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事情が有って車で大阪を往復しました。距離にして往復1300キロを超える事になり、帰ってから自分で驚いたぐらいです。高速代はETCなので、請求を見るのが怖いです…
ポリーニを聴いた後、大阪に泊まり、13日(日)に帰ったのですが、すみこさんは京都ですか! 私は法隆寺に行きました。夢殿の救世観音は秘仏なのですが、偶然公開中で、私は生まれて初めて見る事が出来ました。ついでにと言っては何ですが、隣の中宮寺弥勒菩薩も見れてとても嬉しい気持ちになりました。でも、帰りはやっぱり大変で、東名の渋滞などがあり、11時間ほど運転して、家に着いたのはすでに月曜になってしまった夜中1時半… 朝起きてそのまま会社に行き、先ほどようやく家に戻り落ち着いた所です。
さて、12日のザ・シンフォニーホール。携帯で書き込んだ通り、私はop15−1の第1音に注目していました。9日のサントリーで聴いた音より明るい音で、やはり今日は素晴らしい日になると予感させてくれる音でした。しかし、その音は、ファブリーニ・スタインウェイの音ではありませんでした。すみこさんの書き込みにある通り、実際はファブリーニ・スタインウェイだったのですが、その音は、6日のファブリーニ・スタインウェイでは無かったベートーヴェンの音とそっくりでした。
12日のザ・シンフォニーホールのファブリーニ・スタインウェイはドルチェが抜けている音でした。
今年の来日では、意識して右側の席を買いました。3日は東京オペラシティの前から2列目20番ぐらい。6日はサントリーのRBブロック。9日はサントリーのRCブロックです。その中で、3日と9日がファブリーニ・スタインウェイで、もう最初の1音を聴いただけでドルチェの音がしていたのでとてもワクワクしました。ファブリーニはイタリアのぺザーロの生まれ。ポリーニとは1960年代から40年以上のお付き合いです。ファブリーニは、ミケランジェリの調律も担当していて、ミケランジェリが来日して昭和女子大で弾いた時もファブリーニ・スタインウェイを使用していました。イタリアの名調律師と言えば、もう一人タローネが居ますが、あいにく、ファブリーニとタローネの関係やファブリーニの年齢は私にはわかりませんが、ファブリーニには日本人のお弟子さんもいらっしゃいます。ファブリーニは、自分でピアノ工房を持っていて、気に入ったスタインウェイを専用に保管する所があるそうです。ファブリーニは毎日そのピアノを手入れしているそうで、特にペダルのダンパーの調整に気をつけるという話を聞いた事があります。ポリーニが来日する時は、その中から一番良い状態のスタインウェイを選んで持ってくるので、毎回、サインの位置が違っていたりします。今回の、鍵盤右側の下にサインが有るピアノは、確か、1991年の時と同じピアノのような気がしますが、これは製造番号とか確認しないと無理なので憶測でしたありません。よくポリーニは、イタリアから専属の調律師を連れて来るという言い方をしますが、さらにその上を行っていて、信頼している調律師が選ぶスタインウェイも一緒に来るというスゴイ事になっているのです。さらにスゴイのは、ポリーニがファブリーニ・スタインウェイを弾くとは限らないという事で、今年も6日のベートーヴェンはホールのピアノを使ったみたいですし、2001年来日時は、休憩時にピアノを入れ替えた事もあります。
そんなファブリーニ・スタインウェイなのに、12日はドルチェが抜けていました。しかし、悪い意味では無く、とても明るい音で、サントリーで聴いた音と同じピアノとはとても思えませんでした。さすがのファブリーニも、2台持って来るとは考えにくいので、おそらくサントリーの時と同じピアノでしょう。しかし、印象は随分違いました。
先ほど書いた通り、今年のポリーニの来日では意識して右側の席を買ったので音を比べる事ができます。ザ・シンフォニーホールでは、サントリーで言えばRBブロックぐらいの位置ですが、サントリーより近くピアノの音を感じる事が出来ました。問題のop15−1の最初の音は、とても良く響いていましたが、ショパンさんの言う通り、左手が大きく感じられる所や、めめ様の言う通り、やや強い所で音が混ざりすぎてしまう感じもありましたが、ピアノのバランスは、サントリーの時より右手重視の感じで、右手がとても良く聞こえました。スケルツォ後半の高音部がちょっと異質な響きだったので調律が狂ってしまったなと思いましたが、やはり休憩中にファブリーニが出て来て調律しました。9日の時はそんな事がなかったので、ちょっとピンの留めが甘かったのかもしれません。
12日はアンコールの4曲がすべてでしょう。メインの曲、とくにバラード第3番は、サントリー以上に気合の入った演奏で、op15の3曲のノクターンの締めの演奏の様に感じられましたが、アンコール4曲は、メイン全部を締めくくるに相応しい演奏でした。雨だれはどこまでも愛らしく、バラード1番は、後半の左手のアルペジオでこけましたが私をウルウルさせるには充分だったし、革命とop10−4のエチュードは、ピアノから情熱がほとばしる演奏でした。
すみこさんと一緒に私もお見送りをしました。私も頭しか見えませんでしたが、その後に出て来たファブリーニさんに、サントリーの時言えなかった言葉をちゃんと伝えました。「あなたのピアノはとても幸せでしたね! 来年またお会いしましょう。どうもありがとう」。ファブリーニさんはグラッチェグラッチェととても嬉しそうでした… 握手したファブリーニさんの手は、とても暖かくやわらかでした。
ポリーニの演奏に関する皆様の様々なご意見を楽しく拝見させていただいています。ここは是非、おじさんにご登場願って、ホールでのピアノと聞き手の耳の位置関係による聞こえ方の違い、生の音と録音された音との違いなどについてご意見をお聞かせ下さいますと、たいへん有り難いです。レコードやCDで馴染んでいた美しくシャープで少し固めの音と違い、ポリーニの生の音は芯がありながら柔らかくて幅もあるのに心から安心しました。左ペダルによる弱音の音色変化の素晴らしさ、右ペダルによる霧がかかった雰囲気、日本の演歌歌手を思わせるようなリズムのためによる個性的な小節のきかせ方(若い時ほどではありませんが)など、多くの聴衆を惹き付ける諸要素をポリーニは持っています。また大阪公演のショパンを聞きながら、Op15-3のノクターンはエリック・サテイーの響きを先取りしているかなと勝手に妄想したり、アンコールまで含めると長調が8曲で短調が9曲とバランスのとれた構成に感心したり、でも博多までは来てくれないだろうなと諦めの境地にもなりました。
