ポリーニは語る(5)
〜Interview in Lucerne Festival〜
ルツェルン音楽祭のインタビュー

Freiheit in der Interpretation
演奏における自由

《ルツェルン・フェスティヴァル2004のモットー「Freiheit(自由)」についてうかがいます。ピアニストにとって、解釈の自由は存在するのでしょうか?》

まず明らかにしておきたいのは、私は楽譜に忠実であることの重要性を信じているということです。なぜなら、楽譜を忠実に読むということは20世紀に達成された成果―トスカニーニが確立しました―であり、もはや私達は、決して後戻りはできないと思うからです。

♪ベートーヴェン(テンペスト第3楽章)

《マウリツィオ・ポリーニは作品に忠実で、真剣で厳格です。彼の演奏は、感情を前面に押し出したり、パフォーマンスに走ったものとは対極にあります。彼にとって重要なのは、音楽と作曲家なのです。彼は、解釈の自由に関する最初の質問に次のように答えています。》

私は楽譜に忠実であることの重要性を信じています。けれども、楽譜を尊重するそのことによって、私達は完全に自由になり得ると、確信しているのです。
問題は、楽譜を自分自身のものにすることにあります。クラシック音楽には、ウェーベルンやシュトックハウゼンらの現代音楽も含めて、非常に多くの指示が与えられています。ここにはフォルテ、あそこにはピアノ、ここではアッチェレランド、そこにはリテヌートといったように。もちろんこれらの指示はすべて守らねばなりません。
とはいえ、それだけでは充分ではありません。私達はこれらの指示がすべて「なぜ」与えられているのか、理解しなければならないのです。つまり私達は、作曲家の思考や感情を自分自身に注入し、なぜここにフォルテと書かれているのか、なぜそこにその指示が与えられているのかを理解して、それを自分自身のものにするのです。
こうして、作曲家の内面に至るための、作曲家と、また音楽との精神的な一致を得るための、最良の成果を得られるのです。この場合に、私達は完全に自由なのです。

《聴衆もそれを理解するのですか。》

だといいですね(笑)。

♪ベートーヴェン(「テンペスト」第3楽章)

《ポリーニという演奏家は二つの人格の間を行き来しています―作曲家とポリーニその人の間を。彼は愛してやまないベートーヴェンについて語ってくれます。先日ニューヨークで行われたベートーヴェンに関する展覧会で、ポリーニはベートーヴェンのメトロノームをテストする機会に恵まれたのです。》

ええ、その展覧会では貴重な自筆譜とともに、彼のメトロノームが展示されていました。
ベートーヴェンによるテンポ指定は非常に評判が悪いものとなっています。例えば交響曲や多くの弦楽四重奏曲などは、いまだにこのテンポ指定が正しいか、ベートーヴェンのメトロノームは現代のものとは異なっていたのではないか、あるいはテンポ指定そのものが全くの誤りではないのかと議論されています。ですから、彼自身が使っていたメトロノームをテストするのは実に興味深いことでした。

《で、どうでしたか?》

時々滞ることがありましたね。けれども、それは絶対的に正確なのです。

《では、楽譜に忠実であるポリーニさんとしては、ベートーヴェンの指示に従わなければなりませんね。》

ベートーヴェンのピアノソナタで、作曲家によって唯一原典にテンポ指定がされているのが、ハンマークラヴィーア・ソナタです。第一楽章はほとんど演奏不可能と言ってよいほど、恐ろしく速いテンポが指定されています。
もうかなり以前に、いくつかの演奏会でこのテンポ指定に忠実に演奏しようと試みたことがありましたが、その間に考えが変わりました。今では、ベートーヴェンはただ「極端に速い」という彼のアイディアを私達に示すために、メトロノームにこのテンポを指定したのではないかと考えています。つまり、私はこのテンポ指定を文字通りに受け止めるのではなく、「自分の限界の速さ」という意味であると解釈したのです。作曲家の並外れたアイディアに寄り添って、指示に近く、けれども自由をもって演奏するのです。

♪ベートーヴェン(「ハンマークラヴィーア」第1楽章)

