時々の雑記帳

音楽のこと、ポリーニのこと、日々の雑感を、
時々(気まぐれに)、書き入れます。

更新状況もここに載せます。
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このほかの日記帳はこちらを、すぐ前のものは「春」4〜6月を、次のものは「秋」10〜12月ご覧ください。

(7月〜9月)

・・・シューベルトのソナタを聴きながら
東京の都心を通り抜けた台風15号。久しぶりに荒れ狂う自然の猛威を目の当たりにしました。
しかし穏やかさが戻ったその夜、あのニューヨークの大惨事。悪夢のような光景に言葉を失いました。宗教、人種、利害・・・平和からは遠い様々な問題が世界にはあるにしても、あそこまで人間は残酷になれるのでしょうか。真に恐ろしいものは人間の本性とその社会なのでしょうか? 大きな悲劇をさらに拡大することなく、平和がもたらされるよう、祈るばかりです。

夏の終りのルツェルン音楽祭の批評がありました(『深い感動の時』Neue Luzerner Zeitung 9/3)。
アバドはベルリンフィルを退いた後、ここの祝祭管弦楽団を創設するとあって、大きな関心が寄せられていました。この地には病気後初めての登場で、外見の変わりようは驚きと心配感を与えたようですが、演奏は素晴らしく、彼が新たな予想外の力を得たことを、聴衆に確信させたようでした。
「彼はオーケストラに、本来の完全性と共に新しい表現の可能性と明確な響きの輪郭を与え、また豊潤な音色は、アバドの志向を楽団員が進んで受容れようとした結果だった。」
ブラームスの協奏曲は、荘厳さとともにエネルギッシュな鋭い衝撃を伴ったもので、ロマンチックにしようとする余分なものが一切無い演奏であり、
「それはまたソロパートを弾いたマウリツィオ・ポリーニの功績でもある。彼は力に充ちた、常に好ましい丸みのあるピアノの音色を以って、虚飾のない明晰さと明瞭さで演奏した。十分練リ上げられた密度の高い和音から、緊張感一杯に輪郭を描き出し、しかも抒情的な瞬間には、作為のない素朴な誠実さからくる深さを見い出した。成功を得ようと汲々とすることなしに、目を瞠るようなピアニスティックな事件ともいうべき演奏となった。」

10月のニューヨークで、この素晴らしい演奏が平和の中で行われることを、願ってやみません。

2002年春の演奏会を見つけました。中でもパリでの4回のシリーズは、興味を惹かれる内容です。
スケジュール表を更新し、会場のシテ・ド・ラ・ムジークをリンク集に載せました。

2001年9月15日 01時04分

目にはさやかに見えねども・・・
9月の声を聞くと、途端に空も風も秋めいてきたような気がします。
東日本は意外に早く酷暑から解放されましたが、西の方は暑さや大雨で大変でしたね。
まだ残暑がある、と気を引き締めつつも、なんとなくホッとして、落ち着いた気分を取り戻しながら、また音楽の秋を楽しむことにいたしましょう。
エッ、食欲の秋?・・・そりゃ、楽しみですけどぉ(^^;)

ポリーニのアツ〜い夏も、8月31日のルツェルン音楽祭で終わり、今ごろはミラノのご自宅で寛がれていることでしょう。
ザルツブルクではリサイタルも協奏曲も、超絶的な名演だったようですね。鶏共和国掲示板にも、感動・感激のお声が寄せられていて、溜め息つきつつ読みました。
私もラジオ中継は聴いたけど、あれを生で聴いたら、やっぱり凄かっただろうナァ・・・。
Wiener Zeitung (8.31)に次のような批評がありました。