ポリーニのチケットが発売された時にも投稿させて頂いたショパンです。生まれて初めてポリーニの生を聴きました。(大阪近辺在住のため、東京へはなかなか行けなくて…)今回、1F中央よりやや後部、ファブリーニさんとポリーニ夫人の少し後ろというベストの席が取れ、ポリーニの演奏を堪能して来ました。客席も、補助席、立ち見共に満席でしたね。中には、往年のファンも多く見受けられました。感想を述べますと、まず作品15のノクターン。最初の入りが綺麗でした。しかし、少しずつ弾き進むにつれて左右のバランスが悪く、左がうるさいって思う箇所もいくつかありました。(もしかすると、意図的にやっているかもしれませんが…)それと、ピアノの音質自体が少しおかしく感じました。次はバラード第3番。最初の入りで思わぬミスも生じましたが、ポリーニが唸って弾く所やF-durに転調する所の右手の美しさなど、巨匠の風格を感じさせる所もありました。でも、後半に行くにつれて、音楽的でなくなり、荒削りな所もあるし、音もイマイチ伸びない、最後のアルペジオは危ないなど、残念な箇所がたくさんありました。次のノクターンでは取り戻し、美しく素晴らしい演奏が繰り広げられ、ようやくポリーニの本領発揮かと思いました。そして、前半最後はスケルツォ第1番。最初の一音で会場が轟くのではと期待したのですが、ベシャっと押し付けた感じになり、全くこもってしまいました。それにペダルが多すぎです。中間部も注目していましたが、気持ちが強くなるにつれて??拍感がおかしくなる…何で3拍目をあんなに急ぐのかが分かりません。ということで、前半は少し期待はずれという感じでした。後半に期待……後半の1曲目、ノクターン作品55−1は素晴らしかったです。単純な旋律の扱い方が上手い。ポリーニはこのような曲が向いているのでしょうか??続く第2番は最初、豪快な入りでちょっとえっ!!と思ってしまいました。(これも、ポリーニの深い読みによるものかもしれませんが…)それと左手の滑らかさ、内声の処理が不完全な所がある様に感じました。作品62の2曲は流石。ポリーニとショパンの晩年の深い精神性がマッチしたような演奏でした。もっと歌って欲しいと言えなくもないですが、これはこれで良いものだと思います。かなり精神的な演奏でした。最後のポロネーズの2曲は相変わらずペダルが多すぎる様にも感じましたが、熱さを感じさせる力のこもったものでした。アンコールでは、特にエチュードの2曲が迫力満点で素晴らしかったです。昔の全曲録音の完璧さに加えて、荒々しさや熱のこもった演奏でした。最後のスタンディングオーベーションではポリーニ夫人やファブリーニさんも立って拍手を送られていたのを見て、暖かい気持ちになりました。全体を聴いて音について思ったことですが、重音の時より単旋律の方が響きがよく、通って来ると思いました。本音を言えば、もっと音が澄み渡る様で、音楽的な演奏を期待していたのですが、ポリーニ自身、ツアーの最終日ということもあってお疲れだったのでしょう。。それなのに、アンコールにこれだけ応えるサービス精神も素晴らしいですね。ペダルについても、リハーサルの時と比べて、満員の状態のホールでは、響きがかなり減ったと思ってあれだけ多用したのかもしれません。又、初めてピアノ演奏の頂点ともいえる、彼の演奏に生で接することができたのは、忘れがたい経験になると思います。わざわざ大阪まできて演奏をしてくれたマエストロに感謝!!
すみこ様、おじさん様、大阪のリサイタルにも行かれたんですね、とてもうらやましいです。わたしも行きたいのはヤマヤマですが、週末は主人とのゴルフスコールが控えてますので皆さまのご感想を読ませていただきながら、コンサートの様子を想像たくましくしようと思いました。
早速ですが、めめ様のご意見を読ませていただき、本当にそのとおりだと思います。わたしもそのことは普段、ポリーニについての様々な論評などに触れるたびに、歯痒く感じていました。
わたしは、ピアノを弾くんです。でも大学は英文学科を卒業してますのでいわゆるアマチュアです。わたしも6日、9日とペダルのことについていろいろと私見を書きましたので、少々、あれれ、言われちゃったなぁ。。。ちょっとツライ。。。とは思いましたが、わたしのはあくまで私見であり、論評ではないし批判でもないです。
でも、芸術家の音楽を理解するとき、全く私見を踏まえずに理解するのは不可能じゃないでしょうか。ポリーニにはポリーニの世界があります。でも、聴き手はポリーニではありません。一個人として一個人の世界の中で各々の価値観があります。それを振り払ってポリーニの芸術を理解し尽くすのはどだいムリでしょう。人格も違います。
だから、様々な論評などが出てくるわけで、わたしもいろいろ批判的なものや決め付け的なものなどを目にすると、腹立たしくもなります。でも、見方を変えればそういう見方も出来る、と言えますよね。それは、当たっていても間違っていても、ポリーニに関して、欠点?というものなのではないでしょうか。人間、完璧な人はいません。ポリーニにだって欠点はあるはずですし、ご自身もわかっているかも知れません。
世の中、いろいろな人々がいます。だから、価値観、考え方もたくさんあります。だから、ポリーニに対しての様々な論評はあってもいいのではないでしょうか?。
ファンとしては、こうだ、こうだ、ばかり言って、知りもしないくせに、わかりもしないくせに、本人じゃないんだから。。。云々、って思うのは至極当然です。でも、肯定的意見ばかり受け入れていたのでは何の進歩にもならないです。
ファンだってポリーニを本当に理解していると言えるでしょうか?。わかっているのは本人だけです。ポリーニ本人が著作でもされたり、ご自分の芸術について述べられたりされなければ真実を知ることは不可能だと思います。
わたしはいろいろな意見があることにとても面白く感じています。賛同ばかりでは、捉え方が一方通行的になってしまうので一種、面白みがありません。考え方も偏ってしまうと思うのです。
そういう意味で、わたしは個々の意見はあってしかるべきじゃないかなぁ、そう思うのです。もちろん、論評もです。その論評がどう決め付けていようと、それはそれでヨシとしています。ただ、わたしはスルーするだけです。でも、こういう見方もできる、それをポリーニの芸術を理解しようとする手段の一助にはします。
