時々の雑記帳

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(7月〜9月)

遥か彼方へ
マエストロ・ポリーニのあまりにも急な訃報に、呆然として言葉を失い、しばらくは何も考えられずにいた。音楽を聴くこともできなかったが、なぜか頭の中には静かなピアノの曲が流れていた。ブラームス晩年の作品「間奏曲op.117-1」。言いようのない懐かしい思いがこみあげてくる(ポリーニがこの曲を演奏したのは、ほんの僅かな機会だったけれど)。それからシューマン「ダヴィッド同盟舞曲集」の”彼方からのように”。”彼方”が果てしなく遥かな天になってしまったなんて・・・胸が締め付けられるようだ。

もう2か月余りが経ってしまった。季節は巡り春から初夏へ、もうすぐ梅雨が始まるだろう。日々の営みに追われて、マエストロ不在の悲しみを紛らわせてきたが、少し気持が落ち着いたところで、お別れの言葉を書き留めたいと思うようになった。
・・・・・・・しかし、なかなか進まない。私自身が頭も心も空っぽになってしまったようだ。いや、もともと空っぽだったのだろう、ただマエストロへの思いが詰まっていただけで。でも、それなら尚のこと、このままではマエストロに申し訳ない気がする。
記憶を探り、演奏会のこと、レコードのこと、日頃思っていることを書いてみようと思った。このホームページに載せた雑記帳も読み返して、マエストロとの関りをもう一度、追体験(?)してみた。

そうしたら、もう梅雨も明け、真夏日になっていた、時間の流れの速さに驚かされる。 もう、マエストロが去って、4カ月も経ってしまったなんて。なに事もなかったかのように社会は動き続けていて、立ち止まっていたのは私だけなのかもしれない。

初めてポリーニの演奏を聴いたのは、FMラジオから流れるモーツァルトのピアノ協奏曲第23番だった。流麗なウィーンフィルの管弦楽と美しいピアノの音に魅了された。抒情性に心がふるえ、心地よいリズムの愉悦感に浸り、均整美に満ちた演奏は、まるでオリンポスの祝宴で奏でられているかのようだった。
ベームとの共演は老巨匠を敬愛するポリーニ自身が頼んで実現したそうだ。当時”もう伴奏には興味を持たなかった”ベームだが「若い優秀な人の役に立てるのは嬉しいことだ」と応じたという。未来へ羽ばたく天才と老大家の尊敬と慈愛から生まれたのは、清澄な明るさと暖かさに満ちた、生き生きとした演奏だった。

レコード店へ行き、モーツァルトが好きな母に贈ろうと手にしたLPのジャケットに、アポロンの姿があった。若く、理知的な、凛々しい姿。そこに宿る高貴で清らかな精神を、彼のピアノに聴いたのだった。
それが私のポリーニを聴く原点にあり、今もその印象は変わらない。

ポリーニも当然のことに、年月を経て、歳を重ね、変わっていった。
若くしてすでに完成された技巧を持ちながらも、奢らず、安住もせず、なお自らを成長させ、さらに成熟し、やがて老いへと向かう中で、喜びも苦しみも、楽しさも哀しみも、数多経験したに違いない、きっと凡人の何十倍、何百倍も。
それでも、彼はアポロンだったと、今も思う。本質は少しも変わらずに、真摯に、誠実に、謙虚に、音楽と向き合い自らの生を全うした、あまりに人間的なアポロンだったと。

アポロン=太陽神が去った音楽・ピアノ界は、昏く寂しい世界になってしまった。

ムーティは「彼は偉大な芸術家・音楽家であるとともに、giustizia=正義(公正)の人だった」と悼んだ。
アルゲリッチは「私が出会った数少ない天才で、尊敬するピアニストでした」と偲んだ。
ピリスは「光が失われてしまったようだ」と悲しんだ。
・・・同時代を共に生きてきた音楽家達の哀しみは、どんなに深いだろう。

そして、より若い世代の音楽家への衝撃も大きかった。
有ってはならないことだ、地盤が崩れたようだと、大きな衝撃を受けたピアニストがいる、レヴィットのように。
彼の音楽を自らの礎とし、彼の存在を支えとしているピアニストも多いだろう、オラフソンのように。
ポリーニの音楽に触れ、感動してピアニストになった人、彼を仰ぎ見て、指標として、ピアニストの途を進んだ人は沢山いるだろう、ラナのように。

ポリーニは弟子を持たなかった。「定期的に教える時間が無いので」と言っていたそうだが、決して若い世代に関心が無かったのではない。
夏の音楽祭で、若い受講生を教えたことは幾度もある。コンクール後に質問に来た出場者に、懇切丁寧な助言を与えたこともあった。演奏会の前後にしばしば学生向けのレクチャーを開き、音楽学者と対話し、曲目の解説もした。自らが得た栄誉の賞金を、音楽を学ぶ若い人のための奨学金にしたこともある。日本でも幾度かあったように、求めやすい価格で青少年のためのコンサートを開いたり、舞台の上に若い音楽学生を座らせ、真近で演奏を聞かせることもあった。
若い世代には惜しみなく与え、これからの音楽のために常に尽くした人だった。これから音楽界を担う人々には、ポリーニの志を忘れずにいて欲しいと、心から思う。


これから綴る文章は、かなり長くなります。もう読むの止〜めた、と思われるような文章かもしれません。最後に皆さまにお礼を、と思いましたが、この場で記させていただきます。
長いこと私のホームページをお訪ねいただき、本当にありがとうございました。皆様のご意見やご感想、貴重な情報をいただいて、このページを続けてこられました。ポリーニが私の支えであったように、このページを作ることは私の楽しみでした。画面の向こうに読んでくださる方がいる、共感していただけることもある(反対意見もあるでしょうけれど)と思うのは、嬉しいことでした。ポリーニの存在は、いつまでも私の、そして皆さまの心の中にあるでしょう。なにかの折に、このページも思い起こしていただければ幸いです。

2024年 7月18日 16:30

リサイタルの思い出・その1
ラジオとレコードでまず知ったポリーニ。私が実際にライブでポリーニの演奏を体験できたのは大分先のことだ。
リサイタルを聴いてみたいと、ずっと思ってはいたが、チケットが取れなくて諦めるばかりだった。1991年、やっと念願かなって初めてリサイタルに行った時の、ワクワクというよりドキドキした気持ちは忘れられない。
以下、ポリーニ・リサイタル鑑賞の思い出を、雑記帳に載せた感想なども参考に辿ってみたい。(プログラムの詳細はこちらをどうぞ。)

1991年春のこと、ポリーニは7回目の来日だった。曲目はベートーヴェンのソナタ13番と14番「月光」、「ディアベリの主題による33の変奏曲」。
東京文化会館の天井桟敷(5階席)からは遥か下にポリーニが見えた。立ち登る音の美しさにゾクゾクした。「月光」の第3楽章も素晴らしかった。が、「ディアベリ」は、私には難し過ぎた。変奏を指折り数えていたが途中で分からなくなり、迷子のまま最後の曲を迎えていた。長丁場にお疲れだったのだろう、アンコールは無かった。後でプログラムを読んで、初来日の時はなんとアンコールが6曲もあったと知った時は、この次は絶対ショパンを聴こう!と思ったのだった。

1993年の来日ではまたもチケットが取れなかった。

1995年春、念願かなってシューマンとショパンのプログラム(A)を聴いた時は、ロマンティックで熱い演奏にまるで夢心地で、天井桟敷から身を乗り出すようにして聴いていた。待望のアンコールもショパンの2曲を聴けた。スケルツォ第3番は熱い演奏で、アンコールでもポリーニはやはり真剣なのだ、と思った。
この年はブーレーズと共演のバルトーク「協奏曲第2番」が予定されていて、”これを聴かなくては一生後悔する!”と思い、”チケット求む”と音楽誌に出し、運良く譲っていただいて、勇んでサントリーホールへ向かったのだった。
ところが、ざわつくホールには「ポリーニは筋肉の疲労のため、曲目を変更します」のお知らせ。シェーンベルクの独奏曲に変わっていた。ショックだった。が、初めて聴いたシェーンベルクの曲の精妙な音色、精緻な演奏は、これまで耳にしたことの無いものであり、間近で見る(1階中央部だった)ポリーニの精神を込めた演奏に、耳も目も奪われていた。
後半「春の祭典」をポリーニは客席で聞いていたが、終演後大勢のファンに握手を求められていて、私も握手して頂いた。大きな柔らかい、温かい手だった。

ちなみに、この時行われた「ブーレーズ・フェスティヴァル」は凄い音楽シリーズで、半月ほどの日程に13回もの、すべて内容の異なる演奏会が行われたのだ。ピアノ独奏(ポリーニのリサイタル(B)が幕開けだった)、オーケストラ曲、協奏曲、室内アンサンブル、声楽曲と、20世紀の作品がギッシリと詰め込まれた大きな”玉手箱”のようだった。
演奏者もポリーニ、バレンボイム、クレーメル、ノーマンなど著名なソリスト達、ロンドン響、シカゴ響、N響に、晋友会合唱団、現代音楽のアンサンブル・アンテルコンタンポラン。
招聘元の梶本音楽事務所の貢献は大きかっただろう。このようなシリーズがあったから、その後、日本での「ポリーニ・プロジェクト」も実現できたのかもしれない。

1998年の演奏会は初めてサントリー・ホールで行われた。ベートーヴェンの後期作品と、現代音楽の4回の公演だった。ソナタ27・28番と29番「ハンマークラヴィ―ア」か、後期3曲を聴くか迷ったが、結局、後期ソナタ第30・31・32番を聴くことにした。
後方の席で、隣にTVクルーが陣取っていた。レコードで聴いて、曲もポリーニの演奏も、その素晴らしさは判っていたつもりだったが、生演奏の魅力は別格だった。ホール中に満ちる演奏の迫力。低音の力強さ、高音の美しさも、曲から感じられる深さや雄大さも、次元を異にするかのようだった。迫真の演奏にお疲れだったのか、アンコールは無かった。この年の来日公演ではどの回も充実した内容で、アンコールを付け加える余地が無かったのかもしれない。
この時は、ホール裏手の楽屋口で”出待ち”して、サインを頂いた。”ecco!”とプログラムを返してくれた時の笑顔、忘れられない。

4回目の公演はオール・シュトックハウゼンという驚異的というか挑戦的なプログラムだった。しかしチケットは余り売れず、それを知ったポリーニは「この演奏会を成功させるために私が出来ることは何でもやる。インタビューも受ける。TVに出ても良い。」と言い、プログラムにもリストの晩年の曲やシェーンベルクの曲を付け加えたのだった。「ポリーニを囲む会」(残念ながら参加できなかった)が催されたのもその一環だったのだろう。
ポリーニにとって、自分の生きる時代の音楽を演奏するのは自然であり、より多くの聴衆を得るために演奏するのは自分の使命でもある、との思いだろう。その真摯さ、真剣さには頭が下がる、でも、頭では分かっても、感覚的、心情的にはなかなか付いていけない・・・寂しい思いが残る。

21世紀となり、インターネットの普及とともに、多くの情報にも触れ得るようになった。「鶏共和国」という熱心なポリーニ・ファンの方のサイトを知り、啓発され、触発されて、私自身もポリーニをめぐるサイト”Wie aus der Ferne"を作ってしまった。
ある指揮者のファンの方のサイトに、地方公演も含めて来日公演の全てに参加するという文があって、え〜、ファンってそういうものなの!?と驚いた。好きなプログラムを選んで1回だけ、貴重な演奏会に足を運ぶのが常だった私だが、以後、なるべくその方法に習うことにしたのだった。

2001年の演奏会は全てロマン派のプログラムで、前回とは全く趣を異にしていた。
プログラム・ビルディングの妙というのも、ポリーニの演奏会についてよく言われることだ。対比、対照を通じて得るもの、同質性、継続性を感じるもの、全体を通じての統一性、それがアンコールの曲まで徹底していること等々。が、時には、ハッとして嬉しくなるような、アンコールのサービスもあったりする。
今回はシューマンとリストの1日と、オール・ショパン・プロが2回あった。「クライスレリアーナ」の豊かなファンタジーに酔い、リストのソナタの偉大さに感銘を受けた1日目。圧倒的な名演だった。緊張感から解放された聴衆の熱狂的な喝采に、さらに集中力を以って応えたアンコールは6曲、最後はなんと「超絶技巧練習曲第10番」だった!
ショパン・プロは美しい前奏曲op.45から激しいスケルツォ第1番まで、6曲の前半だけでも聴き応え十分なのに、後半に全4曲のバラードという信じられないほどの豪華さ。ホール中が熱狂と歓喜の渦に包まれる中で、オール・ショパンの5曲のアンコールは”第3部”とも言うべきものだった。
同じ内容の2回目は”ミケランジェリに捧げる演奏会”とされ、アルゲリッチと語らって、'95年に亡くなった師ミケランジェリを偲ぶ曲がそれぞれ奏された。アンコールでショパン2曲の後に「沈める寺」が捧げられた。ショパンの世界とはガラリと趣の違う、精妙な音で築き上げられた荘厳な世界に、また心打たれたのだった。ちなみにアルゲリッチは前年のリサイタルで、ラヴェル「水の戯れ」を捧げていた。

ポリーニの演奏会では、いつも多くの花束が捧げられる。ポリーニは律儀に一人一人と握手して受取る。その間、聴取は拍手を続けて、手が痛くなるほどだ。ポリーニも屈んで受取るのは大変だろう、何とかならないかしら?と思ったが、主催者によれば、日本だけでの珍しい出来事として、ご本人も楽しんでいらっしゃるようだ、とのこと。イイなぁ、羨ましいなぁ、と思いつつ、若い女性たちに混じって並ぶ勇気はなく、拍手を続けるのだった。

この頃から”鶏共和国”に集う方々、私のホームページを訪ねてくださる方々と連絡を取り合い、オフ会をしたり、演奏会の前後にお話しするようにもなった。ポリーニを巡る世界が広がり、明るくなり、暖かくなったようだった。楽しい時をご一緒出来たことに、感謝!