長く確かな芸術家の友情

H.G.Pribil, Salzburg

水曜日に祝祭大劇場で行われた、去りゆくシェフ指揮者クラウディオ・アバドによるベルリンフィルの2回目のコンサートもまた、実に祝祭に値する出来事であった。
プログラム前半は数十年にわたり確かめられてきた芸術家同士の友情の象徴であった。マウリツィオ・ポリーニがヨハネス・ブラームスの第1ピアノ協奏曲、多くの人がこの作曲家の最高の"シンフォニー"と見なしている曲、のソロ・パートを弾いた。ここにはアバドとポリーニの間の最良の一致が支配していて、そしてこの親密さはもちろん十分な根拠があるのである。
鼓舞するような高度の緊張が、第1楽章マエストーソの序奏からみなぎり、ロンド・フィナーレまで同じ様に保たれた。マウリツィオ・ポリーニは言うまでもなく聴衆からピアノの王者のように讃め称えられていた。
アントニン・ドヴォルザークの"9番"(「新世界より」)、このいわゆる最多演奏されたロマン的な交響曲に、今日なお新しい観点を得ることができるだろうか? クラウディオ・アバドはそれができたのだ。そこには多くの新しい、稀有な響きがあり、それは喜びであった。ドヴォルザークの9番を通しての探検旅行―誰がそんなことを考えただろう?
そしてアバドは指揮者の自己表現をしようとはせず、作品に対して常に明るく目覚めた奉仕者であった。最良の状態に在る"ベルリンフィルの人々"は喜んで彼に従い、全てを傾注した。ラルゴは非常に情緒あふれる、そして深い心のこもったものとなった(特にイングリッシュホルンを称える)。ヴィルトゥオーゾ達が全ての位置に―最奥のティンパニまで、ついていた。この交響曲においてご存知のように相応しいと求められる人達である。
オーストリア第1放送でライブ中継されたこの演奏会の後には、大喝采と拍手足踏みが続いていた。

ポリーニの演奏についてはあまり判りませんね。ザルツブルクの新聞にブレンデルと比較しながらの評があるので、ポリーニのところだけ訳してみます(ちょっと長いもんで。ブレンデルさん、ごめんなさい^^;)。

ポリーニは、譲歩をしない、そういう人である。多分彼がより若いからだろう。彼はブラームスの協奏曲にすぐさま力の流れを注ぎ込み、第1主題を十分に大きな曲線のように広げる。そのあと第2主題には全く柔らかい音色をつけてやる、それはまさにポリーニのように熟練したピアニストにおのずと期待される音だった。すべてがしっかり形づくられた(陶冶された)エネルギーを伴った、 繊細な音の感覚:これがブラームスの協奏曲から与えられた印象である。細部の表現はより大きな全体のためになされる、つまり前景には置かれない。すぐれてメロディーに力点がおかれた演奏がそこには聴きとれたのである。
(Laszlo Molnar:"Salzburger Nachrichten" 8.31)

9月のポリーニのスケジュールは全く判っていません。
この夏は、シエナ、ザルツブルク、ルツェルンと活躍したので、9月にゆっくり休養を取るのでしょうか。
それに10月のミケーリ・コンクールの準備もなさるのでしょう、奥様とご一緒に(^^)。

DGのサイトにワールド・リリースのシューマン「ダヴィッド同盟・・・」がUPされ、詳しい解説や写真も載っています。New CD画面のジャケ写、またはポリーニのページのジャケ写から行けます。
また、12月にはポリーニの60歳お誕生日記念の12枚組+ボーナスCDが発売されるそうです。
ボーナスCDというのが気になりますね。(ボーナスはたいて買いなさい、ってこと?)

2001年9月4日 22時41分

もうすぐ夏の終わりですね・・・
ザルツブルク音楽祭もあと1週間を残すのみとなり、いよいよアバドとBPO登場、そしてポリーニの協奏曲共演です。ブラームスの1番、昨年のN響アワーの衝撃を想い起こしますね。
この29日はオーストリア放送協会(ラジオ)でライヴ中継し、それがそのままイタリアのRADIO3にも提供されるようですが、これをインターネットで聴くことができます。日本時間では30日の早朝4時から。皆さん、早起きは3モンのトクですよ!(^^)v

http://www.radio.rai.it/radio3/ でASCOLTAのマークをクリック。

オーストリア放送協会の音源なら、いづれNHK・FMにも提供されるかもしれません。
でも、今、この時に、地球の裏側(どこがオモテ?)で、ポリーニが演奏してるンだ(*^^*)、と思いながら聴くのも格別ではないでしょうか。

14日のリサイタル評を、ひとつ載せてみます。例によってアヤシゲな訳で、スミマセン(^^;)。

ポリーニの熱情(Temperamente)

大ホールでのリサイタルでマウリツィオ・ポリーニはブラームス、ウェーベルン、シュトックハウゼンそしてベートーヴェンを弾いた。それはまた彼の"Progetto"であったともいえるだろう。

