リサイタルに行くまでは、レコード、CDでポリーニの演奏に接するのが唯一の楽しみだった。解説や音楽誌の批評なども読みながら、食い入るようにして聴いた。立派なオーディオ機器などは持っていなくて、ごく普通のプレーヤーで聴くだけだったから、音響の良さはあまり判らなかったが、演奏の素晴しさだけははっきりと判った。
勿論、リサイタルに行くようになってからも、新譜のリリースはいつも楽しみで、発売の日にCD店に駆け付けることもあった。いくつかのレコード・CDについて、当時のメモなども見ながら、感想を書いてみたい。
ショパン「エチュード」。磨き抜かれた音、完璧な技巧。華麗に流麗に、詩情豊かに、また激しく、24曲それぞれの趣が鮮やかに弾かれている演奏に圧倒された。「この上に何をお望みですか」というキャッチコピーに深く頷いた。だが、これは吉田秀和氏の名コピーであり、ポリーニの言葉ではない。謙虚な彼には相応しくない表現だ。渾身の名演ではあるけれど、技巧をひけらかす感じは全く無く、完璧でありつつとても自然なのだ。数年の沈黙を破って、満を持して発表したのだろうと思った。
シューベルト「さすらい人幻想曲」。シューベルトといえば「歌曲王」で「未完成」の作曲家との認識で、ピアノでは「即興曲」や「楽興の時」しか知らなかった。歌心溢れるロマン性豊かなこの大曲を聴き、”こんなに素晴らしい曲を書いていたのか!”と驚き、瑞々しい輝く音、若々しく力強い、彼方へと飛翔するような音楽を夢中で聴いた。
シューマン「幻想曲」。ファンタジーが天翔ける美しい演奏で、花のような香しさとともに深い内省があり、ロマン派の真骨頂と思わされた。少し後になるが「交響的練習曲」では、ドイツの深い森を歩むような、その深々とした響きに、初めの一音から心を奪われ、聴き入っていた。
ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」。心をわしづかみにされた感覚だった。”こんなスゴイ曲があったなんて!” ”こんな鮮やかな技巧が人の手で為し得るなんて!”。
この曲はストラヴィンスキーがルービンシュタインの求めに応じて編曲、献呈したという。もしかしたら老巨匠がポリーニに「弾いてごらん」と勧めたのかも、或いはポリーニから巨匠へのオマージュかもしれない。ドイツ・グラモフォンと契約して初録音にこの曲を選んだことに、若きポリーニの心意気を見る思いがする。
それからバルトーク「ピアノ協奏曲」にも、衝撃と感嘆と、そして感動があった。”異形の音楽”という感じで、幾度も聞かずにいられない心を打つ響き、なぜか郷愁を覚える不思議な感覚。アバド指揮のシカゴ交響楽団の実力と相俟って、奇跡のような演奏であり、聴くことが出来て、この曲と出会えて、本当に良かった!と思った。
ベートーヴェン「ピアノ協奏曲」。ベーム、ウィーンフィルとの共演は続けられ、第3番、4番、そして5番「皇帝」の華麗にして雄大な演奏を生んだ。古き佳き伝統あるウィーンフィルにフレッシュな風が吹き込み、予期せぬ(=奇跡的な)反応が起きたような輝かしい演奏だった。ベーム亡き後にヨッフムと共演した第1番・2番の演奏も素敵だった。特に第1番を聴いた時の驚きと喜びは忘れられない。若きベートーヴェンの野心、未来への希望を音に聞いたようだった。同時にポリーニの若々しい精神、進取の気概も感じさせるものだった。
ブラームス「ピアノ協奏曲第2番」も盟友アバドとピッタリ息の合った、ウィーンフィルともがっぷり四つに組んだ、美しくも雄渾な演奏だった。深い森を行くような凛とした風情と奥深さに心を捉えられた。
そしてベートーヴェン「後期ピアノ・ソナタ集」。ベートーヴェンの後期作品には弦楽四重奏で少し触れていたが、”奥が深く近づきがたい” 感じを抱いていた。その感じのままに、しかし輝かしい音色で、深みへ、また天空へ誘う、大きな宇宙を思わせる演奏だった。大伽藍のステンドグラスから光がこぼれるような美しい透明な音。硬質なタッチでメリハリのあるリズム。”ここまでやって良いのか、ベートーヴェンを!”と驚嘆しながら、”深い奥へ、近づきたい”と思わされる演奏だった。この曲の偉大さに畏怖をも感じさせられる演奏は、初めて聴いたように思う。