《KKLのロビーではフルトヴェングラーを特集した展示が行われています。フルトヴェングラーはポリーニの尊敬するトスカニーニとは対照的に、別段作品に忠実とは評価されていません。ポリーニはこの両者についてどう考えているのでしょうか。》

ええ、彼らを二人とも、私は非常に敬愛していると言わねばなりません。どちらも、何とかして、音楽についての真実を表現していたと思います。

《トスカニーニが作品に忠実だった一方で、フルトヴェングラーは自由なやり方をする指揮者でした。》

そうですね、フルトヴェングラーは。例えば、彼はベートーヴェンの演奏の際は非常に和声に敏感です。指定されたテンポを守っていないとは言えます。フルトヴェングラーはしばしば非常にゆっくりとしたテンポで指揮をする、それは確かです。しかし、常にそうというわけではありません。フィッシャーがソリストを務めたベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番のトゥッティを聴いてみましょう。これは非常に速いテンポで演奏されています。

♪ベートーヴェン(ピアノ協奏曲第5番「皇帝」第1楽章)

自由ということについては、フルトヴェングラーは、例えばやはりフィッシャーと共演したブラームスのピアノ協奏曲第2番ですが、第4小節のトゥッティでわずかに加速をし、わずかにアニマート、パッショナートを用いていて、これは非常に説得力のあるものになっています。が、作曲家はこれらの指示をしていません。そしてこれは、おそらく解釈の自由の問題が適切に起きているのです。

♪ブラームス(ピアノ協奏曲第2番第1楽章)

あるいはブラームスの交響曲第3番の第3楽章、ここでは信じられないようなルバートが行われています。二つ目の小節は一つ目の小節の2倍の速さとなっています。これは非常に珍しく、めったに聴かれず、また実際に行うのはとても難しいことです。

♪ブラームス(交響曲第3番第3楽章)

《今ここでポリーニは演奏家、指揮者について語っていますが、オーケストラと一緒に呼吸をし、一緒に反応をするというのはどのようなものでしょうか。》

指揮者は100人もの演奏者に同じテンポ、同じフレーズや同じルバートの感覚を感じ取らせ、確信させなければなりません。これはとても難しいことです。それには多くのリハーサルを必要としますが、近頃はそれが少なくなりがちです。1回やせいぜい2〜3回のリハーサルで、どうやってピアノと指揮者の間で意志を共有することが出来るでしょう? オーケストラとの間に納得できるルバートが行えるでしょう? オーケストラと自由度の高い演奏をするには、準備に多くの時間が必要です。ピアノ協奏曲の場合、通常は1回か2回のリハーサルが行われますが、これでは不十分である場合が多いのです。

《しかし、クラウディオ・アッバード指揮のルツェルン祝祭管弦楽団との演奏では、その問題はクリアしましたね。》

ここルツェルンに来て、アッバードの指揮でルツェルン祝祭管と演奏をしたのは、とても素敵な経験だったと言いたいですね。素晴らしい、ファンタスティックな、フレキシブルな演奏ができました。これは一流のオーケストラが普通にやることなのです。

《リハーサルは何回でしたか?》

通常通り2回だけでしたよ(笑)。

♪ベートーヴェン(ピアノ協奏曲第4番第3楽章)

《ピアニスト・ポリーニを形成したものは何だったのでしょう。ミラノの家庭でしょうか?》

私の家では、アマチュアですが皆、楽器を演奏していました。父はヴァイオリンを弾き、母は歌とピアノを演奏していました。伯父も同様です。しかし不思議なことに、私は彼らが演奏しているのを一度たりとも聴いたことがないのです。私が生まれると同時に、彼らは演奏を辞めてしまった―これが唯一考えられる理由ですね(笑)。
けれども私は彼らから、確かに音楽への愛情と現代性への関心を受け継ぎました。私の父はイタリアで有数の建築家で、バウハウスのコンセプトで設計をしていましたし、伯父は抽象彫刻家でした。彼らからは明らかに影響を受けました。