LASZLO MOLNAR

彼のリサイタルのどちらの部分をポリーニはより好んでいたのだろう? それは実は第一部だったに違いない。ブラームスの幻想曲Op.116、ウェーベルンの3つの変奏曲Op.27、そしてシュトックハウゼンのピアノ曲5と9である。"Progetto Pollini"からのようなプログラム。その芸術家のすべてを表し、彼を実際に感動させるもののプログラム。もう長いこと我々の時代に属しているもののプログラム。

この大ホールでのリサイタルの第一部で、ポリーニは彼の影響力を誤ることはなかった。石のように取り囲む聴衆、拒絶された喝采。示威的な"Bravi"は無理解の氷を打ち破ろうとした。信じられぬことだが、ピアノ曲9番の成立から40年を経た今もなお、"祝祭的な"夕べに参集してくる聴衆に拒否をそそのかすことは、どんなにたやすいことだろう。

その際ポリーニは彼の客に豊かな贈りものをした。彼の芸術の全てを尽くして彼らに示したのである、メロディーとハーモニーを越えた領域にも音楽は存在すること、いかに存在するか、ということを。"音色" "運動" "形"、時を超越して理解し得る重要なもの(それにより19世紀末にエドゥアルト・ハンスリックは、まさにアインシュタイン的な簡潔な形式の上に音楽的現象を導いたのである)は、無条件で、長調と短調そしてソナタ主題―形式とは別の構成で作用する、ということを。

この第一部のプログラムはこのクラスの演奏会に期待されるものだった、体験としても認識としても同様に。なんと激しい、ナーヴァスなブラームスをポリーニは引き出したことか! 鍵盤をしっかりと把握し、確固として、輪乗り(?)や旋回に従い、そして作品を分解の極まで駆り立てる。世紀末へ向かう途上のブラームス。これに対しウェーベルンの3つの変奏曲では、ポリーニは稜線のくっきりした詩情を呼び起こした。Tanguelyの不思議な機械(?)のように、パウル・クレーの絵画のように、厳しく熟考された構成はポリーニの両手の下で音色の花となった、自由に、常に新しい色合いで。

このようなグランドピアノの能力がシュトックハウゼンを動かし、豊富な電子的な発展段階の後に、伝統的な響きの創作者へと自らを向わせたのかもしれない。音の形象の成り立つプロセスに、まさにベートーヴェンのソナタにあるのと同じ何かが、"ピアノ曲9"にはある。ポリーニは徹底的に先入見を取り除いた。それ(先入見)は乾ききった形式主義的な文法に関することに相違ないのだが。

そしてプログラム第2部は? ベートーヴェン。ヨアヒム・カイザーは「熱情」―ポリーニがソナタ嬰へ長調Op.78の後に弾いた―について次のように記していた。「元来の"ベートーヴェン弾き"とはみなされない偉大なピアニスト達―ワルター・ギーゼキング、マウリツィオ・ポリーニあるいはウラディミール・アシュケナージ・・・」これに付け加えるべきことは無い。カイザーはポリーニの行き方について、裂けた、形式を克服しようと努めているソナタを"佳い響きで、調和させたもの"と呼んだ。ポリーニは決して、"お気に入り"であろうとはしない。しかし彼は全速力で深みや断崖を軽々と片づける。彼はかすかな音を消し(orより高く響かせ?)、ほとんど停止を示さない。常に激しく渦巻く終結は、あたかも全て決定的なゴールへ向かうかのように、絶叫させるほど聴衆の心を奪った。結果は驚愕(惑乱)、興奮(動揺)であったかもしれない。休憩後は、そんな風だった。
(Salzburger Nachrichten 2001.8.16)

(※「石のよう」「拒絶」「無理解」という言葉は、40年前のことを言っているのかと思います。他の評によると、今回もごく少数の聴衆のブーイングがあったようですが、大多数は喜んで受容れた、とありました。)

更新は、今後のスケジュールを2点、追加しました。

2001年8月25日 00時48分

残暑お見舞い申し上げます
東日本は朝晩少し涼しくなりましたが、西日本は依然としてきびしい暑さとか。
夏休みも半分が過ぎ、お盆休みも終わり、あともう一頑張り!ですね。

