Beethoven
"Wut kann eine starke musikalische Kraft sein"
激怒は強い音楽的な力であり得る
40年をかけて、イタリアのピアニスト、マウリツイオ・ポリーニは
ベートーヴェンの32曲のソナタを録音してきた。
彼にとってそれは美と自由への道だった。
今ここにベートーヴェンのソナタの最後の1枚があります。ドイツ・グラモフォンへのツィクルスは
これで完全なものとなりました。ホッとしていますか、それとも完了の寂しさが忍び寄ってきますか?
「ベートーヴェンに関する私の仕事はまだ終わりではありません。幾つかのソナタを再び録音することさえ考えています。その偉大さと難しさを考えることは、簡単には私を解放しないのです。それに私はこの先も演奏会でそれらを演奏します。CDのリリースは私にとっては外面的な中間休止にすぎないのです。」 ツィクルスの最初の録音は40年前です。その時からすでに全32曲のソナタを練習することを意図していたのですか? 「ああ、私はとても若くて、ただ自分の頭と心の近くに在るものを演奏したかっただけなのです。ベートーヴェンの後期ソナタの作品109と110から真っ先に取り掛かるというのは、かなり思い切ったことでした。でも、私はとてもそれをしたかった。で、行ったのです。」 そんなに珍しいことではないでしょう。グレン・グールドがやりました。イゴール・レヴィットも2年前に行いました。もしかしたら若い人には、ベートーヴェンの後期作品に特別な親近感があるのでしょうか? 「判りません。後期ソナタの特別な偉大さは、明らかに、老人も若人も同じ様に惹きつけるのです。いかにして多くの問題が解かれるか、老人はあるいはより深く熟考したでしょう。しかし熱狂(感激)は全ての人に共通するのです。」 もしかすると若い人達には、後期作品の中で表現力の強い実験をするよりも、初期作品の中の慣習(的な部分)を才気渙発に演奏することの方に、距離を感じるのでしょう。 「ベートーヴェンがついには古典主義を溶解させたということは、確かにその通りです。形式は革命的な変化を走り抜けました。ソナタを作曲していく経過で、ベートーヴェンは常により自由に、自己の心中を表現するようになりました。しかし、これらのソナタが尚その上に、固有の形を持っていることに、彼の偉大さがあります。貴方は至る所に根本形式を見つけるでしょう。そのつど独特なものが実現されます。展開部が非常に長くなるかもしれない、或いはコーダが巨大な範囲に及ぶ。それから形式は、即座にまた全く秩序あるものにも成り得ます。最初期のソナタはすでに規模が大きく難解です。ハイドンとモーツァルトへの対抗心が彼には強くあったかもしれません、でもこの衝突に、彼は立派にも譲歩しませんでした。彼の初期のソナタは非常に個人的で、非常に内に向けられたものです。もし貴方が全てのソナタをツィクルスで演奏するとしたら、高い水準から始めて、一夕から一夕へと、美と自由が更に高まって行くのに出会うでしょう。」
あなたは全ソナタをベルリン、ロンドン、ニューヨークなどの都市で演奏しました。ロンドンで聞いたのですが、若い人たちが全チクルスの安価な切符を入手出来るよう、主張されたそうですね。 「そうでしたか? 忘れましたが、そうだったかもしれません。いずれにしても、ロンドンではオーケストラの壇を開放してそこに椅子を置いたのです。この座席は実際に低価格で若い人に売られ、更にその夕べには快い雰囲気が生み出されました。」
どうして若い人達はベートーヴェンを聞くべきなのですか? 「ええ、多くの人が言うのは承知しています、新しいものはもう無い、我々はすでに全部知っている、と。でも彼の音楽には思索へ誘う多くの要素があります。我々の理解がまだ十分深く達していないところがあるのです。ストラヴィンスキーはある時言いました、最も現実的な音楽作品は、ベートーヴェンの弦楽四重奏のための大フーガop.133である、と。ある方法で人はベートーヴェンの全作品について語り得るのです。」 ピアニストのエリー・ナイは民族社会主義の時代にボンでベートーヴェン・フェストを主宰しました。彼女にとっては、ベートーヴェンの音楽の熱情と力が、ドイツ民族の優越性の象徴でした。あなたはこのベートーヴェン像になお何か感じることがありますか? 「私はいかなる種類の民族主義にも堪えられません。政治における民族主義に否です、それについて論議の必要は全くありません。それから芸術においても否です。全ての国の大作曲家がそれに伝染させられ、その上第一次世界大戦では、熱狂的になって武器を掴んだことは、悲惨なことです。勿論ベートーヴェンはドイツの作曲家です、しかし同時に普遍的な(世界の)作曲家です。彼は生涯のある時、民謡を編曲し始めました。それらは何とも言えぬほど美しい、多くのアイルランド、スコットランドの民謡で、総じて英国のものが多く、しかしロシア、ポルトガル、イタリアの歌−ゴンドラの金髪の乙女″−もありますが、ドイツの歌はほんの少しだけです。べートーヴェンの民謡編曲集にあるこの多くのヨーロッパの国々は、彼の抱く音楽への普遍的な見方の象徴なのです。」 それでもなお、第二次世界大戦後あるピアニスト達は、私はグルダを想起しますが、ベートーヴェンでは激情(パトス)を放棄しようとしました、イデオロギー的な害毒だから、と。貴方にとってはもはや論題になりませんか? 「私がベートーヴェンを学び始めた時、アルトゥール・シュナーベルを最も賛嘆していました。ある時は緩徐楽章の表情の豊かさに、他の時はアレグロとプレストを狂気のように速く解する素晴らしい大胆さに。