昨日シンフォニーホールに行ってきました。
なかなか素晴らしいコンサートでした。中程度より強く弾いたときにやや音が濁っているような感じもしましたが、2階席のせいでしょうか?でもノクターンの弱音はとても美しくよかったです。ただ個人的にはスケルツォ第1番やアンコールでのバラード第1番が特に印象に残りました。
特にバラードは、最近ブレーキなしで突っ走る演奏が多かったことに何故?という疑問を感じていた私にとっては、久しぶりにじっくりと間をとって、曲全体のバランスがとれた演奏を聴いたように思います。
ここ数年のポリーニは音の美しさや表現力は豊かになったものの、全体を通しての音の強弱やテンポの設定など、構成にやや「?」と思うところもありました。
昔は曲全体を見据えて、それぞれのパートの強弱やテンポなどが完璧に構成されていて、それがまさにポリーニの音楽性だと思っていたわけですが、それが失われたように感じていました。
しかしこのようにも弾けるということは、最近の演奏には何らかの意図があるということなのでしょうか?私はピアノを弾かないので難しいことはわかりませんし、またポリーニのような偉大なピアニストの意図はなおさらわからないと思います。きっとそのように弾く理由が何かあるのだとは思いますが、素人の感覚的にはある意味で昔(1980年代ぐらい)のほうがよいとも感じられる部分もあります。
脱線しますが、たとえ私がピアノを弾けて、この音符をこのように弾いているということがわかったとしても、それは音楽の理解ではなく技術を理解しているにすぎないと思います。グルメを称し料理にやたらと詳しくても味に鈍感な人もいれば、ピアノが弾けても音楽性に乏しい人もいます。ピアノを弾くのは技術であり習えば誰にでも弾けるわけで、そのことと音楽を理解するというのは全く別のものであるはずです。そういう意味では世の中の専門家・評論家と称する人達がこれがよいといったからと言って、それが正しいということは全くないわけで、いろいろと分析してあれこれいうこと自体がナンセンスと言えるかもしれません。また世の中には、これが絶対正しい、音楽を真に理解しているのは自分だけだ、などのように音楽を批評する方もいますが、極論すればそうした音楽に関する批評はあくまで個人的なものにすぎないとも言えるわけで、もう少し音楽に対して謙虚であるべきだと思ったりもします。
もちろん技術的な面を理解することで、ピアニストの演奏の意図、それぞれの音にこめられた意味をより深く理解できるようになるということはあると思います。そういう意味では私もピアノが弾けたらいいなあと思うこともよくあります。ただ結局音楽の良し悪しというのは極めて個人的なものではないでしょうか。なぜなら数学のように正しい答えがなく、その個人の思いを否定することなど誰にもできず、同時に自分の意見が絶対正しいということを証明することもできないわけですから。従ってより多くの個人がよいと思った音楽が、よい音楽になるとも言えます。一部の「偉い」先生方が決めるのではなく多数の大衆の支持によって。
それはともかく、昨日のリサイタルについて皆さんはどのようにお感じになったのでしょうか?いろいろ感想を聞いてみたいです。
昨日、大阪の会場で、ポリーニプロジェクト2002 in東京のパンフレットを購入しました。今、パラパラとめくっていましたら、たくさんの写真が掲載されていて、小さい頃の写真を見ると、ポリーニは母親似ですね。青年ポリーニのハンサムなこと! マリリーサ夫人も魅力的! 父上ジーノ・ポリーニの写真も初めて見ました。
私の独断と偏見ですが、コントラストを意識したショパンの(アンコールまで含めた)プログラム構成だったように思われます。ノクターンOp15-1は俗に「花-嵐-花」と言われるそうですが、その弱(緩)-強(急)-弱(緩)がモチーフのように見え、前半最後のスケルツオOp20での逆転した形【強(急)-弱(緩)-強(急)】と対比されて、それらの間に性格の異なるOp47とOp48が置かれ、またOp48-1も弱-強-弱のようですね。後半では、市販プログラムの説明から借用しますと、Op55の即興性とOp62の深い叙情性の対比、それに続くOp44のポロネーズの強(急)-弱(緩)-強(急)、これはスケルツオOp20と似ているようですね。最後に英雄ポロネーズでショパンの男性的な力強さを表出し、最初のノクターンOp15-1の花における女性的な感性と対比させているように思われました。アンコール最初の「雨だれ」の弱-強-弱はOp15-1の構成に似ているようで、ノクターンが持つ歌謡性に満ちたバラード第1番、ノクターンの静けさや叙情性を補完するかのように弾かれた革命とOp10-4のエチュードの爆発、とアンコールも考えられたプログラムのように思われました。かなりの観客が立ち上がり更なるアンコールを求めていましたが、ポリーニはお疲れの様子。でも、ポリーニも人が悪いですよね。ノクターンOp9-2のような静かな曲でアンコールを終えてくれれば良かったのに、観客をますます興奮させるばかりで。何よりも素敵だったのは、ポリーニの笑顔でした。後半からは、奥方とファブリーニさんが1階後部でご覧になっていました。
すみこ様、おじさん様、大阪までいらしたのですね!なんとうらやましい!!
お二人とも、長い間のたくさんの素晴らしいリサイタルの思い出に、また新たに大阪シンフォニーホールでの夕べも加わったのですね。
私はポリーニ・ファン歴が短いので、正規版のCDはすべて、その他のCDもいくつか所有して(こちらの情報のお陰さま・・)毎日のように楽しんではいるものの、ライブの経験はまだ6回・・。
80年代の初めは英国に留学していてヨーロッパ中も結構回ったし、帰国後もずっと東京に住んでいるので、演奏会に行くチャンスはいっぱいあったのに・・と、ポリーニの存在をよく知らなかったことが残念でなりません。
フェランド様の「聴き逃した公演を悔やむよりも・・・素晴らしいコンサートに立ち会えた幸運を噛みしめたい。」という謙虚な姿勢を見習いたいと反省しつつ、「私だって一番下の子(まだ小3・・)が手を離れたら、絶対どこまでも‘追っかけ’しちゃうわっ!」と心に誓っています。
どうかマエストロがいつまでもお元気でご活躍になり、たびたび来日して下さいますように・・。
すみこ様、おじさん様、大阪まで行けなかった私たちのために、12日のリサイタルの模様を詳しく教えて下さいませね!