今回は"ブラヴォー ポリーニ! アンコール!"の一部変更を載せました。
皆様からお寄せいただいた情報をもとにアンコール表を作成してきましたが、その後いくつかの箇所で別のご意見をいただき、食い違う点も出てまいりました。
正確さを第一とするならば、はじめから公式(?)資料をどこかに求めればよかったのかもしれません。でも、思い出や記憶をたどり、また古いメモやプログラムを参照してお寄せくださった、ファンの方々の生のお声がなにより貴重と思われて、私なりにまとめて、ご覧頂いたのでした。
けれど、正確好き(?)なマエストロに関することです、資料としてもできるだけ正確なものにしたいと思いました。そこで勇気を出して梶本音楽事務所に問い合わせてみることにしました。忙しい社員の方々にご迷惑では、そもそもそんな記録があるのかしら、と迷いながらでしたが。
ところが嬉しいことにすぐにお返事を頂き、その時の係りの方のメモをファイルしてあるとのこと。5日分の記録を教えていただきましたので、その部分を変更いたしました(がついています)。幾つかの曲を追加し、コメントを載せましたが、また削除したものもあり、あるいはご不快な思いをされる方もいらっしゃるかと存じます、この場を借りてお詫びいたします。また、快くお応え下さった梶本音楽事務所さま、ありがとうございました。

ポリーニは10日のシエナにつづき、14日はザルツブルクでリサイタル。辻本様のMessage Boardに「さすがに凄い演奏でした」とありました。ベートーヴェンの24番と23番「熱情」・・・凄かったのかぁ・・・想像していると、ムラムラと(^^;)聴きたくなり、海賊盤のお世話になった私でした。
現地の批評の最後だけ(長いもんで^^;;)読んでみると、
「ポリーニはここでも何の借りもなく(?)活力に満ちた演奏を生みだした。アパッショナータのアレグロ・マ・ノン・トロッポは息を止めさせるものだった。音楽祭ホールはまるで魔女のナベ(興奮の坩堝?)だった。ブラーヴォと足踏み、そしてスタンディング・オヴェーション。」

2001年8月16日 22時47分

夏はここまで・・・?(まだまだ、これから!)
東京はここ数日、少〜し涼しい日が続いて、やっと息を吹き返したような感じです。
8月になったら更新!と、思いながら、なかなか捗らず・・・、もう明日は立秋ですね(^^;)。
MENUページの写真はベートーヴェンが避暑に行ったハイリゲンシュタットの家。
少し涼しい感じを出したくて(^^)、載せてみましたが・・・。
表紙の上の方「Bravo! Maestro Pollini!」の下線に気付いてくださいましたか?
先日、前から探していた「ピアノを語る」(シンフォニア発行)という本を見つけました。
その中の写真です(*^^*)。
古い本(1984年発行)で、さらに以前のインタビューをまとめたものですから、ごく若い頃のポリーニの考え方がうかがえます。
バレンボイム、ポリーニ、アラウ、リヒテル、ブレンデルの5人の話ですが、ポリーニの分は10ページほど、「語る」の部分はその半分しかありません。
内容も大抵はどこかで引用、紹介されているもので、皆様も既にご存知のことが多いと思います。
でも、どの文も簡潔で内容が濃いという感じです。
インタビュアー(マイヤー=ヨーステン)が紹介文で、
「インタビューというものに対する彼独自のつつしみ深さ、抑制は芸術的なものに対する彼の非妥協性と相応するものである。彼はピアニスト仲間達の仕事に関しても語ることを好まない。そういう自己抑制がこの彼との対話にも現われている。」
と書いていますが、「インタビュー嫌い」というレッテルを貼るのではなく、このポリーニのつつしみ深さ、自己抑制、そしてナイーブさを尊重したいですね。
もっとも今のポリーニはまた違った面、積極性やリーダーシップを発揮し、「語る」「説く」場面も多いようです。それもまた、素敵なマエストロです。

