

2002年6月17日 01時46分

Mozart, as it should be
アメリカ公演旅行を終えて、マエストロはミラノのご自宅で寛いでいらっしゃるのでしょうか。
6月はウィーン芸術週間でのリサイタル、そしてパリでのFeeling Inventionを締めくくるリサイタル。シーズンの終わりに向けて、ゆっくりと準備を進めていらっしゃるのでしょう。
さてアメリカ公演でのモーツァルトの協奏曲は、どんなだったのでしょう。それぞれの都市の批評がありましたが、他の曲目であるシュミット「交響曲第2番」に多くを割き(めったに演奏されない曲で、後期ロマン派風、美しさも有るが長大でもあり、演奏するのは大変、構成的にもいかがなものか?風な批評)、ポリーニの演奏については短い評になっていました。

 モーツァルトのピアノ協奏曲第27番変ロ長調(K.595)はそれ(シュミット作品)とは妙な対照をなしていた。サヴァリッシュは、神のようなホルン奏者デニス・ブレインから、広く称えられたピアニストのアニー・フィッシャーまで、多くのモーツァルトの協奏曲の伴奏を行っている。そして、ポリーニの強く表された理念から生じた演奏観を展開していくのに、彼は適していた。
イタリアのピアニストは、思慮深く、音と音を滑らかにつないで、この音楽の演奏に別のやり方はないと主張するような演奏法を持っている。彼は問いを発しない、彼は判断を下すのだ。
しかし、それはなんと高貴な、宣言のような声明だったろう。そしていかに説得力のあるものだったことか。ポリーニが演奏している時、真理へ至る他のより良い道が可能だろうか、などと思う理由はないのだ。

(Philadelphia Inquirer 20.May)

 モーツァルトの最後のピアノ協奏曲変ロ長調で、フィラデルフィア・サウンドとマウリツィオ・ポリーニは、不気味なほど全く醜さのない領域を占めていた。これは、そうである、ではなく、そうあるべき、という世界だった。モーツァルトのオーケストラ・パートは、古楽(early-music)の擁護者に距離をおかせた、豊かに丸みある、光輝くかすみ(豊麗な響き)の中で転回した。
ポリーニの情熱は、音楽の地上的な、個人的なsubtextのためでなく、音楽の純粋さのためにあった。
正しく、彼の最終楽章におけるテンポは速すぎた(モーツァルトは「プレスト」でなく「アレグロ」と書いている)、だが驚くべき速さにおいての、小さな音の価値を明瞭に表現できる能力を与えられて、ポリーニは特別の(神の)摂理(or ルールの適用免除)を得ている。

(New York Times 23.May)

下手な訳ですみませんm(_ _;)m ・・・つまり、最終楽章は指定より速すぎたけど、もう素晴らしかったので、神も(モーツァルトも)特別に認め、許すだろう、或は、やっぱり天才だ!! ということでしょうか。

公演に先立って、Philadelphia Inquirer紙のインタビューもありました。

ポリーニは謎めいた人のように思われてきたが、近頃はインタビューにもよく応じ、アンコールを弾き、サイン会もする。大きな変化なのか、いや、彼の神秘性は信奉者がそう信じたいことに依っている。実際の彼は・・・と、少々「意外」な面を紹介しています。断片的にですが、載せてみます。

彼はいつもCDにサインしてきた。(しかし)彼はサインより語り合う(chat)方が好きらしい。
「あなただって200回も名前を書くのは、面白いことじゃないでしょう」
ある午後、ニューヨークのホテルで、トレードマークのグレーのスーツを着て、彼は語った。
「私自身は1度だけ、サインをお願いしました。それはワルター・ギーゼキングです」
すなわち、フランス生まれのドイツ人ピアニストで、1956年没、ドビュッシーの感能的な色彩感で有名である。その(色彩感の)質は、ポリーニのより厳しいアプローチには欠けていると、ある人々は言う。

ポリーニはその指(の動き)の、エレガントで、クリアで、ガラスに刻むかのような精密さで有名だ。だが、その質は、計画されてあるのではない。
「私は音の清澄さについて全く考えません。私はそれが好きです、が、考えたものではないのです」
ペダルを使って彼が指(の働き)を調節する器用さは、驚くべきものだ。
「あれは全く直感的です。私の楽譜には、ペダルの印は全然付いてないですよ」と彼は言う。

彼のプライバシーへの追求に言及すると、ずっと家庭を大切にしている人は不審そうだ。
「私はそんな決心をしていませんよ」
そして、なぜ人が彼の内面(or 家庭内の)生活を知りたがるのか、いぶかしむのだ。