2002年には「ポリーニ・プロジェクト2002 in 東京」が行われた。

1995年にザルツブルク音楽祭で行われた"Progetto Pollini"は、ポリーニの音楽活動に新たな領域を開くものだった。音楽祭からの提案で、自由に曲を選び構成するシリーズを創ることになったポリーニは、ルネサンス期のマドリガーレから古典派、ロマン派を経て20世紀の音楽までをそれぞれプログラムに並置し、5回のプログラムを提示した。声楽、合唱、ピアノ独奏、室内楽、協奏曲と曲種も多様だったが、近代以前の音楽と現代音楽との対比が特徴的だった。
’99年にはその第2回が開かれ、7回の演奏会で世界初演4作品が披露された。
’99〜2001年にはニューヨーク、カーネギーホールを中心に、2シーズンに亘ってPerspectives : Maurizio Polliniが開かれた。全27回のうちポリーニは14回に登場、他の13回にはニューヨーク、フィラデルフィア、シカゴ、ボストンの交響楽団、ジュリアード、エマーソン四重奏団などが参加したものもあった。曲目は新たに古代ギリシャの聖歌(ポリーニはギリシャ語も勉強したそうだ)、中世のグレゴリア聖歌を加え、初演も含む現代曲も数多く演奏される、壮大な音楽シリーズだった。
2002年には春にパリで4回のL'invention du sentiment.Autour de Maurizio Polliniが開催され、そして秋には日本で「ポリーニ・プロジェクト 2002 in 東京」が開催されたのだった。
10月半ばから1カ月に亘る全9回の演奏会で、ポリーニは全てに登場した。「少し休みたいところですが・・・私のプロジェクトなのだから、やりますよ」と言い、加えて2回の講演会も開いた。
数年来共演してきたシェーンベルク合唱団、アッカルド四重奏団、アンサンブル・ウィーン=ベルリン、歌手、管楽器のソリストたちを招き、日本の音楽家たちを加え、同時期に来日するブーレーズ率いるロンドン響、シャイー率いるコンセルトヘボウ管との共演もあり、充実した一大音楽イベントになった。
私は幸いにも開幕前の講演会に参加することが出来た。ポリーニは来日直後だったが、2時間の間熱心にプロジェクトの概要を話してくれた。
◎自由に選曲し構成する中で、自分で演奏するのも聞くのも好きな曲を集めた、声楽には特にノスタルジーを感じる、人間の声は一番美しい楽器だと思う。
◎プログラムについては、多様な組み合わせ(女声、男声、ソロ、コーラス、種々の楽器)の曲を配し、いろいろな時代の音楽を組み入れ、有名な作曲家の演奏されることが少ない曲を取り上げ、現代作品をどのプログラムにも入れることをコンセプトにした。
◎時代によって音楽言語は異なっているが、どの時代でも一流のものは音楽的表現力というものを持っている、表現力の力強さは変らない。現代の作品にも、それを聞いて欲しい。
時折ピアノで例示しながら、熱心に語るポリーニ、一ピアニスト以上に、大きな音楽家の姿を感じさせられた。

第1夜は、ブーレーズ、ロンドン響との待望のバルトーク「ピアノ協奏曲第1番」だった。これぞ「聴かなかったら、一生後悔する!」と思う曲(私は第1番が大好き!)。
この日は午前中にリハーサルが公開され、朝から上野へ。久しぶりのオーケストラの重厚な音にワクワクした。ポリーニは途中から加わり、さらにテンションが上がる中で(客席の方が?)、真剣そのもののリハーサルを聴かせてくれた。
夜の東京文化会館は、期待に満ちた聴衆の熱気を反映して華やかに煌めいていた。ポリーニの演奏は、強靭な音、冴えわたるリズム、高度な技巧も駆使して、圧倒的だった。第2楽章の管楽器との対話も素晴らしく、情緒が心に染み入った。本番はやはり別格だった! 聴けて本当に良かった!

第2夜〜第4夜は紀尾井ホールを舞台に、小規模の編成で精密な音楽が繰り広げられた。
第2夜は近・現代の管楽器の曲にルネサンス期のマドリガーレを組み合わせたプログラム。ポリーニはチェンバロを弾きながら指揮して、優しい独唱から迫力ある6重唱へと導いていった。

第3夜はマドリガーレの間に現代曲ノーノの作品を挟み込む形のプログラム。シェーンベルク合唱団の実力が遺憾なく発揮されたマドリガーレだった。ポリーニはノーノの”...sofferte onde serene...”を演奏した。ホールの空間を埋め尽くすテープ音と生のピアノの音の対峙は、緊張感で息苦しいほどだったが、ポリーニのピアノの音が光り輝き、その美しさと強靭さを実感できた。

第4夜はシューベルトの合唱曲、ポリーニのピアノ伴奏付き。耳に馴染む美しい曲に安らいだ気持で向き合える。ポリーニのピアノは伴奏以上のリード力で、合唱、独唱者達に寄り添い、その力を引き出し輝かせていく。歌手達と一つになって、演奏されることの少ない曲の魅力を明るみに出していくのだった。
後半の現代音楽には、聴くのが辛いものがあった。クセナキス「夜」には怖ろしい衝撃を受け、これが”音楽”だろうか?と思わされた、が、これが”現代という時代の音楽”の姿なのだろう。最後にシェーンベルク「地には平和を」の祈りで、少し安らぎを得られたのだった。

第5夜から会場はサントリーホールに移った。現代音楽のマンゾーニ「影の横糸」の日本初演を真中に、ブラームスとシューマンの合唱曲が前後に置かれる構成だ。ハープとホルンが彩る女声合唱曲、無伴奏の混声曲、ポリーニの伴奏による曲と、多彩な声の表現が披露される。ポリーニのピアノは、合唱に寄り添い支える控えめな伴奏だったが、要所では巧みにリードしていた。合唱に日本の若手のクノスペンコーアも加わり、最後は壮麗な声が大ホールを満たした。
終了後に、ハプニングが! アンコールにポリーニの伴奏で「流浪の民」が演奏されたのだ、生き生きと楽しそうに。今回で最後となるシェーンベルク合唱団。共に繰り広げてきた3夜の声の饗宴を、しっかりと心に留めるように。

第6夜の前半はアンサンブル・ウィーン=ベルリンの管楽器による現代曲とモーツァルトの室内楽、後半はアッカルド四重奏団の弦楽器による現代曲とモーツァルトの室内楽。ポリーニは両室内楽で共演した。
現代音楽は想像を絶する感じの奏法と音色で驚かされ、聴き通すのがちょっと辛かった。
その分(?)モーツァルトの典雅な美しさが心に染みた。ポリーニは一流の奏者たちの演奏に美しい音色で寄り添い、巧みにリードし、最上の音楽を引き出していく。真剣そのものだが、共に音楽する喜びを味わって心から楽しんでいるようだった。アンコールはともに3楽章をもう一度。至福の時だった。

1週間ほど間があり、その間にもう一回「講演会」があった。
第7夜はいよいよポリーニのリサイタル。前半はブラームス晩年の小品集にウェーベルン、シュトックハウゼンと続くプログラム。初めて聴いたシュトックハウゼン、特に9番の魅力に捉えられた。もっと聴きたい!と思わされる魔力だった。
後半はベートーヴェンのソナタ。ホッと安らかさを覚える24番「テレーゼ」。「熱情」は緊迫感に満ち、熱く激しく、優しく深く、強く心に迫る演奏だった。ベートーヴェンの音楽の深く大きな世界と、ポリーニの卓越した演奏に圧倒された。

第8夜はシャイー指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と共演の日だ。前半は武満徹、ベリオ、リゲティの現代曲。管と弦が緻密に音を織り上げていく、静かな祈りの曲、また宇宙空間のような広がりを感じさせる曲だった。オーケストラの精度の高さ、由緒あるオケの実力を感じた。
後半は全く対照的な曲、ベートーヴェン「皇帝」。力強く華麗なカデンツァから一気に惹き込まれ、身動ぎもせずに聴き入った。煌めく音で力強くオーケストラをリードするポリーニ。生き生きと躍動的で、或いは深く沈静して、音楽の大きさを感じさせる。全身全霊を打ち込んで、オーケストラと共に曲を創り上げていくポリーニの姿にも、感動させられた夜だった。

第9夜、プロジェクトのフィナーレを迎える。ドビュッシーの「前奏曲集第2巻」は近年ヨーロッパ各地で集中的に取り上げられているポリーニの新たなレパートリーだ。ショパン「前奏曲集」との組合わせに、直前にノクターン2曲も加えられ、ピアノ・ファン垂涎のプログラム、ホールは華やいだ空気と興奮に満ちていた。
まず美しい音でノクターンが奏でられ、ショパンを聴く喜びに満たされる。「24の前奏曲」は小曲がほぼ切れ目なしに奏されたが、煌めく音で、優雅に、時に激しく、また抒情性豊かに、1曲ごとの性格、特徴がクッキリと表されて、24の宝玉・貴石を連ねたようだった。
後半のドビュッシーは、全く異なる世界だった。ニュアンスある色調、微妙な陰影、異国的情緒、諧謔、優しい抒情性、静謐等々、ポリーニは鋭い感性で捉えた個性的な曲たちを、巧みな技巧で、豊かな詩情をもって描き出していく。最後の曲「花火」の圧倒的な演奏には瞬きも出来ずに見入り聴き入った。超絶的な演奏だった。ホール中の熱狂的な拍手に応えて、アンコールは「沈める寺」「西風の見たもの」。次にバラード第1番が嬉しい。十八番のノクターン第8番も。なんと、さらに「革命」も!長かったプロジェクトの成功に安堵し、満足し、聴衆ともその喜びを分ち合おうとしてくれたのかもしれない。Grazie mille, Maestro!!!