偉大な演奏家たちがミラノで行ったコンサートはほとんど聴きました。アルトゥール・ルービンシュタイン、ヴィルヘルム・バックハウス、エドウィン・フィッシャー。指揮者では、フルトヴェングラー―彼はミラノにいました、トスカニーニが1回コンサートを行いました、ブルーノ・ワルター、ミトロプーロス、カラヤンなどです。

《ポリーニが最も興味を持っていた、そして現在も持っているのは、20世紀の音楽です。彼はシェーンベルク、ヴェーベルン、ブーレーズ、シュトックハウゼン、ノーノをレパートリーとする数少ない大ピアニストと言えるでしょう。》

現代の音楽は、音楽家としての私の人生の非常に重要な部分だったと思います、本当に。
現代音楽の20世紀音楽の経験から、私は思うのですが、ヴェーベルンやブーレーズの曲のハーモニーは、過去の作曲家のそれと同じようにセンシティヴで、成熟していて、完全で、素晴らしいのです。もしそれが判るのなら。

♪(現代音楽)

《ええ、それが判るのなら。けれども、大部分の主催者や聴衆は現代音楽を好んで聴こうとはしません。ポリーニは反論します。彼は―その演奏会に対する批評が証明しているように―現代音楽の演奏で成功を収めてきました。とはいえ、聴衆には現代音楽に接する機会が不足しているというのは彼も認めるところです。現代音楽は難解な言語を使用しているため、聴衆には親しみにくいのだと言うのです。》

確かに、ブーレーズ、シェーンベルクとともにシュトックハウゼンを演奏して、注目すべき成功を幾度も収めたと思っています。しかし、明らかに大多数の聴衆は、十分な経験がないために、適応性を持っていませんでした。
現代音楽の言語は、聴衆がついてゆくのが困難なほど、非常に速く発達しました。それは確かです。
しかし、カンディンスキーの言葉を引用してみましょう。彼は新しい言語の内的な必要性について語りました。芸術家は、自分自身の新しい言語を発見するという内的な必要性を有していると。それは自らを表現するためには絶対に必要な、彼自身の言語なのです。画家は自己を表現するのにまさにその言語、その色、その線を用います。作曲家にとってはまさにその音などを用いることなのです。彼にとってはその表現形式、その作品の真実を変えることは不可能であり、同じものを他の方法では表現できないのです。

♪(現代音楽)

保守的な聴衆はしばしば、作曲家には判りやすい方法で自己を表現してもらいたいと思うものですが、これはソヴィエト連邦のジダーノフ氏や、その他西側でもだれか、あるいは息子に「誰にでもわかるような交響曲を書くように」と手紙を宛てたモーツァルトの父のような人々には当てはまります。しかし、自分自身を表現しようとする作曲家にはそれは不可能です。
この表現をめぐる問題を解決する方法が一つだけあります。この新しい音楽を、新しい言語を、徐々に理解できるようになるまで、繰り返し熱心に耳を傾けるのです。これは容易なことではありません。これまで慣れ親しんできた言語とは、異なるものなのですから。

《そのためには、演奏家はコンサートで現代音楽を演奏すること、演奏できることが必要となるわけです。ポリーニは例外的にこのルツェルンでマスタークラスを担当しました。6人の若い演奏家たちが参加し、一週間に亘って行われたこのマスタークラスのプログラムは、ほとんどが現代音楽でした。マスタークラスはどうでしたか、という問いに彼はこう答えました。》

若い優秀なピアニスト達で、皆、非常に良く準備してきていました。ほとんど音の間違いは無く、その指摘をする必要も無かったのですが、これがどんなに難しいことか想像できますか? 私達はリタルダンドや、フォルティッシモや、クレッシェンドすることについて、また作曲家を尊重することについて、大いに話し合いました。これは難解な問題で、時には疲れてへとへとになりましたが(笑)。
これが励みになって、彼ら若い芸術家がこれらの作品をレパートリーとして、聴衆の前で演奏するようになってほしいですね。

《8月28日に行われた記念演奏会から、マスタークラス参加者であるスイス出身の39歳、ベンヤミン・エンガリの演奏で、シュトックハウゼンのピアノ曲第8番をお送りします。》