誰も知らないポリーニ(の一面)が、ここ数年ニューヨークやロンドンで、現代音楽と古代、ギリシャ頌歌やルネッサンスの合唱曲を並べたプログラムで、演奏会に行く人々を驚かせて以来、人々は不思議に思っている。
「このアイディアは、我々の音楽的遺産が多くの人が知っているよりずっと優れている、ということなのです」
しかし、このコンサートがもつ長期間にわたる影響については、彼は敢えて推測しようとはしなかった。彼は自分のコントロールを越える事のために、その頭脳のスペースを与えないのだ。

今度DGから13枚のPollini Editionが出たが、それよりずっと少ないにしても、どんな録音の回顧に関しても、彼はとても興味を持つ人だと思われる。それ(Edition)は彼の関与を必要としただろう。しかし、彼は自分の録音を聴き直すタイプではない。彼は気弱そうに、聴かなかったと認めた。
「私は記憶に頼りました」

彼の頭を大いに占めているのは、これから演奏する曲のことである。
モーツァルトの最後の病気の数ヶ月前に書かれたピアノ協奏曲第27番は、ポリーニの見方では“素晴らしく役立ってくれた楽器への、作曲家の別れの挨拶”である。
こんなロマンチックな意見をポリーニのような客観論者が言うのは妙に思える。だが、ポリーニにはそう考える理由があるのだ。
「彼は毎日死について考えていること、死は親しい友だと、この時期の手紙に書かれているのです」

おそらくポリーニは、見かけとは反対に客観論者ではないのだろう。確かに彼はモーツァルトの協奏曲を、単なる協奏曲とは考えていない。彼にとって、それは「オペラ」なのだ。
「彼はそのオペラの登場人物たちに並はずれて豊かなものをもたらしました。信じられないほど様々な、膨大なものを。その豊かさが、それを表現できるモーツァルトの演奏を、私に夢見させるのです。それが、そのあるべきものなのです。明らかに。」

2002年6月1日 01時23分

偉大さへのプレリュード
マエストロのアメリカ演奏旅行も、前半の4回のリサイタルが終わりました。
ボストン公演は、早速ご感想をお寄せいただき、シカゴの新聞評も好評を伝えていました。ニューヨーク公演の様子も鶏共和国掲示板でお読みになったことでしょう。どの公演も2・3日後に新聞評に取り上げられ、どの都市でもポリーニは、注目と熱い喝采を浴びていたようです。
ワシントンのケネディ・センターのプログラムは最後まで不明だったのですが、2日後に新聞評があり、曲目が判りました。ショパンの「前奏曲Op.45」と「24の前奏曲Op.28」、ドビュッシーの「前奏曲集第2巻」という、秋の東京公演と同じもの(Op.45もあるといいですね)。

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A63171-2002May9.html

よく判らない部分もあり、各々お読みいただく方が良いのですが、一応、簡単にご紹介します。

Preludes to Greatness(偉大さへの前奏曲)
When Pollini Plays, Musicians Listen

ポリーニがワシントンで演奏したのは10年以上前になるが、チケットはほぼ完売だった。彼は何を演奏するにせよ一種の興奮―かつて大巨匠に接した際のような―を惹き起こす。他の音楽家が学び、見習うべきものを見出す数少ない音楽家の一人であり、その演奏会は、言葉の最良の真の意味での選り抜きのイベントだった。かなりの数の聴衆が、楽譜を携えて来ていた。

彼の鍵盤での熟練を疑う者はいなかったが、一旦その認識ができあがると、彼のピアニズムは種々の聴き手から大きく異なる反応を引き出した。けなす人々は彼の演奏を禁欲的で、理知的と見る;彼らにとってはポリーニは壮観な、無情なピアノ演奏マシーンなのだ。確かに、彼はちょっとしたピューリタンだ、或はモダニストと言ってもよい。彼は決して怠けることなく、天を振り仰いだり、音の光沢で誘惑しようともしない。全てが澄明で、ラインが明らかで、均衡が取れたものだ。

それでも、水曜日のプログラムに私は少し戸惑った。うっとりした、湧き出るようなショパンの前奏曲Op.45の演奏の後、ポリーニは作曲家がOp.28として発表した24の互いに連結した前奏曲の全曲を演奏した。テンポはきびきびして、感傷は最小限で、演奏は多くの場合、愛すべきというより、感嘆すべきものだった。さらに、ピアノの音がいつになく湿り気があり、ポリーニがペダルを使いすぎているかのように(見たところはそうではないのだが)時には少し濁ってさえいた。

