ベートーヴェン「ディアベッリ変奏曲」を聴いて

これはネックレスだろうか。それともロザリオ?
ベートーヴェンから “不滅の恋人“アントーニエ・ブレンターノ夫人への贈り物。小さな珠の連なりは、一つ一つ色も輝きも異なって、それぞれに美しい光を放っている。
手にとれば、その重みとまろやかな手触りがしっくりと肌に馴染む。
ベートーヴェンが32曲のソナタの後に書いた、ピアノの傑作。彼の好んだ変奏曲という形式を徹底的に追究し、33もの小曲を生み出した大作。まさにベートーヴェンのピアノ曲の集大成ともいえる多彩さと多様さが、大きなスケールでしっかりした構成の内に完結している。
集大成といえば、同時期に書かれたピアノソナタや交響曲第9番、ミサ・ソレムニスもそうだろう。しかしこの33の小曲には、作曲とともにベートーヴェンの人生の集約という面も見えてくるように思われる。歓び、悲しみ、怒り、愛、孤独、嘆き、沈思、情熱、寂しさ、苦悩、慰め、誇り、安らぎ・・・それぞれ個性的な変奏に、さまざまな感情が投影されている、そう思わされるほど、ここには人間的な温もりが感じられる。

いや、純粋に音楽的に鑑賞すべきだ、変奏技法の粋を味わうべきだ、といわれるかもしれない。そうかもしれない。ここに示された変奏の多様さは、ベートーヴェンの作曲への興味、意欲、また歓びを物語っているのだから。

しかし、交響曲第9番を書いた人だ。この曲にもメッセージを込めていないとは言えないのではないだろうか。そして第9が人類へのメッセージとしたら、この曲はもっと、インティメートなメッセージなのではないだろうか。
32曲のソナタにおいて、それぞれに新しい道を追究してきたベートーヴェンが、最後の3曲で到達したのは、およそ人智を超えた世界だった。そこにはもうメッセージなどというものも存在しないほどに。それは天上の世界、また底知れぬ深淵へと、聴くものを誘うものだった。あたかも真理が美となって顕われたような、峻厳な、透徹した世界。これに比べれば、第9もミサ・ソレムニスさえも、天、神を仰ぎ見るという、人間的な世界だ。だが、たとえ一たびミューズに誘われて天上に至ったとしても、ベートーヴェンは人間なのである。喜びも、悲しみも、また苦悩も、彼とともにある。さまざまな想いは深まりこそすれ、決して失せることはないのだ。
ディアベッリの平凡なテーマをもとに、変奏技法の可能性を追究しつつ、それぞれの曲のなかに、その想いを反映させてきただろうベートーヴェンが、しかし最後に書きたかったのは、ひとつのメッセージだったのではないだろうか。

29変奏以降のハ短調の3曲。これは一つの世界だ。次第に表情を深めながら心の奥底にいたる過程。深く沈静し、憩い、そして安らぎを得て再生していく心のうちを見つめているような気がする。
その再生をもたらすものは、ひとつの愛だったのではないだろうか。一人の女性への彼の変わらぬ愛、そして一人の人間としての彼に寄せられる愛。その想いを得て、悟りともいうべき悦びと安寧の境地に達したのではないだろうか。31変奏の静かな優しい響きが、そんな想いに導いてくれる。
そしてハ短調から転じた変ホ長調のフーガの、力強く確信に満ちて拡がる世界。最後に置かれた下降し上昇するフレーズは、永遠を象徴するかのようだ。遠ざかり、また呼びかけるように響く、精妙な和音。そしてハ長調のメヌエットの愛らしい旋律が帰ってくる、彼方からのように。

明るく柔らかい光の下で、微笑んでいるベートーヴェンが目に浮かんでくる。優しく温かい、愛すべき人間ベートーヴェン。「楽聖」ではない、等身大のベートーヴェン。
しかし、なんとその大きく豊かなことか。
音楽の新たな道、より大きな可能性を、常に追究していたベートーヴェンは、それによって、自身の内面をも比類なく大きく豊かなものにしていったのだ。
アントーニエに送った愛のメッセージ。しかしこれは、また人々へのメッセージではないだろうか。人類へのではなく、個々の人への温かい呼びかけ、人生を肯定するメッセージ。

そしてこれが書かれてこそ、晩年の弦楽四重奏の傑作も生み出されたのではないかとさえ思われる。あの自由で、多様な、歌に溢れた、温かい、しかも高みと深さを備えた世界。いつも愛用のピアノで新たな道を探ってきたベートーヴェンである。このピアノの変奏曲は、集大成であるとともに、また新たな道を示す、極めて重要な作品なのではないだろうか。
これまで32曲のソナタ、特に後期ソナタに比べて演奏されることの少ない曲だった。テーマの平凡さ、変奏のみという書法、曲の長さ等いろいろな理由があるかもしれない。またソナタ第32番が超越的な作品であったからかもしれない。凝縮され、昇華された2つの楽章のこの曲で、もうベートーヴェンのピアノ作品は完結したと思われたのかもしれない。しかしベートーヴェンは更に新たな道を探求し、見出した、そう思わせるに足る充実した作品ではないだろうか。

ディアベッリ変奏曲。
ポリーニの演奏によって、今まさにその価値を明らかにしたと思う。常に真摯に、作品の真の姿を求め、美しい卓越した演奏で表現することに全身全霊をかけているポリーニ。この素晴らしい演奏を、一人でも多くの人に聞いて欲しい。ベートーヴェンを愛する人に、ベートーヴェンを嫌いな人に、ベートーヴェンを知らない人に。それぞれの想いで感慨深く聴かれるのではないだろうか。
私はこれまでもベートーヴェンの作品を愛してきた。が、今あらためて賛嘆の思いとともに感謝の気持が湧いてくる。
そして、同じ思いをポリーニに。
彼の共感に溢れた演奏が、作品の素晴らしさを確かに伝えてくれたのだ。そこにはポリーニの知的で深い理解とともに、彼自身の豊かで温かい人間性がある。
ベートーヴェンの魂を、ポリーニの手から受け取る。これ以上の幸せがあるだろうか。
時を隔てベートーヴェンに、同時代に生きる幸せを感じながらポリーニに、感謝を捧げたい。

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