ポリーニのプロジェクト(パースペクティヴとも称す)はその後ローマ、ウィーン、ルツェルン、ミラノ、パリ、ロンドンへと続き、東京でもさらに数回新たなプログラムで行われた。プロデュースのみの日もあったが、ポリーニはそれだけ多く現代作品の演奏の機会を増やし、現実に音にさせたい、聴衆のもとに届けたいと望んでいたのだろう。それは1人のピアニストというより一音楽家として、同時代に生きる者としての使命感なのだろう。彼にとってはそれが喜びでもあるのだ。
プログラムを構成し、一流の演奏家を集め、最良の方法で演奏会を実現する力量は、ポリーニの人間としての大きさを思わせる。勿論、招聘元をはじめ多くの人の協力、尽力があってこそ実現した大イベントだ、感謝のほかはない。その多くの力を得られたのも、ポリーニの音楽への愛、音楽に向き合う誠実さ、音楽の未来への熱い思いに共感してなのだろう。ポリーニの人としての魅力、偉大さに気づかされるのだった。

2004年には横浜と東京で2つのプログラム、計4回のリサイタルが行われた。
横浜のみなとみらいホールは、前回の来日時に突如!協奏曲を演奏したホールで、その音響が気に入ったようだ。残響が少なめなのか、シェーンベルクの小曲ではクッキリと純な音が聴こえた。次にベートーヴェン初期のソナタ第7番・第8番「悲愴」。粒立ちの良い音で端正に演奏された7番に大満足だった、が、その後の迫真の「悲愴」には完全に心を奪われてしまった。美しい緩徐楽章は深々と心に染み入った。後半のシューマン「幻想曲」は煌めく音が奔流のように渦巻き、深い音色から次第に輝きを増して天翔ける、ロマン派屈指の美しい曲の名演だった。アンコールにはサプライズなシューマン「飛翔」、十八番のショパンのノクターン第8番と練習曲第4番も。
3日後のサントリーホールでの同じプログラムのリサイタルも素晴らしかった。ホールの音響のせいかピアノの音はより円やかに、豊かさと重厚感があり、一層緊張感と迫力を増した「悲愴」だった。輝かしさと深みを増した壮麗な「幻想曲」は奇跡のようだった。アンコールはノクターン第8番。熱演のあと、さすがに少し疲れが見えるポリーニだったが、満足感ある笑顔を見せてくれた。

2回のオール・ショパンの夕べ、豪華なプログラムも素晴らしかった。
幻想曲で始まり、2つのノクターンop.55、舟歌、子守歌、スケルツォ第3番と聴き応えある曲ばかり。幻想曲は少し音が響き足りない感じだったが、再登場後は切れ目なく5曲を演奏、次第に調子を上げ本領発揮となった。魅惑的なノクターン、初めて生で聴く舟歌の透明でかつ豪華な和音、大きく奥深い傑作だ。一転して子守歌の弱音の優しさ、美しさ。そしてスケルツォの怒涛のようなスケールの大きな演奏、煌めく音の粒のなんと美しかったことか。
後半はさらに絶好調なポリーニ、前奏曲op.45の精緻な音の織り成す綾、op.27のノクターンの心に染みる美しさ。再登場の後、席に着いてすぐ始まるソナタ第2番。やや速いテンポで推進力に溢れ、重厚さで大きな音楽が立ち上がってくる。葬送行進曲は深々とした息遣いで荘重に、トリオの優しさが心に染みる。謎のような風の渦巻くフィナーレまで、完璧な演奏だった。ホール中の割れる様な拍手とブラヴォーに応えて、アンコールは「雨だれ」、練習曲第4番、ますます高まる拍手にバラード第1番。完璧な技巧と豊かな表現力から生まれる名演だった。この日、何回「完璧」という言葉を思い浮かべたことか。
中1日おいてのリサイタルも素晴らしかった。幻想曲からピアノはよく鳴り、ホール中にファンタジーの波が次々と広がる幸せな開始だった。再登場後はまた一気に前半を弾ききる快調さ、舟歌の絢爛豪華な大きさ、子守歌の温もりと極上の優しさに、ショパンの多様な天才性を聴き、スケルツォの迫真の演奏にはショパンの理想の姿を見た思いがした。後半は袖に戻ることなく一気に演奏された。その集中力、緊張感の凄いこと! ソナタはやや抑えたテンポで始められたが、快演・凄演というほかなく、スケルツォ中間部の美しさ、葬送行進曲のトリオに魅せられた。ショパンを敬愛し、より親近感を得て、自由さを増したような、ポリーニの完璧な演奏だった。アンコールは4曲。「雨だれ」、バラード第1番、「エオリアンハープ」、練習曲第4番。至福のショパンの夕べだった。

2024年 7月18日 22:00

リサイタルの思い出・その2
2005年秋にも来日公演が行われた。
最初の1回は”プロジェクトU”として現代音楽のプログラムで、それに先立ってシンポジウムが行われた。前半は現代音楽の意義や曲の解説、盟友ノーノについて熱く語っていた。 後半は「Abbado - Nono - Pollini ; A Trail on the Water(海の航跡)」というフィルムの上映会で、ポリーニも後ろの席で一緒に見ていた。
演奏会は、まずブーレーズ「二重の影の対話」。テープと生のクラリネットの音から生まれる不思議な音の空間だった。
ベルク「4つの小品」はクラリネットにポリーニのピアノ、アンコールに4曲(短い)をもう一回演奏してくれるサプライズ。
シュトックハウゼンの7・9番はやはり衝撃的で、再び聴けて良かった!と思った。
ノーノ「....sofferte onde serene...」ではテープの音が創る時空を越えるような音響の中で、ポリーニの生のピアノの存在感を味わった。
「森は若々しく生命に満ちている」はスピーカーから発する音と生のソプラノ、語り手達、クラリネット、打楽器群が呼応する音楽だったが、私には聴くのがキビシイ、強烈な音楽だった。ポリーニも客席で一緒に聴いていた。


プロクラムAはオール・ベートーヴェンでソナタ第1番・第3番、後半に「ハンマークラヴィ―ア」だった。
最初期の作品op.2は作曲者の若さ、挑戦心、野心が表れ、「ベートーヴェン、参上!」と言っているようだ。ポリーニは技巧的にも内容的にもその意思をしっかり表わすような、素敵な曲の見事な演奏だった。「ハンマークラヴィ―ア」はポリーニの若い頃からのレパートリー、CDではよく聴いたし、日本でも演奏していたが、私は生演奏は初めてだった。全身全霊で大曲と取り組むポリーニ、壮麗な音、圧倒的な技巧、奥深い響き、そこから曲の真髄が現れ、ベートーヴェンの大きな姿が現れた。アンコールはバガテルop.126-3と-4。

プログラムBはオール・ショパンで、東京と大阪で開催された。
リリースされたばかりのノクターンを基にバラード、スケルツォ、ポロネーズが配されている。ポリーニはコンディションも良く、細やかな優しいタッチのノクターンは美しく、生で聴ける喜びを味わった。スケールの大きなバラード、緊張感の漲るスケルツォも素晴らしかった。晩年のノクターンはしみじみ味わい深く、十八番のポロネーズ第5番は圧倒的だった、が、「英雄ポロネーズ」は更に圧巻の名演奏だった。お疲れだろうに充実感と満足感の笑顔で、アンコールは「雨だれ」、バラード第1番、「革命」、練習曲第4番。素晴らしいショパンの夕べ。しかも、その後新譜「ショパン:ノクターン集」へのサイン会も行われた、信じられないほど嬉しい一夜だった。

大阪には10年ぶりの来演で、ホール中が熱気で溢れていた。やはり美しい、迫力ある、深みのある、集中力の高い、素晴らしい演奏ばかりだった。ポロネーズ第5番では最後の音が消えぬうちに拍手、ポリーニも立って応えたのが東京とは異なっていたが。「英雄」も圧巻の、迫真の演奏だった。熱い大喝采に応えて、アンコールは同じ4曲。バラードの熱い中にある均整と調和は素晴らしく、最後まで熱狂的な演奏会だった。

この年のプログラムは、現代音楽、ベートーヴェン、ショパンというポリーニのレパートリーの3本の柱を揃えた、”ザ・ポリーニ”とも言えるものだった(と、後で気づいたのだが)。

2006年は「ルツェルン・フェスティヴァル・イン・東京」が行われ、ポリーニはその開幕のリサイタルを行った。指揮者で盟友のアバドさんが客席で聴いている。プログラムはシェーンベルクの小曲とベートーヴェン「熱情」、後半はリストの小曲とソナタロ短調。
「熱情」は、落ち着いたテンポで始まる第1楽章は低音の響きが曲の深みを感じさせ、抒情的な第2楽章は優しく美しく、フィナーレは超絶的な技巧で、燃えるような激情が渦巻く圧巻の演奏だった。ホールが割れるような大喝采。
熱気冷めやらぬ中で始まる後半。休憩時にファブリーニ氏が調整していたピアノは、より輝かしい音色になっていた。リスト晩年の曲は悲哀を秘め、無彩色、無調へと進むようだが、ポリーニのピアノからは、新しい音楽の方向を示すように、力強く存在感のある音が響いた。「ピアノ・ソナタロ短調」は深い音色で開始され、輝かしい音で飛翔し、優しい夢と煌めく花に縁どられながら、壮大な伽藍が音により構築されていった。緻密に設計され複雑に構築された難解な曲を、ポリーニは重厚に、また華麗に、統一感を持って聴かせてくれた。素晴らしい音楽の最高の演奏に、感嘆と感謝の思いで一杯になる。
ポリーニも充実感を感じていたのだろう、アンコールは豪華な、サプライズもあるものだった。ドビュッシー「沈める寺」、リスト「超絶技巧練習曲第10番」(!)、ショパン「革命」、ノクターン第8番、さらにスケルツォ第3番も。

翌日は渋谷のタワーレコードで、トーク&サイン会が行われた。ポリーニは元気そうで機嫌良く、日本の聴衆を褒め、プログラムについて語り、新譜「モーツァルト:ピアノ協奏曲第17・21番」と今後の録音について30分程話し、その後のサイン会でも大勢のファンににこやかに応じていた。舞台上とは違う、リラックスして楽し気な姿に接することが出来て嬉しかった。


チェンバー・フェストはこのフェスティヴァルならではの楽しい催しだった。各々ソリストもつとめる管・弦楽器の名手たちが親しく集い奏でる、贅沢な室内楽の時間だった。ポリーニはブラームス「ピアノ五重奏曲」に登場。ヴァイオリンはブラッハー、バラコフスキー、ヴィオラはクリスト、チェロはブルネロという布陣。ポリーニのピアノは深い響きで曲の内奥を支えながら、弦楽器の自由な展開をリードするかのよう。曲が進むにつれ濃さを増すロマンティシズム、リズムの饗宴、精妙な音の綾が織りなす緊張感。5人の奏者が真剣勝負のように向き合い、一つになって創り上げていく音楽を聴き、至高の時間を味わった。大きな拍手に、若い奏者たちを讃える年長者ポリーニ。温かい、謙虚な人柄も目にしたのだった。

フェスティヴァルの最後は、アバド指揮のルツェルン・フェスティヴァル・オーケストラとの共演で2夜、ブラームス「ピアノ協奏曲第2番」を聴くことが出来た。アバドとポリーニの共演を生で聴くことが出来るとは!と思うだけで、涙が出てくる。ややくすんだ響きのホルンで始まった第1楽章、ピアノも少し抑え気味だったが、曲が熱を帯びるにつれ次第に輝きとパワーを増していく。オケも素晴らしい音色とアンサンブルでピアノを支え、風格ある曲を盛り上げていく。ポリーニは手が空いた時も曲に合わせて身体を揺らせ、オケと一つになって音楽を創っていた。少し間が空いて第2楽章。激しい音楽が、輝く高音、地鳴りのような低音で奏され、圧倒的だった。第3楽章はブルネロのチェロの豊潤な響き、木管の優しい音色、ピアノとの美しい対話が生み出す、豊かな歌に満ちた音楽だった。ピアノのトリルの美しさはたとえ様がない。第4楽章の軽快な明るさはイタリアの空のよう。軽やかなピアノ、多彩な音色のオケが大きく曲を盛り上げ、壮麗な伽藍を仰ぐように終わる。大拍手と大喝采。ポリーニとアバドが並んで称賛を受け、互いに称賛している姿は目に焼き付いている。勿論、オーケストラへの称賛も忘れないマエストロ達だった。
休憩後のブルックナー「交響曲第4番」はポリーニも夫人とともに客席で鑑賞していた。

最終日は初めから緊張感が漲っていた。ピアノの音は輝きを増し、ポリーニの意気込みが感じられる。いくつかミスやズレもあったが、アバドのカバーは絶妙、オケの迫力、熱量も増していたと思う。後半のブルックナーもパワーアップし、集中力に富んだ演奏だった。最後の演奏会への出演者たち皆の大きな思いが込められていたのだろう。実力者揃いのメンバーがアバドの下に集い、互いの音を聴き合いながら、自由に、心を通わせて、一つの音楽を生み出す、アバドの理想とする音楽のあり方を具現したオーケストラ。その実力、豊かさを堪能できた、奇跡のような演奏会だった。

終演後、楽屋にお邪魔して、ポリーニに手紙と小さな花束を渡し、サインして頂いた。 気さくな、優しい笑顔のマエストロだった。

3年連続で来日したポリーニ。どの年も素晴らしい演奏を披露して深い印象を残してくれたが、次の来日は3年後の2009年まで待つことになる。

だが2007年には、私にとって宝物のような思い出がある。6月、ウィーンにポリーニの演奏会を聴きに行ったこと。憧れの音楽の都ウィーン。ムジークフェラインで音楽を聴く、ウィーンフィルの演奏を聴く、ヨーロッパでポリーニのピアノを聴く、という3つの夢を一挙に叶えられる絶好の機会、モーツァルトのピアノ協奏曲の弾き振りも魅力的だった。

