1999年ショパン没後150年のショパンイヤーを記念して、4月に録音したポリーニの新譜が発売された。ショパンはポリーニにとって大切な作曲家であり、記念して演奏会に取り上げたり、録音するのも自然なことなのだろう。そもそも彼がピアニストとして世に出るのは、1960年のショパン生誕150年の記念すべき年のコンクールだった。西側からは初めての、そして審査員全員一致で優勝し、審査委員長のルービンシュタインをして「我々の中に彼ほど上手く弾ける者がいるだろうか」と言わしめたほどの実力を持つ彼は、その初々しく気品ある風貌も相俟って、まるでショパンの再来かと思わせられたことだろう。「ショパン弾き」というレッテルが彼ほど似つかわしい人はいなかったかもしれない。実際、優勝直後に録音した協奏曲第1番は、瑞々しい抒情性が感じられる清らかともいえる演奏で、新鮮なピアニズムの冴えとともに、鮮烈な印象を残すものだった。 しかし彼はそのレッテルを避け、というより彼にとっての自然な興味の対象である同時代の音楽への関心、またベートーヴェン等古典派への深い探求を目指し、そしてシューマンやブラームスというロマン派への愛着から、そのまま華々しく演奏活動を続けることをせず、約8年の間世界の楽壇から遠ざかって自己の世界を拡げるべく研鑽を積んだのである。
1968年、再びヨーロッパの楽壇に登場してすぐにEMIに録音したのは、ショパンのバラード第1番、ポロネーズ第5・6番などだった。テクニックの輝きはいよいよ増し、硬質なクリスタルのようなクリアな音色の、ダイナミックで強靭、しかも緻密さ・繊細さを併せ持った表現は、彼の一層の成長をうかがわせるものだった。しかし彼は8年の研鑽の結実をショパンの演奏のみでアピールしたくはなかったのだろう、レコード会社をDGに移して、まず録音したのはストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」であった。この、ダイヤモンドの輝きを放つような音の饗宴! まさに研ぎ澄まされたといった感じの技巧の冴え! 複雑なリズムも音符の錯綜も正確に弾いてのけ、難曲をそうとは意識させずに、作曲家のキラキラ輝く天賦の才と、曲の新鮮な魅力をあますところなく表現してみせたのである。それはまた、ポリーニ自身の才能の輝きと魅力でもあった。 その後の彼は古典派やロマン派の数々の名演奏とともに、自己のショパン像をもより深めてきた。次々と録音された「前奏曲」、「ポロネーズ」、「ソナタ第2・3番」、「スケルツォ」「舟歌」等どれも卓越した演奏であり、革新的な演奏であった。そこには、夢見がちなロマンチストのショパンはいない。理知的で醒めた目で自己を見つめ、端正な美意識と繊細な感受性を持つ、しかも内面には押さえがたいほどの激しい感情をたぎらせているショパンがいる。激しい熱い感情、しかしそれは赤い火がメラメラ燃えるような情熱ではない。他を燃やす炎ではなく、むしろ自分自身が燃焼し尽くしてやっと曲が完成したというような、聴く者の胸に熱く、激しく迫る力なのである。強靱な精神力をもって初めて統御できるような、緊張に満ちた曲として表現された、彼の内面の孤独な闘いなのである。ポリーニは極度の集中力をもって、一音一音に精魂を込めて演奏する。それが彼の音の密度の高さとなり、聴く者の耳には哀切なまでの美しさとして響くのである。 そして一方、美しく穏やかで、聴く者に優しく語り掛けるようなノクターンや、緩やかに静謐を湛えて奏される緩徐楽章や小曲は、安らぎを希み、慰めを求めたショパンの、自らの心を癒やすものなのだろう。本来の彼、静かで気品のある、ウィットに富んだ、周囲の人々が愛さずにはいられない彼自身を、素直に表わしたのだろうと思われる。おそらくショパンは彼が愛した人々や祖国に思いを馳せながら、また、彼を愛した人々を想いながら作曲したのだろう、憧れと詩情に満ちたこれらの曲を、ポリーニはどの一音にも感情を込めた絶妙なニュアンスで、優しく温かく、しかし決して感情に溺れることなく演奏する。涙に濡れたショパンではなく、サロン風なエスプリを発揮するショパンでもなく、一人の孤独な人間の自己との対話として曲に込められた思いが、真摯に描き出されるのである。
今回のポリーニの新譜は、彼のこれまでの演奏活動を再確認させ、また新たな喜びを与えてくれるものだった。輝かしい音、ゆるぎない技巧、ダイナミックなそしてニュアンスに富んだ表現はまさに変わらぬポリーニ独自の世界だ。バラードはより激しい、より深い感情のこもったものになり、またロマンの翼を大きく広げた自在さに溢れた演奏となったが、しかもよく評された「大理石に刻んだような」作品の姿は損なわれることなく毅然として立っている。大理石の像に命が宿り、温もりが生まれたと言おうか、いや熱い血が流れていると言うべきかもしれない。第1番はショパンの作品の中でも最も美しい名曲と思われるが、新しい形に挑んだ作曲者の意志を捉えた、劇的でありながら端正な、詩情豊かな演奏である。第2番ではショパンの慟哭が激しく胸を打ち、第3番の抑えきれずに心から飛び立つ想い・憧憬が切なく美しい。そして第4番の繊細な音で構築される詩人の像の真実。ショパンの「完璧」な美の世界が脈うち、息づいているかのようだ。
この美しくも峻厳な演奏を聴いていると、ショパンが若くして生涯を終えねばならなかったのも無理からぬことと思える。心の中の嵐を静めかね、燃えるような憧憬に焼かれながら、まるで身を削るように、血を吐くようにして尽きせぬ想いをピアノに託したことだろう。そして数々の高貴な宝石のような美の結晶を残した生涯は、短かすぎるとはいえ、天賦の才能を活かしきったものだったのではないだろうか。 |