第4夜です… 《おじさん》さん 皆様、プロジョクトポリーニもほぼ半ばに来ております。私は、前回、ちょっと寒かったので今日は一枚上着を持って来ました。ポリーニは、日本の秋は初めてだと思われるのですが、だんだん秋が深まっていく日本は、ポリーニの眼にどう写ったでしょうか… あゆみ様、ボーナスCDを見ました。(⌒ー⌒)←こんな気持ちです。若いですね〜 10代の頃のポリーニ(当たり前ですが…)。まるで、ニュースフィルムみたいでとっても面白いですが、やはりすべてを見てみたいです。ヨアヒム・カイザーが書いたベートーヴェンのピアノソナタの本、ポリーニが本格的にレコーディングする前に書かれた本なのですが、それでも「熱情」の項目にポリーニが登場してきます。それが何と、「1966年に収録されたポリーニのフィルムを見ると」(←記憶だけですので合って無いかも知れません… 本は実家に置いてあるので…)って書かれてるではないですか!! ああ見てみたい〜! ホワイティー様。第2夜のライヴ・エレクトロニクスの事、興味深く読ませていただきました。ありがとうございます。私ももっと良く見ておけばと後悔しております。「ソッフェルテ・オンデ・セレーネ」の楽譜は私持ってます。CDが発売された頃1980年前後に買ったRICORDIから1977年に出版されたものです(当時2400円!)。普通の楽譜を開いたぐらいの大きさで、白い表紙の中央の赤い四角の中に赤い文字で「LUIGI NONO…sofferte inde serene…PER PIANOFORTE E NASTRO MAGNETICO」と書かれていて、当日、ポリーニが持って出たのを遠めに見ても同じ楽譜だったと思われます。確かに手書き譜を印刷した楽譜です。楽譜にはテープの音の部分は一切書かれていません。「ピアノ譜の上下に太く横棒や点線が引いてある様な部分」というのは、上は大体テンポの指定です。♪=60 RALL.−−−→♪=44(点線は実際は線です)という感じです。RALL.はラレンタンド(だんだん遅く)の略。他に、ACCEL アチェルランド(だんだん速く)も書かれています。下の線は、PED.とSORDINAのペダル(ようするに一番右と一番左のペダル)をどこまで踏む、という事が指定されているのです。空白の部分はテープだけの所で、空白の前に「TENUTO AL RIFERIMENTO 2 f-ATTACCA DOPO 3" ca.」とか書かれています。で、最初のページに、「RIFERIMENTI AL NASTRO MAGNETICO」と題して説明が書かれていて、図も合ってスピーカーはピアノの後ろに4つ置かれる事が書いてあります(あれま! そうだったんだ!!)。で、 1= 54"= f-attacca dopo 3" ca. 2= 1'56"= Attacca dopo 3" ca. 3= 2'57"= Attacca subito とか、全部で8まで書かれています。おそらくテープの部分が8つに分かれていてその時間に流す事になっているのでしょう。(私は、音楽用語以外のイタリア語は全くダメなので、すみこ様、皆様助けてください。) 今回、テープと生ピアノがはっきり分かったので、この難解な楽譜を見ながらまたゆっくりCDを聴き直しています。前は生とテープの違いがあまり解らず、すぐに楽譜から落ちてしまっていたんですが、今回を聴いたおかげで、CDでも区別が付くようになり何とか最後まで楽譜を見れました。 さて第4夜です。何と言ってもシューベルトですから本当に楽しみでした。バルトークから始まってチェンバロとノーノですから、今日はますます耳はダンボになります。それも最初からですから… 開場してまもなく客席に行くと、アンジェロ・ファブリーニ氏がまだピアノを調整しています。ギリギリ最後までまで納得がいくようにしているのでしょう。もっと早く来れば良かった。見ていると、最後にペダルの様子を確認し、ピアノの足の根元を揺らして軋みの確認もしています。 さていよいよです。シェーンベルク合唱団が登場してきます。全部で48人。男声が21人、残り27人が女声です。しかし、1曲目は男声合唱だけなので男声が前に居ます。あとテノール独唱。ああ、何て美しいピアノの音でしょう。今回のポリーニは伴奏のはずですが、私はポリーニの音だけに集中します。やはり、ホールの狭さが救いになって良く聞こえます。ニュアンスの一つ一つまで手に取るよう分かります。ああ、何て美しいピアノの音でしょう。 テノールも合唱も、もう最初からハイテンションで素晴らしい声とハーモニーです。