昨夜も素晴らしいリサイタルでした。アンコールは東京と同じ4曲。携帯から取り急ぎご報告。
私がザ・シンフォニーホールでポリーニを聴くのは、1991年以来の事なので、とても楽しみにしていました。
サントリーホールでは、ポリーニの意向で、60人分ぐらいの座席が舞台上に用意されますが、12日はそんな席も無く、考えてみれば、これが普通なのですが、ポリーニのソロをこの状態で聴くのはとても久しぶりです。
曲目は9日とまったく同じなので、最初のop15−1の第1音に注目しました。9日の第1音がとても良かったからです。
携帯で書くのはとても大変なので、続きは、家に帰ってからまた書き込みます
今日一日、心ここにあらず、ため息ばかりの使い物にならない人間でした(普段以上に)。マエストロのコンサートシリーズが終わった後はいつもこうなってしまいます。昨年5月の演奏と並ぶくらいすばらしい演奏でした。ノクターンはあのすばらしい録音に聴かれるよりも、もっともっと繊細で魅力的な音。この日は最初から伸びやかな響きの美しい音でしたが、前半のノクターンは少し音量が控えめだったように感じました。バラードの3番もすばらしい演奏だったけれど少しおとなしめでした。スケルツォ1番くらいから出力全開になられたように感じましたが、もしかするとプログラムの構成を考えた上のバランスだったのかもしれないと、後から思ったりもしました。後半の4曲のノクターンはもう感動としか言いようがありません。以前おじさん様が、マエストロは超絶技巧ピアニストではないし、ご自身もそうなろうなんて思っていないと投稿なさっていましたが、私もまったくその通りだと思います。マエストロの技巧はただこのすばらしい音を、音楽をつくるためだけに使われているのです。…なんて思いながらも、ポロネーズが始まると「これが人間業か」と思わずにはいられませんでした。5番は速くてダイナミックでありながら、タッチは精緻にコントロールされており、音楽は圧倒的な説得力を持っています。45年前のショパンコンクールで審査員のお歴々を驚愕させた18歳の青年の姿が重なりました。あれからずっと磨き続けられた音楽は、巨大な感動を2000人の聴衆にもたらしました。完璧。若き日の録音でさえたじたじの名演奏でした。そして6番。「英雄」はあなたです、マエストロ。ショパンプロの時はアンコールにバラード1番をよく弾いてくださいます。最初に聴いた時は冒頭の和音が響いたとき、思わず「えっ」と小さく声を上げてしまいました。こんな大曲をアンコールに弾くなんて…。いつもアンコールでこの曲がでると、もう涙が止まりません。そのあまりの美しさとこの期に及んでこんな曲を弾いてくださるマエストロへの感謝がこみ上げて。客電があがっても立ち去れない総立ちの聴衆の割れんばかりの拍手、にこやかに応えてくださるマエストロ。私はこの瞬間がとても好きです。ともママ様、私も残念ながら大阪まで追っかけられません。来年またこの感動を味わえることを励みに耐えましょう(って大げさか)。12日に大阪を聴かれるみなさまのご感想を楽しみにさせていただきます。
フェランド様、はじめまして。すてきな感想をありがとうございます。読みながら私の胸にもあの感動が甦ってきました。わたしもマエストロのショパンを聴くと、この2人の天才の存在を神に感謝したい気持ちになります。来年のルツェルン管との共演、チケット争奪戦を考えると今から恐ろしいですが、がんばりましょう。
すみこさん、みなさん、こんばんは。
昨日のポロネーズ!私にとっては宝物です。
聞けてよかったです。
私も感想をホームページにまとめてみました。
よろしければご覧ください。
すでにみなさまの感想も掲載されているのですね。
これから読ませていただきます。
ありがとうございます。http://homepage3.nifty.com/tsukimura/
初めて投稿します。
20年前に人見記念講堂で「ハンマークラビーア」を聴いて以来、なぜか、マエストロの実演に接する機会がありませんでした。CDは好きで、随分聴いたのですが、どうしてか、実演に行かなかった。ピアノを弾かないアマチュアオーケストラプレイヤーは、本当の意味でのポリーニの偉さが分かっていなかったのかもしれません。何よりも、ショパンという作曲家が、私には分かってなかった。ベートーベン、シューベルト、シューマン、ドビュッシー・・彼らの素晴らしいピアノ音楽に比べて、私には、ショパンの音楽が扉を閉ざしておりました。
ポリーニ・プロジェクトのモンテヴェルディやベリオを楽しんだのが「再会」です。昨年5月6日のシューマン「幻想曲」に圧倒され、ボンクラの私も、とうとう理解しました。この人が、どれほど偉大な音楽家なのか、ということを!
そして、そのアンコールで弾かれたノクターンop27−2が、私が初めて実演で聴いたポリーニのショパンです。なんてことだ!こんなにも、ショパンは素晴らしいのだ!
今年は、3日のポリーニ・プロジェクト、そして昨日9日のショパンプロを聴くことができました。念願のショパンプロは余りにも素晴らしく、今も耳に響きが残ります。聞き逃した公演を悔やむよりも、昨年と、今年と、素晴らしいコンサートに立ち会えた幸運を噛みしめたいと思っています。
ノクターンをアタッカで弾き進めるなど、コンサートの全体を、ひとつの交響曲のように、ひとつの音楽的意思の実現として組み立てているように感じました。
ポロネーズ5番のあと、思わず沸き起こる拍手にかまわず、一呼吸して弾き始めた「英雄ポロネーズ」!輝かしくて、潔くて、壮麗で、大きくて・・
最上の指揮者だけが持つような、ホール全体への音楽的意思の放射。呼吸感。多様な音色。正面から音楽するほどに、かえって微妙なニュアンスや、美しさがあらわれること。圧倒的なエネルギーの高揚、気高い意思。
音楽というものの、理想のあり方がここにある。ピアノであること、ショパンであること、音楽であること、それがひとつに融合して、ポリーニのショパンがあるのですね。このHPで知った、フルトベングラーの言葉「私はピアニストが羨ましい、なぜなら彼らにはショパンがあるから」を体現するような、ポリーニのショパン。形式と内容と技術と精神と・・全ての統合なのですね。
アンコール「雨だれ」が始まったとたん、連れは涙で目がくもったといいます。私も、バラード1番のあまりの素晴らしさに、自分の許容量が一杯になるような思いでした。
コンサートのあと、連れと2人、マエストロへ畏敬と感謝の念をこめて乾杯しました。連れいわく「偉大な音楽家は、今という時の尊さを教えてくれるような気がするの・・」
来年のアバド=ルツェルン祝祭管弦楽団との共演は、素晴らしいニュースです。
アバド率いるこのオーケストラは、本当に素晴らしいのです!