2006年はモーツァルト生誕250年、ウィーンでも”モーツァルト・イヤー”が祝われていた。ポリーニは”Pollini Perspektiven”を”Mozart Perspektiven”として、ベートーヴェン、ロマン派の曲、現代音楽に加え、全ての演奏会にモーツァルトの作品を入れたプログラムを組んでいた。翌2007年の6月は”Pollini Perspektiven”のエピローグとして行われたのだった。


6月2日土曜日の夜と3日日曜日の午前の2回の演奏会を聴いた。ムジークフェラインは以前にツアーで来たことがあり(モーツァルト・オーケストラを聴いた)、またビデオやTVでも見て、黄金のホールの煌めく壁・柱の装飾は見知っていたが、この夜はその輝きが一段と増していたように見えたのは、聴衆の熱気と期待感のためだろうか。私の席はオーケストラの斜め後ろ、ポリーニの指揮姿が良く見える席だった。マイクが幾つも設置されている。録音されるのだろうか。
まず協奏曲第12番イ長調、穏やかな笑顔で登場したポリーニの指揮は、繊細・緻密で、しなやかな手・腕の動き、またピアノを弾きながら目と表情によって、ニュアンス豊かにオケをリードしていく。ピアノの音は真珠のように円やかで気品があり、柔らかく温かみあるオーケストラの音と相俟って天上の音楽を聴くようだった。弾き終えて喝采に応えるポリーニも幸せそうな表情だった。
ストラヴィンスキーとヴォルフの現代曲を挟んで、最後に第24番ハ短調。真剣な表情で登場のポリーニに、会場にも緊張感が満ちてくる。不安と暗い情熱が胸に響く第1楽章、ポリーニの指揮も両手を握りしめ、拳を振り下ろす激しい動き。ピアノからは美しい深い音色の歌が流れ出す。第2楽章、透明感あるピアノの歌をオケが優しく包み込む美しさは喩えようがない。第3楽章の哀しみが疾走する激しさには胸が抉られるようだった。
コンサートマスターと固い握手を交わし、オーケストラを称えるポリーニ。丁寧にリハーサルを重ねたのだろう、ポリーニの手、身体の動き、目や表情に、オーケストラは敏感に応え、ニュアンス豊かに、そのフレーズ、ダイナミクスに表していった。両者の信頼関係、親密さが演奏にも反映されて、温かさが生まれ、ともに音楽する喜びが愉悦感を醸し出す。ポリーニの弾き振りを見られて、聴けて、良かったと、つくづく思う。鳴りやまぬ拍手に応えて、アンコールには第2楽章をもう一度。本当に美しい音楽だった。

楽屋口には大勢のファンが並び、サインを貰っていた。「時間切れ」で打ち切られたが、ポリーニ夫妻は隣室に移動し、スタッフと録音の結果を確認しているようだった。

翌日はマチネ。席は左側後方で正面のパイプオルガンから周囲の壁や柱、天井画まで、美しいホールが良く見渡せる。前半は友人の厚意でホール中央部の席で聴くことが出来て、円やかで温かみのある素晴らしい音響を味わえた。第24番は前日よりさらに熱の入った演奏で、美しさは胸を打ち、激しさは深い音響で身体に迫るようだった。鳴り止まぬどころかさらに高まる拍手・喝采に応え、アンコールには第3楽章を演奏してくれた。

楽屋で、元気で満足そうなポリーニに会い、サインを頂いた。Grazie mille!! くらいしか言えない自分が悲しかった・・・。

ウィーンの旅では、HPを通じて知り合った友人でアメリカから訪れたぺピさん、ドイツからのマルタさんとお会いし、一緒に食事して話しをしたり、楽しい出会いがあった。初対面なのに親しく感じられるのは、”ポリーニ”が中心にいるから。”ポリーニの引力”、”ポリーニの輪”とも言いたい。いろいろとお世話になったことに、いくら感謝してもしきれないほどだ。

2009年、ポリーニは中国公演を行い、北京から関空へ飛び、日本公演は大阪から始まった。
オール・ショパン12曲もの豪華で華麗なプログラムだ。私の席はシンフォニー・ホール2階の中央部後方、遠いけれどポリーニの演奏姿がよく見える。前奏曲は繊細に音の綾を織るように、バラードは詩情と激情の対比が曲の奥深さを思わせた。2曲のノクターンでショパン音楽の魅惑を味わい、ソナタは今まさに生まれ出たように生き生きとし、初めて聴くような感じさえしたのだった。前半だけでも聴き応え十分、が、後半はさらに素晴らしかった。スケルツォの迫力、初めて聴くマズルカの詩情、子守唄の優しさ美しさ。英雄ポロネーズは雄渾な輝かしい演奏で、圧巻だった。アンコールは4曲、「革命」、バラード第1番、練習曲第4番に「雨だれ」。ポリーニの好調さ、充実感が窺われたリサイタルだった。ちなみに、ノクターン2曲は中国公演の成功の後に追加されたのだった。

東京のショパン・リサイタルは、Fabbriniの金文字が光るピアノで。1階前方右寄りでポリーニの表情がうかがえる席だった。大阪と同じ様な好演を期待したが、遥かその上を行く素晴らしさだった。輝かしいピアノの音がホールに満ち、繊細な音はより細やかに、詩情はより豊かに、迫力はさらに増して、深々とした音が心に響く。どの曲も一回り大きな曲に聞こえてくる。演奏を通じてポリーニ自身がインスパイアされたかのように、最後の英雄ポロネーズは気迫に満ちた渾身の演奏で、勇壮で雄大な曲となった。アンコールは大阪と同じ4曲に、なお称賛を抑えられない聴衆に応えて、スケルツォ第3番が奏された。絶好調のポリーニの、奇跡のようなリサイタルだった。
この日も新譜「ショパン・リサイタル」のサイン会が催されたが、蜿蜒長蛇の列を見て、今回は遠慮して帰路に就いたのだった。


中3日置いてのBプロは、前半にシューマンの大曲を2つ。ソナタ第3番はピアノの前に座るなり弾き出す集中力で、奔流のような曲を激しく弾き進めていく。2列目中央で聴いていた私は、ポリーニの凄まじいテクニックを目にし、激しい動き、息遣い、唸り、飛び散る汗をも目の当たりにし、まさに”生ポリーニ”を体験したのだった。クララのテーマは美しく優しく愛情込めて奏され、終楽章はこれ以上ないほどの速さで、情熱が迸る演奏だった。圧倒的な演奏に、半ば放心したようなポリーニ、呆然としていた聴衆、一瞬置いての割れるような拍手。
幻想曲は、集中力は高いのに、むしろリラックスしたように、曲が自由に飛翔するかのように奏された。第2楽章は躍動するリズムに乗って力強く高揚し、フィナーレは静かに祈りのように立ち上り、天から舞い降りるように静かに曲を閉じる、心に深く響く音楽だった。真のファンタジーを聴いた!と思うほど心を捉えられた、巨匠ポリーニの演奏だった。
後半はシェーンベルク、ウェーベルン、ドビュッシーという凝った(?)プログラム。 透明感ある音、研ぎ澄まされたタッチで、精妙な音楽が奏でられていく。ウェーベルンの表現性の豊かさに驚かされる。ドビュッシーの「練習曲」はピアニズムの”粋”を鮮やかな技巧で表しながら、詩情を秘めた洒落た曲として聴かせ、その魅力を露わにするポリーニならではの”技”だった。
割れるような拍手に、充実感溢れる笑顔で応え、アンコールは3曲。「沈める寺」の荘厳、「西風の見たもの」の激しさ。さらにリスト「超絶技巧練習曲第10番」には驚嘆した。最高のヴィルトゥオーゾ・ポリーニだった。

2010年に、ポリーニは第22回高松宮殿下記念世界文化賞 ”Praemium Imperiale”「音楽部門」を受賞した。北京でのリサイタルを終えて来日、授賞式に臨み、現代音楽についての講演会を行い、東京と京都で4回のリサイタルが開催された。

Aプロはショパン「24の前奏曲」、ドビュッシー「練習曲集第2集」、ブーレーズ「ソナタ」。
この年はショパン生誕200年であり多くの演奏会が開かれたが、ポリーニの「前奏曲集」の演奏は、透徹した美しさ、内容の豊かさで特筆すべきものだったろう。ショパンの、そしてポリーニの深い思索から命を得たように、小さな曲のどれもが個性的で輝き、生き生きと舞っているよう、ショパンの詩情あふれる世界が自由に広がっていった。
後半は趣を異にするものだった。ドビュッシーの「練習曲集」は、絶対音楽の音の動きや構成を楽しむように、怜悧な眼差しで捉えられ、澄明な音で、繊細な技巧の粋を尽くして奏でられたが、そこにほのかに立ち昇る詩情は美しく、エスプリが味わい深い。
ブーレーズのソナタは、ポリーニ自身の斬新な曲を演奏する喜び、聴衆に届ける使命に全てを賭けたような、気迫溢れる演奏だった。最前列の席で、音の粒を浴びながら、金縛りにあったみたいに聴いた。
大喝采を浴びてアンコールは4曲。「沈める寺」「西風の見たもの」でドビュッシーの魅力を、「革命」、バラード第1番でショパンの完璧な美しさを、改めて想わされた。

翌日は講演会があった。会場からの質問に答えながら、プログラムの組み方、アンコールの選び方、現代音楽、作曲者との関わりなど話し、"Perspective Pollini 2012〜2013"について説明があった。創意と実行力があり、聴衆に伝えたい熱意がいっぱいなポリーニだった。


Bプロはオール・ベートーヴェン。後期ソナタの第30・31・32番を、休憩なしで演奏するというものだった。
ピアノの前に座るなり軽やかに始まる30番、少し弾き急ぎ?とも感じられたが、次第に調子を上げて、第3楽章は壮麗な伽藍のよう、天上から降る光のような音が美しかった。私の席は中央部前方で、横顔と指も見える席だった。時々天を仰ぐ横顔は、気品に満ち、感動に溢れている。
31番は穏やかな主題が丁寧に奏され、音の響きに温かさが、演奏にはしなやかさが増したようだった。躍動的なスケルツォを経て、深沈とした「嘆きの歌」は胸を打ち、フーガは決然と力強く頂点へと至る、素晴らしい演奏だった。
32番ではさらに好調さが窺がえた。ピアノの音は輝きを増し、深淵から強靭に立ち上がる第1楽章は、重厚にダイナミックに壮大な世界を描き出す圧倒的な演奏だった。が、第2楽章はさらに感動を深くした名演だった。優しく心を慰撫する主題、素朴な変奏、洒落た変奏、諧謔的な変奏、繊細に音を紡ぐ変奏を経て、最終変奏は天へ昇るように光輝き、自由に戯れ、そっと地上に降り立つような壮麗なもの、最後の音とともにポリーニが異次元から帰還したように感じられた。ポリーニのトリルは美の極致だった。その手によって、その導きで、ベートーヴェンの音楽の神髄を聴いたように感じられ、感謝の思いが湧いてくるのだった。
3つの大曲の後はアンコールは無しと思ったが、大拍手・大喝采はいつまでもやまず、ふっとピアノに付き弾き始めるポリーニ。バガテルop.126-3と4を弾いてくれた。感謝。

京都公演は残念ながらパスして、東京の最終日のバッハ「平均律クラヴィーア曲集第1巻」を聴く。24の調性にそれぞれのプレリュードとフーガ、前半と後半それぞれが1時間近くかかるハードなリサイタルだ。聴きなれたハ長調のプレリュードは平静に淡々と奏され、流れる様な旋律が美しい、が、少し平板な感もあった。プレリュードの美しい旋律、フーガの壮大さはポリーニならではだが、テンポは総じて早め、前のめり気味?とも思われる。緊張感一杯の演奏で、ポリーニも時折ハンカチで汗を拭っていた。 客席で少々ハプニングもあり、前半が終わると、感動の中にもホッとした空気が流れた。
休憩中に舞台には譜面台と椅子が設えられた。後半、楽譜を抱え晴れやかな笑顔で登場したポリーニ。楽器が替わったかのようにピアノの音は輝きを増し、自由にしなやかに、詩情も情緒もより豊かに、伸びやかに躍動感ある演奏を聴かせてくれた。ポリーニの本領発揮! どの曲もその個性を鮮やかに、バッハの創意の大きさを示す見事な演奏で、進むにつれ集中度も増して、曲の深奥に迫っていくポリーニ。ロ短調では奥深い森に分け入り、神聖な場所に至ったように、崇高なフーガを聴かせてくれた。その場に居たこと、聴けたことに、感謝せずにはいられない。
アンコールは無し。だが客席に明かりがついても拍手は止まず、立ち去り難い聴衆に笑顔で応えてくれるポリーニに、最後はホール中のスタンディング・オヴェーションだった。

