ポリーニは著す
〜『DOMENICA』〜

「私のショパンを語る」
VI RACCONTO IL MIO CHOPIN

マウリツィオ・ポリーニは、ポーランドの作曲家の、未知の個人的な肖像を描く。
そして彼に現代性を取り戻させる。

ショパンは、伝えられるように女性的で感傷的な人ではなかった。
弱々しいにも拘らず、彼はfffの“フォルティッシモ”を書いたのだ。
―ワルシャワのコンクールで優勝した時、審査委員長だったルビンシュタインが語っていた―

『秘めた思策を潜めていない音楽はどれも、私は大嫌いだ』

ウィルヘルム・フルトヴェングラーのような大指揮者が、ピアニスト達のショパンを羨ましがっている。彼の魅力に、その惹きつける能力に抗うことはできない。ショパンは大作曲家達の一員であり、しかも比類ない、ユニークな、素晴らしいピアノの書法を生み出した創始者であった。これが、音色の魅力と同時に、稀有の音楽的内容を持つ音楽家、ショパンの二つの面なのである。

歴史的に見てショパンは、ドイツの伝統から離れてピアノを考えた、最初の大作曲家だった。ベートーヴェンとシューベルトが没したばかりで、クレメンティがいた、そのことはとても重要に思われる。ウィーン的な創作はもっぱら新しい楽器に具現していた。そこへ、貴族的で教養豊かなワルシャワから、殆んど教師なしで、彼がやって来たのである。そして彼の音楽的個性は、伝統との相性の良さをなにも持っていないことが、すぐに明らかになった。ショパンは、独特の作品でピアノの完全な範例を成し遂げた外国人として、注目を集めたのである。それは前例のないことだった。

彼はバッハとモーツァルトを愛し、ベートーヴェンとシューベルトには親近感を覚えなかった。バッハとモーツァルトは古典的完璧さのノスタルジーを代表するものである。あのアルトゥール・ルビンシュタインが言ったという、ショパンは古典派でベートーヴェンはロマン派だ、というのは、私には“洒落”とは思われない。信頼できる証言がショパンの仕事の仕方のさまざまな模様を語っている。最初は非常に興奮した空想、創造の熱に浮かされた状態が際立っている。次に、反対の性格が明らかになる、そこでは理性的な明晰さが、形式の最高度の完璧さへの願望に合致しないものを、全て取り除くのである。例えば、ショパンの自筆稿で、バラード第2番の終結部は、常に同じ和音を使いながら、4つの異なる方法で書かれているのだ。同じ素材が時には大きな壮麗な形で示され、また時にはより素朴な、心の琴線に触れるような書法で整えられているのである。

ショパンはいつも満足できず、マニアックなまでに厳格だった。決してメソメソした女性的な音楽家ではなかったということは、今日ではほぼ再確認され、克服されている。そのような見方は多くの独創性のない文学が伝えてきたもので、すでにルビンシュタインがすっかり一掃したのだったが。本当は、彼の演奏の丸みのある音色のことも、大きな客観性をもって論じられるべきことである。

ショパンの音が非常にか細いものであったことは、同時代の人の話で我々も知っている。とはいえ、彼の容姿は非常に痩せていて、サンドの若い息子より体重も少なかったのだ。しかし同時に、彼の音楽の中には、とても頻繁に3つの“f”の“フォルティッシモ”が要求され、一方“ピアニッシモ”はそれほど多くはないのである。さらに、強さということを越えて、書法が大きな音を得るように整えられているのだ。常に美しくあるべき響き、音色に加えて、ショパンは力強い、強靭さに満ちたピアノを、きっとイメージしていただろう、それは並外れて広い強弱の範囲に及び、また「できるだけ強く」響くのである。

論破すべきもうひとつの先入観は、ショパンの中に本質的に純粋なメロディストを見ることである。彼の伴奏(例えば前奏曲)ははっきりした輪郭の構造をもって、絶え間ない創作力を現すばかりでなく、とりわけその和声は、新たな完成の領域を探っていく。ショパン的な和声は作曲家の最も現代的な面を表現しているのである。

妙技もまたショパン的書法に、基本的に存在するものだ。練習曲の中で、協奏曲の中で、まるで究極の結論へ持って行きたいかのように、物質により負わされた肉体の限界が明らかにされる。作品10の最初の2つの練習曲、No.1は手を通常ではないほど広げることを想定し、No.2ではいわゆる弱い指を活用するのだが、そこに見られるように、彼の練習曲は演奏者への挑戦であり、天才的な技法の創作なのである。

このタイプの妙技では、おそらくロッシーニとパガニーニの例の外には、ショパンに先例はなかった。ソナタ形式の天才的な使用を忘れてはならない。その規則に対してショパンは、重要な2つのソナタにおいて、月並みな反復の定型を避け、先入観にとらわれずに、暴力をふるった―こんな風に、規則に拘る人は、ルールに従うことを弁えぬことで、彼を非難したのである。しかし彼の中には、まさに形式を刷新したいという、この意欲があったのだ。ショパンは音楽的に完璧な有機体を作り出すことを、志していたのである。そして音楽に対する彼の理念を説き明かす言葉がある。
「秘めた思策を潜めていない音楽はどれも、私は大嫌いだ」