しかし最良の瞬間はまた格別であった。神聖な、聖歌のような嬰ハ短調の前奏曲は、その悲哀において稀にみるほど壮大に響いた―完璧な演奏。3つの非常に技巧的な前奏曲(No.8、16、24)は非凡な繊細さで奏された。チクルスの終わりとなる荒涼たる低いD音の3つのゴングを、ポリーニは最大限に活用したのだったが。

ピアニストが曲と曲の間の静寂をいかに“構成する”か見守るのも魅惑的だった。転調に依って、ある時は疾走前のほんの一瞬を待ち、ある時は明確に停止する。それはあたかもそれぞれの前奏曲に、木から全て落ちさせるのではないのに、個性的に芽吹き、花を咲かせようと、ポリーニが決心したかのようだった。

プログラム後半は全てドビュッシーの前奏曲集第2巻に捧げられ、それは初めから終りまで驚くべきものだった。ポリーニはドビュッシーの音楽に、友人の指揮者・作曲家ブーレーズとほぼ同じ方法でアプローチする;二人とも作品を鮮やかに磨き、霧に被われた微妙な色合いを神秘的に一括りにするように扱われがちなスコアから、新鮮なテクスチュアを取り出す。これは明るく精気に満ちたドビュッシー演奏であり、そして、逆説的だが、ポリーニの分析的な明快さは、音楽をよりいっそう魅惑的にするばかりだった。

もちろん、全巻はひとつの長い、細心に組み立てられた即興的な演奏のように響いた。その過程で、ポリーニはピアノから、未だかつて聴いたことのなかった響き―繊細なハープの音が突然舞い降りるか、低音部でナイアガラが湧き返るかのような―を呼び起こした。「花火」と名づけられた最後の前奏曲は、その華々しさ(それはかなりなものだったが)によってよりも、ドビュッシーのより静かなパッセージの中にずっと興奮の渦のように脈打っている残照によって、注目に値するものだった。

By Tim Page(Washington Post 2002.5.10)

ポリーニ・プロジェクトのチケット発売も終了しました。皆さまご希望のチケットを手に入れられたでしょうか。秋まで、期待を込めて待ちながら、より良く鑑賞するために「予習」もしておきましょう。まだまだ先のことですが、ご一緒に感動を味わえる日を楽しみにしています。

スケジュール表に2件の演奏会(8月シエナ、12月トリノ)を付け加えました。

2002年5月19日 15時59分

若葉の色が目に・・・
このところ曇りがちな日が続き、ゴールデン・ウィークを前にしても、ウキウキした気持ちにはならず、去年のあの心弾む日々を懐かしく思い出していました。
今日は朝の晴天を見て、やっぱり五月ッ!(^^)と思ったのもつかの間、また曇り空に逆戻り。外出を取りやめて、更新に励むことにしました。長いことご無沙汰でしたm(_ _)m。

今回は桜に別れを告げ、青葉の感じにしたかったのです。。。この色合い、実は夢に見た色なのです。
あるホールでのこと、ポリーニの新譜のお知らせがありました(夢ですよ!)。イギリスの古い民謡を、どこかの教会でチェンバロで演奏したもの。歌手はラングリッジと教会の少年合唱団。DGではなくプライベートな録音なので、一般には販売せず、輸入盤もごく少数の店で扱うとのこと。湘南に1軒、ここで買えるわ(*^^*)v、いつ入荷するのかしら、と騒いでいるところで、目が醒めました。そのジャケットが一面に淡い緑の木々の梢で、左上になぜか眼鏡をかけたマエストロの、空を見上げているお顔。なかなか良いセンス(と自分で言うのもナンですが)。その色がずっと目に焼き付いていたのです。本当は、もう少〜し落ち着いた色なんですけど・・・スミマセン、また夢の話などして。でも、皆さんはポリーニの夢、見ませんか? もしご覧になったら、差し支え(?)なかったら、教えてくださいネ。

今回は、ポリーニの書いた文章を訳して載せてみました。昨年の6月にイタリアの新聞に寄稿されたもの、11ヶ月ぶりに、やっと読めたというわけです。誤訳は、ありそうです^^;)気がついたら、どうぞお知らせください。それに、マエストロの文章はもっと含蓄のあるもの、拙訳で申し訳ない思いですが、どうか内容をお汲み取りください。