それはベートーヴェンによるメトロノームの指示、ハンマークラヴィーア・ソナタにのみあるのですが、それに近寄るためなのです。しかしベートーヴェンの表情の豊かさを否認することは誰にもできません。それは非常に強いのです。」 エリー・ナイはある時ベルリンで、ベートーヴェンの最後のソナタop.111の手稿を自らに貸出し、図書館記録にその貸出しの目的を書き留めねばなりませんでした。「瞑想(Meditation)のために」と彼女は書きました。 既にハンス・フォン・ビューローがベートーヴェンのソナタを鍵盤楽器の新約聖書と呼んでいます。全ての証言が宗教的な崇拝です。今日ではこの時代は過去のものとなっていますか? 「ベートーヴェンの音楽には、宗教的な経験の近くへ導くことの出来る瞬間があります。高められた熱狂(Enthusiasmus)の瞬間です。私はそれを全く否定しようとは思いません。私が個人的に思うのは、これらの音楽の真価を認めるためには、必ずしも宗教のことを思う必要はない、ということです。いかなる美的な感激もすぐに宗教的なものに転じさせることができる、音楽の偉大さがあるのみなのです。それにしても、私もベルリンの国立図書館に行きました。ベートーヴェンの手稿を見るためです。」 それで、どの(手稿)ですか? 「第9交響曲です。かなり有益でした。彼は交響曲全体に、最初から最後まで、度々拍子を書きつけていました。この繰り返された書きつけの過程で、特に緩徐楽章のテーマはいつも、より飾らないものになりました。」 ベートーヴェンはよく彼の音楽が基礎にする“詩的な観念(イデー)”について語りました。貴方はベートーヴェンを演奏する時、具体的な観念を持っていますか? 「ベートーヴェンの会話帳、それを通じて−彼の耳が聞こえないため−人々は文字で語り合ったのですが、そこに秘書のアントン・シントラ―との対話があります。これはシントラ―だけが話しているので、判りにくいです。ベートーヴェンの答えは欠けています。それを想像しなくてはなりません。自分の全作品に詩的なタイトルを付けたいと、彼はシントラ―に明らかに言いました。シントラ―は答えます、全く駄目です! それは酷い考えだ、と。それを聞いてベートーヴェンは激怒しました。そこでシントラ―は言います、激怒するのは音楽とは無関係でしょう、さもないと、激怒に満ちたソナタを書くことになりますよ、と。そこでベートーヴェンは彼にはっきりと言いました。そうだ、激怒(Wut)は強い音楽の力になり得るのだ。」 貴方の録音した変イ長調ソナタop.110で、2楽章と3楽章の間のレシタティーヴォの箇所にいつも魅せられます。そこにベートーヴェンはタイと指の交替で音を反復するよう記しています。これは理屈に合いません。タイは音が再び打たれてはいけないと言う。指の交替は新たにされた動きを要求する。貴方はこれを注意深く演奏しています。この不思議な個所を弾く時、何を考えていますか? 「私の考えでは、ベートーヴェンは音の反復を望んでいた、でも出来るだけ柔らかに。本当に幽かに。影のように。極めて表情に富んだ瞬間! 十分に満ちた感情。ベートーヴェンによってこのレシタティーヴォはまさに一つの楽章へと導かれます、そこに彼は自分の思いを明瞭に記しています、“嘆きの歌”。そして反復部には“疲れきって嘆きながら”。」 貴方はシュナーベルを模範として挙げました。彼はラフマニノフをとても尊敬して、ベートーヴェンを素晴らしく演奏出来るのは彼だけだと言っています。皮肉だとは思われず、むしろ率直な喜びの表現なのでしょう。ベートーヴェンを素晴らしく演奏するのは、そんなに難しいことなのですか? 「その問題は、ベートーヴェンの作品は非常に多様である、という点にあります。彼はある作品から次の作品へとスタイルと趣を変えて行きました。繰り返しはありません。それ故にこれらのソナタは演奏が難しいのです。あるソナタを知ることが、次のそれを知る手助けに、総じてあまりならないのです。」 それにも拘らず、貴方は各回ごとにゼロから始める必要はないのですね。 「時々、あたかもそうであるかのように行うことは、有益になります。」 貴方にとってとりわけ親近感のあるソナタはどれですか? 「後期のものです、しかも終生に亘って。また中期の偉大な作品“熱情”と“ワルトシュタイン”。それから2つの楽章しかない2曲のソナタ、ヘ長調op.54と嬰ヘ長調op.78も大好きです。これらを理解するのは全く容易ではありません。」 ヘ長調ソナタのフィナーレは本当に奇怪です。しばしば和声学(ハーモニク)がほとんど解せません。 「形式もです! この楽章の呈示部は最初の20小節続くだけです。極めて凝縮されています! それから長い展開部と最後に再現部、これも呈示部よりほんの少し長いだけです。その上ハーモニクは本当に大胆です。」 このようにベートーヴェンの作品でさえも、まだあまり評価されていないソナタが幾つかあります。 「全くです! ヘ長調の小ソナタは絶対にその一つです。」 ベートーヴェン演奏でイタリア楽派はありますか? 「アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリのような大ピアニストがいます。しかしイタリア楽派があるとは思いません、そもそも演奏に国民的な流派があるとは思いません。私はただ、個人の強い精神的な世界があると、信じるだけです。」 Interviewer : Jan Brachmann FAZ.net, 16.06.2015 |