現代音楽についても、次のように語っています。
「今日の作曲家達がピアノのために何かを書いているということを大切にしたいのです。実際彼等はあらゆる楽器のために新しい可能性を切り拓いています。それが私は嬉しいのです。」
前回ご紹介した「Pollini's Wahl」について、ザルツブルクの報道がありました。
「時代の転換」というシリーズの口火をきるもので(7月30日)、
ポリーニの選んだ作曲家と作品(彼の委嘱作2曲も)が演奏されましたが、彼自身は出演していませんでした。
批評家は「刺戟のない"時代の転換"」という題で、もはやシェーンベルクやベルクやウェーベルンを意味する"時代の転換"ではなく、我々は21世紀の始まりにいるのだということに慣れなければならない」と書き起こしています。
Grisey作品は、打楽器が原動力であるかのように働き、力強い響きの球形(?)が波のようにうねり、拍動し、息づく、というもの。
Manzoni作品は「限界を超えて」という題名で、自殺した女性の心情(思考)を描いたもの。ソプラノが魂の深淵の上で漂い(ゆらめき)、弦楽四重奏はその微風になる。
Ferneyhough作品は、古典悲劇のようにコーラスを配置したもので、一種の音響的な記号法(?)。言葉の断片から職人的な技で高く飛翔することに魅了された(アヤシイ訳です;^^;)。深い印象を与える作品。
ポリーニの選んだもの、聴いてみたいですね。

訂正と新情報があります。

●シエナのキジアーナ音楽院での講習は7月20日〜28日でした(2日間ではなく)。

●10月11日〜21日、ミラノでウンベルト・ミケーリコンクールが開かれます。ポリーニも主催者・審査員です。
 そのHPがあります↓。arpeggioさん、お知らせありがとうございました。
  http://www.micheli.it/

●8月12日(日)午後4:00〜10:00 ミュージック・バードで「ポリーニの世界」という放送があります。お聴きになれる方は、どうぞ楽しんでくださいね。

2001年8月6日 15時03分

シューマンさん、安らかに
今朝は涼しくて、静かで(選挙活動も昨日で終わって)気持ちよく目覚めたのですが、気がつくとまたシューマン「ソナタ第1番」が頭の中で鳴っていました。「おはようロベルト! おはようポリーニ!」
「今日生没の作曲家」というメルマガを購読していて、毎日送られてきます。全く知らない作曲家もいて(その方が多い^^;)発行する方はよくこんなに調べたものね、と感心しつつ読んでいるのですが、今日はシューマンの亡くなった日でした。46歳、エンデニッヒの病院にて。ちょっとシンミリしながらCDを聴きました。でもロベルト、こんなに素晴らしい演奏をする音楽家がいるのですよ、今あなたの音楽を熱愛する人は沢山います、と心の中で話しかけながら。

昼間は久しぶりに渋谷のタワーレコードに行きました。Sheet Music というCDを購入。2600円也でベートーヴェンのピアノ曲の楽譜が全部入っているというもの、楽譜を見ながら聴くのも良いだろうと思って。ピアノを弾かれる方は既に楽譜もいろいろお持ちでしょうが、プリントアウトも出来るそうです。まだ使ってみてはいないのですが、楽しみです。

雑誌にも目を通してきましたが、シューマンの新譜の評が(遅ればせながら?)2誌にありました。
「ショパン」では、曲に即して、批評者の熱の入った好評。
「音楽現代」では4人の評者の立体批評に取り上げられ、3人の推薦「ポリーニの円熟」「ポリーニはフロレスタンとオイゼビウスだ」「ポリーニの魔性が垣間見られる」・・・といったような好評。1人(吉松隆氏)は準推薦「秘曲を名曲のように弾く」と、オタクしか知らないようなシューマンの曲を『ポリーニはぬけぬけと堂々と名曲のように演奏する』『うっかり聴いていると名曲と思ってしまう、あぶない、あぶない。』(というような)評価。???・・・この2曲、名曲ですよね? あぶないのはどっちだ! 軽妙な文を書くこの若手(?)作曲家に親しみを感じていたけど(尤も曲を聴いたことは無い^^;)軽いのは文だけではないのかも。あぶなかったぁ。

それからやはり「ショパン」に、大崎結真さんという若いピアニストの文で、「ポリーニから奨学金を受けた」という素敵なニュースが載っていました。大崎さんはイモラ音楽院に留学中で、イスラエルでのルービンシュタイン・コンクールに5位入賞した方。
アルベルト・ノゼ(ショパン・コンクール5位)他2名とともに受賞し、演奏会を行ったとありました。「ホールは黄昏につつまれ、ポリーニの大きな温かい人柄に抱かれたようだった」(というような文)。
ポリーニは若い人の為に低料金の演奏会を開いたり、授業をしたりするだけでなく、コンクールも主宰し、奨学金を与えるという活動もしているのですね。いいお話(^^) 大崎さん、おめでとう!