追伸
ピアノを弾かない私は、皆様のようにピアノの知識がありません。
それにしても、ポリーニの弾くピアノは余りにも素晴らしい音がします。
今更とは思いますが、「ファブリーニ・スタインウェイ」について、ご教示頂ければ幸いです。
おじさん様のお感じになったとおり、昨晩のピアノはファブリーニでしたね。本当に美しい音・・。ショパンの世界を堪能させてくれる素晴らしい演奏会でした。
昨晩の私の席は、前半が1階17列目中央、友達と交替して後半が1階5列目右側ブロックのいちばん中央寄りでした。やはり場所によって音の響きはずいぶん違うものだな・・と感じました。
つかつかと登場、さっと挨拶をして椅子に腰掛けるや否やすぐ引き始めるといういつものスタイルでしたが、甘えん坊様のおっしゃるとおり、その表情はとってもゴキゲンな様子、これは素敵な演奏を聴かせてくださるな・・といううれしい予感がしました。
演奏家によっては、聴衆が息をつめて待っている中、椅子に座ってからこちらが戸惑ってしまうくらい長く瞑想(?)をしてから演奏をはじめる人もいますが、マエストロはきっと舞台に現れる前にもう音楽の世界に入っているのでしょうね・・。
最初の一音で期待は裏切られないと確信、一瞬にしてショパンの音楽の世界に引き込まれました。
なんという美しいノクターンでしょう!!甘いドルチェな音、深いベルベットのような音、キラキラと煌く高い音、時にりんとした厳しい音・・、本当に彩り豊かな音でショパンの魂の音楽を表現していました。後半の55−2や62−1(最後のトリルの美しかったこと!)では涙が出てしまいました。
スケルツォやポロネーズは、若い頃のパワー漲る、全く隙のない超名盤を繰り返し聴いているだけに、いくつかのミスタッチやちょっとしたよろめきに少しハラハラしました。もちろん録音と比べること自体がナンセンス、ライブならではの即興性スリリングな感興を充分楽しみました。
そしてアンコール・・。特に最初の2曲、全く手を抜かない心のこもった丁寧なアンコールで、「雨だれ」はしっとりと美しく、バラード1番もため息が出るような素晴らしい演奏でした。エチュード2曲(「革命」、スピード感があって興奮しました。)も大サービスといったところでしょうが、個人的にはいつものノクターン27−2やできれば子守唄なんかがききたかったかな・・。4曲もプレゼントしてもらって、なんとわがままな私・・(反省!)
会場の電気がついた後も拍手は鳴り止まず、舞台のそばまで寄ってきて讃える多くの人(私も・・)に、マエストロは例によって照れたような素敵な笑顔で応えてくださっていました。
至福のときを過ごした喜びと、その喜びを与えてくださったマエストロに対する感謝の気持ち、そして長い間楽しみに待ち続けてきた東京公演がすべて終わってしまったことからくる脱力感のようなものを感じながら帰宅。(事情が許せば大阪まで「追っかけ」をしたいくらいです・・。)
一夜明けてもまだ、夢見心地の気分ですが、今回は来年の来日の予定がすでに決まっています。チケット獲得に向けての闘志が早くも沸々としてくるのを感じます。
行って来ました!昨日!。サイン会あったんですよね〜。。。行きたかったけど、CDも買っちゃったし、席も今度は右側だったけど1階ホール4列目だったから、ポリーニをよく見れたしいいかなぁ〜、って思ったのと、コンサートのあと主人と食事をする約束だったので、主人も仕事柄いつも遅いのだけど仕事をなんとか切り上げてくれたので、いいやって思いました。でも、いいな〜。。。
昨日のポリーニ、絶好調!?みたいでした。さっそうと登場してきたときの表情を見て安心しました。よっしゃ、今日はやるぞ〜っていう感じ。最初はノクターン3曲。CDのを思い浮かべながら聴きました。CDのより情感がこもっていたように思います。感動しすぎて言葉が出ません。聴いているうちに思わず涙があふれ出てきてしまいました。昨日のポリーニのピアノは6日のときのようなペダルの効果の音の雑感がなかったし、わたしの席(周辺)では非常に素晴らしい音響状態でした。ポリーニの弾いているときの表情もすごくよく見て取れ、わたしより前に着席していたおば様(失礼!)方が、「○○の曲のときの表情がすっごくステキ。ホレボレしちゃうわ」なんて語り合ってるのが聞こえてしまいました。わたしも、テレビでスケルツォ1番の演奏を見たことがありますが、今回も全くおんなじ表情だったので、あ、そうだったな〜、今も変わらないんだな〜、と思い、見入ってしまってました。
バラード3番は何となく流したというような(違うかもけどね)印象で、やはりノクターンに力点を置いている?そのときは思ったのですが、前半最後のスケルツォはまたこれまでの演奏とは何か違ったもの、う〜ん、細部がとても美しかった、が感じられ、ポリーニも日々変化しているんだな、でも、わたしは昨日のが今までで一番すばらしく思えました。
休憩時間、多くの方々がポリーニのスタインウェイを携帯とかで撮影してました。だから、わたしもそれに習って携帯で撮影しちゃいました。昨日はファブリーニさんは調律に来たのかな?、わたしは主人からのメールを確認しに外に席をはずしたのでわからないのですが、ちょっと残念。。。
後半もノクターン、素晴らしかった。ただただ、わたしは聴き惚れていました。それなのに!周りでは何とお休み中の方が!こっくり、こっくりと!。まあ、仕事などでお疲れなのだとは思いますが、何とこんな素晴らしい音楽なのにもったいない。。。
