ポリーニは語る(2)
〜『la Repubblica』Interview 〜

トリノのインタビュー
CHOPIN AL LINGOTTO

Pollini: "Amo Torino capitale della classica"

ミラノのピアニストは今夕Auditoriumで
"Settembre Musica"と"Unione Musicale"のための特別コンサートで演奏する

interviewer:SUSANNA FRANCHI

いつ頃からトリノに来ているかって? ずっと前からですよ。たしか室内楽の会、今ではもうなくなってしまいましたが、そのために演奏したんだと思います。1965年に初めて Union Musicale の客として、Giorgio Balmas の招きで来たのです。バルトーク、スクリャービン、それにショパンを弾きました。それから何度も、リサイタルやオーケストラと一緒に、Union Musicale や RAI や Settembre Musica のために来ました。

(トリノでの演奏会で思い出されることは何ですか?)

一杯ありますよ。一番よく思い出すのは音楽の夕べのことです、振り返ってみると本当に多くの時が経ったと思いますね。1969年に Union Musicale の「現代音楽との出会い」という分野のために来た時のことを思い出します。それは Balmas の計画したもので、そこでブーレーズの第2ソナタを初めて弾いたのです。Balmas とは友人になりました、残念ながら今は音楽団体の仕事を余りしていないのですが、彼はここイタリアにいる最も優れた、非常に誠実な主催者の一人です。トリノにはほかにも Pestelli や Restagno のような友人がいて、彼らとは先週ミケーリ・コンクールの審査を一緒にしたのでよく会いました。

(ミケーリ・コンクールといえば、1994年の初回には、トリノ出身の15歳のカシオーリが優勝しました。その時も審査員でいらっしゃいましたね)

ええ、カシオーリは素晴らしいキャリアを築いています。とても知的なピアニストで、当時もう既にその年令としてはとても成熟していて、ピアノの作品に非常に広いビジョンを持っていました。彼の活躍はとても嬉しいですね。

(私達トリノ人はこの町を音楽の都として誇りに思っているのですが、それは正しいでしょうか、それとも大げさですか?)

トリノは音楽にとって非常に重要な都市です。Sistema Musica のような素晴らしいイニシアティブのことを思います。Balmas が始め Restagno が受け継いでいる現代音楽のために、トリノでどんなに多くのことが為されたか、と思います。今日の音楽へのこの注目は、全イタリア中どこでも模倣されているとしても、しかし、このレパートリーにとっては、やはり少なすぎます。Settembre Musicale のようなフェスティヴァルは、聴衆を増やすには基本的なものです。とりわけ、クラシックの聴衆を広げる、また未知のレパートリーを選ぶ、という二つの目標を常に持っているからです。

(ニューヨークのコンサートから戻られて間もないのですが、9月11日後のニューヨークで演奏されて、どんなお気持ちでしたか?)

A Ground Zero, 何日も過ぎていたにもかかわらず、二つの塔の残骸はまだ煙を出していました! 非常に心を打たれたのは、多くの人と出会いましたが、演奏会の初めに一人の消防士とジュリアーニ市長がスピーチをし、音楽会や文化的な活動に通うことを再開しながら、立ち向かって欲しいと、聴衆に訴えたことです。

la Repubblica 2001/10/23

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