それまではピアノ・ソナタでは「悲愴」「月光」「熱情」などしか聞いていなかった。当時は録音でも、まずこれらの曲を取り上げるのが常道だったと思う。ポリーニは、まず最初に「後期ソナタ」5曲を録音したのだ。”これらの曲は大家が経験を重ねてから録音するもの、若いポリーニには早過ぎる”etc. 賛嘆とともに批判や非難もあったようだ。ポリーニはそれに対して「素晴らしい曲だからこそ、若い頃から親しんでいれば、年齢を重ねればさらに良い演奏が出来ようになると思う」と答えている。そしてその言葉通りに、長い演奏活動を通じて常にベートーヴェンはレパートリーの中心にあり「演奏する度に新たな魅力が見つかる」と言っていた。最後に録音したのが「後期ソナタ」だったのは、ポリーニの言行一致、筋の通った演奏活動だったということだろう。
イタリア四重奏団と共演のブラームス「ピアノ五重奏曲」。とても魅力的な演奏で、室内楽でのポリーニの優れた技量に魅了された。絶妙なバランス感覚で、力強くリードし、丁々発止と掛け合い、優しく融和し、美しく調和していく。生き生きとして抒情性豊かなブラームスだった。
他にもショパン「前奏曲」「ポロネーズ」の美しい演奏もポリーニならではのもの。ベームと共演したブラームス「ピアノ協奏曲第1番」の重厚かつ華麗な演奏も素晴らしかった。
生誕100年(1974年)を記念してのシェーンベルク「全ピアノ独奏曲集」も、ポリーニだからこそ為し得た録音だったろう。
さらに明記すべきなのは、この時期に集中して行われた現代音楽の録音だ。 ノーノ「力と光の波のように」、「…苦悩に満ちながらも晴朗な波」、ブーレーズ「第2ソナタ」、ウェーベルン「変奏曲」、マンツォーニ「質量−エドガー・ヴァレーズ讃」。ポリーニの音楽観、社会観が窺われる作品だが、彼の実力と名声があってこそ実現させ得た録音だろう。
ポリーニがドイツ・グラモフォンと専属契約を交わした1971年から、ほぼ10年の間に、これらの録音が為されたのだった。どれも不朽の名盤であり、時代を切り開く演奏で、音楽愛好家の宝、ピアニストのバイブルともなった。
'80〜'90年代、演奏家としてさらに充実した活動を行うようになった時期の録音には、成熟の深さと視野の広がりが窺われるように思う。
シューベルト「後期ソナタ3曲」・「3つのピアノ曲」。これらの曲もポリーニにより発見された、というのはオーバーとしても、その真価を顕にしたとは言えないだろうか。少なくとも私にとってはそうだった。TVで見た「青少年のためのコンサート」でアンコールに奏された「3つのピアノ曲よりD.946-1」を聴いた時の驚き、異次元にいるような感覚、至福感に似た感動が、シューベルトの後期のソナタや小曲を愛聴する源としてある(この時聴いたベートーヴェン「熱情」も、勿論、素晴らしかったけれど)。
ショパン「ソナタ第2番《葬送行進曲》・第3番」の衝撃と感動も忘れられない。本当のショパン像を見た(聴いた)と思った。また「スケルツォ第1番〜第4番、子守歌、舟歌」の大きく強い感情の表出と、精緻な響き、豊かな歌にもショパンの魅力の多彩なこと、素晴らしさを実感した。
リスト「ソナタロ短調」にも驚嘆させられ、新たな喜びを覚えた音楽だった。リストには、超絶技巧を誇り、派手なパフォーマンスで聴衆を陶酔させる・・・イメージがあったのだが、この曲にはピアノ音楽に真剣に取り組み、後世に新たな道を示す、リストの大きな姿がうかがえる。4つの小曲にもポリーニならではの選曲眼、音楽観が示されていた。(時々アンコールなどで「超絶技巧練習曲」も披露したから、その録音もあれば良いのに・・・とは思うけれど。)
ドビュッシー「12の練習曲第1集・第2集」の、純正ともいえる音の連なり、精緻な動きの見事さ。練習曲としての技巧的な指の動きからも表れ出る、ほのかな詩情。初のドビュッシーの録音がこの曲集であるのも、ポリーニならではの選曲なのだろう。
