ザルツブルク音楽祭もあと1週間を残すのみとなり、いよいよアバドとBPO登場、そしてポリーニの協奏曲共演です。ブラームスの1番、昨年のN響アワーの衝撃を想い起こしますね。
この29日はオーストリア放送協会(ラジオ)でライヴ中継し、それがそのままイタリアのRADIO3にも提供されるようですが、これをインターネットで聴くことができます。日本時間では30日の早朝4時から。皆さん、早起きは3モンのトクですよ!(^^)v
http://www.radio.rai.it/radio3/ でASCOLTAのマークをクリック。
オーストリア放送協会の音源なら、いづれNHK・FMにも提供されるかもしれません。
でも、今、この時に、地球の裏側(どこがオモテ?)で、ポリーニが演奏してるンだ(*^^*)、と思いながら聴くのも格別ではないでしょうか。
14日のリサイタル評を、ひとつ載せてみます。例によってアヤシゲな訳で、スミマセン(^^;)。
ポリーニの熱情(Temperamente)
大ホールでのリサイタルでマウリツィオ・ポリーニはブラームス、ウェーベルン、シュトックハウゼンそしてベートーヴェンを弾いた。それはまた彼の"Progetto"であったともいえるだろう。
LASZLO MOLNAR
彼のリサイタルのどちらの部分をポリーニはより好んでいたのだろう? それは実は第一部だったに違いない。ブラームスの幻想曲Op.116、ウェーベルンの3つの変奏曲Op.27、そしてシュトックハウゼンのピアノ曲5と9である。"Progetto Pollini"からのようなプログラム。その芸術家のすべてを表し、彼を実際に感動させるもののプログラム。もう長いこと我々の時代に属しているもののプログラム。
この大ホールでのリサイタルの第一部で、ポリーニは彼の影響力を誤ることはなかった。石のように取り囲む聴衆、拒絶された喝采。示威的な"Bravi"は無理解の氷を打ち破ろうとした。信じられぬことだが、ピアノ曲9番の成立から40年を経た今もなお、"祝祭的な"夕べに参集してくる聴衆に拒否をそそのかすことは、どんなにたやすいことだろう。
その際ポリーニは彼の客に豊かな贈りものをした。彼の芸術の全てを尽くして彼らに示したのである、メロディーとハーモニーを越えた領域にも音楽は存在すること、いかに存在するか、ということを。"音色" "運動" "形"、時を超越して理解し得る重要なもの(それにより19世紀末にエドゥアルト・ハンスリックは、まさにアインシュタイン的な簡潔な形式の上に音楽的現象を導いたのである)は、無条件で、長調と短調そしてソナタ主題―形式とは別の構成で作用する、ということを。
この第一部のプログラムはこのクラスの演奏会に期待されるものだった、体験としても認識としても同様に。なんと激しい、ナーヴァスなブラームスをポリーニは引き出したことか! 鍵盤をしっかりと把握し、確固として、輪乗り(?)や旋回に従い、そして作品を分解の極まで駆り立てる。世紀末へ向かう途上のブラームス。これに対しウェーベルンの3つの変奏曲では、ポリーニは稜線のくっきりした詩情を呼び起こした。Tanguelyの不思議な機械(?)のように、パウル・クレーの絵画のように、厳しく熟考された構成はポリーニの両手の下で音色の花となった、自由に、常に新しい色合いで。
このようなグランドピアノの能力がシュトックハウゼンを動かし、豊富な電子的な発展段階の後に、伝統的な響きの創作者へと自らを向わせたのかもしれない。音の形象の成り立つプロセスに、まさにベートーヴェンのソナタにあるのと同じ何かが、"ピアノ曲9"にはある。ポリーニは徹底的に先入見を取り除いた。それ(先入見)は乾ききった形式主義的な文法に関することに相違ないのだが。
そしてプログラム第2部は? ベートーヴェン。ヨアヒム・カイザーは「熱情」―ポリーニがソナタ嬰へ長調Op.78の後に弾いた―について次のように記していた。「元来の"ベートーヴェン弾き"とはみなされない偉大なピアニスト達―ワルター・ギーゼキング、マウリツィオ・ポリーニあるいはウラディミール・アシュケナージ・・・」これに付け加えるべきことは無い。カイザーはポリーニの行き方について、裂けた、形式を克服しようと努めているソナタを"佳い響きで、調和させたもの"と呼んだ。ポリーニは決して、"お気に入り"であろうとはしない。しかし彼は全速力で深みや断崖を軽々と片づける。彼はかすかな音を消し(orより高く響かせ?)、ほとんど停止を示さない。常に激しく渦巻く終結は、あたかも全て決定的なゴールへ向かうかのように、絶叫させるほど聴衆の心を奪った。結果は驚愕(惑乱)、興奮(動揺)であったかもしれない。休憩後は、そんな風だった。
(Salzburger Nachrichten 2001.8.16)
(※「石のよう」「拒絶」「無理解」という言葉は、40年前のことを言っているのかと思います。他の評によると、今回もごく少数の聴衆のブーイングがあったようですが、大多数は喜んで受容れた、とありました。)
更新は、今後のスケジュールを2点、追加しました。