2024年 7月19日 20:00

リサイタルの思い出・その3
2012年秋には4夜にわたって" Pollini Perspectives”が行われた。前半に現代音楽、後半にベートーヴェンの中〜後期のソナタを作品番号順に配したものだ。
第1夜”B-M”は、マンゾーニ作品(ルツェルン音楽祭で初演)の日本初演(難しかった・・・)とソナタ第21番「ワルトシュタイン」、第22番、第23番「熱情」。3曲のソナタはどれも素晴らしい演奏で、次第に好調さを増し、作品の大きさを感じさせ、新たな魅力を見出し、絶好調となった「熱情」では、全身全霊で曲の真実に迫る気迫に満ち、真情のこもった、共感に溢れた演奏だった。熱狂的な大喝采で讃えた聴衆。アンコールはなかったが、大満足だった。

第2夜は”B-S”の日。前半はシュトックハウゼンのピアノ曲とソナタ第24、25番、後半にソナタ26、27番という”オール・ポリーニ”の日だった。
シュトックハウゼンのピアノ曲では、ポリーニの集中力は凄まじく、特に9番は衝撃的で蠱惑的、緊張して聴きながら陶酔している感じだった。隣席の人が「ポリーニは現代音楽の伝道師だ!」と呟くのに深く頷いたのだった。
一旦舞台を降り、すぐに再開し、第24番「テレーゼ」が静かに流れ出すと、美しい音、優しい調べに緊張がほぐれて、癒されていく。ベートーヴェンの温かさに救われるような気がした。
第25番はソナチネともいわれる小曲だが、ポリーニの手から聴くとベートーヴェンの茶目っ気が表れたような、素敵な曲になった。
後半はさらに調子が上がり、煌めきある音、安定した技巧で「告別」が奏された。ベートーヴェンの心情がこもる第2楽章は味わい深く、フィナーレの再会の喜びは安堵感と幸福感をもたらした。
最後の第27番は後期ソナタの入口に佇む曲。暗く重い色調から次第にほの明るさを増す寂寥、慰めと懐かしさを感じるカンタービレ。美しい音で静かに曲を終えるポリーニに、感動の拍手を送る聴衆。アンコールは今日も無し、と思っていたが、にこやかにピアノに着き、バガテルop.126-3と4を弾いてくれた。絶妙なアンコールだったと思う。

第3夜は”B-L”。前半にラッヘンマンの弦楽四重奏「Grido(叫び)」と」ソナタ第28番。
「Grido」は、怖ろしい音楽だった。ムンクの絵の中の人はこの曲を聞いたのかもしれない・・・やはり私には現代音楽はムリだ・・・。
ポリーニは元気そうに登場、すぐにソナタ第28番を弾き始める。美しい音、優しい旋律にホッとする。やや低音が勝った感じだが、力強く、また深い情緒が感じられ、宇宙の星々の巡りを思わせるフーガは輝かしく終わりを迎えた。大好きな曲をポリーニの手から聴く幸せを思った。
が、休憩後は驚愕だった。「ハンマークラヴィ―ア」という難曲を熟知し、掌中の玉のように愛情をこめ、喜びをもって演奏するポリーニ。輝かしい音はさらに煌めき、重厚な音はさらに深みと力強さを増して、壮大な伽藍が立ち現れるようだった。共感の込められた演奏は、まるでベートーヴェンの精神がポリーニに降臨したかのよう、まさに圧巻だった、そして曲の偉大さを如実に示す演奏だったのだ。割れるような拍手喝采を送りつづけた聴衆だった。

第4夜”B-S”。シャリーノ「謝肉祭」は”楽器として”の人の声を器楽と共に味わうという趣の曲。声の持つ力と美しさを味わえるものだった。子息のダニエーレさんがピアノを担当していた。
後半に3曲のソナタが、今回は1曲ごとに舞台袖に戻って演奏された。第30番はごく自然に流れ出し、粒立ちの良い明晰な音でポリーニの好調さが窺われた。フィナーレの旋律はよく歌われて安らぎを齎し、ポリーニもグッと調子が上がったように力強く鮮やかに頂点へと昇り詰め、光の粒のような音を降らせる、その美しさに恍惚となった。
その好調さのままにポリーニの本領が発揮される第31番。静かに澄んだ水が流れ来るようなテーマの味わい深さ、高まる喜び。リズム感よくサッと過ぎ去る第2楽章を経て、フィナーレの「嘆きの歌」の深い悲しみ。フーガの力強さと確かな構築性を経て、より深い悲哀の再現。より大きく強く高みを目指して進む輝かしいフーガ。展開していく曲の大きさと美しさに、目が眩むようだった。
ソナタ第32番。緊張感と集中力の高まりをそのままに、運命と格闘するような激しさ、孤独の深さを思わせる重厚さ、天を求める光の輝き、ポリーニの精魂込めた演奏を身じろぎも出来ずに聴いた。凄い音楽をベートーヴェンは創ったと感嘆しながら。が、さらなる感動は第2楽章アリエッタにあった。温もりある優しいテーマは聴き手の心を潤しながら、変奏の粋を尽くして深められ、高められていき、最終変奏では異次元に飛翔するかのようだった。暗いホールの中、一人光を浴びて宇宙の中心のようなポリーニ。その手に導かれ、私も、いえホール中が、共に天の高みへ昇り、ベートーヴェンの音楽の核心へと誘われたような気がした。まるで”奇跡”のように。「この音楽を聴くために、生まれて来たのだ」という想いがフッと浮かんでくる。至高・至純な音楽を聴いた大きな満足感に包まれて、深い感謝の思いを、熱い拍手に乗せて送った。


2016年春には4年ぶりの来日。3回のリサイタルに加えて〈東京・春・音楽祭〉に「ポリーニ・プロジェクト2016 in 東京」として参加、上野で2回のポリーニ・プロデュースの室内楽演奏会も開いた。
第1夜は川崎のミューザ川崎での初リサイタル、私も初めてのホールだった。不思議な構造のホールで、舞台と1階客席を2階席が取り巻き、3、4階へと重なっていく。 場所によって音の響きが大分異なるようだ。私は2階席中央部だったが、舞台がすぐ近くに見えた。ピアノにFabbriniの金文字が見えるのが、なんだか嬉しい。
Aプロの前半はショパンの6曲で、前奏曲op.45は少しぎこちなさが見えたものの、「舟歌」からスイッチが入った!ようで、美しい旋律を歌わせ、輝く音が散りばめられた豪華な曲となった。ノクターンは詩情豊かに内省的な演奏、子守歌は精妙で高音が美しい。英雄ポロネーズはやや早めのテンポで、力強く雄大に弾き進められ、重厚な低音、煌めく高音が描き出す壮大な姿の”英雄”的な演奏だった。ホール中が気温上昇したような熱気だった。
休憩後は軽い足取りで登場。慈しみを込めて、丁寧に演奏されたドビュッシー「前奏曲集第2巻」だった。知的に、明晰に、精妙に、精緻な響きで描かれるそれぞれに個性的な小曲たち。気合を入れるように一呼吸おいて、終曲「花火」が奏される。完璧な技巧による、絢爛豪華、ダイナミックな演奏は、まさに圧巻だった。熱い拍手喝采に応えてアンコールは「沈める寺」とバラード第1番。本当に美しい演奏だった。

次のリサイタルまで1週間、その間には上野の東京文化会館小ホールでポリーニ・プロジェクト「ベリオ・ブーレーズ・ベートーヴェンの室内楽」があった。1月に逝去したブーレーズに捧げる演奏会でもあった。ポリーニは客席で熱心に聴いていた。

16日はサントリーホールでBプロのリサイタル。冒頭にシェーンベルク「6つのピアノ小品」が付け加えられ、ブーレーズに捧げられた。
シューマン「アレグロ」「幻想曲」はともに、ポリーニ若い頃から愛奏の自家薬籠中の曲。愛情のこもった演奏は、より自由に、自在に広がりを見せ、美しい夢を描いて飛翔し、内面の深い苦悩をも表す、充実したものだった。Fabbriniのピアノの輝かしい高音、重厚感ある低音、確固とした中間部も、透明感のある音でポリーニの演奏の素晴らしさを伝えていた。
後半を迎え、それはより魅力的に響くのだった。弾き慣れたホールということもあるだろうか、ポリーニの演奏は水を得た魚のよう(?)に伸びやかに、確信に満ちて、力強さも、繊細さも、激しさも、優しさも、熱さも、美しさも、すべてが統合され倍加されたような威力、いや魅力を放っていた。ショパン後期の作品は傑作ばかりだが、全身全霊を込めて奏された英雄ポロネーズは、その頂点に立つ圧倒的な演奏だった。
弾き終えて自身も満足そうな表情のポリーニ。熱烈な拍手・喝采に応えて、アンコールは「革命」、スケルツォ第3番、ノクターン第8番。ポリーニと同時代に生き、その演奏を聴けることに、心から感謝した一夕だった。

中4日でのCプロは前半にショパン8曲、後半ドビュッシー「前奏曲集第2巻」。Aプロに似ているが、ショパンの曲は前奏曲の他は別の後期作品が選ばれている。本当に傑作揃いのショパン後期(晩年)の作品たちに、ため息が出るほどだ。
前奏曲の繊細で精緻な音の織りを聴くうちに、ポリーニの好調さが窺われた。すぐに幻想ポロネーズが続く。ファンタジーが次々と変容していく中に晩年のショパンの言い尽くせぬ思いが込められた曲を、深い理解と共感を持って表す気宇壮大なポリーニの演奏だった。最晩年のノクターンはしみじみと美しく心に染み入り、初めて聴くマズルカは舞曲に潜む郷愁の思いが胸を熱くする、どれもショパンへの敬愛に満ちた演奏だった。締めくくりはポリーニの十八番スケルツォ第3番、激情と夢想の行き交う曲を、熱情を込めて美しい音の花びらを降らせて、壮大に弾ききった。ホールの温度が数度上がったようだったのは、ポリーニの熱演と、聴衆の熱狂のためだったろう。さすがに少し疲れが見えるポリーニ。25分と、長めの休憩となった。
後半は、やや軽い足取りで登場、ほぼノンストップで「前奏曲集第2巻」が披露された。粒立ちの良い透明感ある音色で、繊細で精緻なタッチで描かれる多様な音の絵。どれも異なる個性を持ち魅力的で、詩情溢れ、情緒豊かで、斬新な曲たち。最後の「花火」はその集大成のように、難技巧を駆使し、タッチを研ぎ澄ませ、音色の多彩さを操り、細心の注意で表現しつつ、ダイナミックに、力強く大きな世界を表す、ポリーニ渾身の演奏だった。熱狂的な拍手に応えてアンコールは「沈める寺」と「バラード第1番」。ポリーニ愛奏の曲たちはいつ聴いても、何度聴いても、その度に魅了されるのだった。

この年の冬〜春は体調が不安定で各地でキャンセルもあり、来日直前の北京公演も中止された。日本では「東京・春・音楽祭」への参加(プロジェクト・ポリーニ)や、日伊国交150周年記念のイベントの一つ、サントリー・ホール30周年記念の公演でもあることから、万難を排して来日したのだろう。歩く姿などからは老いが窺われたが、ピアノに向かえば”ポリーニならでは”の演奏を聴かせてくれた。感謝するばかりだ。