数年後の「前奏曲集第1巻」は、極めて明晰な演奏から標題の示唆する情景が立ち表れ、そこに込められたほのかな情感が感じられる演奏だった。”真面目過ぎる”とか”フランス風のエスプリが無い”などという評もあったが、真摯なポリーニだからこそ表し得た曲の奥深さがあったと思う。「喜びの島」の眩いばかりの明るさも、”イタリアの人ポリーニ” を思わせ、魅力的な演奏だった。
この時期はリサイタルや協奏曲の演奏会を世界各地で数多く行いながら、指揮にも関心を向け、モーツァルトの協奏曲の弾き振り、オペラ(ロッシーニ「湖上の美人」)の指揮と初録音など、活動の幅を広げていった。現代音楽を中心に据えたウンベルト・ミケーリ国際ピアノコンクールを開催し、またザルツブルク音楽祭で「プロジェット・ポリーニ」を行ったのも新たな道だった。多忙の中でも、ベートーヴェンの中期〜初期のソナタ、シェーンベルクやシューマンの協奏曲の録音、ライブでのベートーヴェン、ブラームスの協奏曲の再録音など、多くの豊かな録音を世に送り出していた。
20世紀の終わり2000年にリリースされた、ベートーヴェン「ディアベッリ変奏曲」を聴く喜びは格別だった。この曲は私が初めてポリーニのライブを聴いた時の曲だった、が、私には難し過ぎたのだ。心を新たに、新譜に耳を傾けて、その自由で多彩な楽想の豊かさ、温かさ、奥深さに魅せられ、繰り返し聴くうちに虜になっていた。曲に命が吹き込まれたように、ベートーヴェンの”人”が感じられ、その偉大さに心打たれる、ポリーニの作曲者への敬愛と共感に満ちた演奏だった。
「今の私のベートーヴェンは、作品と対峙した歴史と蓄積から生まれたもので、当然刻々と変わってきたものです」とポリーニは語っている。
そしてこの後、2002年には「熱情」など中期、「悲愴」など初期のソナタを相次いで録音している。
「熱情」は熱く激しい演奏だった。精魂を傾け、没入していくポリーニに、ベートーヴェンの姿が重なってくる。怒り、嘆き、希望、憧憬、そして深い愛が溢れ出る、超絶的な演奏だった。ボーナスCDとしてウィーンでのライブ録音も添えられ、聴き比べることが出来た。ライブでの自然な高揚感も素晴らしかったが、スタジオでの集中力の極致から生まれる演奏は、強いインパクトを持っていた。
「悲愴」も情感溢れる演奏だった。重く悲劇的な第1楽章と激しいフィナーレの間で、第2楽章の美しい歌は深々として、心奥にまで沁みた。
この後、最初のピアノ・ソナタOp.2の3曲を手掛け、その後はほぼ作曲年代別に進めて、最後にOp.31とOp.49を録音し、32曲のソナタの全録音が為されたのだった。
ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ全集」は2014年11月にリリースされた。1975年に第30・31番を初めて録音してから実に39年という年月をかけての完成だった。
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ポリーニは、1993年にベルリン芸術週間でソナタ全曲演奏を行い、翌年にかけてミュンヘン、ミラノ、ニューヨークで、96〜97年シーズンにはパリ、ロンドン、ウィーンにて、ベートーヴェン・チクルス(ソナタ全曲演奏会)を行っている。これらの機会に、もし、ライブ録音で全曲が収められていたら・・・などと、ふと思った。それによって壮年期の充実した時期のポリーニのベートーヴェン演奏が聴けただろう。しかし彼は時機を選んで、1曲1曲と真摯に向き合い、慎重に丁寧に、録音を進めていった。それにより、およそ40年に亘るポリーニの音楽の歩みを聴き取ることが出来る、貴重な全集となったのだ。ピアノ界だけでなく、全音楽界にとっての貴重な宝物だと思う。
ベートーヴェン・チクルスを行ったときは、プログラムは年代順、または番号順に初期から中期、後期へと進んで行っていた。全集を聴く時、私もそのような聴き方をする、ベートーヴェンの作曲の歩みを少し窺えるような気がするからだ。ポリーニのレコーディングはなぜ逆の道筋になるのだろう?