2001年7月29日 22時50分

暑中お見舞い申し上げます
日本全国、ほぼ梅雨も明け、真夏の陽射しが降り注いでいます。
今日は「海の日」、そして「夏休み」の始まり。
学生の方、学校に行くお子さまのいらっしゃる方は、楽しい(またはツカレル)日々、賑やかな(またはウルサイ)日々、のんびり(またはグッタリ)した日々が始まりますね。
夏休みとは無縁の我が家ですが、旅行の広告などを見ると、どこか遠くへ行きたいなぁ・・・と思い、「イタリアに行きたい!」と叫んでいたところ、家人がイタリア旅行のビデオを買ってきてくれました。「これを見て行ったつもりに・・・じゃなかった、今後の参考にしたら?」
やはりビデオの動画は、本やパンフレットの写真よりは、旅行気分を少〜〜〜〜しだけ味合わせてくれ、ますます行きたい!思いは強まるばかり。「一緒に行こうネ」と言えば、「オリーヴ油がお腹に合わないから、ダメ」って、トンちゃんのような返事。(小泉さんは大丈夫でしょうか?)

知人が「ローマって、遺跡の中で暮らしているみたい」、「古代ローマの石畳の道を、自動車が轟音立てて走るんだ」と感心していましたが、イタリアは古代から中世、近代、現代まで、さまざまな時代が共存しているところなのですね。
古代の神殿、中世の教会や領主の館、ルネッサンスの豪華な美術と寺院などの建造物、近代の王侯貴族の城や邸宅、それにオペラハウス・・・。町全体が美術館、歴史博物館のような感じで、しかもそれらが、現代と隔絶した「過去のもの」ではなく、今も生きている古いもの、価値のあるもの、として存在しているようです。
「古代」も「中世」も時の流れの彼方にありながら、その流れは確かに「現代」にまで続いている、我々はそれらの悠久の時間の中にある、という感じでしょうか。
勿論、変化したこと、失われたものも夥しくあるわけで、今ここに残っているのは、時間により淘汰されたもの、それだけ普遍的なもの、とも言えるでしょう。一つ一つの建造物、絵画、彫刻は、どれも独自の素晴らしい価値を持ちつつも、総体として人間の歴史を物語り、時の流れを眼前にさせるものなのではないでしょうか。

そのような国で生まれたポリーニにとって、時の流れの継続性は、音楽の流れの継続性を意識させただろうし、ミラノという、時代のモードの先端を行く都市に育った彼が、現代の音楽の最先端、さらに音楽の流れの未来に強い関心を持つのは当然かもしれません。
「絵画に興味を持つ人は、ジョット(13〜14世紀)の絵にも現代の作品にも、同じように関心をもつのに・・・」(iclassicsのインタビュー)という彼にとって、バッハ以前の、いや西洋文化の源流ギリシャの音楽も、20世紀前半の音楽以降、現代の音楽も、同じように大切に感じられるものなのでしょう。ことに音楽は、演奏されなければ、そして聴く人がいなければ、存在し得ないもの。ポリーニのプロジェクトに掛ける熱い想いは、彼の音楽への自然な愛情とともに、やはり強い使命感に支えられたものなのですね。

スカラ座のArchiveに、ベートーヴェン・ソナタ・チクルスの記録がありました。ご参考までに。

1.1995年9月24日
ソナタ第1番へ短調Op.2-1
ソナタ第2番イ長調Op.2-2
ソナタ第3番ハ長調Op.2-3
ソナタ第4番変ホ長調Op.7

2.1995年9月28日
ソナタ第5番ハ短調Op.10-1
ソナタ第6番へ長調Op.10-2
ソナタ第7番ニ長調Op.10-3
ソナタ第9番ホ長調Op.14-1
ソナタ第10番ト長調Op.14-2
ソナタ第8番ハ短調Op.13「悲愴」

3.1995年10月1日
ソナタ第11番変ロ長調Op.22
ソナタ第12番変イ長調Op.26「葬送」
ソナタ第15番ニ長調Op.28「田園」
ソナタ第13番変ホ長調Op.27-1
ソナタ第14番嬰ハ短調Op.27-2「月光」