ポロネーズは待ってました!。ちょっとここで不満を言っちゃいますけど、もうちょっと5番のポロネーズのリズムのところはペダルの効果を減らして欲しかったなぁ。せっかくのリズムが他の音に紛れてしまい、聞き取りにくかった。テンポも速めだったと思います。それに比べ、英雄は圧巻です!。テンポは速めでしたが、わたしはこの速さのほうが好みなので良かったです。
アンコール!昨日はポリーニは気合を入れてたんでしょうね。絶対観客のウケねらいだったと思ってます。わたしは革命は初めて聴きました。若い頃より内容がさらに充実していたし、表現も本当に素晴らしかった。ただ、お疲れ?、最後のエチュードの4番は手抜き?流した?感じでした。テンポもボロボロだったし、何しろ去年のアンコールのときの演奏がまだ耳に残っているので、ちょっとひどいな〜、とは思いましたけど、これだけ弾いてこられたのです、もうクタクタですよね。お疲れ様です。
また、来年来日します。チケット取るんだ、って主人に話したら、「頑張れ」と言ってくれました。頑張るゾ!!!。
さあショパンです。ロビーでCDを売っている所をのぞくと、ノクターン全集を買った人にサイン会が有りますよと書いてあります。ポリーニのサイン会は初めての事では無いらしいのですが、私は、ポリーニのサイン会が有るという張り紙を今まで見た事ありませんでした。すでに、輸入盤も国内盤も買っている私には余裕がありません。ちょっぴり残念です。
ショパンのノクターンを9曲も演奏するのは、あまり例が無いような気がします。今のポリーニは、ノクターンに特別な気持ちが有るんですね。最初の曲目op15−1の最初の音を聴いて、ああ! 今日の演奏会は素晴らしい物になると思いました。目が悪いので、ピアノの横にファブリーニの文字が有るのは確認できませんが、どなたか確認されているでしょうか? 出てくる音は3日のシュトックハウゼンを前から3列目で聴いた音その物だったので、ファブリーニ・スタインウェイだったと思いますが、ポリーニの美しい音が降ってくるように聞こえました。素晴らしいとか美しいとか、そんな次元では無く、その場所に私が居る事が出来たという奇跡・偶然を感じ、時間が止まってしまいました。
op15−1と2は、1968年頃にEMIへ録音しているぐらい昔からのレパートリーですが、日本で弾くのは初めての事だったと思います。EMIにもこの2曲しか録音しなかったので、私は長い間、op15のノクターンは2曲しか無いと思っていましたが、その不幸なop15−3も、今日は光が当たっていました。
3曲終わって、一度ポリーニは袖に戻り、次はバラード第3番です。私はノクターンのあまりの素晴らしさに頭が切り替えられなくて、私には今日のプログラムの中で一番印象が薄かったような気がします。
私は、op48−1と2のノクターンとポロネーズop44と英雄ポロネーズを1981年来日時に聴いていますが、当時の私にはop48のノクターンはあまりなじみが無く、ポロネーズだけが記憶にあります。今から思えばとてももったいない気がしますが、仕方がありません。今日のop48には、ポリーニが表現する音楽を精一杯受け取り、もう、心がどこか飛んで行ってしまう感じで浸りきりました。
やはり、今日のプログラムの中心はノクターンに有るようで、次のスケルツォ第1番は、とても素晴らしい演奏でしたが、少し異質に感じました。
後半のop55とop62の4曲のノクターンは続けて弾きました。これを聴いた感覚を何と言えば良いのでしょうか…
ポリーニは、ショパンの曲を続けて演奏する事があります。まるで、追い立てられる様に、次から次へと弾き… 一つ一つの曲の美しさを感じるより、ショパンという作曲家を全部聴いて欲しいという表れなのでしょうか? 作品番号が有る最後の4曲のノクターンは、単独で聴いても溢れるばかりのショパンを感じられる曲なのに、それを4曲も続けて聴かされ、私は、ポリーニの表現に押し潰されるような気がしました。
ポロネーズop44と英雄も続けて演奏しました。もうノクターンは終わったので、ここは気分を変えて楽しもうと思いましたが、圧倒的な演奏で、これまた押し潰される様な気がしました。この2曲は、1981年来日時の演奏を良く覚えているので、どうしても比べてしまいますが、1981年のゆったりした演奏も素晴らしかったですが、今日の、音楽の力から生み出される表現には脱帽しました。
アンコールはまず雨だれ。英雄ポロネーズの興奮が嘘のようにとてもとても優しい演奏… でも、少しテンポが速いかな… 2曲目のアンコールはバラード1番。私はポリーニの弾くバラード第1番には特別な感情があり、今回で何度目でしょうか、1974年の初来日時のアンコールで聴いて以来何度も涙を流した事が有ります。今日も目がウルウルする感じで、やはり、ポリーニのバラード第1番は特別です… 今日のバラード第1番は、造型美をとても大事にした様な演奏で、大理石の美しい彫刻を見ている様な演奏でした。アンコール3曲目は革命。4曲目はop10−4のエチュード。コンサートが終わってしまうのがとても残念という惜しみない拍手の中で、ポリーニの素敵な笑顔が忘れられないコンサートでした。
サイン会には200人を超える人が並んでいたでしょうか! 私はCDを買っていないので権利は有りませんが、一応、列に並びました。その列が少し進み出した時に、先に帰るアンジェロ・ファブリーニさんが通って行きました。あなたの今日のピアノは本当に幸せでしたね! しまった!! ちゃんと言葉にして伝えれば良かった!!