「ベートーヴェンのソナタはどれも一つ一つがユニークで、どれもが大切です。」と言う通り、どの曲にも真摯に取り組んでいることは判る。が、やはり曲には軽・重、深・浅の違いはある。初〜中〜後期となるにつれ、作曲者の進歩、方向性、成熟を映して、作品はより多くの内容を含み、演奏に求められることも多くなるだろう。だからこそポリーニは若き日にまず難曲の後期ソナタに取り組み、その生み出された背景や前作との関わり、変化・発展してきたことを探りつつ、時代を遡っていったのではないだろうか。ライフワークとしてベートーヴェンと対峙し続け、自らも成長・成熟の途を辿りつつ、探求と思索を深めて、全集を出したのだろう。
その後に第28番〜第32番の5曲に再度取り組むのは、初めから想定されていたのかもしれないし、ポリーニの長年の探求からその希望が出てくるのは、自然なことだったのだろう。
21世紀を迎えて、ベートーヴェンのソナタと並んで、ショパンやシューマンのロマン派の作品も同じような熱量を伴って、次々と生み出されていた。
ショパン「バラード第1番〜第4番・前奏曲Op.45・幻想曲」、「ノクターン集」。
どちらも素晴らしい名演奏で、バラードにはショパンの真の姿を現すような彫の深さがあり、ノクターンでは清冽な音でショパンの心象が描かれていると感じられ、真に美しいものを聴く喜びがあった。世界中で7つもの賞を受賞したのも頷ける、不朽の名盤、音楽の宝物だと思う。
シューマン「ソナタ第3番《管弦楽のない協奏曲》・ダヴィッド同盟舞曲集」、「アレグロ・クライスレリアーナ・暁の歌」も、素晴らしい作品の価値を新たに示すような演奏だった。
「ショパンと比べてシューマンの作品は、演奏されることが少ないのはなぜだろう?」とポリーニは言っていたが、確かに前者はあまり演奏されていなかったようだ。「ダヴィッド同盟舞曲集」は私の大好きな”遥かからのように”で始まり、また夢のように回帰する美しい曲だが、シューマンの夢想がポリーニの手から生まれる音により色と形を与えられたようだった。一方「クライスレリアーナ」は演奏される機会も多く、ポリーニの日本公演でも披露されたが、激情と思索、情熱と沈静を行き来する、ロマン派シューマンを象徴する楽想を、ポリーニのピアノは詩情豊かに描き出し、熱い情感が心に響く演奏だった。
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ウィーンフィルを自ら指揮してのモーツァルト「ピアノ協奏曲第17番・第21番」と「ピアノ協奏曲第12番・第24番」も気品に満ちた美しい演奏だった。ピアノの”歌”がオーケストラをリードし、管と弦の柔らかい音色に彩られていっそう輝かしく響いていた。「第24番」の深い哀しみは、モーツァルトの心奥から溢れ出る短調の曲の中でも、最も心を打つものと思われた。
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バッハ「平均律クラヴィーア曲集第1巻」。2010年秋、やっと、聴くことのできたポリーニのバッハ! 彼が子供のころから親しんでいたバッハ。風邪をひいてベッドで寝ていなければならない時も、バッハの楽譜さえあれば平気だったとか(ベートーヴェンのソナタで、という話もある)。1985年にはイタリア各地、ベルリン、ロンドン、パリ、ニューヨークでこの曲の全曲演奏を行っている。それでも、バッハの鍵盤楽曲はクラヴィーア用に書かれているので、現代のピアノで演奏することが適切なのかと、迷っていたという。しかし、バッハの他の作品を研究する中で、作曲者自身が多くの作品を他の楽器のために編曲していると判り、ピアノでも良し!と思ったという。本当に真面目なポリーニ。すでに多くのピアニストが録音しているのに、ピアノの旧約聖書とも言われているというのに。