8月の予定にロッシーニ・フェスティバルのリサイタルを付け加えました。そうそう、音楽祭と言えば、7月のラヴェンナ音楽祭に、ダニエーレ君が指揮者として登場!(ムーティ先生、ヨロシク!)音楽一家・ポリーニ家、ですね。

2002年5月1日 21時40分

ミケランジェリ先生
「予習」をしようと、近所の図書館でミケランジェリの弾く「ドビュッシー:前奏曲集第2巻」のCDを借りてきました。1988年、巨匠68歳の時の録音ですが、精妙な音色、曲想の深さ、見事な技巧は、「さすが」としか言い様がありません。愛聴していらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
その解説書(佐々木節夫先生)に、ミケランジェリは'75年頃から第1巻とともにこの曲集をレパートリーに加えていたが、録音は第1巻から10年の歳月を経て実現した、それだけに「ドビュッシーが第1巻をしのぐより斬新な技巧や響き、晩年の思考を盛り込むために第2巻に時間をかけたと同じ姿勢を、ミケランジェリももっていたのだと思いたくなる。それほどに研ぎ澄まされたここでの演奏である」とあり、なるほど、と思いました。その文には「ぼくも82年の秋にウィーンでその演奏に接したが、唖然とするほどの名演とともに、コンサートに来ていたポリーニが興奮と感激に顔をほてらせていた様子を思い出す」ともありました。巨匠62歳、ポリーニ40歳の時のことですね。そして20年後、そのポリーニが(おそらく「同じ姿勢」をもって)、今いよいよ自分のレパートリーとして(これまでも何処かで演奏していたのかもしれませんが)、私達に聴かせてくれる・・・いやが上にも期待感が膨らみます。
リスボンとローマではショパンとの組合せで興味を惹かれますが、批評が見つからず(あっても読めないけど^^;)、ベートーヴェンのソナタと組合わせたシュトゥットガルトでの批評が、2誌にありました。

「ことドビュッシーにおいて、ミケランジェリがポリクローム(多色)の巨匠なら、ポリーニはモノクローム(単色)の巨匠である。印象派の芸術家のプレリュード第2巻を、堪能に、熟考して演奏したが、瞑想的な静寂はなかった、そこからのみドビュッシーの多彩さは広がってくるのだが。にもかかわらず。ポリーニの輝かしい音楽的知性は魅惑的だった。会場は大いに沸いた。」(Stuttgarter Nachrichten)

「ドビュッシーのプレリュードは、ピアノの響きの探求の頂点をなすもので、ポリーニの十八番である。ここでは第2巻を弾いたが、12の物語風の小品への彼の取組みの集中力の強さは、直ぐに感じられた。だがまた、そこにはっきりした出来事と物語風の性格とが無いことにも気づかされた、それらは、たとえ作品のタイトルが楽譜の最後に置かれているにしても、楽曲の中に明白にあるのだが。サティ風に名づけられた『風変わりなラヴィーヌ将軍(ケーキウォークのスタイルと動きで)』はポリーニによって滑稽で辛辣なウィットになる、ここでは勇士は踊りながらではなくびっこをひき、早足で元気にやってくる。『ピックウィック卿を称えて』は、ふやけてはいるが明らかに認められる英国国歌の引用をもって、あまり大言壮語的にではなく、奏された。」(Stuttgarter Zeitung)

後者の批評家は、前半のベートーヴェンのソナタについてかなり酷評し、このドビュッシーにも不満げなのですが、アンコールの4曲、特にバラード1番で、突如としてポリーニの巨匠性を体験して驚き、「激しくも心優しく、燃え立たせるように官能的で、そしてエレガント過ぎはしない」と、「ポリーニは謎だ」と結んでいます。

今回は2002年とともに2001年のスケジュール表も更新しました。今更なにを?とお思いでしょうが、12月の演奏会が1件判ったのです。クレモナでのシーズン・オープニングのリサイタル、曲目にはラヴェル「夜のガスパール」がありました。これも珍しいレパートリーですね(知っている限りでは、リスボンとウィーンでの2回)。
また2002年12月、ローマの新劇場こけら落しのように、栄誉ある登場も、現在のポリーニの地位を物語るものですが、一方、若い人向けの夏のセミナーにも熱心に臨む、いつも前向きな我等がマエストロです(^^)。

ポリーニ・プロジェクトの各公演のプレオーダーが始まりました。一般発売ももう直ぐ始まります。 皆さまの手に、チケットが無事入りますように!!

