ポリーニは語る(3)
〜『Corriere della Sera』Interview 〜

60歳の誕生日を前に
Pollini, 60 anni : musica contro i conformismi

"責任を放棄することなしに、プライベートな生活の時間をより多くします"

"演奏会は少なくしますが、世界を変えるユートピアもピアノで追い求めます"

ミラノにて

明日であの60歳になるなんて、まったく思っていなかった。
「パーティーなんて、キャンドルなんて、プレゼントなんて、とんでもない。」マウリツィオ・ポリーニは、そうかわそうとする。
せいぜいミラノの自宅の音楽室で、ちょっとした家庭コンサートをするくらい、ことによると息子のダニエーレとの4手で。彼も今はピアニストとして認められている。
だが、60歳というのはきっかりの数で、無視しがたく、必然的に総決算の前触れとなるものだ。
「たしかに、未来を思うと、整理の時間はより限定されてきています。気にかかっていること(重要なこと)を成し遂げるためには、急がなければなりません。もうすでにやり始めていますよ。プライベートな生活の時間をもっと残すために、コンサート活動を制限してきています。ソリストとして、自分自身にのみ応えねば(向き合わねば)ならないのですから、自分に許すことのできるひとつの贅沢です」

<あなたの長い熱心なピアノとの付き合いで、今までに退屈(疲労)された時はありましたか?>

退屈(倦怠)を予想しない「結婚」ですよ。ピアノのレパートリーは広大です。長い年月で、私はほんの僅かな部分しか探っていません。本当のところ、殆んどいつも人々は2つの世紀、ピアノにとって黄金時代である18世紀と19世紀の辺りに、引き付けられています。時々、この楽器はその機能を使い尽くしたかのように言われるのを人々は聞きます。
しかし次に、ここに、再び活力を与える力、未だ表されなかった音色の可能性を引き出す力の有る、作曲家達が現われたのです。ピアノの表現法の偉大な変革者の一人が、例えばブーレーズです。それにベリオ、ノーノ、リゲティ、クセナキス、シャリーノ・・・それからシュトックハウゼン。

<この最後の作曲家は、近頃ツイン・タワーの火災の印象について「芸術作品だ」とか軽口を言って、スキャンダルになりました・・・>

彼はその言葉を、彼のサイトで否定していますよ。でもあれは高くつきました、多くのホールが彼の名前をポスターから削除してしまいました。個人的には、あんな風に表現したのだろうかと、疑問に思います。私にとっては20世紀の偉人のままなので、彼の演奏を続けます。

<あなたはずっと以前、ベトナム戦争に反対する立場を取っていました、今はアメリカへの共感を表していらっしゃいます。あの危害の少し後に、アバドとベルリンフィルとともに、ニューヨークへ行かれました。勇敢な選択ですね、オーケストラ全員が共にしたのではないのに。>

市民の生活を、屈してはならない正常な状態を、擁護するために、行動で表したのです。なにも恐れることはなく、ただ熱い思いと(悲しみを)共にする特別な感情がありました。
この悲劇に私は深く考えさせられました。アフガンの体制のもろさの側面、その急激な崩壊は住民から支持されないことを示しています。一方、世界の困難な問題に立ち向かい得る、新しい外交政策が必要だと、確かに思います。現在の、常により豊かな者と、常により貧しい者とへの分裂は、もはや耐えられないものです。武器は明らかに解決の役には立ちません。
この意味でヨーロッパの外交の任務はとても重要になります。

<折よく、ヨーロッパはユーロでまた統一を強めました・・・>

それに加わっているのだから、プロディに感謝しなくてはね。計画性豊かな、計り知れない意義のある転換点です。だがまた我々にとって大きな後見でもあります。 イタリアでは近頃、どの観点からも擁護できない一連の法律が認められてきました。司法府への連続的な攻撃を感じます。重苦しい雰囲気です。正直言って、たびたび外国に滞在する機会があるのを、喜んでいます。

<音楽の話に戻ると、間近なスカラ座のArcimboldi劇場への移転をどう思われますか。>

聴衆とレパートリーを広げる良い機会です。パオロ・グラッシが望んで分散させた時のように、その時はスカラがCiniselloやSesto San Giovanniという所で音楽をやったのですが、現在は、市中からは遠いけれど後背地からは近い、Gregottiの新しい建物が、刷新という重要な役目を担い得るでしょう。
その他については、ミラノは近頃大きな活力を示しています。公会堂はとても優れた音響のスペースですし、ヴェルディ管弦楽団はシャイーのおかげで成長しています。現代音楽のための都市の基準点であるMilano Musicaも、さらに強化されることを願っています。

<この点では、もはやユートピアではない・・・>

ユートピアは次々に起こります。時々は夢のままになり、時々は必要なもの(必然的なこと)と成っていきます。
音楽は私達を元気づけてくれます。最近私はシューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集」を録音しました。ユートピアの良い例です、自由人のグループが芸術上の俗物や順応主義(conformismo)と戦うのです。
しかし今日、より緊急のユートピアは、様々な発展のプロジェクトを構想すること、経済的・生態学的な予測を徹底的に変更する考えを打ち出すことです。
ただこのようにしてのみ、人類(umanita'、"人間らしさ"か)はなお存在し続けることができるでしょう。

Corriere della Sera 2002/1/5

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