有名な第1曲の前奏曲の端正な演奏、フーガの構成感に、あぁポリーニらしいと思った。聴き進むうちに前奏曲には次第にロマン的な抒情性が表れ出て温もりも感じられ、一方フーガは演奏に高い技巧とともに知的な解釈が求められる曲であり、ポリーニの理知的で構築的な演奏こそ相応しいと思わされた。大きく豊かな内容の曲たちの、多彩な美しさと奥深さに魅了されて、バッハの偉大さを改めて知ったのだった。
ポリーニは以前から第2巻の録音も望んでいた。晩年はそれらの曲を弾くことを日課とし、リサイタルでも一部の曲を入れたプログラムが予定されていた。次第に完成へと近づく道のりが不意に断ち切られ、その時間が永久に失われてしまったことが、本当に残念でならない。
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ショパンの中〜後期の作品の録音が再録音を含んで行われた。ワルツ、マズルカなど、新しい作品を含みつつ4枚の作品集となった。
これまではジャンル別の録音(次はマズルカを、と考えていた時もあったそうだ)だったが、これらには作品番号の近い曲が集められ、その時期のショパンをよく表す傑作揃いの曲集となった。
ショパン・リサイタル《opp.33-36, 38》 2008年リリース
ショパン作品集《opp.27-28,30-31》 2012年リリース(70歳を記念して)
ショパン後期作品集《opp.59-64, 68-4》 2017年リリース(75歳を記念して)
ショパン作品集(Op.55-58) 2019年リリース
言うまでもないことだが、ショパンもポリーニの生涯を通じて常にともにあった作曲家だ。以前の録音がどれもキズのない名演奏であっても、ポリーニには年月を経て新たにより深い視点から見えた作品の魅力があり、録音せずにはいられなかったのだろう。「ショパンを演奏できることは天恵です」と言い、常に身近にあり愛した曲たち、歳を重ねるごとに強まる作曲者への尊敬の思いと曲への愛情を込めた演奏だったと思う。
特に後期の作品集には、ポリーニの透徹した眼差しと清廉な技巧により現れた凛とした曲の佇まいの中に、ショパンの心が自然な歌となって豊かに流れている。ポリーニの熱い共感を込められて、ソナタ第3番や幻想ポロネーズは、暖かみのある大理石像のような姿を現していた。
”大理石像”と書いてきて、思い出す一つの言葉がある。
ミケランジェロ「私は大理石の中に天使を見た。そして天使を自由にするために彫ったのだ。」
ショパンが楽譜の中に封じ込めた作品=天使を見て、ポリーニは天使を自由にするために演奏するのではないだろうか・・・。
2018年秋リリースのドビュッシー「前奏曲集第2巻」は、洗練された技巧で精緻な表現がなされ、澄んだ音、煌めく音、また朧げな響きなど多彩な音色で、印象派の絵のような、また抽象画を思わせるような曲が奏されていく。時代の芸術の潮流を鋭敏に捉える作曲者の感性を、その先見性をも示すものだった。
最後の録音となったベートーヴェン「後期ソナタ集」は、まず第30番〜第32番が2019年に録音、後に録画もされて2020年にリリースされた。第28番、第29番は2021〜22年に録音、2022年冬にリリースされた。どの曲も透明感ある美しい響きで、心に訴えかける演奏だった。若き日の完璧な演奏に聴く驚異的な技巧、煌めく音の切れのあるタッチが懐かしい気もしたが、ポリーニの曲へのアプローチは若き日と変わらず、真摯に誠実に曲と相対し、理知的な視点から曲の奥深くまで見つめ、長年の探求から見出したものは余さず表現しようと、全ての力を以って演奏に臨んでいるようだ。同時に長年探求してきた曲への親しい思いが、ポリーニをより自由にしているようで、曲への共感が音楽に温かみをもたらし、曲への愛情が優しさを生み出し、ベートーヴェンへの敬愛の思いが演奏を熱いものにする。作曲者に心を通わせ、曲に血を通わせた、ポリーニの全身全霊を捧げた尊い演奏と思える。
こんなにも多くの素晴しい録音をこの世に遺してくれたことに、改めて心から感謝したい。これからの生活に慰めと潤いを、また新たな希望、前に進む力を与えてくれるものとなるだろう。
Grazie mille, Maestro Pollini !!