私は実際に、ショパンをずっと前から弾いていた。'57年に練習曲をミラノの演奏会で弾き、1960年にはワルシャワのショパン・コンクールで優勝をした。18歳だった。審査員は東欧の音楽家達が優位で構成され、そこに委員長としてアルトゥール・ルビンシュタインがいた。最後にやっと、私が勝ったことに気づいたのだった。3回の試験と、そのためにあの時期に有していた活力のことを、よく思い出す。演奏は時が立つにつれ、変わっていく。それは当然のことなのだ。深く掘り下げていって、正反対ということはないが、絶えず豊かになっていく。今私は、できる限りの範囲で、ショパンの記したオリジナルの資料に従おうと思っている。印刷版には、ほとんどいつも誤りがあり、さらに悪くすると、修正がなされている:彼の書法を“正常化”するやり方で、時には、伝統的な規則によれば間違って鳴る音を、まるでそれが誤っているかのように、取り除くことさえやっているのである。

しかし、断固とした創作の斬新さの中に、ショパンの現代性は存在するのである。

ここ数年、チクルスのために企画したプログラムを考えるよう、私に依頼があった。ニューヨークでは“Perspective”と、ザルツブルクでは“Kontrapunkte”と名づけられた。いくつかの演奏会の中で、歴史的時代では非常に隔たり合い、しかし共通の糸で結ばれた作品が演奏された。そこにはいくつかの初演もあった。例えば、カーネギーホールのプログラムには、ニューヨーク初演の分野があり、エリオット・カーター(What Next?、オーケストラのための)、ピエール・ブーレーズ(Notations 7)、ジャコモ・マンツォーニ(Trame d'ombre)、ルチァーノ・ベリオ(Altra voce)、それにファーニホウとシャリーノの2つの完全な初演が行われた。復活祭音楽祭の中で組まれたプログラムには、ベートーヴェンの珍しい作品(カノン、歌曲、室内楽)とベリオ、ブーレーズ、シュトックハウゼンの小品が交互にあり、2つの完全初演、ビート・フラー(voices-still、合唱とアンサンブルのための)と、マティアス・ピンツァ−のtenebra(ヴィオラと小器楽グループのための)があった。彼は30歳で、作曲をし、彼自身が指揮したのである。初演に関していつも思い出すのは、フランコ・ドナトーニ(Poll)、アドリアノ・ガルニエリ(Pensieri canuti)のことで、2年前の夏、ザルツブルクの夏の音楽祭の中のチクルスで紹介されたのだった。

これらのプログラム全ての中で、古典のレパートリーの一部、というより音楽語法の発展において著しい重要性を持つ作品が、現代の音楽の近くに位置を見い出すのである。例えばこんな風に。カーネギーホールで、ショパンの24の前奏曲はシェーンベルク、ベルク、ウェーベルンの作品と並べられた。或は、幻想ポロネーズで始まる演奏会は、リストのソナタ、リゲティの弦楽四重奏第2番、バルトークの四重奏4番へと続いた。さらに、ベートーヴェンのハンマークラヴィア・ソナタはシェーンベルクの作品11の小品、シュトックハウゼンのピアノ曲第10と共に演奏された。オケゲムのMissa prolationum―シェーンベルク合唱団に任せられた―は、対位法の非常に複雑な作品だが、シューマンのクライスレリアーナと同じ夕べに、その前に置かれていた。

古代の音楽と現代の音楽は、我々がより親しんでいる音楽と比べると、異なった語法で表れている。しかし、音楽はその黄金時代のものだけではない、私達は考えているよりもっと大きな音楽的財産を持っているのだ。そして特に、現代の成果を生かさなければならないのである。

今日、世界中に、数えきれぬほどの作曲家がいて、非常に多くの作品が書かれている。いつでも多くのものが書かれていた:バッハにも、実際に可能と思えぬほどの、非常に豊かな時代があった。しかし、私達の時代の音楽はしばしば演奏されずにいる。多くのスコアが音のないまま、紙の上のみに存在している。たとえ演奏されても、レパートリーには入れられない。私自身は、その作品全てから何かしら重要なものが出てくるので、より注目に値すると考えている。いずれにしろ今すでに、ピアノのための新しい作品、生成する書法の原点として、くっきりと姿を現したものがある。ブーレーズの3つのソナタ、シュトックハウゼンのピアノ曲のことだ。それらは感嘆すべき作品、独創性をもって、過去の偉大な作曲家と比肩し得る音色で書かれた音楽である。昨年、ニューヨーク、ロンドン、ケルンで、ブーレーズ指揮のロンドン交響楽団と共に、サルヴァトーレ・シャリーノの新しい作品を初演した。ピアノと管弦楽のための協奏曲Recitativo oscuro、とても深く、悲しみに巻き込むような作品であった。

聴衆は今日、怠慢から一新され、よりよく知らされるようになるだろう、また、若い人々はこの音楽の存在に、知識をもたらされていくことだろう。工場や、音響的に音楽には全く適さぬ場所で、演奏会を行った時代に思いを馳せれば、それは済んだ体験であることを今は批判的に認めよう。しかしながら、当時の課題はそのままに残されている。それは、より広い聴衆のもとへ、より新しい形で、さらに音楽が拡がっていくこと、なのである。

(IL 24ORE, 2001.6.10)

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