2002年4月13日 10時15分

かけあしの春
春の訪れを待つ心はずむ日々も、今年はあっという間に過ぎてしまいました。桜の花も散り始めて、もうすっかり春。
4月からは新しい仕事、新しい学校、新しい環境になる方もいらっしゃることでしょう。門出の幸を祈って(遅ればせながら^^;)Menuページを“やっぱり桜!”で飾ってみました(^^)v。
えーッと、Indexページの写真は、皆様ご存知のショパン:24のプレリュードのジャケットから。先日家の近くのリサイクル本屋で、LPを安〜〜く売っているのを見て、まさかネェと思いつつ探し、発見、即ゲット!しました。全くの「ジャケ写買い」ですが(^^;)、LPサイズは魅力も大きい(*^^*)。帯には「彼への高い評価に挑むように、ポリーニはさらに――。」のコピー。裏の解説(萩原秋彦先生)もその当時の若いポリーニへの、感嘆と期待に満ちた読み応えのあるものでした。

さて、3月上旬にドイツで行われた演奏会はベートーヴェンとショパン、ドビュッシーを組み合わせたものでした。遅くなりましたが、今回はフランクフルトの批評を載せてみます(怪しい訳ですが、April foolに免じ?、お赦しください)。

「近くへの冷静、遠くへの情熱」(Ellen Kohlhaas)

 二つのベートーヴェンのソナタでポリーニは、殆んど調和に欠けるほど内部の構造論理を強調した。外面は脈絡のない嬰へ長調ソナタでは、リズム的・メロディー的・ハーモニー的に、楽章内部の、また楽章間の繋がりを明らかにすることで、彼はこれを達成した。風変わりな、殆んど能書のように彫琢されたAllegro vivaceを、的確にもリリカルなAllegro ma non troppoにすぐに続ける:一つのメダルの両面。ポリーニは、自由闊達に紡ぎ出される全体を目指し、細部をごまかすことなく、それらを全体に従わせた。
 ヘ短調ソナタでは、両端楽章の常に仮借ない疾走は厳しく目を配られ、真正の作品名ではない「熱情」を彼はむしろ否定したいかのようだった。ポリーニは、殆んどわずかに古典主義的で、両端楽章の全く止まらぬ運動エネルギーの中でも、絶えず形式を完全なものにしようと、美しさの存続に照らして、整えようとしていた。ホールの反響の中の音形やパッセージの渦は、音の像にさらに光沢を与えた。それでもなおその演奏を、人は沈着とは言わないかもしれない:ポリーニはデュナーミクとアーティキュレーションにおいて劇的に演奏し、Prestoの大詰めへと向って行った。首尾一貫してAndanteの変奏曲は、二つの火山爆発の間で、ここでは平和な小景ではなく、潜在的に脅かされた間奏曲、明白にフィナーレのAllegroへ向い切迫したものとなった。
 ショパンもポリーニの大きなレパートリーの中心にある。だが前奏曲集Op.28にも彼は距離を置いていた、あたかもそれらが冷却された、或は新鮮な微風で冷やされたかのように。ポリーニが大きな関連しあう形式についていかに熟考したかは、十分に配量したパウゼと、しばしばそれ無しで、24の小品を円環に繋ぎ合せることで示された。ベートーヴェンの時と同様に、彼の核エネルギーと力強い把握をショパンに委ね、今回の控えめな表現を、明らかに有機的というよりもよく吟味されたルバートで補った。これが少なくともある種のエスプレッシーヴォを醸し出した。新鮮な風が諸々の感傷性を吹き払った、とりわけ「雨だれのプレリュード」で。
 ショパンのアンコール、夜想曲Op.27-2、「革命」のエチュード、そしてト短調のバラードで、あたかも幕が引き裂かれたかのように、よそよそしさが後退した。今になってやっと、芸術家は彼の技術の傑出していることに思い至ったようだった、それまでちょっとしたミスに曇らされていたのだが。今になってやっと、ポリーニがいかに音色に通暁しているか、それによってショパンの秘めていた未来性をいかによく理解していたかが明らかになった。その未来性からドビュッシーやシェーンベルクが、豊かな音色で旋律を歌わせることに、恩恵を得ることができたのである。
(Frankfurter Allgemeine Zeitung, 07,03)

2002年のスケジュールを更新しました。ニューヨークでは、オール・ショパン。
アンコール表に追加、変更があり、更新しました。BUNさん、池田さん、ありがとうございました。

2002年4月1日 00時21分

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