MP:スタジオ内では君は人々と直接に触れ合うことが出来ません。だからおそらく君は、次のことを思い浮かべなければならないでしょう。つまり、演奏しているものが、その時は存在しないが将来は存在するだろう聴衆の元に届くことを、この録音を聴くであろう人々のことを、です。そうやって実際に同じになる、つまり音楽への関わり方が、演奏会場においてと同様になるのです。君がスタジオ録音をするとしたら、その時はできるなら想像上の聴衆との関係を持つといい、つまり君の聴衆になる人、君の演奏に深く耳を傾ける人との、です。私はもちろん普通には、静まり返ったスタジオではなく、演奏会場で録音する方を選びます。なぜなら、想像上の聴衆のために演奏するより、演奏会場で演奏する方が、より自然だからです。しかし、私はどちらの録音の可能性も受け容れますよ。 GW:最近発売されたあなたのドイツグラモフォンのCDは、ベートーヴェン、ショパン、ブラームスの作品です。あなたのレパートリーははるかに大きい。何をいつ録音しようとするか、どのように決められるのですか? MP:沢山の作品が待機目録にのっています。そして先へ進むためには、選ばなければなりません。さらに幾つかの録音をできるように望んでいます。なぜなら私はそれをとても楽しんでいますから。 GW:あなたは今度ベートーヴェンのディアベッリ変奏曲を録音なさいました。この作品はその少し前に成立したソナタの偉大な変奏楽章、つまり作品109のフィナーレや作品111のアリエッタと、どの程度まで異なっているのでしょうか? MP:実際にアリエッタの主題とディアベッリ変奏曲の間には関連があります。作品111のアリエッタは、ディアッベリの主題に対するひとつの考えうる変奏の開始のように、ベートーヴェンの思索から生まれたのかも知れないのです。最初の二小節はまるで34変奏のようです。音符はディアベッリ変奏曲であるかのように同一です。その後に、独自の道を進むのです。大きな違いは、ソナタの変奏楽章においては、楽曲のはじめからベートーヴェン自身の偉大な主題がある、ということです。それによって物事はすっかり違ってきます。ディアベッリ変奏曲において主題は、それ自体が与えられたもので、音楽的に言うべきことの僅かなものでしかありません。それはベートーヴェンによって全く不承不承に取り上げられたのです。最初は彼は興味を持たず、依頼者に「ノー」と言いました。その依頼とは、ひとつの変奏を書き、他の作曲家のように出版する計画に応じよ、というものだったのです。そして変奏を書こうと決めた時、彼はそれを大きな一連の変奏曲集にしようと決心したのです。取るに足りぬ音楽の主題から、各楽曲ごとに発展していって、彼の書いた最も偉大で長いピアノ作品になった、これは非凡なことです。ディアベッリ変奏曲にあっては、作曲者の意志、即ちこのテーマを基に、その限界を引き受けつつ、各テーマの構造に注意を払いながら、可能な限り先へ進もうという意志が、持続されたのです。この印象の薄い開始から、音楽的表現のあらゆる可能性を展開していくことが、彼の想像力と作曲における非凡な卓越性を以ってしてどこまで可能であるか、ということを、ベートーヴェンは出来うる限り示したかったのです。 GW:「ディアベッリのワルツによる33の変奏曲」はいつもバッハの「アリアと諸変容」いわゆるゴールトベルク変奏曲と比較されますが・・・ MP:同一のスタイルです。しかしゴールトベルク変奏曲の場合は、とても美しい主題があります。 GW:今までにゴールトベルク変奏曲を演奏なさったことはありますか? MP:ありません。もしかしたら、ゴールトベルク変奏曲よりむしろ、平均律クラヴィア曲集の第2集をいつか演奏するかもしれません。第1集を、これはすでに演奏会場で弾いたことがあるのですが、録音するかもしれませんので、第2集も行なおうかと。 GW:それについては、すでに1994年にFONO FORUMでのインタビューでお話になっていますが・・・ MP:時は過ぎましたが、録音はまだ実現していません。 GW:あなたはどのようにして解釈をなさるのですか? ただ楽譜をよく見て、そこに作品に対するご自身の視点の可能性を追求されるのですか? その作品について他のピアニスト達のものをお聴きになることはありませんか? MP:ある解釈がいかに成立するかは、とても説明しがたいことです。なぜならそれにはとても長い過程があり、実際に何年も続くのですから。ピアノのレパートリーの重要な作品については、人は演奏しようと決心する前に、それを知っているのは当然のことです。そして大抵の曲について、すでにそれまでの人生で、偉大なピアニスト達の録音を聴いているでしょう。それは知識の部分です。そして人は曲へと至る自分の道を作る時、明白にも、一つの確かな結論に達するのです。おそらく、過去の卓越したピアニスト達と似たような解決に出会うでしょう、が、しかし、人は自分自身で経験しなければならないのです。
(「FONO FORUM」10/00 より)
|