2018年秋、第20回目の来日公演が行われた。76歳という高齢での来日に心配もある中、無事演奏会の運びとなり、聴衆は安堵し、期待は高まっていた。
Aプロはシューマンとショパン。照明が落ち客席がシーーンと静まる中、10分ほどしてポリーニがゆっくりした足取りで登場。少し痩せたように見える。シューマン「アラベスク」は、CDでは以前から聴いていたが、日本では初の演奏だ。少しくすんだ音や「おや?」と思う箇所もあったが、次第に調子が上がっていくのが判った。「アレグロ」は初めから輝かしい音で、華やかに情熱の迸る曲となった。「ソナタ第3番」は力強く始まり、華麗にダイナミックに進む第1楽章、クララのテーマは愛情込めて奏され、変奏ごとに魅力を見せ、フィナーレは一転して情熱的で、パワフルな演奏となった。聴衆の拍手には称賛と、安堵と感謝の思いも込められていたと思う。
後半はショパンの3曲。しっかりした足取りで登場し、すぐにノクターンが始まる。 ピアノの音の純度が上がり、響きが豊かになったように感じられ、美しい曲をしみじみと聞いた。ソナタ第3番はなんと日本で初登場、ライブで聴ける幸せを思う。私にはショパンの最高傑作で、今のポリーニに最も相応しい曲と思えるのだ。詩情豊かに、憧れに満ちて、深みから高みへとダイナミックに巡る大きな曲を、愛情深く、精魂込めて演奏する。本当に素晴らしい曲の稀有の名演だった。大喝采大拍手に応えてアンコールは「スケルツォ第3番」。ホールの明かりが灯っても立ち去り難い聴衆の拍手に、ふと応えるようにピアノに着くポリーニ、「子守歌」を優しく奏でてくれた。感謝、感謝、感謝・・・。
しかし、その熱演のお疲れのせいか、腕の痛みが生じて、次のリサイタルは10日先に延期となってしまった。プログラムの変更もあり、後の2回は同じ内容(一部演奏順の変更があった)となった。
Bプロは、まずショパンの美しい曲たちから。op.27のノクターンは少し緊張感を伴って弾き始められたが、2曲目はアンコールにもよく奏される愛奏の曲、しみじみと美しく、懐かしさを覚えた。3つのマズルカは晩年のショパンの郷愁が込められた曲、ポリーニは愛情深く奏でた。op.55のノクターンも同じ頃に作曲された曲、詩情豊かな曲が共感を込めて奏された(2回目はノクターンは4曲続けて演奏された)。子守歌は前回アンコールでふいに聴かせて貰ったが、またしみじみと聴いて癒されたのだった。ショパンの曲をポリーニの手から聴くのは、何度聴いても飽きることなく、感動を呼び起こすばかりだ。美しい小曲を堪能した前半だった。
休憩後のドビュッシー「前奏曲集第1巻」は、日本で全曲を演奏するのは初めてと知って驚いた。CDで以前から聴いていたし、アンコールで「沈める寺」「西風の見たもの」もよく聴いていたけれど。初のライブに期待が高まる。
そして、期待をはるかに越えた演奏だった。透明感ある硬質な音、怜悧で緻密で精妙な演奏。その奥から伝わる温もりある響き、柔らかな心情と細やかな動き。自由に多彩に、1曲ごとに独自の世界が立ち現れる、その描き方の絶妙なこと。特に「沈める寺」は、ホールがその”寺”であると幻惑するほどの、圧倒的な響きだった。”これがドビュッシー!?”と驚嘆し、”これぞドビュッシー!”と頷き、感嘆させられる”ポリーニのドビュッシー!”だった。
アンコールは「花火」。前奏曲集第2巻の最後を飾る大曲を、瀟洒に、緻密に、華麗に、ダイナミックに、聴かせてくれた。ラストを飾る、心憎いほどの選曲。

今回の来日公演では、なんと3つの「日本では初演奏」の曲があった。ポリーニの豊富なレパートリーを再確認するとともに、初披露してくれた気概、気前の良さ(?)に、感謝したい。

なお、”ポリーニ・プロジェクト2018 in 東京”の2回の公演もあった。ポリーニ夫妻のプロデュースで、トッパンホールで現代音楽とベートーヴェンの室内楽が演奏された。客席で聴くポリーニにはやや疲労感が窺われたが、終演後は演奏者たちと語り合い、労っていた。

これがポリーニの最後の来日公演となった。体調の不安がありながらも、遠路はるばる来日し、聴衆との約束を果たそうと努め、最良の道を探って実現してくれたポリーニに、いくら感謝してもし足りない。

同時代に生き、ライブで演奏を聴けたことは、僥倖とも言えるだろう。奇蹟のような幸せは、天に感謝すべきことかもしれない。でも、やはり、ポリーニにこそ。

Grazie infinite, Maestro Pollini !!

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ポリーニのリサイタルについて、いろいろ思い出しながら書いてきて、感謝の言葉を伝えたい方々がいる。
1974年初来日以来44年、遠い日本にまで演奏旅行に同行し、マエストロに寄り添い、愛情深く見守り、常に支えてこられた奥様 Marilisaさん。Grazie mille !

ご夫妻とともに来日し、大切なピアノの調律・調整をして、マエストロの素晴らしい音楽活動を支えてくださった Fabbriniさん。Grazie mille!

マエストロ・ポリーニの招聘と、演奏会、プロジェクトの成功のために尽力してくださったカジモトのスタッフの皆さま。ありがとうございました。

2024年 7月20日 18:00

貴重な録音は音楽の宝物
リサイタルに行くまでは、レコード、CDでポリーニの演奏に接するのが唯一の楽しみだった。解説や音楽誌の批評なども読みながら、食い入るようにして聴いた。立派なオーディオ機器などは持っていなくて、ごく普通のプレーヤーで聴くだけだったから、音響の良さはあまり判らなかったが、演奏の素晴しさだけははっきりと判った。
勿論、リサイタルに行くようになってからも、新譜のリリースはいつも楽しみで、発売の日にCD店に駆け付けることもあった。いくつかのレコード・CDについて、当時のメモなども見ながら、感想を書いてみたい。


ショパン「エチュード」。磨き抜かれた音、完璧な技巧。華麗に流麗に、詩情豊かに、また激しく、24曲それぞれの趣が鮮やかに弾かれている演奏に圧倒された。「この上に何をお望みですか」というキャッチコピーに深く頷いた。だが、これは吉田秀和氏の名コピーであり、ポリーニの言葉ではない。謙虚な彼には相応しくない表現だ。渾身の名演ではあるけれど、技巧をひけらかす感じは全く無く、完璧でありつつとても自然なのだ。数年の沈黙を破って、満を持して発表したのだろうと思った。

シューベルト「さすらい人幻想曲」。シューベルトといえば「歌曲王」で「未完成」の作曲家との認識で、ピアノでは「即興曲」や「楽興の時」しか知らなかった。歌心溢れるロマン性豊かなこの大曲を聴き、”こんなに素晴らしい曲を書いていたのか!”と驚き、瑞々しい輝く音、若々しく力強い、彼方へと飛翔するような音楽を夢中で聴いた。

シューマン「幻想曲」。ファンタジーが天翔ける美しい演奏で、花のような香しさとともに深い内省があり、ロマン派の真骨頂と思わされた。少し後になるが「交響的練習曲」では、ドイツの深い森を歩むような、その深々とした響きに、初めの一音から心を奪われ、聴き入っていた。

ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」。心をわしづかみにされた感覚だった。”こんなスゴイ曲があったなんて!” ”こんな鮮やかな技巧が人の手で為し得るなんて!”。
この曲はストラヴィンスキーがルービンシュタインの求めに応じて編曲、献呈したという。もしかしたら老巨匠がポリーニに「弾いてごらん」と勧めたのかも、或いはポリーニから巨匠へのオマージュかもしれない。ドイツ・グラモフォンと契約して初録音にこの曲を選んだことに、若きポリーニの心意気を見る思いがする。

それからバルトーク「ピアノ協奏曲」にも、衝撃と感嘆と、そして感動があった。”異形の音楽”という感じで、幾度も聞かずにいられない心を打つ響き、なぜか郷愁を覚える不思議な感覚。アバド指揮のシカゴ交響楽団の実力と相俟って、奇跡のような演奏であり、聴くことが出来て、この曲と出会えて、本当に良かった!と思った。

ベートーヴェン「ピアノ協奏曲」。ベーム、ウィーンフィルとの共演は続けられ、第3番、4番、そして5番「皇帝」の華麗にして雄大な演奏を生んだ。古き佳き伝統あるウィーンフィルにフレッシュな風が吹き込み、予期せぬ(=奇跡的な)反応が起きたような輝かしい演奏だった。ベーム亡き後にヨッフムと共演した第1番・2番の演奏も素敵だった。特に第1番を聴いた時の驚きと喜びは忘れられない。若きベートーヴェンの野心、未来への希望を音に聞いたようだった。同時にポリーニの若々しい精神、進取の気概も感じさせるものだった。

ブラームス「ピアノ協奏曲第2番」も盟友アバドとピッタリ息の合った、ウィーンフィルともがっぷり四つに組んだ、美しくも雄渾な演奏だった。深い森を行くような凛とした風情と奥深さに心を捉えられた。

そしてベートーヴェン「後期ピアノ・ソナタ集」。ベートーヴェンの後期作品には弦楽四重奏で少し触れていたが、”奥が深く近づきがたい” 感じを抱いていた。その感じのままに、しかし輝かしい音色で、深みへ、また天空へ誘う、大きな宇宙を思わせる演奏だった。大伽藍のステンドグラスから光がこぼれるような美しい透明な音。硬質なタッチでメリハリのあるリズム。”ここまでやって良いのか、ベートーヴェンを!”と驚嘆しながら、”深い奥へ、近づきたい”と思わされる演奏だった。この曲の偉大さに畏怖をも感じさせられる演奏は、初めて聴いたように思う。
それまではピアノ・ソナタでは「悲愴」「月光」「熱情」などしか聞いていなかった。当時は録音でも、まずこれらの曲を取り上げるのが常道だったと思う。ポリーニは、まず最初に「後期ソナタ」5曲を録音したのだ。”これらの曲は大家が経験を重ねてから録音するもの、若いポリーニには早過ぎる”etc. 賛嘆とともに批判や非難もあったようだ。ポリーニはそれに対して「素晴らしい曲だからこそ、若い頃から親しんでいれば、年齢を重ねればさらに良い演奏が出来ようになると思う」と答えている。そしてその言葉通りに、長い演奏活動を通じて常にベートーヴェンはレパートリーの中心にあり「演奏する度に新たな魅力が見つかる」と言っていた。最後に録音したのが「後期ソナタ」だったのは、ポリーニの言行一致、筋の通った演奏活動だったということだろう。

イタリア四重奏団と共演のブラームス「ピアノ五重奏曲」。とても魅力的な演奏で、室内楽でのポリーニの優れた技量に魅了された。絶妙なバランス感覚で、力強くリードし、丁々発止と掛け合い、優しく融和し、美しく調和していく。生き生きとして抒情性豊かなブラームスだった。

他にもショパン「前奏曲」「ポロネーズ」の美しい演奏もポリーニならではのもの。ベームと共演したブラームス「ピアノ協奏曲第1番」の重厚かつ華麗な演奏も素晴らしかった。
生誕100年(1974年)を記念してのシェーンベルク「全ピアノ独奏曲集」も、ポリーニだからこそ為し得た録音だったろう。

さらに明記すべきなのは、この時期に集中して行われた現代音楽の録音だ。
ノーノ「力と光の波のように」「…苦悩に満ちながらも晴朗な波」ブーレーズ「第2ソナタ」ウェーベルン「変奏曲」マンツォーニ「質量−エドガー・ヴァレーズ讃」。ポリーニの音楽観、社会観が窺われる作品だが、彼の実力と名声があってこそ実現させ得た録音だろう。

ポリーニがドイツ・グラモフォンと専属契約を交わした1971年から、ほぼ10年の間に、これらの録音が為されたのだった。どれも不朽の名盤であり、時代を切り開く演奏で、音楽愛好家の宝、ピアニストのバイブルともなった。


'80〜'90年代、演奏家としてさらに充実した活動を行うようになった時期の録音には、成熟の深さと視野の広がりが窺われるように思う。
シューベルト「後期ソナタ3曲」・「3つのピアノ曲」。これらの曲もポリーニにより発見された、というのはオーバーとしても、その真価を顕にしたとは言えないだろうか。少なくとも私にとってはそうだった。TVで見た「青少年のためのコンサート」でアンコールに奏された「3つのピアノ曲よりD.946-1」を聴いた時の驚き、異次元にいるような感覚、至福感に似た感動が、シューベルトの後期のソナタや小曲を愛聴する源としてある(この時聴いたベートーヴェン「熱情」も、勿論、素晴らしかったけれど)。

ショパン「ソナタ第2番《葬送行進曲》・第3番」の衝撃と感動も忘れられない。本当のショパン像を見た(聴いた)と思った。また「スケルツォ第1番〜第4番、子守歌、舟歌」の大きく強い感情の表出と、精緻な響き、豊かな歌にもショパンの魅力の多彩なこと、素晴らしさを実感した。

リスト「ソナタロ短調」にも驚嘆させられ、新たな喜びを覚えた音楽だった。リストには、超絶技巧を誇り、派手なパフォーマンスで聴衆を陶酔させる・・・イメージがあったのだが、この曲にはピアノ音楽に真剣に取り組み、後世に新たな道を示す、リストの大きな姿がうかがえる。4つの小曲にもポリーニならではの選曲眼、音楽観が示されていた。(時々アンコールなどで「超絶技巧練習曲」も披露したから、その録音もあれば良いのに・・・とは思うけれど。)