サイン会は、CDやプログラムを係の人が受け取り、ポリーニはただサインするだけで握手も無しという感じでしたが、やっぱりみんな嬉しそうでした。やっぽりCD、買っておけば良かったかな! 少し後悔しました。
私も昨晩は1階中央前から3列目というゴールドシート(?)、とても幸運でした。そして今回は娘が若葉シートを手に入れることが出来たので、座席券との引き換えのために5時半頃からカラヤン広場に並びました。待っている間、何人もの人が当日券を求めてやってきて(ポリーニで当日券とは認識が甘いのか、キャンセル分が出ないかと藁にもすがる気持ちで来たのか・・)、ブラインドの閉じた窓口を見て落胆し、職員に問い合わせたりしていましたが、ほとんどみんな肩を落として帰って行きました。娘はそんな姿を見ていただけに、売り切れのはずの座席に少しですが空席があった(1列目のド真ん中の1席にもとうとう誰も現れませんでした・・)ことがもったいない!としきりに言っていました。
開演前・・。私の席のそばで、お互いに「先生」と呼び合っている男性2人組。その一人がなんと湿度計を持ってきていて、もう一人の「先生」とホールのコンディションについていろいろ話していました。(耳ダンボになる私・・。)
曰く、ピアノのリサイタルはもっと小さいホールでするのがふさわしいのに(それはそうでしょうが、そうなるとチケット争奪戦はますます熾烈を極めますよね・・。)、こんな大きい会場で、しかも2000人が雨の中大変な湿気を持ち込んでいる・・と言うのです。少なくとも、傘たてを全員分用意して傘と濡れた上着は持ち込み禁止にしなくてはダメだ・・と。
「こんな湿度ではピアノも狂うし、音もボケますよねェ。縦の線なんかちゃんとでないんじゃないですか・・?(どういう意味でしょう・・?)」
「ミケランジェリなんかだったらキャンセルするところかもしれませんよ。(・・そんな、まさか!雨だからってキャンセル?)」
半信半疑で二人の「先生」の話を聞いていたのですが、おじさん様の「エコーがかかっているように感じた。」、甘えん坊様の「調律が上手くいっていないような・・。」というご感想を読んで、高い湿度の影響もあるのかな・・と思いました。(初めのうちの方がずっと湿気が多かったでしょうし・・。)
前半の初期の2曲。立ち上がりはちょっと不安を感じるところもありましたけれど、だんだん調子を上げていきましたね。少し速すぎる気もしましたが、あのスピード感はポリーニがあの曲の中に求めるものなのでしょう。
後半のハンマークラーヴィア、夢にまで見たポリーニによるこの曲のライブ演奏。ポリーニはこの大ソナタを完全に、完璧に自分のものにしているなァと思いました。あれはあの速さで弾いてほしい・・、スリリングで躍動感にあふれているのにどっしりとした重みもあって素晴らしかった・・。軽やかな2楽章は心躍らせる演奏で、3楽章はよくうたいとてもロマンティックだったし、重厚な4楽章では本当に興奮させられました!楽章間の対比も絶妙で、構成がしっかりとされている中に即興的なものがちりばめられ、やはりポリーニは最高のベートーベン弾きだと感じました。
最初のアンコールではちょっと「ずっこけ」もありましたけど、最後のバガテルは本当に愉悦のひと時でした。やはり幸福感に浸りながらホールを後にすることができました。
久しぶりにカキコします。すみこさん、そして皆様お元気ですか。
6日、私は左側−2階LAブロックで聴きました。マエストロの真後ろです。
おじさん様はその対面あたりだったのでしょうか?
やはり残念ながら最後まで音が濁っていて、はっきり聞き取れない部分がかなりありました。
席によるものなのかと思っていたのですが、全てがそうではないようですね。
今回音は少しあきらめて、オペラグラス片手に演奏している手指に注目しようと思ったのですが
殆どがマエストロの身体に隠れ、見えませんでした。
見えたのは左右そろぞれ約1オクターブ半程・・・
たまに見える指、ソナタ3番のオクターブトレモロ
(腕の動きが生クリームを泡立てているかのよう)
体重をかけて弾くff、変に力まずに演奏しているマエストロの姿は後ろからでも素敵でした。
ポリーニでは初の生ハンマークラヴィーア、
特に息の長い4楽章を弾く集中力には参ってしまって
演奏が終わった後、思わず「うぁ゛ー」と言いながら拍手を送ってしまいました。
時々ミスタッチか?と思われるところや、ペダルの踏みかえと同時に弾いて音がならない
といったところもあったようですが、今回もポリーニには感謝感謝です♪
98年のベートーヴェンソナタ30〜32番リサイタルの時、2階RDブロックで聴いたのですが
今回以上に音が悪かったのを覚えています。
今後他の2階席、またはP席もチャレンジしようかなぁ。音、どうなんでしょう?
9日ショパンプロは1階席、早く風邪&熱を治して臨みたいです。http://www.geocities.jp/etude_room/
わたしと主人、今回この6日は1階ホール左側1列目に席を確保できました。ホント、ラッキーです。こんなことは滅多にないですよね。ポリーニをホントに間近に見られて良かったです。主人もしっかり堪能してました。
早速です、おじさん様、ハンマークラヴィーアの第1楽章の2つ目の音、しっかり右手で弾いてました。繰り返しの後もそうでしたよ。あれっ!?ここは。。。テクニックの心配というより、どうしてそうしたのでしょう?。音の速さを一致させるためでしょうか?。それとも、もう老齢ですから。。。そんな筈はないですよね、何か絶対意味があるはず。お若い頃はどうだったんでしょう?。
今日のポリーニ、そんなに調子はいいとはいえなかったのでは、と思います。まず、ピアノの調律が上手く行ってない?と思えるところが、ソナタの第1番を聴き始めてすぐに感じました。高音部の数音で音が中間音のようになっている?と思われ、最初はミスタッチ?と勘違いしたほどです。
1番第1楽章の最初のスタッカートはホントにボロボロだったと思います。個人的にはあんなにスタッカートにペダルを踏まないほうがもっときれいに聞こえるのに。。。とは思うのですが、ペダルの効果で音が分散、不協和音のスラー?とも感じられ、すごく痛ましかったです。そしてスタッカートと言えば、3番の終楽章の冒頭など。もうちょっときちんとした和音のスタッカートにして欲しかった。軽く鍵盤をたたいているためなのでしょうか?。それに加え、やはりペダルで音が分散。ちょっとここでも悲しかったです。どうして、曲の隅から隅までペダルを踏まれるのか。。。
でも、だんだん、調子があがったようで、全体的には素晴らしい出来でした。即興性を重視した演奏。まるでポリーニが一昔も二昔も前に戻ったようで、でも、この若々しさは今のポリーニだから表わせるものなんですよね、感激しました。
後半のハンマークラヴィーアは圧巻でした。とても速いテンポで、でも速いなかにも細部を隈なく表現し、その速さなのに音が重厚でもあり色彩的でもあり、そして落ち着きがありました。CDのより即興的でしたし、速さの追求?といった感じもしました。
すばらしいハンマークラヴィーアでした。満喫です。願わくば再録を。。。
初期ソナタ早く録音して欲しいです!。