考えてみれば伴奏が主役の演奏会なんて、昔、ジェラルド・ムーアの引退公演の時以来でしょう。きっと… 伴奏がこれだけ表情豊かに歌っていると、ホントに歌う方も大変だな、と思ってしまいます。2曲目は女声合唱の曲。合唱団はパッと移動して、今度は女声が前になります。今度は「葬送曲」。あまりにも悲しい美しい音楽です。次の「セレナーデ」はアルトと男声。プログラムを見ると、どうもこの編成は珍しいようですが(普通は女声のようです)。とにかくピアノが素晴らしい。ずっとこの時間が続いて欲しい〜 でも、白眉は4曲目の「ヴィルヘルム・マイスター」からの歌D.877でした。ソプラノのユリアーネ・バンゼさんが素晴らしく、4曲目はさすがの私も歌を聴きました。でも、伴奏のポリーニも素晴らしい! 相乗効果でもう至福の時間です。ほんとうにずっと続いて欲しい時間が、それが無理なら少しでもユックリ過ぎ去って欲しい… 第3曲、ピアノの左手が1回、右手の和音が3回の、ブン・チャッ・チャッ・チャッ、ブン・チャッ・チャッ・チャッの伴奏の典型みたいな音楽が、何と表情豊かに流れて行く事か… 一つ一つの音が、生き物のように蠢(うご)めいて、歌をやさしく導き、また最良の伴侶のように寄り添い、もう、言葉ではとても言い表せない感動の現象がそこに現れています。最後の和音にかぶさるように携帯でしょうか電子音。私の席からは遠かったので許せる範囲でしたが何とかして欲しいものです。そして第4曲目の開始と同時にピアノが軋みました。あんなにやさしく弾いているように見えて、実は、ピアノは出し切れるだけの力を振り絞っているんだなと、なんだかピアノの悲鳴のように聞こえましたが、その後の歌もピアノも最高の一言でした!!! ついに演奏が終わってしまいました。もう、ありがとう、の拍手しかありません。私の耳が、今日のシューベルトを一生忘れる事が無いように祈りながら拍手しました。 これで今日のポリーニは終わりですから、私は少し気が抜けましたが、次の弦と男声の曲の弦のチューニングの音を聞いていや〜な予感がしました。何と暗い重い音。曲が始まると、案の定、弦のハーモニーがとっても暗くて辟易しました。シェーンベルク合唱団の男声陣もさすがに引っ張られています。落ち着かない暗めのハーモニーで曲は進みます。さっきまで、煌めくハーモニーで満たされていた空間は一転しました。そして携帯のアラームの音。今度は私の近くで延々と鳴っているのでさすがにプッツン来そうです。携帯のアラームは、電源を切っても時間が来れば鳴るのです。ああ、もう、どうでも良くなって来ました。 シューベルト最後、前半最後の詩篇はバリトンと合唱でしたが、出だしの合唱団員の中の四重唱も、やはり前の曲のハーモニーの影響で、響きが暗く乱れています。しかしバリトンの熱唱のおかげで合唱団も何とか持ち直し、後半は、四重唱もピッタリ決まり、また煌めくハーモニーにホールは満たされて行きました。 休憩後は、ア・カペラばかりですから、今度は思う存分にシェーンベルク合唱団を堪能出来ます。開演直前にポリーニ登場。中央左のドアから入ってすぐそばの横席に座ったので、気がつかなかった人も居たかもしれません。 1曲目はリゲティの「ルクス・エテルナ」という曲。リゲティらしいフレーズの長い長い、そして微妙な音程の音楽で楽しめました。次が私の苦手なクセナキス。「夜」です。私には、とっても押し付けがましいやかましい音楽、という風に聞こえるのです。今日は生演奏なのでしかたが無く聞きだしました。 しかし、これが、背筋が凍るような恐ろしい音楽で衝撃を受けました。プログラムによると言葉は音素を音節を合成したもので意味は無い、と書かれています。では、このやかましさはいったい何を伝えたいんだろう。歌詞がある歌は、何人で歌おうとも、伝えたい事はその歌詞に書かれている事です。しかし、その歌詞が無い。そのうち、何かの映画の効果音に聞こえてきました。画面に、口々に何かを喚いている人々の顔が次々に現れては消えていく、そんな画面が頭の中に浮かんできました。それぞれが勝手に関係の無い事を喚いている、ちょうど舞台の上でも合唱団がそういう感じで喚いています。偉そうに咳払いをするような声、都会の喧騒を描写したような音、自然の音を描写したような音、広い講堂で大勢の人が無駄口をたたいているような雑然とした雰囲気。そうだ、プログラムに4人の若い政治犯と名前するわからずに忘れ去られた何千もの人たちのために献辞が付されている、と書いてあった。さっきの偉そうに咳払いをしていたのはきっと有力な政治家か。