ドビュッシー「12の練習曲第1集・第2集」の、純正ともいえる音の連なり、精緻な動きの見事さ。練習曲としての技巧的な指の動きからも表れ出る、ほのかな詩情。初のドビュッシーの録音がこの曲集であるのも、ポリーニならではの選曲なのだろう。
数年後の「前奏曲集第1巻」は、極めて明晰な演奏から標題の示唆する情景が立ち表れ、そこに込められたほのかな情感が感じられる演奏だった。”真面目過ぎる”とか”フランス風のエスプリが無い”などという評もあったが、真摯なポリーニだからこそ表し得た曲の奥深さがあったと思う。「喜びの島」の眩いばかりの明るさも、”イタリアの人ポリーニ” を思わせ、魅力的な演奏だった。

この時期はリサイタルや協奏曲の演奏会を世界各地で数多く行いながら、指揮にも関心を向け、モーツァルトの協奏曲の弾き振り、オペラ(ロッシーニ「湖上の美人」)の指揮と初録音など、活動の幅を広げていった。現代音楽を中心に据えたウンベルト・ミケーリ国際ピアノコンクールを開催し、またザルツブルク音楽祭で「プロジェット・ポリーニ」を行ったのも新たな道だった。多忙の中でも、ベートーヴェンの中期〜初期のソナタシェーンベルクやシューマンの協奏曲の録音、ライブでのベートーヴェン、ブラームスの協奏曲の再録音など、多くの豊かな録音を世に送り出していた。

20世紀の終わり2000年にリリースされた、ベートーヴェン「ディアベッリ変奏曲」を聴く喜びは格別だった。この曲は私が初めてポリーニのライブを聴いた時の曲だった、が、私には難し過ぎたのだ。心を新たに、新譜に耳を傾けて、その自由で多彩な楽想の豊かさ、温かさ、奥深さに魅せられ、繰り返し聴くうちに虜になっていた。曲に命が吹き込まれたように、ベートーヴェンの”人”が感じられ、その偉大さに心打たれる、ポリーニの作曲者への敬愛と共感に満ちた演奏だった。 「今の私のベートーヴェンは、作品と対峙した歴史と蓄積から生まれたもので、当然刻々と変わってきたものです」とポリーニは語っている。 そしてこの後、2002年には「熱情」など中期、「悲愴」など初期のソナタを相次いで録音している。
「熱情」は熱く激しい演奏だった。精魂を傾け、没入していくポリーニに、ベートーヴェンの姿が重なってくる。怒り、嘆き、希望、憧憬、そして深い愛が溢れ出る、超絶的な演奏だった。ボーナスCDとしてウィーンでのライブ録音も添えられ、聴き比べることが出来た。ライブでの自然な高揚感も素晴らしかったが、スタジオでの集中力の極致から生まれる演奏は、強いインパクトを持っていた。
「悲愴」も情感溢れる演奏だった。重く悲劇的な第1楽章と激しいフィナーレの間で、第2楽章の美しい歌は深々として、心奥にまで沁みた。
この後、最初のピアノ・ソナタOp.2の3曲を手掛け、その後はほぼ作曲年代別に進めて、最後にOp.31Op.49を録音し、32曲のソナタの全録音が為されたのだった。
ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ全集」は2014年11月にリリースされた。1975年に第30・31番を初めて録音してから実に39年という年月をかけての完成だった。


ポリーニは、1993年にベルリン芸術週間でソナタ全曲演奏を行い、翌年にかけてミュンヘン、ミラノ、ニューヨークで、96〜97年シーズンにはパリ、ロンドン、ウィーンにて、ベートーヴェン・チクルス(ソナタ全曲演奏会)を行っている。これらの機会に、もし、ライブ録音で全曲が収められていたら・・・などと、ふと思った。それによって壮年期の充実した時期のポリーニのベートーヴェン演奏が聴けただろう。しかし彼は時機を選んで、1曲1曲と真摯に向き合い、慎重に丁寧に、録音を進めていった。それにより、およそ40年に亘るポリーニの音楽の歩みを聴き取ることが出来る、貴重な全集となったのだ。ピアノ界だけでなく、全音楽界にとっての貴重な宝物だと思う。

ベートーヴェン・チクルスを行ったときは、プログラムは年代順、または番号順に初期から中期、後期へと進んで行っていた。全集を聴く時、私もそのような聴き方をする、ベートーヴェンの作曲の歩みを少し窺えるような気がするからだ。ポリーニのレコーディングはなぜ逆の道筋になるのだろう?
「ベートーヴェンのソナタはどれも一つ一つがユニークで、どれもが大切です。」と言う通り、どの曲にも真摯に取り組んでいることは判る。が、やはり曲には軽・重、深・浅の違いはある。初〜中〜後期となるにつれ、作曲者の進歩、方向性、成熟を映して、作品はより多くの内容を含み、演奏に求められることも多くなるだろう。だからこそポリーニは若き日にまず難曲の後期ソナタに取り組み、その生み出された背景や前作との関わり、変化・発展してきたことを探りつつ、時代を遡っていったのではないだろうか。ライフワークとしてベートーヴェンと対峙し続け、自らも成長・成熟の途を辿りつつ、探求と思索を深めて、全集を出したのだろう。
その後に第28番〜第32番の5曲に再度取り組むのは、初めから想定されていたのかもしれないし、ポリーニの長年の探求からその希望が出てくるのは、自然なことだったのだろう。


21世紀を迎えて、ベートーヴェンのソナタと並んで、ショパンやシューマンのロマン派の作品も同じような熱量を伴って、次々と生み出されていた。
ショパン「バラード第1番〜第4番・前奏曲Op.45・幻想曲」「ノクターン集」
どちらも素晴らしい名演奏で、バラードにはショパンの真の姿を現すような彫の深さがあり、ノクターンでは清冽な音でショパンの心象が描かれていると感じられ、真に美しいものを聴く喜びがあった。世界中で7つもの賞を受賞したのも頷ける、不朽の名盤、音楽の宝物だと思う。

シューマン「ソナタ第3番《管弦楽のない協奏曲》・ダヴィッド同盟舞曲集」「アレグロ・クライスレリアーナ・暁の歌」も、素晴らしい作品の価値を新たに示すような演奏だった。
「ショパンと比べてシューマンの作品は、演奏されることが少ないのはなぜだろう?」とポリーニは言っていたが、確かに前者はあまり演奏されていなかったようだ。「ダヴィッド同盟舞曲集」は私の大好きな”遥かからのように”で始まり、また夢のように回帰する美しい曲だが、シューマンの夢想がポリーニの手から生まれる音により色と形を与えられたようだった。一方「クライスレリアーナ」は演奏される機会も多く、ポリーニの日本公演でも披露されたが、激情と思索、情熱と沈静を行き来する、ロマン派シューマンを象徴する楽想を、ポリーニのピアノは詩情豊かに描き出し、熱い情感が心に響く演奏だった。


ウィーンフィルを自ら指揮してのモーツァルト「ピアノ協奏曲第17番・第21番」「ピアノ協奏曲第12番・第24番」も気品に満ちた美しい演奏だった。ピアノの”歌”がオーケストラをリードし、管と弦の柔らかい音色に彩られていっそう輝かしく響いていた。「第24番」の深い哀しみは、モーツァルトの心奥から溢れ出る短調の曲の中でも、最も心を打つものと思われた。

バッハ「平均律クラヴィーア曲集第1巻」。2010年秋、やっと、聴くことのできたポリーニのバッハ! 彼が子供のころから親しんでいたバッハ。風邪をひいてベッドで寝ていなければならない時も、バッハの楽譜さえあれば平気だったとか(ベートーヴェンのソナタで、という話もある)。1985年にはイタリア各地、ベルリン、ロンドン、パリ、ニューヨークでこの曲の全曲演奏を行っている。それでも、バッハの鍵盤楽曲はクラヴィーア用に書かれているので、現代のピアノで演奏することが適切なのかと、迷っていたという。しかし、バッハの他の作品を研究する中で、作曲者自身が多くの作品を他の楽器のために編曲していると判り、ピアノでも良し!と思ったという。本当に真面目なポリーニ。すでに多くのピアニストが録音しているのに、ピアノの旧約聖書とも言われているというのに。
有名な第1曲の前奏曲の端正な演奏、フーガの構成感に、あぁポリーニらしいと思った。聴き進むうちに前奏曲には次第にロマン的な抒情性が表れ出て温もりも感じられ、一方フーガは演奏に高い技巧とともに知的な解釈が求められる曲であり、ポリーニの理知的で構築的な演奏こそ相応しいと思わされた。大きく豊かな内容の曲たちの、多彩な美しさと奥深さに魅了されて、バッハの偉大さを改めて知ったのだった。

ポリーニは以前から第2巻の録音も望んでいた。晩年はそれらの曲を弾くことを日課とし、リサイタルでも一部の曲を入れたプログラムが予定されていた。次第に完成へと近づく道のりが不意に断ち切られ、その時間が永久に失われてしまったことが、本当に残念でならない。


ショパンの中〜後期の作品の録音が再録音を含んで行われた。ワルツ、マズルカなど、新しい作品を含みつつ4枚の作品集となった。
これまではジャンル別の録音(次はマズルカを、と考えていた時もあったそうだ)だったが、これらには作品番号の近い曲が集められ、その時期のショパンをよく表す傑作揃いの曲集となった。
ショパン・リサイタル《opp.33-36, 38》 2008年リリース
ショパン作品集《opp.27-28,30-31》 2012年リリース(70歳を記念して)
ショパン後期作品集《opp.59-64, 68-4》 2017年リリース(75歳を記念して)
ショパン作品集(Op.55-58) 2019年リリース

言うまでもないことだが、ショパンもポリーニの生涯を通じて常にともにあった作曲家だ。以前の録音がどれもキズのない名演奏であっても、ポリーニには年月を経て新たにより深い視点から見えた作品の魅力があり、録音せずにはいられなかったのだろう。「ショパンを演奏できることは天恵です」と言い、常に身近にあり愛した曲たち、歳を重ねるごとに強まる作曲者への尊敬の思いと曲への愛情を込めた演奏だったと思う。
特に後期の作品集には、ポリーニの透徹した眼差しと清廉な技巧により現れた凛とした曲の佇まいの中に、ショパンの心が自然な歌となって豊かに流れている。ポリーニの熱い共感を込められて、ソナタ第3番や幻想ポロネーズは、暖かみのある大理石像のような姿を現していた。
”大理石像”と書いてきて、思い出す一つの言葉がある。
ミケランジェロ「私は大理石の中に天使を見た。そして天使を自由にするために彫ったのだ。」
ショパンが楽譜の中に封じ込めた作品=天使を見て、ポリーニは天使を自由にするために演奏するのではないだろうか・・・。

2018年秋リリースのドビュッシー「前奏曲集第2巻」は、洗練された技巧で精緻な表現がなされ、澄んだ音、煌めく音、また朧げな響きなど多彩な音色で、印象派の絵のような、また抽象画を思わせるような曲が奏されていく。時代の芸術の潮流を鋭敏に捉える作曲者の感性を、その先見性をも示すものだった。

最後の録音となったベートーヴェン「後期ソナタ集」は、まず第30番〜第32番が2019年に録音、後に録画もされて2020年にリリースされた。第28番、第29番は2021〜22年に録音、2022年冬にリリースされた。どの曲も透明感ある美しい響きで、心に訴えかける演奏だった。若き日の完璧な演奏に聴く驚異的な技巧、煌めく音の切れのあるタッチが懐かしい気もしたが、ポリーニの曲へのアプローチは若き日と変わらず、真摯に誠実に曲と相対し、理知的な視点から曲の奥深くまで見つめ、長年の探求から見出したものは余さず表現しようと、全ての力を以って演奏に臨んでいるようだ。同時に長年探求してきた曲への親しい思いが、ポリーニをより自由にしているようで、曲への共感が音楽に温かみをもたらし、曲への愛情が優しさを生み出し、ベートーヴェンへの敬愛の思いが演奏を熱いものにする。作曲者に心を通わせ、曲に血を通わせた、ポリーニの全身全霊を捧げた尊い演奏と思える。


こんなにも多くの素晴しい録音をこの世に遺してくれたことに、改めて心から感謝したい。これからの生活に慰めと潤いを、また新たな希望、前に進む力を与えてくれるものとなるだろう。

Grazie mille, Maestro Pollini !!