余談ですけど、休憩時間主人がトイレに行った際、若い男性たちが、「何であんなに弾けるんだ?」と言っていたそうです。でも、そういう人たちもいる中、ステージに招待されていた?学生さん達?のなかには、演奏が終わっても全く拍手もしない人もいました。怪訝な表情をしながら。。。主人がちょっと不思議そうでした。
今日のポリーニはあまり体調がよくなかったのかな?と思いました。全プログラムを弾き終えたポリーニは、わたしの席からは斜めの角度でポリーニの表情が見えましたが、非常に疲れた様子でした。足取りもどこかふらついた感じが見て取れました、しっかり歩いているんですけどね。出てくるときの表情もあまり冴えない感じがしたのを覚えています。9日はいい表情で出てきてくれるといいなぁ。。。
11月1日のシンポジウム、3日のプロジェクト2に続いて、昨晩のベートーヴェン・プロを聴きました。前から6列目、マエストロの横顔のほぼ正面というお席で、音はとてもよく届きましたが、低音部を弾く左手は見えませし、ペダルものぞき込まないと見えないという感じでした。舞台の上のスタインウェイにFabbriniの金文字がありません。ホールのピアノを使ったのはベートーヴェンのソナタによりふさわしい音だと思われたからでしょうか。1番のソナタの弾き始め、音が完全にだんごになってしまって、何を弾いてるのかわかりません。どうしたんですかマエストロ…今日はご不調ですか…と思っていると間もなく、主題部の繰り返しの後くらいから音の粒建ちがやっと出てきて、その後はどんどん明瞭な音になっていきました。私の席では、音は明瞭でどんなに速く弾いても声部はくっきりと弾き分けられてきこえるし、変化に富んだ音色も十分に堪能できました。でもコンサート後にお話をした数名の方は、速すぎる部分では音がだんごになってしまって構造がよくわからないところがあった、と言っておられたので、席によっては私が冒頭で感じた不明瞭感がずっとあったのかもしれません。心なしか最後の拍手の時のブラボーと盛り上がりがいつものコンサートよりも少なかったように感じましたが、席によって不明瞭な音しか届かなかったとしたら、マエストロは完全に本調子ではなかったのかもしれません。幸い、私の聴いたマエストロの音はいつも通りすばらしいものでした。高音部の煌めきはFabbriniスタインウェイほどではなかったようですが、それがむしろベートーヴェンのソナタにはふさわしかったかもしれません。重厚な低音部の響き、力強くもどこかやわなかなフォルテシモ、限りなく表情豊かな音たち。時々、今までのマエストロの演奏会で聴いたことがないようなあま〜い音がするんです。ノクターンの録音に入っているdolceな音の正体見たりという感じでした。マエストロ・ポリーニの音楽にあま〜いなんて表現はふさわしくない感じもしますが、マエストロはますます音色の幅を広げているようでうれしくなってしまいます。私はマエストロのハンマークラヴィーアを生で聴くのは初めてでしたので楽しみにしていました。全体にとても速いテンポでした。ベートーヴェンの示したべらぼうなメトロノームの指示に挑むかのように。音楽的表現が可能な範囲で、できるだけ速く弾きたいと考えておられるのかもしれません。これまで若き日のマエストロの録音はもちろん、他のピアニストの演奏でも何回となくこの曲を聴きました。実は私にとっては、スケールの大きな感動を味わいながらも、この曲が本質的に全然わかってないんじゃないかという不安に駆られる曲でもありました。過去から来たのか未来から来たのか、才気なのか狂気なのか、希望なのか絶望なのか…。昨晩のマエストロのハンマークラヴィーアはそんなものを包括する宇宙のような演奏でした。一生忘れられないハンマークラヴィーアです。
さあベートーヴェンです。私は2階の右なので鍵盤はまったく見えない所ですが音は飛んで来る所です。ただ、響きが多くてちょっと戸惑いました。
1曲目のop2−1は個人的には一番楽しみにしていた曲です。特に最初の第1音をスタッカートで弾くのか弾かないのか、とても興味が有った所です。最初のドの音は、スタッカートが書いてあるのと書いてないのが版によって半々ぐらいのような気がしますが、少なくともスラーは無し、次に出てくる左手の同じパッセージは、どの版も大体スタッカートが書いてあるので、次の2音目とつないではいけない所と個人的には考えています。ポリーニの第1音はとても微妙で、つながっているようないないような… 繰り返した時は完全にノンレガートだったので、少なくともポリーニは意識して弾いているのを感じられて安心しました。初期のソナタなので予想はしていましたが、全体的に早い演奏。響きが多い私の席では、中域の響きが残ってしまい、エコーがかかっているようで明瞭に聴く事はできませんでした。低域も薄い感じで、しかし右手の高域はとても綺麗に聴かせてくれました。すべての繰り返しをちゃんと演奏したので、第1楽章も第4楽章も2回弾く事になりますが、特に第4楽章の後半を繰り返されると長い演奏と感じる事がありますが、ポリーニの様に全体の構成がピシッとなっていると繰り返しが当然のように聴こえてくるから不思議で、初めてこの曲の構成がわかったような気がします。
2曲目のop2−3第1楽章は、カデンツァがあったりして、初期にしてはとても構成の大きな曲ですが、6日の演奏は、ちょっぴり可愛らしくてチャーミングに聴こえました。第2楽章はとても優しい演奏で、1993年に聴いた時に感じた後期につながる精神性を重視した演奏ではなく、ロマン派を思わせる明るい光という感じでした。第3楽章はメロディーの対比を意識しすぎたのか、表現に失敗している所もありましたが、最高のリズム感で生き生きとした効果が楽しかったです。「へい、いらっしゃい! いいネタあるよ! このマグロどうだい!」って感じで、目の前に新鮮な音楽を並べてくれたような気がしました。その乗りがそのまま第4楽章に続き、3番はとても嬉しい感じになりました。
さてハンマークラヴィア。私の席からは鍵盤がまったく見えないのでよくわかりませんが、第1楽章2つ目の音を右手で取ったような気がします。どなたか確認されているでしょうか? 冒頭の跳躍感は、左手のみで弾いた場合に表現できるので、決して安易に右手で取る様な事はしなかったのですが、もし右手で取っていたら心配です。第1楽章はそれが気になって集中できませんでしたが、第2楽章以降、ポリーニのボルテージもどんどん上がって最高でした。第2楽章は素晴らしかったし、第3楽章以降の表現は何と言えば良いのか… さっきの寿司のネタではないけれど、音楽が生まれている瞬間の積み重ねを何の夾雑物の無い素直な気持ちで受け取る事ができました。第4楽章は1998年程では無かったけれど、やはり盛り上がります。
これだけの曲目なのに、ポリーニの場合はあっという間に終わってしまう感じなので、残念な気持ちの所アンコールが2曲。ベートーヴェンのバガテルop126−3と4です。3番はひどかったですね! ボロボロでした。いったいどうしたんでしょうかね! それに比べて4番の素晴らしかった事、これまたいったいどうしたんでしょうか! 3番で失敗したから4番は気を入れたんでしょうか。
気が付いたら、1番を聴いた時のエコーがかかっているような感じがまったく無くなっていて音が変わっていました。ハンマークラヴィアから変わっていましたね! 気になるという事は、やはり1番はピアノを鳴らしすぎていたんでしょうか?