口々に何かを喚いているのは、その周りの取り巻きか。そういえば、口笛とか出てきたし、これは国会中継で聞けるような野次の声なのか。そうか、クセナキスは、意味を持たない声を使って、逆にどこの言葉でも通じるような、無意味な論争。時間つぶしだけの会議。無駄なおしゃべり。なにより、ギリシャが軍事勢力化の暗黒の独裁政権に突入した時に書かれたというこの曲は、そういう政治的な現象を表出した音楽ではないのか! 今の世界情勢を痛烈に風刺している音楽ではないのか! 私はとても冷静には聴いていられませんでした。最後は、人のうめき声、それも、なにか拷問を受けているような悲痛なうめき声、断末魔の声、それが、途切れて、つまり、死で終わる。このような強烈な音楽は大変つらいです。唖然としてしまいました。 しかし、何事も無かったように、次の曲が始まります。シェーンベルクの「深き淵より」。合唱の中にしゃべる所があるという合唱曲は結構たくさんありますが、私は初めてそれを音楽、という風に捕らえる事が出来ました。最後の「地には平和」は本当に美しい音楽でした。 ポリーニは最後まで席に居たので、近くに居た幸運な人は、話しをしたり握手までしています。うらやまし〜。今日で紀尾井ホールは終わりです。この紀尾井ホールの広さも今日のショックの重要な鍵だったと私は思います。やはり広いと密度が薄まってしまう気がします。客席にポリーニが居て、そういう風景も見れるのも、やはり狭いホールならではの一体感の成せる技のような気がします。私は、前半のミニョンの歌と後半の「夜」で上から下まで揺さぶられてしまいました。ポリーニも罪な事をしてくれます。今日のコンサートは、祈らなくても一生忘れられないコンサートになるでしょう。 11/01(金) 02:17 |
Re:第4夜です… 《すみこ》 おじさん様、いつも詳細なご報告をありがとうございます。第4夜も素晴らしかったですね。 ポリーニのピアノは本当に美しく、「合唱を伴奏にしたピアノ伴奏」って、初めは感じたほどでした。でも、その伴奏にノッて、歌手たちの表現力も発揮されて、全体として感銘深い音楽が聴けました。後半は・・・「夜」がショッキングでした。。。 「…ソッフェルテ オンデ セレネ…」の楽譜をお持ちだったとは! テープの部分は空白、とは知りませんでした。 「TENUTO AL RIFERIMENTO 2 f-ATTACCA DOPO 3" ca.」は「約3秒後にRIFERIMENTO 2に音を保って(tenuto)つなぐ(始める、attacca)」でしょうか。"RIFERIMENTO"は「引用、参照」でテープの部分を指すのでしょう(多分)。f-は判らない(フォルテかしら?)、subitoは「すぐに」です。 こんな指定で生のピアノを合わせるのはどんなに集中力が要ることか。 「RIFERIMENTI AL NASTRO MAGNETICO」は、磁気テープに関し(=riferimento)て、ですが、「スピーカー4つ」というのは、基準(=riferimento)として、ということなのかしら・・・(よく判りません、ゴメンナサイ) 紀尾井ホールは、とても響きの良い、気持ちの良いホールでした。ポリーニも満足そうでしたね。 前半終了、ということででしょうか、会場で感想を求めていましたが、皆さまはお書きになりましたか。私は家に帰ってじっくり書こう、と持ち帰りましたが、サントリーでも受け付けてくれるのでしょうか? 一言「マエストロ、ありがとう」とでも書いておけばよかったかな(感想になってない。。。) 11/01(金) 14:03 |
夢のような一夜でした 《ホワイティー》さん まだ、昨夜の余韻にひたっています。期待通り、いや、それ以上で本当に楽しかったです。 その前に、おじさん様、ノーノの楽譜の件ありがとうございます。すみこ様の解説と併せて漠然と判ったような、、、 ともあれ、今後、この曲を聴くにあたりとても参考になりました。 さて、第4夜、伴奏者としてのマエストロの偉大さを改めて強く感じました。 一般的に、ソリストは伴奏がへた(器楽のみならずソロの声楽家も合唱がへた)ではないでしょうか? ソリストは持てる力を最大限発揮して個性的に演奏するからです。目だってなんぼ、なのでしょう? これに対して伴奏ピアニストは、ソロや合唱をひきたてて活かすことが使命です。立場は対等か、もしくは曲によって異なるでしょう。(対等、もしくは主役になれるだけの実力を持つソロ歌手、合唱団が相手であることも重要ですが) また、相手の呼吸に合わせて柔軟に対応できることも必要です。