これまでポリーニのDeutsche Grammophonの録音について書いてきた。だが、ポリーニにはショパン・コンクール直後にEMIに録音したものがある。
「ピアノ協奏曲第1番」はパウル・クレツキ指揮フィルハーモニア管弦楽団との演奏で、1960年4月にロンドンで録音され、11月にLPでリリースされている(CDでは他の曲と併せて1988年に発売された)。清冽な音色の、瑞々しい流麗な演奏。同時に、弱冠18歳の華麗で完璧な技巧に、驚嘆させられる演奏だった。
同じ年の秋にはショパン「練習曲集」も録音され、素晴らしい出来栄えだったのに、なぜかポリーニはリリースを拒否し、お蔵入りとなってしまった。(2012年に他所からリリースされることになる。)
再びセッションが模索され、1968年6・7月「ショパン・リサイタル」がパリで録音された。ポロネーズ、ノクターン、バラードなど7曲が選ばれているが、ポリーニならではの緊迫感ある緻密な演奏で、完璧な技巧で奏される中に豊かな詩情が溢れるものだった。1971年にLPでリリースされ、Edison Prize(オランダ) を受賞。ポリーニの初レコード賞受賞だった。このうち数曲は協奏曲と一緒に1988年にCDで発売されたが、全7曲のCDは1996年に発売となった。
先に触れた1960年秋のショパン「練習曲集」は、2012年にTestamentから発売された。プロデューサーだったAndryは「これこそがまさに究極のピアニズムだと思った。その時私は、完璧とはどういうものか知ったのである。(略)私の人生の中で最高の音楽的経験として忘れることはできない。」と後に語っている
(氏の逝去後、プロデューサーとしての業績を記念してリリースされた内の1枚だそうだ)。若き天才の証しというべきか、瑞々しく繊細で、若々しく激情が溢れ、美しく香り高い。ショパンの全てが表されているような24の曲たちだ。その年のGramophone Awards 2012 ”Historical" (イギリス)に選ばれている。
こんな完璧な録音を、なぜポリーニは公にすることを拒んだのだろう。あまりにも”ショパン”であったから、という思いが浮かぶ。”ショパン弾き”というレッテルがベッタリと貼られてしまうことへの惧れがあったのではないだろうか。これより後、いつも、どこへ行っても、ポリーニならショパン!と期待され、或いは強要されるとしたら・・・。
”ショパン・コンクール、18歳、満場一致で優勝”となれば、誰もがショパン演奏を期待するかもしれない。でも、ポリーニにはもっと大きな音楽の世界が見えていたのだろう。そこで生きていくためには、自身がもっと学ぶべきことも。
この不可思議なリリース拒否に続いて、約8年の”隠棲”が始まる。
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ポリーニは後のインタビューで「子供のころから音楽に親しんでいたが、特にピアノに特化していたのではなく、様々なジャンル、オペラ、声楽、交響曲や管弦楽曲、室内楽もよく聴いていた」と言っている。「指揮にも興味があった」とも。コンクールの前には、集中的にショパンのピアノ曲に取り組んだが、優勝して初めてピアニストになろうと決めたという。だが「大きな舞台で活動するにはまだ未熟だと思った」と言い、「もっと他のピアノ曲も弾きたい、音楽全般に興味があり学びたい、音楽以外の勉強もしたいと思った」と。18歳の若者がそう思うのは極めて自然なことだろう。いや、コンクールの覇者が自己を客観的に冷静に見つめるのは、なかなか難しいことだろうから、この18歳の少年は極めて聡明だったと言うべきだろう。
この後、約8年、ポリーニは世界の楽壇から遠ざかり、休養し、大学で物理や数学を学び、指揮を学び、ミケランジェリに師事もした。だが、イタリア国内では演奏会を開いていたし、ポーランドでも演奏したと言う。ポーランドのショパン協会の追悼文に、ポリーニは「ショパンとシェーンベルクの曲を演奏した」と書かれていたが、この期間のことだとしたら、なかなか思い切ったプログラムだと思う。いずれにしろ、61年〜68年は、ポリーニにとってとても重要な期間だった、その後のポリーニの活動を支え、方向を指し示し、その力の源泉となる貴重な時間だったのだろう。その道を選んだポリーニの賢明さ、意志の強さと、試練(実際、EMIは彼のキャリア再構築の可能性は低いとして録音契約を打ち切った)を乗り越えたその実力に、頭を垂れるのみだ。
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