これまでポリーニのDeutsche Grammophonの録音について書いてきた。だが、ポリーニにはショパン・コンクール直後にEMIに録音したものがある。
「ピアノ協奏曲第1番」はパウル・クレツキ指揮フィルハーモニア管弦楽団との演奏で、1960年4月にロンドンで録音され、11月にLPでリリースされている(CDでは他の曲と併せて1988年に発売された)。清冽な音色の、瑞々しい流麗な演奏。同時に、弱冠18歳の華麗で完璧な技巧に、驚嘆させられる演奏だった。 同じ年の秋にはショパン「練習曲集」も録音され、素晴らしい出来栄えだったのに、なぜかポリーニはリリースを拒否し、お蔵入りとなってしまった。(2012年に他所からリリースされることになる。)
再びセッションが模索され、1968年6・7月「ショパン・リサイタル」がパリで録音された。ポロネーズ、ノクターン、バラードなど7曲が選ばれているが、ポリーニならではの緊迫感ある緻密な演奏で、完璧な技巧で奏される中に豊かな詩情が溢れるものだった。1971年にLPでリリースされ、Edison Prize(オランダ) を受賞。ポリーニの初レコード賞受賞だった。このうち数曲は協奏曲と一緒に1988年にCDで発売されたが、全7曲のCDは1996年に発売となった。
先に触れた1960年秋のショパン「練習曲集」は、2012年にTestamentから発売された。プロデューサーだったAndryは「これこそがまさに究極のピアニズムだと思った。その時私は、完璧とはどういうものか知ったのである。(略)私の人生の中で最高の音楽的経験として忘れることはできない。」と後に語っている (氏の逝去後、プロデューサーとしての業績を記念してリリースされた内の1枚だそうだ)。若き天才の証しというべきか、瑞々しく繊細で、若々しく激情が溢れ、美しく香り高い。ショパンの全てが表されているような24の曲たちだ。その年のGramophone Awards 2012 ”Historical" (イギリス)に選ばれている。

こんな完璧な録音を、なぜポリーニは公にすることを拒んだのだろう。あまりにも”ショパン”であったから、という思いが浮かぶ。”ショパン弾き”というレッテルがベッタリと貼られてしまうことへの惧れがあったのではないだろうか。これより後、いつも、どこへ行っても、ポリーニならショパン!と期待され、或いは強要されるとしたら・・・。
”ショパン・コンクール、18歳、満場一致で優勝”となれば、誰もがショパン演奏を期待するかもしれない。でも、ポリーニにはもっと大きな音楽の世界が見えていたのだろう。そこで生きていくためには、自身がもっと学ぶべきことも。
この不可思議なリリース拒否に続いて、約8年の”隠棲”が始まる。


ポリーニは後のインタビューで「子供のころから音楽に親しんでいたが、特にピアノに特化していたのではなく、様々なジャンル、オペラ、声楽、交響曲や管弦楽曲、室内楽もよく聴いていた」と言っている。「指揮にも興味があった」とも。コンクールの前には、集中的にショパンのピアノ曲に取り組んだが、優勝して初めてピアニストになろうと決めたという。だが「大きな舞台で活動するにはまだ未熟だと思った」と言い、「もっと他のピアノ曲も弾きたい、音楽全般に興味があり学びたい、音楽以外の勉強もしたいと思った」と。18歳の若者がそう思うのは極めて自然なことだろう。いや、コンクールの覇者が自己を客観的に冷静に見つめるのは、なかなか難しいことだろうから、この18歳の少年は極めて聡明だったと言うべきだろう。
この後、約8年、ポリーニは世界の楽壇から遠ざかり、休養し、大学で物理や数学を学び、指揮を学び、ミケランジェリに師事もした。だが、イタリア国内では演奏会を開いていたし、ポーランドでも演奏したと言う。ポーランドのショパン協会の追悼文に、ポリーニは「ショパンとシェーンベルクの曲を演奏した」と書かれていたが、この期間のことだとしたら、なかなか思い切ったプログラムだと思う。いずれにしろ、61年〜68年は、ポリーニにとってとても重要な期間だった、その後のポリーニの活動を支え、方向を指し示し、その力の源泉となる貴重な時間だったのだろう。その道を選んだポリーニの賢明さ、意志の強さと、試練(実際、EMIは彼のキャリア再構築の可能性は低いとして録音契約を打ち切った)を乗り越えたその実力に、頭を垂れるのみだ。

2024年 7月23日 15:00

Polliniana
ポリーニについて、リサイタルとCDのことなどを記してきたが、なお幾つかのことを、書き残しておきたい。

ショパン・コンクールにおいて、西側からの参加者で初の優勝ということは、驚くべき快挙だった。しかも弱冠18歳での優勝は、長い間(2000年のユンディ・リまで)”最年少”だった。
ピアノ・コンクールとしては最古(1927年創設)の由緒あるものとしても、当時はソ連の支配下でソ連とポーランドの出身者しか優勝(ほぼ2・3位も)できないとされていた。いわば”ローカル”なコンクールだったのだ。もちろん西側からの審査員はいたし、参加者もいた。日本からも原智恵子さん(第3回)、田中希代子さん(第5回)が参加している。だが、ポリーニがその”東西の壁”を破ったことで、世界的なコンクールになった、と言えるのではないだろうか。実際、その後はアルゲリッチやオールソンなど、西側の優勝者、入賞者も増えている。快挙であり、革新でもあったのだ。

ショパン・コンクールの際のルービンシュタインの言葉「この若者は、我々審査員の誰よりも、技術的に上手い」
彼は審査員仲間への皮肉として言ったのだと、ポリーニは言っていた。
「技術的に」が省かれた褒め言葉「この若者は、我々審査員の誰よりも、上手い」が、伝説めいて広まってしまったが、ポリーニは真意をちゃんと知っていて、苦笑していたのだろう。

だが、ポリーニの技術の素晴しさは疑いようもなく、と言って、ヴィルトゥオーソっぽさのない自然さ純粋さは、ルービンシュタインには新鮮に映ったことだろう。19世紀末からのヴィルトゥオーソの時代とは異なる、ポリーニの清新な超絶技巧を目(耳)にして、新しいピアニズムが生まれることを予感したのかもしれない。
あの言葉には、同僚への皮肉(或いはジョーク)だったとしても、そんな感嘆と期待が込められていたのではないだろうか。大らかに受け止め、暖かく見守ったルービンシュタイン。コンクール後も親交を重ねた、若き天才と老巨匠だった。


ポリーニは「ルービンシュタインのピアノは人々を幸せにする」と言っていたが、人柄が演奏に表れるのなら、ポリーニもまた、というべきだろう。
ポリーニは、理知的に楽譜を読み、曲の構造を明晰に把握する。作曲者の意図を探り、深く思索し、その意思を共感を持って理解する。そして作曲者への敬意を胸に、曲への愛情を込めて演奏する。澄明な音色、怜悧なタッチで。そこに曲の真髄が現れる。

いつもポリーニの演奏を聴いて感じるのは、ああ、素晴らしい演奏だった!とともに、ああ、素晴らしい音楽を聴いた!ということだ。作品がそれまで思っていたよりも、もっと大きなものとして呈示され、ベートーヴェンはなんと素晴らしい音楽を書いたのか!と感動する。その美しさは未だ耳にしたことの無いほどに思え、ショパンはなんと美しい曲を書いたのだろう!と感嘆する。それがポリーニが楽譜から引き出した曲の神髄であり、何かを付け加えたり、飾ったり、誇張することなく、ポリーニの手を通して溢れ出たものだったのだ。音楽への真摯な姿勢、謙虚な姿に心を打たれる。同時にそれがポリーニの人としての大きさ、深さ、聡明さ、暖かさ、熱さ、激しさをも感じさせ、感動を深くするのだ。
何かを付け加える、とは? 自分の技巧を誇示したり、自らの感傷に溺れたり、独自の解釈を衒うこと。
ポリーニはそういったことをせずに、曲に秘められた価値・美質をそのままに伝えようとする。ストイックで謙虚な姿勢だ。しかし、自分を否定したり拒絶するのではない。演奏する時、奏者の感性は純化され、感情は高められるだろう。それが自ずと溢れ出て曲を潤し、曲に生命を吹き込むのではないだろうか。ポリーニの演奏を聴いて、曲が生き生きとしていると感じ、時には、今まさに生まれ出たように感じられることさえあった、眩しいほどの生命力をもって。
ポリーニによって、聴き慣れたはずの曲の真価に改めて気づかされたことが何度有ったろう。感謝するばかりだ。

また、ポリーニによって、未知の、または敬遠していた曲の素晴しさに気づかされたことも数えきれない程ある。演奏される機会の少ない曲、長かったり、難解だったり、ポピュラーではない曲も、ポリーニの演奏で聴くと、その素晴らしさに目(耳)が開かれる気がした。リスト、シェーンベルク、バルトーク、ストラヴィンスキー、シュトックハウゼン・・・もちろん、私が無知だったこともある。でも、無知な私に「聴こう!」と思わせたのは、ポリーニの力だ。ポリーニだから、聴こう。ポリーニなら、聴きたい。ポリーニへの信頼が無ければ、知り得ないものだった。ポリーニに導かれ、新しい音楽の領域に耳が開かれたことに、深く感謝したい。


残念ながら、やはりゲンダイオンガクはムリだ〜、と思うことも多々あった。でも、これからは、ポリーニの導きが無くなってしまっても、「聴いてみようかな?」という心だけは持ち続けていたい。「私たちが音にしなければ、同じ時代を生きているはずの天才を葬ってしまう」と言ったポリーニの心を、志を、無にしないためにも。


ポリーニのレパートリーは広い、と言われる。バッハから古典派、ロマン派、新ウィーン楽派、近代・現代の音楽まで、どれも第一人者として深く極めて(しかし専門家としてではなく)演奏する。彼のプロジェクトでは、ルネサンス期の音楽、それ以前のグレゴリア聖歌、さらにギリシャ聖歌にまで遡り、一方現代の作曲家に新作を委嘱し初演する。人類の音楽の流れをすべて含むような規模の大きさで、いわば”王道”を行くかのようだ。
一方、彼のレパートリーは狭い、という人もいる。ロシア音楽、東欧や北欧の音楽、フランス、スペインの音楽等は、ほんの一部を除いて、演奏されていない。
これについてポリーニは、「素晴らしい作品が沢山あり過ぎて、全部演奏するには人生を2度も3度もやり直さなくてはならない程です」と言っている。
そして、チャイコフスキーやラフマニノフは「他の多くの演奏家が素晴らしい演奏をしているのだから、私がやらなくても良いでしょう」と言う。「ラフマニノフも時々聴いていますよ」とも。また「ラヴェルはもっと演奏してみればよかった」とか(彼の幼少期にポリーニ家では、ラヴェルや現代音楽をよく聴いていたというのだが、なぜレパートリーに入らなかったのだろう)。ドビュッシーは演奏したが、魅力的な曲はまだまだ沢山あっただろう。本当に、2度目の人生があれば良いのに・・・と思う。
真っすぐに王道を追求してきたようなポリーニの歩み。「人類は進化し、進歩してきた、社会も次第に進歩し、変革を遂げてきた。芸術も社会の中で生まれ、進歩し変容し、多くの花を咲かせてきた。これからも人類はより良い未来に向かうだろう」という思いが、ポリーニにはあったのではないだろうか。
芸術を生み出す土壌としての社会、それは自分が生きる社会であり、当然のこととして関心を持ち、発言もしてきた。ポリーニを紹介する文にはよく"impegno”という言葉が使われる。”アンガージュマン”(社会参加)であり、フランスの作家をはじめヨーロッパの多くの芸術家が参加してきた。それは政治的な活動というより、人間として、人類の一員としての、より良い在り方を求めての行動だったろう。 そして、世界の問題、社会の状況に関心をもち"impegno”してきたポリーニは、現代社会の負の側面である戦争の犠牲者や地震など災害の被災者には、率先してチャリティー演奏会を開くなどして、手を差し伸べてきた。
進歩主義者であり、理想主義者であり、なによりヒューマニストだったポリーニ。
ムーティは「正義の人」と言って惜しんだ。ミラノ・スカラ座の追悼文も、次のように結ばれている。
「偉大なポリーニを失って、私達はずっと寂しく思うだろう。芸術家として、またそれ以上に人として。彼の熱い心、シャイな気高さ、揺るがぬ正義感のゆえに。」


マエストロ、あなたが去ったこの世界は、光を失ったようです。暖かさを奪われたようです。希望は色褪せ、夢は萎み、花々は散って。
・・・でも、これからの世界がさらに厳しい状況になるのだとしたら、そんなものを見ずに旅立たれたのは、救いだったかもしれない。
どうぞ、安らかにお休みください。


遥かオリンポスの音楽の宴で、先に逝った多くの友人たちと再会し、共に楽しく演奏している姿を、思い描いています。アポロンであるあなたを迎えて、楽の音はより輝かしく、美しく、力強く響いているでしょう。永遠の至福の時が流れて。

いつか、はるか彼方で、その音楽を聴かせていただけることを願いつつ

Arrivederci, Maestro Maurizio Pollini !!



2024年 7月23日 22:30

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