しかし、だからと言って伴奏ピアニストは、完全に陰に隠れてしまっては困ります。合唱がオブリガートになって逆に伴奏部分を引き立てる部分もありますし、前奏、間奏、後奏でピアノソロになる部分もありますから、そういう時は目だたねばなりません。 その意味で、昨夜のピアノ伴奏は完璧でした。昨夜もオペラグラスで食い入る様に見つめていましたが、全体的に軽やかに演奏しつつ、Standchen 中間部の掛け合い部分では主張すべきところはしっかりと主張し、そして目だってはいけない部分でのsubito PPには思わず息を呑みました。(昨年リストのソナタの最後の部分を慈しむ様に、壊れ物を扱うかの様に細心の注意を払ってためらいがちに弾いた光景が一瞬フラッシュバックしました) Nachthelle もそうでしたが聴いていて、あぁ、こんな伴奏で唄うことができたら、とため息がでました。 ちなみに、おじさん様の Standchen は女声合唱が普通 に関して。依頼者が女声で唄いたいから、ということで、女声版にも作り直したのは事実ですが、実際の演奏に関しては男声版が一般的であると思います。 私はまだ女声版は聴いたことがありません。そもそも歌詞をご覧いただくとお判りになります様に、 Standchen は夜這いの歌です。主人公は当然男性で、(ギター等の弦楽?)伴奏者と連れ立って愛しい女性の家へ出かけて愛の歌を奏でようとしますが、女性の方は完璧に寝てしまっていて出てきてくれません。 挙句の果てにまどろみが一番と言い訳をしながらすごすご退散する、というちょっと哀れな歌です。 詩を書いたグリルパルツァーがまず問題なのでしょうが、頼まれて疑問にも思わずに素直に女声用に作曲してしまうシューベルトもどうかと思いますね。でも曲はなんて素晴らしいのでしょう。 ところで、今回の曲目が決まった時に私は以下の様に書きましたが、 > 1. シェーンベルク合唱団(TELDEC)7枚組と1枚の抜粋盤。抜粋の中に 明るい夜 5:49、セレナーデ 5:30 >個人的には、明るい夜 は 4分代の演奏がイメージにあるので、5:49 もかけて唄われると違和感がありますが、 > マエストロはセレナーデを30秒程早く弾いていますので、明るい夜 ももう少し早く弾いてもらえるかなぁ、 > と期待しています。 CDよりずっと速いテンポでした。願いがかなってとても幸せでした。 もともと Nachthelle は楽譜上のテンポ指定がゆっくりだったと思いますので、大半の演奏が指示通りゆっくりなのだと思いますが、あまりゆっくりしてしまうと鈍重になって 夜は清らかで澄んでいる という感じではなくなってしまいます。その点、昨夜はほんとに軽やかで、また、テナー・ソロも良い雰囲気で最高でした。 ということで昨夜の演奏はオルトナーさんのテンポではなく、マエストロが主張したテンポなのでしょう? 水の上の精霊は、おじさん様のご指摘の様に弦楽伴奏が残念でした。(せっかく初めて生で聴けたのに) きっとあの人達は伴奏などしたことがなかったのでしょう。(今の芸大は合唱指導の授業も無くなっている様ですし) 中間部分で、うねるように上下動する部分は、ベース(バス)と弦楽は同じ音形なので、本来、声の方を浮き上がらせる様に控えめに演奏するべきなのに全く逆で合唱を殺してしまっていました。 あれだけ目一杯弾くのであれば、編成は半分にするべきだったでしょう。 後半も楽しみました。夜 は唄い方のある部分が間宮さんの俗謡をモチーフにした合唱曲を連想させて、(シュメール語とかと通じるものがあるのでしょうか?)興味深かったです。それにしても題名はなぜ 夜 なの? 前半のシューベルトの夜を題材にした2曲とは雰囲気が全く違いますね?(歌舞伎町の雰囲気?) 最後のシェーンベルクの2曲。深き淵より を聴いた後に 地には平和 を聴くと 後者がごく普通の合唱曲に思えてとても不思議でした。最後の長いハーモニーがとてもきれいでいいエンディングでした。 昨夜は合唱仲間数人も来ていて、皆、一様に満足して幸せな気持ちでホールを後にしました。 四谷の居酒屋での談話も大いに盛り上がりました。 アンケートは、昨夜の素晴らしさ、プロジェクトの素晴らしさと感謝の気持ちを書くとともに、繰り返して、今後も小編成のプログラムをサントリーではなく、紀尾井で行なって欲しいとの要望を書きました。 (儲からないから梶本さんにボツにされているかも、、、) 第5夜も楽しみです。 では、また。 11/01(金) 15:34 |