4.1996年2月5日
ソナタ第16番ト長調Op.31-1
ソナタ第17番二短調Op.31-2「テンペスト」
ソナタ第18番変ホ長調Op.31-3
ソナタ第19番ト短調Op.49-1
ソナタ第20番ト長調Op.49-2
ソナタ第21番ハ長調Op.53「ワルトシュタイン」

5.1996年2月12日
ソナタ第22番へ長調Op.54
ソナタ第23番へ短調Op.57「熱情」
ソナタ第24番嬰へ長調Op.78「テレーゼ」
ソナタ第25番ト長調Op.79
ソナタ第26番変ホ長調Op.81a「告別」

6.1996年2月18日
ソナタ第27番ホ短調Op.91
ソナタ第28番イ長調Op.101
ソナタ第29番変ロ長調Op.106「ハンマークラヴィーア」

7.1996年2月23日
ソナタ第30番ホ長調Op.109
ソナタ第31番変イ長調Op.110
ソナタ第32番ハ短調Op.111

更新は、DVD発売予定と、2002年の予定を2件、追加しました。
2001年7月20日 22時30分

青空はウレシイけれど
梅雨の晴れ間とはいえ、暑い日が続いています。夏バテ、とまではいかないけれど、何だかカッタルイ日々。
「2001年も半分が過ぎました。後半もガンバロ〜!」と、かけ声でもかけて、元気を出しましょう(^^;)。

数日前の朝、目覚めると頭の中でピアノが鳴っていました。
ハテ、この曲何だっけ? シューベルト、いやシューマンかしら?
どうやらシューマンのソナタ第1番らしいと思い至りましたが、なんで急に鳴り出すんでしょう、 このところちっとも聴いていなかったのに。
そういえば少し前に「幻想曲」(カップリング)のジャケット写真を眺めたっけ・・・。
私の大好きな(*^^*)マエストロの若き日の写真。でも、それで曲が聴こえてくるなんて・・・? 
本当にそうなら、便利!ですね。
近頃はシューマンの新譜をよく聴いているので、それが鳴り出すのなら分かるのですが。
きっと同じ作曲家の作品で、共通するもの、シューマンらしさとでもいうものが、記憶の底から呼び醒ましてくれたのかもしれません。
それで、やはり聴きたくなって、久しぶりにCDをかけました。
なんて新鮮な演奏!! 音の輝き、リズムのキレのよさ、歌い口の自然さ、清潔さ・・・。
若々しさが漲った、一瞬の弛緩もない、熱い気迫のこもった演奏。
均整のとれた輝く彫像を眺めているようで、ああ、これぞ「アポロ的!」と思いました。
前回“apollinisch”と書いてから、「アポロ的」という言葉を考えていたのですが、
ポリーニのアポロはディオニュソスを従えたアポロ。
酒の神の捧げた杯を飲み干し、しかし些かも酔うことなく、精神は更に高揚し、技巧はますます冴え渡る・・・。
聴いているこちらは、その音楽に酔ってしまいます。まさに、アポロ=音楽神のなせる技ですね。

新譜では、アポロも少し歳をとり、演奏の魅力は若々しさから円熟へと変わりました。
技巧のキレよりは、表現の深さへ。音の発光する煌めきよりは、内側からの輝きへ。
歌い口の自然さはそのままに、より暖かみをまして。
共感のこもった洞察によって、若いシューマンの心が熱く伝わってきます。
ディオニュソスとの友情を深めたアポロ、少〜しお酒にも弱くなったのかもしれませんね。
緊張感の中にも、音楽の歓びを味わうような、肩の力の抜けたゆとりが感じられます。
若い日に録音した「幻想曲」と「ソナタ第1番」。近頃は演奏会でもあまり弾かないようですが、もし再録音したら、どんな演奏になるのでしょう。聴いてみたいですね。

さて、今回はTOP PAGEを更新しました。
かずこさんが送って下さった「さすらい人幻想曲」のジャケットです。ありがとうございました。ホントに「可愛い」(by かずこさん)ですね(*^^*)。
この写真をクリックするとまた「ステージのポリーニ」にいきます(私の趣味で残しました^^;)
「もぅ、面倒だなぁ」という方は、右下の「どうぞこちらへ」からMENUへ行ってくださいネ。
あと、スケジュール表に、6月28日エッセンでのリサイタルの曲目、及び、7月25日DVD発売予定を追加しました。

2001年7月2日 16時40分

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