♪シュトックハウゼン(ピアノ曲第8番)

《インタヴューの最後に、彼の「アンガージュマン」についてうかがってみましょう。70年代の活動、そして現在の活動について、どう考えているのでしょうか。》

あの頃、政治的な方向へ私を導いていたのは、いわゆる「人間の顔をした社会主義」の思想でした。おそらく今でもそのような考えでいます。しかし、この意見は今日ではもはや現実に即したものでなく、主張するには適さないと思われます。現代の政治の問題では、私達がより優先的に考えるべきものは、「右か左か」といった考え方を越えたところにあるのです。環境や、世界の大部分を占める貧困に苦しむ人々、平和をめぐる問題などがその例です。しかし、ここでそれらについて論じることはできません。70年代、私は、音楽は全ての人によって分かち合われるべきだと考えていました。ですから、クラシック音楽の演奏会に足を運ぶ聴衆以外の人々の前で、演奏を行ってきたのです。

《その頃は、クラウディオ・アッバードとの友情を強めた時期でもありましたね?》

クラウディオ・アッバードとの友情―彼とはずっと以前から知り合いでしたが―確かにルイージ・ノーノと知り合い、友情を育み、アッバードとも友情を深めた時期でした。
いずれにしろ、私は予備知識や先入観のない聴衆の方が音楽を良く理解できる―たとえそれが現代音楽でも―という幻想を抱いていました。レッジョ・エミーリアでは労働者を対象とするレクチャー形式の演奏会に参加しましたし、工場でも何度か演奏会を行いました。60年代にはジェノヴァの小さな工場で100人くらいを前に演奏しました。それはストライキの時で、地方オーケストラと共にでしたが、風の音もしていましたよ(笑)。
ミラノ・スカラ座で、当時監督だったパオロ・グラッシが室内楽シリーズを計画して、私やカルテット・イタリアーノ、トリオ・ディ・トリエステの演奏会に労働者と学生を招いたのは、非常に大きな出来事でした。彼らは全く従来とは異なる聴衆だったのです。

《これは続きましたか?》

しばらくの間、試みが続きました。多くのシリーズ演奏会や、室内楽の演奏会、現代音楽の演奏会も。
しかし、私達のアイディアは中途半端なものでした。今にして思うに、私達はそれまでのように活動していればよかったのです。私は奇跡とか、一回の演奏会や短いシーズンがもたらす効果といったものは信じていません。実験に関してもあまりね。コンスタントな、長年にわたる活動が大切だと信じています。

♪ドビュッシー(前奏曲「ミンストレル」)

《ポリーニはピアノを演奏する時のように、明瞭に、妥協をせず、言葉を濁すことなく語ります。「人間の顔をした社会主義」を信奉していた人は、何をベルルスコーニのイタリアで失ったのでしょうか。》

(苦笑)泣いていいのか笑えばいいのか、わかりませんね(笑)。私を含め多くの人々にとって困難な状況となっていることを示すために、一つの例を挙げます。イタリアでは、多くのひどい情勢に加え、さらに次の重要な段階に進もうとしています。来月、イタリア議会は憲法の改正を決議するでしょう。この改正案が通れば―多分通ることになると思いますが―首相、つまりベルルスコーニは、議会を解散する権限を持つようになります。ほとんど独裁的な力を有することになるわけです。警察、学校、医療といった公的機関も地方分権化されることになります。我々の国は極めて危険な状態にあるのです。近々、憲法改正に反対する声明文が発表される予定です。クラウディオ・アッバード、グイド・ロッシ、私も含めて、多くの人が署名をしたものです。

《ポリーニのこの言葉で、インタヴューを終わりにしましょう。》

このようなことをするレベルの人たちには、文化というものが何も理解できないのでしょう。

《マウリツィオ・ポリーニ。62歳、控えめで、時に気難しく、博識で知的かつ非凡なピアニストは、これまでとは違う面を見せてくれました。》

♪ドビュッシー(前奏曲「パックの踊り」)

Interviewer:Liserot Frei

2004年8月28日
Kultur-und Kongresszentrum Luzern(KKL)


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